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風雲、念流剣 二 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2014年10月19日 12時36分の記事


【時代小説発掘】
風雲、念流剣 二 
鮨廾賚



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】: 
 時代は室町中期に入ろうとする応永の末から正長にかけて(1420年代後半)。日本最古の剣派念流の道統二代目慈三首座は、初代念大慈恩の遺言として、南朝再興(後南朝)に一門あげて味方しようとしていた。南朝再興は、本当に慈恩の意思なのか。疑問を持つ正覚庵念道(俗名山入源四郎)とその弟子高垣藤四郎は、やがて、京と鎌倉の公方、後南朝の政争に巻き込まれていく。
本作は、全体4部作で、下記(↓)『悍馬駆ける』の続編に当たります。



悍馬駆ける

http://honto.jp/netstore/pd-book_02503654.html


【プロフィール】:
鮨廾賚此昭和33年(1958)生まれ。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、大衆文学研究会会員、歴史研究会会員、歴史時代作家クラブ会員。


これまでの作品:

風雲 念流剣 一(序章)




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【時代小説発掘】
風雲、念流剣 二 
鮨廾賚


第一部 鎌倉編

第一章 念流の大事

一 念流十四哲

 浪合の里は、信濃国伊那郡に属し、四方を山に囲まれた典型的な盆地である。
 里の艮(うしとら)の方角(北東)に、松沢山という一際大きな山があった。その山の麓の小高い丘に長福寺はある。現在の宮ノ原台地の西方である。
 長福寺は、念大慈恩が開基し、その後、剣門念流の総本山となっている寺である。大きくはないが、七堂伽藍を配し、左奥に道場屋敷を有していた。ひときわ高い本堂の甍は、四囲の山とよく調和し、里の象徴になっている。

 浪合の里の春は遅い。増井では鶯の声を聞いた念道だったが、まだ山並に雪が残っている里を見て、
「同じ日の本でありながら、この違いはどうだ」
 一人ごちながら階段を登り、山門をくぐった。
「ほう!」
 小さな驚きの声がでた。
 山門のすぐ左にあった鐘楼が新しくなっている。真新しい檜の香りが匂ってきそうだった。ばかりでなく、梵鐘も新しくなっている。
「割れてしまったのであろうか」
 かつてあった鐘は、師慈恩が長福寺を開くとき、近くの廃寺から譲り受けたものだった。
 その釣鐘を師とともに、汗みづくになりながら運んだことを、念道は懐かしく思い出した。
「歳月の流れは速い」
 その師が身罷ってから、すでに三年の歳月が流れていた。

 念大慈恩の入寂は、応永三十年(一四二三)のことである。齡七十三であった。いまの住職は二代目である。名を赤松三首座慈三という。
 淡い感傷に浸りながら、念道は本堂に向かった。

 本堂の大広間には、すでに一門の者たちが集まっていた。
 談合はまだ始まっていない。ざわついているのは、兄弟子たちが近況を語りあっているからだろう。和やかな雰囲気であった。
「ほう!」
 ここでも念道は、軽い驚きの声をあげた。
 三十畳はあろうかという大広間には、大紋高麗縁の真新しい畳が敷かれたいた。藺草の良い香りが、つんと鼻にきた。
(今日の集まりのために、わざわざ仕立てたものであろうか)
 念道は漠然と思った。

 正面の本尊である摩利支天を背に、慈三和尚、そして左右には、念流の順次に従い、すでにそれぞれが居流れていた。皆、慈恩の直弟子で、念道の兄弟子に当たる者ばかりである。
「諸兄には、お早いお着きで恐れ入り申す」
 念道は恐縮しながら、さっと座を見渡して、
「拙僧が最後ですかな」
 と、誰にともなく言いながら、末席に連なった。
 座が一瞬静まったが、すぐ元に戻った。
 念道が座ってから、畳表を撫でると、つるりとした感触が手に心地よい。円座とは異なるものである。
「なんの、我らもいま来たばかりじゃ」
 隣から猿御前(さるござん)のしゃがれた声がかかった。
「おばばどのはそのように言うが、弟子中最も年若な者が最後ではのう」
 向かいに座った浄阿弥から、皮肉混じりの言葉が飛んできた。顔が笑っているところを見ると、悪意はなさそうである。
「気にするでないぞえ。念道どののちょいと前が、浄阿弥どのじゃゆえ」
 おばばが囁くような声で言った。念道は苦笑するしかない。

 慈恩の高弟中、おばばは唯一人の女性である。名を猿御前といい、齢はすでに八十を超していると言われている。
 深い皺の刻まれた顔、丸まった背を見ると、なるほどと頷けるものがある。だが、ひとたび剣を取ると、念道ですら勝てるかどうか。
 おばばには不思議な伝承があった。すでに百年来いまのままの姿なのだという。老けもせず、むろん若返りもしない。兵法も衰えることはないという。

「軒猿は戻りましたかな」
「御坊への知らせが、最後になったことを気にしておった」
「なんの。鎌倉に寄ると言うておりましたが」
「用は済んだ」
 軒猿の体術は人並みはずれている。すでに長福寺に戻っているようだ。
「では、見張りに出ておりますか」
「若い者には働いてもらわねばのう」
 にっ、と笑って答えたおばばの目の光は、意外に鋭く、とても齡八十を超した老女のそれではなかった。
 あるいは、兵法の達人ともなると、歳を取っても眼光は衰えぬものなのだろうか。

 そのおばばは猿一族の総帥でもある。軒猿はその一族だった。
「猿一族」
 とは奇妙な名だが、伊吹山中深く、名の由来ともなった猿とも紛う軽快な体術を、およそ百年近く伝えてきた一族である。
 代々、術に秀でた媼(おうな)を総帥に仰いでいた。傀儡子(くぐつ)の子孫であるという。

 そんな猿一族が伊吹山を降りたのは、慈恩の兵法に惹かれたからだといわれている。真偽の程は分からないが、おばばの慈恩に寄せる尊崇は厚く、生前慈恩の行くところ、必ず陰におばばと猿一族の姿があった。
 慈恩晩年の弟子で、行を共にすることの多かった念道は、そのためおばばとは、殊に仲が良い。

