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絶唱の最上川 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2015年1月18日 11時26分の記事


【時代小説発掘】
絶唱の最上川
斎藤 周吾


(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】:
 松尾芭蕉は、奥の細道で、
 『五月雨をあつめてはやし最上川』
 と句を詠んだ。
 作った場所は、山形県北村山郡大石田町の最上川べりである。
 
 山形県の生んだ歌人の斎藤茂吉は、芭蕉に触発され、大石田で、
 『最上川逆白波の立つまでに吹雪く夕べになりにけるかも』
 と短歌に詠んだ。
 
 茂吉の一番弟子に、同郷の結城哀草果(ゆうきあいそうか)が居る。
 茂吉が歌を詠むまでの師弟関係を、苦難に満ちた太平洋戦争末期から終戦時までを綴った。
 
 斎藤茂吉は戦前、ドイツ留学した時、ドイツ人の恋人同士でキスをしているのに遭遇した。
「長い、実に長い」と言って、一時間も物陰から二人を見ていたという。
 
 筆者は茂吉と同郷で、晩年の結城哀草果に二度会っている。
 それを思い出しながら描いた。

 
【プロフィール】:
斎藤周吾 (さいとうしゅうご)
受賞歴
 平成20年8月、日本文学館『最後の家康』で、短編部門の審査員特別賞。
 平成20年1月、(財)斎藤茂吉記念館にて、『短歌部門』で、川嶋清一選で佳作。


これまでの作品:

女帝物語−わが子に
血染めの染雪吉野桜
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』前編
遙かなるミッドウェー『父からの手紙』後編
惟正、請益僧円仁に従い入唐求法の旅
随筆 うつけ信長、弱者の戦略
黒田官兵衛物語 六尺四方の暗い地下牢に藤の花が咲く女帝物語−褥の思い出(前編)
女帝物語−褥の思い出(後編)


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【時代小説発掘】
絶唱の最上川
斎藤 周吾



 ”さみだれを あつめてはやし もがみがわ”

 
 俳諧師の松尾芭蕉が『奥の細道』でよんだ発句である。
 

「もう梅雨に入ったのかな……」
 結城哀草果(ゆうきあいそうか)は、しきりに、そぼ降る雨空を見上げてつぶやいた。
 大東亜(太平洋)戦争に入り、天気予報が発表されなくなったので自分で観天望気するしかない。
 アララギ派の歌人、斎藤茂吉(さいとうもきち)の生まれ故郷である、山形県蔵王村金瓶(現在の上山市金瓶)の仮住まいを訪ねてゆく途中であった。
 「五月雨を 聚めてはやし 最上川」
 結城哀草果が、裏から玄関口に回ろうとすると、家の中から朗々と句を吟ずる先生の声がする。
「茂吉先生は、詩歌の心を深く味わうには声に出すことと常々言っているが、戦争というこの非常時に、何とのんびりな……」
 哀草果は一人、呆れかえった。

