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2021.9.12



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ヤツメウナギ で検索した結果

  • 「自立する道」について。 数年前の、今の、(異常な)こともありますし、色々浮かびます。 異常である面は、 自分が見ている方向や、見るべき物事を、強く認識させます。 海のなかの脊椎動物の脾臓は、みな腸壁と融合しているはずで、 陸上動物の脾は、すべて腸壁から離れ、それぞれ独立する。 両者の移行型が肺魚の脾臓。 しかし、型どおりではなく、 身近な魚はどれもみな腸壁から離れた独立脾を示すという厳然たる事実がある。 (三木成夫)1925年生まれの方。 独特な道筋。 ヴァイデンライヒ 脾臓はいかにして故郷の腸壁を離れていったか …検索で、歌詞が出るケースも。 http://worldfolksong.com/sp/songbook/germany/der-letzte-abend.html wikiかな。 音写:羅侯羅、羅怙羅、羅護羅、何羅怙羅、羅吼羅、羅雲など 漢訳:障碍、障月、覆月、覆障など 「諸説あるが、彼の名前の由来には様々な説がある」 (三木氏)「女性の月経という"残り火"に僅かのおもかげ」を留める「相」、 なんて表現も出てきたり。 三木氏の著書紹介 造血器官の変化とか。 骨髄-コトバンク 2015年3月の終わり、日常のメモも。 和音内、ヤツメウナギ で検索した結果 (5月4日追加) 抜粋 三木成夫 『胎児の世界』人類の生命記憶 中公新書 2017年08月29日 | 読書 惚けた遊び!
    2022年4月28日 12時37分
     
  • 生命とリズム/三木成夫 2013年/河出書房新社(元本/1996年 築地書館) 不可思議な斜陽臓器  ひところ“斜陽”という言葉のはやったことがある。脾臓がペニシリンのおかげで、しだいにこの斜陽の臓器となりかかったのが、あたかもその頃のことと思われるが、今日ではもはやこの臓器の話はあまり耳にしない。つまり医学の世界でも、がぜん脚光をあびる問題と、そうでない問題が目まぐるしく変わってゆくものであるが、しかしこのような時の流れとは、やはり無関係に、脾の正体はいぜんとして謎であると思われる。   ローマのむかし、ガレノスはこの脾臓のことを“神秘に満ちあふれた”といったが、今もってこの臓器の生いたち、すなわちその過去を知っている人は、誰ひとりとしていないのではなかろうか……。   さて話が数年もまえに遡って恐縮だが、筆者が秋の講義の予習で、この謎の臓器について調べていた時、脾静脈が肝へ流入するようすにひどくひかれたことがある。とっさに、脾はむかし消化管の一要素としてできたものではないかと考え、さらにこれは、例えばパイエル氏板(腸扁桃)のようなものが胃壁からくびれ出してできた――“胃扁桃”みたいなものではないかと想像し、ひとりで興奮したものであった。   そしてその翌年の春であったと思う、談たまたまこれに触れるや、恩師小川鼎三教授(当時東大解剖)がおもむろに両膝をのり出され、この私をまっすぐに指さされ、これまた興奮の反応を示されたものであった。ヒマラヤ雪男の足跡の、あの写真をご覧になられた時のことが想像されてくる。 脾と腸循環との仲   私の研究はこのようにして始められたが、手はじめに原始脊椎動物の古い型の脾臓を調べているうちに―― (1)宗族発生的に、なるほど脾は腸壁からとび出してできる。 (2)脾が血管系に挿入された臓器であることは、一般の一致した見解である。 (3)しからば、脾は胃腸の壁の血管と深い仲をもって発生したものでなければならない。   というわけで、この臓器の生いたちを調べるためには、どうしても胃腸の血管発生の経過を知る必要に迫られてきたのである。そしてこの時はじめて、どのハンドブックにも教科書にも、こちらの知りたい血管発生の説明は、ただの一行すらなされていない厳粛なる事実を知ったのである。