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風雲、念流剣 三 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2014年12月15日 16時14分の記事


【時代小説発掘】
風雲、念流剣 三 
鮨廾賚



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】: 
 時代は室町中期に入ろうとする応永の末から正長にかけて(1420年代後半)。日本最古の剣派念流の道統二代目慈三首座は、初代念大慈恩の遺言として、南朝再興(後南朝)に一門あげて味方しようとしていた。南朝再興は、本当に慈恩の意思なのか。疑問を持つ正覚庵念道(俗名山入源四郎)とその弟子高垣藤四郎は、やがて、京と鎌倉の公方、後南朝の政争に巻き込まれていく。
 本作は、全体4部作で、下記(↓)『悍馬駆ける』の続編に当たります。

悍馬駆ける

http://honto.jp/netstore/pd-book_02503654.html


【プロフィール】:
鮨廾賚此昭和33年(1958)生まれ。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、大衆文学研究会会員、歴史研究会会員、歴史時代作家クラブ会員。


これまでの作品:

風雲 念流剣 一(序章)

風雲、念流剣 二 


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【時代小説発掘】
風雲、念流剣 三 
鮨廾賚


第一部 鎌倉編

第二章 鎌倉

一 兄義郷との別れ

 常陸国の松平の里にさほど大きくない館がある。そこは正覚念道の兄掃部助義郷の館であった。

 その櫓門をくぐりながら、
「変わらぬな」
 念道は一人嘯いた。やや朽ちたりとはいえ、門も主屋も厩もかつてと少しも変わらない。
「お! 義姉上(あねうえ)」

 ちょうど義理の姉乙御前が外に出てきたところだった。
「まあまあ、よくぞお出でなされました。すっかり僧侶が身に付いて参りましたね」
 いつに変わらずに迎えてくれる。

 念道の実家は国安館である。すでに両親はなく、山入家の惣領を継いだ兄祐義が家族とともに住んでいた。
 父与義譲りの気性の激しさを持つ祐義と念道は肌が合わなかった。むしろ、気性の静かな義郷の方が念道には合った。それ以上に、義理の姉乙御前の明るく柔らかな性格が好きだった。親類縁者の中で、ただ一人敬称で呼ぶ女性(ひと)である。

 かつて源四郎と名乗っていた念道は、兵法修行のため、諸国を流浪していたことがある。その頃も、故郷に寄るときは、必ず真っ先にこの館を訪ねるのが常だった。ここに来ると、我が家に帰ったような安らぎを覚える。
「我が殿も最近は床に伏せっておりまする」

「えっ。どこかお悪いのか」
「十日ほど前から。風邪だと言うておりますが」
 乙御前は寂しそうに笑った。
 念道が正宗寺から長福寺へ旅立ったのが、二十日ほど前のことである。

 歳月は確実に過ぎていて、兄義郷もすでに六十歳、老境にあるといっていい。
 乙御前もすでに六十歳に近いはずである。昔はまるまると太って、ころころとよく笑う印象があった。今は、老いさらばえて痩せ細っている。髪も真っ白で、かつてとは雲泥の差があった。まるで別人かと見紛うほどに・・・・。
 腰が曲がり、杖なしでは歩けないようだが、鷹揚な性格は昔と変わらない。

「念道どのも亡き国安の大殿に似てこられましたなあ」
 国安の大殿とは父与義のことである。
「兄者に挨拶して参りましょう」
 苦笑しつつ、母屋に向かおうとすると、
「殿は寝所ですよ」
 と、背に声が掛かった。
「しばらくすると、藤四郎も帰って参りまする。泊まっていかれませ」
「義姉上と昔話に一花咲かせますか」
 乙御前の声に応ずると、まあ嬉しいことを、と小さな笑い声が聞こえてきた。心底から喜んでいるようだ。

「兄者。加減は如何か」
 寝所に入って、伏せっている義郷を見て、念道は息を飲んだ。起きあがるのもおっくそうだ。
 義郷の頬はこけ、目は落ち窪んでいる。風邪とは、念道に心配をかけまいとの乙御前の配慮だったようだ。
 とはいえ念道は、どこが悪いか、とは聞きかねた。
「源四郎か。よう来た」
 それでも義郷は背を起こして、気丈に言った。
 念道は、長福寺から真っ直ぐここを訪ねてきたが、それには理由(わけ)があった。

 長福寺の談合で、慈三は明らかに楠木正勝に手を貸したい風であった。それを念流一門の総意としなかったのは、幕府重臣の一族、具体的には、中条(甲斐)、畠山、土岐、二階堂の強い反対があったからである。
 まさか慈三も、あそこまで頑強に抵抗されるとは思ってもいなかったのだろう。京、鎌倉で様子を見る、というのは、慈三の取ったぎりぎりの選択であった。

 それでも、猿一族が小倉宮を警護することとなったのは、慈三や正勝にとっては大きな成果だったに違いない。
 念道が鎌倉公方を探るという命を受けたのはやむを得ないことだった。今、東国には念道と二階堂右馬助しかいない。
 慈三の命とともに、念道には調べねばならない二つの疑問がある。一つは、楠木正勝は本物かということである。伝え聞く正勝は六十を過ぎているはずなのだ。
 そしてもう一つは、師慈恩の起請文は本物か、ということである。

 念道が優先すべきは慈三の命である。一人では二つの疑問を調べることはできない。念道は弟子の藤四郎の助力を得ようと思ったのである。そのため、義郷に藤四郎を借りるための請いを入れにきたのだった。
 念道のその思いは、病床の義郷を見て、逡巡に変わっている。このまま藤四郎を借りると、今生の別れになってしまうのではないか、という危惧の方が強くなっている。
「叔父上、お見えでござったか」

 はっとして振り返ると、大きな声とともに藤四郎が部屋に入ってきた。国安の館から帰ってきたのだろう。
「おお。藤四郎」
「久しぶりでござる。正宗寺から居なくなったので心配しておりました」
「持氏どのの猶子のことはいかがであった」
 どこへ行ったのか、と問おうとする藤四郎を義郷が遮った。
 知っているか、という目で問う義郷に、念道は無言で肯いた。

「そのこと。どうやら京の公方は、持氏どのを猶子にするようですぞ」
「やはり」
 義郷が嘆息した。
「猶子ということになれば、次の公方は持氏どので決まりでしょうか?」
 藤四郎の問いに義郷も念道も答えられなかった。
「兄者はお疲れじゃ。あちらへ参ろう」
 念道は床の義郷に遠慮して、藤四郎を伴って部屋を出て行こうとした。
「念道どの」
 改まった義郷の声がした。

