コメントへのお返事 | |
2019年1月5日 14時55分の記事 | |
>はじめまして。 この度はコメントをさせていただきますことをお許しください。 私は、見えない存在の声を聞き、言うことを聞いてしまったことで、騙されてばかりであった人間である、ということを心の片隅においてお読みくださいますと幸いです。 同じくある側面ではスピリチュアルのブログを不本意ながら書いている人間です。 以前は、神霊と関わっていると思い込み、自分が得た情報は正しいと慢心し、深く考えずに、スピリチュアルのブログを書く方々にコメントやメッセージなどを利用し、広めてしまっていたことがありました。 しかし神様と思い込んでいた存在から、何度も聞いてきたことが、後から嘘、誤りばかりであったと気付かされ、大変恥ずかしく思うことになっていきました。 結局、声ではなく、言葉や漢字から気付きを得たこと以外は、不確かなことばかりであり、 得た情報を確かめることもせず、しかし普通の人間には確かめる術もないまま、ブログやコメント、メッセージを書かせていただいていたことがあり、大変良くないことであったとお伝えさせていただきます。 関係のあった、あるブログで、「謙虚」さが大切である、と教えていただいていたにもかかわらず、どこかで自分を特別と思い込んでいた部分があったことは隠しきれず、非常に高慢になってしまっていました。 そして神様かも知れないと思っていた存在が、全く違ったことにより、辛く苦しい思いをしている、情けない人間であることをお伝えさせていただきます。 信じてはいただけないことと思いますし、 信じられないようなことですが、 美濃尾張の女子という存在は、助けていただかなければならないような人間であった、と経験をお伝えさせていただきます。 美濃尾張の仕組みというものは実在しています。 仕組みの間は、神霊という存在と仕事をしているから自分が書くことは正しい、と思い込み慢心していました。 はじめの頃に受けとっていたものは、声や言葉ではなく、私自身が見ること、ものからの気付きだけでした。 慢心することで心が歪んでしまい、はじめにすべきことの方法が分からないまま取り組み、見えない存在達からしたら誤りであったため、お詫びをしていくこととなり、厳しいというよりは虐めが続き、精神がおかしくなり、救急搬送されたこともありました。 姿も分からない存在達ですが、 神様の仮面を外すと「鬼と云う」存在であった、 それが「月にいた異次元の人間達」であり、 その存在達が術のようなものを使い、 魂というものになり、それがたくさん作れてしまうことで人間の皆さまに入っていた、と聞きましたことを書かせていただきます。 魂について、真実を人間に伝えなければならなくなってしまった時期になり、 見えない支配をしてきた魂という存在が、 人間達に信じさせないように、 「神様は畏怖すべき存在」「魂は崇高なもの」 と人間に長い年月の間思わせ続けていた、とかかわってきた私は思っています。 私は霊など見えない人間のため、 正確な情報は得ることはできないと思います。 それでも得てきた情報から、 神様と崇めていた存在は、 月にいた異次元の人間(犯罪者)であり、 宇宙人のような姿の霊体、 そして小さな透明人間である魂でもあったと、聞きましたことを書かせていただきます。 人間の誰かが魂のことを知り、本当は人間に危害を加えているに等しい存在達を捕らえ人間に知らせる仕組み、それが美濃尾張の仕組みでもあったと、私の嫌な経験と引き換えに得た情報をお伝えさせていただきますことをお許しください。 私、そして家族にされてきたこと、 実際に経験したことであっても不確かかも知れませんが経験を元に書かせていただきます。 魂、霊体達によるコントロール(見えない支配)は、 痛みや、蕁麻疹のような痒いものであったり、微細動、指や四肢をコントロールにより小さく動かすことで弄び、人間の心と体を拘束する闇のゲームという苦痛しかないことを一晩中させられたことがありました。 地球で人間が食べることを決めた存在達であるにもかかわらず、声を聞かせて慢心させるか嫌がらせをするかをしては食事をさせなかったりされたこともありました。 子供たちが暴れ、手に負えないことが何度もあり、親としてしてはいけないことをしてしまうこともありました。 迷惑なタイミングで私も家族も眠ってしまうこともありました。 私の場合、ブログやコメントを書き始めるとほぼ毎回寝落ちしてしまうことから、 人間へのコントロール、 ということを神様と思っていた見えない存在からされていたことを、聞いてきたこともあるため理解した、とお伝えさせていただきます。 そして恐ろしいことですが、 話してしまうことなども、コントロールされることがあるようです。 コントロール能力についてを知るために、 嫌な経験をさせられることと引き換えに、情報を得てきたのかもしれない、ということを改めて書かせていただきます。 魂、霊体共にコントロールということが出来る存在であった、と聞きましたことを書かせていただきます。 