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女帝物語−褥の思い出(後編) (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2014年9月7日 21時46分の記事


【時代小説発掘】
女帝物語−褥の思い出(後編)
斎藤 周吾


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】:
 様々な試練が深雪を襲った。全ては夫である海部大王の差し金だと思った。
 それでも、倒れた夫の看病に不眠不休で務める深雪であった。
 深雪は、病に倒れた海部大王さえ手中にしておけば、わが子の世継ぎが叶うと思っていたのだ。
 女にしか興味のない、若い大湊王子と思ったが、深雪が後宮にいる間、大湊は宮中を牛耳っていた。
 大湊の陰謀を深雪が気づいた時、既に遅く、深雪は絶体絶命の窮地に立った。

 
【プロフィール】:
斎藤周吾 (さいとうしゅうご)
受賞歴
 平成20年8月、日本文学館『最後の家康』で、短編部門の審査員特別賞。
 平成20年1月、(財)斎藤茂吉記念館にて、『短歌部門』で、川嶋清一選で佳作。


これまでの作品:
女帝物語−わが子に
血染めの染雪吉野桜
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』前編
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』後編
惟正、請益僧円仁に従い入唐求法の旅
随筆 うつけ信長、弱者の戦略
黒田官兵衛物語 六尺四方の暗い地下牢に藤の花が咲く
女帝物語−褥の思い出(前編)


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【時代小説発掘】
女帝物語−褥の思い出(後編)
斎藤 周吾


(三)

  暑い夏の夜、西脇殿に女官が駆けこんで来た。大王が昏睡したという。
「何じゃと!」
 深雪正妃の頭から血の気が失せた。
 深雪は素早く薄物に着替えて本殿へと急いだ。
 あれほど忍耐強かった大王が、正月頃から急にこらえ性がなくなったのでもしやとは思っていた。
 深雪正妃が驚き慌てたのは、大王が病になっただけではない。病に伏せば大王のこなたへの鋭鋒は鈍るので、ある種ほっとした位だ。政の機要は全て大王自らが行い、深雪正妃には関与させなかったからだ。大王の病臥中、何としても政の全てを手中にしなければならない。深雪正妃には政の方が喫緊の課題であった。
 大王に万が一のことがあれば内乱が起きるかも知れない。先王の死に乗じ謀反を起こして天下を奪ったのは、そもそも自分達ではないか。深草即位どころの騒ぎではないのだ。

 深雪正妃の頭をよぎったのは、西か東から反乱が起こったという恐れであった。
「大王」
 深雪正妃は、伏す大王に顔を近づけた。
 返事がない。
 側には梅媛が胸元を押さえて屈み、震えている。大王が梅媛と過ごしている時、昏睡したという。
 大王の頬に触れると強張って冷たい。いつからこうなったのか。
「不老長寿薬と称する丹砂、石象芝等の仙薬は猛毒です。服用はお控えなさるべきです」
 
 大王の病因の全ては仙薬のせいだ、と急いで駆けつけた山海が深雪正妃にそっと語った。
 先王も仙薬を服み過ぎて命を縮めた。大湊王子も服んでいる。男というのはどうしてこう懲りないのか。
「大王がこのまま目を覚まさなければ、そちが寝首を締めたと疑われても仕方あるまい」

 深雪正妃は仙薬の事を秘し、梅媛を追い落とすのはこの際とばかり、冷たく睨んだ。
「こなたは大王あっての身です。大王のお首を絞めることなどありえませぬ」
 梅媛の目は深雪正妃に怯えている。
 大王の確かな容態を山海に質した深雪正妃は、
「皆を、祭壇の前に集めよ」
 深雪正妃は榊の枝葉で作った輪を頭に載せ、勾玉(まがたま)と円鏡を胸に下げ、藤の皮で編んだ素服に身を包む巫女の姿で現れた。
「日の神、かしこみかしこみももうす。大王の御目が覚めれば薬師寺を建立し、僧百人を出家させる。目が覚めねば我が身を神に捧げる。この身を惜しむなら、わが願いを叶えたまえ」
 深雪正妃は諸王子諸臣の前で御仏を守護する日の神に、我が身と引き替えに寺建立を誓った。
 大王代行の正妃としてにぎにぎしくやった。
 群臣は互いに顔を見合わせた。決然と、大王に殉死しようとする深雪正妃の覚悟を驚いている。
 皆を集めたのは、祭政の二つ共この手で握る第一歩だ。心の中で繰り返し祈るのは深草即位である。深雪正妃は、神と取り引きする事など不遜極まりないと怯えたが、これは神との請(うけい)ではなく群臣との誓いである、と神に許しを心の中で請うた。
 祈祷が叶い、五日後、大王は話せるまでに快復した。
「神に、真摯な願いが通じたのじゃ」
 巫女として深雪の威信はあがり、正妃の名において薬師寺建立と僧百人を家出させた。
 
「まだ寝ないのか」
 ふと目を覚ました大王は、夜通し看取る深雪正妃に言った。
「月が見たい」
 大王が急に言いだした。
 深雪正妃は女官に蔀戸を開けさせた。
 淡い黄金色の月光が大王の顔に落ちる。
「今夜は二十四日の下弦の月か。もう、明け方が近いようじゃ」
 暦がないので、月の形と高さを見て誰もが日日と時刻を計る。大王がしみじみと言う。

「はい、晩夏六月の月です」
 日の出・南中・日没の高さを見れば、今が何月かが分かる。
「そうか」
 大王はうなずく。
 大王のいわんとする事は深雪正妃に直ぐ分かった。
 昨年の冬至の頃、大王を一晩中待っていたのも二十四日の月夜の晩だったからだ。
 十四年前の今月今夜は座して死ぬよりはと絶望の中で挙兵した日だ。思い返せばあの時が最も苦しく、最も輝いていた。もう二度とあの頃には戻らないし戻れない。国栖の鮎の話など一切できない。
 やがて大王は深い眠りに落ちていった。
 