 
 昭和20年3月10日、アメリカ軍のB29が東京を大空襲し、東京は焼け野原となった。
 犠牲者は、10万とも20万ともいわれる。
 斎藤茂吉が経営する東京青山脳病院にも焼夷弾が落下した。
 医師は、東京から疎開してはいけないと命じられていたが、東京は既に焼け野原。
 更に茂吉は、結核性の左側湿性肋膜炎を患っていたので、疎開を認められた。
 茂吉は昭和20年4月、生まれ故郷に、東京大空襲の翌月に疎開したのであった。
 実家の森谷家ではなく、妹の婚家が歓迎してくれたので、義弟から間借りしていた。
 馬屋を改築した間だという。
 いつ空襲があるか分からないのに、お題目を唱える読経のように、のんびりと芭蕉の句を口ずさんでいるのだ。いよいよ米軍が東京に上陸するという噂がある。それゆえ余計、師ののんびりとした声が異様に聞こえる。
「先生、結城です」
 玄関口で言った。
「やあ、光三郎君か、入りたまえ」
 哀草果とはペンネームである。茂吉は常に本名の光三郎と呼ぶ。
 哀草果は、茂吉とは一回り近く若い。今年52歳になる。
 金瓶近くの長谷堂の農家に婿養子に入り、農業を自営しながら歌をよみ、茂吉の歌壇における一番弟子であった。
 哀草果は今、生業である夏蚕(なつご)という蚕(かいこ)を飼う農繁期だ。
 ≪妻と二人夜中に起きてしみじみと弱きかいこ蚕に桑くれにけり≫
 蚕は、濡れた桑を喰わせると腹を下して病気になり、繭を作らなくなる。
 雨が降る日は桑摘みが出来ない。
 だからといって喰わせないと、数万匹という蚕が蚕褥(さんじょく)から逃げ出し、収拾が付かなくなる。梅雨の今頃が最も飼いにくい。
 哀草果は、暫く晴れる日がないと思い、養蚕の合間を見て駆けつけた。
 哀草果は、入りたまえと言われた時には、一人で居る師の膝元にどかっと座っていた。 東京の大病院の院長先生がこんな狭い所に押し込められている。哀草果の胸は詰まる。「正岡子規は病床六尺と言ったが、ここは子規の数倍の広さだ。東京で焼け出されて住む家がない人達から見れば、ここは極楽だ」
 茂吉は笑ったが、自慢の口髭は力なく垂れ下がっている。
「先生、気付け薬をお持ちしました」
 哀草果、手製のどぶろくであった。
 茂吉は、肋膜炎に酒は良くないと分かっているが、少しなら百薬の長だ、と言って、哀草果に何度も催促して持って来させたのであった。
 戦時下での酒は配給であるが、今はそれもなくなった。
 酒を飲むには自分で造るしかない。哀草果は茂吉の為に酒を密かに造っていた。
「やあ、いつもすまん。馬屋の匂いはわくわくするが、酒の匂いにはどきどきする」
 酒好きな茂吉は猫のように口髭を動かしてくんくんと匂いを嗅ぎ、猫のように喉を鳴らした。
「美味い、実に美味い。君の真心が籠もっている酒だ。実に美味い」
 茂吉は、茶碗に並々と注いだ一杯を一気に飲み干して言った。
 美味い美味いと変質的なまでに何度も繰り返す師である。
「ところで、きみもどうだね」
 師は、茶碗の底に申しわけ程度に注いで渡した。
「はい…… いただきます」
 哀草果は、底の少ない酒をじっと見つめて微笑した。
 最近の師は、病いと老いで一層やつれたように感じる。
 茂吉は42歳の時の1924年12月、大晦日が近い29日に脳病院を火事で失った。それをどうにか再建した。更に今年、東京大空襲で全てを失った。
 今はもう63歳。普通なら隠居暮らし。しかも病気だ。いかに戦争の時とはいえ、大病院の大先生が厩舎のような狭い間に住んで居る。
 長く住んで居る者には鼻バカになって感じぬが、部屋に馬の臭いが染みついている。
「聖徳太子は馬屋で生まれた。馬屋の臭いは実にすがすがしい」
 茂吉は言うが、決して負け惜しみではないようだ。
「全てが焼け、わしの失うものは何もない。東京の人がみんな失ったのだから、わしはさほど感じない。こうも沢山の人が死ぬところを見せられると、子供は泣き叫ぶが、死は日常茶飯事になる。悲しいものだ」
 師はそう言って宙を見据えたのであった。
 かつて哀草果は何度も東京を訪れた。大都会の繁栄を知っているが、東京の今の惨状など夢想だにできない。空襲を実際に体験していない哀草果には、対岸の出来事であった。「老後になったら隠居部屋を造ろうと実家から土地を分けて貰っていたが、この時勢だ。戦禍は山形にも広がり、家を建ててもいつ焼け出されるか分からない。故郷に錦を飾るどころか、このような形で帰るとは夢想だにしなかった」
 と無念げに言った。
 内心はやはり不満なのだろう。病で早くも酔いが回ったのか口が良く回らないようだ。「この時勢ですから仕方がないですね」
 哀草果は言う。
 深い雪に閉ざされる蝦夷(えみし)の末裔は、どこか諦めの自虐的な所がある。
 そのような哀愁の源流から哀草果の歌が生まれる。
「光太郎君、君は山形と言えば、何を第一番に想い浮かべるかね」
 髭先生は相変わらず、生活より短歌しか頭にない。
 むしろ、短歌に没入する事によって世の修羅場から逃れ、心の平安を保っているようだ。
 哀草果は一瞬、この近くの山寺立石寺でよんだ芭蕉の句である、
 ≪しずかさやいわにしみいる蝉の声≫
 と、山寺立石寺を出そうとしたが、
「やはり、最上川でしょうね……」
 と言った。
 哀草果は、茂吉がさきほど戸外に聞こえよがしに吟じていたのを言った。
「さすが私の一番弟子だ。私が喫緊の課題として思っている事を言い当てた。芭蕉は大石田で、五月雨をあつめてはやし最上川、とひねった。私は大石田に行こうと思う」
 茂吉は言った。
「そうですね。今は戦争の世で、一億総玉砕と叫んでいます。山形の街に近い金瓶も危なくなって来ました。大石田の方がまだ、安全ですね。大和朝廷から北へ北へと追われる蝦夷(えみし)のようです。いつの世も戦争は悲惨です」
 哀草果は言った。
 哀草果はもう、兵隊に取られる年ではなかったが、戦局が窮迫した今、市町村国民義勇隊として徴兵される事を覚悟していた。現在は竹槍を持たされ、バケツリレーの消火訓練にも参加している。
「山形歩兵連隊長は、竹槍に大和魂を吹き込み、飛んで来るB29を鬼神のごとく呪い落とせと言うのだ。実にばかばかしい」
 哀草果は、むしろ呆れかえっている。
 

