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手放さなくても 気付けばいい
 
2013年10月29日 19時49分の記事

前の記事に書いた
「手放す」

手放すも何も あたし達の魂は何も余計なものなどあらかじめ持っていないのだった

それに気付くだけで良かったんだ!

邪悪だの 恐怖だの 欲、形 みんな幻想



【PR】システム構築、ソフトウェア開発はイーステムにお任せください


植え付けられた幻想

洗脳とも言うかな

誰かが支配するのに便利だったから植え付けた

非自立的な多くの地球人はそれにすがった

規則 時間 制限 常識 枠組み カテゴライズ 善悪

言語もそうだね

すがった地球人はそれを植え付けられているうちに
信じるようになって
信じることや イメージ は実現してしまうから
それらが存在するようになってしまったのだと思う

本来は持っていなかったもの

だけどまだあたしのどこかにくっついているもの

でもそれは過去に植え付けられた 記憶が作りだした概念

だから 「今」だけに存在し続ければいい

「今」だけに存在すれば
それら過去のものはなく

自分の純粋な魂があるだけだ

それでいいんだなと思った

「今」だけに存在し続けるには練習が必要

でも毎日やれば存在し続けることができるようになると思う

自分のイメージで実体化させた 制限

それは「今」にはないもの

「今」だけにあれることができたら、過去と同じように未来もない
未来を今に持ち込むとイメージが発生しちゃう
そこには制限が生まれる
イメージは過去と今のデータでしか作れない
イメージした時点でその未来は未来ではない

そしてイメージは実体化する

三次元ではそれは必要だったがもういらない

イメージを越えた未来があたし達の未来だ

「今」だけに在ることができれば 未来をイメージすることもない

あたしは しばらくの間 光にしか触れない

ミカエルさんの言ったこと
ガブリエルさんの言ったこと

わかった


三次元の幻想に触れてはいけない

それなりにパワーのあるものだしね
あたしはまだそれらに巻き込まれてしまうくらい未熟なのだ
と言うこと


ありがとうございます

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◆この記事へのコメント(新着順)
1. 楽水 2013年11月11日 14時58分 [返信する]
読書人さんへ

横から失礼します。
あなたのおっしゃっていた、
「発明者がいて、99回その発明にトライして失敗しました。しかし、100回目に発明に成功しました。99回目までは、失敗者ですが、100回目からは成功者(=発明者)です。
ですから、99回の失敗とは、100回目の成功(発明)に至る道のりであった。となるのです。
過去の出来事への意識が変わるのです。私はこの事を言っていたのですが・・・・・矛盾ですか(?)
そして、「現在の自分の意識が変われば」、未来の自分が変わる事につながるのです」
という部分のみにフォーカスして、僕の感じた事をシェアしたいと思います。

「今にすべてがある」「私はある」
これを↑の文に当てはめると、読書人さんは「今にすべてがある」事に反論(?)されている様子ですが、あなたは自分で答えになるヒント、もしくは答えにたどり着いているという風に感じます。

99回目までの失敗した自分は、過去というタイムラインに点のように存在している自分…そんな感覚を抱きましたが、どうでしょうか?
99回目の自分と100回目の自分の間に、「時間」の視点でピリオドを打っているような。
100の自分の中には、0~99の自分が全て含まれているんじゃないでしょうか?
だから、「今にすべてがある」なんではないですかね?
たから過去を変える必要もありませんよね。
過去の経験を活かして100回目に上手くいく。そんな風に振り返って自分の思い癖や捕らわれた視点(パターン)、それらから自分を解放する…。
だから過去は決して無駄ではありません。
そうしてよりクリアで深い洞察を得てゆき、110回目の自分になる。
110には0~109の自分が含まれています。
これらは実体験で感じる方が、よりダイレクトに自分の中で腑に落ちます。
今日、そして今も110.001みたいに自分は全てを今に含みながら、新しくなっていますね。
それが、ただ今に在るという事の姿ではないでしょうか?

あなたは的外れな事をおっしゃっている様には感じません。
非常に熱心な方なんでしょう。
でも時には力を抜いて、今在る自分に委ねてみてはどうでしょうか?
読書人さんは既にお読みかも知れませんが、同じ(?)ジャーメインのメッセージの本なら、僕は「ワンネスの青写真」という
一冊がオススメですよ。
日常の中には色々なエッセンスが散らばっています。
力を抜いて、頭を休ませ、それらをハートで感じてみては如何ですか(^_^)

 

2. 読書人 2013年11月11日 1時30分 [返信する]
魂が「何も持たない存在」ではなく、「神の全ての特質を与えられているが、持っている事を忘れてしまっている存在」である。という事に気づいて欲しいと思って投稿しました。
それと、私達の魂は、忘却というベールを脱ぎ捨てて「進化(神へと近づく)する生命」でもあるので、進化は現状を変化させる努力を「今この時に行う」事でしょう。と言う事です。
それを「信じる、信じない」は別として、まず「気づいて」もらえれば、それで良いのかな(?)の思いですが。
本の内容を引用したのは、私自身が「それを信じているから」という事にもなりますが、解りにくいですか(?)
本来は、勝さん用に書いていた内容をそのままで、花まるさんに送ったのでそうかも知れません。
気をつける事は「ヘルメス・J・シャンブ」の思想は、多分間違っていて「危険」(私の主観ですが?)。新しく覚醒した「次元上昇者」を横路の誤った所に導く為のネガティブな存在の主張ではないか(?)とだけ申しておきます。
9月〜10月頃の勝さんの「ブログで少し変だな(?)と思った記事」が何本か続いていたので、私の取り越し苦労で「(今後も)何も問題が起こらない」ならばいいのですが・・・という事です。

別に、「自分の考え」がこうだから、他人にも強制しようなどとは思いませんが・・・
あまり反論する気にもならないのですが、誤解されたままでも困るので
ビビさんの言われた件に対する私の見解は
>「努力」は恐れに由来する考えであって、愛や喜びに基づいた行為ではありません。
(1)「努力」とは、恐れに由来する考えだとは、私は思っていません。
と言うのは、私は20代前半は喫煙者でしたが20代後半に止めました。以後禁煙歴は数十年になります。
喫煙は「身体に良くないから止めよう」と思ったのがきっかけですが、なる程「身体に良くない(=恐れ)」から出発している、と思われるかも知れません。しかし、私は「喫煙は自分の身体を害し、周囲の環境を害する行為で愛の行為ではない(某教会で)」と言われた事で禁煙に本格的に挑戦しました。ただ、本当に喫煙を止める為には喫煙したいという欲求を抑える為に「意志力と忍耐と努力」が必要だったという事です。
(現在では、喫煙したいという欲求自体が皆目無い状態ですが・・・・・)

