このブログのトップへ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
宿志の剣 八 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2014年4月20日 11時1分の記事


【時代小説発掘】
宿志の剣 八  
鮨廾賚



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】: 
 上野国大胡の領主上泉信綱は、養子秀胤に城を譲り、兵法流布のため回国の旅に出ようとしていた。そのとき58歳。第2の人生を自らの創始した新陰流とともに生きようと考えたのだ。だが、その頃の上野国は、武田、上杉、北条の争奪の渦中にあった。そしてまた信綱にしつこく付き纏う忍者飛びの段蔵の陰があった。

【プロフィール】:
鮨廾賚此昭和33年(1958)生まれ。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、大衆文学研究会会員、歴史研究会会員、歴史時代作家クラブ会員。


これまでの作品:

宿志の剣 一
宿志の剣 二
宿志の剣 三
宿志の剣 四
宿志の剣 五
宿志の剣 六
宿志の剣 七



↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓   ↓  ↓  ↓  ↓






【PR】システム構築、ソフトウェア開発はイーステムにお任せ下さい


************************************************************
当サイトからの引用、転載の考え方
・有料情報サイトですが、引用は可能です。
・ただし、全体の文章の3分の1内程度を目安として、引用先として「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と必ず明記してください。
・ダウンロードしたPDFファイル、写真等は、透かしが入っている場合があります。これは情報管理上のことです。現物ママの転載を不可とします。ただし、そこから情報を引用しての表記は可とします。その場合も、全体の3分の1内程度を目安として、「ニュースソース・NewsSource(有料版)」と引用先を必ず明記してください。
・商業利用の場合は必ず、連絡下さい。
 メールは、info*officematsunaga.com
(*を@にかえてください)
************************************************************