 最上川は、南の県境米沢を源流として県のほぼ中央を北上し、新庄の峡谷を西進して酒田の海に注ぐ。山形県内だけの水を集める、珍しい川である。
 山形県は、三方を丁岳山地(ひのとだけさんち)、奥羽山脈、飯豊山地(いいでさんち)に囲まれているからである。酒田の平地に流れるしかないのだ。
 最上川は日本三大急流の一つだが、大石田の地は川より低く、河川は蛇行して淀み、梅雨になれば水かさを増す。稲田の苗は水没して腐り、または流される。
 大石田の歴史は、エジプト・ナイル川のように氾濫を繰り返した。
 最上川は忌まわしい川だが、川から離れては生きて行けない。人智の及ばない自然の猛威に対し、ただ諦めることしか生き延びる術はない。それが縄文時代から続いているのだ。
 まさに、五月雨の大石田の最上川は、あつめてはやしの情景である。
 茂吉は40日ばかり川面を見つめた後、
「芭蕉の、さみだれをあつめてすずし最上川。これさえ越える事はできない」
 と嘆いた。
 芭蕉のこの発句は、大石田の止宿先の高野一栄宅において、連句会(歌仙)で詠じた。 芭蕉は、『すずし』を『はやし』に変えて奥の細道に載せた。
 芭蕉が直接受けた感動を、江戸の深川に帰ってから熟成・昇華した句であった。
 すずしという個人の叙情より、はやしの方が遙かに壮大な叙事詩として人々の心に訴える。
 茂吉は芭蕉の詩境に至らず、傷心の余り、金瓶に帰った。
 
 
 いよいよ戦禍は東北にも広がり、7月10日、太平洋側の仙台は米軍の艦砲や空襲に晒された。
 爆発する砲弾の音や地響きが、峻嶮な奥羽山脈を軽々と越えて山形にまで届いてくる。 今まで空襲がなかった県都山形も、まもなく同じ憂目に遭うのだ。巻き添えを喰うのは明らか。
 哀草果は、艦砲射撃の音を聞くと生きた心地がしない。
 しかし八月、終戦の玉音放送が行われた。
 山形には結局、米機の来襲はなかった。
 B29三機が見晴らしの良い晴天時、奥羽山脈の蔵王山の乱気流に呑まれて墜落した為、それ以後山形を空襲する事が出来なかった。これが、山形が悲惨な空襲から逃れ得た真実であった。
 これは当然、戦後に分かった。
 戦後になって、哀草果は魂の抜け殻のようになったが、手足だけは相も変わらず、日常の農作業にいそしんでいた。
 戦争中は死ぬ危険があったが、皆で助け合って曲がりなりにも統制がとれていた。
 神とも崇めた首相が戦争犯罪で裁かれる。人々は怒り、困惑し、自暴自棄になった。
 戦時中は特高に密告されると思って誰も不平不満を言わなかったが、終戦になるとタガが外れたようになり、戦時中よりむしろ戦後の方が酷い。戦後は無法地帯になり、戦争以上に悲惨であった。
 飢えて死ぬのを栄養失調と言い換えていた。そのような東京にもはや帰れない茂吉である。
「やはりもう一度、大石田に行く」
 茂吉は言った。終戦の年も暮れようとする頃である。
「ええ…… 気晴らしにまた、来年の雪が溶けて暖かくなったら行った方が良いですね。戦争も終わったので、暗い俗界の垢を落としに、近くの温泉宿でのんびりと湯治ができます」
 哀草果は和した。
「芭蕉が夏の最上川の氾濫をひねったのなら、わしは冬の最上川の過酷さを歌う」
 冬の大石田は金瓶よりも雪が多く、寒い。
「先生、歌どころではないですよ。そのお体では無理ですよ」
 哀草果は必死に止めた。
 いや、と茂吉は言う。
芭蕉の『おくのほそ道』は、旧暦の元禄2年3月27日に江戸を発ち、東北・北陸を巡って9月6日に美濃大垣を出発するまでの半年間を書いた。
 東北の雪の避け、春から秋の歩きやすい春秋の日を選んだ。
 次の秋から春にかけて、寒い冬の入る秋春を、別の一年と数える二倍年暦法というものがある。
 それくらい、東北の冬は厳しいという事だ。
 こればかりは芭蕉も及ばない。茂吉の独断場だと言う。
 戦争が終わり、日本は自信も物も何もかも失った。諦めるか、前進するかは、その人の心がけ次第だ。歌は万葉の頃より脈々と残っているではないか。今こそ質実な万葉に帰るべきだ。毎月出版している『アララギ』は残った。科学は一時の功、文学は人類の功だ。病で死ぬのも、戦争で死ぬのも同じことだという。
「私は病気でまもなく死ぬ身だ。芭蕉を越えるもの、芭蕉の及ばなかった物を少しは残して死にたいものだ。大石田に骨を埋める」
 師は断固として言った。
 死病である結核に罹り、死期を悟ったのかも知れない。
 茂吉がそう言うと、哀草果はもはや止める術を失った。
 戦争で全てを失った師は、改めて天命を悟ったのだろう。
 哀草果は、その年の暮れ、半郷(はんごう、現山形市)の役場に行き、師の転居の手続きを行った。
 潔癖な師らしく、覚悟は『形』から、と言って転居届けを出させたのだ。
 茂吉は病身をおして大石田に向かった。
 

