このブログのトップへ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
〔助太刀兵法32〕御家人馬鹿囃子(2) (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年12月8日 11時49分の記事


【時代小説発掘】
〔助太刀兵法32〕御家人馬鹿囃子(2)
花本龍之介 



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概
 無頼御家人の勝小吉と意気投合した飛十郎は、ほかの店で呑み直すことになって、その夜はしたたかに酒を呑んだ。あくる日の昼近く目を覚ました飛十郎が、長屋の井戸端で顔を洗っていると意外な来客がやってきた。礼を言いに来た勝小吉の倅の麟太郎であった。麟太郎の礼儀の良さに感服した十日後、浅草の水茶屋で団子を喰っていた飛十郎の前に勝小吉の使いがやってくる。思いがけなく仇討の助太刀を頼まれた飛十郎は、風を切って走り出した……。またまた飛十郎の助太刀剣が、江戸の町でうなりを上げる。
  

【プロフィール】:
尾道市生まれ。第41回池内祥三文学奨励賞受賞。居合道・教士七段。
現在、熱海に居住している。



〈助太刀兵法21〉尾道かんざし燈籠
〈助太刀兵法22〉尾道かんざし燈籠(2)
〔助太刀兵法23〕尾道かんざし燈籠 (3)
〔助太刀兵法24〕尾道かんざし燈籠 (4)  
〔助太刀兵法25〕 尾道かんざし燈籠(5)
〔助太刀兵法26〕尾道かんざし燈籠(6)
〔助太刀兵法27〕尾道かんざし燈籠(終章)
〔助太刀兵法28〕室の津綺譚
〔助太刀兵法29〕室の津奇譚(2)
〔助太刀兵法30〕 室の津奇譚(終章)
〔助太刀兵法31〕御家人馬鹿囃子


 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓   ↓  ↓  ↓  ↓







【PR】システム構築、ソフトウェア開発はイーステムにお任せ下さい


************************************************************
当サイトからの引用、転載の考え方
・有料情報サイトですが、引用は可能です。
・ただし、全体の文章の3分の1内程度を目安として、引用先として「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と必ず明記してください。
・ダウンロードしたPDFファイル、写真等は、透かしが入っている場合があります。これは情報管理上のことです。現物ママの転載を不可とします。ただし、そこから情報を引用しての表記は可とします。その場合も、全体の3分の1内程度を目安として、「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と引用先を必ず明記してください。
・商業利用の場合は必ず、連絡下さい。
 メールは、info*officematsunaga.com
(*を@にかえてください)
************************************************************


【時代小説発掘】
〔助太刀兵法32〕御家人馬鹿囃子(2)
花本龍之介 
 
 