つまり脾の由来を筆者のような観点から調べようとしても、それは現状ではできない相談であることがわかってきた。   さて浦良教授の名前は『実習人体解剖図譜』を通して、おそらく50歳未満の方であれば、たいていご存じのことと思う。しかし同教授が、この血管発生に関してなしとげた歴史的な業績を知る人は少ない。それは今世紀初頭、哺乳動物の米粒のような胎児の血管に、欧米の学者たちがこぞって色素の注入を試み、すべて、さんたんたる失敗に終わったことがあったが、同教授は半世紀ののち、大戦のさなかから今日まで、両生類・魚類はおろか、ヤツメウナギのけし粒のような幼生の血管にまでその注入を成功させ、しかもそれらを系統的にピンセットで「解剖」して血管形成のルールを徹底的に追究したのである。それは神経学におけるカハール以上の成果と思われる。   さて話がもどるが、その年の夏の学会のひととき、筆者の考えを即座にのみこまれた浦教授は「自分は脾との関係をあまり追跡しなかったが、しかし有尾両棲類で調べると君の考えはたちどころに証明されるだろう」と予言され、オオサンショウウオ(中国山地蒜山 ひるぜん 原産)の注入標本をまことに惜し気もなくくださったのである。 241 (腸管二次静脈を産み落とす 241-242) (古生代の夢の再現 242-244) (造血の古都 244-245) ・・ といった あれだそうで (記入未定) 11.26?昼 入園時に受付のあれな対応に 冷や水一滴(一喝) オオアマナについて質問をした方・・気になっておりましたが 延延のようでしたら どこかがまた枯れてしまいますので ・・考えねばなりません   本当に疲れます その後 うちこみ でした ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下 excite.ニュース 女性コラム (12.6付) 保存 胎盤が「老化する」「古くなる」って本当? mamatenna 2017年12月6日 05時58分 (2017年12月6日 07時15分 更新)
    2017年11月26日 15時27分
     
  • 画像一枚目 レプトケファルス  Leptocephalus(「レプトセファルス」) 魚類に見られる平たく細長く透明な幼生で、大きさは5 cm前後かそれ以下から1 mを超す場合もある。ウナギやアナゴ、ハモなどのウナギ目のものが有名でウナギは成長後にはレプトケファルス期の約18倍、アナゴは約30倍の大きさになる。-Wikipedia ウナギ科魚類の仔魚は レプトケファルス(葉形仔魚)と呼ばれる独特の形態をとる レプトケファルス → シラス → クロコ → キウナギ →下りうなぎ            ◆ 「うなぎ」も いろいろ興味深いです(が こちらも間が空きそうな)        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ヨーロッパウナギ(欧羅巴鰻、学名:Anguilla anguilla) 海で産卵していることは推定されていたが、産卵場がどこにあるかは長らく不明で、生活史は謎に包まれていた。1920年代になってようやく、デンマークの海洋生物学者であるヨハネス・シュミットがバミューダ諸島周辺で生まれたばかりの仔魚を採取し、サルガッソ海で産卵が行われていることを突き止めた。 サルガッソ海で冬から春にかけて孵化した仔魚は、カライワシ上目の魚類に共通する特徴として、レプトケファルス(葉形仔魚)と呼ばれる独特の形態をとる。レプトケファルスは3年程度かけて成長しながら、メキシコ湾流に乗ってヨーロッパ各地の沿岸に運ばれる。仔魚は河口域で変態し、「ガラスウナギ(glass eel)」(透明な体のまま、ウナギらしい形態もつ状態)を経てエルバー(elver)と呼ばれる稚魚(いわゆるシラスウナギ)となり、河川に遡上する。淡水域で雄は6-12年、雌は9-20年かけて成長する。