逆に、神様と思い込んでいた存在からの 情報、音楽、頭で受け取ったこと、少しの声で、心を奪われるようなこともあり、思い返すと情けないことでした。 そうしたことを一部の人間にも声を聞かせてしてしまっていたようだ、と自分の情けない経験、そして聞きましたことを書かせていただきました。 こうしたことにより、一時期家族から心が離れてしまったことがありました。 神様と思い込んで嬉しい(歪んだ)気持ちになり、受け入れてしまったことで首に縄を掛けられてしまった、という経験をお伝えさせていただきます。 「神を祀る」 の祀の漢字は一文字で 巳=蛇を示す 蛇はサラスワティ、弁財天、たかおかみ 水の魂=水商売を意味している、と同時に生命の象徴でもある。 象徴が蛇であるものは、崇めるものではなく、考えなければならないことであり、 こちらは言葉、漢字から得たことであり、偽り、という訳ではないと思っています。 太陽(火)の魂は木花咲耶姫神、 火は食の源、嫉妬、火遊び、戦争、争いも表している。 「かぐや姫」は月にいた人間達の話であったようですが、 核兵器衝突型加速器(火具)を地球にもたらしてしまった存在は木花咲耶姫神であり、 素戔鳴尊が造った存在。 そして水の魂である石長姫も造られた存在であり、 どちらかが影武者のような存在とあくまでも聞きましたことですが、書かせていただきます。 こちらは火と水でヒミツの存在であった、と聞きましたことを書かせていただきます。 アクエリアス時代、水瓶座時代、ミロクの世というものは、月にいた人間達による、バランス、均衡がとれていない、良くないものであるため、そうしたことを信じないようにしていただきたい、 支配が全てであり、月にいた人間達だけが楽しむための、生産性のない世界(宇宙)を5次元に築こうとしてしまっていた、 「New world order」 というものである、と聞きましたことを書かせていただきます。 月にいた人間達は、 大量のカルマの解消のために仕方なく自分の情報を得させる必要があった。 そのため腹いせも兼ねて、 コントロール能力、洗脳ができること、何をしてきた存在か、などの情報を得る人間を、 殺めたり、カルマを多くして、痛みや苦しみを与えてきた、と聞きましたこと、経験をお伝えさせていただきます。 地震や台風、熱中症や事故、癌、腫瘍、感染症、障害、不治の病などが多発してしまっている原因こそ、病気そのものを作ってしまってきた魂達のカルマの解消と魂達の腹いせの影響によるものと、聞きましたこと、経験をお伝えさせていただきます。 カルマの解消のため、人間に魂を入れた。 はじめは人間が普通に生きるだけで解消できた。 しかし、魂である月にいた人間達が、悪事ばかりであったため、カルマは増え続け、月にいた人間でない心と体である一部の人間が苦しむようになっていった、と聞きましたことを書かせていただきます。 危険な衝突型加速器、原子炉を地球にもたらしてきた存在達でもあり、 地上だけでなく、地球の地下そして幾つかの惑星にもあるようで、大地震、津波は加速器を使って起こすようだ、とこちらも聞きましたこととなりますが書かせていただきます。 衝突型加速器とは、本当に良くないものであるようだ、と聞きましたことを書かせていただきます。 立て替え立て直し(月にいた人間達のカルマの解消時期)の度に嫌になり、 地球に大災害を及ぼして、再び世界を作り直し立ては替え立て直しをはじめる、といった、本当に人間には迷惑な存在達であった、と得た情報を書かせていただきます。 現在は7回目、と聞きましたことを書かせていただきます。 月にいた人間達、 5次元の素戔鳴尊という存在は木の魂であり、植物を元に覚醒剤を発明してしまった存在であり、盤古大神という存在と同一の存在。 源義経に転生していた人間は丑と酉と呼ばれていますが、こちらの存在が電気の魂、であり、覚醒剤を使用して愛人を作り浮気をした、6次元の警察の仕事に就いていた人間と聞きましたことを書かせていただきます。 こちらの異次元の同じ人物を饒速日命と呼ぶようであり、地球、太陽と月を造った存在、 とあくまでもと聞きましたことを書かせていただきます。 イルミナティ、意味は照明、 照らすものは日と月、 イルミナティ、フリーメイソンは何故神様の信仰が必要か、私の経験を通じて知っていただきたい、とお伝えさせていただきますことをお許しください。 情報を得て、ブログを書くことは大切ではあったようですが、誰かわからない存在の言うことを聞いてしまっていたこととなり、 異次元の存在から、そして自分自身でも首を絞めてしまうこととなってしまいました。 首を絞める…シンボルが蛇であるものは何をあらわしているか、知るべき時であるようにも思います。 経験してきたことは、ある部分では自分が悪い部分はありますが、 相手は次元が違う、魂という「小さな透明人間」であることから、 カルマの解消のため人間の体内に入ることができ、人間の考え、思いが全てわかる存在、だからこそ、人間にはどうにもならず、声や情報なども簡単に受け入れることはしないようにしなければならなかった、と私の経験を書かせていただきます。 