【時代小説発掘】
宿志の剣 八
鮨廾賚


宿志の剣 第八章 敵討ち

一 信綱と一法斎の仕合い

 翌早朝、疋田文五郎は信綱に従って、主水正憲元、神後伊豆守の二人とともに道場に現れた。
 朝の大気に五体がぴっと引き締まるような感じであった。
 大胡城は二の丸と三の丸の間に板敷きの建物を設けてあった。大胡城に詰める兵士が雨天でも剣の修行ができるようにとの配慮からである。ときおり上泉城から信綱が出張して稽古をつける場でもあった。新陰流を学ぶ者は誰でも使って良いことになっている。
 昨夜、文五郎と憲元が汗を流したのもここである。
 すでに何人かの門弟達が稽古をしていたが、秀綱が現れたと知るや直ちに中止して左右の壁に沿って並んだ。
「これから仕合うゆえ、暫時待て」
 疋田文五郎が命じると門人はみな道場を出て行った。あらかじめ知らされていたのであろう。
 しばらくして、大胡城主上泉秀胤が富田一法斎を伴って入ってきた。
 文五郎は秀胤とともに入ってきた富田一法斎を見て唖然とした。
 年齢の頃は五十歳くらいであろう。丸顔に大きな額、真っ白な総髪、それは紛うことなく昨日馬ですれ違った一法斎であった。違いは着ているものが胴服と長羽織というだけである。
(真に別人であろうか)
 文五郎は昨日の出来事が信じられない思いだった。
 双方の改めての名乗りの後、
「真剣にてお願い仕る」
 と、一法斎が申し出た。自らの剣によほどの自信があるのだろう。
「新陰流の立ち会いでは真剣は用いませぬ。我らが考案した撓(しな)えにて行いまする」
 文五郎は答えて、〈撓〉えとはどのようなものか、簡単に話してきかせた。〈撓え〉すなわち、真剣でも木太刀でもない、今日で言う〈竹刀〉に近いものである。
「これは奇妙な。兵法の立ち会いとは戦と同じこと。撓えを用いて戦をするなど聞いたことがござらぬ。それとも上州では撓えを持って戦に臨まれるか」
 一法斎は真剣にこだわった。
「いや。新陰流は撓えを用いることとしております。ご不満なら立ち会いを見合わせてもけっこうでござる」
 撓えを使うことは師信綱の教えでもある。文五郎は一歩も引かなかった。
「一法斎どのは京流を使われるとか。撓えを使うのは譲れぬが、この信綱に京流をご披露願えませぬかな」
「お師匠!」
 信綱のもの柔らかな言に、文五郎は吃驚して信綱の顔を見つめた。
 新陰流の立ち会いでは、信綱が自ら立ち会うことはまずないといって良い。始めに、高弟疋田文五郎が立ち会うのが原則だった。
 後年、新陰流兵法流布の旅に出た信綱一行は、大和国柳生の里を訪れる。その地の領主柳生宗厳は、畿内に聞こえた兵法者であった。そのため、名高い信綱に指南を求めた。快く承知した信綱だったが、まずは文五郎との立ち会いを求めた。
 撓えを持って対峙した文五郎と宗厳だったが、
 ――その構えは悪しゅうござる。 
 と言ったときには、すでに文五郎は宗厳から一本とっていた。
 続けて三度立ち会ったが、結果は全く同じであった。これにより、宗厳が信綱に弟子入りしたことはあまりにも有名な逸話である。
 信綱に入門後、宗厳はさらに修行を積み、新陰流の印可を受けることとなる。ばかりか、新陰流の正統を受け継ぐこととなるのだが、ちなみに宗厳は、柳生但馬守宗矩の父である。
 従って、当然のことながら文五郎は、今日もまず自分が立ち会う気でいたのである。
 ――わしに考えがある。
 信綱の目はそう語っているようであった。文五郎はそれ以上の言を控えた。
 一法斎の方は怪訝な面持ちながらも、信綱が自ら立ち会うと聞いて、
「よろしかろう」
 にっと笑って肯いた。
「したが、伊勢守どのの諱は<秀綱>ではなかったかな」
 と、疑問を口にした。
「一昨日、武田信玄公から一字を賜り<信綱>と改名いたしました」
「さようでござったか。では」
 疑問が晴れて、一法斎は支度にかかった。
「一法斎どの。手を動かしながらでけっこうでござるが・・・・。ご貴殿には兄弟がおありかな」
「はて、何故にそのような質問を?」
 仕度の手を止めて、一法斎は逆に聞き返す。
「いや。以前にご貴殿とうり二つの武芸者に会うたことがござれば」
「なるほど。おそらくそれは我が実弟富田郷左衛門でござろう。かつて、ともに京流を学びおりましたが、今から二十年ほど前の天文十年、同じく京流を学んでいた山本勘助なる異形の者と出奔いたしおりました。その後、忍びの術を学び、甲斐の武田殿に仕えていると風の便りで聞いておりますが」
「おお、そうでござったか。して、最近一法斎どのには弟御にお会いなされてか?」
「いやいや。剣の道を捨て、忍びの道に入ったもの。いわば邪道を行く者なれば、会いたいとも思いませぬ。あのまま修行を続けていれば、あるいはそれがしよりも上達していたものと思われるが、山本勘助なるものと意気投合し、天下取りを目指す主に仕えるなどという夢物語に取りつかれてござった。惜しい限りでござる」
 一法斎は感慨深げに視線を宙に這わせた。
 ちなみに、山本勘助はこのときすでにこの世にはいない。武田信玄に仕えた勘助は、智略縦横の人物だったが、すぐる永禄四年の川中島の合戦において討ち死にしていた。独眼、隻脚の異形の人物で、京流の兵法者とも忍びの者とも伝えられているが、詳細は不明である。
 文五郎は一法斎の話しにようやく合点がいったのだった。見れば秀胤も憲元も同じような顔つきであった。
「撓えでござります」
 信綱の若い弟子が差しだすのを、おお、と我に返ったように一法斎は身仕舞を正して受け取った。
 支度が整って、信綱と一法斎は中央に対峙した。二人とも筒袖の小袖に短か袴という出で立ちである。
 信綱も一法斎も中段に構えた。信綱の中段の構えはひどくゆったりとして見えた。
「猿飛の太刀か?」
 一法斎が呟いた。
 懸かるも待つも表裏の如く「五箇の旨趣をもって簡要となす」と、後に石舟斎が唱えた燕(猿)飛の太刀は、剣への集中とそれによる相手の攻撃からの自在な受けの変化を本旨とする。いわば新陰流の基本である。その本旨は守り、つまり受けにあると言ってよい。そのため、信綱はゆったりと中段に構えたまま動かなかった。
 京流は源義経以来、忍びの術と見紛うほどの、飛んだり、跳ねたり、動きの激しい流派である。と、思われがちである。しかしながら、吉岡憲法が足利将軍家の兵法指南となってからは、そのような激しい動きはなくなっていた。とはいいながらも、新陰流と異なり、攻撃型の剣であることに変わりはない。
 京流富田一法斎の剣名を文五郎は聞いたことがなかった。
(京流ゆえ西国の兵法者なのであろうか)
 と思っていたのだが、一法斎の構えを見るとなかなかのものである。信綱に対して余裕すら感じられる。
(ううむ。わしとて二つに一つか)
 文五郎とて、二度戦って一度勝てるか、というところだろうか。
 やがて一法斎は、撓えをゆっくりと上段に持っていった。信綱は全く動かない。まるで岩にでもなったかのように身じろぎひとつしなかった。
 静かなときが流れる。咳払い一つ聞こえなかった。
 ややあって、意を決したかのように一法斎は、上段に構えたまますっすっと進んで、上段の構えから一気に信綱めがけて打ち下ろした。
 弟子達から、おお、という呟きがもれた。信綱は猿飛から猿廻へ、そして浮船までの一連の猿飛の太刀の流れを持って一法斎の攻撃を受けた。
 二人は撓えの打ち合いから分かれて、再び同じ中段の構えで対した。
 そのまま、一法斎は再び上段に構え直して、またもすっすっと進んだ。その流れは先ほどの打ち合いと全く同じ流れだった。
 二人は打ち合いを終えて相中段で対した。
 呼吸を整えた後、一法斎は三度上段に構えてすっすっと進んだ。三度同じ結果となった。
 だが、三度の打ち合いを終えた後で違っていたのは、一法斎の構えであった。中段ではなく撓えは右の手で握られ、左手がだらんと下げられていたのである。
「おお!」
 秀胤の口から感嘆の言葉が漏れた。思わず、という感じだったが、それはまた文五郎も同じ思いだった。
「これまでと致しましょうか」
「ご指南、かたじけない」
 一法斎は信綱に礼を述べると、撓えを傍らに寄った若者に預けた。
 おそらく、その動きは常人の目には、捉えられないものであったろう。だが、修行で鍛えた文五郎の目には、一法斎の太刀を猿飛の太刀で受けるとき、師信綱が籠手を捉えているのを、しっかりと見ていたのだった。それは秀胤も同じであったに違いない。
 三度の打ち合いで、いずれも左の手首を打たれた一法斎は、痺れて撓えさえも握れないほどであった。
 一法斎もまたひとかどの兵法者である。自らの負けを悟ると、丁寧に礼を述べて、大胡の城を早々に去って行った。
 その日大胡の空は青く澄み、風は柔らかであった。
 小春日和を思わせる暖かな日差しである。
 その日、富田一法斎の後を追って、早苗が大胡の城からこっそりと出て行ったことは、城中の誰も気づかなかった。


