魔都市・トリノ | |
[トリノ] | |
2009年6月30日 23時57分の記事 | |
これは受け狙いではなく、真面目に、真剣に、一生懸命に書いた イタリア語作文集です。
イタリア語レッスンは3ヵ月単位なので、3ヵ月毎にインターバル があります。 というわけで、ちょっとイタリア語は休憩して、私がイタリア語を 習うきっかけになったトリノの街について、ちょっと固めのレポート を書きましたので読んでみてください。 この町はイタリアでもホラー映画の舞台に使われる事が多い、血な まぐさい歴史の街でもあるんですね。 霊感のある人は近寄りたくない街かも知れません。 ちなみに、サスペリアはイタリア映画で、舞台はトリノです。 あれはスプラッタでしたが… それではレポートを紹介します。 タイトルは「魔都市・トリノ」です はじめに 2006年2月10日〜26日の17日間、第20回オリンピック冬季競技大会 が開催された町トリノ。 この町について知っている日本人がどれくらいいるだろうか。 クオレ物語(Cuore−心)の舞台として、セリエAの人気チームJuventus の本拠地として、またFiatの工場のある町として、そして聖骸布が 有る町として、知る人ぞ知るイタリア・ピエモンテの州都である。 この町はイタリア統一後最初の首都となっている。 しかし、観光大国イタリアにあって、その地味な気質から日本人には あまり知られていないのではないだろうか。 町の印象は、こじんまりとしていて清潔。通りは銀座の様に碁盤の目 状になっていて迷いにくい。 18世紀初頭、サヴォイア王ビットリオ・アメデーオがシチリアから 建築家ユヴァーラを招聘して建築と都市計画に当たらせたという。 当時のトリノを訪れたフランス人旅行家ドブロスは「トリノはヨーロッパ で一番美しい街の一つかも知れない。他の都市に見られる記念碑的建築の 威容はここにはないが、その代わり宮殿の周囲に陋屋ひしめく不快な光景 もここには見られない。」と絶賛したという。 建築上のコントラストが目立たないということは、社会対立が激しく ないことの証明である。 観光地にありがちな人なつっこさは、工業都市として知られるこの町 の人々には無い。その為、一般に「トリノ人は冷たい」と言われて いるが、そんな事はなく概ね親切である。 ローマ、ミラノ、ナポリに次ぐイタリア第四の都市であり、いろんな 民族が集まって来ていることもあり、排他的ではないと言う人もいる。 トリノの歴史は古く、2000年以上前、ローマ時代に遡るという。 トリノの街の名前の語源は、先住民族がタウリーニと言ったとか、 古代ローマ人がこの地で多くの雄牛(Taurus)を目にしたからとか、 ケルト語の「山」がオリジナルだという説もあり、様々である。 イタリア語の雄牛はToro(トーロ)といい、Torinoの語感が似ている。 その語呂合わせで、街中に写真の様な製鉄の雄牛の頭のついた水道が 至るところにある。 ところで、私が求めているのは、表向きのトリノの歴史ではなく、 むしろ伝説・伝承の方である。トリノは不気味な伝説や噂も数多く ある不思議な町である。 中世イタリアでも異端裁判はかなりのものだった様だが、トリノは ある時期狂気を帯びていたと言う作家もいる。 この町が「魔都市」と言われる様になったのがいつ頃からなのかは 解らないが、魔都市といわれる所以を、少ない手持ちの資料から 紹介しよう。 | |
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