しあわせを感じられるとき | |
2014年3月18日 20時11分の記事 | |
しあわせを感じられるかどうかというのは、その人の感受性や、状況にもよるところがありますね。 自分が試験に合格しても、親しい友人が試験に不合格だったとしたら、素直に喜べないかもしれません。 または、目指していた目標に到達できなかったとしても、そこまでのプロセスが満足のいくものだったら、それでしあわせと思えることもあるでしょう。 一概に、外から見てその人がしあわせかどうかというのは、計れないものです。 このように考えてみると、しあわせというのはごく個人的なものなのかもしれませんね。 傍から見ると、とても裕福で恵まれているように見えても、本人は孤独で苦しんでいるかもしれません。 または、仕事や勉強で成果を上げていても、親や周囲がもっと大きな期待を寄せていたり、ノルマに追われているばかりでは、気の休まる暇もないかもしれません。 しあわせは、その人の状況よりも、心理状態に合わせて増減するものともいえますね。 やはり、自分が満足できて、周りの人も満足できるような状況がしあわせといえるのでしょう。 それは理想的ですが、私たちはこうした理想のためにしあわせを追い求めているともいえますね。 | |
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