成熟した個体は眼が大きく、頭部がとがるようになり、体色は暗い銀色になる(Silver eel)。...(略) 非常に古くから知られてきた魚類の一種である。その記録は古代ギリシアにまでさかのぼり、アリストテレスは本種が降河回遊をしていることを示している。沿岸や河川で捕獲される個体が成熟した卵をもっていないことは当時から知られ、本種がどこから来てどこへ行くのか、さまざまな憶測を生んできた。前述のアリストテレスは地中からヨーロッパウナギが生じると信じていたほか、古代ローマの博物学者であった大プリニウスは、体から剥がれ落ちた皮膚の破片から稚魚が生まれると考えていた。 これらの荒唐無稽な説は、1887年にイタリアのメッシーナ海峡で成熟卵をもつ雌が発見されたことにより、初めて科学的に否定された。さらにそれまで別種の魚類と考えられていたレプトケファルスがウナギ類の仔魚であることも判明...(略) 降河回遊:普段は川で生活しているが、海に降って産卵し、誕生したこどもが川をさかのぼるものを降河回遊(こうかかいゆう)という。代表的なのはウナギだが、ウナギの場合は川に上らず沿岸域で過ごす個体もいるので完全には当てはまらない。 他にはアユカケ、ヤマノカミなどのカジカ科魚類、甲殻類ではモクズガニなどがこれに該当  −Wikipedia        ◇ ◆ ◇ 「ウナギは大地のはらわたから生まれる」 アリストテレス『動物誌』 (彼は一章を設け ウナギが通常の生物とは大きく異なった生殖と発生をすることを述べている) ウナギは、交尾によって生まれるのでも、卵生するのでもなく、いまだかつて白子を持っているものも、捕れたことがないし、裂いてみても、内部には精管も子宮管〔卵管〕もないので、有血類の中でこの類は、全体として、交尾によって生まれるのでも、卵から生ずるものでもない。明らかにそうなのである。なぜなら、ある池沼では、完全に排水し、底の泥をさらっても、雨の水が降ると、またウナギが出てくるからである。しかし、日照りの時には、水のたまった沼にも出てこない。雨の水で生き、身を養っているからである。ところで、交尾によって生まれるのでも、卵から生じるのでもないことは明らかであるが、あるウナギには小さな寄生虫がいて、これらがウナギになると思われるので、ウナギが生殖すると思っている人々もある。しかし、これは正しくないのであって、ウナギは泥や湿った土の中に生ずる「大地のはらわた」と称するもの〔ミミズ〕から生ずるのである。(アリストテレース『動物誌』(上)、岩波文庫、1998年、〔 〕は訳者の補足) (Wikipedia 動物誌 アリストテレス) 自然発生説 「生物が親無しで無生物(物質)から一挙に生まれることがあるとする、生命の起源に関する説の1つである。一般にアリストテレスが提唱したとされている。近代に至るまでこれを否定する者はおらず、19世紀までの二千年以上にわたり支持された。 フランチェスコ・レディの対照実験を皮切りに自然発生説を否定する実験的証明が始まり1861年のルイ・パスツール著『自然発生説の検討』に至って、自然発生説がほぼ完全に否定された、とされる。 別名、偶然発生説とも呼ばれる。 アリストテレスによる観察・判断・考察 紀元前4世紀ころのアリストテレスは、様々な動物の出産の様子(親の体から産まれる様子)なども観察した人物であるが、彼は多種多様な生物をじっくりと観察した結果、生物の中には親の体からではなく物質から一挙に生まれるものがある、と判断し、自著『動物誌』や『動物発生論』において多数の動物を自然発生するものとして記述した。例えば、ミツバチやホタルは(親の体から以外に)草の露からも生まれ、ウナギ・エビ・タコ・イカなどは海底の泥から産まれる、と記述した。 アリストテレスのこれらの観察はルネサンス期まで疑いなく人々に受け入れられており、疑う人はいなかった。 なおアリストテレスは生命の発生には次のようなプロセスがあるとしていた。 1.