医療の本質 | |
2014年6月24日 22時16分の記事 | |
二週間なんて あたし 耐えるの無理じゃね? って さっきまで思ってた
集団生活が苦手すぎて 学校は限界までサボる 修学旅行は脱走 大人になって 一番嬉しかったのは 自営業って選択肢があることだった 出産入院の時も 途中でめちゃくちゃ嫌になって 早期退院 今回もそうしたい! でも 気が付いた まだ治療法や原因が特定できない病気にかかったのは 「協力」を知るためだ 二週間の検査入院は 自分だけのためじゃない この病気の人 みんなのためだ みんなが みんなのために たくさんの検査を受けるんだね 治療法が 予防法が見つかるために って思ったら 耐えられそうな気がしてきたw 映画スライブなんかみたいな 実際の現在の医療事情は とりあえず置いておくとしてw←知ってるけど意識しないという感じ 医療の本質も愛に間違いないわけで 研究は献身のためにあったわけで 今 愛である医療、献身である医療を体験できるのかもしれないと信じることにした とりあえず 今は こんな風に感じてる ありがとうございます(^ω^) ちなみに 「ねぇよ!二週間!」って思ってたら 当然のように熱発w 頭冷やしてもらってるなう 反抗とか ぶつかるとか 抵抗って 摩擦が起きる 順行 スムーズなら摩擦は起こらない あたしの病気の原因はそういうことなのかもしれない ずっと反抗期だったもんw 摩擦熱を利用して いろんなことをして 楽しんだけど やっと 自然の流れに添った喜びに気付けたのかもね 治癒?するには もっと進む、進化 神聖 見てきたことを実践して 助ける 光を拡散する 大切なことは それ 死も生も意識するほどのことではない と いうことらしい | |
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