 深雪正妃は大王の意を体し、大王の病褥の前で政を布いていた。
 ある日、西海の玄関(まえつと)である末盧国から、特鋳した九面の神獣円鏡が献上された。
「朕の形見として妻共に分けよ。日頃そちを怨む女共も恩に着る。一挙両得である」
 大王は上機嫌で深雪正妃に命じた。
「全ては大王の御威徳(みいつ)でございます」
 深雪正妃は、その時には従ったが、側にいた梅媛を別室へ呼び、
「この鏡は政に功のあった者へ分け与える」
 断固として言った。
 
 その後、大王の病状を巫祝に占わせた所、天刺鉾の祟りだと告げた。この鉾を拵えた八雲の銅造(かねつくり)神社にお返しすべきと告げた。
 しかし、大湊王子が立ちあがって異を唱えた。
「大王の病が、鳰王朝から引き継いだ天刺鉾の祟りだと言うのは、滅ぼした鳰王朝が大王に祟っていると言うのと同じで許しがたい。我が金峰山の行者に占わせたところ、大王の御病は火によって起こり、天刺鉾の八頭竜の水(すい)によって蘇生なさったと告げた。神剣はこの国の守りの神器です。宮中にあってこそふさわしいのです。大王の病はもっとほかの所にあります」
 先妃の第二王子である大湊王子は朗々と説く。
 大王の病の因がほかの所にあるとは、深雪正妃が呪咀したのではないか、と疑う目であった。
 深雪がまじないで大王の病を治すことができるということは、呪いで病にさせることもできるからだ。
「天刺鉾は宮中に置き、朕なき後は大湊王子に剣を譲る。大湊王子よ、体が痺れるであろう。剣に覚えのある者だけが感じとれる天刺鉾の精気だ。この神器は大湊王子が引き継ぐのに最もふさわしい」
 大王は、天刺鉾に拝礼する大湊王子の背に語った。大湊王子は鉾の精気に触れて身をぶるぶると震わせている。
 深草王子は何も感じぬのか、不思議そうな顔で大湊王子を見つめていた。
 弱い猫にマタタビをやっても変わらぬ。強い猫ほど転げ回る。天刺鉾に対して大湊王子と深草王子はその違いにも似るようだ。
 大湊王子を見る大王の横顔は、男精を放った直後の満足と倦怠に似る。大王は大湊王子の王位を明示したのも同然である。
 梅媛だけではなく、大湊王子も深雪正妃の目の前に立ちふさがってきたのだ。
「大湊王子には軍将の印としての斧鉞(ふえつ)代わりに天刺鉾をお与えなさるのでしょう。軍国の機要は内の政が成ればこそです。先の戦で大王が勝てたのは、連年冷夏で五穀が実らず、飢えた多くの民が大王にお味方したからです。政に滞りは許されませぬ。民は国の基です。内の政に秀でる深草王子の方が大王としての器量は上です。世継ぎは深草王子と皆にお示し下さい」
 深雪正妃は大王に、誰もいない病褥で願った。
「……」
「大湊王子は深草王子から星媛を寝取るような男です。大王即位にふさわしくありません」
 深雪正妃は、無言な大王を見て更に続ける。
「大湊王子からは、星媛の方が大湊王子になびいたと聞いておる。深草王子も女をひき付ける大湊王子ほどの若い熱気に溢れていればのう。深草王子に仙薬を服ませても腹を下すだけではないか。大王の座は気力横溢でなければ保ち得ぬ」
 大王は深草王子を憐れんで苦笑した。
 そして、
「牝鶏が朝を告げれば日は西から昇る。女は政に口を出すな。大湊王子の良い所は母が既に亡い事じゃ。外戚や女禍の憂いがない」
 大王は政の代行者の深雪正妃を睨んだ。大王は依然として、自身で政を執っていると思っている。
「深草王子を次の大王に就かせたかったら、こなたに死ねと言われるのですか」
 深雪正妃は戸惑うように言った。その為にも刺客を送り、こなたを殺そうとしたのか。

「正妃よ、朕の命に背き、神獣円鏡を妻共に分けず、なぜ功臣に配った。そちは重臣共を丸め込み深草王子が大王に就くよう企んでおるのか。男は剣なら喜ぶが鏡など貰っても大して喜ばぬ。浅ましきは文字通り女の浅知恵だ」
 大王の鋭鋒は止む事がない。
「そのような嘘を、どの妻が言ったのでございます」
「神鏡を貰った臣下が語っておるから間違いはない」
「鏡は剣よりも強く人の魂を打ちます。九面の九は陰陽の最大数。大王の長寿を易神に卜(ぼく)して献上された神鏡です。大切な神宝をどうして妻達や功臣などに配れましょうや。西脇殿の奥深く祭っています。誰ぞ、今すぐ神鏡を持って参れ」
 深雪正妃が命じると、鏡は直ぐに来た。
 万年檜箱の中に、大王の長寿を願う大椿の葉の上に収められていた。丁寧にも山海の字で『天壌大大王平癒祈願』と記してある。
「むむ」
 大王はうなった。
「梅媛がかたったのでしょう。神仏を汚し、人を中傷し、妄言を語る内妃では大王のお側に置けませぬ。頭を冷やす機を与える為に一時、内妃の位を取り上げ、別殿に住まわせたく思います。大王が御快癒なされれば戻る日もありましょう」
 深雪正妃は静かに言った。
「それでは、盲目の雛王女はどうなる」
 大王は半ば了承したように言った。
「子が亡くなり、寂しがっている子煩悩な妻がいます。大王の最も愛しむ大事な王女ゆえ、その妻に育てさせます」
 深雪正妃は大王が決心しやすい案を示した。
 物欲の強い梅媛は大王に告げ口するだろうと思い、神獣円鏡分配の様子を見ていてよかった。
「やむを得まい」
 病褥にある大王は弱々しく肯いた。深雪正妃が拍子抜けするほどの素直さだ。大王が倒れたのはやはり、梅媛と何か争いがあったのだと深雪正妃は想った。
 