生命の基となる「生命の胚種」が世界に広がっている。 2.この生命の胚種が「物質」を組織して生命を形作る。 これは「胚種説」とも呼ばれる。その発想の根底には人間が日常的に慣れ親しんでいる種・種子からの類推・アナロジーがある。 -Wikipedia/[自然発生説]アリストテレス関連 より        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 『ウナギ』2007 井田徹治 より ウナギは成熟して産卵に向かう前に大量の餌を食べ、体内に大量の脂肪を蓄積する。 P163 P14〜 1939年に指定されたいわき市の賢沼は、沼ノ内弁財天密蔵院の境内にある。殺生を戒める弁天信仰によって古くからウナギが保護されていたため、ここの沼のウナギは巨大なものに成長した。かつては1メートルを超えるほどの巨大ウナギが見られたが、今では普通のウナギが少し見られる程度だそうだ。筆者は一度、ここを訪れたことがある。人に慣れていて人間から餌をもらって食べると言われているが、現れたのはコイだけで、ウナギを見ることはできなかった。 ここより早く1924年にウナギの生息地として天然記念物に指定された粥川は岐阜県旧美並村を流れる長良川の支流で、水がきれいなことで知られている。岐阜県の資料などによると、950年ごろ、藤原氏の一人、藤原高光という人が、鬼退治のために山に分け入ったが、道に迷ってしまい、ウナギの道案内で山頂に着いて、鬼を退治することができたと伝えられている。高光はウナギを近くの沼に放って「ウナギは神の使いなので大切に守るよう」に村人に命じたという。 以来この地区ではウナギを大切に守り、一切食べないということを守ってきたらしい。今では町村合併で郡上市となったが、旧美並村のこの周辺にはウナギ屋さんは一軒もなく、村のマークのデザインには、ウナギが使われていた。   オオウナギはニホンウナギとは別種のウナギで、やはり古くからニホンに生息している。熱帯を中心に分布するウナギの一種なので、ニホンの生息地も列島の南部が多く、世界的な分布の北限に当たる。名前の通り大きなウナギで体長は2メートルを超え、体重は20キロ近いものもざらだ。ウナギ同様、かなり古くから漁業の対象となり、日本の南部などでは強精剤などにもされてきたが、ニホンウナギと違って食べてもまずいとされている。 P14〜15『ウナギ』2007  オオウナギ (大鰻、英: Giant mottled eel、学名: Anguilla marmorata) ウナギ目ウナギ科に属する魚 ウナギの大型個体を「大鰻(おおうなぎ)」と呼ぶこともあるが、オオウナギとウナギとは同属別種である。オオウナギはウナギよりも熱帯性が強い。地方ではカニクイなど様々な呼称で呼ばれている。 等など ‐Wikipedia 同『ウナギ』2007 井田徹治  不思議な生活史 P15〜 ウナギのライフサイクル研究の話は、19世紀に見つかった奇妙な魚から始まる。柳の葉っぱのような形をした半透明で平べったいこの魚は、小さな頭と大きな目、とがった口が特徴で、レプトセファルス・ブレビロストリスと名付けられた。1763年に、この奇妙な魚を最初に発見したのはイギリスのウィリアム・モリスという人物であるが、最初の正式な報告は1856年にドイツの著名な生物学者、ヨハン・カウプが発表した書物の中でのことだ。 シチリア島とイタリア本土の間にあって急な海流で知られるメッシーナ海峡で、この魚が大量に漁獲されたという。レプトセファルスはラテン語で「小さな頭」の意味で、ブレビロストリスは「短いくちばし」というような意味らしい。小さな頭と尖った歯を持つこの魚は、ウナギとは似ても似つかない姿をしている。ほとんど自力で泳ぐことはなく、浮遊生活をしていた。発見された当時は、これがウナギの仔魚であることを知る人はなく、全く別種の魚だと思われていたのだった。 レプトセファルスがウナギの仔魚であることを世界で初めて示した研究者はイタリアの著名な生物学者、ジョバンニ・バティスタ・グラッシーであった。