二 早苗と一法斎の立ち会い

 大胡城を出た富田一法斎は北へ向かった。一里ほど歩いてから北西に道をかえた。旅に慣れているのであろう、意外なほどの健脚であった。表の街道を外れた裏道である。人通りはほとんどなかった。
 屹立する冠雪の赤城山系を右手に見ながら、山道にかかったとき、さらに一法斎はついと左手の小道に入った。
 しばらく行くと草原に出た。草原と言っても枯れた芒ばかりの地である。
「ここらで良いか」
 一人呟いた一法斎は、
「出てこい。それがしに着かず離れず追っていたのは知っている。大胡城からずっとじゃ」
 辺りに聞こえるように声高に呼ばわった。
「・・・・」
 だが、応えはなかった。
「出てこぬか」
 少し風が出てきたようだ。枯れ芒の揺れが大きくなった。
「上泉秀綱、いや信綱殿であったな。帰って伝えるがよい。それがしは尋常な立ち会いに敗れたのだ。遺恨は含んでおらぬとな」
 一法斎は、負けた恨みから、復讐を図るかどうかを見極めようとして、信綱が後を追わせていると思ったのだ。
「新陰流も存外器の小さい兵法よの」
 一法斎の言葉には毒があった。
「む!」
 そのときである。一法斎の後ろから手裏剣が飛んできた。
 一法斎は振り向きざま小刀を抜いて手裏剣を受けた。二回、三回、・・・・。それぞれ鈍い音がして手裏剣が傍らに落ちた。忍びの術でいうところの乱れ打ちである。
 手裏剣が投げ尽くされた、と思われたとき、
「大殿の命ではない」
 甲高い声が響いた。
 前方の芒が揺れて、暗い鼠色の忍び装束をまとった人物が立ち上がった。大殿とは信綱のことであろう。
「女か!」
 その忍びは装束と同じ色の忍び頭巾を外すと、
「兄の敵討ちじゃ」
 と、きっぱりと言った。早苗であった。
「敵討ちとな?」
「いかにも」
 早苗は腰の忍び刀を抜いた。逆手に持って、胸の前に横一文字に構えた。
 富田一法斎も旅の兵法者である。真剣勝負を求める一法斎は、過去幾度となく立ち会い、幾度となく勝っている。それゆえ、敵呼ばわりは別に意に介さない。誰の敵討ちなのか問おうとも思わなかった。今までも、
 ――敵討ち。
 と言われて、返り討ちにしてきたことが何度かある。
 だが、今日はいささか事情が異なった。さきほど信綱との立ち会いで受けた左手の痺れが、まだ回復していないのである。筋をやられたようで力が入らないのだ。右手のみで立ち会わなければならない。
(相手は女だが、忍びの腕は確かなようだ。この勝負互角か)
 一法斎は腹を括った。腕が互角なら、勝敗を分けるのは経験と運である。経験ならば若い女忍びなど足下にも及ばない。
「参れ!」
 気合いのこもった声を発して、抜いていた小刀を中段に構えた。左手が使えない以上、軽い小刀の方が便利だった。
 たたっと駆けてきた早苗は、一法斎と刃を交えて駆け抜けた。風の流れは変わらない。 早苗は風上に立った。振り返って目つぶしを投げると同時に跳躍して、再び一法斎を襲う。
 一法斎が先ほどの手裏剣と同じように刀で受けると、ぱっと粉が散って目に入ることとなる。そこを忍び刀で襲おうとの考えである。
 だが、一法斎は早苗の術を正確に読んでいた。
「ふ、目つぶしか。姑息な」
 身体すれすれのところで目つぶしを避けると、上からの早苗の攻撃に備えた。
「・・・・!」
 一法斎の顔に驚愕の表情が表れた。
 早苗と刃を交えて、そのまま後ろに引いたのだが、右手に持った小刀に細い鎖が巻き付いていた。それは一法斎の予想もしないものだった。
 早苗の忍び刀の柄の部分が外れている。そこに鎖が隠してあったのだろう。柄頭が同時に分銅の役目も果たしていたようだ。
 早苗は上から打ち下ろすと同時に、一法斎との離れ際に、さっとその鎖を飛ばしたのだった。一法斎はそれを反射的に小刀で受けたのである。
「むむ・・・・」
 一法斎は右手をふさがれた格好になった。左手はだらんと下がったままである。
 早苗は鎖をしっかりと握っている。力と力なら、本来男の一法斎の方が有利なはずである。だが、片手なうえに、早苗は背丈の分だけ並の女よりも膂力があった。
 一法斎の両手は塞がれたも同然である。
「兄瀬尾兵四郎の敵。覚悟!」
 早苗は烈しい気合いとともに、引いていた鎖を突然、ぱっと放すと同時に、一法斎の懐目指して飛び込んだ。
 強く引いていた鎖を、突然、放されて一法斎は体を崩した。よろけるような形になった一法斎に、早苗の忍び刀が斬りかかろうとした、まさにそのときである。
「それまでじゃ」
 重いが良く通る声が響いたかと思うと、一法斎に向かってくる早苗との間に棒手裏剣が飛んできた。
「・・・・!」