 深雪正妃は、梅媛を押し込めた別殿を訪れた。調度品のない部屋だ。
「よくもこなたを陥れた。雛王女を返せ」
 梅媛は激しい怒りの目を深雪正妃に向けた。
「表にいよ」
 深雪正妃は久米に、表で待つように言った。
「しかし」
「構わぬ」
 深雪正妃は語気を強めた。久米と舎人は下がった。
「大王は言われた。朕は梅媛より、生まれた時から目の見えない雛王女が哀れで愛(かな)しい。顔も気象も朕そっくりじゃ。男に生まれて目が見えれば次の大王にした程だ。雛を生んだ梅媛を内妃にしたいと言った。それでやむなくそちが内妃に昇る事を認めたのじゃ」
 深雪正妃は語る。
「嘘じゃ。大王は、最も愛しいのはそちだ。だから内妃にすると言って下さいました」
「大王は、寝屋ではどの女にも同じ事をささやいて夜事を高める。それを真に受けてうぬぼれていたそちが悪い」
「悪いのは、深草王子を大王に担ごうとする正妃です。こなたは必ずここを出て返り咲き、正妃を女寺へ送ってあげます」
 梅媛の眼は、暗い別殿で猫の目のように爛々と輝く。
「減らず口を叩く。人のせいにする内はここから絶対に出られぬ」
「まもなく出ます」
 梅媛は力をこめた。
「もしや、そちは、孕んでいるのではないのか」
 深雪正妃はじっと梅媛を見つめた。盛装や化粧顔では分からなかった。籠居した今の素服姿で素肌、身のこなしを見てもしやと思った。
「大王に申しあげたのか」
 深雪正妃はいぶかる。
「大王のお子が、お腹に落ち着いてから大王に申しあげます」
 梅媛は得意顔で語った。
「大王は近頃お体の具合が悪く、接して漏らさぬよう心がけておられた。女を満たさせる為に昔からよく王戯を用いる」
 故に、孕むのはおかしいと深雪正妃が探った。
「嘘じゃ」
「この王戯の秘技は正妃であるこなたしか知らぬ」
 深雪正妃が言うと、梅媛の顔色が微かに変わった。
「相手は誰じゃ」
「身は潔白です」
 梅媛は睨み返す。
 
