2017年9月9日 0時0分 |
◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊)―第六章 一国の宰相としてのメッセージ―あまりせっかちに先を急ぐな? |
あまりせっかちに先を急ぐな 「細川内閣が誕生した直後の八月十日に、私は厚生大臣の大内さんと、文部大臣の赤松さんを、お祝いかたがた私が今必要だと思うことを伝えるために訪ねました。お二人の大臣は、かくも早く私が行動を起こしたことをとても驚いていらっしやいました。そして、私が父の意欲とせっかちさをよく受け継いだともおっしやいました。でも私はそうは思いませんがね。お返しにこう伝えました。行動は言葉よりも雄弁です。勇気をふるって指導力を発揮されるのを楽しみにしております、と」(『新潮45』より) |
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2017年9月8日 0時0分 |
◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊)―第六章 一国の宰相としてのメッセージ―外交には生命がけで取り組め? |
田中角栄が外交が得意な政治家であることは、日中国交正常化をはじめ、ソ連での交渉の態度やヨーロッパとの関係改善などで証明されている。 |
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2017年9月7日 0時0分 |
◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊)―第六章 一国の宰相としてのメッセージ―外交には生命がけで取り組め? |
今太閤の田中角栄の北京訪問から三百八十年前にあたる一五九二年(文禄元年)、豊臣秀吉が明への進出を意図して朝鮮に出兵したのに対して、このとき田中角栄は、中国との歴史的な和解をなし遂げたのである。 |
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2017年9月6日 0時0分 |
◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊)―第六章 一国の宰相としてのメッセージ―外交には生命がけで取り組め? |
この日早速に、田中角栄は第一回首脳会談に臨んだ。そのときの印象を、翌二十六日に記者団の前で次のような七言絶句の即興詩に託して披露した。 |
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2017年9月5日 0時0分 |
◆『角栄と眞紀子 史上最強の父娘』(1994年2月15日刊)―第六章 一国の宰相としてのメッセージ―外交には生命がけで取り組め? |
しかし、北京行きにあたり、田中角栄は眞紀子にこう語った。 「歴史的にみても、我が国が中国から学んだ事柄は大きい。にもかかわらず、その中国に対して日本が与えた被害は甚大なものがある。お父さんは、かつて中共と呼ばれ、その実体がほとんど知られていない隣国へ、日本の戦後処理と、新しい日中関係を拓くために乗り込むことにした。何が起こるかわからん。お父さんは生命を賭して出かける覚悟を決めた。だから今回だけは、お前を連れてゆくわけにはいかない。皆でしっかりと留守を守ってくれ!」(『時の過ぎゆくままに』より) |
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