| 2009年6月9日 11時58分 |
| 二十回目 「開港」にまつわる歴史(開港150周年を迎えて) |
遠藤顧問の歴史だよ! 二十回目 「開港」にまつわる歴史(開港150周年を迎えて) by 遠藤顧問 小見出し 三者三様の150周年 開港場とは 開市場とは 開港「六都市」 不平等条約 長崎の外国人居留地 函館の外国人居留地 横浜の外国人居留地 新潟・東京の外国人居留地 神戸・大阪の外国人居留地 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年5月24日 18時46分 |
| 明治維新の謎 |
遠藤顧問の歴史だよ! 十九回目 明治維新の謎 by 遠藤顧問 小見出し 誰もが明治維新を知っている? 武士の身分的自殺 「階級闘争」モデルでは説明できない明治維新 「体系的な説明」は、まだ行われていない 明治維新に関する司馬史観 誰も明治維新を説明できない? ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・・・・・・・・・・・・・・ 旧体制を破壊した明治維新の主体は、あくまでも武士であり、武士出身の政治指導者が“武士の身分と世禄の剥奪”という急進的変革を実行した。この史実は、西洋やシナの近代革命を考える際に、しばしば参照される「階級闘争」モデルとはずいぶん食い違っている。 「革命」を考える場合、我々は、不満を持った下層身分が上級身分に挑戦し、その特権を解体しようとするものと考えがちである。戦後の日本の歴史学者たちもその例に漏れず、幕末日本に「下からの変革要求と反乱」の痕跡を探し求めたが、失敗してしまった。我々はなお、従来の支配身分がなぜ、あっという間に自らを解体してしまったのかという謎の前にたたずんでいるのである。 この謎は単に「階級革命モデルに適合しない」という問題にとどまらない。これはそもそも“人間性”に反している。一体どこのエリートが自ら進んでその特権を放棄しようとするだろうか。 シナや朝鮮のエリートは、同様の国際環境にあっても、自らの理想を堅持し、それと不可分であった社会的特権にも疑いを抱かなかった。 もちろん、当初は日本の武士も、自らの統治身分としての役割を疑っていなかった。幕末10年間の政治的混乱の時代にあっても、武士がその身分を廃止しようと主張することはなかったのである。しかし王政復古後、わずか10年で、彼らにとっては“自殺”とも言える行為を抵抗なく受け入れたのである。彼らは、なぜ、そうしたのか?・・・・・・・・・(本文より) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年5月10日 8時37分 |
| 日本の開国事情 |
遠藤顧問の歴史だよ! 十八回目 日本の開国事情 by 遠藤顧問 ・・・・・・・・・・・黒船来航と日本開国については、今まで、 「無能な幕府が、強大なアメリカの軍事力に屈し、極端な不平等条約を結ばされた」 という解釈が一般的であった。 しかし近年は、優れた諸研究によって、 「幕府の(事前の調査能力を含む)交渉能力は高いものであり、アメリカも軍事力を誇示したが、実際には“平和的交渉”が基本方針となっていた。日米双方の当事者による外交努力は、不平等性の最も少ない“和親条約”を締結させるに至った」 と解釈されるようになってきたのである。・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・19世紀という「弱肉強食」の原理が支配する時代では、アフリカ・アジアの多くの国々が西洋の植民地にされた。あるいは、西洋との戦争に敗れた結果、領土の割譲や莫大な賠償金の支払いを余儀なくされた。 植民地から脱するのに約200年かかったケースは、決して珍しいものではない。また、敗戦によって不平等条約を結ばされたシナの場合は、その地位を脱するのに約100年かかっている。しかし日本の場合は、不平等条約を結んでも、それは「敗戦」によるものではなく「交渉」によるものであった。他と比べて、不平等性は著しく少なかったのである。 そして日本は、約40年で西洋諸国と同等(平等)の地位に達しえたのである・・・・・・・・ (以上本文より) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 小見出し 日本の開国事情 七ヵ月半をかけてやってきた世界最大の黒船 米英が得ていた日本情報 日本が得ていた海外情報と幕府の対外政策 前代未聞の「意見公募」 見直すべき「条約」の効用 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年4月26日 11時39分 |
| 日本のマスコミの原点 |
遠藤顧問の歴史だよ! 十七回目 日本のマスコミの原点 by 遠藤顧問 衝撃を受けた「やらせ」写真 今から3年ほど前になるが、私とマツナガの雑談の最中、マスコミの「やらせ」の話題が出た。その時、私が最も衝撃を受けた「やらせ」は、「昭和20年8月15日の写真」だと彼に話した。 「皇居前の広場で、皇居に向かって国民が土下座し、うな垂れている」写真のことである。 「終戦記念日」に関するニュースなどでは、必ずといってよいほど、この類いの写真が映し出され、それと同時に、「たえ難きをたえ、忍び難きを忍び」という陛下の玉音放送が流される。当時の国民が、「敗戦」の事実を知らされたショックがじわじわと伝わってくる、まさに「歴史的な瞬間」である。 ところが、写真の中で土下座して写っていた青森県のある男性が以下のような証言をしている。 「昭和20年8月14日(つまり、玉音放送の前日)、所用で訪れた明治生命ビル(皇居前)を出て、“宮城前に来たのだから拝んでいこう”という気持ちで二重橋の方へ歩いていったところ、丁度、“写真”の位置で、腕章を巻いたカメラマンに呼びとめられ、“写真を撮りたいので、そこに土下座してほしい”と言われた。他に“写真”のように多くの人々が座らされ、“写しますからお辞儀をして下さい”と言われて撮られたのが、あの“写真”です」・・・・・・・・・・・・・(本文より) 小見出し 衝撃を受けた「やらせ」写真 敗戦時の新聞 政府系新聞(『毎日新聞』の場合) 政府系新聞(『読売新聞』の場合) 政府系新聞(『朝日新聞』の場合) 自らの歴史に対する真摯な検証を望む ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年4月19日 7時27分 |