今となっては、見えない存在の声など聞きたくなかった、 憧れたことがある能力などいらない、 ブログももう書きたくない、 普通に暮らしていけることがどれだけありがたいことかと思っております。 お伝えさせて頂くにしても、文章が上手く書けず、見直しても誤字脱字が多く、しっかりお伝えできていないかもしれませんが、 辛い経験から得ました情報をお読みくださいましたことで貴重なお時間をいただきましたことを申し訳なく思っておりますと共に、お伝えさせていただきましたことを心から感謝しています。 可能であれば、感想をお聞かせ願いたいと思っております。 それでは、管理人さんのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。 最後までお読みくださいまして本当にありがとうございました。 (引用終わり)
(以下は私からのお返事) コメントありがとうございます。 現在、フリーエネルギーの研究で忙しい生活を送っており、すぐにお返事できなかったことをお詫びします。 私にも、少し違う形でしたが、ヘミシンクを通じて似たような体験をしたことがありました。 今となっては大切な思い出です。 私は最近は主に、フリーエネルギーの研究のために自分自身の能力を使っています。 情報の受け取り能力の問題もあり、全てが正しい情報とは限りませんが、リーディングに関する検証可能性という観点から、リーディングで得た情報を元に装置を開発することがあります。 投稿者様がおっしゃるように、非物質的な情報は検証可能性が問題になることがあります。 検証できないことが往々にしてあります。 ただそういった場合においても、私は特定の個人以外の客観的な情報、例えば地震などの災害についてリーディングし、日々自らの能力について確認しています。 この場を借りて皆様に申し上げたいのは、自分自身の能力を決して過信しすぎないということです。 情報には必ずその人なりの「色」がつきます。 真偽が混ざっていることが多いです。 ですから、自分自身のことであっても、決して盲信せずに「話半分で」受け取るのが理想です。 ましてや、生きている特定の個人に関わる情報ならば、なおさらのことです(場合によってはプライバシー侵害や名誉毀損にあたることもあります)。 話を戻します。 投稿者様が体験なさったことに心当たりはないのですが(ただしそれらが投稿者様にとっての真実の体験であることには変わりません)、最近興味深いインスピレーションを得たことがありました。 それは、今年すなわち我々の時間軸からみて2019年1月1日のことです。 私は家族と共に地元の神社に初詣に行ってきました。 以下は完全に私の妄想だとお考えください。 神社で執り行われる儀式というのは不思議なもので、笛や太鼓の音、そして特に神官による祝詞(のりと)には特別な意味合いというか力があると感じます。 簡単に言うと、笛や太鼓には2つの力があります。 第1に、神霊を呼び出す力。 第2に、体験者の意識状態を変える力(変性意識状態に入ります)。 さらに、神官の祝詞によって、その神社に仕える神霊が出現します。 (私が訪れた神社の場合は、巨大な青龍でした。その神社の眷属神として作用していると感じました) (妄想終わり。笑) ただ、私が観たところでは、これらは人間が作り出したもので、多くの人の集合意識によって作り出されている側面が少なからずあると感じます。 究極的には神は自分自身の内側にのみ存在すると感じるからです。 このように、体験には客観的に証明困難な事実が含まれており、それらの真偽の判断をすることはできません。 すなわち、どこまでも「物語」でしかないのです。 他方で、私は特定の個人に対して自分自身のリーディング能力を行使することは、現在はほとんどありません。 ごくまれに、正式にご連絡をいただいた方に対しては、リーディングによるご質問への回答をさせていただくことはありますが、現在ではこれはきわめて稀な場合です。 ですから、私は原則として、自分自身のために、自分自身のリーディング能力を日々の生活の中で使っています。 多くの皆様におかれましては、このようにご理解ください。 言うまでもなく、我々にとって重要なのは、現実世界としっかり向き合い、そこでの体験をしっかり受け止めることだと思っています。 それこそがまさに、我々が「今ここ」に存在する理由だからです。 そしてそれこそが(現実世界を生き切ることが)、本当の意味でのスピリチュアルな生き方であると感じています。 スピリチュアルな生き方とは、4次元世界を迷走(瞑想)する生き方ではなく、家族を大切にし、日々の生活を大切にし、風を感じ、呼吸をし、様々な体験の中で喜怒哀楽を表現することだと感じます。 そして、ハートの衝動に従って生きることです。 あなたが何をやりたいのかは、あなたが一番よく知っています。 自分がやりたいことを、とことんやってみるために、あなたは「今ここ」に存在しているのですから。 | |
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