 翌年の1月、茂吉は深雪の大石田に向かい、二藤部兵衛門の離れに居を構えた。
 戦禍の及ばなかった大石田は、芭蕉の時代から何も変わらないように見えた。
 戦地から生きて帰り、軍装のままで歩く人や白衣の傷痍軍人を見て、かすかに戦争の傷跡を知った。
「冬の最上川を最も知るのは川岸だ」
 茂吉はそう言って、大石田の最上川辺にテントを張って陣取った。
 哀草果には、師は死ぬ気だ、としか思えない。
「光三君、最上川の冬を表す、パンチの効いた一つの言葉はないかね」
 病で憔悴する茂吉は、咳をしながら、眼だけを異様に輝かせて尋ねた。
「そうですね……」
 哀草果は言っても、何も浮かばない。相づちを打って帰った。
 

 哀草果は、長谷堂の自宅近くの最上川のほとりに居座り、呆然と川面を見つめていた。 そんな吹雪くある日、最上川を白波が上流にむかって激しくさえぐ様を見た哀草果の頭に、
『逆白波(さかしらなみ)』
 と閃いた。
 逆白波とは我ながら傑作、と自賛した。
 この言葉を使えば師を越える歌ができる。最大の恩返しができる。
 哀草果はもう居ても立ってもいられない。その夜は興奮して眠れない。
 臨時列車はあるが、偉い人が東京から来る時しか動かない。外は相変わらず吹雪いている。
 夜明けには未だ早いが、哀草果は大石田に向かって45?の距離を歩いて居た。
 雪道に足を取られながら、夕方、ようやく大石田に着いた。
 吹雪の中、テントの中から最上川を見つめる師は、執念にも似た鬼気迫る顔だ。
 哀草果は陣中見舞いに訪れたが、言葉をかける事ができなかった。
 黙って側に腰を下ろして川面を見つめた。
「やあ、光三郎君か、居たのか。いつ来た。…… 何、長谷堂から雪中行軍して来たのか」
 茂吉は呆れたように哀草果を見つめた。
「寒いぞ、中に入りたまえ」
 外に居た茂吉は、テントの中に誘った。
「先生、冬の最上川を表すのに、『逆白波』という言葉を考案しました。これを元に自分も最上川を歌ってみようと思います」
 と哀草果は言った。
 しかし茂吉は、哀草果の興奮した言葉にも関わらず、憮然として返事がない。
 何かじっと考え、無言である。歌には決して妥協を許さない師である。
「やはり、逆白波は子供だましの駄作ですか……」
 哀草果は、師の気むずかしい顔を恐る恐る見上げた。
 師の一点を凝視する眼奥は病的なほどに光る。口髭が立っている。例の癇癪玉が破裂する前兆だ。
 茂吉は、幼い時から病的なまでの性癖の為に敵を作り、仲間から疎外された。時には卒倒した。
 精神科医になったのも、その病苦にいたたまれない為でもあった。
 短歌に熱中するのは、抑制の利かない昂揚を抑える安全弁でもあった。
 天才は狂気である。茂吉は、うつ病の芥川龍之介も治療していた。
「結城君、きみは私の一番弟子で、芭蕉における曾良(そら)だ」
 茂吉は愛弟子を笑顔で讃える。
「いえいえ私は、曾良の足元にさえ及びませんよ。偉大な髭先生の足手まとになっているだけです」
「いや、曽良だ。そこで一つ、きみに頼みがあるんだが……」
 茂吉はじっと哀草果の目を見すえた。
「先生の頼みとあれば、最上川に飛び込んで散華することさえいといません」
 哀草果は、特攻隊の生き残りのように胸を張った。
「それでは、私が短歌に詠むまで、『逆白波』という言葉はどこにも発表しないでくれたまえ」
 茂吉は、哀草果を射る目で凝視した。
「はあ……」
 哀草果は蛙(かわず)となり、冬の最上川に飛び込みたくなった。
 先生に黙っていればよかった。
 逆白波は、我が命より大事なものである事を改めて気付いたが、後の祭りであった。
 