 早苗は動きを止め、声のした方を見た。その声に聞き覚えがあった。
 一法斎も棒手裏剣の間を利して、すぐに体勢を立て直すと、声のした方を見た。
「お師匠!」
 早苗が吃驚したように叫んだ。そこには柿渋の忍び装束姿の加藤段蔵がのそりと立っていた。
「その者は、そなたの兄の敵ではない」
「しかし・・・・」
「確かに瀬尾兵四郎は、碓氷峠で富田一法斎と名乗る男に斬られて死んだ」
「それなれば、この者が」
 再び一法斎に飛びかかろうとする早苗に、
「はやまるでない。兵四郎は富田一法斎と名乗る男の、忍びの術に破れたのだ」
 加藤段蔵が断言した。その言葉を聞いて、一法斎の眉毛がぴくりと動いた。
「だが、目前の富田一法斎どのは紛うことなき剣客。忍びの者ではない」
「いかにも。それがしは京流の兵法者じゃ」
「では・・・・」
 早苗は突然のことで次の言葉がでてこない。頭の中が混乱しているのだ。
「おそらく富田一法斎どのに化けた武田の忍びであろう」
「ああ・・・・」
 早苗はそのまま地にくずおれた。無理もない、あと一息で兄の敵を討てるところだったのだから。
「わしは敵ではないようだ。早苗とやら。そちらの御仁の言うことは真のことだ。わしは碓氷峠で瀬尾兵四郎なる者と立ち会ったことはない」
 一法斎は小刀の鎖を解いて、きっぱりと言った。そして、段蔵の方を向いて、
「かたじけない。それがしは先を急ぐのでこれで失礼する」
 一法斎は深々と辞儀をして、小刀を納めると、さっさとその場を去っていった。立ち会いの前に、なぜ信綱が弟のことを問うたのか合点がいったが、郷左衛門のことを早苗に伝えようとは思わなかった。剣といい、忍びの術といい、勝負は非情なものである。戦国の世とはそういうものであるという達観が富田一法斎にはあった。
 後には失意の早苗と加藤段蔵が残った。
「嘆くな。仮にさきほどの一法斎が敵であっても、信綱どのに破れて、彼奴はもはやかつての剣術は使えぬ。剣術の使えぬ剣客ほど哀れな者はあるまい。そのような者を討ったとて何になる」
「後生です。真の敵の名を教えてください」
 早苗は哀願するように段蔵に言った。その目は涙で濡れていた。
 早苗には鮮明な思い出がある。それは十年前のことであった。早苗が八歳のときである。並の女の子と違ってひときわ背が高く、力も強かった早苗は、父の命で忍びの術を習うこととなった。そのため、家臣に連れられて大胡の城を出たのである。越後の加藤段蔵のもとに向かうためだった。父と段蔵の間ですでに弟子入りの約束はできていた。
 そんな早苗を四つ年上の兵四郎が見送りに出た。兄一人、妹一人の兄妹で、二人は仲が良かった。兵四郎は元服したばかりだった。まだ幼さを残す兵四郎は、もうここでいい、という早苗の言葉を無視するように、いつまでも後ろからついてきた。まるで、今生の別れででもあるかのように。
「殿が心配いたしまする。ここでお帰りなされ」
 最後は、家臣のきつい言葉で歩みは止まった。だが、じっとその場に佇んで、早苗の姿が見えなくなるまで見送っていたのである。両眼にうっすらと涙が流れていた。兄と同じく別れが辛かった早苗は、姿が見えなくなるまで、振り返り、振り返り別れを惜しんだ。そのとき早苗は誓ったのだった。忍びの術を学んで強くなったら、兄を助けてずっと側にいようと。
 別れの際に、ずっと佇んでいた兵四郎の、前髪のとれた青々とした月代が、鮮やかに思い返された。
「兵法者にとって勝負はときの運。負けたは己の腕が未熟だったからよ。兵四郎も後悔はしておらぬだろう。そなたが敵を討ったところで兵四郎は喜ばぬぞ。それに、わしとてその忍びの名は知らぬ」
「ああ・・・・」
 早苗は顔を伏せた。握った両の拳が震えている。
「わしはそなたに術を教えたことを後悔しておる。情の濃い女に忍びの術は合わぬ。向後破門じゃ」
「えっ!」
 早苗は慌てて顔を上げた。じっと段蔵の目を見た。
「よいか。この後、我が飛びの術を使うことは許さぬ。これからは一人の女として生きよ。そなたは兄一人、妹一人の兄妹のみではないか。瀬尾家の再興はそなたの肩に掛かっておるのではないのか。大胡城のお方殿の元に戻るが良い」
 段蔵は厳かに宣言するように言った。それは非情な破門宣告のようでありながら、実は早苗の女の幸せを願った師の暖かい思いやりであったかもしれない。
「お師匠・・・・」
 早苗の言葉に、慈愛の目を向けた師加藤段蔵は、次の瞬間にはその場からかき消えるように姿を消していた。
 一陣の強風が芒の原を渡っていった。
 雲が動いて、影が早苗を通り過ぎていった。
 早苗はしばらくじっとぬかずんだままだった。