 暫く後、梅媛は砒毒を仰いで自裁した。
 雛王女が、母君は死んだと余りにも泣くので別殿に駆けつけると、やはり死んでいたと言う。
 梅媛の死に顔は苦痛に歪んでいる。やはり大王以外の子を孕んでいたのだ。
 孕み子の父親は誰だ。
 深雪正妃は、梅媛を死に追いやって安堵する己を見て自責の念に駆られ、口を押さえながら慌てて西脇殿に去った。
「正妃よ、丹薬を出せ」
 翌日、褥に横たわる大王は命じる。
「命を縮める丹薬はもうお止め下さい。代わりに薬狩した鹿茸(ろくじょう)の生薬をお服み下さい」
 深雪正妃はためらった。
「黙って出せ」
 大王は怒る。
 深雪正妃は褥に背を向け、脇にある、黒漆に螺鈿(らでん)細工した薬櫃の蓋を開けた。
「チッ、チッ」
 深雪正妃の背後に音がした。
 深雪正妃は一瞬、身が竦んだ。大王が深雪を害そうとして剣を抜いたのだと感じた。
 だが、また鳴った。
 大王が肌身離さず持つ鐸鈴の音であった。
「なぜ鐸鈴をそのように大切に持つのですか」
 振り返った深雪正妃は、不思議そうに尋ねた。
「これは朕が身の守器だ」
 大王は意深げに笑う。
 丹薬を服した大王は、やがて眠った。
「大王を殺すのは今だ!」
 深雪正妃の後ろで誰かが叫んだ。
 深雪正妃は後ろを振り向いたが誰もいない。
 不眠不休の深雪正妃が疲れ、朦朧として悪夢にうなされたのか。
「早く大王を殺せ」
 今度は、はっきりと聞こえた。
(今の声は紛れもなく鳰大王)
 鳰大王が、滅ぼされた一族の仇を討てと虚空から告げているのだ。
 天蓋から吊した錦繍の帳の中にいるのは大王と深雪正妃だけだ。皆を次室に控えさせている。大王はぐっすりと眠っている。深雪の手が勝手に動いて胸奥から懐剣を取り出していた。
 海部に謀反の兆があればこの剣で海部を刺せ、と嫁ぐ時に鳰大王から賜った剣である。それなのに、逆に海部に従い、鳰大王の子を滅ぼして国を奪った深雪であった。
 政の息吹が漸く分かって来た深雪正妃である。深雪正妃の手が勝手に動き、懐剣を振り上げた。
「先王、お許しを」
 言ったのは深雪正妃ではない。大王が激しく身をよじっているのだ。
 大王は、鳰王朝を滅ぼした罪に怯えている。王朝側の深雪正妃の一族を根絶やしにした残酷なこの男も、やはり人の子なのだ。
 深雪正妃は一気に刺すどころか、思わず力が脱けて手を下ろしていた。
 深草王子が大王になる為にはやめる訳にはゆかぬ。深雪正妃は意を強く、目を閉じて再び懐剣を振り上げた。
「先王、まもなく朕もいきます。正妃、後は大湊王子と共に仲良く政を平らげよ」
 大王はまたもやうなされている。
 深雪正妃を女禍とコケにしながら、寝言では優しく気遣ってくれている。
 大王は死期を悟って仏心になり、深雪正妃に対する害意は失せたのか。元々大王にはこなたへの害意はなかったのか。窺見は大王の命で殺害に来たと仄めかしたが、やはり全て梅媛が陰で仕組んだのか。その梅媛はもはやこの世にない。
 深雪正妃はぺたんと座っていた。
(鳰大王、お許し下さい。こなたに夫は討てませぬ)
 もはや嘆かない、深草王子が大王に就く為なら山姥でも蛇女にもなると強く誓った筈の深雪正妃であったが、じっと大王の寝顔を見つめた。
「正妃も苦しいのか」
 大王が呟く。
「えっ?」
 深雪正妃は我に返り、怯えて大王を見下ろした。大王は眠っていなかったのか。いつの間にか大王の頬が濡れている。深雪正妃の涙が大王の頬に落ち、目を覚ましたのだ。
「そちも先王を思い出して泣いていたのか。素服を纏った先王が白虎に乗って現れた。だが、朕の全てを許すと言って去られたぞ」
 夢から覚めた大王はしみじみと言う。
 先王が許したと聞いて深雪正妃は初めて涙を拭き、座る真菰(まこも)の下にそっと懐剣を隠した。
「そちの目に寝不足のクマができておる。疲れたら他の者に代われ。ところで、梅媛はどうしているか」
 やはり大王は梅媛が気掛かりのようだ。
「お伝えしようかどうか迷ったのですが、梅媛は昨夜、砒毒を仰いで自裁しました」
 深雪正妃は静かに答えた。
 大王に殺意を抱いたのも梅媛の死と全く関わりがないとは言えぬ。一気に宮中を握る機だったのだ。
「そちが毒を盛ったのか」
 大王は疑う。
 深雪正妃は、己がそうだから他人も同じと思うのだ、と大王を疑った。
 やはりこなたに毒を盛ったのは大王だったのか。
「どうしてこなたが、そんな非道な事をいたしましょう」
 深雪正妃は眉根も寄せて頭を振った。
「そちに殺気が漂っているからそう思ったまでだ」
 大王は語気を強めた。
 大王の容態を診た山海は、並の者なら既に亡くなっている。先の戦を勝ち抜いた強い気があればこそ保つのでしょう、と語った。深雪正妃は大王の側に己の息の掛かった者だけを置いた。大王の命であろうとこなたを差しおいて動く事はまかりならんと厳命した。
「大湊王子はまだ来ぬか」
 大王の病褥の横で正座したままでまどろむ深雪正妃は、大王の弱々しい微かな声に、はっと我に返った。素早く側に寄って顔を近づけた。丹薬に冒された大王の腑臓から毛羽生糸の臭いのような死臭が漂ってくる。
「今は行方が知れず、探しています。見つかったら直ぐ来るように言っています」
 深雪正妃は身を動かし、大王の胸に掛かる絹衾をそっと直しながら言った。
 大湊王子は今日も出仕しない。歌舞こそ慎んでいるが、日ごと、私邸で酒を酌み交わしているようだ。大王の病中ではあるが宮廷外である。深雪正妃にとって喜んでも咎める心づもりはなかった。
 突然、大王は自ら立ちあがった。
「病が治ったようじゃ」
 大王はしげしげと己の立っている両足を見つめた。
「大王の病褥に、梅媛の替わりに仙気の強い女官を侍らせたのが効いたようです」
 大王の病褥に四手の結界を張り、仙境を設えた深雪正妃は唇に微笑を浮かべて仰いだ。

「そちが大湊王子を呼ばないのは、朕が死ぬのを待っているからじゃ。その手は食わぬ。正妃と道女、しばし座を外せ」
 大王は深雪正妃を睨んだ。深雪正妃が次の間に控えていると、あの鐸鈴が聞こえる。
「窺見の子等、おるか」
 大王は叫んでいる。
「ここに」
 天井からだろうか、声がする。
「大湊王子を呼んで参れ」
「ははっ」
 大王に殺意を抱いた時、二度目に鳴らした鐸鈴も大王かと思ったが、思い返せば子等の応える天井からの鐸鈴音だった。宮中を支配したと思った深雪正妃は、窺見が死に際、第二第三の窺見が現れると語ったのを思い出した。大王は様々な仕掛を宮中に作っていたのだ。
 あの時、大王はこなたの殺意に気づき、天井に合図を送ったのだ。大王が叫ぶと直ぐに子等は降りてきて、深雪正妃は子等に返り討ちされていた。改めて身を震わす深雪正妃であった。
「大王の病は急に快復した。これで大湊王子が次の大王に決まった」
 休息室に下がった深雪正妃は、わが子深草王子に溜息混じりに語った。
「やつがれにお任せを。星媛を大王に引き合わせて下さい。大湊王子私邸はここから一里半の初瀬川沿いです。磐余道(いわれみち)を駆けても着くのは一刻後です。これからです」
 深草王子はそう言って駆け去った。
 深草王子は寺で座禅行をしてから明らかに変わった。
 深雪正妃は我が子の言に再び気を取り直して病褥に戻った。
「窺見はどうなさいましたか」
 深雪正妃は素知らぬふりをして聞いた。
「そちは窺見を知っていたのか。油断ならぬ女だ。窺見は子等に後事を託し、金峰山に帰り、仙人になると言って忽然と消えた」
 大王は己が差し向けた刺客と言えないからとぼけている、とこの時の深雪正妃は思った。
 大王の若い時は謎だ。聞くと怒る。金峰山中で修行し、窺見と子等を手なずけたのかも知れない。行者はとかく謎に満ちている。
 