 その夜、狭いがテントに泊まって行けという師の言葉に、一つしかない火鉢を二人で囲んだ。
 師は手ずから餅を焼いた。餅も不満げに膨らみだした。
 師は焼けた餅を熱そうに持ち、まず、哀草果に渡した。
(逆白波も白餅と消えたか)
 餅をほおばる哀草果は泣くに泣けない。外はいよいよ吹雪が強くなった。
「結城くん、歌ができたぞ」
 突然、茂吉は叫んだ。
「最上川 逆白波の 立つまでに 吹雪く夕べに なりにけるかも」
 茂吉は言った。
 哀草果は、師の歌を何度も復唱反復した。
 師が歌ってこそ『逆白波』に生命を与えられた。
 それも、最上川の次に逆白波を持って来て詠ってくれた。
 やはり哀草果は大石田に来た甲斐があった。
 上方を出自とする松尾芭蕉は、まつろわぬ民が暮らす奥の細道に、最上川のような大川があったのかと驚いた。行基菩薩が日本で初めて作った『大日本国図』以来、小さく描かれている奥羽・東北である。
 芭蕉は、東北が大陸だという事を実際に歩いて知り、新鮮な驚きをもって『はやし』と句を変えた。
 芭蕉は、旅の通りすがりの人として、最上川の風景を一幅の絵として句に収めた。
 茂吉は反対に、生きるに酷しい北国の地元に住む者しかわからぬ、冬の最上川を歌った。
 対手(たいしゅ)より、自分の内面で感動するのが、冬は深雪に閉ざされる山形県人の心である。
 ここに、芭蕉と対極となす師の、叙事詩的叙情詩の歌境が完成した。
 地元にどっぷりと浸かる哀草果は思うだにしない、茂吉の歌境である。
 異郷から故郷にリターンして初めて、鏡で写すように分かる地元人の心である。
 朝になった。
 テントを出ると、依然として北国の空は吹雪いている。
 哀草果は最上川を吹き上げる粉雪に、清々しい気持ちで頬をなぶらせたのであった。

 結城哀草果は、これを機にますます茂吉の信任を得て、雑誌『アララギ』の編集長として腕を振るったのであった。
                 
                                       了 







 
 




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09/30 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・反発後、上値が重い展開。
09/29 08:55 「本日のマーケット」(FX編)・・・株安・円高パターンの継続はドル高圧力を後退
09/29 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落後に落ち着きどころを探る展開。
09/28 08:46 「本日のマーケット」(FX編)・・・東京時間のドル/円は120円半ばを中心にもみあい。
09/28 08:36 「本日のマーケット」(株式編)・・・手掛かり材料難のなか、もみ合い。
09/25 08:53 「本日のマーケット」(FX編)・・・・朝方、イエレン米連邦準備理事会(FRB)議長が年内利上げが適切との見方を
09/25 08:44 「本日のマーケット」(株式編)・・・引き続き弱含みで推移。直近の安値1万7415円61銭を意識。
09/24 08:37 「本日のマーケット」(FX編)・・・・連休明けの東京時間のドル/円は120円前半を中心にもみ合う展開。
09/24 08:26 「本日のマーケット」(株式編)・・・続落スタート。連休中にNYダウが軟調に推移。
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