三 宿志

 うららかな日和は午後になっても続いた。
 秀胤を二の丸の奥書院に呼んだ信綱は、
「そなた、先ほどの立ち合いをいかが見たな」
 日差しと同じく柔らかな口調で聞いた。
 戸は開け放ってあったが、部屋へは何人も近づかぬよう信綱が厳しく言い渡してあった。
「いつもの見事なお手並を拝見し、秀胤ただただ感服仕りました」
 試合後に、二人がその結果を話すのはよくあることだった。
 秀胤は養子であると同時に信綱の高弟でもある。一時期、信綱は自ら考案した新陰流の後継者に秀胤をと考えていたことがある。それを睨んでの養子縁組でもあった、と秀胤は思っている。
 だが、養子縁組後の秀胤の関心は、剣よりも武将としてのそれへと向いた。当然のことであろう。やがては信綱の後を継いで、上泉領主となる身なのである。そのこと自体責められることではないであろう。とはいえ、このところ秀胤には、剣に対する考え方が信綱のそれと少しずつずれていっているのではないか、という懸念がある。
「たわけ。そなたの追従を聞くために呼んだのではない」
 信綱の目の色が変わった。声も幾分きつくなっている。
「はっ!」
 秀胤の危惧は的中したようだ。慌てて平伏した。
「富田一法斎どのと対したは、新陰流猿飛の太刀。だが、その流れは真剣と寸分違わぬ呼吸であった。一法斎どのも遣い手、撓えでの立ち合いゆえに勝ったが、あの形で真剣での勝負をしておれば、こちらも斬られていた。撓えゆえに一法斎殿の剣は、単に触れる程度ですんだのだ。もし、真剣であれば、あの流れではこちらも確実に無傷ではすまなかったろう」
「・・・・?」
 秀胤は信綱の言わんとしていることが理解できない。
 そんな秀胤を見て、信綱が話を変えた。
「ところで、そなた何故に瀬尾兵四郎を碓氷峠に遣わしたのだ」
 それは咎めるような厳しい口調であった。
「申し訳ござりませぬ」
 やはり全てご存知であったか、と胸の内で嘆息しつつ、秀胤の背中に冷たいものが流れた。
「兵四郎は確かに遣い手である。だが、真剣勝負の立ち合いは皆無に近い。そのうえ、戦場往来とてそなたの供廻りか、せいぜいが馬上で槍を合わせた程度であろう」
「そのとおりにござりまする」
「撓えと真剣とは違うのだ」
 信綱の声音は変わっている。いつしか弟子に対して教え諭すような口調になっていた。「兵四郎はそのことを思慮しておらなんだのであろう。そして、こなたもじゃ」
 秀胤は信綱の言を叱責と感じつつ、ますます頭を低くした。
「猿飛の太刀は新陰流兵法の基本だが、稽古と仕合いはおのずと異なる。戦場もまたしかりである」
「義父上!」
「あたら前途有為の若者を散らせてしもうた」
 秀胤は信綱の教えを聞いて自らの短慮を恥じていた。
 確かに稽古と実戦はおのずと異なる。真剣による立ち合いに不測の事態はつきものなのだ。剣を遣うものは、常にそのことを念頭に置いて事にあたらねばならないだろう。戦もまた同じである。信綱は自らが立ち合う事によって、身を持って示したのだ、と秀胤ははっきりと覚った。
「こなたはわしの後を継いで上泉領一千貫の主となる身、用兵には充分こころを砕くことだ」
 もしかしたら信綱は、秀胤に対する今までの己の甘さを悔いていたのではなかっただろうか。秀胤は次の上泉領主である。一昨日までの信綱がそうであったように、兵法者と城主の双方を生き抜くことは困難が伴う。これによって信綱は、武将としての秀胤に上泉城と上泉家の将来を託したといって良いのかもしれない。
「承りました。ご教示終生忘れませぬ」
 秀胤は深々と平伏して、では、と言うと、部屋を出て行こうとした。そのとき、
「しばし待て。まだ、話は終わっておらぬ」
「・・・・?」
 信綱が止めるのを怪訝な面持ちで、いったん立ち上がり掛けた腰を再び落ち着けた。
「上泉の領地、領民を頼んだぞよ」
 信綱は改まって秀胤に深々と頭を下げた。
 今までとは打って変わったもの静かな口調であった。それだけに信綱の決意のほどが察せられた。
「ち、義父上!」
 秀胤は突然のことに後の言葉が出てこなかった。
 感動がじわりと身体を包んだ。
 だが、秀胤の口から出た言葉は全く逆のことであった。
「義父上。どうしてもかないませぬか」
 旅立ちを思い止まることがであろう。
 信綱の決意を感じれば感じるほど、秀胤の心は思い止まって欲しいと願うのだった。
「うむ。一介の兵法者として死にたいのだ」
 顔を上げた信綱はきっぱりと言った。
「義父上!」
 ――一介の兵法者として死ぬ。
 それは何と潔い決意であろうか。仮にも上野国一本槍の異名を取り、関東に聞こえた武将である。それが齢五十を過ぎてから披瀝する言葉なのである。だが、それゆえにこそ、秀胤の心は苦渋に満ちていた。
「そなたには苦労をかける」
 信綱の深い慈愛に満ちた言葉だった。さらに、
「向後、よしなに頼むぞ」
 懇望するように、再び頭を下げた。
「ち、義父上・・・・」
 秀胤は思わず涙を落とした。目頭が熱い。
 信綱の養子となっておよそ二年、それは初めて聞く優しい言葉だった。秀胤を上泉領の後継者として認め、全幅の信頼をおいてのことであろう。
「それがしに上泉の城を保つは荷が重うございます」
 恐懼感激しながらも、否、それゆえに謙遜の言葉がでるのは、秀胤の性格としてやむを得ぬことであった。
「己に真摯に生きるが良い。城を保つ保たぬはその後じゃ。決して無駄に死ぬなよ」
 養父としての、そして師としての信綱の惜別の言葉というべきであろうか。そのとき秀胤ははっきりと覚ったのだった。それは養父信綱を初めて理解した瞬間、といって良かった。
 信綱は深い感慨を持って、一介の兵法者として死にたい、と言った。
 ――親父殿の宿志なのだ。
 常々、憲元の言っていた言葉が、秀胤の脳裏に鮮やかに蘇った。
 その言葉の持つ深い意味を悟ったのである。それは〈悲願〉ではなく〈宿志〉であったと・・・・。
 かつて若かりし頃、兄の急死により突如上泉城主となった養父もまた、己の夢と城主という運命に苦悩し、懊悩し、葛藤したのではなかったか。そのとき、義父がなぜ天文二十四年の北条氏康襲来の際に城を捨てたのか、なぜ箕輪落城の際に長野氏に殉じなかったのか、得心がいったのだった。
 それは今から十一年前。北条氏康が一万六千という大軍を率いて、あっというまに上州を席巻したときのことである。上泉の城には勇将猪俣能登守邦憲が、五千の軍勢を率いて上泉城に押し寄せてきた。
 上泉城の将士は誰もが城を枕に討死する覚悟を決めていた。ところが、城主の信綱は、城を捨てて逃げよ、と、命じたのである。命じると自ら身体一つでさっさと城から退去してしまった。信綱はここで戦っても勝ち目はないと分かっていたのである。
 そして、翌年の春。越後国から上杉謙信が一万の大軍を率いてくると、信綱自らが真っ先かけて上泉城を攻め立てて、あっさりと取り戻したのだった。
 それは信綱の戦略だとばかり思っていた。だが、無駄死にはしないというその思いは、いつか己の〈宿志〉を果たしたいという願いではなかったか。
 ――武士は潔く死ぬ。
 そのことは武士として、男として美しいことである。武人としての本望でもあろう。だが、義父は武将であるとともに兵法者でもあった。武将と兵法者という引き裂かれた己を意識したとき、父は決然として、あのとき人間として生きて行く道を選択したのではなかっただろうか。
(もはや、義父上を引き留めるべきではない)
 秀胤は己に与えられた運命を甘受しようと腹を決めた。
「ふふ。これからの兵法流布の旅で、どのような流派に会えるものか」
 秀胤が部屋を出て行こうとしたそのとき、信綱の嬉しそうな呟きを背後に聞いた。
 天下は広い、その広い大地をこれからは自由に歩いていくのである。それは、どのような人物に会えるか、楽しみで胸が踊るような気持ちから出た言葉であったろう。
 外は陽が陰り始めていた。開け放った部屋に茜色の日が差してきた。
 その日差しを身に受けて、秀胤は己の運命に身体が震えるような高揚感を覚えていた。