一 ふたり小吉

「芸者? まさか、小吉じゃないでしょうねえ」
 飛十郎はうんざりした顔をした。こんなところで小吉が出てくるとは思わなかった。
「その小吉よ。あいつとは、昔から顔なじみでなあ。まだ肩上げの半玉(はんぎょく)の時分から座敷に呼んで、無理に酌をさせて泣かせちまったこともある。いまも仲間内の寄り合いなんぞで、よく顔を合わすしな。ふたり小吉といえば、本所深川じゃちっとばかし有名だってことだぜ」
「ははあ、ふたり小吉ですか……」
 憮然とした顔で、飛十郎は無精髭をこすった。
「どうやら飛さんは、あの芸者が苦手なようだなあ。ふ、ふふ、図星だろう」
 楽しそうに、勝小吉が笑った。
「そんなことはない。小吉のやつなんか、ちょいとひねって、ぽいと捨ててやる。いや小吉といっても、勝さんのことではない。どうも名まえが同じだと、まぎらわしくて困る」 苦い顔をして、飛十郎は枡に口をつけた。
「ま、そんなにうろたえなくてもいいさ。飛さん、小吉は生れも育ちも深川だ。いわば生粋の深川っ子よ。そいつが見事なまでに、意気と張りと気風(きっぷ)のよさが売り物の辰巳芸者になっちまった。あんないい女は、めったにいるもんじゃねえ。どうだえ飛さん、これから門仲へのしていって、小吉を座敷へ呼んで三人で呑み直そうじゃねえか」
 飛十郎は、慌てたように顔の前で手を振った。
「そ、それは困る。やめてくれ、勝さん」
「は、はは。安心しねえ、冗談だよ。ところで飛さんは居合を使うそうだが、めっぽう強えらしいねえ」
「また小吉ですか。あいつは、おしゃべりで困る」
「無双直伝英信流らしいが、流祖はやっぱり林崎甚助さんかえ」
「そうです。ほかにも居合の流派は、大森流、田宮流、水?流、無外流、神道無念流と数多くありますが、そのほとんどは林崎甚助重信公を流祖にしています。なんでも永禄の昔、父を闇討ちにされた甚助が、生地の林崎神社に参籠して、苦心のすえに編み出した兵法だということです」
「それで、仇討は果たしたのかい」
「京の清水坂において、見事に本懐をとげたそうです」
「そいつはよかった。そうそう仇討といえば、飛さんは助太刀屋というのをやっているそうだねえ」
 にんまりしながら、勝小吉は飛十郎を見た。
「さよう。助太刀とは人助けの剣なり、という気持でやっています」
「なるほど。人助けの剣か、いいねえ。おれも若(わけ)え頃はえらく暴れて、親爺どのを初めいろんな人に迷惑をかけちまったから、心を入れかえてせいぜい人助けをしているつもりだが。思わぬところで恨みを買うこともあってな。なかなか、むずかしいもんだぜ」「ははあ、そういうものですか」
「うむ。世の中こっちの思う通りにゃ廻ってくれねえよ。どこでどんな、悪い引っ掛かりが出来るかもしれねえからなあ。その時には飛さん、ひとつ助太刀を頼まれてくんなよ」 珍しく真面目な顔をして、小吉が言った。
「とんでもない。勝さんの腕は、相当なものだと見た。助太刀など無用でしょう」
「おうさ、喧嘩の腕なら誰にも負けねえ自身があるがね。剣術(やっとう)のほうは、どうもいけねえよ」
「やはり、直新影流ですか」
「ああ、剣は団野道場仕込みの直新影流だ。このあいだも精一郎と立ち合ったんだが、ぽんぽん打ち込まれて、もう大人と子供の喧嘩さ。ちょいと見ねえうちに、あいつめ、てえした腕になっていたよ」
「男谷精一郎どのは別格でしょう。だが剣と喧嘩も、心がまえはそれほど違わぬと思います。最後にものをいうのは、やはりその人物の人柄でしょう」
「そうだ、おれも肚(はら)だと思う。そうおもって、これまで度胸剣法で押し通してきたが。世間は広い。てんで歯がたたねえ相手がいるもんだ。飛さん、おたげえに気をつけるとしようや。そんなことより、どうだい料理も喰っちまったし、ここもそろそろあきてきた。このあたりで河岸を変えようじゃねえか。竪川のむこうに、ちょいとおつな物を出す店があるんだ」
「いいでしょう。おれも今夜は、とことん勝さんにつき合いたい気分だ」
 枡の酒を一気に呑み乾すと、飛十郎は角樽を持って立ち上がった。
「おいおい、そんな物はここへあずけて行きゃあいいやな。荷物になるぜ」
「これはご子息の麟太郎どのが、良くなられた祝い酒の角樽。こんなめでたい品を人まかせには出来ません。持っていきますよ」
「は、はは、飛びさんも真面目だねぇ。こいつは、おおきに恐れ入った。まあ好きにするがいいや。行こうか」
 土間にむかって歩き出した勝小吉と飛十郎を見て、入れ込みの客たちが慌てて立ち上がると、やかましく礼を言いはじめた。
「礼にゃおよばねえぞ。さっきもいったように、おれが倅の疵が治った祝儀の酒だ。遠慮なく呑んでくんねえよ」
 雪駄を突っ掛けて戸口へむかう勝小吉を、夜鷹女が追いかけてきた。
「旦那、勝の旦那ったら。ほ、ほほ。すいませんねえ。あたしみたいな、すれっからしまで、すっかりごちになって」
「何をいってやがる。お七、こっちこそ悪かったな。大事(でえじ)な稼ぎ時に、すっかり足を止めちまった。こいつは少なねえが、受け取ってくんな」
 いつ用意したのか袖の中から紙包みを出すと、お七の手に押し込んだ。
「お七、これから寒くなる。無理はするなよ。躰が一番だぜ。困ったことがあったら、おれが家に相談にきな。入江町の時の鐘の傍にある、岡野孫一郎っていうお旗本の屋敷うちにあるからな。もしおれがいなくても、女房のお信にいいな。わかるようにしておくから心配ねえぜ」
 笑顔で肩を叩く勝小吉に、お七はなにも言えずに鼻をすすり上げた。見ている飛十郎も、思わずほろりとなった。
「おおい。お島とお遊と留、そんな情けねえ顔をするな。おめえたちの居場所はわかってるんだ。あとで祝儀を届けてやるから安心しな。じゃ、呑み逃げで悪いが、またな」
 一足先に表へ出た飛十郎を追って、勝小吉は縄暖簾を手ではね上げると、さっと外へ出ていった。


