2019年5月30日 7時32分 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第14回 |
第13回からの続き。 ◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第14回 *明治二十三年の恐慌 明治十九年以来の好景気は長く続かず、明治二十三年、恐慌が起こった。この恐慌は、近代資本主義の道を歩む日本が、初めて経験した近代的恐慌だった。安定した通貨制度の下で最初の堅実な好況の反動として引き起こされた。恐慌は、金融逼迫の姿として現れたのである。 |
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2019年5月30日 7時0分 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第13回 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第13回 *銀行紙幣の氾濫と暴落 渋沢栄一は、銀行家、企業家として日本の近代資本主義化の基礎づくりに力を注ぎつつ、いつも、「好景気・不景気」の経済変動に悩まされ、同時に政府の放漫財政と軍事費の膨張に、頭を痛め続けていた。西南の役、日清・日露の戦争をくぐり抜けながら、日本はやがて奈落への道を歩むことになる。 |
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2019年5月29日 8時8分 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第12回 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第12回 昨日、第11回の続きとして第12回を投稿しましたが、第13回の内容を第12回として投稿しておりました。誠に申し訳ございませんでした。本日、欠落してしまいました第12回分を投稿いたします。 順序が入れ替わりまして、大変失礼いたしました。心よりお詫び申し上げます。 *親代わりになって面倒を見る 栄一は、毎月十三日を「養育院に出勤する日」と決めていた。松平定信の祥月命日という理由である。たとえその日が日曜日であろうと、祭日であろうと、また天気の良し、悪しに関係なく必ず養育院に出勤することにしていた。 |
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2019年5月27日 8時54分 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第11回 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第11回 *養育院長を引き受ける 栄一は明治七年、明治七年、東京府知事の大久保一翁から思いがけず、徳川幕府から東京市に引き継がれていた「共有金」の使い途を相談された。大久保一翁は、静岡藩時代の元上司である。 |
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2019年5月26日 7時34分 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第10回 |
◆「渋沢栄一に学ぶ」(「法人うらわ」2000年新年号より連載〕―第10回 *お人好しで大人しい母 渋沢栄一は、父・市郎右衛門(号・晩香)はもとより、母・栄(えい)からも大きな感化を受けていた。母は、家族や近隣の人々から「お栄さん」と呼ばれた。お栄は、家付きの長女である。 |
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