 大湊王子が宮の東にある青龍門を潜ると深草王子が待っていた。
「大湊王子、大王はすっかり御快癒なされたようだ。共に喜ぼう。祝酒を振る舞いたい」

 深草王子が言うと、
「どうぞ、お過ごし下さりませ」
 付き従う数人の美妓も艶然と和した。
 大湊王子は誘われるまま側の深草王子殿に入った。
「醪(もろみ)酒をしぼった清酒(すみさけ)です」
 深草王子がまず毒味をして、酒を差し出した。
「酒をあまりやらない深草王子なのに、どうしてこんなに旨い酒を持っているのか」
 飲んだ大湊王子はむしろいぶかる。
「御命を帯びて、不老不死になるという人魚の肝を探しに北国(ほっこく)へ行った時、熊来(くまき)酒を持ち帰った。大王は若い時から、日ごと三輪の神酒と過ごしたい、と願って政に励んだので三輪の醪酒の方が好きだ。我はあまり酒をやらぬので清酒を飲んでいます」
 深草王子は慌てて手を振った。
「この饗宴は、そちが世を継ぐ為の根回しか」
 大湊王子が見回すと、盛んな歌舞音曲だ。
「我は世継ぎなどより星媛の方がよい。星媛を帰して下さい。その為に招いたのです」
 深草王子は照れ隠しに眉根を掻いて言った。
「近頃星媛は我に冷たくなった。やはりそちとよりを戻していたのか。あんな浮かれ女のどこが好いのだ。そちが王位に即きたくないといっても、そちの即位を願うのは深草正妃だ」
 大湊王子は深草を睨む。土杯を重ねてそろそろ酔いが回り始めたようだ。
「馬を水飲み場にひいても、飲まない馬に水を飲ませる事はできぬ」
 深草王子は応えた。
「それもそうだ」
 大湊王子は、半ば疑いながら酒をあおった。
 深草王子は頃合いを見るかのように、
「酒に酔っては大刀が重かろう。ここに置いていってはどうです。大王が海部と呼ばれていた頃、先王の前で酔って床に槍を突き刺し、先王から殺されそうになった事があったそうな。父の血をそっくり受け継ぐ益荒男(ますらお)の大湊王子だ。大王と同じ事をやりかねないですぞ」
 言った深草王子は、日頃大刀を佩いていない。
「お預かり致します」
 さっきから大湊王子に寄り添う美妓も白く細い腕を伸ばした。
「われが酒に乱れるのをあおっておるのか」
「案じておるのです」
「大王も、酔えば神が乗り移ったと言って喜ばれる。環頭大刀がないと腰は寂しい」
 大湊王子は大刀を外さない。
 
「遅い」
 大王は言ったが、再び横になっていた。
 既に二刻も経っている。
 人は死ぬ間際、急に、快復したようになる事がある、と深雪正妃は思った。
「何やら深草王子殿が賑やかなようだ」
 大王は、天からのお迎えに奏でる伎楽の音かと迷ったのか。
「大王、お耳を汚したき儀があります」
 深雪正妃が大王の言葉を遮って言う。
「朕がこの世の罪状か」
「星媛にお聞き下さい」
 深雪正妃の言葉に、星媛が恐る恐る入って来た。
「内妃様が別殿を密かに脱けだし、宮中にある大湊王子殿に来ました。隣室で聞き耳を立てていると内妃様は大湊王子様の子ができた、と大湊王子様に詰め寄っていました。喜んで帰った内妃様が自裁する筈はないのに、その夜、自裁しました。私のお腹に宿る子はどう考えても深草王子様のお子なのです。私人は大湊王子様が恐くなり、正妃様の許に駆けこみました」
 星媛は腹を押さえながら語った。
 大王は星媛をじっと見つめた。
「お疑いなら産屋(うぶや)に火を掛け、深草王子様の子を生みます」
 星媛は声を張り上げた。
「表で男女の会う場はなく、神代より、妻の家を夫が訪れる婚姻なので間違いは仕方ありませぬ。一度の交わりだけで子ができるとは、世の男どもは信じませぬ。孕んだら別人の胤だと疑います。三晩逢った後に夫婦(いもせ)の固めをするのもその為です。誰の子かは女しか知り得ませぬ。星媛の身を懸けた証しは信ずるべきです」
 深雪正妃は女として星媛をかばった。
 妃や女官以外の性には大らかな世である。己の子を身籠もった、と告げた星媛を深草王子が喜んで匿ったのだから、母には異論がない。深雪正妃には孫が多いほどよいのだ。
「梅媛の夜事の様子が以前とは違った。朕が倒れた晩、誰と淫したのかと問い詰めたが、そのような事はないと頑なに拒んだ。梅媛はやはり大湊王子と通じていたのか」
 丹薬で無表情になった大王の目だけが哀しそうだ。深雪正妃が梅媛を別殿に下げたいと願った時、いともたやすく大王の肯いた訳が今漸く分かった深雪正妃である。
「内妃は朕亡き後、大湊大王の妃になる為、正妃のそちを朕にそしっていたのか。梅媛には王戯を用いたので朕の子じゃないが、大湊王子は孕んだという口封じだけで梅媛を殺したのか」
 大王の顔は困惑げだ。未だ梅媛に未練を残す大王は暫くしたら梅媛を内妃に戻すつもりでいたようだ。梅媛は孕んだ事を大湊王子に告げず大王に詫びていれば母子の生命は助かった。女に対して寛大な大王だからこそ深雪正妃にも直接手を下さなかった。深雪正妃も大王を憎みきれず、自らの手を汚せなかった。
「朕は未だかつて人に毒を盛った事などない」
 それを裏打ちするように、大王は断固として言った。
「大王」
 大王の心を最もよく知っている筈の深雪正妃だが、呆然と大王を見上げていた。大王が真に毒を盛った事などないのであれば、こなたへの毒はやはり梅媛だったのか。
 だが今はそんな事を顧みる暇などない。
「大王、次は深草大王、と皆にお示し下さい」
 深雪正妃はこの機とばかりに強く願った。
「女は世継ぎに口を出すなとあれ程言ってもまだ分からんのか。誰に大王の位を譲るかは朕の専権事項だ。わが国と誼(よしみ)を結ぶ外つ国が侵寇されたのは、わが国が女王だったからじゃ。今でも崎守を置いて防がねばならぬ。第一そちの目は大王生母として穏やかな生涯を送る目をしていない。必ず女禍になる。大湊王子が大王の寵媛を寝取るとは、ある面、大器だ。皆も集めよ」
 やはり大王は、大湊王子即位にこだわる。
 深雪正妃は薄髪と白髪を頭巾で隠して有髪の在家尼(うばい)になっていた。仏に仕える尼なればこそ、弱い女を殺すような大湊王子に政を委ねる事はできない。
 反面、梅媛の強気は、大王の寵愛以上に大湊王子と密かに結ばれていたからだったのだ。もし梅媛が内妃のままでいたら、と思うと身の竦む思いの深雪正妃であった。
 警戒の厳しい中、大湊王子は女物の着物を被って梅媛の許に忍び込んだのか。星媛が訴えるまで二人の仲は誰にも気づかせなかった。恐るべき姦智に長けた男だ。大湊王子が大王になったらと思うと深雪正妃の背筋は凍る。
 未だ戦いに敗れたわけではない。皆との話し合いの場で深草王子を何とか大王に、と決意を新たにする深雪正妃であった。