 怪訝に思って、念道が義郷の顔を見ると、
「藤四郎のことをお頼み申す。愚息なれどそなたの若かりし頃のように剣の道に進むと心に決めておるようじゃ。ものになるかならぬか分からぬが、よしなに」
 すがるような目が念道に向いてきた。念道に預ける、ということである。
(まさか、兄者はわしの意図を見抜いたのか)
と思ったとき、
「父上!」
 叫ぶように言って、藤四郎が義郷の枕元に座り込んだ。

「叔父上に従ってよろしゅうござるか」
 藤四郎の問いに義郷が軽く肯いた。
「老骨の頼みじゃ。側に置いてくれ」
 念道が正宗寺を出たとき、藤四郎は追って行きたかったのだ。その気持ちを義郷は理解していた。
「分かり申した。拙僧に否やはありませぬ」
「父上。ありがとうござりまする」
 念願が果たされ、藤四郎の目に涙が一筋流れた。
(兄者。すまぬ)
 念道は胸の内で頭を下げた。おそらく、藤四郎と生きて再び会うことはないだろう。それでも念道に預けてくれたのである。
 そして念道も、己を最も理解し、助力を惜しまなかった兄と再び会えないことを覚悟した。
(さらばだ、兄者。世話になった)
 念道は心の中で、密かに別れを告げた。

 藤四郎と念道が去り、義郷は目を閉じた。想念が頭のうちに蛇が鎌首をもたげるように起きあがってくる。
 弟の祐義が、鎌倉公方持氏へ従うということはあり得ない。例え、京の公方家を継ごうとも。持氏は亡き父与義の仇なのだ。
 そのうえ、持氏に従うということは、佐竹義人に従うということでもある。
 佐竹家の内紛は、同時に京の公方と鎌倉公方を巻き込んで、すでに抜き差しならないところへきている。

 義郷はそんな厳しい状況の中で、これから一族を率いてゆくことの困難さを思った。だからこそ、惣領職に綿々とせず、いまを家族とともに幸せに生きる生き方を選んだ義郷だった。ただ、我が子のことを思うと内心は複雑であった。

 嫡男義信は嫁を取り、子をなし、山入家の一方の旗頭として祐義を支えている。気がかりは次男の藤四郎であった。領地を分けてやるほどの広さはない。それに、藤四郎の性格では、兄義信の指図を受けないだろう。
 本人は剣の道に生きると覚悟を決めているようだが、その道は不安定である。しかしながら、念道を見ていると、その道も悪くないか、と義郷は思うのだった。
 源四郎と呼ばれた頃からの念道を知る義郷は、最近になって念道の生き方を理解するようになっていた。

(ならば念道に預けてみるのも選択の一つではないか)
 義郷は父親として、我が子藤四郎を念道に預けてみようと決したのである。
 こうして藤四郎を念道に預けたいま、義郷の心にかかるものは何もない。
「親父どの。わしもそろそろお側に参りましょうわい」
 義郷は父与義の顔を思い浮かべながら小さく呟いた。

 鎌倉公方持氏に欺かれて鎌倉で与義が殺されたとき、いっしょに死んでもよかったのだ。与義の無念を伝えるため生き残ったことが、負い目となって心の内にしこっていたのも事実である。
 だが、気掛りな藤四郎の身の振り方も決まった。ようやくにして義郷の心も晴れてきた。

 外では蛙がうるさく鳴いていた。


二 多恵姫の危難

 真っ青な空に柔らかな風が吹き抜けていく。
 武蔵野の丘陵に草花が風になびいて左右に揺れていた。
 板東平野は、遠くどこまでも草原が続くかと思われるほど広い。ぐるりと廻りを見回しても山嶺が視界に入ることはなかった。
 そんな広大な草地を、まるで駆け抜けるように吹き過ぎていく微風に頬をなぶらせながら、念道と藤四郎はのんびりと鎌倉への道をたどっていた。

 心地よい風を受けて、いましも一人の若い武士が栗毛の逞しい馬を疾駆させている。
「良い馬じゃな」
 念道が右手で菅の笠を持ち上げながら、ぽつりと呟いた。
「確かに。ここら辺りの領主の一族でしょうか?」
 藤四郎が受けるように答えた。
 二人は鎌倉街道下道を鎌倉へと向かっていたのである。

 藤四郎にとっては、初めて故郷の常陸国を出る旅だった。全てが新鮮である。まして、自ら慕う叔父念道の弟子として、ともに旅しているのである。目に入る全てのものが楽しく心地よい。
「お師匠。馬上での剣の使い方の要諦は何でしょうか?」
 いましも、駿馬の疾駆を見て、生真面目な藤四郎は、そんな問いを発しては念道を困らせている。
「むっ!」

 そのとき念道は殺気を感じた。見れば前方から五、六名の侍の一団が迫っていた。
「良いか。失敗(しくじる)なよ。めったに無い好機なのだ」
「おう!」
 互いにひそとした低い声音で交わし疾駆してくる。

 始め自分たちを狙っての刺客か、とも思ったのだが、一団の気が自分たちの方を向いていないことを知った念道は、無視して鎌倉への道を急いだ。
 一団が念道と藤四郎の傍らを通り過ぎた。そのとき、
「もしや・・・・」
 はっとして閃くものがあった。
「藤四郎。引き返すぞ」

 言いざま、すでに念道はもと来た道をとって返していた。
「あっ。お師匠、どうなされました?」
 藤四郎は突然の念道の行動を解しかねた。だが、ぐずぐずしていては置いて行かれてしまう。慌てて師の後を追った。

「ああっ・・・・」
 両手を高く上げて、若い武士は一つ伸びをした。
「飛竜。帰りも頼みますよ」
 傍らの栗毛の馬を手でなでる。馬は飛竜という名前のようだ。
先ほど、馬で疾駆していた若者である。声音は澄んで高い。清らかな瞳に高い鼻梁、紅顔の美少年といってよいだろう。
 それもそのはず、若い武士と見えたのは、うら若き女性であった。小袖と素襖袴姿に侍烏帽子を被ってはいるが、紛うことなく女であった。

「さて、帰るとしますか」
 多摩川の清流でのどを潤している飛竜の身体を軽く叩いた。そのとき、
――ヒヒィーン。
 突然、飛竜がいなないた。
「どうしたのです」
 怪訝に思った若い武士が、飛竜に訊ねるのと、ばらばらと五、六人の侍が取り囲むのが同時だった。
「何者!」
 若い武士は、激しい誰何の声を飛ばす。

「上杉家の多恵姫とお見受け申す。我らといっしょに来て貰おうか。大人しくすれば手荒なことはすまい」
 一団の首領と思しき人物が低い声音で言った。
 生えるに任せたような髭面の人物である。眼を負傷したのか、穴あきの永楽銭で左目を塞いでいる。
「私を上杉の者と知るからには、兄に恨みを持つ者共ですね」
 きっとなって、多恵姫と呼ばれた武士が首領と思しき人物の方を向いた。手が腰の太刀の柄にかかっている。