 念大慈恩の直弟子は数多くいるが、板東に八人、京に六人、合わせて十四人の高弟は、特に、「念流十四哲」
 と呼ばれ、幾多の伝説が後世に伝えられている。

 そのうち、すでに鬼籍に入った者を除いて、高弟九人を含む十一名が参集していた。 一人中条兵庫頭(ちゅうじょうひょうごのかみ)のみ、すでに齡九十を超す高齢のため、兵庫頭の高弟甲斐豊前守(かいぶぜんのかみ)が名代として参列している。
 ちなみに、後世、念流の正統を伝えることとなる、馬庭念流の祖樋口太郎兼光は、なぜか〈念流十四哲〉に数えられない。この日も九州にあって修行中であったため、参加していなかった。

 これほどの直弟子が、一堂に会するのはこれが二回目である。
 一回目は慈恩の三回忌であった。葬儀は知らせの行き違いもあって、全員が集まれなかったのである。
 念流は武芸の一流派である。だが、始祖慈恩が念仏と禅の道を加えて独自の流派を成したため、どちらかというと一門は、教団的な組織構成になっている。
 さらに茶道、華道など当時の「道」を成す者たちがそうであったように、師弟関係を中心とした堅い団結を誇っていた。

 慈恩創始になる念流は、後世確かに剣術の一流派として受け継がれていくが、この頃、〈兵法〉
 と、呼ばれた武芸の例に漏れず、槍術、居合術、杖術などの武芸十八般についても独自の体系を持っていた。
 そのうえ、この流派の不思議なところは、後世の忍びの術としか呼びようのない、
〈陰の流れ〉
 を有していたことである。猿御前と猿一族が使う術がそれである。

 この日集まった門人と、後世に伝わった流派等を列記すると、慈三の左手に座した者から順に、
 中条兵庫頭(念流十四哲。中条流。ただし、実際は名代として甲斐豊前守)
 二階堂右馬助(念流十四哲。二階堂流)
 沼田法師(念流十四哲。丹石流)
 堀北豊前守(念流十四哲。ただし、流派は伝わっていない)
 四宮禅正左衛門(念流十四哲。ただし、流派は伝わっていない)
 浄阿弥
 の五人。慈三の右手に座した者が順に、
 畠山駿河守(念流十四哲。ただし、流派は伝わっていない)
 土岐近江守(念流十四哲。ただし、流派は伝わっていない)
 堤宝山(念流十四哲。宝山流)
 潮肥後守(念流十四哲。ただし、流派は伝わっていない)
 猿御前(念流十四哲。陰の流れ)
 念道
 の五人であった。
 これに首座慈三の念首座流がある。むろん、慈三も念流十四哲の一人である。
 ちなみに他の十四哲を列記すると、甲斐筑前守(甲斐豊前守の叔父、すでに死亡)、京極民部少輔(すでに死亡)、畠山古泉(畠山駿河守の祖父、すでに死亡)である。

「さて、諸兄にお集まりいただいたのは他でもない。我が一門にとって帰趨を左右する大事が起きたからじゃ」
 全員の着座を確認して、慈三はおもむろに口を開いた。慈三もすでに齢六十を越している。
 僧籍にあるため剃髪しているが、伸ばした顎髭は真っ白であった。枯淡の域に達し、身もまた枯れ枝のように細い。
 だが、ひとたび剣をとると、居並ぶ弟子中随一の技量を誇ってもいたのである。

「まず拙僧が、念流の大事を申し述べる前に、諸兄に引き合わせたい人物が居る」
 慈三はもったいぶるように言って、手を大きく二回叩いた。
 拍手に応ずるかように、慈三の正面の戸が開かれた。縁に一人の人物が座っている。その人物は、
「お初にお目にかかり申す」
 と、恭しく挨拶した。

 白の直垂に黒の野袴、髪を茶筅に結っている。左に腰刀と尺八を置いてあった。いわゆる暮露(ぼろ)の装束である。
 暮露とは、ぼろぼろ、ぼろん、梵論字ともいい、諸国を巡歴する宗教者である。諸国を経巡るだけなら時宗の徒とかわらないが、彼らと違い布教する宗教を持たず、仏法一般を欺く者を打ち殺すという荒っぽさが特徴だった。
 そのため、評判はあまり芳しくない。後世、虚無僧の原型といわれている。
 いまここで挨拶した暮露は、柔和な笑みをたたえ、荒々しさは全く感じられなかった。人品も卑しくはない。年齢は四十前後くらいであろうか。

(何者?)
 皆が一様に疑念を抱いた頃、その胸の内を見透かしたように、暮露装束の男は、おもむろに一礼して名乗った。
「身は楠木二郎正勝と申す」
「なに!」
 一座に軽い驚きが走った。

 楠木正勝といえば、南北朝期の名将楠木正成の孫である。そのうえ、南北朝合一にも係わらず、その後一貫して遺族を擁し、南朝再興を志している人物であった。
(まさか、南朝遺臣に力を貸そうというのではあるまいか)
 念道は思わず緊張した。
 見回せば、一座の者も皆一様に表情が堅くなっている。

「念流の皆様に申し上げる。わが南朝のために、一臂の力をお貸し願いたい」
 正勝は皆の胸の内を掌に指すようにあっさりと言ってのけた。
(やはり!)
 念道と同じく無言で頷く者がいる。座の空気はさらに堅くなった。
「はっはっは。いきなりの結びでは、分かるものも分かるまい。少し注釈が必要であろう。時は十分にある。正勝どの、筋を立ててご説明願おうかの」
 慈三が鷹揚に言った。
「これはいかい失礼を申し上げたようでござる。それでは・・・・」
 と言って、正勝が話したあらましは次のようなものであった。
 だが、それは確かに念流一門の帰趨を左右する重大な内容だったのである。


二 念大慈恩の誓紙

「身は南朝復興を志しておりまする」
 楠木正勝は、ゆっくりと話し出した。
 南朝とは、いうまでもなく後醍醐帝が足利尊氏に京を追われ、奈良吉野に立てた朝廷のことである。延元元年(北朝では建武三年)十二月のことで、その後、代を重ね、五代目の後亀山帝の代に至る。
 足利氏も三代目の将軍義満の時代になっていた。