1890年ごろ、グラッシーは同僚の動物学者のカランドゥルッシオとともにメッシーナ海峡でレプトセファルスを採取した。この海域での調査を続けるうち、彼らは、1892年、歯が少なくなり、少しばかり筒状の体に変化したレプトセファルスを発見する。体色も透明ではなく、少しばかり色がついていたし、体長は通常のレプトセファルスより少し短かった。この魚の発見が彼らの研究の大きな転機となった。 これはまさに、シラスウナギに姿を変える途中の魚だったのだ。その後、このレプトセファルスはグラッシーの水槽の中で、徐々に筒状に姿を変え、ついには小さなウナギに似た細長い蛇のような魚に変化していった。魚が姿を変えるのには一ヵ月ほどかかり、この間、魚はほとんど餌を食べなかった。二人が英国王立協会の学会誌に詳細な図解とともに発表した論文は当時の学会から高い評価を得たという。最初にレプトセファルスという名前がついてから40年近くもたった1896年のことだった。  P17 『ウナギ』2007 (3.19に近所で借りたもの) (30日 ケイタイでメモをとっていたときに−開店前のサンシャイン2F ベンチで- 目の前に 中学(か高校)生と思われる明るい感じの男子7人がやってきて幼児用スペースで遊んでいた(はしゃいでいた)  そんな中 2人は座って鼻歌でコブクロの「さくら」を口ずさんでいたり・・   しばらくすると 警備員が5人 はじめ二人 後から3人来られ その場での年齢制限などを持ち出すなどウマク会話 移動を促し 子供たちは素直に従って 立ち去る前に言われたとおりに遊具も片付けていた 見送りながら警備員の一人は「忘れ物無いか?」などとも声をかけていた)        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「下りうなぎ」とは、産卵のため秋に海へ向かって川を下る大きく成長したうなぎで、体色がいぶし銀色に光り、胸鰭が黒いなどの特徴があり、「銀うなぎ」とも呼ばれます。 -愛知県 農林水産部 水産課 うなぎの事を調べてみよう!〜うなぎの豆知識〜 野毛の酒処(居酒屋)「七福」 (一部) 【オスメスの見分け方】 これはとても見分けるのが難しい魚です。環境により性転換が行われたりするからです。 「下り・上りうなぎ」って何?_ == 上りうなぎとは? == 冬から春にかけてうなぎの稚魚しらすうなぎが海から川を上がってきます。なぜ川を上がってくるのか??それは食べ物を求めて上がってくる習性のようです。この多くは人間に捕獲されて養殖場に運ばれることとなります。 == 下りうなぎとは? == うなぎはある時期が来ると、生殖の目的で川を下り海へと帰っていきます。このころは食べ物を殆ど取らないために消化器官も衰えてきます。泳ぐ距離というものはとても長く、フィリピン海溝やマリアナ海溝に向かうといわれています。 2000?以上の距離を泳ぐことになります 名前の由来_ == 「鰻(うなぎ)」という名前の由来 == 漢字の由来は、曼という字に関係しているようです。この文字の意味の中には「つや・長い」という意味が含まれているそうです。つやのある長い魚という事でこの漢字が出来たのではないかと思います。 その他には、うなぎは昔「むなぎ」と呼ばれていたそうです。万葉集などの書物には「むなぎ」と書かれています。 ※「む」:身、「なぎ」:長いという意味 ※うなぎの胸の部分は黄色っぽくなっているから「胸黄(むなぎ)」がうなぎへと変化したものなどなど色々説があります == 蒲焼という名前の由来 == 昔はうなぎを輪切りにして縦にくしに刺して焼いていたようです。その姿が、蒲(がま)の穂に似ていたということから蒲焼というように呼ばれたという説と、焼きあがったときの色が樺色焼(かばいろやき)という言葉から出てきたのが語源ではないかという説などがあります 土用の丑の日_ == 土用の丑の日とは? == 丑というのは、十二支の丑のことです。 この土用の期間の丑の日ということになります。