2016年10月9日 7時2分 |
◆『元統合幕僚会議議長・矢田次夫の「日本防衛の構図」』(1986年12月刊)―あとがき? |
あとがき? 矢田次夫氏は、父、唯造氏、母、くらさんの二男。三人兄弟の真ん中だった。生家は、休火山で知られる大山から見て北東の方向にあった。 |
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2016年10月8日 7時10分 |
◆『元統合幕僚会議議長・矢田次夫の「日本防衛の構図」』(1986年12月刊)―あとがき? |
あとがき? 元・統合幕僚会議議長、矢田次夫氏と私(板垣英憲)とは、不思議な縁で結ばれている。というのは、私の父(山崎英太郎)が、防衛庁事務官として海上自衛隊に勤務していたとき矢田氏の部下として仕えたことがある。矢田氏は、鳥取県倉吉市出身で、父は、その近くの東伯郡大栄町の生まれ、つまり同郷の関係でも結ばれていた。 |
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2016年10月7日 7時10分 |
◆『元統合幕僚会議議長・矢田次夫の「日本防衛の構図」』(1986年12月刊)―第六章 国防省への昇格、有事総動員法の制定を急げ―(7)米国頼みの防衛感覚は、もはや通用しない |
(7)米国頼みの防衛感覚は、もはや通用しない 米ソの核戦力のバランスの下で、日本は、戦後四十一年間、戦火からまぬかれてきた。とくに米国の核の傘におおわれたなかで、「平和」を享受できたおかげで、米国あたりからは、「平和ボケ」と悪口さえたたかれるほどの幸運に恵まれてきたのである。 |
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2016年10月6日 5時6分 |
◆『元統合幕僚会議議長・矢田次夫の「日本防衛の構図」』(1986年12月刊)―第六章 国防省への昇格、有事総動員法の制定を急げ―(6)防衛費対GNP比一%枠を突破しなくては、自主防衛は成り立たない |
(6)防衛費対GNP比一%枠を突破しなくては、自主防衛は成り立たない 矢田氏は、頂点をきわめた制服組の立場から、陸海空三自衛隊の最高指揮官としての首相という地位にある歴代の政治家と接してきた。 |
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2016年10月4日 6時58分 |
◆『元統合幕僚会議議長・矢田次夫の「日本防衛の構図」』(1986年12月刊)―第六章 国防省への昇格、有事総動員法の制定を急げ―(4) 成田空港を首都防衛の軍事基地に |
(4) 成田空港を首都防衛の軍事基地に 成田空港は、将来、軍事用に十分転用できる、と思っている軍事専門家は、少なくない。首都防衛の観点に立つなら、成田空港が、絶好の地域に存在しているからである。 |
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