 
(四)

「大王!」
 大湊王子の声が渡り廊下に響いて来た。大王は耳を澄ました。
 大湊王子を迎える大王の唇に微かな笑みが浮かぶと深雪正妃の身は震えた。
「星媛は隠れていよ」
 深雪正妃は言った。
 大湊王子はどかっと崩れた。両耳に丸く美豆羅(みずら)に結う髪が垂れ、大王の顔に掛かった。
「酒は度を過ごすなとあれ程命じているのに、そちは強かに酔っておるな」
 大王の目が怒る。
「これは異な事を。大王は御快癒なされたと迎えの者や深草王子が語っておりましたので、深草王子殿で祝いの清酒を飲んでいました」
「皆は集まっておるか」
 大王は問う。
「今漸く集まりました」
 深雪正妃は言って垂簾、几帳、屏風の全てを取り払わせた。
「朕を起こせ」
 深雪正妃は起こした。
 大王は居並ぶ一人一人の顔を繁々と眺めた。皆、しわぶき一つするのさえ堪え、衣ずれ音さえ立てない。遠くからねぐらに帰る烏の鳴き声が微かに聞こえて来るだけだ。
「朕はまもなく、皆と別れて先に行く」
 大王はやはり死期を悟ったようだ。やがてあちこちから忍び泣きする声が響き渡る。
「朕が行くのを悲しむ事はない。皆より少し先に行くだけだ。次の世継ぎだが、皆は誰がよいと思うか」
 大王は問う。暫く後、
「大湊王子様こそふさわしい」
 末席で声があがると、皆の頭が下がった。
 大湊王子の得意顔が大きく見える。
 思った通り天刺鉾を譲られる大湊王子の名をあげる者が多い。深草王子の名をあげる者はいない。だが深雪正妃はくじけない。
「大湊王子、梅媛がなぜ砒毒で変死したかを知っておるか」
 深雪正妃は攻めたてた。
「何の事でございますか」
 とぼける大湊王子の顔が微かに曇った。
 深雪正妃はこれを見逃さない。
「星媛、これへ」
 星媛はおどおどしながら語ると、若い大湊王子の顔色が明らかに変わった。
「やはりそうか」
 大湊王子を見た大王が漸く信じたようだ。
「おのれ売女、妄言を語ってわれを讒訴するか」
 大湊王子は矢庭に星媛を突き刺した。
「ああ、星媛!」
 深草王子は駆け寄って星媛を抱き起こした。
「深草王子様、一時の魔が差した私人をお許し下さい。今まで悪い夢を見ていました。貴方様の大事なお子を、申し訳ありません」
 星媛はそう言って事切れた。
「星媛!」
 深草王子は星媛にすがった。
「むごい建国の為の戦いは既に終わった。これからは和を貴ぶ守成の時じゃ。どうしてそちはいともたやすく人をあやめるのか。見損なったぞ。大湊王子に付いてゆく者はおらぬぞ」
 大王は悲痛な声を張り上げた。
「一人も二人も同じ事です。今頃になって酔いが回ってきた。さては深草王子、怒り薬草を酒に混ぜたな」
 大湊王子は、星媛が死んで放心顔の深草王子に怒鳴った。
「やつがれも同じように飲んだが、われが高ぶるどころか沈んでいるのが何よりの証しです。それは濡れ衣です」
 深雪正妃は、深草王子が怒り薬草の外に麝香附子の昂進薬も混ぜたと分かった。だが深草の眼は、星媛を巻き添えにするとは思わなかったと哀しむ目だ。
「大湊王子、酒のせいにするな。そちの本心だ。人臣の心は離れるぞ」
 大王は言を荒らげる。
「乱心じゃあ、大湊王子は社稷を傾ける暴虐の徒なり。舎人達、大湊王子を捕縛せよ」
 深雪正妃は、この機を逃さず渾身の力で叫んだ。
 しかし、後ろに控える舎人達は動かない。
「ああ」
 深雪正妃の心は凍った。重臣も互いに顔を見合わすだけだ。甲高い女の怒り声に大王が顔を背けたからか。
「この宮中は朕の手中にある」
 突然、大湊王子が叫んだ。
 素手で猪を打ち殺す大湊王子の顔色を窺って誰も動けないのだ。先ほど忍び泣きした者も黙って俯くだけだ。深雪正妃が大王に付きっきりで看取っている間、大湊王子は宮廷外から宮中全てを牛耳っていた。大湊王子は自邸で酒宴を開き、皆を取り込んでいたのだ。

