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第77話「悌」(不幸のすべて) |
2009年8月5日 2時0分の記事 |
播磨陰陽師的「不幸のすべて」 〜いざ進め、吾等に幸あらんことを願うなり〜 第77話「悌」 前回は、 「八徳の孝について……。」でした。今回は、八徳の最後にある「悌《てい》」についてです。よろしくお願い致します。 「悌」は、辞書によると、 「良く兄、または年長者に仕えて、柔順なこと……。」とか、 「兄弟間、長幼間の、情誼《じょうぎ》の厚いこと……。」とか、説明されています。 ここの情誼《じょうぎ》とは、 「交遊の情愛。親しみ。よしみ。」のことです。 また、「悌」には、 「師に、仕えて、教えを受けること……。」と言う意味もあります。 これは、人から人へ、知識が移動しながら、人類全体にその知識が残ること……を、意味しています。 「悌の徳」は、その知識のつながりを、大切にするものです。 播磨陰陽道では、「悌の徳」を持たない人に、物事を教えることがありません。 たとえ、教えたとしても……ある程度のところで、相手をしなくなります。 それは、悌の徳……つまりは、時代を超越した知識のつながりの中に、われわれの伝承が存在しているからです。 つづきをご購入いただけます(500円) 購入方法はこちら |
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[カテゴリ:不幸のすべて] |
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