>また、現状を良くする必要があると感じるのは、ありのままの自分を否定する気持ちがあるからです。
(2)「現状を良くする必要がある」と考えるのは、ありのままの自分(=創造者の自分自身)を認める事です。
現状維持(=不健康な喫煙の習慣を続ける事)が、ありのままの自分を受容れる事ではありません。
喫煙が身体に悪いと知りつつ、「喫煙しながら、喫煙などしていないとか禁煙の方が精神上よくない」などと考える(現状維持で喫煙する理屈を考える)のは現実逃避で、ありのままの自分を否定する事です。
ありのままの自分を受け容れるとは、「自分の創造者は自分自身である」という事を受け容れる事です。
つまり、現在の自分を創造したのは「自分自身だ」という事を受け容れる事です。そうであれば、現在と違う(未来の)自分を創造するのも自分自身ですから、未来の自分も「決めた様に創造できる」のです。
一方、「現状維持」を続ける事とは、現在の「自分を変える力が自分には無い」と言っている様なものです。
自分の未来を創造する「創造力を否定」するので、従って「自分の未来は変わらない」事になります。
但し、「自分自身は(今は)変わる必要がない」と考ているならば話は別ですが・・・
ありのままの自分(=現在は喫煙中だが創造者である自分)を認める事で、もっと良い状態(=喫煙しない自分)になる為に決めた事を実行する事で、自分を造り替えて禁煙に成功できるのです。(10年程前のあるセミナーで聞いた話を思い出して書いたのですが、禁煙当時は知らなかったので、煙草を止めたいの「意志力」で禁煙に成功)

>今に全てがあるとおっしゃいながら、過去は変えられない、という様な矛盾した考えをお持ちだと・・・・
(3)「過去(の出来事)は変えられない」が、今に生きる事で「過去(の出来事への意識)は変えられる」という意味です。喩えを使って話すと、発明者がいて、99回その発明にトライして失敗しました。しかし、100回目に発明に成功しました。99回目までは、失敗者ですが、100回目からは成功者(=発明者)です。
ですから、99回の失敗とは、100回目の成功(発明)に至る道のりであった。となるのです。
過去の出来事への意識が変わるのです。私はこの事を言っていたのですが・・・・・矛盾ですか(?)
そして、「現在の自分の意識が変われば」、未来の自分が変わる事につながるのです。

(1)で述べた様に、私達の心の中には「善の心と悪の心が同居」しています。これは、聖書で言う、アダムとエバが「善悪の知識を知るの木の実」を食べたとなっていますが、この時以来、全ての人間の心の中には「善の心と悪の心が同居」しているのです。(2)(3)で述べた様に、人間は「善の心が悪の心を制する」様にならないといけません。「善の心が悪の心を制する」様になる事が「次元上昇」で、「悪の心が善の心を制する」様になるならば、「次元降下」して獣人間となります。

私自身の体験は、肉体的な体験が殆どで霊的な体験は、某キリスト教系団体に属していた5〜6年程の間で、現在は殆どありません。その代わりを埋めるものとして、神智学やシュタイナー、ヒマラヤ聖者、日月神示、聖書、アセンション情報等を収集している状態ですので、投稿できる様な霊的体験は殆どありません。
但し、今回の内容も、これまでの私の体験や知識を集めて書いた内容です。

4次元世界には、エーテル界(幽界)や低層のアストラル界には、まだネガティブな存在の残党がいて(殆どは光の勢力によって退治されたとの事ですが)人類を騙して脇道に引き込もうとしているので、注意して欲しい事を勝さんには伝えたかったのですが、投稿しても無視されたままなので、止む無くという感じです。
私が思っている(感じている)「脇道に逸らそうとする存在」とは、図で示した様にH・J・シャンブに現れた存在の思想で、人類の次元上昇の最終目的が「無知の子神(無垢の魂)」になる事だと言っている様に見えるので、勝さんには、それは違うでしょう(?)と投稿したのですが・・・・・説明の仕方がまずかったのかな(?)
H・J・シャンブに現れた存在の思想が、勝さんのブログを通して、花まるさんにも影響しているのかな(?)と思った事での投稿です。

(下記は、花まるさんには該当しないのかも知れませんが?)
最近、玉造さんとコラボセミナーなどをされている「megumin」さんが、この様な記事を書いておられます。
記事の内容では、悪い宇宙人や幽界、妖怪なども人間以上の力を持っています。だから、意識レベルが低いままで霊能力を開発すると、これらの存在に憑依され、洗脳され、良い様に使われる。と言っています。
また、低級霊は99%の真実に1%の嘘を入れて、巧妙に支配します。
そして、波動を上げるために霊能力を開発するのは、(本当は)本末転倒で、意識レベルが低いまま霊能力を開発すると、悪い霊に取り憑かれてしまう。と言っています。
自分の意識レベルが低いと、色んな者が言ってくる事にほんろうされ、自分を見失ってしまうため、安易な霊能力の開発はしないほうが良い。もし、どうしてもやりたいのであれば、自分自身を浄化してからです。
波動が上がれば、自然と霊力は身につきます。との内容です。

2013-11-07の、(1)物質次元では、魂レベルと霊能力はイコールではない!
http://blogs.dion.ne.jp/megumin/archives/11357815.html

2013-00-08の、(2)波動を上げる方法!
http://blogs.dion.ne.jp/megumin/archives/11358737.html

勝さんは、昨年(?)の記事で、(何としても?)、「アセンションの第1波の中」に入りたい希望を持っている事を自らのプログで書かれていたと記憶しています。私自身は「アセンションの第1波ではなく、第2波」でいい
思っていましたので、注目して見ていました。また私自身は、幽界(エーテル界)や低層アストラル界に存在するとされる「悪のETや悪霊などの存在が」完全に排除されて後、NESARAが実施され働かなくても生活がが可能となり、善良なET達とのコンタクトが開始され、マスター達などによる「意識上昇のプログラム」が発表される頃には、そうした、悪の存在に憑依され支配される危険も無くなっていると思います。
私自身の、霊的能力の開発は、多分「悪のETや悪霊などの存在が排除」されて後の事になりそうです。
それとも、それ以前に「(霊能力にも)自然覚醒」となればいいのですが・・・・・(?)。


 ■このコメントへの返信■
1. ビビ 2013年11月11日 7時14分
読書人さん。

以前より読みやすくなりました。
お返事ありがとうございます。

読書人さんのお考えはわかりましたが、私は読書人さんの懸念されている?ヘルメス・J・シャンブ著の本とても好きです。
読書人さんのおっしゃる横道?にそれているのかもしれませんね。
ですが、そうだとして、だからなんなのでしょう?と思ってしまいます。

読書人さんは、努力をやめるのが怖いのではないですが?
努力を続けなければ、前に進まなければ、なにかを頑張っている自分でいなければ、価値がないと思っていらっしゃるんじゃないですか?

ただ在るがわかれば、善悪の観念がなくなります。
すべては愛による変化の表現の一部に過ぎないとわかるからです。

読書人さんはそれがわからないから、花まるさんの表現していることがわからないのだと思います。
私も両親がキリスト教で、生まれた時から善悪の観念や他者への奉仕や清貧の価値観を植え付けてもらいましたので、その概念を手放すのがどのくらい難しいかわかるつもりです。
自分で手放したつもりになっていても、またジャッジしていたな、自分を大切にしてなかったなと気づく日々です。

タバコも、私は吸いたい時に吸いますが、吸わない時はずっと吸わないです。吸いたいと思わないからです。タバコよりも美味しい空気を肺にいっぱい吸って気持ちいいな幸せだなって思えば、そんなに意志や努力は必要ないです。だから、いつでもやめられるので吸いたい時に吸えます。

読書人さんは、意志や努力をやめるのが怖いんだと思いますよ。
それをやめたとき自分の価値を見出せなくなるから。
自分が自分だと思ってきたものを手放すのが怖いんじゃないですか?

