第一部 3話 【蝶々さんと、ゲランの一族。】 | |
[ハラベエさんの犬星☆猫星(第一部)] | |
2009年11月3日 13時10分の記事 | |
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ちなみに末っ子は、テレビで親子を演じて以来、なにかにつけて慕い寄っていた、俳優業から政界に転身して国政に携わり、今は千葉県知事として腕を振るっている森田健作さんです。 トラジロウことトラは、おとなしい子でしたが、サクラはおませな娘、父ゲランとの間の子供を三人産みました。 しかしこれが産みっぱなし、我が子を見向きもしませんので、見るに見かねたのでしょうか、ミルが孫たちの子育てに専念するようになりました。 夫が自分以外の相手、こともあろうに実の娘に産ませた子を育てる、人間の世界だったら大悶着(もんちゃく)になるところですが、うかがい知ることのできぬ、カレらにはカレらだけのルールがあるのでしょうか。 子育てを始めてから、母性本能が刺激されたのでしょうか、ミルはお乳がたっぷり出るようになったとのことでした。 今度は二人がもらわれて行き、独り残ってミッチイと名づけられた女の子。これがとんでもないお転婆で、引っかきまわし暴れまわり、なんでも一番で なければいやという激しい性格でしたが、その性格どおり親たちを尻目に、あの世へも一番に旅立ちました。 この間、ゲランはタレント性を発揮していました。 姿がよく怜悧(れいり)な眼をしたゲランを、テレビのトーク番組収録のとき連れて行くのが二三度重なったとき、スタッフから出演依頼を受けたのです。 トークを展開中に、突然登場して蝶々さんの膝に乗る、そんな他愛もないシーンでした。 ぶっつけ本番で現れたゲラン、アップになった瞬間、カメラ目線で立ち止まり、ややあって首をめぐらし蝶々さんを見つめると、やおらゆっくりとその膝元へ……動きといい間といい、その所作は役者が見得を切るみたいに、それはもう見事なものでした。 スタッフは大喜びでした。 次の収録日には、ゲランの名前入りの座布団がプロデューサーからプレゼントされ、レギュラー扱いの待遇になったのです。 以後、雑誌の取材などでも、蝶々さんの横にはゲランの姿が見られるようになりました。 一方、華やかなゲランの活躍の陰で、イソーローが静かに死を迎えていたのでした。 早い死でしたが、先に逝ったミツコとうれしい再会を果たしているのではないでしょうか。 イソーローの野太い声が絶えて間もなく、次にその犬小屋の主となるよう運命付けられた子が登場します。 その頃の蝶々さんは、大阪道頓堀の中座、京都の南座、そして名古屋の名鉄ホールと、年間三劇場の座長公演をこなし、合間を縫って地方巡業を行っていました。 その上、読売テレビのトーク番組「夫婦一一〇番」がすこぶる大好評でした。 歯に衣着せず、世相のゆがみを一刀両断する、その切れ味鮮やかな話術がお茶の間を沸かしていたのです。 巡業の注文も殺到していました。 そんなある日のことです。 読売テレビの楽屋から見下ろす掘割に架かった橋の上を、行きつ戻りつしている白い犬がいました。 楽屋入りして間もなく目撃されていますから、本番前ともなればかなりの長時間、その場を離れなかったことになります。 待ち時間の退屈しのぎの話し相手にと、楽屋を訪れたハラベエさん、そうと聞いて早速橋に向かいました。 まったく人通りのない橋の上、人の気配を感じたのがうれしいのか、白い子はふっとんでくると、ハラベエさんと、一緒に来た若い人二人に、それこそちぎれんばかりに尻尾を振ってまとわりつきます。 白い毛の中型犬の仔犬で、ミックスの女の子です。 人恋しさでいっぱいだったようです。 じゃあなぜ、こんな人気のない場所から動こうとしないのか、ここを離れられないカノジョなりの理由でもあるのか。 手入れの行き届いた毛並みで、首には首輪がついさっきまで巻かれていたような形跡があります。 転勤する人が、次なる住まいが動物禁止なので、やむなく置き去りにしたのだろうとは、容易に推察できるところです。 つながれてもいないのにここを離れないのは、散歩でよく通り、あるじと遊び戯れた道であり、おそらく去るときの「待て」の一言を信じて、待ち続けているのでは……忠犬ハチ公みたいなものです。 