二 酒切手

 棟割り長屋の朝は早い。
 棒手振りの魚屋と八百屋は、夜明け前のまだ暗いうちに飛び出していく。駕籠かきや通いの大工や左官などの出職人は、明け六つ(午前六時)になって、あたりがしらじらと明るくなると、これまた道具を肩にのせて足早に長屋をあとにする。
 そのあとの一刻(二時間)ほどは、朝餉の食器や鍋釜を洗ったり洗濯をする女たちで井戸端がひとしきり賑やかになるが、そのあとは静まり返る。
 ときおり子供たちが野良犬を追いかけたり、物売りがどぶ板の上を一回りして出ていくが、あとはひっそりと静かになる。
 四つ刻(午前十時)を過ぎた頃、そのうちの一軒の戸が開くと、眩しげに太陽を見上げながら飛十郎が出てきた。これから顔を洗うらしく手拭いを持って、口に房楊枝をくわえている。気の荒い女房たちに見つかれば、
「早船さん、また吉原から朝帰りかい。いいかげんにしないと、腰が抜けちまうよ」
「まったく、こんな時間まで寝て、いまにお天道さまの罰があたって目がとけちまっても知らないよ!」
 と威勢のいい挨拶をあびせられるのだが、運よく井戸の廻りには誰もいなかった。
 釣瓶桶(つるべおけ)で汲みあげた井戸水で顔を洗い、荒塩で歯を磨きながら飛十郎は空を見上げた。抜けるように晴れた大空を、ちぎれ雲の群れが東にむかってゆっくりと動いている。
 朝晩はめっきり寒くなったが、こうして太陽に照らされ、大川から吹いてくる風につつまれていると、まこと気持ちがよい。
「う、むむ……」
 思わず飛十郎は、大きく伸びをした。
「失礼ですが、早船先生でしょうか」
 うしろから少年の快活な声が、いきなり飛十郎にむかって呼びかけた。
「う」
 青空にむかって気持ちよく手足を伸ばしていた飛十郎は、不意打ちをくって危うく口の中の荒塩をのみ込みそうになった。
「勝麟太郎です。先日は狂い犬に急所を喰いつかれて、危うく落命しかけたとき早船先生にお助けいただき、まことにかたじけのうございました」
 入江町からやってくる道すがら練習したのか、礼の言葉がよどみなく麟太郎の口から出てきた。
「ごらんのように、ようやく歩けるようになりました」
「むむ、さようか……。それは、なにより……」
 口の中の塩をなんとか井戸端に吐き出すと、飛十郎は麟太郎に尻をむけて、釣瓶桶から水をすくって手早くうがいをした。
「これもすべて、あのおり近くに居合わせた早船先生の、すばやく適切な処置のおかげだと、父は申しており――」
「まった」
 飛十郎は、手を上げて言葉をさえぎった。
「ここは井戸端だ。話は部屋でゆっくり聞こう。それから、おれのことを先生と呼ぶのはやめてくれ。背中がむずかゆくて、かなわん」
 物見高い長屋の女房たちが出てこぬうちにと、飛十郎は自分の長屋に入っていった。
「あいにく、座蒲団も床の間もない。ま、そのあたりの好きなところへ、すわってくれればいい」
 寝起きのままの万年床を慌てて丸めながら、飛十郎は麟太郎に奥の四畳半へ通るようにうながした。
「は、はは。床の間がなければ、上座も下座もないからな。かえって面倒がない」
「はい。入江町の私の家にも、床の間などございません。ここと同じように、客は自由に好きな場所にすわります」
 家紋付きの羽織・袴姿の麟太郎は折り目ただしく正座すると、作法通り帯から抜き取った脇差しを右膝の横に置いた。
「まさか……。勝小吉どのは、ご直参だ。その屋敷に床の間がないはずがなかろう」
「最初はありましたが来客が多くなって、父上が邪魔だといって取り捨てました」
「ほう。勝どのの屋敷には、そんなに客がみえるのか」
「はい。ですが、侍はあまりおりません。背中に彫り物をいれた火消しや鳶人足、金貸しの番頭や博奕うちがたくさんやってきます。それに、なんの商売をわかりませぬが、首を真っ白に塗った女たちもまいります」
 無精髭をこすりながら聞いていた飛十郎が、思わず噴き出した
「ふ、ふふ。いかにも勝さんらしいな」
「父上は立派な屋敷に住む武家より、長屋暮らしの町人たちのほうが気に入っているようでございます」
「そうだろうな。鳶人足といえば、あのとき血まみれの麟太郎どのを、通りがかった八五郎という男の家にかつぎ込んだが、たしかあれも鳶の者だったな」
「はい。八五郎の家で、私は医者に睾丸を縫われて、あやうく気を失いかけると父上が刀で私の横っ面をひっぱたいて、正気にしてくれました。また手術をこわがった医者の針を持つ手が、ぶるぶる震えているのを見て、刀を畳に突き立て落ち着かねえとたたっ斬るぞ!と威しつけ、見事に手術を成功させたそうでございます」
 膝の上に両手を置き、聡明そうな顔を時おりかたむけて、淡淡(たんたん)とした口調で語るその姿は、とても九歳の少年とは思えない。
「ふうむ……」
 飛十郎は、胸の内で舌を巻いた。
―――世間のやつどもは、おれと麟の野郎を見て、誰もが鳶が鷹を生んだようだとぬかしやがる。馬鹿めが、まったく腹が立つぜ………
 吐き出すように言った勝小吉の目が、いかにもうれしそうに細まったのを、飛十郎は思い浮かべていた。
「ですが不覚にも犬に噛みつかれ、命を落しかけたのも学問ばかりしていたせいだと思います。これからは亀沢町の伯父上の屋敷にある、直心影流の男谷道場へ通って、剣の道もきわめたいと思っております」
「おう、男谷精一郎どのにな。そいつはいい。あの人は、この先かならず剣で天下に名を上げるお方だ」
「はい。父上も、早船先生と同じことを申しておりました」
 麟太郎は携(たずさ)えてきた風呂敷包みから桐の小箱を取り出すと、飛十郎のほうへ押しやった。
「これは些少ではございますが、私からのほんの心ばかりの礼の品です。どうかお納めください」
「いや、勝さんにもいったが、そういった物は受け取れない。困る、まったく困る」
 頭を掻きながら、飛十郎は渋い顔をした。
「礼ならば、こうして麟太郎どのが元気な姿を見せてくれたことで、すんでいる」
「早船先生は、なにかお考え違いをなさっています。亀沢町にある男谷の本家は、たいそう裕福ですが、わが勝家は四十一俵取りの無役の御家人。年中、貧乏風がぴいぴい吹きまくっております。ゆえに、この品は金銭ではありません。酒切手です」