「いかにも。だが、姫の命まで取ろうとは言わぬ。大人しく我らとともに来てもらおう」「お断り申します。私も上杉家の者。死んでも敵の恥辱は受けませぬ」
 自分を人質にとって、兄に難題を持ちかけるのではないか、と見抜いた多恵姫は、すらりと太刀を抜いた。
「うーむ。大人しくすれば手荒なことをするつもりはなかったが、その気の強さが仇と知れ」
「それっ」
 という合図で、一団の者は抜刀すると多恵姫に斬ってかかった。

 多恵姫も武芸の心得があると見えて、一人で一団の剣を受けているばかりか、時には相手に斬ってかかるほどである。
 小半時も斬りむすんだろうか。さすがに多勢に無勢、多恵姫にも疲れが見えてきた。はあはあ、と肩で息をしている。
「何をぐずぐずしている。早くせい」
 首領格の叱声に、一団の侍達が一斉に多恵姫に襲いかかった。さすがの多恵姫ももはや抗う力は残っていなかった。太刀をたたき落とされて、いかつい男達に取り押さえられた。一人が荒縄を取り出すと、姫を縛めにかかる。

「無念!」
勝気な性格であろうか、はったと男たちを睨みつけている。
と、突然その顔が下を向いた。
「まずい。舌をかみ切るぞ」
首領格の男の指示で、多恵姫は無理矢理口を割り開かされると、荒縄で猿ぐつわをかけられた。
後ろ手にがっちりと縄をかけられて、首領格の男の前に引き立てられた。
侍烏帽子は取れ、髪はばらけて肩にかかっていた。顔に傷がつき、土が付いているが、荒縄で割割かれた口と相まって、凄艶にさえ見える。
「ううむ。美しい。このまま人質にするには惜しいものがある」
下卑た笑いを浮かべた首領格の男は、
「ひったてい」
下知をして自ら先に立って歩き出した。

「上杉憲実め! この姫で目にもの見せてやるわ。わっはっは・・・・」
高笑いを響かせながら歩いていく。
(兄上さま。申し訳ござりませぬ。姫の不甲斐無さからこのようなことに・・・)
多恵姫は、日頃の気の強さも忘れ、鎌倉府の関東管領上杉安房守憲実の妹として、胸の内で素直に兄に詫びていた。
これから、どのような目に遭わされるのか、どのような無理難題が兄憲実に突きつけられるのか、それを思うと姫のこころは、兄にすまない気持ちで胸ふさがる思いだった。

 一行がしばらく歩いていると、
「待て。そこな若い侍を置いていけ」
 道に念道と藤四郎が立ちふさがった。
「何者じゃ?」
 先頭を歩く首領格の侍の問いに、
「何者でも良い。拙僧の命が聞けぬとあらば、仏罰が下ろうぞ」
「なに。この坊主、気でも触れているのか。ええい、そこをどけ」
 すでに首領格の男を含めて、一団の侍は抜刀していた。

「ほう、太刀を抜くか。藤四郎、賊はわしが引き受ける。そなたは姫を助けるが良い」
 すでに念道も藤四郎も、囚われの人物が女性であることを見抜いている。念道は持っていた五尺の杖を構えた。
 藤四郎も師の命に応えて、腰の太刀を抜くと一団の中に斬り込んで行った。

 たちまち、斬り合いがはじまった。だが、一団の侍の腕前は、念道と藤四郎の比ではなかった。たちまち侍達は、斬り立てられ、切り伏せられていく。
 藤四郎は多恵姫の縄じりを取っていた侍を追い払うと、姫を縛っていた縄を斬り、口の縛めを外してやった。
「ああ、かたじけのうござります」
 一言だけ発すると、囚われの緊張が解けたのか、そのまま藤四郎の腕の中に身をゆだねるように倒れ込んできた。

「姫、姫。お気を確かに」
 慌てて藤四郎が刀を捨てて、姫を抱え上げる。香しい匂いが藤四郎の鼻孔をくすぐった。 
 侍達がほうほうの態で逃げていく。念道も深追いはしなかった。
「気を失ったか。藤四郎、水を汲んできてくれぬか」
 念道の指示に藤四郎が、はっ、と応えて姫を静かに横たえると水を汲みに走った。


三 再会

 鎌倉は東西北を山地が囲繞し、南は大海に面している。地全体が一個の城のようになっており、天然の要塞といって良い。それゆえにこそ、かつて、この地に源頼朝が幕府を開いたのだ。

 そんな鎌倉への入り口は、海を除くと切通しと呼ばれる狭く切り立った道より他にない。俗に鎌倉七口と呼ばれるが、念道と藤四郎はその中の一つ、大仏切通から鎌倉に入った。
 武蔵野からは朝比奈切り通しを経て六浦道か、巨福呂坂、亀ヶ谷坂を通るのが近道である。だが、念道たちは途中、藤沢の清浄光寺に寄ったのである。

 鎌倉は頼朝の時代から東国の中心である。鎌倉府の政庁をはじめとして、関東諸国の大名、国人の邸、鎌倉五山をはじめとする各宗派の名刹、伽藍、商家、町家が軒を連ねていた。化粧坂や鶴岡八幡宮を往来する人ごみも並ではない。

「お師匠。なんと賑やかな」
 太田の町など比較にならぬ、とでも言いたげに藤四郎が感嘆の声を上げた。すでに十八とはいえ太田の城下しか知らぬ藤四郎が、鎌倉の町の殷賑さに驚いたのは無理からぬ事だったろう。
 念道に従って旅することとなったため、藤四郎は、従来から呼んでいた「叔父上」という呼称を改めて「お師匠」と呼ぶようになっていた。

 そんな藤四郎のはしゃぎぶりを横目で見ながら、念道はかつての己の十八の頃を思い出していた。あの頃念道は、腹を空かせて鎌倉の町をうろついていた。そこで師の念大慈恩に拾われたのだった。
(あそこで、師慈恩と出会わなければ、自分の運命はどうなっていただろうか)
 念道は今更ながらに慈恩に感謝するとともに、およそ三十年を経て、師と同じ歳頃の弟子が、当時の自分と同じ歳の弟子を連れて鎌倉に入る巡り合わせの面白さに不思議な縁を感じていた。
「喧嘩だっ!」

 激しい声が聞こえたかと思うと、急に境内が騒がしくなった。
うららかな昼下がり、藤四郎のたっての希望を入れて、二人は鶴岡八幡宮の見物に来たのである。
 鶴岡八幡宮は、源氏の守り神であると同時に、妙見菩薩を祭った神社でもある。武芸を志すものの参詣人も多い。