 深雪正妃が手中にしたのは後宮だけであった。
「大王は死の褥にある先王を欺き、力で天下を奪い取った。朕はその大王の子ですぞ。正妃が深草王子を大王に就けようと策動していたので、やむなく自衛したまでです」
 大王に似ず大柄な大湊王子は抜いた剣を背に隠し、片膝を立て、頭を垂れた。
「父尊(おやのみこと)と廃妃をお連れせよ」
 大湊王子が叫ぶ。深雪正妃はともかく大王はこの死の褥からどこにゆけと言うのだ。あの世にいくしかない。舎人は恐れ戦いて動かない。
「女禍は国を傾けるが、暴君は国を滅ぼす」
 大王は呟き、鐸鈴を鳴らした。
 剣を担いだ三人の壮夫が天井から降りてきた。大王の命しか聞かぬ窺見の子等だ。
「助かった」
 深雪正妃はほっと胸をなで下ろした。大王を今ほど心強く思った事はない。
「やむを得ん、大湊王子を捕らえよ」
 大王は大息した後、窺見の子等に命じた。
 窺見は大王を無視し、大湊王子に片膝ついた。
「ああ……」
 深雪正妃はまたもや卒倒しそうになった。
 次の大王は大湊王子と知り、窺見と共にこの子等も大湊王子になびいていたのだ。深雪正妃が大王と病褥で話している事さえ大湊王子には筒抜けだったのだ。大王が一度でも世継ぎは深草王子と語れば、大王と深雪正妃は殺されていた。梅媛を毒殺したのも窺見の子等に違いない。
 大王は瞑目したままだ。
「今の今まで大湊王子を信じていた。毒を盛り、窺見にこなたを殺害するよう命じたのは、大湊王子、そちだったのか」
 深雪正妃は大湊王子に向かい、大声で叫んでいた。
「梅媛が、己を救わねば大王と正妃に全て訴えると言うのでやむなく葬ったまでです」
 大湊王子は語る。大湊王子は窺見の手引きで屋根裏を伝い、梅媛の居室に忍び込んで逢っていたのだろう。誰にも見られない筈だ。
 深雪正妃は虚脱した目で大王を振り向いた。
「深雪は今まで、そちに毒を盛り、殺せと窺見に命じたのは朕だと疑っていたのか……。むむ!」
 大王は突然、うなだれた。血を吐いている。
「大王!」
 我に返った深雪正妃は、倒れこむ大王を慌てて抱き抱えて叫んだ。
「正妃よ、雛を頼む」
 大王は吐いた血でむせびながら、純粋無垢な雛王女の行く末を案じている。
 大王は深雪正妃以上に孤独だったのだ。
「山海!」
 深雪正妃が後ろを振り返って叫んだ。大王の脈をとった山海は、首を横にゆっくりと振った。
 大王はついに魂極(たまきわ)まった。
「大王を殺したのは大湊王子じゃ」
 大湊王子を睨む深雪正妃の叫び声が辺りに空しく響く。
 大湊王子はゆっくりと深雪正妃に剣先を向けた。
「廃妃に対するせめてもの礼だ。自裁なされよ」
 大湊王子が厳かに告げた。
「尼は自裁などせぬ。いざ死ぬとなると恐い。願わくはそちの剣に掛かりたい。無明闇を間違わぬよう、立って往生したい。後ろに回り、首から肺腑を貫いて欲しい。ここを突かれれば楽に死ねる」
 深雪は静かに喉元を指し示した。
「気丈とは思ったが、いざとなれば腰抜け尼だったのか」
 大湊王子は冷笑する。
「お妃様が迷われぬよう一足先に参り、黄泉路(よみじ)の露払いをいたします」
 久米が素早く懐剣で喉を突いた。
 やがて後を追う深雪に涙はない。
「正妃様がいかれれば、拙僧も首を突いてお供致します」
 山海も言う。
「僧の殉死は断る。地獄に落ちる。大湊大王、死ぬ前に一つ願い事がある」
「この期に及んでまたもや頼み事か」
「こなたや梅媛の名は青史から抹殺しても、盲目の雛王女を巫女になるよう育てて欲しい」
 深雪は願った。
「分かった、雛は守る。いずれは斎王にしてもよい」
 大湊王子は肯いた。
「大王のお体が温かい内に御後を慕う」
 深雪は襟をはだけ、肩から胸元に掛かる白い帯状の領巾(ひれ)の下で手印を結んだ。