三 掃き溜めの鶴

「お、酒か」
 飛十郎の目の色が変わった。
「はい。父上が武蔵屋の顛末(てんまつ)を、面白おかしく話してくれました。母や妹もそれを聞いて笑い転げましたが、私はそれならばと新川の豊島屋へいってあつらえました。これは桜正宗の酒切手でございます」
「ふむ。ならばこの切手の才覚は、おぬし一人の考えか」
「いけなかったでしょうか、早船先生」
 少年らしく、麟太郎は不安そうな顔をした。
「いや、酒ならばよい。喜こんでいただこう。それも桜正宗ときては、ずばりと的を射ておる」
「それを聞いて、ほっといたしました」
 風呂敷を丁寧に折りたたんで懐に入れると、麟太郎は破れ畳の上に両手を突いて平伏した。
「父より、くれぐれもよろしくとの言葉でございます。所用もありますゆえ、私はこれにて失礼つかまつります」
「さようか、もうお帰りになられるか」
 自然と言葉があらたまった飛十郎は、崩していた膝を正座に直すと、その上に両手を置いた。
「はい。これよりすぐに男谷道場にむかい、入門の手つづきをするつもりです」
「ほう、さっそく剣術をな」
 麟太郎は立ち上がると、にっこり笑った。
「どうせやるなら、一日でも早いほうがいいと思います。今日から稽古を始めるつもりです」
 土間へ降りて履物に足を入れた麟太郎を見て、飛十郎は気が付いた。
「や。これは茶も出さず、ご無礼いたした。なにせ独り暮らし、それに起き抜けで湯もわかしておらぬ始末でしてな」
「お気づかいなさいませぬよう。私は茶を好みません。それより井戸水を一杯いただきます」
 一礼すると、麟太郎は戸を開けて井戸にむかって歩いていく。井戸の方角から女たちの声が聞こえたような気がして、飛十郎も草履を突っかけると外へ出た。
 長屋の女房たち三人が、井戸端でやかましくしゃべっていたのが近寄ってきた麟太郎を見て、ぴたりと静かになった。麟太郎が何か言うと、三人のなかで一番がさつで口の悪い駕籠かきの女房が、手を横に振ると麟太郎から釣瓶桶をひったくって、自分で井戸水を汲みはじめた。それを見ていた女房のひとりが、慌てて家に戻ると水甕用の木杓を持って出てきた。駕籠かきの女房がその木杓で桶の水をすくうと、うやうやしく麟太郎に差し出した。
 悪びれずに受け取った麟太郎は、いかにもおいしそうに喉を鳴らして水を飲みほした。木杓を返すと麟太郎は、にこにこしながら女房たちに何か言った。すると女房たちは、気負(きお)されたように後ずさりすると、前掛けに両手を置くと深々と頭を下げた。
「ふうむ……」
 飛十郎は戸口に立ったまま、信じられぬ思いでいた。いつも飛十郎にむかって、乱暴で口汚く、ののしるようにしゃべる女房たちの、あの変わりようはどうだ。
 引き返してきた麟太郎が、飛十郎の前で立ち止るとささやくように言った。
「人の命を救ったものは、そのあとずっと助けた人間の生き様を見守らなくてはならぬ。という定めがあるそうでございますが、ご存知でしょうか」
 そう言いながら真っ直ぐに見つめてきた麟太郎の目を見て、飛十郎は驚いた。
 勝小吉によく似た大きな目の、鳶色をした瞳の奥に重なって、もう一つ青みがかった瞳が見えたからである。いわゆる竜眼である。古来より、この瞳を持つ者は、天下をくつがえすか、天下を救うか、二つに一つだと言われている。
「いや……。初耳だな」
「そう唐の古い書物にありましたのを、読んだことがあります。早船先生は、私の命をお救いになりました。私が大人になり、ひとかどの人間に成長するまで、見ていただきたいと思っております。この願い、承知いただけますでしょうか」
「う、むむ……。わかった、いいだろう」
 飛十郎は、思わず空を見上げた。風があるのか、東へ流れていく雲の動きがさっきより早い。
「ただし、見ているだけだぞ」
「よろしゅうございます。早船の飛さんほどの侍(さむれえ)に後見してもらい、ときたま剣の手直しをしてもらえりや、江戸広しといえども武士の冥加この上ねえと思え。わかったか麟太郎!という父上の言葉です。先生、ありがとうございました」
 頭を下げると、さっと身をひるがえした麟太郎は、飛十郎が言葉を返す間もなく、どぶ板を鳴らして表通りへ去っていった。
 顎に手をやったまま見送っている飛十郎の傍へ、ばたばたと駕籠かきの女房が駆け寄ってきた。
「なにを無精髭を撫ぜ廻しているんですよう、旦那。あの子はいったい誰なんです?気品のある顔といい、鷹揚な態度といい、てっきり大名の若様にちがいないと皆んなでいっていたんですよ。そうなんでしょ」
―――大名の若様どころか、将軍家に御目見得もかなわぬ、吹けば飛ぶような貧乏御家人の小倅だ………
 と言いかけて、飛十郎は口を閉じた。
「まあ、そのようなものだ」
「でしょう。あたしゃ、あの子が近ずいてきたとき、背中がぞくっとしたよ。ありゃ、ただ者じゃないね。まるきし掃き溜めに鶴ってのは、このことだよ」
「その通りだ。あれは、ただ者ではない」
 飛十郎は、つぶやくように言ったが、ただ者どころの騒ぎではない。
 親兄弟に二度にわたって座敷牢に押し込められ、危うく切腹させられかけたあげく、喧嘩にあけくれ本所深川の暴れん坊と異名を取り、無頼御家人と周囲に恐れられた勝小吉の一人息子・麟太郎こそ、のちの勝海舟である。四十一俵の御家人から、ついには徳川幕府の若年寄まで昇りつめ、最後の将軍・徳川慶喜の命を助け、官軍の参謀・西郷隆盛と談判して火の海になろうとした江戸八百町と人命を戦火から救った人物だが、神ならぬ身の早船飛十郎、そんなことはむろん知らない。
 ただ、去っていく麟太郎の後姿に、たとえて言うなら五月の薫風が吹き過ぎたような、なんともいえない爽やかな心地良さを、飛十郎は感じているだけであった。