 義満は次の二つの条件を持って、南帝後亀山が北帝後小松に帝位を譲るよう交渉した。 一、帝位は北朝(持明院統系という)と南朝(大覚寺統系という)から交互に立てること。
 二、全国の国衙領荘園は持明院統系が継承し、長講堂領荘園は大覚寺統系が継承すること。
 南朝に味方する武士が少なくなっていた後亀山帝は了承し、元中九年(北朝では明徳三年)閏十月に南北朝の統一が成った。

 だがそれは、義満の謀略であった。義満はいったん戻った皇位を大覚寺統系に譲る気は無かったのである。
 義満の意思は子の義持に受け継がれた。後小松帝の薨去に際して、皇統は子の称光帝に受け継がれたが、大覚寺統系は一顧だにされなかった。

 ここにきて、南朝に心を寄せる人々もようやくにして、義満に欺かれたことを覚ったが、すでに吉野を出て京に返った南朝に力は残されていなかった。
 いったん解体された組織が、かつての力を取り戻すのは、ほとんど不可能といって良い。後亀山帝の血を引く皇子達が、何度か吉野へ走って決起したが、結局、南朝を再興するまでには至らなかった。

 それでも、南朝復興を志す人々は不屈であった。後に続く人物がいたのである。彼等のことを後世、
〈後南朝〉
 と呼ぶ。楠木正勝はその一人である。いや中心人物といって良かった。
(そういえば・・・・)
 念道は思い出したことがある。楠木正勝といえば、足利義満の頃から南朝再興に動いていた人物で、記憶に間違いがなければ、すでにかなりの高齢なはずである。

 改めて念道は、滔々と自説を語る正勝を見た。どうみても四十前後にしか見えない。
(はて・・・・?)
 念道は首を傾げた。
 その正勝の話は、長く、退屈であった。すでに参会者の誰もが知っていることである。 座は首座の手前沈黙を保っていたが、すでに白々としたものが濃く漂っている。欠伸をかみ殺している者、ゆっくりと船を漕いでいる者もいた。
「南朝が復興できないのは、なぜでござろうか?」
 そんな雰囲気を察したのだろうか。正勝はひときわ声を大きくして、突然問うた。

「・・・・」
 座は白けており、格別の動きは現れない。
 一渡り座を見渡して、反応の無いのに諦めたのか、
「強力な武力がないこと。足利幕府の勢いが強く、権勢に揺るぎがないこと」
 と、正勝は自明のことを言った。
「だが、時代(とき)が変わり申した」
 一呼吸おいて、再び正勝は、大きな声をあげた。
「さしもの足利幕府も義満どの、義持どのと代を重ね、土台に弛みが生じており申す」
 それが、京都の足利将軍家と鎌倉公方家との確執だというのである。

 鎌倉公方家とは、将軍足利義持の一族で、当主を足利持氏という。関東、奥羽を治めていた。
「鎌倉の持氏どのは、先年京都御扶持衆筆頭山入与義どのを謀殺したばかりか、同じく御扶持衆の小栗、宇都宮を続けて滅ぼしました」

 山入与義は、念道の実の父である。その名がこの場で出たことに不快な感じをもったが、
「まて。そのことは鎌倉から詫びが入って収まったはず。そのうえ、持氏公は義持公の猶子になりたいと請うほど、今や二人の仲は良い」
 畠山駿河守が口を出したことから、念道はその感情を抑えた。

 ちなみに、京都御扶持衆とは、関東の国人でありながら、直接京の足利将軍に従う者をいう。
 駿河守も齡六十を越している。若い頃は足利義満の奉公衆だった人物である。そのうえ、管領として幕府に重きをなしている畠山満家の一族でもあった。
 京と鎌倉を巡る政治的な情報は正確である。平素は温厚な人柄で知られているが、さすがに正勝の言にたまらず口を開いた、という感じであった。

「確かに持氏どのは、将軍義持どのの猶子になりたいと請われました。さりながら、これは義量どの亡き後、実子のない義持どのの後継者、つまり次期将軍位を望んでのことでござりまする」
 鎌倉公方持氏には、京都に上って将軍となりたいという野望がある。
「それは隠れもない天下周知の事実でござる」
「う・・・・む」
 正勝の言に、駿河守も肯かざるをえなかった。確かに巷では、誰憚ることなく語られていることである。
「それはまた、祖父氏満公以来、代々の鎌倉公方の悲願でもござる」
 義持には早世した義量以外に子はない。義持の四人の弟たちはいずれも出家して僧籍にあった。

 出家するということは、現世を捨てるということである。現世と関わりを持たず、ただひたすらに御仏に仕えるということで、だからこそ、
 ――自分こそ次代の将軍位を継承するに最も適している。
 と広言している、と正勝は言った。

「幕府の宿老たちは、難色を示している」
 持氏は嫌われていると、駿河守は暗に言った。
「それを持氏どのも承知ゆえ、猶子となったのではござらぬか」
 無用の対立を収めた、ということであろう。
「確かに表面上(うわべ)はうまくいっているかに見えましょう。さりながら、内実は、京と鎌倉は一触即発の体でござるゆえ、いつ衝突するとも限りませぬ。否、むしろ、それを利用しない手はないではありまぬか」
 正勝は得意げに言った。さながら、軍略を説く大軍師の如き滑らかな弁舌である。

「京と鎌倉を戦わせ、その混乱に乗じて南朝を再興し、京都(みやこ)に大覚寺統系の御門を擁立いたす」
「謀反ではないか!」
「痴れ者め」
「乱を起こす気か」
 座が一瞬にしてざわめいた。それは途方もない計画である。野望と言ってよい。

 確かに歴代有力な武力を持たぬ南朝は、足利氏の内紛を利用して生き延びてきた。だがそれは、吉野に南朝あってのことである。
 座の中には、かつての北朝(現在の朝廷)、幕府に仕えて重きをなした人物がいる。駿河守一人だけではない。

「戯言を言うでない。すでに王統は収まったのだ。南朝に皇位を継げるお方はおられぬ」「小倉宮さまが嵯峨におわしまする」
 駿河守が異論が唱えると、すぐさま正勝が応じた。

 小倉宮とは良仁親王のことである。後亀山天皇の孫にあたる人物で、今は洛西嵯峨の小倉山の仮御所で、ひたすら次の皇位継承を待ち望む生活を送っていた。
「南朝復興のお気持ちは何人にも劣らず、かつまた英明にあらせられる。まことに王位にふさわしいお方でありまする」
 確かに小倉宮の評判はよい。それゆえに幕府の厳重な監視下にあるはずである。