それにしても、戻ってはこないのに「待て」と命じたあるじもさぞ悲しい思いをしたことでしょう……と、報告するハラベエさんでした。 「話を作りすぎや」 一笑に付す蝶々さんでしたが、次の一言は、白い子に対して同情的になっていた周囲のみんなを喜ばせました。 「もし、帰るときにまだおったら、連れて帰ろ」 白い子にも、この言葉が聞こえたのでしょうか。 本番が終わって帰るまでの一時間ほどは、橋の袂にちょこんと坐って身じろぎもせず、こっちの方を眺めているようでした。 帰りの車に乗り込む前、ハラベエさんが「オーイ」と呼びかけ手を振ると、猛烈な勢いで駆け出してきました。 だれかれなしにじゃれ付く白い子でしたが、新しいあるじというのがわかるのか、「クーン、ク―ン」 と、蝶々さんに甘えるように近寄りました。 「おいで、シロ」 と、蝶々さんが抱き上げ、その子の新しい名前がシロと決まりました。 「あんたが連れてきたんやから、ハラベエさん、親代わりに責任とりなはれや」 ゲランとミルに加えて、シロの実家の親という立場がハラベエさんには追加されたことになります。 シロにとってはいいタイミングでした。 もし、イソーローが生きていたら、シロが箕面に行くことはなかったかもしれません。 こうしてシロは、古い犬小屋の新しい住人となり、体重制限でイソ―ローは禁止になっていた屋上への出入りも許されました。 背丈が伸び、屋上から見下ろせるようになると、シロは見張り番を勤めるようになります。 門前に来客が現れると、激しく二声三声吠えるのですが、なじんだ人物には軽く「オッス」という感じの声をかけ、しきりに尻尾を振っているようです。 前のあるじには屋内で育てられていたのでしょうか、初めの頃は、キッチンでお弟子さんやお手伝いさんたちが談笑していると、仲間に入れてくれとせがんで入り口の戸をかきむしり、穴をあけてしまうほどでした。 それでもルールは守られ、シロもせがむことはしなくなりましたが、時々土間まで入れてもらうことがあると……いや入り込んでくるというべきでしょうが……それこそ狂喜乱舞、のたうちまわるように喜びを爆発させるのです。 年を経るにしたがって、シロは四肢に比して胴回りに肉がつきすぎ、歩くのもしんどいといった様子でした。 それでも屋上への階段をえっちらおっちら上っていき、見張り役をサボることはありません。 むしろ、仕事熱心のあまり、道を往く人にまで激しく吠えかけて、ご近所から顰蹙(ひんしゅく)を買うこともありました。 ゲラン一族が相次いで逝った後、あまり触れ合うこともなかったこのシロとヒナコが、蝶々さんをお見送りすることになったのです。 その後、シロは相続人の日向利一夫妻のもとでわが子のように可愛がられて余生を送ることになります。 不思議な縁で結ばれた人間と犬たち、そこには我々にはうかがい知ることのできぬ絆みたいなものがあるのではないか。 「カレらはどこから来たのか、カレらは何者なのか、カレらはどこへ行くのか」 しきりに模索するハラベエさんでした。 猫たちにもハラベエさんは同じような思いで接しています。 後に、ミュウと呼ばれる茶色の仔猫が、ハラベエさんの家族になったのは、蝶々さんがきっかけでした。 ※ ミヤコ蝶々記念館 〒562 0046 箕面市桜ヶ丘1丁目10−43 TEL 072−723−2001 FAX 072−723−2009 代表 日向 利一 携 帯 090−9093−1414 ハラベエつれづれ草 ☆【第0部】【1P】 ☆【第一部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】 ☆【第二部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】【13P】 ☆【第三部】 【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】 ランキング参加中です ポチッと押してもらえたらうれしいです♪ くる天 人気ブログランキング ブランド 買取 フルーツメール | |
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