四 串団子

 それから十日ほどたった、ある日の午後……。
 浅草寺境内にある水茶屋の中で、飛十郎は茶で喉をうるおしていた。茶碗を下に置くと、傍の皿から串団子を取りあげて満足げに口に運ぶ。
 あたりには、似たような葦簀張りの水茶屋や、房楊枝を売る店が数えきれぬほど並んでいる。どの店にも髪を綺麗に結い上げ、黒繻子の衿をつけた粋な縞柄の着物に、花やかな前掛けをたらした美しい茶汲み女たちを置いて、行き来する参拝客の気を引いていた。
 江戸庶民に〔浅草の観音さま〕として親しまれている金龍山浅草寺は、推古三十六年(六二八)の昔、宮戸川(浅草近辺の隅田川の呼称)で漁をしていた浜成・竹成の兄弟が網にかかった小指ほどの純金の観世音を引き上げたことに始まる。一寸八分(約六センチ)の尊像を、駒形堂の建つ場所に祀った土師中知と共に、兄弟は本堂の右横にある三社権現の祭神になっている。
 毎年三月十七、十八日(現在は五月中旬)に行なわれる三社祭は、夜明けと同時に始まる宮出しと、日没時の宮入りの三体の大神輿の運行は、祭礼好きな江戸っ子たちの血を湧き立たせ、三社神輿の奪い合いで死人が出るほどの賑わいを見せていた。
 三月十八日生れの飛十郎は、亡き父母を偲ぶつもりもあって、三社祭りの日には欠かさず観音堂にお参りしていた。
「千二百年このかた、誰も目にしたことのない秘仏だそうだが……。ほんとに、この御堂の奥深くいられるのだろうか。それにしても、わずか一寸八分の観音さまに、なんと巨大な本堂ではないか」
 緋毛氈を敷いた床几に腰を降ろした飛十郎は、ぶつぶつ独り言をつぶやきながら、目の前に見える浅草寺の大屋根を初めて眺めるような思いで見上げた。
「なにかおっしゃいましたかしら、お客さま」
 飛十郎の視界をさえぎってそう言ったのは、茶汲み女たちの中でもひときわ目立つ、年の頃は十七、八まさに番茶も出花といった風情の可憐な娘だった。
「う……。あ、いや、なんでもない。こっちのことだ」
 うろたえ気味に答えた飛十郎にむかって、茶汲み女はにっこりと笑いかけた。
「失礼いたしました。御用がありましたら、なんなりとお申しつけ下さいまし」
 愛らしい笑顔と、ほのかな移り香を残して離れていく茶汲み女を、顎の先をつまみながら飛十郎はぽかんと見送った。
――ふむ。やはり、皺くちゃ婆あが入れた茶より、可憐な娘が入れてくれた茶のほうが、うまいものだな……
 などと、つまらぬことを思いながら飛十郎は、境内の空高く羽根の音をいっせいに響かせて飛び立った、鳩の群れに目を移した。
 どちらかといえば、飛十郎は美貌の女が苦手である。美人の前に出ると、動きが不器用になって口がきけなくなる。ということもあるが、美しい女が怒ると恐い、という思いのほうが強い。能で使われる鬼女の面、あるいは般若の面は、美貌の女が嫉妬のために怒り狂った顔ではないか、と飛十郎は考えている。
――身近でいうならば、辰巳芸者の小吉だ。あれは美しいだけではなく、気が強いうえに威勢がいい。あんな奴が怒ったりすれば、たまったものではない。とうてい、おれなんかの手に負える玉では……
 そう飛十郎が思ったとき、いきなり背後から聞きなれた女の声がした。
「なにが、う……、あ、いや。でござんすよ。ちょいと、旦那! こんなところで、ぽかんと口を開けて、若い茶汲み女に見とれていていいんですかい」
 飛十郎は、手にしていた串団子を、危うく落としそうになった。振り向いて確かめるまでもなく、歯切れのいいその声の主は、飛十郎がもっとも苦手とする小吉であった。
「こ、小吉ではないか……。いつから、いたんだ」
「なんですねえ、境内の鳩が目を廻しちまったような顔をして。旦那、まだ口が開けっぱなしですよ」
「むむ。これは、団子を喰うために開けているのだ。かまうな」
 小吉にあっては、さすがの飛十郎も形なしである。
「ふん。べつに、かまいたかありませんけどね。勝の旦那のお兄さんが大変だって聞いたから、こうやってわざわざ知らせにきたんですよ」
「ほう、勝さんの兄上がな……。いったい、どうしたのだ」
 最後の一串を口に運びながら、飛十郎は小吉を見た。座敷へ出る支度の途中で駆けつけたのか、小吉は華やかな座敷着の上に黒い紋付きの羽織をはおっている。深川の芸者が、羽織と呼ばれる由縁である。足には、むろん素足に塗下駄を突っかけている。
「勝の旦那の甥ごさんが、きのうの夜中に斬り殺されちまったということでござんすよ」「なんだと!」
 いったん口に入れた串団子を出すと、飛十郎は立ち上がった。
「汚いよ、旦那」
「勝さんの甥といえば、男谷精一郎ではないか。だが、あの人は当代一の剣の達人。むざむざと斬られることは、ないはずだが」
「そのお人じゃござんせんよ。男谷さまは、一番上のお兄さん。斬られなすったのは、二番目の松阪三郎左衛門さまの息子さんらしゅうございますよ」
「そうか。どっちにしても、大変なことだ。勝さんは、どうしている」
「昨夜から、松阪さまの屋敷に詰めっきりでござんす。あたしの家に届いた手紙(ふみ)には、飛さんにぜひ頼みたいことが出来たから、林町の松阪の屋敷にくるようにと書いてありました」
「よし、わかった。林町のどのあたりだ」
 刀を取り上げると、飛十郎は帯に差した。
「二つ目橋と三つ目橋のあいだの林町二丁目、その角を曲がって四軒目のお屋敷だそうでござんすよ。旦那、手紙には駕籠できてくれとありましたよ」
「駕籠なぞ、もったいない」
 団子を頬張りながら、飛十郎は袴の股立ちを取った。
「おれの韋駄転(いだてん)走りのほうが、よっぽど早い。しかし小吉、おれがここに居ることがよくわかったな」
「旦那の長屋の差配(さはい)さんに、聞いたんですよ」
 そういえば、長屋の路地口で顔を合わした大家に、浅草あたりを歩いてくると言ったことを思い出した。
「そうか。ありがたい、小吉たすかったぞ。礼はまたあらためてな――」
そう言い捨てると、飛十郎はごった返す境内の群衆をかき分けて走り出した。