「さればでござる。幕府の監視を破って、宮を伊勢にお迎えする助力をお願いしたいのでござる。さらには、宮の身辺にあって幕府の刺客からお守り願いたいのでござる」
 念流という剣の道を究めた一流の兵法仁たちが、宮を警護すれば、安心これに過ぎるものはない、と正勝は持ち上げた。
「何を世迷い事を申す。何故我らが小倉宮を警護しなければならぬ。我らは剣の道に生きる者。剣を政事に使うとはもってのほか。楠木正勝とやら。もう良い。退れ」
 駿河守から激しい叱声が飛んだ。怒りで身体が震えている。温厚な駿河守には珍しいことだった。

「何が南朝じゃ。我らがなぜ南朝に力を貸さねばならぬ。そのような道理は何一つない。首座も首座じゃ。このようなつまらぬ話に『念流の大事ゆえ急ぎ参集せよ』とは何事ぞ」 怒りは慈三にも向けられた。
 駿河守の怒りの言葉に、ほとんどの者が肯いている。
「畠山どのがお怒りになるのはごもっとも。さりながら、もうしばらくご辛抱願いたい。正勝どの、肝心なところが抜けておるぞ。ちゃんと説明しなされ」
 慈三の言に、正勝が軽く辞儀を返した。

「これはまた、再度の失礼。お詫びの申し上げようもござりませぬ。さればでござる・・・・」
 再び頭をあげた正勝は、おもむろにその先を話し始めた。
「念大慈恩和尚は、我ら南朝にお力を賜ることを約束いたされました」
「なんと!」
「馬鹿な」
「あり得ぬことじゃ」
 再び座にどよめきが走る。

 正勝はそんな光景をむしろ楽しむように見渡して、
「すぐる正平二十四年(南北朝時代のため北朝では応安二年)、慈恩和尚が、まだ相馬義元どのとお名乗りの頃のこと、父君の敵討ちを見事果たされたときでござります。一臂のお力添えをした我ら南朝に『困ったことがあったらいつなん時でも申し出られよ。七度生まれ変わってもご恩に報いるであろう』と申されたのです」
「・・・・」
 座が水をうったようにしいんと静まり返った。

(おかしい)
 正勝の話を聞きながら、念道はある疑念にとらわれていた。
 すでに五十年以上も前の話である。念大慈恩の仇討ちに、南朝が力を貸したかどうかは誰も知らない。皆、相馬義元から出家して念大慈恩になってからの弟子なのである。
 そのうえ、師慈恩は、自らの仇討ちのことを他人には語りたがらなかった。唯一、弟子中最も古い慈三が、かろうじてその辺りのことを知っていようか。

 今日欠座の樋口太郎とともに、念道は慈恩最晩年の弟子である。師とともに十有余年を旅に暮らした。
 ――剣を学ぶことは、すなわち生きること。
 と、説く慈恩の教えを、最も身近にいて体得した一人である。

 師と共に歩いた十有余年は、むしろ本来の修行僧のような生活であった。草を枕とし、露に濡れ、滝に打たれ、座禅を組み、限りなく問答を繰り返した。剣の型や組立ちの教授など、数えるほどしかなかった。
 その修行を通じ、念道の気は澄み渡り、感覚は研ぎ澄まされていった。五体が剣に一体化したといってよい。そして、ついに念道も悟達の境地に至ったのである。

 その間、師は自らの生い立ちを語ることはなかった。ただ師慈恩は、確かに時に応じて南朝(統一後は復興を志す人たち)に力を貸していたのは事実である。
 だが、南朝への力添えを弟子に強いたことなど一度もなかった。もし、正勝の言うことが事実とすれば、何かの折りに話題にのぼっても良いはずである。
 念道は慈恩から南朝との関係を幾度となく聞いたが、正勝の言うような話はついぞ言の葉に上った試しがなかったのである。

 それは他の弟子も同様であったと見えて、皆一様に首を傾げている。
「皆様方のお疑いもごもっとも。さりながら、これをご覧じろ。慈恩和尚の誓紙にござります」
 正勝は懐から袱紗の包みを取り出すと、目の高さまで持ち上げて恭しく一礼した。

 そして、包みを解いて巻紙を取り出すと、もう一度恭しく一礼し、左の念道にそれを渡した。
 今は巻かれているが、元は畳まれていたのだろう、真ん中に折り跡があった。
 念道はそれを受け取ると、正面の慈三に渡すべく腰をあげた。と、
「あいや念道どの。拙僧はすでに拝見しておる。まずは中条どのへ」
 やんわりと制止した。

 やむなく念道は、中条兵庫頭の名代の甲斐豊前守へそれを渡す。
 豊前守は巻紙を解きながらすばやく目を走らせた。そこには確かに念大慈恩が、南朝に危難が生じて、助力が欲しいときは、いつでも弟子を含めて力を貸す旨が達筆な筆使いで記されてあった。読み終わると、隣の二階堂右馬助へ手渡した。

「ただ今、ご披見中の誓紙はまさしく念大慈恩和尚の筆にござります」
 念を押すように正勝が言った。
 誓紙は弟子の間を順に巡り、最後に念道のもとに戻ってきた。
 念道はじっくりと読んだ。それは間違いなく熊野誓紙に書かれた慈恩の筆跡であった。思わず懐かしさが溢れた。
「拙僧も初めは信じられなんだ。だが、その筆跡は紛うかたなく懐かしき師のもの」
 慈三はいったん言葉を切って、
「実はのう。その誓紙は先年、この浪合の近く、大河原の地で不幸な最後を遂げられた尹良(ただなが)親王が所持しておられたのじゃ」
 と、悲痛な声で続けた。
「!・・・・」
 またも座に驚きが走った。今度は無言である分、その衝撃の大きさが察せられた。

 尹良親王とは後醍醐帝の第八皇子宗良親王の子である。
 宗良親王は三河、信濃国の南朝勢力を糾合しようとした。親王が信濃宮または信州大王と呼ばれるのはそのためだが、その志は果たせず、子の尹良親王に託された。
 宗良親王の思いは、時の流れの中で困難を極めた。
「尹良親王は、父宮の悲願を達成すべく、意を決して我ら念流一門を頼ろうと、浪合の里へ向かっておられた」
 長福寺を目指したのだが、直前で、土地の野武士駒場小次郎、飯田太郎の奇襲に合って一人残らず討ち死にしてしまったという。応永三十一年八月十五日のことである。