それをやめてみないと、その段階から出ないと、花まるさんのブログは難しいと思いますよ。


お返事嬉しかったです。
ありがとうございます。




2. 花まる 2013年11月11日 7時53分
お返事ありがとうございます
スミマセン、読解力がなく感覚的なもので
読書人さんのおっしゃってくださったこと、ほとんど理解できていないかもしれません

魂が「何も持たない存在」ではなく、「神の全ての特質を与えられているが、持っている事を忘れてしまっている存在」である。という事に気づいて欲しいと思って投稿しました。
「説明が足りなくてすみません、でも他記事に書いたようにすべてそなわっていることは感じています、そてを思い出すために「今にある」という状況をつくるのは良い方法だなと思ったのです私見ですが」

進化は現状を変化させる努力を「今この時に行う」事でしょう。と言う事です。
「同感です、進化のために魂にアクセスして知識をもらってくるのです」

本の内容を引用したのは、私自身が「それを信じているから」
「本に書かれていることは体験しないかぎりは人の意見であって、ヒントにしかならないと考えているものですから、すみません少し理解するのは難しいです、確認しないと、やってみないと納得できないものですから、もしくはスッと心?に入ってくる感覚がないと、良くわからないのです」

「勝さんのブログはもちろん参考にさせていただいておりますが、自分で感じたこと、体験したことを書いています(*^^)v」

アストラル界には、まだネガティブな存在
「これはどうしてそうお感じになるのでしょうか、興味あります!よかったら教えてください」

なんとういか、視点がちがうだけで
あたしと読書人さんの意見はそんなにずれてもいない気がするのですが、、、
単純にお互いにすごく理解しにくい文章なのかと、、、
えっと、あたしは魂のことを考えていました
魂の概念が違うのかな?
あたしには概念があまりありません
起こること、感じることを良く見て、確認して進んでいるつもりなのですが、、、
お互いに自分の魂のままに進めますように(*^^)v

よろしければ他の記事も読んでみてくださいね


 

3. ビビ 2013年11月9日 17時34分 [返信する]
読書人さん

関係ないのに立ち入って申し訳ないのですが、読書が好きなのも知識が豊富なのもわかりましたが、
読書人さんは自分の経験に基づいた、自分の言葉をお持ちでないように感じました。

自分が経験して腑に落ちなければ、いくら文面で議論してもあなたの心は晴れません。

読書人さんは努力をして現状を良くしなければいけないという考えをみんなと共有したい、とお考えのようですが、
努力とは恐れに由来する考えであって、愛や喜びに基づいた行為ではありません。

また、現状を良くする必要があると感じるのは、ありのままの自分を否定する気持ちがあるからです。

そして、今にすべてがあるとおっしゃいながら、過去は変えられない、というような矛盾した考えをお持ちだと感じました。

言葉や知識に囚われていては、花まるさんの世界は理解できないのではないでしょうか?

そして、自分がそう思うなら勝手にそう生きればいいのに、
何故自分の正しさ?をわざわざ人のブログで主張したいのですか?

それが読書人さんにとっての現状を良くする努力ですか?

なにか良くなりましたか?

 

4. 読書人 2013年11月9日 14時42分 [返信する]
勝さんの「くる天プログ」ではなく、「Gooブログ」には先日(11月1日に)投稿しましたが、いつもの様に掲載されないので「花まる」さんのプログに直接投稿します。

>手放すもなにもあたし達の魂は何も余計なものなどあらかじめ持っていないのだった
>邪悪だの、恐怖だの、欲、形、みんな幻想・・・・・・・・
>でもそれは過去に植え付けられた記憶が作り出した概念
>だから「今」だけに存在し続ければいい
>「今」だけに存在すれば、それら過去のものはなく
>自分の純粋な魂があるだけだ

(前半にある)
前回の投稿で、私達の魂(=進化する神の子魂)は、あらかじめ「神の全ての特質を持った存在(全智・全能・全善で無条件の愛の存在)」である事。但し、魂自身が「その事を忘れた存在」でもある事を述べました。
私達が心に持つ「邪悪や恐怖、罪の概念」などは、魂の入れ物である「自我を確立」する為に低我と呼ばれる存在が、元々は自ら身につけた「利己主義」から発生したもので、他の存在から植え付けられたものではない事を書きました。また、魂の一生の体験は「恒久原子」に記録されており、(意識で)過去の体験は存在しないと切捨てても、人は恒久原子を失わない限り「その体験の記録は失われない」事を述べました。
(それでは、後半にある)
「今だけに存在する(=今に生きる)」とはどういう事でしょうか(?)。書かれた文章を読んでいくと他の存在から植えつけられた「不必要なもの」だから、自分自身の魂には「(悪や闇は存在しないとして)排除又は切捨て」する考え方になっていると思われます。しかし、自分の心の中に存在する「悪や闇」と思っているものは元々は自分自身が、(自我を確立する為)自ら身に付けたものであるので、「排除するのではなく、悪や闇に光を
当て、愛を注いで善に変えて行く事」が本当の意味での次元上昇に繋がる道だと考えます。

但し、過去への思い出や、未来への希望的な観測に「生きるべきではない」という点は同意します。そして自分の意志ではなく、「他人の意志に従って生きるべきではない」の点に関しても同意はしますが・・・・・
というのは、(過去に自分が失敗した場面を思い出して)あの時こうしておけば良かった・・・・・といくら思っても、過去に自分が行ってしまった事は変えようがない事と、また、(未来に自分が仕事で大成功して)大金持ちになっている・・・・・という希望をいくら思ったとしても、自分の未来は「自分自身が創造」するものであり、今の自分が成功していないならば、「今の自分を変える」事を怠れば、未来になっても現在と同じで成功はしていないでしょう。
私自身は、「今に生きる」とは、現在の自分を「より良い方向に変える」努力を行なう事を意味していると考えます。「今に生きる」とは、花まるさんや勝さんが考えておられる、現状の「現実否定」(=今の現実は幻想であり過去や未来は存在しない?)ではなく、また、現実に流されて何もしない事でもありません。
自分自身の心の中にある「闇や悪」に対して、光や愛を注いで「闇→光、悪→善」へと変化させて行く事であると考えています。

精神世界系セミナーなどで「過去も未来も存在しない、存在するのは現在だけ」という言葉はよく聞きます。
しかし、現在の状態とは、「過去の自分の延長上にある」のですから、現在の状態に過去からの影響がある事は確かです。また、未来についても、複数の未来の可能性の中から、現在の意識で選択したものが自分の未来になるのですから、「過去も、未来も、現在という瞬間の中に存在」している筈です。
3次元の世界では「今(=現在)」という時間しかありません。あなたの意識や行動が力を及ぼす事ができるのは、「今(=現在)」だけです。その意味で、精神世界系セミナーでは、過去や未来は存在しないと言っているのですが、文字通りに(過去や未来が全く存在せず)「無視すべきもの」と考えると誤ります。
実は、「現在(今)の意識」を変える事によって、過去の失敗も「成功への道程」の意識に、起きるべき「未来の出来事」も避ける事が可能なので、現在を変える事によって過去や未来が変えられるのです。