四 憲元の旅立ち

 その夜――。
 富田一法斎は、箕輪城の奥の一室で、工藤祐長と向かい合っていた。
「ううむ、伊勢守はそれほどまでに強うござりまするか」
 祐長の声は重く、沈痛な表情であった。伊勢守とは上泉信綱のことである。
「すまぬ」
 一法斎は右手のみで手をついた。
「とんでもありませぬ。先生、お手をお上げくだされ」
 祐長は慌てて一法斎の手をとった。
 若い頃、武田信玄の父信虎に追われた祐長は、いっとき諸国を流浪したことがある。富田一法斎とはそのとき京で知り合ったのである。
 その頃、富田一法斎は自分の兵法を〈富田一法流〉と称していた。
 始め祐長は、富田という姓を聞いて北陸出身の兵法者かと思っていた。北陸には念大慈恩の高弟で、中条兵庫頭の中条流の流れをくむ富田流という剣術の一派があったからである。
 ――はっはっは。あちらは念流、こちらは京流の流れでござるよ。
 祐長の疑問を聞いて、一法斎は高らかに笑って答えた。うらぶれた浪人の問いに対する蔑みは微塵もなかった。
 その屈託のない笑いに、諸国流浪の侘びしさが、ふっと消えてしまうような心地のした祐長は、迷うことなく一法斎に弟子入りしたのだった。
 その後、武田信虎は息子の信玄(その頃はまだ晴信といった)によって駿河に追われた。そのことを伝え聞いた祐長は、
「先生。好機が到来いたしました。甲斐へ戻りとうございます」
 直ちに一法斎に帰国を願い出た。
「晴信殿は、実の父を追い出した非情の武将ぞ」
 始め一法斎は、祐長の身を案じて反対したのだが、
「信虎公こそ残虐非道で領主の器ではありませんでした。これから、甲斐の武田は雄飛致すことでしょう」
 そう言って、祐長は一歩も譲らなかった。
 最後には一法斎が折れる形で、
「晴信殿が領主としての器でないと見極めたらいつでも京に戻ってくるがよい」
 と言って、一法斎のもとを去るのを許したのである。
 祐長は人を見る目、いや主を見る目があったといってよい。その後の武田晴信(信玄)の進撃は目覚ましかった。たちまちのうちに信濃国を制圧し、上野国を席巻した。
 祐長も信玄に従い、その手腕を存分に振るった。そしていまは箕輪城代として上野国に睨みを利かせている。
 一法斎は、かつての祐長が箕輪城代となったと聞き、祝いを述べに現れたのだった。
 それは祐長にとって絶好の機会だった。
 祐長は、信玄との謁見の場で、隠居を願い出た信綱を信じなかった。信綱の陰謀、と見たのだ。
 秀胤を始め上泉一族の多くが北条に心を寄せているのは、あらかじめ放った忍びの者の報告で知っていた。それは信玄も同じ思いであった。
 穴山信君の説得をいれて武田に帰順すると聞いたときに、
 ――真であろうか?
 強い疑念が湧いたのである。そのため、自ら信綱の腹を探るべく、謁見の前に、あらかじめ祐長の方から挨拶に行ったのである。それは信玄の思いでもあった。
 実際に信綱と話をして、武田に降るのは真実のように思われた。祐長は己の愚かな猜疑心を恥じ、天下の兵法者を麾下に持つ栄誉を思った。
 あの後、祐長は密かに信玄に会って、信綱には何ら不審のないことを熱っぽく語ったのだった。
 ――あのとき、信綱は隠居のことはおくびにも出さなかった。
 謁見の場で初めて申し出たのである。祐長は裏切られた思いだった。
 ――信綱ともあろう者が何ということを・・・・。
 祐長としては、いわば面目を失ったことになる。
 武田信玄もまた祐長の報告と信綱の申し出との差に戸惑ったに違いない。それゆえに怒ったように座を立ってしまったのだ、と祐長は思っている。
 始め間に立った穴山信君の策謀かと思った。そのため、謁見の後でさりげなく尋ねてみたのだが、
 ――それがしも寝耳に水の次第。
 と、吃驚していた。そのときの信君の言に嘘偽りがあるとは思えなかった。ということは、
 ――それほどまでに、我が旗下に入るのを嫌うか。隠居とは名ばかりで、その実は北条か上杉につくための陰謀ではないのか。
 祐長の胸の内に烈しく燃え上がるものがあった。
 ――新陰流とたいそうな名をつけているが、たかが剣槍の術ではないか。城を捨てて広めるほどのものか。その欺瞞に満ちた言動を白日のもとにさらしてやるわ。
 ちょうどそのとき、一法斎が祐長を訪ねてきたのである。
 祐長はそれまでのいきさつを話して、
「信綱の新陰流を懲らしめていただきたい」
 と、一法斎に依頼したのだった。
 一度信綱と剣を合わせたいと思っていた一法斎は、その申し出を二つ返事で引き受けた。それゆえに大胡城を訪ねたのである。
 上杉謙信が越後から上野国に入ったのも絶妙の時期だった。そのことも、祐長に信綱を疑わせるに十分だった。ところが、謙信は北上野の沼田城に入ったまま、いまもって動かない。
 北条高広の動きも不審なことが多い。
「信綱は強い。それがしは破れたが、信綱が兵法流布の旅に出るのは真実のように思われる。敗れたから言うのではないが、新陰流はりっぱな兵法。わしは一人の兵法者として、新陰流が世に広まることは良いことだと思う」」
 一方斎はきっぱりと言った。それは祐長の兵法の師富田一法斎としての言葉だった。
「先生。それがしの誤りでした」
 師の言葉に、祐長は潔く信綱に対する遺恨を捨てた。
 だが、だからといって上泉城主となった秀胤及び上泉一族への不信を解いたわけではなかった。
 翌日、一法斎は箕輪城を出て再び旅に出た。
 その後の消息は不明である。