これは十二支を1日ごとに並べていくので12日に1度回ってくることになります。年によっては2回の土用の丑の日があるときもあります。この夏の土用の丑の日にうなぎを食べたりすると身体が丈夫になるという言い伝えがあります。 == 「土用の丑」の「土用」って何? == 土用ときいて想像されるのは、夏のことを思い出される方が多いと思います。土用というのは年に4回あるんです。暦の上での季節の終わりの19日間の事を指しています。 ※ここで言う季節の変わり目というのは「立夏」「立秋」「立冬」「立春」のことです。 == なぜ土用の丑の日にうなぎ? == 一つの説には、平賀源内がうなぎ屋から、どうにか繁盛するいい手段はないか?と相談され「本日土用丑の日」と店頭に看板を掲げた所大繁盛になったという話があります == なぜ夏ばて(防止)にうなぎ!といわれるのか? == 日本の夏は、高温多湿・・・夏には、汗とともにビタミンB1が流れ出てしまいます。ビタミンB1というのは神経や筋肉の働きを助ける働きを持っています。これが疲れやすくなる原因にもなっています。うなぎには、良質なたんぱく質とビタミンB群を多く含んでいる効率の良い食べ物なんです。   などなど -[野毛の酒処 七福」        ◇ ◆ ◇  ウナギ -知泉Wiki という・・ これは? (と思いつつ 重複しながら大部分を引用) Last-modified: 2011-12-22 (木) 15:50:38 う?【うなぎ:鰻】魚  うなぎの語源 •語源1:もともとは「むなぎ」と呼んでいた。むなぎとは『胸黄』のなまった物で、ウナギの胸部が淡黄色を帯びているところから、そう言われた。 •語源2:ムは「身」を意味し、ナギは「長い物」を意味していると言う説もある。 ウナギの豆知泉 •川に居るウナギはすべてオス。ウナギは雌雄同体の生物で川に上がってくる時はオスで、海へ下りた時にメスになり産卵する。 •ヌルヌルしているウナギにも実はウロコがある。しかしそれは皮膚の下にうずもれていて、しかも顕微鏡で見ないと分からないほど小さく退化している。 •ヤツメウナギはウナギの仲間ではない。もっと不当表示はマナガツオで漢字で書くと『真魚鰹』で「真のカツオ」だが、カツオでは無くイボダイの仲間。 •電気ウナギはウナギの仲間ではなくて「鯉」の一種。 •「うなぎ」はスペイン語で「アンギラス」。(特に稚魚) •ウナギの旬は冬。無理して旬を外れた夏場の「土用の鰻」を食べることはない。 •土用は年に四回ある。立夏・立秋・立冬・立春前の18日間。 •土用のウナギの考案は平賀源内。 と言われているが、元ネタは万葉集・大伴家持の和歌「石麻呂に吾もの申す夏やせに良しというものぞむなぎとりめせ」。 •平賀源内が夏には脂だけで美味しくも何ともないウナギを売るために万葉集を引用して宣伝をしたと伝えられる。この文献は今読めるのは興津要氏のものが最も古いが、文献もないし、信頼できるか疑問であるとはっきり書いている。 •蒲焼きというのは、元々胴切りにしたものに串を刺して丸焼きにした形が蒲の穂と似ていたから。 •開いて焼くようになると、上方では腹から、江戸では背中から開いた。江戸は武士が多く腹を切るのを嫌ったため。更に江戸では一度蒸すことで脂分を飛ばし、江戸好みのあっさり味にして人気が出た。 •イギリス王ヘンリー1世はヤツメウナギの食べ過ぎが原因で死んだ。 •ウナギの血液は神経毒イクチオトキシン(熱分解性)を含むので、刺身で食べると危険。ついでに生のウナギはさほどおいしくない。 •ウナギの産卵場所はまだ判っていない。 •アリストテレスはウナギが泥から自然発生すると考えた。 •うなぎは中世のヨーロッパでは蛇と混同されて『人類の敵』とされた。(蛇はイブをたぶらかした悪役) •成長するに従って名前が変わる魚を出世魚と呼ぶが、実はウナギもレプトケファルス→シラス→クロコ→キウナギ→下りうなぎと成長に伴い呼び名が変わる。 •16世紀のスペイン王・ドイツ皇帝・カール5世の好物は「うなぎパイ」。