「それがしも初めは信じられませなんだ。しかしながら、尹良親王の御遺骸に接し、そのことを思い知らぬわけには参りませなんだ」
 正勝が絞り出すような悲痛な声で後を引き取った。
「さりながら、それは事実でござった。長福寺で慈三和尚と埋葬の支度をしているとき、尹良親王の直垂の襟裏に縫いつけられてありましたその誓紙を発見したのでござります。なにとぞ、なにとぞ、尹良親王のご無念を思い、我らにお力を、お力をお貸し願いたまえ」
 正勝はほとんど泣き出していた。なにとぞ、と、お力を、を二度強調した。

 念道が誓紙を正勝に返すの見て、慈三が口を開く。
「いかがでござろう、諸兄のご存念は。誓紙のことはとりあえず置くとして、窮鳥も懐に入らば猟師もこれを何とやら。さりながら、事は重大でござろう。足利の天下を敵に回すと言うことは、間違えば念流一門の絶滅もあり得ること。そのため、拙僧一人では決めあぐねて、こうしてご参集いただいた次第じゃ。むろん、お力をお貸しせぬ事も有りじゃ。誓紙はあくまでも師が認めたもの」
「その場合、我ら念流一門の信義が問われることとなるのでは?」
 末座から浄阿弥が問うた。

 浄阿弥は齡五十を過ぎた寡黙な人物である。健脚が自慢で、いまでも時宗の徒として諸国を流離っている。だが、僧籍に入る前の名は浅香荘左衛門といい、歴とした武者だった。
「いかにも」
 慈三が強い声音で断定した。
「誓紙の真贋はいかに?」
 これは堤宝山の質問である。宝山は齡五十を越したいかつい体つきの人物である。

「ご覧じていかがでござったな」
「十のうち九は、師の筆になるものと見て間違いはあるまい」
「ううむ」
 慈三の断定に、皆一様に考え込む。
 それはそうであろう。南北朝統一後の南朝遺臣の動きはほとんど蟷螂の斧に等しい。遺臣が事を起こしても足利の天下が揺らぐことはないだろう。そのうえ、下手をしたら念流一門も全滅を免れない。
 だが、誓紙が本物であれば、約束を破った念流一門は皆地獄に堕ちねばならない。誓紙の力が絶対視されていた時代である。
 まして、僧籍にある者は率先して守らねばならない。それは人間(ひと)としての信義に係わる問題なのである。

 信義なくして師弟の関係は成り立たない。噂が広まれば念流の存在そのものが問われることとなる。
 我が国の剣門刀派武林の世界で、念流の声望はいっきに地に堕ちることとなるだろう。いずれにしても、確かに念流一門の大事であることにかわりはなかった。
 日はすでに落ち、辺りには暮色が濃く漂っている。
 小坊主が灯りを点じて出て行った。


三 南朝合力

沈鬱な空気を破るように、
「正勝どのとやら。先ほど京と鎌倉の公方を戦わすと申されたが、その動きはいかに」
 甲斐豊前守が問うた。

 豊前守は齡四十を過ぎた人物で、室町幕府の管領斯波家の被官である。叔父の甲斐筑前守は、慈恩の高弟で念流十四哲の一人でもあった。
 始め叔父について剣を習っていた豊前守は、筑前守が非業の死を遂げたとき、まだ修行の途中であった。
 そのため、師伯(叔父弟子)にあたる中条兵庫頭の弟子となって兵法を学んでいる。この流派は、後に甲斐氏の領地である越前を中心として北陸地方で栄えることとなる。富田勢源で名高い富田流がこの流れである。

「すでに一触即発の状態でござるが、その策は、今ここでは申し上げられませぬ」
「さもありなん。うわべはともかく、確かに持氏どのは義持どのに不信感を抱いておられる。それは紛うことなき事実」
 二階堂右馬助が口を開いた。
 右馬助は鎌倉府の政所執事を勤める二階堂氏の一族である。正勝が策の披露を控えたのもむべなることではあった
「関東ではすでに至る所で争乱が起きており申す。このままいくと再び天下が動くこととなりましょう」
 念道も己の思いを述べた。

 応永二十三年の上杉禅秀の乱以来、関東の野に戦の絶えたことはない。
 念道の父山入与義さえも、禅秀の乱を鎮めて自信を得た足利持氏に殺されている。関東の戦乱は、持氏が京都御扶持衆を次々と討伐することによって引き起こされているといってよい。
 幕府が静観しているのは解せないところだが、
(いつか京と鎌倉の戦端は開かれるのではないか)
 という危惧は、念道にもある。今は見せかけの静謐であるといってよい。

 右馬助と念道の言を聞いて、
「あり得ぬ。京と鎌倉は和解されたのだ」
 と畠山駿河守が、憤慨したように呟いた。
「小倉宮とはいかなる人物であろうか」
 念道の問いに全員が口をつぐんだ。誰も会ったことがない。
「仮に宮が京を脱けて伊勢に至ろうと、神器は何とする。三種の神器なくば皇統の正当性は保てまいに」
 これはおばばの言である。

 三種の神器とは、
 八咫鏡(やたのかがみ、神鏡)
 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま、神璽)
 草薙剣(くさなぎのつるぎ、神剣)
 のことをいう。古来、皇位の証とされ、代々の帝が継承してきたものである。

「はっはっは。みなさまの疑念はごもっとも。だが、これをご覧じろ」
 正勝は高らかに笑うと、後ろから長細い桐の箱を出した。
 そして、恭しく一礼すると、蓋を開けて中から一振りの太刀を取り出した。
「これこそ、三種の神器の一つ、草薙剣でござります」
「なんと!」
 またも一座がざわめいた。

 正勝の言うところによると、後亀山帝が、南北朝合一の際に、万一の違約をおそれて、側近の一人に密かに隠させたものだという。
「では、京にある神器のうち神剣は偽物だといわれるか」
「いかにも。ご不審なら、この太刀、とくと改めてご覧じろ」
 正勝は確信を込めてそう断定し、再び近くの念道に太刀を渡した。
 念道が慈三に渡そうとすると、
「念道どのからよくご覧じてお回しあれ」
 と、指示された。