五 河岸談義

「おお。よくきてくれたな、飛さん」
 松阪屋敷の玄関先で汗をぬぐっている飛十郎に、奥からあらわれた勝小吉が声を掛けた。
「どうも、勝さん。えらいことが起きましたね」
「そうよ。殺されたのは、三郎左衛門兄の長男の忠蔵めだ。誰だか知らねえが、丑三つ時(午前二時)に忍び込んだ曲者が、叩っ斬りゃがった。寝首をかかれるたあ、とんだ不覚者の甥っこだぜ」
 腕組をした勝小吉が、苦い顔をして飛十郎を見た。
「忠蔵には、おれも剣の手ほどきをしたこともある。精一郎のようにゃいかねえが、それほど筋が悪いとは思わなかったが……」
「どれほど剣が出来ても、不意を狙われては斬られてしまうでしょう」
 なぐさめ顔で、飛十郎は言った。
「いや、ちがうねえ。仮にも侍えだぜ。たとえ湯に入っていたって、むざむざ斬られることは、あっちゃならねえはずだ。もっとも忠蔵めは酒と女に溺れて、近頃は剣術(やっとう)のほうは、ろくにやってねえそうだが」
「下手人の見当はついて居るんですか、勝さん」
「それが、さっぱりわからねえ、ときた。あとで飛さんにも、忠蔵が斬られた座敷を見てもらうが。いまは取り込み中で、そうもいかねえんだ。そうだ、ちょっとその辺までつき合ってもらおうか」
 あたりを見廻した勝小吉は、雪駄を突っかけると、さっさと門から出ていった。
 似たような造りの御家人屋敷に背をむけると、林町を抜けて竪川添いの河岸道へ出た。人殺しがあったのが嘘のような、よく晴れたいい天気で、晩秋の日差しが竪川の水面にきらきら反射して、飛十郎の目にはひどく眩しく見えた。
 三つ目橋にむかって歩いていた勝小吉は、土蔵と土蔵のあいだの空地に材木が立て掛けてあるのを見て、
足を止めた。
「ここがいいや、飛さん。さっきは奥にうるせえ連中が詰めかけていたもんで、ろくにものもいえなかったが……。ここなら、大丈夫だろう」
 言葉をきると、勝小吉は材木のざらざらした表面を手でなぜた。
「そのうるさい連中とは勝さん、いったい誰なんです」
「なあに、目付けや評定所の小役人どもだよ。どいつもこいつも松阪の家を取り潰して、手柄にしょうという魂胆の小っ葉役人よ」
「ほう。改易になりそうですか、兄上の家は」
「いいや。このおれが、そうはさせねえ」
 凄味のある声で言うと、勝小吉はぴしゃりと材木を手で打った。
「そうはさせねえが……。ちょいと困ったことがあるんだ、飛さん」
 勝小吉は意味ありげな目で、じっと飛十郎の顔を見た。
「このおれに何か出来ることがあるなら、遠慮なくいってもらいたいな。勝さん」
「そうかえ。うれしいことをいってくれるねえ、飛さんは」
 竪川を見た勝小吉の目が、眩しくてたまらないように細くなった。
「人になにか頼むことは、めったにしねえおれだが。ここは一番、飛さんに甘えさせてもらうとするか」
「水くさいなあ、勝さん」
 飛十郎は、ふところから手を出すと、無精髭をごしごしこすった。
「なんでもいってもらいたい。どんなことでも手伝いますよ」
「それじゃあ、ずばりいうが……。仇討の手助けをしてもらいてえんだ」
「うむ。やはり、勝さんは忠蔵どのの仇を討つ気でしたか。助太刀はてまえの商売ですから、いくらでも力を貸しますよ」
「さっき下手人はわからねえといったが、じつはおよその見当はついているんだ」
「いったい何者です。忠蔵どのを斬ったのは」
「伊丹重三郎という、御家人崩れの色事師よ。小石川片町に屋敷があるのは知っていたから、夜が明けてすっ飛んでいったが。ずらかったあとだった」
「屋敷の当主に、掛け合ったんでしょうな」
「むろんだ。着流し姿で出てきた父親に、掛け合い口上をいったら。倅の重三郎は二十日も前から屋敷に寄りつかない。貴殿が申しのべた曲事(くせごと)が本当なら、もはや親でも子でもない。いかように処分なさろうと、当方はいっこうに苦しゅうない。と、こうだ。飛さん、どう思うね」
「本当でしょうかな、屋敷へ寄りつかないというのは」
「なあに、大嘘さ。夜中に帰ってきた三男坊に金を渡して、どこかへ落としたにきまってるぜ。親ってのは、そういうもんだ」
 何処からあらわれたのか首に鈴をつけた三毛猫が、材木に寄りかかって話をしている御家人と浪人を、じろりと見ると、のそのそと空き地を横切っていった。
「いったい忠蔵どのは、その重三郎とやらに、なぜ斬られたのです」
「女だよ。深川の岡場所・石置場にある波入屋の抱え女郎を、張り合ったあげく叩っ斬られたわけだ」


