委ねることと流れにのることは同じ | |
2013年12月4日 0時1分の記事 | |
この表現が合っているかどうかわからないけど 全世界、宇宙、地球と一人は全く同じなので 「自分」というものは全てのものと同じもので もし世界のためにしたいことがあれば自分にそれをするのがいいみたい それは自分というものがあるとしたらということで なにもする必要はないと言ってしまえばそれまでなんだけど 流れに乗っているときは流れていこうと思った
今日もボケーっとしてる 文章を書くのは難しい でも書いているうちに進んだりするし 読んでいただくことでもそういうことがありうる 「サボりたい」という気持ちはまだなくならない でもあんまりサボらない 止まるのはいいけど 流れの中でとまることは「抵抗」だから 止まっている方が大変みたい 地球人のアセンションもそうだと思う もう流れにのってる 散々抵抗してきて良く解ったwww 委ねることと流れにのることは同じ こんな感じでやっていこうかなと思う ゆるゆるやりたいけど急流もあるからね そういう時も止まらなきゃいいんだね そういうときこそ委ねようと思う 全てに「ありがとうございます」 | |
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1. 花まる 2013年12月4日 1時2分 [返信する] 勝さんこんばんわ(*^_^*) 昼間いただいたコメントで、あるインドの聖者を知りまして 少しだけ読みましたらアセンションと悟り?はほとんど同じ?って思ってしまいました汗 悟りの世界を理解できているとは思いませんが、そんな感じがしました ゆくエネルギーの流れは絶えずしてですね! 振り返ってみると、流れに逆らってみるなんて大それたことをしたもんだなあと思いまして そういうことをしてるんだもん 意識不明にもなるよなあとw いくらなんでも無茶ですよねw なにかお知らせでしょうかね! 緊急呼び出しかも\(゜ロ\)(/ロ゜)/ 2. 勝寛舟 2013年12月4日 0時47分 [返信する] 「花まる」さん、今晩は。 いつもコメントありがとうございます。 もう寝ようとしたら、パソコンに割り込みが入ったので、先ほどの記事に追記し夜更かししています。 私は、高校の時に習った「鴨長明の方丈記」の一節が、ずーと頭から離れません。 「ウィキペディア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98 「 「乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされる。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の書き出しで移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語られる。さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定する。」 とのことです。 今の時代は乱世ほどではないにしても混沌とした時代であり、私たちはよどみに浮かぶうたかたであり、流れに任せるという意識は、ある意味悟りなのかもしれませんね。
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