 念道は改めて太刀を見た。それは確かに歴史を感じさせる剣であった。
 反りのない直刀で、柄も柄頭も金で誂えてあったが、歳月のためか輝きが失われている。
 だが、わずかに剣を抜くと、刀身は見事に磨き上げられていた。蝋燭の明かりでありながら、刀身がきらりと鋭い光を放ってくる。

 全部を抜くのが躊躇われて、念道はそのまま元に戻すと、隣のおばばに渡した。
「これが噂に聞く草薙剣かい」
 渡されたおばばもその見事な造作に唸っている。
 念道も草薙の剣を初めて見たが、それは今まで見てきた古刀の類ではなかった。ひときわりっぱなその太刀は、紛うことなく本物の草薙剣だと思われた。

 神剣が一回りして念道のところに戻ってきた。座は沈黙が支配している。誰もがみな一様に沈思黙考しており、一人正勝のみ微笑みを浮かべて座を見回していた。
 念道が神剣を正勝に戻そうとしたとき、
「それがしはお断り申す。たとえ念大師父の約束があるとは申せ、我ら畠山家は足利将軍家の家人じゃ。仮にこの剣が本物であったとしても、すでに三種の神器は、内裏深く秘蔵され、庶人が見ることはあたわぬ。いまさら本物だというて何の益がある」
 畠山駿河守が意を決したように言った。
 二階堂右馬助も、「いかにも」と、言って大きく顎を引いた。

「亡き念大慈恩和尚も南朝の皇位実現を草場の陰で祈っておられましょうぞ」
 すかさず正勝が反論すると、
「馬鹿な。そのために京と鎌倉が戦をするなど・・・・」
「いかにも」
 駿河守と右馬助が激しく否定した。
 だが、その他の高弟たちは一様に黙している。
 憂色が濃い。皆一様に事の重大さゆえに意を決しかねていた。

「諸兄、いかがでござろう。これは我ら念流一門の浮沈にも関わること。ここからしばらくは余人を交えず、我ら念流一門で合議しては」
 たまりかねて、念道が口を開いた。
「おお、そうじゃ。念道どのの申すことは道理」
 同調の声が続く。
「諸兄のご意見あい分かり申した。正勝どの、暫時座をはずしてくださらぬか」
 やがて、慈三がまとめるように言った。
「吉報を期待しておりまする」
 そう言って、正勝は深々と一礼すると座を立った。後には念流一門だけが残った。が、場には一様に重苦しい雰囲気が漂っている。

「いまさら南朝の再興などあり得ぬ。師父の約定は、南北一統前のこと。すでに約定は消えておろう」
 駿河守がおもむろに口を開いた。その主張は一貫している。
「しかしながら、師の誓紙がある。それに、義侠は我らが師の教え。無碍に断るのはいかがなものか」
 慈三が沈痛な面持ちで言った。
 座は再び沈黙した。
「よろしゅうござるか」
 その沈黙を破るように念道が、座を見回しながら言った。
 皆の目がいっせいに念道に注がれた。

「いかに我ら念流一門が力を貸すとはいえ、いきなりこの場で合戦支度もならぬこと。ここは今少し天下の動きを探りながら、我ら一門の向かうところを決せられては・・・・」
 その視線を感じながら、念道が思うところを述べた。
「『天下の動きを探りながら』とはいかなる意味か」
 すかさず、駿河守から問いがきた。
「いくら誓紙があろうとも、この時勢でいきなり南朝に合力というわけには参りませぬ。さりながら、誓紙が有る以上無碍にも出来かねまする。ここは京と鎌倉で両公方の動きを探りつつ、合わせて南朝遺臣の実力のほどを見極めながら、念流一門の進むべき道を決せられては」
「実父を持氏どのに殺された念道どのに恨みはござらぬのか」
「すでに仏門に入った身。恩讐は越えてござります」
「うむ、さすが念道どの。冷静な考えじゃ。では、正勝どのにはこのままお帰りいただくかの」

 元来が南朝遺臣への合力を嫌っている駿河守である。念道とのやりとりですぐに結論を出そうとすると、
「しばらくお待ちあれ。小倉宮さまの警護はいかがされる。それも断るか。正勝どのは合戦への合力だけを求めているわけではなかろう」
 これは浄阿弥の言である。
「確かに・・・・」
 またも座に重苦しい空気が漂い始めた頃、その空気を破るように、
「その役目、ばばが引き受けよう」
 合議が始まってから、初めて猿御前が口を開いた。
 齡八十を超すと言われている老婆だが、声音は案外にはっきりとしていて若々しい。

「ばばは〈陰の流れ〉を受け継いでおり申すでの。このようなときに都合がよろしいわい。ばばの配下を使い申そう」
 猿御前は「忍びの術」を伝えるただ一人の弟子である。
「配下の者に、陰ながら小倉宮の身辺を警護させようかいの。ついでに宮の器量を、ばばが見極めようぞ」
「おばばどの。火急の大事が出来いたしました」
 外から大音で呼ばわる者がある。声からして猿御前の一番弟子大猿大軒と思われた。
 いま、部屋の中は念大慈恩の直弟子のみでの合議である。それ以外の者は遠ざけてある。

 猿御前が座を見渡して、それから慈三を見た。慈三が頷くのを見て、
「入れ」
 と、重々しく言った。
「ご無礼仕る」
 そう言って、縁に上って戸を開けたのは、三十歳過ぎと思われるがっしりとした体躯の男だった。眉毛が異様に太いのが特徴である。
 大猿は猿御前の近くに寄ると、何事かを耳打ちした。
「なんと!」
 猿御前の細い目が、一瞬大きく見開かれた。
 大猿に退がるように命じた猿御前は、座に居並ぶ人々の顔をざっと一渡り見渡した。
「いかがいたしたのだ。おばばどの」
 慈三の疑問の声が飛ぶ。

