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第25話「恐れの欲と不幸の兆候」(不幸のすべて) |
2009年6月14日 2時0分の記事 |
播磨陰陽師的「不幸のすべて」 〜いざ進め、吾等に幸あらんことを願うなり〜 第25話「恐れの欲と不幸の兆候」 欲望は、悪いものではありません。ありすぎること……つまりは、貪欲が罪を作るのです。前回のブログの最後の部分に、 「では、どうして、このような欲望があるのでしょう? それは、この世に……良いことをしたい……そして、みんなから愛されたい……と言う想いが、この欲望の根底にあるのです……。」と書きました。 もちろん、その根底にある欲望は、誰にでもあります。それは、あたかも自然の法則のように……または、人の心の基本的な要素のように、生まれつき備わっているものなのです。それには濃さのような……人によっての強さはありますが……多かれ、少なかれ、基本性能として装備されています。 それは、様々な言葉で表されますが……最も簡単に説明してくれるのは「八徳《はっとく》」です。八徳の思想は、中国から伝わった儒教思想を根底に持ちますが……日本に残り、独自な発達をとげました。 儒教の発祥の地とされる中国には、今は、ほとんど残っていません。また、儒教をわが国に伝えたハズの……現代韓国の儒教も……今では、わが国の儒教とは別なものになっています。わが国では、それは儒教としてではなく……古代の神道その他の思想と結びつき、道徳に変化しました。ただし、これは、学校で習う「道徳」とは、別なものですが……。 道徳は、いわば、われわれ日本人の心を構成する基本的な要素であり……それ自体が……この世を動かす、自然の法則のような形を持ちます。 つづきをご購入いただけます(500円) 購入方法はこちら |
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[カテゴリ:不幸のすべて] |
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