2013年3月23日 3時27分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第8章 小泉政権の誕生 ? |
第8章 小泉政権の誕生 ? ●福田超夫元首相の弟子・小泉純一郎が「清和会」会長に 日本は、平成八(一九九六)年が「デジタル元年」と命名されて以来、世の中では、アナログからデジタルヘの技術の移行、情報通信分野の成長が、さらに勢いを増し始めた。二一世紀に入ると日本は、新しい「ネットワーク社会」に変貌すると言われ、IT(情報技術)革命は、めまぐるしい進化を遂げてきた。インターネットは、「市場」であり、情報技術革命は、産業革命を起こす。 |
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2013年3月21日 0時0分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第7章 日米金融大戦争に散った金融の闇将軍 ? |
第7章 日米金融大戦争に散った金融の闇将軍 ? ●国際金融資本に対する「日本の窓口役」 竹下登は「金融の闇将軍」として大蔵省や日銀の首脳人事にも絶大な影響力を持つ実力者の立場から、国民の個人金融資産一二〇〇兆円の「運用」を外資系金融機関にも認める「資産開国」に踏み切らせた。「尊皇撰夷派」であった当時の大蔵官僚の抵抗を押し切ったのである。これが平成一〇(一九九八)年四月一日から始まった日本版の金融のビッグ・バンである。日本全土は「外資襲来」の渦に巻き込まれて行った。 |
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2013年3月20日 0時0分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第6章 キングメーカー・竹下登の院政とその死 ? |
第6章 キングメーカー・竹下登の院政とその死 ? ●小渕恵三は、政権の維持に懸命 竹下登の命脈が尽きた場合、小渕恵三の後釜を狙っていた加藤紘一や山崎拓、森喜朗の政権盗り戦略は、根底から崩れてしまう。これらの実力者たちは、「キングメーカー」としての竹下登の政治力をアテにしているからである。 |
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2013年3月18日 2時19分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第6章 キングメーカー・竹下登の院政とその死 ? |
第6章 キングメーカー・竹下登の院政とその死 ? ●加藤紘一が「まだ早いのでは」と尻込み この間、竹下登は加藤紘一に、「首相就任」を要請した。これに対して、加藤紘一が、 「まだ早いのでは」 と尻込みした。渦中の栗を拾うような貧乏籔を引きたくもなく、ましてや危険な賭けはしたくないというのが加藤紘一の本音のようだった。この結果、 |
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2013年3月16日 0時0分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第6章 キングメーカー・竹下登の院政とその死 ? |
第6章 キングメーカー・竹下登の院政とその死 ? ●キングメーカー・竹下登元首相の院政 竹下登は首相に就任させる政治家の順番について「橋本龍太郎→小渕恵三→加藤紘一→山崎拓か森喜朗→谷垣禎一か町村信孝」という絵図を描いていたといわれる。 平成元(一九八九)年春に首相の座を下りた後も、依然として政治の実権を握り政界最強の実力者として、「院政」を敷き、「闇将軍」の異名をとり、事実上の日本の舵取りは、現職の首相ではなく実は竹下登であった。 |
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