量子力学の祖とも言われる「ホログラフィー宇宙モデル」の提唱者デビッド・ボームによれば、(ここまで来た「あの世」の科学、天外伺朗著のP.62-70より)
我々の身のまわりにある宇宙(この世)は、実は単独に存在するのではなく、その背後に、もう一つの目に見えない宇宙(あの世)の秩序がある、としております。「この世」を「明在系」、「あの世」を「暗在系」と呼び、両者は密接にかかわりあいながら、常に変幻流転しており、「あの世(暗在系)」では、「この世(明在系)」のすべての物質、精神、時間、空間などが全体として(1点に)畳み込まれており分離は不可能です。
そして、「この世(明在系)」のどんな小さな一点にも、「あの世(暗在系)」の全てが反映しています。
また、「あの世(暗在系)」には、(全ての時間が同時に存在するので)流れる時間という概念がありません。
と述べている通りです。

3次元の世界では、過去や未来とは、現在という時間の中に「畳み込まれる形で存在」をしているのです。
多次元の世界では、過去や未来も、永遠に続く「現在」の中に「全ての時間が同時に存在」しています。
多次元の世界にある無数の過去、現在、未来の中で選択されたものが、3次元では「過去→現在→未来」という時間の経過と共に現実化される世界です。(多次元世界では、無数の過去、現在、未来が存在)
丁度、多次元の世界が「映画のフィルム」で、3次元の世界が「上映される映像」です。映画のフィルムは上映される前から「ストーリーの始めから最後のコマ迄」あらかじめ存在しているのと同じです。
少し違う点は(映画を見ている)「私達自身が主人公でもあり、ストーリーも書換が可能だ」という点です。
という事で、魂にとっては、多次元の世界が「実体の世界」であり、3次元の世界は「投影の世界」です。

(日月神示・完全ガイド&ナビゲーションのP.155,P.253,P.332より)
「悪殺してしまうのではなく、悪改心させて五六七(ミロク)の嬉し嬉しの世にするのが、神の願いざから、この道理忘れるでないぞ」
「禁欲は神の御旨でないぞ。欲を浄化して、生めよ、産めよ。今の人民、欲の聖化を忘れてござるぞ・・・・」
「・・・・・・(悪は)早う善にまつろえよ、まつろえば悪も善の花咲くのじゃぞ・・・・」
(神智学大要(コーザル体・下)のP.020-021より)
トリシュナー(渇望、欲望)の抹殺と進化
なるほど人間がある種の低い解脱(モクシャmoksha)-輪廻転生よりの一時的な解脱-を得る事は全く可能である。インドのそれほど発達していないヨギ達の中には、この世に属するあらゆる欲望を故意に抹殺する者もいる。・・・・・・(中略)・・・・・人間は欲望に導かれてこの世に生まれる。従ってこの世のもの一切に対する欲望を抹殺してしまえば、彼はこの世から去って二度と生まれ変わる事はない。そして彼はある世界に移る。そこは、永久不変の世界ではないが、その中に彼は長年月の間滞在する。・・・・・(中略)・・・・・
その様な人々はこの世の苦悩より厭離してはいるが、究極には何らかの一つの世界に、この世がまだ続いていればこの世に、またはこの世に似た世界に戻り、そこで彼らは進化の努力を放棄した点より再び進化を再開する。従って苦痛は一時延期されただけであり、厭離(おんり)するだけマイナスになるのである。
欲望は「抹殺」する事ができるからこそ密教の教師(マスター)達はその代わりに欲望の変成を処方するのである。抹殺されたものは再び起き上がってくる。しかし、変成されたものの変化は永久である。

という事で、(禁欲と同じで)「過去の邪悪や恐怖などというものは存在しない」として切り捨てる事は、その時点で、自らの進化の道をも切捨てている事(一時停止のままの状態で)と同じ事になる様です。
悪や恐怖の過去を切り捨てるのではなく、悪や恐怖の過去に「光と愛」を注いで善と喜びに創造し直す事が求められているのではないでしょうか(?)。もう一度この内容を良く考えて見て下さい。


 ■このコメントへの返信■
1. 花まる 2013年11月9日 17時4分
読書人さんありがとうございました
とても勉強になりました
これは、あくまであたしが体験して感じたことで、それをそのまま書いています
これは魂とコンタクトをとる一つの方法です
(あくまであったしの体験でしかありません)
とても参考になります
でも何度か読み直さないと理解できないみたいで、こらから読みなおさせていただきますね(*^^)v

またいろいろ教えてくださいませ


2. 花まる 2013年11月9日 17時58分
前回の投稿で、私達の魂(=進化する神の子魂)は、あらかじめ「神の全ての特質を持った存在(全智・全能・全善で無条件の愛の存在)」である事。但し、魂自身が「その事を忘れた存在」でもある事を述べました。
私達が心に持つ「邪悪や恐怖、罪の概念」などは、魂の入れ物である「自我を確立」する為に低我と呼ばれる存在が、元々は自ら身につけた「利己主義」から発生したもので、他の存在から植え付けられたものではない事を書きました。また、魂の一生の体験は「恒久原子」に記録されており、(意識で)過去の体験は存在しないと切捨てても、人は恒久原子を失わない限り「その体験の記録は失われない」事を述べました。
(それでは、後半にある)
「今だけに存在する(=今に生きる)」とはどういう事でしょうか(?)。書かれた文章を読んでいくと他の存在から植えつけられた「不必要なもの」だから、自分自身の魂には「(悪や闇は存在しないとして)排除又は切捨て」する考え方になっていると思われます。しかし、自分の心の中に存在する「悪や闇」と思っているものは元々は自分自身が、(自我を確立する為)自ら身に付けたものであるので、「排除するのではなく、悪や闇に光を
当て、愛を注いで善に変えて行く事」が本当の意味での次元上昇に繋がる道だと考えます。[「ありがとうございます、植えつけられたたわけではなく、受け入れて概念を形成したのはじぶんのせんたくです、手放すときにはいつも感謝をしております(他記事参照)言葉がたりなくてすみません。悪と闇についても(他記事参照)同感です、悪魔と言われるそんざい(そう呼ばれているだけ)とも仲良く、お世話になっています。やさしくしていただいております」

但し、過去への思い出や、未来への希望的な観測に「生きるべきではない」という点は同意します。そして自分の意志ではなく、「他人の意志に従って生きるべきではない」の点に関しても同意はしますが・・・・・
というのは、(過去に自分が失敗した場面を思い出して)あの時こうしておけば良かった・・・・・といくら思っても、過去に自分が行ってしまった事は変えようがない事と、また、(未来に自分が仕事で大成功して)大金持ちになっている・・・・・という希望をいくら思ったとしても、自分の未来は「自分自身が創造」するものであり、今の自分が成功していないならば、「今の自分を変える」事を怠れば、未来になっても現在と同じで成功はしていないでしょう。「ありがとうございます」
私自身は、「今に生きる」とは、現在の自分を「より良い方向に変える」努力を行なう事を意味していると考えます。「今に生きる」とは、花まるさんや勝さんが考えておられる、現状の「現実否定」(=今の現実は幻想であり過去や未来は存在しない?)ではなく、また、現実に流されて何もしない事でもありません。「この辺は誤解があるようなのですが、、、何もしないなんてことはありません、魂と向き合う良い方法だと思ってこれを実践しておりました」
自分自身の心の中にある「闇や悪」に対して、光や愛を注いで「闇→光、悪→善」へと変化させて行く事であると考えています。
「同感です(*^_^*)悪魔や闇(本当はそうではない)とも愛し合えますよね」
精神世界系セミナーなどで「過去も未来も存在しない、存在するのは現在だけ」という言葉はよく聞きます。
しかし、現在の状態とは、「過去の自分の延長上にある」のですから、現在の状態に過去からの影響がある事は確かです。また、未来についても、複数の未来の可能性の中から、現在の意識で選択したものが自分の未来になるのですから、「過去も、未来も、現在という瞬間の中に存在」している筈です。
3次元の世界では「今(=現在)」という時間しかありません。あなたの意識や行動が力を及ぼす事ができるのは、「今(=現在)」だけです。その意味で、精神世界系セミナーでは、過去や未来は存在しないと言っているのですが、文字通りに(過去や未来が全く存在せず)「無視すべきもの」と考えると誤ります。「そうですね(*^^)v無視ではない、でも実際には今、過去や未来はここにないです」