六 おかめ

「その女の名は?」
「お初。年は十八になったばかりだそうだ。女郎にしておくのが、もってえねえほどの心根のいい女だと、忠蔵めがのろけていた」
「恋の意趣ばらし、というわけですな。この恋の鞘当て、忠蔵どのが勝ったわけだ」
「らしいな。だが殺されたんじゃ、なんにもなるめえ。適当に遊んでおけばよいものを……。年がいもなく若え女に入れ込んで、まったく忠蔵のやつめ、とんでもねえことを仕出かしてくれたわ」
 勝小吉の顔が、苦しげにゆがんだ。
「お初という女郎に、勝さんは逢ったことがありますか」
「む、逢ったことはある。二、三度だけだがな」
腕組みをして空を見上げた勝小吉の顔が、ますます苦しそうになった。
「ははあ。もしかすると、忠蔵どのを波入屋へ連れていって、お初に逢わせたのは勝さんですな」
 無精髭をこすりながら、飛十郎は勝小吉を見た。
「よくわかったな。面目ねえが、そうなんだ。吉原は金がかかってしょうがねえ、もっと安直に遊べる場所はねえか。と忠蔵がいやあがるもんで、つい顔がきく波入屋へ連れていったのが運のつきだ。お初に、ぞっこん惚れやがった」
「御家人ふたりが取り合うほどだ。よほど綺麗な女郎なんでしょうな」
「ところがどっこい。それがひでえ、おかめ顔なんだ。目尻がたれて鼻が上を向いて、唇がぽってりと分厚いときてる。そのうえ躰も丸ぽっちゃりの小太りだ。どうにも、わけがわからねえ」
 不思議そうに、勝小吉は首をひねった。
「どう考えたって、ご直参が殺し合うほどの女じゃねえんだが……」
「この道だけは、他人にはわからぬといいますからな」
「お、なかなか粋なことをいうねえ、飛さんも。波入屋へいって、一度そのお初という女郎を見ておいたほうがいいぜ。見てびっくり、というやつだ」
 飛十郎にむかって、勝小吉はにんまり笑った。
「その女郎、まさか逃げ出すようなことはないでしょうな」
「おれも、そいつは考えた。自分から逃げ出さないまでも、重三郎が刃物でおどして無理に連れだすってのもあるからなあ。小石川から深川に廻ったんだが、さいわい何も知らねえ顔でお初は波入屋へいたよ。もっとも忠蔵めが重三郎に斬り殺されたといったら、たまげていたけどな」
「見世の出入り口に、見張りは?」
「むろん、手配したぜ。ところの御用聞きに顔なじみがいるからな。同心の藤井ってやつから鑑札(ふだ)をもらって手先をつとめている岩吉というやつが、なかなか腕ききでな。そいつに頼んで波入屋は、びっしりと見張らせてある」
「さすがは、勝さんだ。手抜かりはないですな。お初さえ押さえておけば、早かれ遅かれ伊丹重三郎は必ず姿おあらわします」
「おれもそう思った。そこで、飛さんの出番だ。お初のそばにいて、重三郎の野郎をつかまえてもらいてえんだ」
 艪(ろ)のきしむ音が近ずいて、勝小吉は竪川に目をやった。空樽を山積みにした荷船が、のんびりした速度で大川にむかって進んでいく。手拭いで頬かむりをした船頭が片手で艪をこぎながら、器用に煙管で莨を吸っていた。
「もし重三めが手むかいしたら、遠慮はいらねえ。斬っちまってくれ」
 舟の動きを目で追いながら、勝小吉が物騒なことを言った。
「もっとも、飛さんは人殺しはしねえそうだから、歩けねえようにしてくれるだけでいい。あとは忠蔵の倅にやらせるつもりだ」
「最初からそのつもりですよ、勝さん。それが助太刀人の仕事ですからな」
 飛十郎は艪がかき乱した川面(かわも)に目をやると、そう言って頭をかいた。
「しかし、解せませんな。助太刀なら、勝さんがおやりになればいいでしょう。それに、ご一族には男谷精一郎どのという手錬者(てだれ)もいるではありませんか」
「それが出来ねえんだ。三郎左衛門兄、つまり殺された忠蔵の父親だが、これが間が悪いことに越後の水沢のお代官をおおせつかって、すぐには江戸へ帰(けえ)れねえのよ。そこで留守をあずかったこのおれが、明日から評定所へ出むかなきゃならないんだ」
「ほう、ご評定所へね。それは大変だ」
 飛十郎は、気の毒そうな顔をした。
「いくら微禄だろうが、天下のご直参だ。こともあろうに、その家の嫡男が寝ているところを斬り殺されたとあっちゃあ、家内(いえうち)不取り締まりだ。へたをすりゃ、たちまち家禄没収、お家は断絶ということになりかねねえぜ」
「それを、どうおさめるつもりですか。勝さん」
「ここは大一番、急病頓死の芝居でおさめるしか手はねえだろう」
 足元の小石を拾いあげると、勝小吉はいまいましげな顔で、竪川めがけて放り投げた。幅四間(およそ七メ―トル)の竪川を勢いよく飛んでいくと、小石は石垣に当たって跳ね返ると水面に高く飛沫をあげた。石垣にしがみ付いていた雨蛙が、驚いたように顔をあげると、小石を追って水の中に飛び込んでいった。大小ふたつの波紋が、ゆらゆらと川面に広がっていくのを、飛十郎は落着かない気分で見ていた。
「もし、評定所に本当のことが知れたら、どうなります」
「ふ、ふふ、そうよなあ。旗本の総取締役は、月番の若年寄だ。その耳に入れば、松阪と伊丹の家はうむをいわさず即座にお取り潰しさ。なにしろ岡場所の女郎を張り合って、旗本が旗本を殺しちまったんだからなあ。へたをすりゃあ、おれが兄貴も伊丹も、これもんだろうなあ」
 脇腹に拳を押し当てると、横一文字にかっさばく切腹の真似をして、にやりと勝小吉は笑った。
「ふうむ」
 飛十郎は言葉を失って、また頭に手をやった。
「ま、そういうことだ。近頃は、御家人崩れや悪旗本に、ことさらご政道が厳しくなったからな。油断は出来ねえや」
「そのようですな。では勝さんのいうように、てまえは深川の波入屋へ出むいて、お初の座敷のとなり部屋で伊丹重三郎があらわれるのを待つとしましょう」
 ふところ手をしながら、飛十郎は深川にむかって歩きはじめた。
「まった。評定所の小役人どもとやり合うのは、明日からだ。きょう一日は、おれも自由に動ける。おれも飛さんと一緒に波入屋にいくぜ」
 組んでいた腕をほどいて、勝小吉もふところ手をすると、二人は肩を並べるようにして竪川添いの河岸道を歩き出した。