と言っても浜松名物ではなく、本当にウナギを使ったパイ料理。 •フィリパ・ピアスが書いた小説「水門にて」の中にもヨーロッパの料理としての「うなぎパイ」が出てくる。 •有名な歌人大伴家持が「万葉集」に「岩麻呂に吾申す、夏痩せに良しという物そむなぎ(ウナギ)漁り食せ」と言っている様に、古くから栄養のある食べ物として重宝がられていた事が解る。 •ウナギは真夏の暑い時期、土用「丑の日」に食べるのが健康に良いというのはよく知られているが、天然のウナギは秋に川から海に下る「くだりもの」が太って味がよい。 •夏の暑い盛りにある『土用の丑の日』には何故ウナギを食べるのか? 土用の丑の日は「丑」という字にちなんで、その昔は牛のように黒いものを食べる日とされていたのです。 •なぜ黒いものかというと、ふな、こい、なまず?、うなぎ、しじみ?、なすびなど色の黒いものにはビタミンAが豊富に含まれていて、暑さで激しく体力を消耗してしまう夏にこれらを食べると元気が出ると言うことを昔の人は経験的に知っていた為と言われています。 さらにウナギには消化吸収のよいタンパク質と脂肪が多く含まれているので体によい事ずくめです。 •この日を「うなぎの日」と決定づけたのは、江戸時代の平賀源内といわれています。 彼は知り合いのうなぎ屋に「真夏でも客がくるようにアイディアを考えてくれ」と頼まれ、「土用の丑の日はうなぎの日」というキャッチコピーを考えたわけです。 これがいつしか定着し、この日はうなぎを食べる日と言う習慣ができあがってしまったと言われています。 ウナギは何故、生で食べない? •以前は西洋人には嫌われていましたが、その微妙な味が分かる魚の食べ方として『刺身』という調理法があります。 •しかし、ウナギはなぜ刺身で食べず、ほとんどの場合が蒲焼きなのでしょうか? 実はウナギの血液の中にはイクシオトキシンという人体にとって有害な物質が含まれているのです。 その物質が目に入ると結膜炎を起こし、傷口に付着すると炎症を起こし、口から摂取した場合は嘔吐や中毒症状におそわれ、大量に摂取した場合には死亡することもあるという恐ろしいものだったりします。 •しかし、この毒は熱に非常に弱く、火を通しただけで毒性は失われます。 きれいに血を洗い流してしまえば問題はなく刺身で食べることも出来るのですが、長年の研究の結果、ウナギは現在のような食べ方が一番おいしく、同じように毒物を持っているフグなどと違って食べたときにピリっと来るような刺激もないので、あえて危険を冒してまで刺身で食べる必要がないために、刺身は存在しないのです。 ウナギの一生は謎が多い •ウナギは旨いが高いと言うイメージがありますが、それもそのハズで、ウナギは完全養殖が出来ないのです。 もしウナギを人口孵化から育てる事が出来るようになったら、その値段もぐんと下がると思うのですが、現時点では孵化どころか、その誕生の瞬間でさえ解明されていない部分が多い。 •ウナギは淡水の川や湖に住んでいますが、産卵時期に限ってはサケとは逆に、海に出かけていきます。 その海と言うのも日本近海ではなく、東経140度・北緯16度前後の南洋で、それも5月〜6月の新月の日に産卵する。と言う事がだいたい解っているのですが、そこから先は謎が多いのです。 •なんと言っても産卵場所が、海の底、それも水深500mより深い場所(一説によると2000mまで潜るとも)だったりするので、調査団も未だにその産卵シーンを目撃する事が出来ません。 その南海の海底で誕生したウナギは[プレレプトケファルス][レプトケファルス]という幼生での成長を経ながら徐々に日本へ近づいて来るのです。 •誕生してから約2年半、ちょうど季節は冬、シラスウナギと呼ばれる稚魚に成長した頃、やっと川にたどり着きます。 •いわゆる「養殖物」と呼ばれるウナギはこの段階で捕獲されて、その後1年半ほどで食卓に上がるまで育つのです。その時、捕まえられずに川で成長したウナギは、さらに数年後、産卵の為にふたたび海へ戻っていくのです。 