 猿御前は、大猿が退出したのを見届けて、
「実はのう。この中にお師匠の弟子になりすました偽物が混じっておるぞい。そやつは幕府の間者よ」
「なにっ!」
 居並ぶ一同が、皆一様に驚きさざめいた。隣の人物と顔を見合わせて、
「おばばどの。何ゆえを持ってそのようなことを」
 浄阿弥の声には、怒気がこもっている。
「ここに居るのは、みな師父の弟子に間違いないように思われるが。確かに甲斐どのは中条兵庫頭どのの名代ではあるが。まさか、甲斐どのが?」
 慈三も不可解な面持ちで続けた。それを聞いた甲斐豊前守が、
「確かにそれがしは、幕府に仕える斯波家の家臣。だが、間者呼ばわりは許せぬ」
 毅然として言った。
「わしとて同じよ」
 これは畠山駿河守の言である。

 猿御前は、二人の言葉を無視するように、
「ふふ。ようも化けたものじゃ。大猿からの知らせがなくば、このおばばもあやうく騙されるところじゃったわい」
「誰のことじゃ!」
 二階堂右馬助が叫んだ。右馬助も鎌倉府とはいえ足利家の家臣である。
「おのし、何者じゃ」
 おばばは四宮弾正左衛門を指さした。いっせいに皆の目が弾正左衛門に注がれた。


四 間者

「ばれたか」
 四宮弾正左衛門は薄笑いを浮かべると、傍らの太刀を手に取り、そのまま勢いよく跳躍して正面の戸を蹴破ると、縁側で一回転して庭に出た。
「逃がすな」
 叫びざま、皆がいっせいに自らの得物をとると、偽の禅正左衛門を追って、縁に出た。 すでに陽は落ちていたが、外は闇夜ではなかった。東の空に満月が煌々と照り映えている。星も降るような光を投げていた。

 真っ先に、庭に下りて斬りつけたのは堤宝山である。だが、弾正左衛門は手にした太刀を抜いて、がっきと受けた。
「これ、誰か。灯を、灯を持て」
 慈三が庫裡の方を向いて声高に叫んだ。
 すぐに手燭を持った僧たちが、ばたばたと縁側に現れた。庭が一気に明るくなった。
 異常を覚った他の僧たちが、それぞれに得物を掴んで偽の弾正左衛門に向かっていった。
 だが、弾正左衛門の動きに乱れは生じない。宝山と次々に襲い来る僧たちの攻撃を巧みに捌いていた。

「邪魔だ。引け」
 たまらず沼田法師が僧たちに声をかけた。
「待て!」
 宝山に続いて打ち掛かろうとする沼田法師を念道が止めた。
 今までの動きを見ていて、偽の弾正左衛門の腕が並ではないと思ったのだ。闇雲に打ち掛かっては取り逃がしてしまうかも知れない。できうれば、生きて捕らえて、何の目的で忍び込んだのか問い質したい。
「構わぬ。一人ではないか」
 念道の思いを知ってか知らずか、沼田法師は他の高弟たちを促して、剣戟の輪に飛び込んでいった。

 念大慈恩の高弟が、代わる代わる打ち込んでも偽の弾正左衛門の息は乱れない。捕らえるどころではなく、下手をすると掛かっている高弟の方が負傷する危険さえある。
「ううむ。強い。これほどとは」
 念道が思わず唸ったとき、
「藤次、帰るぞ」
 という大音と共に、寺の屋根に一人の人物が現れた。
「おお。天狗だ!」
 僧たちからどよめきが起こった。
 縁側にいた高弟達も一斉に庭に出た。
「人じゃ。迷うな!」
 おばばが制した。
 屋根に現れた人物は、修験者の装束に天狗の面を着けていたのである。手に草薙剣を持っている。
「おっ。神剣が・・・・」
 念道が叫んだとき、庭では右馬助の剣をかわした偽弾正左衛門の姿が変わった。

 偽弾正左衛門の顔から、薄い膜をはがすようにして現れたその顔は、鼻筋の通った白皙の若者であった。
「祇園藤次!」
 その顔を見て、畠山駿河守が叫んだ。その人物こそ、京八流の若き天才剣士と名高い祇園藤次であった。
 藤次は、四宮弾正左衛門の衣服を脱ぎ捨てると、
「念流の方々、いずれまた会いましょうぞ」
 涼しげに言い置いて、長福寺の塀に飛び上がると、そのままさらに跳躍して天狗の面の人物の隣に立った。

「ははは。さらば」
 二人の姿はそのまま屋根の上から消えた、ように見えた。
「凧じゃ」
 おばばが吐き捨てるように言った。
 二人は大凧から伸びた綱を掴んでいたのである。
「軒猿!」
 おばばが叫ぶ。
 おう、と応えが返ってきて、一挺の斧がくるくると輪を描きながら、凧に向かって飛んだ。

 狙いは過たず、凧を操っている太綱をぶつりと断ち切った。
 さらに念道達が注視していると、太綱を切られた大凧は夜風を受けて、大きく旋回しながら遠ざかっていった。
 藤次と天狗面の修験者は、大凧から離れるように、松沢山の方へ消えていった。
「おのれ。逃がさぬぞ」
 憂わしげな顔つきの潮肥後守が追おうとするのを、
「あいや諸兄、しばらく」
 本堂の方から慈三が止めた。

「ほっほっ。その必要はないぞい。すでに、大猿と軒猿が、二人の後を追っておるわい」 庭でおばばが、曲がった腰を揺らせて笑っていた。
「しかし、草薙剣が・・・・」
 さらに懸念を示す肥後守に、
「いかにも。神剣を奪われて何となさる。念流の名が泣きましょうぞ」
 怒声を発して楠木正勝が現れた。
「この不始末、念流の方々におかれては、いかに責任をとるおつもりか」
 正勝の怒声はさらに激しくなった。
「落ち着かれよ。諸兄もひとまず中へ」
 慈三が取りなすように大広間へ皆を導いた。

 一同は再び本堂の座に戻った。弾正左衛門の座だけが空いている。
「天狗の面をつけた人物は、おそらく酒生坊叡忍であろう」
 畠山駿河守が断定した。
「だが、我ら念流一門と京八流との間に遺恨はないはず」
 甲斐豊前守の言に一同が頷いた。
「何故に祇園藤次と叡忍が・・・・」

 この時代、剣術の流派は大きく三つあった。剣門といい、刀派ともいい、武林ともいう。
 源義経以来の剣の術を伝える京八流と武甕槌神と経津主神を祭り、太古から剣技を伝え、板東七家と言われる鹿島、香取の両神宮の神官たち。
 そして慈恩のもとに集まった念流の一門である。三派は互いに争わず共生の道を選んできたはずであった。

