褒められたかつての自分と、励ましている今の自分 | |
2015年9月1日 23時33分の記事 | |
最近、法律の文書を作る機会がありました。 作っているうちには気づかなかったんですけど、作り終わった時に普段頭を使っていないからなのか(笑)、妙に頭が疲れていることに気づきました。 ですが、ある年数をかけて一生懸命にトレーニングしておくと、ちゃんと法律的な思考が今でもできることに驚かされます。 顕在意識ではすっかり忘れ去っていることでも、ちゃんと覚えているんですよね。
例えば、幼い頃の記憶なんかがそうです。 今でも時々思い出すのが、たぶん3歳頃だと思うんですけど、三輪車に乗っていた頃の自分です。 私、今は身長180cmを超えてるんですけど、私だって三輪車に乗っていた時があるんです!(笑) 自分でもびっくりしますけど(笑) 断片的にしか覚えていないんですけど、一番覚えているのは、三輪車のカゴに使用済の自動車のバッテリーを積んで、ゴミステーションまで運んだことです。 私にとっては普通の出来事だったんですけど、私の母親が三輪車にバッテリーを載せて運んでいる様子を見て、大変びっくりしたそうです(笑) なんでそういう展開になったのかは定かではないのですが、たぶん母親にバッテリーを捨ててくるように頼まれたんでしょうね。 バッテリーを三輪車に乗せるところは、よく覚えていないんですけど・・・ なんでそんなことを覚えているのかよくわからないんですけど(笑) たぶん、母親に褒められたのが嬉しかったんでしょうね。 そういえば私は、勉強でもスポーツでも、褒められて伸びるタイプだった気がします。 三輪車の次に印象に残っているのが、少林寺拳法の練習中に先生から褒められたことです。 褒められるために頑張っているわけじゃないんですけど、たぶん単純なんでしょうね・・・笑 最近、褒められることが少なくなったな〜と思います。 大人になると誰も褒めてくれません(笑) でも、逆に個人セッションに来てくれたクライアントさんを、ときどき励ましています。 人生色々。 人間も色々。 人って、誰かに悩みを聞いてもらいたい時って、あるんですよね。 個人セッションなんかでもそうです。 基本的に私は聞き役にまわりますが、気が付いたらクライアントさんを勇気づけていたりします。 その悩みがなんであっても。 以前はよく、個人セッションに来てくれる人が、まるでかつての自分のようだと思えることがたびたびありました。 その人の生き方だったり。 その人が直面している悩みだったり。 他人は自分の鏡といいますが、面白いなーと思います。 | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. ふーみん 2015年9月2日 7時34分 [返信する] 確かに、いくつになっても褒められたいですよね~(^.^) 大人になると、照れが邪魔して素直に喜びを全面に出せなかったりするのですが、褒められると、ある種の大きな原動力になります。ちなみに、僕はimimi さんを尊敬しておりますよ(^^)/ 能力面はもちろん、人間性も!最近は嫁も褒めてくれないし、誰か褒めてくれる女性いないかなあ(T-T) とか言いながらも、実際、内面を褒められれば、「外見で褒めるとこなかったからかな」とヒネた解釈する自分もいます(笑) でも、『ポジティブな言霊』を伝えるのは大事ですよね。「優しいね」と言われれば、もっと優しくなろうとするし、「ヒネてるね」と言われれば、「もっとヤサグレてやろーか」と卑屈になったりもするし。結局、人間はみんな単純なんですね(笑)
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