実は、「現在(今)の意識」を変える事によって、過去の失敗も「成功への道程」の意識に、起きるべき「未来の出来事」も避ける事が可能なので、現在を変える事によって過去や未来が変えられるのです。「そのために魂とコンタクトをとる、そのための方法の一つとして書きました、体験してこれは画期的と思ったので」

量子力学の祖とも言われる「ホログラフィー宇宙モデル」の提唱者デビッド・ボームによれば、(ここまで来た「あの世」の科学、天外伺朗著のP.62-70より)
我々の身のまわりにある宇宙(この世)は、実は単独に存在するのではなく、その背後に、もう一つの目に見えない宇宙(あの世)の秩序がある、としております。「この世」を「明在系」、「あの世」を「暗在系」と呼び、両者は密接にかかわりあいながら、常に変幻流転しており、「あの世(暗在系)」では、「この世(明在系)」のすべての物質、精神、時間、空間などが全体として(1点に)畳み込まれており分離は不可能です。
そして、「この世(明在系)」のどんな小さな一点にも、「あの世(暗在系)」の全てが反映しています。
また、「あの世(暗在系)」には、(全ての時間が同時に存在するので)流れる時間という概念がありません。
と述べている通りです。

3次元の世界では、過去や未来とは、現在という時間の中に「畳み込まれる形で存在」をしているのです。
多次元の世界では、過去や未来も、永遠に続く「現在」の中に「全ての時間が同時に存在」しています。
多次元の世界にある無数の過去、現在、未来の中で選択されたものが、3次元では「過去→現在→未来」という時間の経過と共に現実化される世界です。(多次元世界では、無数の過去、現在、未来が存在)
丁度、多次元の世界が「映画のフィルム」で、3次元の世界が「上映される映像」です。映画のフィルムは上映される前から「ストーリーの始めから最後のコマ迄」あらかじめ存在しているのと同じです。
少し違う点は(映画を見ている)「私達自身が主人公でもあり、ストーリーも書換が可能だ」という点です。
という事で、魂にとっては、多次元の世界が「実体の世界」であり、3次元の世界は「投影の世界」です。

(日月神示・完全ガイド&ナビゲーションのP.155,P.253,P.332より)
「悪殺してしまうのではなく、悪改心させて五六七(ミロク)の嬉し嬉しの世にするのが、神の願いざから、この道理忘れるでないぞ」
「禁欲は神の御旨でないぞ。欲を浄化して、生めよ、産めよ。今の人民、欲の聖化を忘れてござるぞ・・・・」
「・・・・・・(悪は)早う善にまつろえよ、まつろえば悪も善の花咲くのじゃぞ・・・・」
(神智学大要(コーザル体・下)のP.020-021より)
トリシュナー(渇望、欲望)の抹殺と進化
なるほど人間がある種の低い解脱(モクシャmoksha)-輪廻転生よりの一時的な解脱-を得る事は全く可能である。インドのそれほど発達していないヨギ達の中には、この世に属するあらゆる欲望を故意に抹殺する者もいる。・・・・・・(中略)・・・・・人間は欲望に導かれてこの世に生まれる。従ってこの世のもの一切に対する欲望を抹殺してしまえば、彼はこの世から去って二度と生まれ変わる事はない。そして彼はある世界に移る。そこは、永久不変の世界ではないが、その中に彼は長年月の間滞在する。・・・・・(中略)・・・・・
その様な人々はこの世の苦悩より厭離してはいるが、究極には何らかの一つの世界に、この世がまだ続いていればこの世に、またはこの世に似た世界に戻り、そこで彼らは進化の努力を放棄した点より再び進化を再開する。従って苦痛は一時延期されただけであり、厭離(おんり)するだけマイナスになるのである。
欲望は「抹殺」する事ができるからこそ密教の教師(マスター)達はその代わりに欲望の変成を処方するのである。抹殺されたものは再び起き上がってくる。しかし、変成されたものの変化は永久である。

という事で、(禁欲と同じで)「過去の邪悪や恐怖などというものは存在しない」として切り捨てる事は、その時点で、自らの進化の道をも切捨てている事(一時停止のままの状態で)と同じ事になる様です。
悪や恐怖の過去を切り捨てるのではなく、悪や恐怖の過去に「光と愛」を注いで善と喜びに創造し直す事が求められているのではないでしょうか(?)。もう一度この内容を良く考えて見て下さい。

「ありがとうございます、できましたら引用なしで、読書人さんの、経験やかんじたこと(考えではなく)でお話しできたらうれしいです、本当にありがとうございます」


 

5. 読書人 2013年11月9日 14時30分 [返信する]
勝さんの「くる天プログ」ではなく、「Gooブログ」には先日(11月1日に)投稿しましたが、いつもの様に掲載されないので「花まる」さんのプログに直接投稿します。

>手放すもなにもあたし達の魂は何も余計なものなどあらかじめ持っていないのだった
>邪悪だの、恐怖だの、欲、形、みんな幻想・・・・・・・・
>でもそれは過去に植え付けられた記憶が作り出した概念
>だから「今」だけに存在し続ければいい
>「今」だけに存在すれば、それら過去のものはなく
>自分の純粋な魂があるだけだ

私が以前に読んでいた「神智学大要(=全9冊)」という本には、真我と高我と低我、そして肉体があるとの事。
真我(=神霊)、高我(=魂)、低我(=自我)との事で、高我(=魂)とは「進化する神の子の魂」との事です。
私達の魂(=第二ロゴス=進化する神の子魂)は、あらかじめ「神の全ての特質を持った存在(全智・全能・全善で無条件の愛の存在)」です。但し、私達の魂とは「持っている、その事を忘れた存在」でもあります。
(自分が持っている事を忘れてしまった存在は「持っていないと錯覚」してしまっているのです)
「神の特質」とは、神が私達の魂を創造した時に、神自身の(霊的世界での)体験の瞬間瞬間を個別化して、私達の魂に与えたもうたもので「神のスパーク(神の衝動)」とも言われます。
「アークトゥルスの記事」で伝えられる如く、全ての人の心には、この「神のスパーク」が存在しています。

また魂の体験(良い悪い共)は、意識では切捨てて手放した様でも、決して失われる事はないのです。
魂の一生の体験を記録する「恒久原子」に、その人の「一生の体験(過去世を含む)」が記録されています。
魂の「輪廻転生のしくみ」とは、その人の生まれてから死ぬ迄の生涯の出来事や行動は、「各恒久原子」に記録されています。魂は、その人が死亡する直前に「各恒久原子(エーテル、アストラル、メンタル)」を回収してから肉体を去ります。そして、その人の良い行いは「永遠の良い資質」として「コーザル体」に保存し、その人の悪い行いは、「その人(=魂)自身のカルマ」として「各恒久原子」の中に保存されます。

次の転生の時が来ると、魂の「ガイド(=指導霊)」と共に、次の生涯の「概略の人生とカルマ解消の計画」を立てて、新しい肉体を選択してこの世に生まれて来ると言われています。新しい人生の開始時には、魂は「各恒久原子」を放出して、各恒久原子の波動と同じエーテル体、アストラル体、メンタル体を集めて肉体の中に新しい霊の身体を構築します。という事で、「前世の死亡時」の霊の身体のレベルと、「今世の誕生時」の霊の身体のレベルが同じという事になります。つまり、駅伝競走の様に「前世で努力した結果」は、次の人生の「(あなたの)霊の身体の特質」となって持ち越されているのです。
(私達は(本当は)、この「恒久原子」を失わない限り、一生の体験、過去世の体験も保持されたままです)

この事をスキーの「シュテムターン」から「パラレルターン」に上達する時の事を例にして話してみましょう。
シュテムターンは、(1)最初は並行にスキー揃えて斜面を滑りますが、(2)回転弧の外側の足を開き出し、(3)開き出した足に体重を移動し、(4)回転弧の内側の足を外側の足に揃えて最初の状態に戻ります。
パラレルターンは、(1)並行にスキーを揃えた状態から、(2)今迄の回転弧の内側から、次の回転弧の内側への体重移動と、(3)バランスを取りつつ両スキー同時のエッジングの切り替えを行なって滑ります。
シュテムターンの場合は、片足ずつ交互操作し、片足ずつ交互に荷重して滑ります。しかしパラレルターンでは、両足を同時に操作し、両足の同時荷重です。両方の動作には共通的動作は無くむしろ反対です。

スキー教師が言うには、今迄の滑り方(=シュテムターンの動き)は忘れなさい。そして私の言う事を信じて(=パラレルターンの動き)を身体に覚えさせなさい。そうしないとパラレルターンは習得できないから。
というでしょう。ですから「新しい動作」を習得する間は、「古い動作」の習慣は忘れなければなりません。
でもあなたは、「新しい動作(パラレルターン)」を習得した後も、「古い動作(シュテムターン)」の習慣は保持されている(シュテムターンでも斜面を滑れる)事に気づくでしょう。身体は以前の習慣も覚えています。

また、邪悪や恐怖、罪といった、私達が手放すべき性質は、魂の入れ物である身体の「自我(自他を区別する意識)」を形成し強化する段階で獲得した「利己主義」が生み出したもので、人間は強護な自我を形成した後は、利己主義は捨て去り、利他主義と愛を身につける資質である事を悟るべきです。
邪悪や恐怖は、元々は他の存在によって植え付けられたものではなく、肉体を構成する自我がサパイパルの為に自ら「獲得した特質」でもあります。この意識に反応して、支配者という存在が創造されたのです。

私達の目に見えない身体を大きく分けると、「真我」と「高我」と「低我」が存在しています。
「真我」は、全智・全能の「神の分神霊(=モナド=第一ロゴス)」であり、モナド階層以下には降りてきません。
「高我」は、「第ニロゴス」で「魂」とも呼ばれ、「第一ロゴスに忘却のベール」がかけられた存在です。
「低我」は、第二ロゴスが入魂するために形成される身体(多次元)で構成され、「自我」を持っています。

(低我は、「自我」を形成する為に、自分と他人を分け、生存競争に勝ち抜く事で、利己主義者となり、魂にとっての「カルマ(=魂の負債)」を作る事になります。邪悪、恐怖、罪などは、自我の利己主義が発端)
「神智学大要」エーテル体のP.061より
人間の意識の進化は与える事によってなされる。動物と植物の成長原理は、競争と敵対と利己主義である。
人間の成長原理は、協力と放棄と自己犠牲とである。ロゴス(神の言葉=キリスト)は生命と質料という十字架の上に、永遠におん自らを犠牲にしてい給うのである。人間はロゴスのこのみ業にならって初めてロゴスに似るものとなる。・・・・・自己犠牲なくしては、一段階より次の段階への上昇はあり得ない。人間は自己の内に残存しているあらゆる獣性に対して、死ななければならない。・・・・・(以下略)

(高我の第二ロゴスは、「進化する生命」とも呼ばれ、モナド界以下に降下し、降下した下層の質料を統御する事を覚えた後に、次元上昇します。(第二ロゴスは、第一ロゴスが下降しなかった領域の質料も自在に操る(統御する)存在となって次元上昇を果たします。神智学では「第二ロゴスを魂」と呼んでいます)
(つまり、キリストや仏陀が、意識や言葉でもって病気を癒したり、自然を従わせたり、空中浮揚、テレポート、空中からパン(多次元の光を変え)を出すなどの奇跡が行なえる様になって神の元に帰還する事です)

「神智学大要」コーザール体・下のP.237では
各モナドとも根源は同じであり、基本的な性質は同じ(=全智、全能で無条件の愛の存在)であるが、明らかに独自の個性を持っている。・・・・・モナド(神の子魂)は、それぞれ他のモナドとは明らかに違うある個性を持っている。モナドの意識は自己本来の領域(=モナド界以上)では完全である。そこでは彼は神の知識を共有する。しかしそれより下位の世界では、彼は事実上無意識である。彼は生命の下位層にはどうしても触れる事はできない。その下位層の質料は彼の影響力に従わない性質を持っている。今まで周囲のもの一切と一体であったモナドも、濃密な質料の中に投げ込まれるとちょうど何もない空間に放りこまれた様に全く孤立したものとなり、一切の衝撃も質料との接触も意識しない。
彼は唯一生命を共有しているから、彼の中には一切(全て)が存在する。しかし、それは外に出さなければならない。潜在意識は目覚めさせて活動させなければならないとよく言われるのはそのためである。
モナドの中には文字通りあらゆるもの、あらゆる神の知識がある。しかし、それを外に出し、いかなる質料の界層でも知る者となる事が進化の働きなのである。

(注)モナド界以下の界層とは、上から順に、アートマ界層、ブッディ界層、コーザル階層、メンタル界層、アストラル階層、エーテル階層、物質界の各界層があります。

さらに、「神智学大要」コーザール体・上のP.134-135では
逆進化と進化の7段階とは、神霊は、第一、第二、第三段階と降り(物質化)ながら資料に自分の特質を与える。第四段階では神霊と質料とは衝突する。第五、第六、第七の階段を昇りながら、神霊は次第に質料を克服してゆく。質料によって得た体験および質料を克服した体験によって豊かになりながら本源に回帰してゆく。第四段階を終えると霊は質料の主となり、次の残る三段階への上昇の用意が整う。
この過程において大霊は既に克服し入魂した質料を組織して、それを自分自身の諸用途に向け、自分自身を表現するのに適合させて形成し、かくて質料は大霊のあらゆる力を活発に表現する手段となる。こうして、最後の三つの段階を霊は上昇してゆくのである。(第二ロゴス(=魂)の旅の図は下記)

無知の子神(=無垢の魂)     全智全能の子神(魂)
下降(1)↓    (↑?)      上昇(3)↑(時空の超越)
下降(2)↓    (↑?)          上昇(2)↑(永遠の生命)
下降(3)↓   H・J・シャンブ思想←上昇(1)↑(悪を克服する善)
鉱物(群魂)→植物(群魂)→動物(群魂)→人間(個霊化→覚醒)

神智学大要(第4巻コーザル体)下のP.240-241より
もし、モナド(神の子魂)の本質が初めから神性であり、その長い遍歴の後でやはり神性に戻るのであれば、もしまたモナドが質料の中を潜る旅に出で発つ時から既に全智、全善であり、結局のところ最後には元の
出発点なる本源に戻るのであれば、何を好き好んでこの多大なる悲痛と苦悩とを含む進化とやらをする必要があるのか-という疑問もでるであろう。
その様な疑問は、事実に対する思い違いに基づく。我々が人間のモナド(神の魂)と称しているものが、神より出で来る時、それは実は人間のモナドではなく、いわんや全智、全善なるモナドでもない(投稿者注、無知なる神の子魂である)。終極において、初めて数億もの偉大なる大師、その一人一人が発展してロゴスとなりうる大師の形で帰還するのである。
泳げない人がいきなり深い水の中に投げ込まれると初めはアップアップするばかりであるが、終いには泳ぎ方をものにして水の中を自由に泳ぎ回るものである。モナドもそうである。物質の中に浸かって、その遍歴が終った時、ようやく彼は太陽系に制約されること無く、そのどの部分でも機能し、意のままに創造し、意のままに移動する事ができる様になる。彼が濃密なる質料を通じて展開した力は全てどんな状況下にあっても永久に彼のものとなる。内に内臓されたものが、外に明らかとなり、潜在せるものが現実のものとなる。
彼を現象下の中に引き入れるのは、一つの領域だけでなく、あらゆる領域の中で生きようとする彼の意志なのである。
初めのうちは、モナドの中には個霊化は発達していなかったのである。それは単なるモナド・エッセンスの塊でしかなかった。それが初めに出現した時と還る時との違いは、光輝く星雲状の質料の大塊と最後にそれにより創られた太陽系との違いとの違いに全く似ている。星雲は疑いもなく美しい。しかし、曖昧模糊として、ある意味では用をなさない。次第に進化してそれによって形成された太陽は、多くの惑星とその住民とに生命と熱と光とを与える。・・・・・・(以下略)

上の図を見て解る様に、ヘルメス・J・シャンブの著者に現れた存在は、人間の「覚醒した状態」から最終的進化した状態が「純粋無垢(=無知の子神)」の状態であると、取り違えをしていると思える事である。
というよりも、「純粋無垢の状態になるべきだ」と言って魂の進化の横路に誘い、「覚醒の初期段階の人々」を支配しようとするネガティブETの思想の一つがヘルメス・J・シャンブの書の思想では(?)と思われます。
後半部の「今だけに生きる」の部分については、長くなったので別の投稿に記載。


 ■このコメントへの返信■
1. 花まる 2013年11月9日 17時40分

私が以前に読んでいた「神智学大要(=全9冊)」という本には、真我と高我と低我、そして肉体があるとの事。
真我(=神霊)、高我(=魂)、低我(=自我)との事で、高我(=魂)とは「進化する神の子の魂」との事です。
私達の魂(=第二ロゴス=進化する神の子魂)は、あらかじめ「神の全ての特質を持った存在(全智・全能・全善で無条件の愛の存在)」です。但し、私達の魂とは「持っている、その事を忘れた存在」でもあります。
(自分が持っている事を忘れてしまった存在は「持っていないと錯覚」してしまっているのです)「そうだと感じています」
「神の特質」とは、神が私達の魂を創造した時に、神自身の(霊的世界での)体験の瞬間瞬間を個別化して、私達の魂に与えたもうたもので「神のスパーク(神の衝動)」とも言われます。「まさにそうだと思います」
「アークトゥルスの記事」で伝えられる如く、全ての人の心には、この「神のスパーク」が存在しています。

また魂の体験(良い悪い共)は、意識では切捨てて手放した様でも、決して失われる事はないのです。
魂の一生の体験を記録する「恒久原子」に、その人の「一生の体験(過去世を含む)」が記録されています。
魂の「輪廻転生のしくみ」とは、その人の生まれてから死ぬ迄の生涯の出来事や行動は、「各恒久原子」に記録されています。魂は、その人が死亡する直前に「各恒久原子(エーテル、アストラル、メンタル)」を回収してから肉体を去ります。そして、その人の良い行いは「永遠の良い資質」として「コーザル体」に保存し、その人の悪い行いは、「その人(=魂)自身のカルマ」として「各恒久原子」の中に保存されます。

次の転生の時が来ると、魂の「ガイド(=指導霊)」と共に、次の生涯の「概略の人生とカルマ解消の計画」を立てて、新しい肉体を選択してこの世に生まれて来ると言われています。新しい人生の開始時には、魂は「各恒久原子」を放出して、各恒久原子の波動と同じエーテル体、アストラル体、メンタル体を集めて肉体の中に新しい霊の身体を構築します。という事で、「前世の死亡時」の霊の身体のレベルと、「今世の誕生時」の霊の身体のレベルが同じという事になります。つまり、駅伝競走の様に「前世で努力した結果」は、次の人生の「(あなたの)霊の身体の特質」となって持ち越されているのです。
(私達は(本当は)、この「恒久原子」を失わない限り、一生の体験、過去世の体験も保持されたままです)「カルマは消化できますよね?」

この事をスキーの「シュテムターン」から「パラレルターン」に上達する時の事を例にして話してみましょう。
シュテムターンは、(1)最初は並行にスキー揃えて斜面を滑りますが、(2)回転弧の外側の足を開き出し、(3)開き出した足に体重を移動し、(4)回転弧の内側の足を外側の足に揃えて最初の状態に戻ります。
パラレルターンは、(1)並行にスキーを揃えた状態から、(2)今迄の回転弧の内側から、次の回転弧の内側への体重移動と、(3)バランスを取りつつ両スキー同時のエッジングの切り替えを行なって滑ります。
シュテムターンの場合は、片足ずつ交互操作し、片足ずつ交互に荷重して滑ります。しかしパラレルターンでは、両足を同時に操作し、両足の同時荷重です。両方の動作には共通的動作は無くむしろ反対です。

スキー教師が言うには、今迄の滑り方(=シュテムターンの動き)は忘れなさい。そして私の言う事を信じて(=パラレルターンの動き)を身体に覚えさせなさい。そうしないとパラレルターンは習得できないから。
というでしょう。ですから「新しい動作」を習得する間は、「古い動作」の習慣は忘れなければなりません。
でもあなたは、「新しい動作(パラレルターン)」を習得した後も、「古い動作(シュテムターン)」の習慣は保持されている(シュテムターンでも斜面を滑れる)事に気づくでしょう。身体は以前の習慣も覚えています。

また、邪悪や恐怖、罪といった、私達が手放すべき性質は、魂の入れ物である身体の「自我(自他を区別する意識)」を形成し強化する段階で獲得した「利己主義」が生み出したもので、人間は強護な自我を形成した後は、利己主義は捨て去り、利他主義と愛を身につける資質である事を悟るべきです。
邪悪や恐怖は、元々は他の存在によって植え付けられたものではなく、肉体を構成する自我がサパイパルの為に自ら「獲得した特質」でもあります。この意識に反応して、支配者という存在が創造されたのです。
「存じております(*^_^*)他の記事もお読みいただけましたら幸いです、蓑虫とかサナギみたいに感じています」
私達の目に見えない身体を大きく分けると、「真我」と「高我」と「低我」が存在しています。
「真我」は、全智・全能の「神の分神霊(=モナド=第一ロゴス)」であり、モナド階層以下には降りてきません。
「高我」は、「第ニロゴス」で「魂」とも呼ばれ、「第一ロゴスに忘却のベール」がかけられた存在です。
「低我」は、第二ロゴスが入魂するために形成される身体(多次元)で構成され、「自我」を持っています。

(低我は、「自我」を形成する為に、自分と他人を分け、生存競争に勝ち抜く事で、利己主義者となり、魂にとっての「カルマ(=魂の負債)」を作る事になります。邪悪、恐怖、罪などは、自我の利己主義が発端)
「神智学大要」エーテル体のP.061より
人間の意識の進化は与える事によってなされる。動物と植物の成長原理は、競争と敵対と利己主義である。「そうだと思います、人生でがっちり体験いたしました」
人間の成長原理は、協力と放棄と自己犠牲とである。ロゴス(神の言葉=キリスト)は生命と質料という十字架の上に、永遠におん自らを犠牲にしてい給うのである。人間はロゴスのこのみ業にならって初めてロゴスに似るものとなる。・・・・・自己犠牲なくしては、一段階より次の段階への上昇はあり得ない。人間は自己の内に残存しているあらゆる獣性に対して、死ななければならない。・・・・・(以下略)

(高我の第二ロゴスは、「進化する生命」とも呼ばれ、モナド界以下に降下し、降下した下層の質料を統御する事を覚えた後に、次元上昇します。(第二ロゴスは、第一ロゴスが下降しなかった領域の質料も自在に操る(統御する)存在となって次元上昇を果たします。神智学では「第二ロゴスを魂」と呼んでいます)
(つまり、キリストや仏陀が、意識や言葉でもって病気を癒したり、自然を従わせたり、空中浮揚、テレポート、空中からパン(多次元の光を変え)を出すなどの奇跡が行なえる様になって神の元に帰還する事です)

「神智学大要」コーザール体・下のP.237では
各モナドとも根源は同じであり、基本的な性質は同じ(=全智、全能で無条件の愛の存在)であるが、明らかに独自の個性を持っている。・・・・・モナド(神の子魂)は、それぞれ他のモナドとは明らかに違うある個性を持っている。モナドの意識は自己本来の領域(=モナド界以上)では完全である。そこでは彼は神の知識を共有する。しかしそれより下位の世界では、彼は事実上無意識である。彼は生命の下位層にはどうしても触れる事はできない。その下位層の質料は彼の影響力に従わない性質を持っている。今まで周囲のもの一切と一体であったモナドも、濃密な質料の中に投げ込まれるとちょうど何もない空間に放りこまれた様に全く孤立したものとなり、一切の衝撃も質料との接触も意識しない。
彼は唯一生命を共有しているから、彼の中には一切(全て)が存在する。しかし、それは外に出さなければならない。潜在意識は目覚めさせて活動させなければならないとよく言われるのはそのためである。
モナドの中には文字通りあらゆるもの、あらゆる神の知識がある。しかし、それを外に出し、いかなる質料の界層でも知る者となる事が進化の働きなのである。

(注)モナド界以下の界層とは、上から順に、アートマ界層、ブッディ界層、コーザル階層、メンタル界層、アストラル階層、エーテル階層、物質界の各界層があります。

さらに、「神智学大要」コーザール体・上のP.134-135では
逆進化と進化の7段階とは、神霊は、第一、第二、第三段階と降り(物質化)ながら資料に自分の特質を与える。第四段階では神霊と質料とは衝突する。第五、第六、第七の階段を昇りながら、神霊は次第に質料を克服してゆく。質料によって得た体験および質料を克服した体験によって豊かになりながら本源に回帰してゆく。第四段階を終えると霊は質料の主となり、次の残る三段階への上昇の用意が整う。
この過程において大霊は既に克服し入魂した質料を組織して、それを自分自身の諸用途に向け、自分自身を表現するのに適合させて形成し、かくて質料は大霊のあらゆる力を活発に表現する手段となる。こうして、最後の三つの段階を霊は上昇してゆくのである。(第二ロゴス(=魂)の旅の図は下記)

無知の子神(=無垢の魂)     全智全能の子神(魂)
下降(1)↓    (↑?)      上昇(3)↑(時空の超越)
下降(2)↓    (↑?)          上昇(2)↑(永遠の生命)
下降(3)↓   H・J・シャンブ思想←上昇(1)↑(悪を克服する善)
鉱物(群魂)→植物(群魂)→動物(群魂)→人間(個霊化→覚醒)

神智学大要(第4巻コーザル体)下のP.240-241より
もし、モナド(神の子魂)の本質が初めから神性であり、その長い遍歴の後でやはり神性に戻るのであれば、もしまたモナドが質料の中を潜る旅に出で発つ時から既に全智、全善であり、結局のところ最後には元の
出発点なる本源に戻るのであれば、何を好き好んでこの多大なる悲痛と苦悩とを含む進化とやらをする必要があるのか-という疑問もでるであろう。
その様な疑問は、事実に対する思い違いに基づく。我々が人間のモナド(神の魂)と称しているものが、神より出で来る時、それは実は人間のモナドではなく、いわんや全智、全善なるモナドでもない(投稿者注、無知なる神の子魂である)。終極において、初めて数億もの偉大なる大師、その一人一人が発展してロゴスとなりうる大師の形で帰還するのである。
泳げない人がいきなり深い水の中に投げ込まれると初めはアップアップするばかりであるが、終いには泳ぎ方をものにして水の中を自由に泳ぎ回るものである。モナドもそうである。物質の中に浸かって、その遍歴が終った時、ようやく彼は太陽系に制約されること無く、そのどの部分でも機能し、意のままに創造し、意のままに移動する事ができる様になる。彼が濃密なる質料を通じて展開した力は全てどんな状況下にあっても永久に彼のものとなる。内に内臓されたものが、外に明らかとなり、潜在せるものが現実のものとなる。
彼を現象下の中に引き入れるのは、一つの領域だけでなく、あらゆる領域の中で生きようとする彼の意志なのである。
初めのうちは、モナドの中には個霊化は発達していなかったのである。それは単なるモナド・エッセンスの塊でしかなかった。それが初めに出現した時と還る時との違いは、光輝く星雲状の質料の大塊と最後にそれにより創られた太陽系との違いとの違いに全く似ている。星雲は疑いもなく美しい。しかし、曖昧模糊として、ある意味では用をなさない。次第に進化してそれによって形成された太陽は、多くの惑星とその住民とに生命と熱と光とを与える。・・・・・・(以下略)

上の図を見て解る様に、ヘルメス・J・シャンブの著者に現れた存在は、人間の「覚醒した状態」から最終的進化した状態が「純粋無垢(=無知の子神)」の状態であると、取り違えをしていると思える事である。
というよりも、「純粋無垢の状態になるべきだ」と言って魂の進化の横路に誘い、「覚醒の初期段階の人々」を支配しようとするネガティブETの思想の一つがヘルメス・J・シャンブの書の思想では(?)と思われます。
後半部の「今だけに生きる」の部分については、長くなったので別の投稿に記載。

「知らないことばかりで勉強になりましたありがとうございます(*^_^*)まだなんとなくしかわかりませんが」

 



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