 そんな八幡宮の鳥居をくぐってしばらく歩いた頃だった。境内にはすでに大勢の人だかりができている。
 若い藤四郎は好奇心も旺盛だ。念道の制止を振り切って人混みをかき分けて中に入っていった。
 中では、二人の侍が刀を構えて斬り結んでいた。一人は直垂を着た由緒ありげな若い武士である。いかにも高貴な感じだが、その分権高そうにも見えた。
 そしてもう一人は、牢人とおぼしき初老の人物である。こちらは紺地の素襖が旅塵にまみれ、ところどころすり切れている。色ももとは濃い紺地だったのだろうが、褪せて薄くなっていた。

 鎌倉公方持氏は、ここ数年己に逆らう関東の豪族を討ち滅ばしてきた。持氏に滅ぼされた豪族の家臣は、牢人となって鎌倉に流れてきている。彼らのために最近とみに鎌倉の治安が悪化しているとの風評があった。
 藤四郎を追って念道も取り巻きの見物人の前に出た。
「おっ!」
 思わず眉宇が曇る。

 念道は初老の武士に見覚えがあった。
 数合打ち合った後であろう、双方が二間ほどの距離を置いて対峙している。初老の武士は、静かに右下段に構え、若い武士は居丈高に上段に構えている。

 若い武士は二十歳前であろうか。若さに任せたやや力に頼る剣である。それに対して初老の武士は、いかにも経験を積んだ手慣れた剣のように見えた。念道の見るところ勝負の帰趨は明らかだった。
 やがて、若い武士が裂帛の気合いとともにすり足で踏み込むと上段から太刀を振り下ろした。

「それまで」
 若い武士の太刀は、念道の杖が受けていた。初老の武士はあいかわらず右下段に構えたままで、ぴくりとも動いていない。
「坊主、邪魔だてするか」
 若い武士から怒声が発せられた。そうだ、そうだ、という見物人の同調の声も念道に飛んできた。
「見れば由緒ありげなお武家と思われる。昼日中から牢人相手に刃物三昧は主に対してみっともなくありませぬかな」
 念道の柔らかな制止に、さらに怒声を発しようとする若い武士を、
「若殿。鶴岡八幡宮での闘争は、まずうございまするぞ」
 供の者であろう二三人の侍が、若い武士を押さえてその場から連れ出した。

 ええい、放せ。と喚きたてる若い武士の声が聞こえなくなってから、
「かたじけない」
 初老の武士がおもむろに礼を述べた。すでに見物の輪はなくなっていた。
「仲裁はときの氏神とか。お久しゅうござりまするな長倉源太左衛門どの」
「・・・・!」
 自分の名を呼ばれて、初老の武士はあきらかに狼狽していた。
「お忘れでござるか。正覚庵念道、いや以前お目にかかったときは、剃髪前にて源四郎と名乗っておりました」
「おお、山入与義どのの・・・・」
 思い出したようである。

 初老の武士は長倉源太左衛門といって、佐竹氏の分流長倉家の一族である。長倉家の当主は遠江守義景といったが、山入与義とともに鎌倉公方持氏に反旗を翻し、応永三十年五月に居城長倉城を攻め滅ぼされている。
 与義が殺された翌年のことだった。その後、長倉家の一族家臣は散り散りになったと聞いていた。
 与義は応永十四年に長倉城に籠城し、ともに持氏軍と戦ったことがあった。そのとき源四 郎と名乗っていた念道も父与義に従って長倉城に入った。源太左衛門は長倉一族であり、その際いっしょに戦った間柄だったのである。

 互いに一別以来の身の振り方をざっと語った後、
「ところで今の若い武士は何者ですか」
 念道の問いに、
「一色左京太夫直兼の次男で小次郎と申す者じゃ」
「ほう。公方持氏側近の」
「いかにも。じゃが、親父の威光を笠に着ての乱暴狼藉が過ぎるようでな。ちと懲らしめてやろうと思ったのだが」
 少し大騒ぎになってしまった、と後悔するように言った。

 小次郎は境内で見物人の若い娘をからかっていたという。それを源太左衛門がたしなめたことから刃物沙汰になったらしい。
「じゃが、貴僧のおかげで、若造にけがをさせずに済みましたわい。お礼を申す」
「いや。礼などど」
 そのとき、藤四郎が寄ってきて低く囁いた。
「お師匠。先ほどの武士が大勢の人数を連れて、鳥居の方からこちらに向かってきますぞ」
「まずい」
 舌打ちをすると、
「源太左衛門どの。拙僧とともに参られい。藤四郎も遅れるなよ」
 言って、念道は脱兎のごとく駆けだした。源太左衛門、藤四郎が後に続く。

「ううむ。しつこいのう」
 一色小次郎に率いられた追っ手は、執拗に念道、藤四郎、源太左衛門の後を追ってきた。
 鶴岡八幡宮の裏手から抜けた三人は、巨福呂坂方面に逃れたが、鎌倉特有の縦横に走る路地と坂に助けられもし、苦しめられもした。
 だが、小次郎の一隊は地の利を心得ているようで、いくつかの組に分かれて念道ら三人の行く手を阻む作戦のようだ。
「ううむ。逃げられぬか」

 念道が斬り合いを覚悟したそのとき、
「お坊様、こちらへ」
 突然、押さえた若い娘の声が聞こえたかと思うと、念道の右手が柔らかい手で掴まれた。
 おっ。と驚く間もなく、娘は念道達を近くの柴折戸から中へ強引に引き入れると、
「こちらで御座います」
 と言って、屋の内に案内して戸を閉めた。今日でいう玄関である。
 屋敷の外では小次郎らの一行が、
「ここら当たりに逃げ込んだのだが・・・・」
「よく探すのだ」
 口々に言い合う声が聞こえて来る。
「お坊様、ここでしばらくお待ちになってください」
「おお。そなたは」

 一息ついて、娘の顔を見た念道は驚きの声を上げた。
「あなたは・・・・」
 期せずして藤四郎も叫ぶ。
 そんな二人に声を落とすように身振りすると、
「すぐに戻って参ります」
 と言い置いて、先ほどの柴折戸の方へ引き返して言った。
「いつぞや、武蔵野で救った方ですね」
 藤四郎が落とした声で念道に問いかけると、
「うむ。縁があったようだの」
 念道も低く応えた。その娘は念道と藤四郎が武蔵野で助けた上杉憲実の妹多恵姫だった。