ウナギのメスはどこに? •実は基本的に川で捕獲され食卓に上るウナギはほとんどオスです。 では、メスはどこに居るのか?もしかしたら種族保存の為にメスは捕まえてはいけないのか?と言うと、意外なメカニズムが存在しています。 •実はウナギは、成長の過程でオスになったり、メスになったりする雌雄同体の生物だったのです。 海から川に登ってくる頃、ウナギは雄性生殖腺が発達してオスに変身し、そこでしばらくするとウズウズとメスの本能が出てきて海へ戻り、海に戻った頃にはメスに変身していて、南海までイソイソとタマゴを産みに出かけるのです。 •ともかく、何気なく食べているウナギには謎が多く含まれているのです。 熟語『うなぎ登り』 •急激に上昇する事を言う。 •ウナギは川底から水面にあがってくるとき、ほとんど垂直に上がってくる事から、急上昇する事を意味するようになった。 •もう一つの説では、ウナギはヌルヌルしていて掴みにくい。 掴んだかと思ったらぬるりと上へ逃げだそうとする。逃がしてなるものかと、また掴む、しかしウナギも慌ててさらに上へ逃げる。 とこの繰り返しをしていると、次第にウナギが上へ逃げていくのでその様を言ったのだと言う説もある。 −知泉Wiki・ウナギ        ◆ ◇ ◆  蒲 がま ガマ 蒲黄 ほおう ホオウ-やなぎ堂薬局 薬用植物・生薬・薬草・健康茶 学名:Typha latifolia ガマは北海道から九州の日本各地や北半球の温暖な地域やオーストラリアの湿地帯、沼沢地や水中に生える大形の多年草の宿根草の植物です。 蒲黄は神農本草経の上品に記載されており 「味甘平。生池澤。治心腹膀胱寒熱。利小便。止血消オ血。久服軽身。益気力。延年神仙。」 と記載されています。 日本には「蒲(ガマ)」、「姫蒲(ヒメガマ)」、「小蒲(コガマ)」の3種類が自生しており、ガマの花粉を「蒲黄(ほおう)」と言います。生薬の蒲黄は「蒲(ガマ)」、「姫蒲(ヒメガマ)」、「小蒲(コガマ)」の花粉を指します。蒲黄の日本産は「ガマ」、「ヒメガマ」から取れる花粉が主流です。 ガマ、特にヒメガマと日本人の付き合いはとても古く、ガマは日本の薬の始まりと言われます。 日本最古の歴史書「古事記」に「因幡の白兎」のお話があり、皮を剥がされて苦しんでいるウサギに大国主命(オオクニノヌシノミコト)が「ガマの穂を身体につけなさい。すぐに良くなるよ。」と言い、ウサギがそのようにするとウサギの身体に白い毛が生えて、傷が治ったと言うお話が古事記にあります。 余談…大国主命をおまつりしているのが出雲大社です  蒲黄は子宮を収縮させる作用がありますので、妊婦への投与は禁忌です。 −やなぎ堂薬局        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ※ヤツメウナギ(八目鰻、lamprey)は、ヤツメウナギ目に属す脊椎動物の一般名、ないし総称であり、河川を中心に世界中に分布している。 顎口類の姉妹群である円口類に属し、一般には数少ない現生の無顎類の一群 ヤツメウナギおよびヌタウナギは軟骨魚類以上の脊椎動物には存在する血液中の免疫グロブリンが存在していない 円口類の中で現在も生存しているのはヤツメウナギ類とヌタウナギ類のみである。また、無顎類の大多数は古生代ですでに絶滅しており、この中で現在も生存しているのもヤツメウナギ類とヌタウナギ類のみである。 ヨーロッパではローマ帝国の頃から食されており、時代によって高級食材となったり、貧しい人々の食料となったりした。  等等 -Wikipedia        ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 画像2枚目:Wikipediaニホンウナギ 日本鰻 学名:Anguilla japonica
    2015年3月30日 9時3分
     

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