くる天 |
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プロフィール |
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板垣英憲 さん |
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 |
地域:埼玉県 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 政治・経済 |
ブログの説明: 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速報する。板垣英憲の過去著書も連載します。*定期購読月額1000円
板垣英憲マスコミ事務所
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『ロックフェラーに翻弄される日本』(2007年11月20日刊) 第7章 安倍前政権とロックフェラー、そして福田政権ヘ 祖父・岸信介元首相の「亡霊」に取り憑かれる |
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『ロックフェラーに翻弄される日本』(2007年11月20日刊)
第7章 安倍前政権とロックフェラー、そして福田政権ヘ
祖父・岸信介元首相の"亡霊"に取り憑かれる
安倍前首相はどうやら、父の安倍晋太郎元外相の、というより、祖父・岸信介元首相の、"亡霊"に取り懸かれているようだった。父の代から山口県下関市を本拠地としているが、かの地はまさに統一教会の"窓口"とでも言うべきところだった。 統一教会という巨大な宗教勢力の背後には、欧州のロスチャイルド系金融資本が控えている。この巨大な金融財閥はかなり以前から、ユーラシア大陸を一つの鉄道で結ぶという壮大な構想を描いている。シルクロードを鉄道で結び、満州から朝鮮半島に入り、日韓トンネルを開通させれば下関が窓口になる。この計画の政治的なプロモーターとして、統一教会が動いているのである。 米中関係の改善が急速に進むなか、当初はネオコン寄りと見られながら、実は統一教会の勢力を地盤とする安倍晋三が首相の座に就いたのは、偶然ではあるまい。 |
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「日韓トンネル」は、いざというときに朝鮮半島から朝鮮人が福岡・下関に入り込み、一帯を占領してしまう、いわゆる「保障占領」を許してしまうものだ。「旧統一教会とは知らなかった」で済まされる話ではない。 |
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「日韓トンネル」は、いざというときに朝鮮半島から朝鮮人が福岡・下関に入り込み、一帯を占領してしまう、いわゆる「保障占領」を許してしまうものだ。「旧統一教会とは知らなかった」で済まされる話ではない。
◆〔特別情報1〕 山口県には下関の近くに湯田温泉がある。ここは、昔から韓国からの出稼ぎが多い温泉町だった。温泉芸者にも韓国からの出稼ぎ女性が多くいて、「枕ひとつで」子供が出来てしまった名の知れた国会議員が何人かいた。しかも、その子どもが、二世議員となって地盤を継いでいたりもしているのだ。 その一人が、田中龍夫である。田中龍夫は、首相を務めた田中義一の長男である。筆者は、毎日新聞政治部に配属されてほどなく、文部省を担当し、1980年7月17日に発足した鈴木善幸内閣のもと文部大臣に就任した田中龍夫の、地元山口の選挙区(山口第1区)への就任挨拶に同行した。最初に、田中龍夫にとっての最大のスポンサーであった宇部興産に出向いて社長に就任のお礼の挨拶をし、その日は湯田温泉に行って一泊した。その間は、田中龍夫の長男である田中素夫が、田中文部大臣に同行してきた番記者たちの接待係を担当していた。翌日には、いよいよ五松閣(旧田中邸)に入り、お祝いに駆け付けた大勢の地元後援会の人たちに向けて挨拶をした。五松閣の庭で行われた祝宴で田中龍夫は自らお銚子を持って、後援会の一人一人にまわってお酒を注いで挨拶に回っていた。その姿を見ながら、政治部記者として駆け出しだった筆者は、これが選挙というものかと思ったものである。田中龍夫は、山口県知事を経て衆議院議員になっているだけに、地元での支持者は実に多かった。湯田温泉から萩市に入ると、田中龍夫の挨拶まわりに、田中龍夫とまるで生き写しのようにソックリな地元県議会議員がいた。 |
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経営再建中の日本航空のCEOを受託した稲盛氏は「企業再生支援機構が立てている再生計画を着実に実行できれば、私は再生が可能だと思っている。中にいる社員の人達のためにお手伝いしたい」と決意を示した。 |
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経営再建中の日本航空のCEOを受託した稲盛氏は「企業再生支援機構が立てている再生計画を着実に実行できれば、私は再生が可能だと思っている。中にいる社員の人達のためにお手伝いしたい」と決意を示した。
●若手社員の話をじっくりと聞く ●経営者としての責任を自覚する ●世界行脚の苦労が実る
●日本航空会長兼CEO就任を受諾する 平成二二年(二〇一〇)一月二二日、鳩山由紀夫首相(当時)は、京セラの稲盛和夫名誉会長と会談し、経営再建中の日本航空の会長兼最高経営責任者(CEO)への就任を要請し、稲盛氏はこれを受諾した。鳩山首相は、京セラをベンチャー企業から世界的な企業グループに育て上げた経営手腕を高く評価。事実上倒産に追い込まれた日本航空の再建に大きな期待を寄せている。稲盛氏は「企業再生支援機構が立てている再生計画を着実に実行できれば、私は再生が可能だと思っている。中にいる社員の人達のためにお手伝いしたい」と決意を示した。鳩山首相との会談後、記者団に「年なので週三、四日の勤務でやらせてもらう。無給でやらせてもらう」と語っている。稲盛氏は、鳩山内閣の行政刷新会議のメンバーを務めてきたが、日本航空会長就任を受諾したのを機に辞任した。 大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として知られており、民主党の小沢一郎幹事長とは新進党時代からの旧知の仲である。また、本社がある京都市を地盤とする前原誠司国土交通相の後援者会長を務めていた。小沢一郎が二〇○八年九月二一日に民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。 |
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追悼・稲盛和夫は昭和34年4月1日、京都市中京区西ノ京原町の宮本電機の倉庫を借りて本社を構えた。社名は「京都セラミック」、 世界に通用する「京都」に特殊磁気の英訳「セラミック」を組み合わせた。 |
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追悼・稲盛和夫は昭和34年4月1日、京都市中京区西ノ京原町の宮本電機の倉庫を借りて本社を構えた。社名は「京都セラミック」、 世界に通用する「京都」に特殊磁気の英訳「セラミック」を組み合わせた。
◆誓詞血判、一致団結を誓う ◆「世界一」を目標とする ◆松下電子工業から大量発注を受ける
●松風工業を退社し、翌日結婚する 稲盛和夫は、敢然と独立を決意して、昭和三十三年(一九五八)十二月、松風工業を退社した。しかも、その翌日、特磁課という同じ職場にいた須永朝子とめでたく結婚したのである。簡素な結婚式を挙げて、別府と霧島に二泊の新婚旅行にでかけた。 朝子の父は、須永長春(本名・禹長春)といい、東大農業学科を卒業して植物の育種の研究で農学博士号を取得した学者だった。京都のタキイ種苗の農場長などを務め、戦後、実父の郷里・韓国に行き、疲弊していた農業の立て直しに尽力し、「韓国近代農業の父」と呼ばれていた。 朝子は、その四女である。和夫は後に、義父に会ったとき、分野こそ違え、同じ研究者として意気投合することになる。 |
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