 やがて、小次郎の一隊が、
「この庵しか考えられん。頼もう、誰か居らぬか」
 念道たちが先ほど入ってきた柴折戸の外から声をかけてきた。
「何のご用で御座りましょうか。大勢で」
 多恵姫が家臣を連れて戸を開く。
「おおっ・・・・」
 まさか、娘が出てくるとは思わなかったのだろう、小次郎は少し戸惑ってから、
「こちらに怪しい僧と牢人二名が逃げ込まなかったか」
 やや威儀を正して質した。だが、言い方は居丈高である。
「いいえ。私どものみでござりまするが」
「真か?」
 小次郎は食い入るように多恵姫を見た。

「隠すと後で後悔するぞ。それがしは一色左京太夫直兼が次男小次郎と申す。念のため屋敷内を改めたい」
 とは言いながらも、小次郎の目は多恵姫を見つめたままである。
 やがて、小次郎の目が怪しく光り出した。そんな小次郎を歯牙にもかけずに、
「奉行でもありませぬのに他人の家を改めるなど無礼でありましょう。早々にお帰りなさい」
 きっぱりと言った。
 その一言で我に返った小次郎は、
「何! それが公方さま側近の一色左京太夫の次男に向かって言う言葉か」
 地金をもろに出してきた。
「公方さまご側近はお父上でありましょう。あなたさまではありませぬ」
「おのれ。言わせておけば、小娘の分際で。それなれば力ずくで屋敷内を改めるぞ」

 今にも大勢で踏む込みそうな勢いである。そのとき、後ろから小次郎の袖を引く者がある。
「若殿。お耳を」
「何! 関東管領の・・・・」
 耳打ちを受けて、改めて多恵姫の顔を見た小次郎に、多恵姫がにっと笑いかけた。
「ちっ。覚えておけ。皆の者、引き上げるぞ」
 小次郎は捨て科白を残すとさっと背を向けた。
 ここは関東管領上杉安房守憲実の別邸だったのである。いくら小次郎でも関東管領家と事を構えることはまずい。やむなく引き上げることにした。だが、好色さも人一倍の小次郎は、
「ふふ。あれが噂の上杉の多恵姫か。案外に美人ではないか」
 と、ひとり悦に入るように呟いていた。

 その頃、屋敷内では、
「外が騒がしいようですが大丈夫でしょうか」
 藤四郎が念道に聞いている。心配しているというよりも、二人で剣を振るいたい気持ちが有るようだ。そんな血気に逸る藤四郎に、
「やめておけ。他人様(ひとさま)の屋敷内では勝手もなるまい」
 当たりへ気を配りながら念道が制していると、
「多恵。どうしたのだ。表が騒々しいようだが」
 奥から一人の人物が現れた。薄い小袖姿のくつろいだ形(なり)である。
 若い、年齢は二十歳前くらいであろうか。面長の顔に澄んだ目、その眼は清らかにして純真さを湛えているようであり、さらに高い鼻梁、一文字に引き結んだ口元ーー。やんごとなき身分の人物と思われた。
 その人物と念道の眼が合った。互いに逸らすことなく、しばらく見つめ合っていた。

 これが念道と上杉憲実の初めての出会いであった。互いの視線がぶつかり合いながらも、不思議と挑むような気持ちは起きない。むしろ、どちらともなく吸い込まれそうな二人の眼差しであった。
 このとき念道四十三歳、上杉憲実十八歳である。奇しくも憲実と藤四郎は同じ歳で、多恵姫は二つ年下であった。
「多恵。お客人かの」
 念道から眼を逸らして憲実が尋ねた。

 小次郎を追い払って、帰ってきた多恵姫が、
「はい。先日、武蔵野でお助け頂いたお坊様と伴の方でござります」
 と、紹介すると、
「姫の恩人ではないか。ささ、あがって頂いておもてなしなど。粗相があってはならぬぞ」
「はい、兄上さま。お坊様、兄も申しております。お上がり下さい」
 多恵姫が進めるのへ、
「先日はたまたま通りかかったまでのこと。そのように申されてはこちらが恐縮、お気を遣われますまい。我らはこれで失礼いたしましょう」
 屋敷を辞そうとした。いまや念道もこのやんごとなき人物が誰であるかをほぼ察している。

「追っていたのは、一色小次郎さまと手の者。おそらくまだ、ここら辺りを探しておりましょう。しばらくは当家にお留まり頂いた方がよろしいかと」
「ううむ・・・・」
 確かにその通りである。念道は覚悟を決めた。そのときである。
「殿。御所さまから火急のお召しが」
 家臣からの注進が入った。かなり慌てているようである。
 御所さまとは鎌倉公方持氏のことである。憲実もそのことに気づいて、
「多恵。聞いての通り、御所に参上してくる。お客人に粗相のないようにな」
再度言い置いて、憲実は奥へ引っ込んだ。

「皆様、こちらへ」
 多恵姫の案内で三人は屋敷の中へ入った。


四 上杉憲実

 上杉憲実が歴史に登場してきたのは、応永二十六年八月のことである。
 この年、四郎といった憲実は、関東管領に任じられ、元服し憲実と名乗った。併せて、伊豆と上野の両国守護に補任されている。
 だが、このとき憲実はまだ十歳の少年に過ぎなかった。非凡を表しつつあったものの、憲実の活躍は数年を待たねばならなかった。

 憲実は足利学校を再興したことでも知られているが、実は政治家、武将としても一流であった。ただ、仕えた主人が悪かった。主人の名を足利左兵衛督持氏という。鎌倉公方であった。

 持氏はあろうことか室町幕府の将軍位を望んだ。これが補佐役としての憲実にとって大きな不運だった。この後憲実は、鎌倉公方と京都の幕府との不和を誠実に乗り切ろうと努めるが、そのことが、憲実をさらに不幸にしたといっても良いだろう。
二年前の応永三十二年、憲実は安房守に任官していた。

「お呼びで御座りまするか」
 憲実は鎌倉公方持氏の前に伺候すると畏まって尋ねた。
「安房守か。京都の将軍家から余を猶子として認めるという使いがたったいま参ったぞ」 持氏は喜色を満面に湛えていた。このとき二十二歳である。憲実と四つ違いであった。 奇妙なことだが、このとき京都の足利幕府に征夷大将軍はいない。空位なのである。
 なぜかというと、一昨年の応永三十二年二月、五代将軍で一人息子である足利義量が亡くなって以来、次の将軍が決まっていなかったからである。

 父であり室町殿と呼ばれる前将軍足利義持が健在なため、政務に滞りはない。が、やはり不自然な感は否めなかった。
 そのため持氏は、義量没後すぐに猶子になりたい旨の懇願を繰り返していた。持氏の願いは足かけ三年を経て実現したことになる。