「京八流は室町に幕府を置く足利氏と縁が深い。特に義持どのは、吉岡憲房に奉公衆の兵法指南を任せたと聞いたぞ」
 奉公衆とは将軍に近侍し、その身を守ることを任務とする。吉岡憲房もまた京八流の高名な剣士だった。
「その通り」
 堤宝山の言に畠山駿河守が大きな声で肯定した。
「我ら念流は、いままで京八流と事を構えるのを避けてきたのだが・・・・」
「もう良い。祇園藤次に今日の話を聞かれ、叡忍坊主に草薙の剣を持ち去られたは我らの手落ち。このままでは、我らは幕府を敵に回すこととなる」
「そもそも、何故に祇園藤次は、四宮弾正左衛門に化けて、我らの元に忍び込んだのか」「幕府に命じられたからではないのか」
「ううむ。否応なく南北朝の政争に巻き込まれたというわけか」
 各自の憶測も飛んで、座は喧しい。

「かくなるうえは、諸兄。我らも性根を据えてこれからの事を決めようではないか」
 やがて、慈三が厳かに宣するように言った。
「なれば。楠木どのに力を貸し南朝再興を目指しましょうぞ。それがお師匠の志にも叶うこと。京八流など何ほどのことがある」
 沼田法師が腕を鳴らすように言った。
「お待ちあれ。我らが南朝に手を貸すとは早計の至り。先ほどの衆議でもそのようには決しておりませぬ」
「手ぬるい。すでに、祇園藤次を通じて、我らの動きは幕府の知るところであろう」
 念道はあくまでも慎重である。だが沼田法師は、血気に逸っていた。

「身供も念道どのに賛成でござる。我ら一族は斯波氏の被官でもござる」
「我が家も足利氏の家人。軽々な行動はできぬ」
 甲斐豊前守に続いて畠山駿河守も反対した。
「だが、草薙剣はどうする。我らの不注意で祇園藤次たちに奪われてしまったのだぞ」
「いかにも。念流のみなさまゆえ御披見した神剣。それを奪われるとはなんたる不注意」 浄阿弥の言に続いて、正勝が非難するように言った。
「神剣を持ってきたはその方の勝手。我らが守るいわれはない。まして奪還など」
 駿河守が激しく反論した。
 そのときおばばが、
「戻ったようじゃな」
 と言った。

 おばばが立って再び戸を開けて縁に立った。庭に大猿大軒が控えていた。
「どうじゃった。首尾は?」
「申し訳ござらぬ」
「不首尾かや」
「それがしは天狗面の者を追い申したが、存外に逃げ足が早く」
「逃げられたか」 
 大猿が、もう一度、「申し訳ござらぬ」と言って項垂れたが、
「されど、天狗面の者の正体は分かり申した。本山派の山伏酒生坊に間違いござらぬ」
「やはり」
 大猿の言に畠山駿河守が大きく肯いた。
「いま一人はいかがした」
「祇園藤次は、軒猿が追っておりまする」
 念道の問いに大軒が応えた。

「神剣を奪われたとあっては一大事。この不始末はいかがする」
 正勝の声が大きくなった。
「申し訳ござらぬ」
 そう言って、大猿が再び項垂れた。
(こんなところに、勝手に神剣を持ってきた、わぬしが悪いのではないか)
 と念道は思ったが、
「気にするでない。正勝どのに返しそびれ、油断した拙僧が悪いのだ」
 縁に出て、大猿を慰めるのが先だった。
「草薙剣は、拙僧が必ず取り戻す。しばらく、時をいただきたい」
 念道は正勝を顧みて言った。

 正勝は無言である。念道の言を無視したような形になって、念道が再度口を開こうとすると、
「お戻りあれ」
 慈三がおばばと念道に座に着くよう促した。
「諸兄のお考えは分かった。おばばどの、念道どののご意見を容れようではないか。当面は京と鎌倉で、双方の行方を見守り、小倉宮さまの守護に全力をあげようぞ。宮さまのことはおばばに任せてよろしいか」
 おばばと念道に座に着くと、慈三が場を閉めるように宣言した。
 全員が頷き、おばばが、
「大猿。聞いたかや。猿一族は忙しくなるぞえ」
 ほっ、ほっ、と笑い声を立てながら庭に向かって言うと、
「心得て候」
 庭の方から爽やかな声が返ってきた。

「神剣はいかが相成る」
 正勝の声には怒気が含まれている。
「拙僧が必ず取り戻すゆえ、しばらく時をいただきたい」
「いや。神剣を奪った者が酒生坊なら、本山派の山伏ゆえ必ず京に現れよう。おばばに頼んでよろしいか」
 慈三の命である。
 よかろう、とおばばが言い、
「心得申した。取り逃がしたのはそれがしゆえ、必ず取り戻しましょう」
 庭から大猿が言った。

 しかし、と渋る念道に、
「念道どのには、鎌倉を頼みたい。人がおらぬのだ」」
 慈三が言った。
「わかった」
 座を見渡して、納得した念道は、鎌倉での公方の動きを注視する役目を、やむなく引き受けた。二階堂右馬助と念道以外は、西の方の者ばかりだった。
「何かあれば、我が屋敷を訪(とぶら)われよ」
 右馬助が応じた。

「京は浄阿弥どのに任せてよろしいか」
「心得申した」
 京の幕府、朝廷、後南朝の動きは、浄阿弥を中心に探ることとなった。
 慈三は長福寺で京、鎌倉の動きを把握しつつ、念流一門の動きを決することとした。京と鎌倉と長福寺との連絡は、これも猿御前があたることとなった。
 正勝はこの決定を黙って見ていたが、衆議が決したのを見て、
「やがての念流一門の決起が目に浮かぶようでござる」
 と、遠くを見るような目で嘯いた。

 畠山駿河守の苦り切った顔と浄阿弥の笑みを浮かべた顔を見て、念道はおばばと目を合わせた。その目には、否応なく政争に巻き込まれていきそうな念流の行く末への不安が浮かんでいるように見えた。
 念道もまた同じ思いだったが、首座慈三の無表情な顔からは、その思いは窺い知ることはできなかった。
(続く)







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09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
09/20 10:55 〈助太刀兵法45〉北斎蛸踊り(7)(無料公開)
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