 領巾は別れに振るものだ。領巾の下に手印を隠すのは永劫の別れだからだと言った。
 ゆっくりと大湊王子に背を向け、左手で胸奥から懐剣を取り出し、素早く領巾の内側に隠した。
 深草王子が大王に就く為、大湊王子と差し違える機を狙ったのだ。
 弱みは女の最大の武器だ。
 大湊王子は柄を逆手に持ち、刃先を下に向けてゆっくりと掲げた。
 深雪は左手で静かに鯉口を切る。鞘尻には磨き抜かれた小鏡がはめ込んである。垂れ下がった紕帯と似る色で、猛き男には区別がつかぬ。大湊王子の足元の動きを背後からそっと窺った。触れる程に近づけば素早く振り返って刺してあげる。
「待って下さい、大湊王子。いや新大王。母妃が迷って祟神とならぬよう天刺鉾の神剣で封じてやって下さい」
 深草王子が調子の外れた声で叫んだ。
「やめぬか!、深草王子」
 大湊王子が叫んだのではない。深雪が叫んだのであった。
 深雪も最後の最後になって我が子に裏切られたのかと疑ったのではない。深草王子の意図に気づき、大湊王子への欺瞞の目くらましに叫んだのだ。
「深草王子など生きようが死のうがどうでもよい。とっとと失せろ。国栖にでも隠棲せよ」
 やはり大湊王子は、深草王子の意図通りに叫んだ。
 大湊王子が命じても深草王子は構わず、天刺鉾の石箱をひっくり返した。
 石箱の中には赤土を敷いた石箱がある。何層にも秘封された中から樟木箱が出てきた。木箱を開けると詰め込まれた黄金砂が辺り一面に飛び散った。
 白い絹布に包まれた鉾が床を転がる。
「深草王子、大事な神器に何をする。鉾を抜けば雷雨と共に祟神の八頭竜が飛び出し、皆を食い殺すのだぞ!。血迷うな」
 猛き大湊王子でさえ恭しく掲げる神剣を深草王子は片手で持つ。
 深草王子が刀を抜こうとしても抜けない。柄を叩いても抜けない。
 刀身に合わせ、鞘のように被せてあるだけなのだ。
「やめぬか、ひ弱なそちに神剣は抜けぬ」
 大湊王子は頭を押さえながら叫ぶ。
 深草王子はついに、鞘を床に叩き付けて割った。
 二尺八寸の白銅鉾は少しも錆びていない。鏡のような妖しい光を放つ。
 群臣や窺見の子等は、一斉に床に身を伏せた。
「わあっ!。頭に響く!」
 大湊王子は叫んだ。
 精気に射たれた大湊王子の足元は定まらず、深草王子に向ける剣先をぶるぶる震わしている。
「今だ」
 深雪は心の中で叫んだ。
「天刺鉾よ、大湊王子に祟れ!、きえー!」
 きえーとは、消えろ、帰依、それとも単なる、当時の気合い言葉であろうか。
 深雪が動いた時よりわずかに速く、天刺鉾を持った深草王子は奇妙な声を張り上げ、大湊王子に体ごと当たった。末広の剣が大湊王子の背を深々と貫いていた。
 深草は剣の柄を更にねじりこんだ。
「むむ!」
 不意を喰らった大湊王子はただ、うめくだけであった。
 深雪も懐剣を抜いて駆け寄ったが加勢するまでもない。一瞬の間だ。
 怪力の山海が大湊王子の背後に回り、大湊王子の大刀を素早く奪っていた。
 大湊王子が串刺しにされても皆は動かない。
 王者同士の戦いで勝ち残った方に従うのが臣下の倣いでもある。
「深草王子、密かに剣技を鍛えていたのか」
 大湊王子はうめくように言った。
「星媛の為に法興寺で鍛えたのだ!」
 深草王子は叫びながら大湊王子を押し倒していた。
「深草王子を斬れ」
 大湊王子は深草王子を抱きながら、子等に命じた。
「舎人共、深草王子を守れ、子等を捕らえよ!」
 深雪に毒を盛り、梅媛を殺した子等を許せない。深雪は懐剣の先を子等に向け、間髪を入れず叫んだ。大湊王子の大刀を奪い取った山海も深草王子を守っている。窺見の子等の一人が逃げた。
「窺見の子を追うのじゃあ、逃すな」
 深雪はまたも叫んだ。窺見の子等の恐さは深雪自身が最もよく知っている。
 舎人と弓矢を持つ武人が追いかけた。
「天刺鉾の祟りだあ。手から鉾が離れない」
 深草王子が、倒れる大湊王子に覆い被さったまま叫ぶ。
 山海が、体をぶるぶると震わす深草王子の一本一本の指を、鉾の柄から外した。
「ああ、久米、なぜ早まった事を」
 深雪は懐剣を落として侍女の骸を抱き上げた。
 だが久米の犠牲があればこそ、大湊王子は深雪と深草王子の意図を見抜けなかったのだ。
 続いて深雪は大王に寄った。
 在家尼の深雪は紫袈裟を着けていない。臈纈染(ろうけちぞめ)の背子(からぎぬ)を脱ぎ、大御身に覆った。大王の口に飯含(はんがん)の儀である璧玉をそっと含ませた。

「この国を統べる大王ではなく、こなたの夫として、今宵、一人で大王に夜伽する我がままを許して欲しい」
 深雪はその夜、西脇殿の奥に片付けた大王の褥と己の褥を内寝に運ばせた。
「よい、わらわが敷く」
 深雪は、久米が居ないので自ら並べ敷いた。この労りは久米へのせめてもの弔いであった。
 大王にそっと添い寝をした。
 多くの犠牲を出したのも深草王子を即位させようとした為に起こった。深雪にも責がある。深雪は償罪の心で夫の死に顔を見つめていた。
「民を慈しみ、人の和を保ち、戦の起こらない新しいこの国を造るのは、女の秘められた力を持つ深雪しかいない」
 突然、大王の声が聞こえてきた。
 深雪は驚き、大王の死に顔をまじまじと見つめた。口の中に玉を飯含しているのに口ごもらず、はっきりと聞こえたのだ。目と口は依然として閉じたままだ。天井を見ても大王の霊姿はない。
 吹き込んだ一陣の風が深雪の顔を柔らかく撫でるだけだ。
「大王!」
 深雪は大王に覆い被さり、思わず、死に顔を己の広き胸分けに抱きしめた。
(ああ、海部様……)
 忘れていたあの郷愁が、突然甦ってきた。
 この思いは何年ぶりであろう。
 卵から孵すように、冷たくなった大王の体をいつまでもいつまでも温め続ける深雪であった。
 

  了






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