 無邪気に喜ぶ持氏を見て、
(これで京都との関係がうまく行くと良いのだが)
 と、憲実は素直に思ったのだが、その思いは、持氏の次の言葉で愕然とすることになる。
「京都の将軍家はようやくに〈猶子〉として余を認めてくれたのじゃ。これで次期将軍は決まりじゃな」
「・・・・!」
 猶子とは、読んで字の如く「猶(なお)子の如し」つまり実子と同じだという意である。
 この時代、猶子とは養子縁組と同じといってよく、後の八代将軍義政も自分の後継者として、いったん弟の義視を猶子としている。
 猶子となったということは、義持の子として認められたということで、これで持氏は義持に最も近い関係となった。
 持氏以外の者はみな僧籍にある。そのため、義持に何かあったら、当然次の将軍は間違いなく自分になると思っても無理からぬことであったろう。若いゆえか、それとも生来のものか、持氏には思い込みの強いところがあった。

「早速にお礼言上の使者を・・・・」
一人悦に入る持氏を見ていると、とても諫言などできそうもない。憲実は諦めて早々に退出した。

 憲実が鎌倉府に向かって邸を出て直ぐのことである。入れ替わるように一人の行者が憲実の別邸を訪ねてきた。
「安房守さまはご在宅でござろうか。やつがれは京の三宝院満済の使いの者です」
「まあ。満済僧正の・・・・」
 応対に出た多恵姫は、びっくりした。三宝院満済とは、将軍義持の祈祷僧で、政治向きの相談に預かり、黒衣の宰相と呼ばれている。
「兄はたったいま鎌倉御所に向かわれました。夕方には戻ると思われますので、上がって暫時お待ちを」
「入れ違いでありましたか。申し訳ござらぬ。大事な知らせを命じられながら」
 行者が天を仰ぐような仕草で詫びを述べた。
「途中、酒生坊叡忍と申す本山派の山伏に邪魔をされたのです」
 行者はほぞを噛むように言った。

「お名前は?」
「失礼した。やつがれは当山派の修験者で、吉岡坊と申します」
「お上がりになって、兄の帰りをお待ちになっては」
「そうします。安房守さまには詫びても詫びたりぬ」
そう言って吉岡坊は、顔を歪めたが、離れに案内する多恵姫に素直に従った。
(酒生坊叡忍か)
 念道は、いまかすかに聞こえた名前を反芻した。長福寺で大胆にも念流の高弟たちの前で草薙剣を奪って逃げた修験者である。
(もう少し詳しい話を聞きたい)
 と思った念道は、
「さて。我らは、そろそろお暇しようかい」
 藤四郎、源太左衛門を促して腰を上げた。

 憲実が別邸に帰ってきたとき、日はすでに落ちていた。念道たちも邸を去ったあとだった。
「そうか。それは残念なことをした。念道どのとは少し話をしてみたかったが」
「はい。念道さまもそう申されておりました」
 多恵姫の返事に肯きながら、
「左様か。ところで念道どのはいずこにお住まいじゃ」
「寿福寺に寄食すると申されておりました」
「うむ。一度訪ねてみるとしよう。ところで、そなたを襲った賊だが、手がかりは未だつかめぬ。牢人も増えてきておることゆえ、しばらく一人での外出を控えるがよい」
 はい。と小さく肯きながら、多恵姫が話題を変えるように、
「兄上さま。京の満済僧正のお使いの方が見えております」
「なに、満済僧正の! 早速に会おう」

 憲実が離れに入ると、一人の行者がぽつねんと控えていた。
「申し訳ござりませぬ」
 憲実が名乗ると、吉岡坊は、がばと両手をついて謝った。
「・・・・?」
 憲実には何のことか分からない。
「何のことだ。それに満済僧正は何と」
「鎌倉御所を公方の猶子にしたことでござる。使者よりも早く安房守どのに伝えるように、との伝言でござりました」
「そうか」
 一度肯いた憲実だったが、
「遅かったぞ。先ほど御所様から直に聞いたばかりだ」
 その声音には不快が含まれていた。
「申し訳ござりませぬ」
 吉岡坊は再び平伏した。
「それだけではあるまい。さらに僧正は何と言われた」

「猶子としたは、鎌倉との和を図ったゆえ、と。次の公方を約束したわけではありませぬ」
 子のない義持が持氏を猶子とした、という事実だけを捕らえれば、持氏は次期将軍の有力な候補となりうる。
 だが満済は、その目はない、ということを憲実からやんわりと持氏に告げて欲しかったに違いない。
 憲実は昼間謁した持氏の得意な顔を思い出して臍をかんだ。
「やむを得ぬ。余が言うて素直に聞く鎌倉公方でもあるまい」
 そう言って憲実は、
「ご苦労であった。僧正に伝えるがよい。鎌倉の動きは改めて書面でお伝え申す、とな」 吉岡坊を労って座を立った。

 憲実の別邸を後にした吉岡坊の憂色は深い。
「おのれ、酒生坊め」
 恨みの言葉を口にしたとき、
「その酒生坊のことを教えてくださらぬか」
 吉岡坊の前に一人の禅僧が立ちふさがった。
 夜はすでに更けている。空に月はないが、星明かりに互いの輪郭がかろうじて判別できる。
「御坊は?」
「正覚庵念道と申す」
「念流か」
 吐き捨てるように言った吉岡坊は、腰の刀に手をやった。

「待たれよ。拙僧はこなたと太刀合うために来たのではない。酒生坊のことを教えて欲しいのだ」
「問答無用」
 吉岡坊は抜き払った太刀で、いきなり念道に斬ってかかった。
「やむを得ぬか」
 念道はその太刀を避けると、手にした錫杖で吉岡坊の首筋めがけて打ち掛かった。
身をかわして避けようとした吉岡坊に、錫杖をくるりと一回転させた念道は、そのまま突くように首筋へぴたりとつけた。
「参った。やはり、適わぬか」
 吉岡坊は太刀を投げ出すと、
「随意に」
 と言って、その場にしゃがみこんだ。

「分からぬ行者よな。拙僧は太刀合わせしたいわけではない」
「酒生坊は死んだ。敵を討つなら討つがよい」
「なに! 死んだと。真か?」
「やつがれが倒した。彼奴に邪魔されねば、我が務めは無事に果たせたはず」
「酒生坊は草薙剣を持っておらなんだか」
「草薙剣?」
 吉岡坊は一瞬怪訝な声を出した後で、
「ははは。異なことを言うものか。草薙剣といえば三種の神器の一つ。なにゆえ修験者風情が」
 途中で言葉を切ると、はっとしたように念道を見た。

「疑念はもっともなこと。しばし、拙僧の話を聞いてくれぬか」
 念道は口調を改めた。すでに錫杖は吉岡坊の首筋を離れている。
「長福寺でのことだな」
「なぜそれを」
 今度は念道が怪訝な声を出す番だった。
「互いに頭を冷やすべきか」
 吉岡坊は自分の気の早さを棚にあげて言ったが、念道に拒む理由はない。
 念道は吉岡坊の前に座って、長福寺でのこと、そこで楠木正勝の持ってきた草薙剣を酒生坊に盗まれたことをかいつまんで話した。
 そのとき念道は、吉岡坊が京の三宝院満済の使いできたことを思い出して、
「我ら念流一門は、南朝再興に手を貸すと決したわけでは決してない」
 ということを繰り返し強調した。

 念流には幕府重臣の一族がいる。誤って満済の耳に入れば、幕府の内紛を呼ぶ可能性がある。楠木正勝にとっては都合の良いことだろうが、彼らにとっては迷惑この上ない。
「分かった。祇園藤次も満済僧正に仕える身。やつがれとは行き違いになったが、長福寺のことは聞き及んでいる」
「やはり、祇園藤次は幕府の間者であったか」
 念道が肯くのを見て、
「ただし、酒生坊との縁はない」
 吉岡坊がきっぱりと言った。
「ならば、なにゆえ共に長福寺に?」
「まこと長福寺に酒生坊が現れたのか?」
 逆に吉岡坊から問われて念道は、はっとした。

 祇園藤次は素顔をさらしたが、もう一人の修験者は天狗の面を着けていたのである。それを、酒生坊叡忍と断定したのは、
(畠山駿河守どの。それに天狗面を追った大猿・・・・)
 と、念道が思ったとき、
「酒生坊は本山派の山伏。満済僧正は醍醐寺座主ゆえ、我ら当山派の山伏の総帥に当たらせられる」
「しかり」
 念道は大きく肯いた。
(では、なぜ駿河守どのと大猿は酒生坊と断じたのか? 少なくとも天狗面を追った大猿は酒生坊の顔を見たのではないのか?)
「本山派と我ら当山派は対立しているわけではない」

 平安の昔、比叡山の天台宗と高野山の真言宗は、日本の仏教を二分する宗派であった。修験者もその系譜を引いて、天台宗の影響を受けているのが本山派、真言宗の影響を受けているのが当山派である。
 本山派は聖護院を、当山派は醍醐寺をそれぞれ本山と仰いでいる。
「ただし、やつがれとは共に天を戴かぬ間柄」
 敵対しているということだろう。
「なにゆえに?」
「酒生坊は南朝再興を志す者どもと通じている」
「なに!」
 吉岡坊の意外な言葉だった。それが真実なら、酒生坊と楠木正勝は味方同士ということになる。正勝の草薙剣を盗むことなどあり得ない。

 だが畠山駿河守と大猿は、間違いなく天狗面の修験者を、酒生坊と断じたのである。
「もともと我ら修験者は、後醍醐帝に従っていたのだ」
 その話は、念道も聞いたことがある。
 吉野に走った後醍醐帝を支えたのは、熊野の修験者を始めとする諸道の輩であった。彼らは諸国に散り、様々な情報を吉野へ送った。逆に、吉野からの指示を伝える役目も担っていた。
「南北朝の合一がなった後も南朝再興を志す者を密かに助ける修験者たちがいた。その者たちは本山派に多い」
 酒生坊もそのような修験者の一人であったという。
「ううむ」
 念道の頭は混乱していた。あの日現れた天狗面の修験者は、本当に酒生坊だったのだろうか。

「貴僧とやつがれに怨念はない。それゆえ、一つ忠告しておこう」
 吉岡坊はもったいをつけて言った。
「京では、念流が後南朝に味方した、ともっぱらの噂だ」
 驚く念道に、
「畠山駿河守どの、土岐近江守どのは、申し開きをしたようだが、いまは管領に命じられて謹慎している」
 と続けた。
「何者かが噂を流しているのだ」
 さらに吉岡坊は断じた。
 念道は、念流一門が難しい立場に陥ったことを強く意識せずにはいられなかった。


五 深まる謎

 念道が吉岡坊と見えた同じ頃、憲実は京の満済僧正に宛てた書面を認めていた。
「兄上」
 部屋の外から多恵姫の声がした。
「佐竹の叔父上さまがお見えにござります。離れの屋にご案内いたしました」
「おお、義人どのが。すぐに参ろう。膳の支度をするように伝えてくれぬか」
 今まで沈みがちであった憲実の顔が、みるみるうちに明るくなった。

「叔父上、よくこそお出でを」
「はっはっは。御所ではちと話せぬことでな」
 離れに入ってきた憲実に、佐竹左馬助義人がくだけた調子で応えた。
 佐竹義人はこのとき二十四歳である。もともと上杉から佐竹に養子に入った身で、上杉家とは親しく往来していた。
 実は、憲実は養子である。関東管領家として上杉家一門の繁栄はめざましい。うち関東管領を輩出する、いわば上杉の本家筋を山内家という。鎌倉山内谷に邸があったからである。
 憲実は上杉の分流越後守護職家から、その山内家に養子に入ったのだった。子のない先代の関東管領にして山内家当主安房守憲基に認められてのことだった。
 そして義人は、その憲基の実の弟なのである。従って、義理とはいえ二人は叔父、甥の間柄になる。

 ところで、山内家は義人が継いでも決して不思議ではなかった。そうならなかったのは、憲基が二十七歳という若さで亡くなったとき、義人はすでに佐竹家の養子となっていたことによる。
 佐竹家が、家督を巡る内紛状態にあったとはいえ、いまさら上杉家に戻るわけにはいかない。義人は自らを支えてくれる佐竹家の重臣の補佐を得て、佐竹義人として生きていくことを決意した。
 そんな義人に、憲基は自らの死に際して、まだ幼い養子憲実を託したのだった。義人は、いわば憲実の後見人といってもよい立場にある。
 今や二人は、肝胆相照らす仲となっていた。

「持氏どのが、将軍家の猶子になられた。大層なお喜びようであろう」
「しばらくは京と揉め事を起こすことはあるまいと思いまするが」
「なら良いが・・・・」
「何か気がかりなことでも」
「うむ。近頃、南朝の残党の動きが活発なようでな」
「南朝の残党ですか」
 憲実の顔が曇った。眉根が寄っている。
 ひところ鎌倉公方持氏は、京の将軍位を望んで、なにかにつけては幕府と対立して武力を行使した。
 特に関東にありながら、京都御扶持衆として直接京の将軍家につながる大名を敵視した。いくつかこれを討伐したことがある。山入与義を鎌倉に呼び出して誅殺したのもこうした背景があったからである。

 小栗家などは持氏に討伐され、滅亡の憂き目にあっている。応永三十年八月のことだった。しかもその指揮は、持氏の命によって、関東管領たる憲実がとった。
 近頃の牢人の増加は、それが原因である。そうした者達は当然の事ながら鎌倉公方と関東管領上杉憲実に恨みを抱いているはずである。多恵姫を襲った賊もそうした者達ではないかと憲実は見当をつけていた。
 さらにそうした牢人たちが、南朝の残党と結べば厄介なことになる、と憲実は危惧したのである。

「ははは。持氏どのも、いまは京と事を構えることはあるまい。わしの杞憂であろう。気に病まれるな」
 憲実の心配そうな顔をみて、義人はわざと一笑に付した。
 確かに、京の義持と良好な関係を保っていけば、もしかしたら自分に次期将軍位が転がり込むのではないか、と持氏は思っているだろう。
 そのためにひと頃の対立色を薄めて融和に努めているのだ。猶子になったことは持氏にとって大きな前進であろう。

「それよりも、多恵を救った念道という僧のことだが、どうも常陸の正宗寺正覚庵にいた念道和尚と思われる。わしも会いたかったのだが残念なことをした」
「ご存じの僧でしたか」
「ほれ、いつぞや話した山入上総入道与義どのの息子で念流の遣い手の」
「おお、その者でしたか。眼があったとき、不思議な気を感じました。念流の遣い手なら納得です」
「ははは。残念なことをしたな」
「寿福寺に寄食すると申していたそうな。今度当たらせてみましょう。それより、どうして多恵が襲われたことを」
 知っているのか、と怪訝な目を向けた憲実に、
「前に念道和尚のことを話したことがあったのを覚えていたようだ。多恵は賢い女だ」
 ほう、と憲実が感心したとき、
「膳の用意が整いましたゆえ、今宵はゆるりと」
「はは、馳走になろうかな」

 養子の身である憲実は、山内家従来の家臣が居る山内谷の邸は窮屈だった。そのため、ここに別邸を構えていた。名目は妹多恵姫の邸だが、実際のところ政務でゆっくりもできない憲実の息抜きの邸でもある。
 また、四書五経、六韜三略など学問好きな憲実の勉強の場でもあった。そして、ときにこうして義人など気のおけない大名と自由に意見を交換する場でもあったし、極秘裏の打ち合わせを行う場でもあった。
 二人は夜を徹して歓談した。憲実にとって最も楽しいひとときであったろう。

 吉岡坊と分かれた念道は、二階堂谷の二階堂右馬助の邸を訪ねた。
「いつ、鎌倉に出てきた」
 右馬助は書見の最中であった。
 二人は慈恩の相弟子で、気心も知れている。右馬助は書から目を離さなかった。
 慈恩の直弟子は、おおかたが高齢化しているが、右馬助もすでに六十に近い。燭に浮かび上がった横顔には、皺が刻まれ、染みが浮き出ている。
(老けたことよ)
 と、念道は右馬助の横顔を見て改めて思いながら、「本日」と短く答えた。

「泊まっていくか?」
「いや。寿福寺に寄食するつもりゆえ」
「お師匠と同じか」
 右馬助は頬を緩めた。
 慈恩も鎌倉に来たときは、よく寿福寺の世話になった。念道もその縁がある。
「お聞きしたいことがござる」
 念道は言葉を改めた。
 うん、というように右馬助は書見を止めて念道を見た。
「何か?」
「先日、長福寺に現れた楠木二郎正勝は本物でしょうか?」
「偽物であろうよ」
 右馬助はあっさりと言った。

「なにゆえに?」
 念道はやや戸惑いながらもその理由を問うた。
「こなたも知っておろう。楠木正勝は遁世し、名を虚無と改めたことを」
「暮露の総帥になったとか」
「大内どのの謀反の後というから。今から三十年ほど前のことである。そのとき正勝は三十を過ぎていたという」
 大内義弘の謀反(応永の乱)は、応永六年のことである。今から三十年ほど前のことで、そうすると正勝は念道の考えた通り六十を過ぎていることとなる。
「歳が合いませぬな」
 念道の疑念は当然のことだが、
「ゆえに偽物よ」
 右馬助は意に介さない。
「では、なにゆえそのことを指摘しなかったのです」
 長福寺でのことである。

「指摘して何になる。首座は味方したかったようだ。いや、味方する振りをしなければならなかったのであろう」
「師匠の起請文があるゆえですな」
「いかにも。その通りだが、我らは幕府に仕える身。師匠の起請文があったとて、そのようなことが、おいそれとできるはずもない。首座もそのことは分かっていたはず」
「それゆえに、あのようなどっちつかずの決定になったと」
「しかり。やむを得なかったのであろう」
 右馬助は沈んだ声で言ったが、念道にはさらなる疑問が湧いた
「小倉宮を猿御前が守るということは、念流が南朝に味方すると思われても仕方ないことでは?」
「いや。あくまでも宮様の御身を陰ながら守ることゆえ、そうはなるまい」
「だが京では、念流が後南朝に味方した、ともっぱらの噂とか」
「なに! どういうことだ?」

 念道は満済の使いである吉岡坊とのやりとりを話した。
「ううむ。それはまずい。楠木正勝の思う壷ではないか。それに酒生坊でないとすると、草薙剣を奪った天狗面の者はいったい何者なのだ」
 どうやら右馬助は、長福寺での談義を軽く考えていたようだ。
 しばらくの沈黙があった。
「京の様子を詳しく知りたいものよ」
 右馬助がぽつりと呟いた。
 それは念道も同じ思いだが、謹慎中の畠山駿河守、土岐近江守と右馬助が、正式に連絡を取ることは難しいかもしれない。
「直に軒猿が現れましょう。そのときにでも」
 念道は慰めるように言った。
「頼む」
「長居をしたようでござる。しばらくしたら、また参りましょう」
 その間に鎌倉府に動きがあったら教えて欲しい、と告げて念道は、二階堂邸を後にした。

 その夜、鎌倉の空には月も星も見えなかった。雲が覆っているようだ。
「明日は雨になるか」
 念道は一人ごちて寿福寺への道を急いだ。
(続く)







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10/05 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京タイムではドル円やクロス円は押し目買いが優勢
10/05 08:34 「本日のマーケット」(株式編)・・・続伸後、日経平均株価が1万8000円に迫る。
10/04 12:07 江戸浅草物語13「天海僧正の結界が破られる時、魔界の者たちの進撃が始まるのか」 (無料公開)
10/02 08:44 「本日のマーケット」(FX編)・・・米雇用統計を控えた様子見姿勢
10/02 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・週末要因や米雇用統計を前にポジション調整
10/01 08:47 「本日のマーケット」(FX編)・・・9月日銀短観、9月中国製造業購買担当者景気指数(PMI)などが材料。
10/01 08:35 「本日のマーケット」(株式編)・・・欧米株式の上昇を受けて買いが先行後、もみ合い。
09/30 08:52 「本日のマーケット」(FX編)・・・日中は119円後半のもみあい
09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
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