          了   〈助太刀兵法33・御家人馬鹿囃子―終章―へつづく〉




このブログへのチップ   100100pts.   [チップとは]

[このブログのチップを見る]
[チップをあげる]

このブログの評価
★★★★★

[このブログの評価を見る]
[この記事を評価する]

◆この記事へのコメント
コメントはありません。

◆コメントを書く

お名前:

URL:

メールアドレス:(このアドレスが直接知られることはありません)

コメント:


くる天
officematsunaga
速報情報は、オリジナル取材ネタも含めてtwitterで無料公開!
twitter

【オフイス・マツナガのブログ】

【CONTACT/連絡先】

カレンダー
<<2013年12月>>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
マーケット情報
by 株価チャート「ストチャ」


FX経済指標


会員制システム
会費は月額1000円で、すべての記事、すべての連載、バックナンバーを見ることができます。また、一般には入手困難な資料等をダウンロードできます。
 購読の規約に関しては、くる天 よくある質問を参考ください。


会費の支払い方・課金の仕方

1:くる天へ会員登録する。
2:ポイントを購入する。
3:記事を購入する 。
 という手順となります。
 初めての課金の申し込み方

返金システムに関して

なお、会費を支払い購読されて「これは課金に値しない」と判断された方には、すみやかに返金に応じます。詳細は、返金システムに関してを参考ください。

入稿後は加筆・修正しません

有料会員制度のサイトという性格と、くる天さんのシステムから、有料記事に関しては入稿後の修正、訂正はきかないようになっています。そのため誤字・脱字・錯誤が含まれる場合があります。誤字・脱字・錯誤等の修正に関しては、別途、指摘させていただく場合があります。誤字・脱字・錯誤  修正情報

皆様へのお願い

 申し込まれたアクセスコード、パスワードを他人に教えたり、譲渡する行為は犯罪行為です。すでに、第三者におしえてしまった!という方は、すみやかにパスワードの変更をお願いします。やむなき場合は、しかるべき対応をさせていただきます。
皆様へのお願い  
当サイト連載コラム
週刊日程表

本日のマーケット

今週の永田町

永田町レポート

本日のオフレコ情報

遠藤顧問の歴史だよ

時代小説発掘(無料公開)

カテゴリ
全て (3356)
2014衆議院選挙当落予想 (12)
無料公開記事 (7)
週間日程表 (154)
選挙 (26)
政治 (86)
経済 (6)
社会 (17)
永田町レポート (67)
今週の永田町 (326)
本日のオフレコ情報 (71)
本日の日経225 (29)
本日のマーケット (1654)
特オチ最前線 (75)
瘋癲老人のレイジーな日々 (25)
扱い注意 (38)
ネットでメシウマ!ウェブマーケティングの虚実 (32)
伊藤博一の事件の眼 (23)
鬼デスクの酔いどれ日記 (44)
アダルトサイト運営奮闘記 (3)
遠藤顧問の歴史だよ (30)
業界記者の覆面レポート (2)
真名のケーザイ探検 (27)
ホッピー・モツ焼・闇市の世界 (4)
ネットでビビるな!ネット音痴の業界人へ (14)
今週のマスコミがびびったネットネタ by 野次馬 (10)
アラカルター久里&占い軍団 (46)
コーヒーブレイク・エクササイズ編 (64)
コーヒーブレイク・ボイスエクササイズ編 (12)
医読同源 (1)
永田町奥の院を新人記者「僕」行く (12)
アンコール (2)
「永田町に棲んだ女たち」2 (13)
「永田町に棲んだ女たち」 (15)
ぼやき三毛猫 (49)
白川司郎訴訟関係 (4)
動画で go !!!! (7)
縄文だよ!!!! (4)
【時代小説発掘】 (204)
2009年 衆議院選挙  最新調査データ (26)
衆議院選挙 選挙区レポート (4)
島田が行く!報道現場の盲点 (2)
誤字・脱字・錯誤  修正情報 (6)
見落とすな!ネット情報・リンク先・保存先 (3)
「永田町に棲んだ女たち・特別番外編」 (8)
雑誌販売動向 (7)
最近の記事
12/06 12:26 江戸浅草物語14「月こそ心よ花こそ心よ」 (無料公開)
11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
オフイス・マツナガのサイト
[現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガ書籍部]

[今週のキーワードbyオフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガのブログWordPress版]

[週刊日程表(アクセス規制有)]

[調査分析報道・資料倉庫]

【公にされない公の資料を公開】

【その他 オフイス・マツナガweb管理人】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近のコメント
風雲 念流剣 七 (無料公開)(鮨廾賚此丙郤圈)
宿志の剣 三 (無料公開)(会話スキル★吉野)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(管理人:kitaoka)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(珈琲好き)
■この国の最大の問題点は「スパイ防止法案」がない点。マスコミだけでなく、政党にも外国勢力が跋扈。(珈琲好き)
イチローストレッチが止まらない!(バーバリー 時計)
■あまりにあっけなく、野田民主党惨敗。あまりにあっけなく、安部自民党大勝利(takeshi.komi)
時代小説発掘 !!!!!告知!!!!!()
〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠 (無料公開)(モンクレール ダウン)
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃(無料公開)  (株式の初心者)
ブログ内検索

RSS
携帯からも見られます!
QRコード対応の携帯で、このコードを読み取ってください。

Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved