エクスタシー、恍惚、至福 | |
2013年12月22日 0時26分の記事 | |
至福とか、恍惚と表現してるが エクスタシーの方がわかりやすいね そう考えると、ずいぶん体験はしてきたんだなあと思うw
エクスタシーの語源はギリシャ語のέκστασις(ekstasis、エクスタシス、外に立つこと)で、魂がみずからの肉体の外に出て宙をさまよう、といった意味が込められている。 プラトンは『パイドン』の中で、ソクラテスに「何かを純粋に見ようとするなら、肉体から離れて、魂そのものによって、ものそのものを見なければならない」と語らせた。 この語はさまざまな歴史的経緯を経て、現代では世俗的な意味でも、宗教的意味でも、あるいは哲学的・芸術的な意味でも用いられている。 「魂が肉体から離れたエクスタシー状態において、神仏などの霊的存在と直接接触したり交流する」とされている例は世界各地に見られる。 肉体から離れた霊魂を脱魂とか遊離魂などと呼ぶことは行われている 「夢というのは、睡眠中に霊魂が身体を離脱して経験したことがらだ」とする解釈は世界中で見られる。 また「病気や身体衰弱というのは霊魂の離脱が原因だ」とする解釈もまたしばしば見られる。 ミルチア・エリアーデは、脱魂が原型でその後に憑霊がくる、とする仮説を提示した。 シャーマニズム研究などでは研究者の間ではシャーマンに「脱魂型」と「憑依型」の2類型がある、としている場合も多い。そうした類型で言えば、日本ではシャーマンは脱魂型は主流ではなく、憑依型のほうが圧倒的に多いという だそうで、性的エクスタシーはもちろんとして あたしは「音はまり」を起こすw 音でエクスタシーに突入しちゃうことがけっこうあった そういう音楽は大好きだった 気持ちいいもんね でも性的なエクスタシーは「死ぬ」かもw と思ってしまうことがよくあって怖かった 今は「死ぬ」こと自体が怖くないので大丈夫w 去年の「一週間失神事件w」もエクスタシーの一種だったのかな と、いまごろ思った たった一年前だけど あの事件から自分は変わったしね 最近体験していることは 以前瞑想中に感じていた「至福」やこれらのものと同じ種類なんだろうね ただ「ふり幅」はでかい 高低差が大きいのかな でも怖くはない 今日は「集団瞑想」が行われるらしい 日本時間で今夜の2:11〜かな? くわしくは「ハートの贈り物」さんのブログをどうぞ 去年、12月にも集団瞑想があることをネットで知って 初めて瞑想に参加したら 自分が知らないマントラを繰り返唱えてた という面白いことがあったので 起きていたら参加してみようかなと思う あ、自己責任でどうぞ ありがとうございます | |
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