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第65話「義と利について」(不幸のすべて) |
2009年7月24日 2時0分の記事 |
播磨陰陽師的「不幸のすべて」 〜いざ進め、吾等に幸あらんことを願うなり〜 第65話「義と利について」 前回は、 「義は、各個人で意味が違っていて……その人が属しているグループによっても、意味が異なります……。」と言うところでした。 「義《ぎ》の心」は、悪を恥じる気持ちから始まると伝わります。 これは、 「悪いことをする自分の行い。」を、恥かしいと思う心です。 この気持ちは……正常な人であれば、誰にでもありますが……最近の世の中では、急速に、少なくなりつつある概念のような気がします。 この悪いことをする心……は、「穢《けが》れ」の、ひとつです。 穢れには、三種類あります。 それは、播磨陰陽道に、 「それ、穢れに三種《みしな》あり。ひとつは、言葉の穢れ……ひとつは、心の穢れ……そして、行いの穢れなり。おのおの、罪、咎《とが》、過《あやま》ちに満ち溢れ、人として、けして行うべき物事にてはあらず。これ肝要《かんよう》なり。」と伝わっています。 そして、 「穢れなき言葉に義あり……穢れなき心に義あり。穢れなき行いに、また、義あり。」と伝わります。 この「穢れなき……。」は、穢れ……すなわち、罪、咎、過ちを持たない言動と、気持ちと、行動を意味しています。 この穢れは、諸悪のひとつですので、 「悪言を使わず、悪心を恥じ、そして、悪しき行いを恥じる。」ことが、義の考え方です。 この義を、心の内に持つ人は、 「心、安らかにして、厄、また無く、諸事行いも正しくして、人に敬われる。」と伝わります。 これが、前回に書いていた、 つづきをご購入いただけます(500円) 購入方法はこちら |
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[カテゴリ:不幸のすべて] |
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