| 戦う李朝・戦わない徳川幕府 |
遠藤顧問の歴史だよ! 十六回目 戦う李朝・戦わない徳川幕府 by 遠藤顧問 今回は、およそ150年前の「黒船」という外圧に対して、徳川日本と李朝朝鮮(以下、当時の国名である「朝鮮」という)がとった態度について考えたい。特に、日本史の教科書にはあまり出てこない当時の朝鮮の状況を記す。 元来、日本は朝鮮と300年間友好関係を保ち、徳川幕府が「鎖国」したときにも、国交は続いた。幕末期に国交が中断していたが、明治維新直後、日本は王政復古を知らせて、朝鮮にあらため国交を求めた。周知の如く、この要求を朝鮮が拒絶して日本に「征韓論」が沸き起こる。それ以降のことは、教科書にも記載されている通り(もっとも、その内容が正確かは別であるが)、1876(明治9)年に締結された日朝修交条規(江華島条約)をもって朝鮮は「開国」したのである。 今回、テキストとさせて頂いたのは、佐藤誠三郎「近代化への分岐――李朝朝鮮と徳川日本」である。この論文は、『中央公論』1980年4月号に掲載され、佐藤誠三郎『「死の跳躍」を超えて――西洋の衝撃と日本――』(都市出版、1992年)にも所収されている。 「死の跳躍」を越えて―西洋の衝撃と日本 著者:佐藤 誠三郎 販売元:都市出版 発売日:1992-12 おすすめ度: クチコミを見る 小見出し 東洋の「隠者の国」 朝鮮と日本の類似性 西洋列強への対応の違い 西洋文明への対応の違い 違いをもたらした要因 1.「劣等意識の克服」の相違 2.統治構造と統治エリートのあり方の相違 約20年の差 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年4月7日 11時9分 |
| 「日出づる処」の外交 |
遠藤顧問の歴史だよ! 十五回目 「日出づる処」の外交 by 遠藤顧問 古代史のおもしろさ 専門家には怒られるかも知れないが、古代史は、とにかく、おもしろい。 他の研究分野に比べて、史料は、ほとんど研究し尽くされた感があるのに、内外の記録の内容が合わなかったり、字が欠けていたりするものも多いので、「史実として断定できない」事柄が幾つもある。 有名な「邪馬台国」に関しても、史料に出てくる漢字の意味を選択したり、読み方を変えてみたり、距離や方角を自分なりに推定することで、史実に迫っていく。なかなか「断定できない」ので、そこには「ロマン」や「ドラマ」が介在する余地が十分にある。したがって、古代史は昔から作家(推理小説家、SF作家を含む)も参入しやすい分野である。・・・・・・・・・・・ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 小見出し 古代史のおもしろさ 東野治之氏の指摘 冊封と朝貢 伝統的世界観から逸脱する日本 「皇帝の使者」に対する態度 二つの顔をもつ日本 再び「礼を争う」危機 唐からみた日本 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年3月29日 11時13分 |
| 庶民はいつから「丸腰」にされたのか |
遠藤顧問の歴史だよ! 十四回目 庶民はいつから「丸腰」にされたのか by 遠藤顧問 小見出し 塚本学氏・藤木久志氏の業績 「刀狩り」から50年後の百姓と「刀」 「刀狩り」から130年後の町人と「刀」 「刀狩り」から300年後の庶民と「刀」 教育委員会の「登録証」 百姓と領主の間に存在した“鉄砲不使用の原則” ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年3月21日 6時10分 |
| 「島原の乱」の評価について |
遠藤顧問の歴史だよ! 十三回目「島原の乱」の評価について by 遠藤顧問 小見出し 教科書から「島原の乱」の呼称が消えた! 「一揆」の評価の流れ 新たな「宗教一揆論」 神田千里氏の実証研究の意義 近年の歴史研究の潮流 幕府や藩(権力側)の「作為」?(岡田章雄氏の場合) 幕府や藩(権力側)の「作為}?(中村質氏の場合) 新たな「宗教一揆論」に対する“抵抗勢力” “抵抗勢力”の“自己批判”? ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年3月12日 10時28分 |
| 歴史研究と歴史小説について |
遠藤顧問の歴史だよ! 十二回目 歴史研究と歴史小説について by 遠藤顧問 小見出し 歴史家供養 歴史小説の許容範囲 「研究書」と「小説」の文章比較の実例 類似箇所 二十箇所以上 歴史小説にみる間違った史実 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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| 2009年2月25日 17時46分 |
| 我々の祖父母は「天皇陛下は神様である」と本当に信じていたのか? |
遠藤顧問の歴史だよ! 十一回目 我々の祖父母は「天皇陛下は神様である」と本当に信じていたのか? by 遠藤顧問 明治時代から昭和20年の敗戦まで、日本人は「天皇陛下は神様である」と信じ込まされていた、などと今も本気で思っている人は多い。 それは、以下に掲げるような知識人たちの主張(文中の傍線・太字は引用者)が大きな影響を与えているからであろう。 小見出し 久野修・鶴見俊輔の主張 宮沢俊義の主張 立花隆の主張 梅原猛の主張 ・・・以上の四つの主張は、いずれも「天皇神格化」の起源を「明治時代」としている点で共通しているが、これは正しく史実を述べたものではない・・・ 明治初期の天皇観 明治中期の天皇観 明治後期の天皇観 大正時代の天皇観 「天皇神格化」への試みはいつから盛んになったのか 「戦前の日本」を安易に「明治からの日本」としてはならない ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
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