 一法斎と立ち会った翌日、信綱はやっと上泉城に戻ることができた。
 初鹿野伝右衛門が大胡城に現れた翌日には、城はすでに穴山信君から信綱に返されていた。そのことは重臣からの連絡で二日前に知っていたのだが、富田一法斎とのことがあって、すぐには帰城できなかったのである。
 信綱が上泉城の城主の間に帰ってきたのは、すでに日もとっぷりと暮れた酉の刻(午後六時)を過ぎた頃おいであった。雪もよいの天気だった。
 途中、上泉家の菩提寺西林寺に寄って先祖の墓に詣でた。箕輪落城から武田家に降り、隠居して家督を秀胤に譲ることとなったことなどを父武蔵守秀継の墓前にぬかずんで報告したからである。
 上泉城は桃ノ木川と藤沢川の合流地点に築かれた平城である。本丸、二の丸、三の丸の曲輪のほかに、一の郭、二の郭、出丸が縄張りされていた。西林寺は一の郭の中にある。 一説に上泉城は一色義秀により築城されたといわれるが、元来、上泉氏は大胡城の大胡氏の一族である。大胡氏は古の平将門を討った俵藤太秀郷の末流であると称していた。
 その後、大胡城に寄った大胡氏の本家は、北条家を慕って武蔵国牛込に移住してしまった。そのため、父秀継の代に上泉氏が大胡城を合わせて支配するようになったのである。武蔵国に移住した本家は、その後牛込氏を称している。
 帰城した信綱は、上泉城の奥の一室に籠もった。
 そこは八畳ほどの仏間になっていた。正面の仏壇には、中央に摩利支尊天を祭り、左右に信綱の三人の師の位牌が掲げてあった。
 位牌の前の蝋燭以外に灯りはない。薄暗い仏間の中で、信綱はその位牌を拝しながら鋭く己に問うていた。
 実は信綱には、まだもう一つの迷いがあったのだ。
 ――一介の兵法者として生きる。
 そのことに迷いはない。いやむしろ、長年の宿志が叶うことの喜びの方が大きい。一介の兵法者として、天下に己の創始した新陰流を広めることができるかと思えば、自然と胸の鼓動は高くなってくるのだった。
(年甲斐もない)
 とは思うのだが、元服の頃の若者のような胸の高鳴りを止めようがなかった。
(だが・・・・)
 と、信綱は思う。
 己の広めるのは新陰流のみでよいのか。と・・・・。
 武将として、上泉城の城主として、そして上泉領の領主として、およそ三十年のときを過ごした信綱は、治世の要諦のみでなく、軍略はおろか忍びの術までも身につけていた。それは戦国の世を渡るために必要だったとはいえ、
 ――それを全て捨てて良いのか。
 と、師の位牌は問うてくるのだった。
 ――まこと、陰の流れを捨てる気か。
 愛州移香斎の悲しみに満ちた顔が位牌の上に浮かんだ。

 信綱が上泉城に帰った翌日――。
「外は雪。止んでからでも良いものを。謙信公とて沼田城から動く気配は無いようです、とお止めしたのですよ」
 てるは秀胤と憲元にぼやいた。
 信綱のことであろう。てるもまた信綱が旅立つことを望んでいないようだ。
 外は寒いと思ったら、どんよりと厚い雲の下から、その日も白いものが舞っていた。昨日から舞ってはいるが、積もるほどではないようだ。
 奥の一室で秀胤、てると憲元が向かい合って座っていた。てるの傍らには早苗が控えていた。
 憲元は脚絆に括り袴の旅姿である。右横には網代の笠が置いてあった。
「はっはっは。いっときも早くと気が急くのだろうて」
 憲元は相変わらず信綱に好意的である。信綱が、兵法流布の旅に出ることが、ということであろう。
「まあ、暢気な兄上。それでは、兄上もとっとと廻国修行にお行き遊ばせ」
 我らの気も知らないで、とてるが、ぷんぷん怒って憲元に噛みついた。
「まあ、まあ・・・・」
 秀胤が間に入るのを、
「やあ、これはたまらん。わしも早々に退散するとしよう」
 と言って、憲元はすっくと立ち上がると、
「さらばじゃ常陸介どの。てる」
 さっさと部屋から出て行った。そのまま大胡城から旅立つようだ。
「城の門まで送ろう」
 そう言って、秀胤が憲元の後を追った。
「何も本当に行かなくても・・・・」
 てるは寂しそうに言って、憲元が去った戸の方を見つめながらため息をついた。
「お方様。またすぐに、戻って参ると思いまするが・・・・」
 早苗が慰めるように言うと、
「それまでこの城がもてば良いのだけど・・・・」
 てるの顔は晴れなかった。
「殿は上泉城にお移りにはなられないのでしょうか」
「そうね。殿はここ大胡城で上泉領を治めるお気持ちのようだから・・・・」
 語尾を濁したてるは、ややあって、
「そうそう。早苗に良い婿殿を探してあげましょう。早く瀬尾家を再興しなければね」
 すでに憲元のことは忘れているてるであった。このさっぱりとした性格がてるの良さでもある。
 てるの言葉に早苗が頬を赤らめてうつむいた。
「新しい炭をお持ちしました」
 そのとき、侍女が戸を開けて入ってきた。いっしょに、冷たい風が開けた戸の間から入ってくる。
「おお、寒む。早く閉めてたも」
 てるが大仰に言って打掛けの袂を合わせた。その様子が可笑しかったのか、早苗がくすりと笑った。
 忍びの早苗としては、つかの間の心安らぐひとときであった。
(続く)






このブログへのチップ   101100pts.   [チップとは]

[このブログのチップを見る]
[チップをあげる]

このブログの評価
★★★★★

[このブログの評価を見る]
[この記事を評価する]

◆この記事へのコメント
コメントはありません。

◆コメントを書く

お名前:

URL:

メールアドレス:(このアドレスが直接知られることはありません)

コメント:


くる天
officematsunaga
速報情報は、オリジナル取材ネタも含めてtwitterで無料公開!
twitter

【オフイス・マツナガのブログ】

【CONTACT/連絡先】

カレンダー
<<2014年04月>>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
マーケット情報
by 株価チャート「ストチャ」


FX経済指標


会員制システム
会費は月額1000円で、すべての記事、すべての連載、バックナンバーを見ることができます。また、一般には入手困難な資料等をダウンロードできます。
 購読の規約に関しては、くる天 よくある質問を参考ください。


会費の支払い方・課金の仕方

1:くる天へ会員登録する。
2:ポイントを購入する。
3:記事を購入する 。
 という手順となります。
 初めての課金の申し込み方

返金システムに関して

なお、会費を支払い購読されて「これは課金に値しない」と判断された方には、すみやかに返金に応じます。詳細は、返金システムに関してを参考ください。

入稿後は加筆・修正しません

有料会員制度のサイトという性格と、くる天さんのシステムから、有料記事に関しては入稿後の修正、訂正はきかないようになっています。そのため誤字・脱字・錯誤が含まれる場合があります。誤字・脱字・錯誤等の修正に関しては、別途、指摘させていただく場合があります。誤字・脱字・錯誤  修正情報

皆様へのお願い

 申し込まれたアクセスコード、パスワードを他人に教えたり、譲渡する行為は犯罪行為です。すでに、第三者におしえてしまった!という方は、すみやかにパスワードの変更をお願いします。やむなき場合は、しかるべき対応をさせていただきます。
皆様へのお願い  
当サイト連載コラム
週刊日程表

本日のマーケット

今週の永田町

永田町レポート

本日のオフレコ情報

遠藤顧問の歴史だよ

時代小説発掘(無料公開)

カテゴリ
全て (3356)
2014衆議院選挙当落予想 (12)
無料公開記事 (7)
週間日程表 (154)
選挙 (26)
政治 (86)
経済 (6)
社会 (17)
永田町レポート (67)
今週の永田町 (326)
本日のオフレコ情報 (71)
本日の日経225 (29)
本日のマーケット (1654)
特オチ最前線 (75)
瘋癲老人のレイジーな日々 (25)
扱い注意 (38)
ネットでメシウマ!ウェブマーケティングの虚実 (32)
伊藤博一の事件の眼 (23)
鬼デスクの酔いどれ日記 (44)
アダルトサイト運営奮闘記 (3)
遠藤顧問の歴史だよ (30)
業界記者の覆面レポート (2)
真名のケーザイ探検 (27)
ホッピー・モツ焼・闇市の世界 (4)
ネットでビビるな!ネット音痴の業界人へ (14)
今週のマスコミがびびったネットネタ by 野次馬 (10)
アラカルター久里&占い軍団 (46)
コーヒーブレイク・エクササイズ編 (64)
コーヒーブレイク・ボイスエクササイズ編 (12)
医読同源 (1)
永田町奥の院を新人記者「僕」行く (12)
アンコール (2)
「永田町に棲んだ女たち」2 (13)
「永田町に棲んだ女たち」 (15)
ぼやき三毛猫 (49)
白川司郎訴訟関係 (4)
動画で go !!!! (7)
縄文だよ!!!! (4)
【時代小説発掘】 (204)
2009年 衆議院選挙  最新調査データ (26)
衆議院選挙 選挙区レポート (4)
島田が行く!報道現場の盲点 (2)
誤字・脱字・錯誤  修正情報 (6)
見落とすな!ネット情報・リンク先・保存先 (3)
「永田町に棲んだ女たち・特別番外編」 (8)
雑誌販売動向 (7)
最近の記事
12/06 12:26 江戸浅草物語14「月こそ心よ花こそ心よ」 (無料公開)
11/15 15:30 〈助太刀兵法46〉北斎蛸踊り(8) (無料公開)
10/26 08:49 「本日のマーケット」(FX編)・・・今週は日米の金融政策イベントに注意。
10/26 08:40 「本日のマーケット」(株式編)・・・ 続伸後に日経平均株価が1万9000円台を回復。
10/21 08:39 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円ちょうどの壁を意識。
10/21 08:25 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、方向感の出づらい展開。
10/19 08:33 「本日のマーケット」(FX編)・・・午前11時に発表される中国の一連の経済指標に注目
10/19 08:23 「本日のマーケット」(株式編)・・・午前11時、中国経済の指標しだい。
10/14 08:48 「本日のマーケット」(FX編)・・・昨日に続き中国の経済指標。米9月小売売上高。
10/14 08:31 「本日のマーケット」(株式編)・・・前日の動きが継続し軟調な展開。
10/13 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・ドル円は120円大台を中心に方向感に欠ける動きが当面続きそう
10/13 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・5日線(前週末9日時点で1万8218円)が下値を支え
10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
オフイス・マツナガのサイト
[現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガ書籍部]

[今週のキーワードbyオフイス・マツナガ]

[オフイス・マツナガのブログWordPress版]

[週刊日程表(アクセス規制有)]

[調査分析報道・資料倉庫]

【公にされない公の資料を公開】

【その他 オフイス・マツナガweb管理人】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近のコメント
風雲 念流剣 七 (無料公開)(鮨廾賚此丙郤圈)
宿志の剣 三 (無料公開)(会話スキル★吉野)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(管理人:kitaoka)
週刊・月間誌 販売動向13年3月6-7日(珈琲好き)
■この国の最大の問題点は「スパイ防止法案」がない点。マスコミだけでなく、政党にも外国勢力が跋扈。(珈琲好き)
イチローストレッチが止まらない!(バーバリー 時計)
■あまりにあっけなく、野田民主党惨敗。あまりにあっけなく、安部自民党大勝利(takeshi.komi)
時代小説発掘 !!!!!告知!!!!!()
〈助太刀兵法21〉 尾道かんざし燈籠 (無料公開)(モンクレール ダウン)
薩摩いろは歌 雌伏編(十一)痛撃(無料公開)  (株式の初心者)
ブログ内検索

RSS
携帯からも見られます!
QRコード対応の携帯で、このコードを読み取ってください。

Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved