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折口の眼差しのなかにあったヤクザやゴロツキのたぐいは、そうした聖なる異人の末裔であった。(1)
[森羅万象]
2021年9月3日 12時28分の記事



『異人・生贄』   
 怪異の民俗学7
小松和彦  責任編集   河出書房新社  2001/5/1

  

<よそ者・来訪者の観念    吉田禎吾>
<憑き者筋の起源とよそ者性>
・日本の村では、狐、犬神、オサキ狐などを持っている(あるいは飼っている)という家があって、こういう動物が人に憑くと信じられていることがある。たとえば群馬県多野郡などの山村ではオサキとかオーサキといわれる動物に憑かれると狂乱状態になって、油揚が欲しいとか、すしが食べたいなどと口走る。この地方ではオサキを何匹も飼っているという家々があり、こういう家の人から憎まれると、オサキが主人の代りに復讐して憑き、憑かれた者は時には腹を食い破られて死ぬこともあるという。こういう憑きものを所有しているとされる家々のことを狐持、オサキ持、犬神持といい、あるいは、「筋」の家、「悪いほう」、「黒」ともいう。

・これら憑きもの持、筋の家々の創設者は、一般に、村の草分けといわれる最も古くからいる家の先祖ではなく、たとえば江戸中期などの比較的後の入植者であることが多い。

・島根県安来市T部落の村田家は狐持の家筋とされており、隣の部落から寛永――慶安期(1624-1651年)にこの部落に分家し、入村してきたことが明らかである。村田家が入村分家してくる以前からあった家で現在続いている家は二戸に過ぎないが、絶家した家、転出した家が少なくとも六戸はあり、その当時すでにT部落が存在していたことは他の資料から明らかである。この村田家は藩政時代、庄屋をしており、この部落の地主の筆頭であったし、親方でもあった。そしてこの家の二戸の分家はいずれも親方=地主まであり、本家の村田家と同様に狐持とされている。なお、この部落の昔からの四軒の親方=地主のうち三軒までが狐持であった。
 そして狐筋のいわば「よそ者性」はさらに強化される。この村田家の三代目か四代目の頃(享保-安永期)に「素性の分からない女」を妾として家にいれたが、この女が狐持であったことが分り、この時から狐持になったと伝えられている。
 島根県能義郡里部落の中尾家の本家は狐持とされているが、中尾家の先祖は兄弟二人で元禄時代(1688-1704年)によそから里部落に入村した。

・群馬県多野郡U村K部落38戸のうちもと狐持が一戸あった。この地方にはオサキ持といわれる家と狐持といわれる家とがあるが、K部落には昔からオサキ持はいない代りに狐持がいたという。

・同じU村のN部落の狐持についても、その先祖がよそからきた行者であったといわれているが、詳細は不明である。
 群馬県多野郡Y部落では持筋の起源について明確な資料がえられなかったが、以上の例にみられるように、持筋がよそ者に由来するということ、またそのように表象されていることがしばしばあることは明らかである。

・日本の村落では、他国の者、よそ者に対しては恐怖感、猜疑心が強く、これを警戒する態度があった。新潟県蒲原地方では自村以外の世界を「セケン」といい、鹿児島県の村や長崎の対馬その他九州各地などでは自村の者でない者がすべて「タビ」あるいは「タビの人」であった。よそ者が村に往来する場合、一人前の村人としてつきあいするまでに種々の条件を課する制度は日本の村落の各地に見られる。これがいわゆる「村入り慣行」である。
 筆者が1970年の夏に訪れた宮城県田代島では、よそ者がそこで定着するために「たのみ本家」として、村の有力者に「本家」になってもらい、その分家という形で入村して生活するという習慣があった。各地の村において、村入りのさいには米一俵と酒一升を持って部落長の処にあいさつに行き、一定の期間、共同労働としての村仕事をとどこおりなく一定期間実施しなければ村の一員とは認められなかった。共有林などの共有財産のあるところでは、このような「閉鎖性」はいっそう強かった。こういうムラでは、部落の住民の中に共有財産の株をまだ持っていない家がたいてい数軒はあった。

<幸をもたらす来訪者>
・ところで、日本の「よそ者」「異人」「来訪者」という観念は、前述のように、神秘的な邪悪な力に結びついているだけでなく、善なる力、幸をもたらすものとも結びついている。異人、来訪者、乞食など「よそ」の世界からやってくるものが人びとに幸いをもたらすという観念かが古来から存在している。
 いうまでもなく「よそ者」の中にもさまざまな種類があり、職業的な分化の進んでいない伝統的な村落にとって、来訪する職人、芸人、商人の中には、鍛冶屋・桶屋・笠直し・屋根職・大工・井戸掘などの旅職人、薬屋・小間物商・博労など諸種の行商人、巫女・山伏・御師などの宗教者、万歳・春駒・神楽などの祝言人、浪花節・芝居などの諸芸人などがいた。

・このように、よそからやってくる漂着死体が幸をもたらすという観念がエビス信仰、寄神信仰に由来することは明らかだろう。エビス神は、中世以降は七福神の一つとして、福神の代表格として大黒とともに民間に祀られてきたし、当初は漁民の中で後には商人の間でも福神とされてきた。

・異人が幸福をもたらすという観念は、古代日本のマレビト(客人)信仰にもさかのぼることができるらしい。ここで折口信夫のマレビト研究の当否を論ずる必要はなく、古代にもそういう観念のあったことを指摘できれば充分である。折口信夫氏によれば「まれびとは古くは、神をさす語であって、とこよから時を定めて来り訪ふことがあると思われていた……」のであって、マレビトは「古代の村村に、海のあなたから時あつて来り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る霊物を意味していた」。折口は「常世」は「妣(はは)の国」であると共に「死の国」「祖霊のいます国」と述べている。常世は人が死ねばそこに行くところであり、老いることも飢えることもない楽土であり、魂のふるさとである。これは沖縄でニライカナイとかニルヤカルヤと称している、海のあなたにあるという世界である。

・なお、海のかなたから人びとに幸いをもたらすために訪れてくる来訪神の観念は、奄美諸島から八重山諸島にいたる琉球列島の島々に現在でも見出すことができることは多くの報告が示している。

<寄りきたるものの神性>
・このように見てくると、大漁の時、たまたま来あわせたよそ者をエビス神として歓待したり、海から寄った石をエビスとして祀ったり、あるいは徳利のような漂流物や、海上をただよう水死人までもエビスとして拾ってくるといった習俗が、基本的には異郷から来臨して幸を人びとにもたらすという信仰に基づいていることが明らかである。その意味でエビス神は、寄神、客神(まろうどがみ)、来訪神、マレビトなどの観念と同種のものといえる。

・遠くから訪れてくるよそ者、渡り者が実は神であり、あるいは福祉をもたらすという観念はインド・ヨーロッパ諸民族にもある。古代ギリシャにおいても、ホメーロスの『オデュッセイアー』などによれば、神々が他国からの渡り者に姿を似せて諸国をまわると考えられていたし、古代インドにおいても、『マヌの法典』によれば、賓客をもてなすと、富、名声、長寿、天上の福祉を招くといわれた。

・なお<よそ者>の神秘的価値は、決して過去のものではなく、現代社会の文学・映画・演劇などの世界に脈々と生き続いているように思える。映画やテレビの時代劇などに、よそからきた浪人者や渡り者などが悪人を倒し、人びとを救い、また去っていくという筋が少なくない。黒澤明監督の映画『七人の侍』がそうだし、これに類似のテーマは日本に限らず西洋にもあり、アメリカの西部劇などにもよくみられる。よそ者の神秘的価値は日本固有のものでも、過去の遺物でもなく、かなり世界に広く見出されるものであろう。

<異人殺しのフォークロア――その構造と変容―― 小松和彦>
<異人の両義性について>
・民俗社会の外部に住み、さまざまな機会を通じて定住民と接触する人びとを、ここでは「異人」と総称するわけであるが、その内訳は多種多様であって、とてもここでその詳細なリストを示せそうにない。私が取り上げようと考えているのは、そのほんの一部、すなわち、定期的もしくは不定期的に定住民の社会を訪れる旅する者たち、とくに六部や座頭、山伏、巫女などである。

・たしかに、社会の周辺に姿を現したときの異人についてのイメージは、山口昌男の説く通りであろう。その異人が人びとに「富」をもたらしてくれるのか、それとも「災厄」をもたらしてきたのか、見当がつかないからである。

<「異人殺し」の伝説>
・しかしながら、各地に残る「異人殺し」の伝説をみてみると、村びとたちは自分たちの喰う飯にすらこと欠く生活をしているにもかかわらず、村を訪れては飯や金品を要求する異人たちをうとんで殺人に及んだというだけではなく、さまざまな理由から異人殺しを行なったようである。そのなかでもひときわ目立っているのが、異人たちの所持する金品の強奪を目的とした殺人である。また、殺された異人たちも、座頭に限らず、山伏や六部(正しくは六十六部)、巡礼、巫女、その他の旅人など、さまざまである。

・これらの四つの事例の内容は大同小異で、殺された異人は「六部」「山伏」「行者」となっている。いずれも異人の側に非があったと述べ、殺人の正当性をほのめかしている。もちろん、村びとと異人との間にささいなことからトラブルが生じたこともあっただろうし、婦女子に悪戯をしたり盗みをするような異人もなかにはいたであろう。異人の目に余る悪行に怒って殺人に及んだということもあったであろう。

<「異人殺し」伝説のメカニズム>
・それほど遠くない昔のこと、遠山谷の入口に位置する平岡村の庄屋の家に、七人の旅の六部が宿をとった。ところが、この六部が大金をもっているのを知った庄屋が、欲にくらんでこの六部を人里離れた山のなかに誘い込み、殺してしまったのである。六部を殺した庄屋は、奪った金で一時は羽振りがよかったが、六部の祟りのせいであろう、子孫に不幸が続いてやがて衰えたという。

・では、その、もう一つの「異常」とはなんなのだろうか。
 それは、村内に急速に金持ちになった家があったり、金持ちの家が急速に没落したり、あるいはまたたくまに金持ちになり、数世代も経つと没落した家があるという事実、そしてそれが本当なのか私には確かめようがないのだが、多くの場合、そうした家の子孫に身体的もしくは精神的障害をもった者が続出したという事実であろう。こうした事実に対して村びとたちは、なぜそうなったかの合理的な説明をそれに与えることができなかったのである。

<家の盛衰とその民俗的説明>
・座敷ワラシ伝承の報告のなかで、柳田国男が気になる話を書きとめている。すなわち、附馬村の某という家では、先代に一人の六部が来て泊り、そのまま出て行く姿を見た者が無かったなどという話があり、近頃になってからこの家に、十歳になるかならぬ位の女の児が、紅い振袖を着て紅い扇を持って現われ、踊りながら出て行き、同じ村の某の家に入ったという噂がたち、それからこの両家の貧富が逆になった。女の児の移った家を急にたずねると、神棚の下に座敷ワラシがうずくまっていた、などといわれた。
 ここで語られる「六部」はどうなったのだろうか。殺されたのだろうか。消えた六部とその家を立ち去った女児の座敷ワラシとはどのような関係があるのか。あれこれと想像を掻き立てられるのだが、それに答えを出せる遠野からの資料がないのが残念である。

・さて、私たちは「異人殺し」という“出来事”が民俗社会のシステムのなかにどのように組み込まれているかを解明する過程で、それが民俗社会の「異常」、それもとくに「家の盛衰」の原因を説明するシステムに組み込まれているということを明らかにしてきた。

<変形されていく「異人殺し」伝説>
・民俗社会における「異人殺し」伝説のメカニズムを解明する過程で、私たちはこの伝説が家の盛衰、とくに衰退・没落の原因を説明するために利用されていることを理解した。すなわち、民俗社会には、大雑把にいうと家の急速な盛衰の原因に関して四つのタイプの説明の仕方が存在しており、その一つが「異人殺し」伝説を持ち出しての説明なのである。

<「現実」の“表層”と“深層”>
・中沢が紹介する「零度」に近い伝説は、サデエの娘おせんのもとに養子に入った男の弟で、サエが松の土地を管理している老人によって語られる。
事例19 サデエの時代に山伏のような男が毎晩のように(年の晩だけではなく)やってきては何やかやと強要するものだから困って手打の士族をよんでこの男の首を切ってもらった。さてのちになって語り手であるこの老人には男の子が三人生まれたのに、皆早死してしまうという不幸にみまわれた。そこで今から二十年ほど前、鹿児島から祈祷師をよび占ってもらったところ、抜け目ない祈祷師は村で伝えている方のサエが松伝説をよそで聞き知って、首を切られたのは天神という偉い修験者で、年の晩に訪れたものである、人を殺すと七代たたるので天神の祠を立て霊を鎮めるようにと託宣を与えたものである。そこで老人は今の場所に祠を立てたのだ。

・もちろん、いつ、どのような形で、こうした「異人殺し」伝説が語り出されたのかを知ることはできない。実際にかつて異人殺しが行なわれたか、もしくはそれに近いスキャンダルがあって、それがこうした伝説の発生源なのかもしれない。

<「異人殺し」伝説から「神霊虐待」伝説へ>
さて、中沢新一は慎重に「異人殺し」伝説の分析を「伝説」というジャンルを踏み越えないところで留めている。つまり、彼のいう「両義的テキスト」とは伝説という性格を失わない程度に幻想化された物語である。それ以上の変形を行なえば、そのテキストは伝説のテキストではなくなるからだ。

<「異人殺し」のフォークロアとはなにか>
・「異人殺し」伝承はきわめて裾野の広い伝承であると思われる。私たちはこのことを繰り返し思い起こさねばならない。たとえば、この小文で扱った特定の個人による金品を狙っての「異人殺し」と、村びとの総意に基づく「人柱」を求めての「異人殺し」とでは、同じ「異人殺し」でも性格がとても違っており、したがって、民俗社会の殺された霊に対する対応の仕方も当然異なってくるはずである。

・その意味で、これまでの考察は、「異人殺し」伝承についての、さらには「異人」の登場するさまざまな伝承についての私なりの研究のプロローグにすぎない。

<収録論文解題 >
<肥後和男「八岐大蛇(抄)」 『古代伝承研究』河出書房 1985年>
・筆者は古代の残存として民俗、特に祭儀を捉えている。それらの事例から蛇が神、とくに山の神あるいは水神や穀神であったことを確認する。それらの神は自然の表象としての荒ぶる神であり、それらとの宥和の為に生贄が差し出されていた。しかし、素戔嗚尊伝承においては八岐の大蛇は素戔嗚尊に退治されるのであり、それは人間自覚の発達による、人間による動物神の否定であり、八岐の大蛇から素戔嗚尊へ、という動物神から人格神への変化を秩序の発生と関連させて論じている。また、さらなる解釈の可能性として穀霊を殺すことにより豊穣を祈る、というフレーザー的な呪術的意味の可能性も示唆している。いずれにせよ、資料的にも充実しており、また後の「自然から文化への移行」や「カオスからコスモスへ」、といった議論に通じるものがあり、生贄について考える際に欠かすことのできない論考である。

<小松和彦 「異人殺しのフォークロア――その構造と変容」 『異人論』青土社 1985年>
・本稿を含む『異人論』は、80年代の「異人ブーム」を巻き起こした著作である。異人殺し伝説は、それが語られる地域での特定の家の盛衰という「異常」を説明する際に、必要に応じて選択される説明体系のヴァリエーションの一つであり、民俗社会の外部にその力の源泉を求め、その家の忌避、差別を伴うものである。

<矢野敬一「『家』の盛衰――『異人殺し』のフォークロア――」 『口承文芸研究』 1992年>
・本論は家の盛衰にまつわる説明の研究において、これまで、異人殺し伝承を始めとする神霊にことよせた超越的な説明体系が特権化されてきた状況を指摘し、本州中部地方のとあるフィールドにおいて家の盛衰をめぐる複数の語りを丹念に追い、より広い視野のもとで論じられたものである。「異人殺し」を騙る側と語られる側の語りの差異は、空間的認識、市場経済へのまなざし、言葉/語の担う歴史性等において決定的な違いを示す。近代化における、人々を取り巻く状況の変化とそれらに対する身の処し方のダイナミズムがそこから浮上することを指摘する。

<異人・生贄   解説  小松和彦>
<異人・生贄>
<「異人」とはなにか>
・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。
 ところで、「こちら側」の人びとが接触あるいは想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。
➀ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませばすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

? ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

? ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

? 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

・こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

・すでに述べたように「異人」とは関係概念である。したがって、「ある特定の集団にとって」という固定化をはかることによってしか具体的な「異人」は現れてこない。従来の異人論の多くは、いいかえれば、民俗的な異人論はこの「特定の集団」を「民俗社会」(村落共同体)に求めてきた。すなわち、民俗社会の(外部)に属し、さまざまな機会を通じてその構成員と接触する人びとを、つまり定期的にあるいは不定期的に共同体を訪れる旅人たちを具体的対象としてきた。
 こうした人びとは、共同体に対して「福」をもたらす存在か、それとも「災厄」をもたらす存在かをにわかには判断しがたい。このために、来訪当初は両義的なイメージを帯びている。それがやがて、共同体の異人解読装置による解読にしたがって、また両者の間になんらかの関係が作り出され、その両義性は解消してゆくことになるのである。異人論が着目したのは、この異人解読装置とその装置を運用した「異人」への対処方法であった。

・異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。
 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

・折口はこうした観念が十全に機能していた時代を古代に想定し、時代が下るにつれて衰退した結果、祝福芸能者の排除や神の妖怪化が生じたと考えていた。たしかに、このような「異人」理解は、日本文化研究において有効な考え方である。たとえば、托鉢して回る僧に関して、信仰があれば彼に人びとは手を合わせ喜んで米や銭を施すが、人びとから仏教や僧に対する信仰がなくなれば米や銭を喜捨する人もなくなり、彼は乞食に等しい存在に成り果てるだろう。折口の眼差しのなかにあったヤクザやゴロツキのたぐいは、そうした聖なる異人の末裔であった。

・折口のマレビト論に刺激されて書かれた岡正雄の異人論は、副題が示すように、折口とは視点が異なり、経済的な関係つまり交易関係として把握する方向を論じている。たとえば、彼は次のように言う。「…………経済史にとって異人は第一次的概念であり、また宗教史においても神表象のある形式は、この概念を予想しなければならない。即ちこの『異人』の表象概念は文化史の様々の方面に印象もしくは型を残して居る。……原始民族が相互に異族として接触する場合、必然的に両者は争闘的関係に入るという提説はそのままに受容れられない。そうして多くの学者は、先ず好意的贈答が(少くとも多数の民族と場所とにおいて)一次的関係であるとした。この好意的贈答は、広く各民族間に行わるる客人歓待の習俗を前提とした」。ところが、このように述べつつも、岡正雄は「客人歓待の風習を、ただ単に未開人の善良なまた好意的性質(この事が己に独断であるが)をもって説明することは不充分であろう」と述べているように、その習俗の裏には、じつは異人恐怖・異人排除の念が隠されていたことにも注意を向けていた。

・しかしながら、多方面に展開してよかったはずなのに、従来の異人研究は、前者の好ましい側面に着目することによって展開してきた。したがって、そうした側面から描き出される共同体は、共同体の<外部>からやってくる人びとにとって「優しい」共同体ということが強調されることになった。しかし、後者の側面に着目すれば、訪れる共同体は「恐ろしい」共同体ということになるはずである。

<異人・生贄・村落共同体>
・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。別の表現をすれば、「異人」が「村落共同体」を訪れたとき、その共同体は異人を迎え入れてその村落祭祀のための「生贄」に利用したり、難工事の橋や築堤を成功させるための「人柱」に利用することがあったのだろうか、あるいはまた共同体の特定の家を「幸せ」にする目的のために殺害されることがあったのだろうか、といった問題群が浮かび上がってくるのである。

・まず最初に、この巻で問題となっているテーマの核となる物語をいくつか紹介してみよう。『今昔物語集』巻二六に、「生贄」説話の典型ともいうべき物語が二話並んで載っているが、そのうちの一つが、以下の物語である。

 飛騨の山中で迷った僧が山奥の村に招き入れられる。その僧を預かった家の者が、この僧をご馳走攻めにし、さらに娘をあてがって睦ませる。しばらくの間、その娘と夫婦として過ごしていたが、あるとき、妻の様子がおかしくなり、しかも一日に何度も食事を出して「男は太っているのがよい」と言う。不思議に思ってわけを聞くと、「この国の神は生贄を食うので、年に一度村人が順番に一人の生贄を差し出すことになっている。今年はわたしが差し出されることになっていたが、あなたがやってきてくれたので身代わりにしようということになったのです」と言う。夫が「その生贄は人が料理して差し出すのか」と問うと、「そうではなく、生贄を裸にしてまな板の上に載せて差し出し、それを神が料理する。生贄がよく肥えていないと、神が怒って作物を荒らすので、太ってもらうために、このように何度も食事を出すのです」と言う。さらに「その神の姿が猿だ」と聞いた夫は、妻に用意させた刀を隠し持って、生贄の祭儀に臨み、現れた神つまり猿を捕まえて、村に戻ってくる。

・柳田國男も「生贄」や「人柱」に深い関心を注いだ研究者で、たとえば『一つ目小僧その他』で「ずっと昔の大昔には、祭りの度ごとに一人づつの神主を殺す風習があって」と述べているように、当初は実際に人身供犠がおこなわれていたとの見解に立っていたが、やがてそれを否定する方向に向かっていった。したがって、多くの民俗学者も、実際に人を生贄にするような祭儀は存在しなかった、つまり実践としての生贄の習俗を否定し、伝説上の出来事とみなすようになっていったのであった。ほぼ同じ頃に、南方熊楠は日本をはじめ世界各地の事例を紹介した「人柱の話」において、「こんなことが外国に聞こえては大きな国辱という人もあらんかなれど、そんな国辱はどの国にもある」と言い放って、人柱が実際におこなわれていたことを当然のこととして記述している。

・この南方の見解を引き継ぐような論文を展開したのが、高山純の「我国の人柱に関する民間信仰の起源についての比較民俗学的研究」で、世界各地の人柱習俗や老古学的資料などに基づいて、生贄・人柱が実際におこなわれたと主張するとともに、この習俗は大陸から入ってきたもので、その渡来には二段階あり、最初の段階は焼畑耕作文化とともに、第二段階は稲作文化とともに入ってきた、との見解を述べている。

・柳田國男および彼の系統を継ぐ民俗学者たちは、「生贄・人柱」がおこなわれたかどうかといった議論から離れ、そうした伝承の伝搬さらには日本人の神観念・信仰観やその変遷を探り出す方向へ向かっていった。それがどのような輪として示されるのかを簡潔に物語っているのが、宮田登「献身のフォルク」で、たとえば人柱伝説を、水神に奉仕する巫女のための聖化のプロセスに対応するとか、橋の工事で亡くなったものの鎮魂の儀礼に対応するか、スケープゴート儀礼などに対応するといったことを想定している。文学の側からもこうした傾向の研究がかなりあり、たとえば、矢代和夫『境の神々の物語――古代伝承文学私語』などはその早い時期の成果であろうか。これとはいささか趣向が異なるのが、若尾五雄の「人柱と築堤工法」である。彼は人柱伝説に登場する言葉が土木築堤工事に関する用語となっていることに着目することで、架橋工事の擬人化した表現・物語が人柱伝説であったのではないか、と推測している。

・なるほど、神に捧げるために実際に人を殺したという儀礼に関するたしかな記録は存在していない。にもかかわらず、意外なことに、現在の祭りの起源もしくは説明として、人身御供を持ち出すところが多いのである。たとえば、能登半島には、七尾の大地主神社の祭りや輪島の重蔵神社の祭りなど、そうした伝承をもつ神社が散見される。その一つである日吉山王を祀る七尾の大地主神社の青柏祭は、山犬が人身御供を要求する老猿を退治したことを記念する祭りであるという祭儀起源伝承をもっている。それによれば、山王神社に毎年娘を人身御供することになっていた。自分の家に白羽の矢が立ったので、父親が神社に隠れて見ていると、「越後のしゅんけんは、おれがここにいることはわかるまい」という声がする。山を歩いていると、「しゅんけん」という名の山犬が現れ、「悪い三匹の猿のうち二匹は退治したが、一匹がわからなくて探しているところだ。それを退治する」と約束する。父親は山犬を唐櫃に入れ神前に送った。翌日、そこで猿と山犬が死んでいるのが発見される。この三匹の猿にちなんで、三台の山車が祭礼に出るようになった。

・この種の伝承は「猿神退治」として知られるもので、昔話や伝説として各地に伝わっている。この伝承の多くは、猟師や旅の僧などが、とある村に行くと、土地の神に若い娘を人身御供に出さねばならないという。不審に思って神社に行くと、「しっぺい太郎に聞かせるな」と語っているのを盗み聞きする。しっぺい太郎を恐れていることを知って、各地を歩き回ってこのしっぺい太郎という者を探すと、じつは犬の名であることがわかる。そこでこの犬を人身御供の代わりに神前に送ると、その翌日、老猿が犬に食われて死んでいるのを発見する、というものである。

・したがって、上述の大地主神社の伝承もこの物語のヴァリエーションであることがわかるだろう。そこで問題になるのは、この三匹の猿を象徴するのが「山車」であるとすれば、旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

・すでに述べたように、「生贄・人身御供」伝承の研究は少ない。

<「異人」と「家」の盛衰>
・「共同体」というものが安定し、その意思がはっきりしているときには、時と場合によって「異人」は「共同体」のために犠牲となる。しかし、それが弛緩すると、それに対応するかのように、「家」の論理・意思が浮上してくる。つまり、家のために「異人」を殺すということがみられるようになってくる。もちろん、実際に「殺害」されたかどうかはわからない。だが、そうした伝承が広く見られるようになったのはたしかである。その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これをわたしは「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承ある。
 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売りなど)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りを受ける。

・この物語は明らかに「生贄・人柱」伝承とは異なった位相での「異人殺し」である。「殺害」の担い手は「家」もしくは「夫婦」にあるからである。「幸せ」を手に入れるのも、その後「祟り」を受けるのも、その対象は「家」(夫婦)なのだ。この伝承からも、「共同体」を構成する家々が抱えもっている「異人」に対する両義的イメージや「共同体」および「家々」の欲望、「異人」に対する恐怖心などいろいろなことを引き出すことができるだろう。

・中沢は鹿児島県の甑島で桜田勝徳が採集した「異人(山伏)殺し」伝承の報告を分析し、山伏を殺害したという当の家とそれ以外の家々で語られる伝承の違いに着目し、後者の場合において伝承が幻想化の処理が施されるという傾向が強く見られると指摘し、その幻想化の素材として「トシドンの祭り」を挙げている。つまり大晦日の日にやってくる来訪神とイメージ連関を起こすように物語化されるわけである。野村の研究は、「異人殺し」伝承の昔話版である「こんな晩」型の昔話の全国における分布・伝承状況を丹念に調べ上げ、それに基づいて「こんな晩」型の昔話は、世間話として発生した伝承が昔話化したものであるが、まだ昔話化が十分になされていない、つまりその途上にある伝承と把握したものであった。

・これらの論文での主張は多岐にわたるが、とくに強調したかった点は、こうしたフォークロアが異人歓待と排除を併せ持った怪談・祟り話であるというだけでなく、家の盛衰が貨幣によって左右されるということを前提にしているので、村落共同体が貨幣経済に組み込まれていく過程に生み出されたものであること、そしてこうした伝承を騙り出すのが宗教者であり、またその背後には来訪神その他の神観念とのイメージ連関も関わっている、というものであった。つまり前近代から近代への移行期に立ち現れてきた伝承が「異人殺し」であった。

・民俗学およびその隣接学問では、これまで「共同体」と「異人」の関係のダイナミックな相互関係、さらにこれとは水準の異なる「共同体」のなかの「家」と「異人」のダイナミックな相互関係に関する研究は、意識的なかたちではほとんどなされてこなかったといっていいだろう。しかしながら、本巻に収めた諸論考からうかがい知ることができるように、「異人」に着目することによって、「共同体」や「家」の成り立ちやその性格を理解することが容易となるのである。なぜなら、冒頭にも述べたように、「社会集団」は「異人」あるいは「異界」との関係のなかで成立するからである。「生贄・人柱」や「異人殺し」の伝承はそのことを如実に物語る伝承であろう。そしてその成果は現代社会を照射する手がかりを与えるはずである。さらなる異人研究が求められている。



『茨城の妖怪図鑑』
中沢健  TOブックス  2019/7/1



<人が生んだ蛇――朝房山>
・ヌカヒメという女性が、名前も知らない男性との間に生んだ子が、蛇だったという伝説がある。ヌカヒメはごくごく普通の人間であると思われるので、相手の男性が妖怪だったのかもしれない。
 ヌカヒメとその兄のヌカヒコは生まれてきた蛇を神の子だと思い、祭壇に安置していた。だが、蛇はあっという間に大きくなってしまう。

・人と会話を交わした、雷を自由に操り、飛行する能力まで持っていることから考えても、その正体はただの蛇ではなかったのであろう。ヌカヒコが考えた通り神の子であったのかもしれない。
 謎の男の正体を探るうえで一つヒントになりそうな都市伝説がある。イギリスで唱えられ、その後世界的に広まった爬虫類型異星人(レプティリアン)の存在だ。密かに地球へ大量に飛来しているという宇宙人の中でもレプティリアンはかなりの数を占めていると言われている。
 興味深いのは、このレプティリアンは爬虫類の中でもトカゲやワニ、亀などではなく、蛇に近いDNAを持つとも言われていることだ。
 UFOは雷と同様のエネルギーを使い飛来するという話を主張するUFO研究家もおり、ヌカヒメとの間に子供を作った男性がレプティリアンである可能性も考えられるのだ。

<茨城のニンゲン>
・その昔、茨城県の海岸に不気味な死体が漂着したことがあるという。嵐の夜のことだ。海岸に、巨大な人間の死体が打ち寄せられた。死体の身長はおよそ15メートルほどあった。半ば砂に埋まって横たわっていたが、騎乗して近寄った人の持つ弓の先端だけが、死体の向こう側にいる人からかろうじて見えたという。その巨大さがよく伝わる表現だ。
                   
<一つ目妖怪   ――桜川市>
・日本人なら誰でも知っているであろうメジャー妖怪「一つ目小僧」を代表に、一つ目の妖怪にまつわる伝説は日本全国にある。
 茨城県桜川市では、毎年2月8日に「八日祭り」と呼ばれる行事が行われている。
 これは、長さ約1.3メートル、幅約60センチ、重さ約12キロほどもある巨大なわら草履を作り、その草履を掲げることで「こんな大きな草履を履く巨人が、この地にはいるんだぞ」と一つ目妖怪を威嚇して、町に一つ目妖怪が侵入するのを防ぐというものである。

<金色姫    ――日立市、つくば市、神栖市>
・金色姫と呼ばれる不思議な美女の話がいくつかの町で伝わっている。
 代表的な話として、日立市に伝わる金色姫の話を紹介しよう。
 海岸に一隻の船が流れ着いた。そこには美しい女性が乗っており、インドの王の娘で、金色姫だという。継母にいじめられた結果、王である父に「やさしい人のいる国に流れ着くように」と船で流されたのだと語る。

・金色姫が化けた蚕は繭を作った。その繭から出てきた成虫の蚕はたくさんの卵を産んで、多くの蚕が生まれた。これらの蚕が吐いた糸はとても上質なもので、村は大変栄える結果になったという。

<女に化けた狐     ――瀧ケ崎市>
・竜ケ崎市に古くから伝わる不思議な話を紹介しよう。
 忠五郎という情が深くて親孝行な男がいた。忠五郎は、母のために土浦まで薬を求めた帰りに、キツネが狩人に撃たれそうになっているのを助けてあげた。その日の夕方、五十くらいの男と、二十歳くらいの若い女が忠五郎を訪ね、宿を貸してほしいと頼んできた。二人を泊めてやると翌朝、女は「両親を亡くしたため、奥州岩城(福島県)から鎌倉の伯父のところへ世話になろうと下男を連れてきたのに、その下男に昨夜のうちにお金を持って逃げられてしまいました。しばらくここに置いてくれませんか」と頼んできた。忠五郎は頼みを聞いてあげて、その女を置いてやることにした。女はとても働き者だったので、近所の人が仲人をして忠五郎は女と結婚することになった。そして二人の間には三人の子供が生まれた。平和な日々が続くが、ある日、女の正体がキツネであることが忠五郎にバレてしまう。正体がバレてしまったキツネは、忠五郎の元から去っていく。
 キツネが化けた女が去った後も三人の子供は忠五郎の家に残り、それぞれ立派に育ったという。

<笠間の十三天狗    ――笠間市>
・笠間市にある愛宕山では年に一度、「馬鹿野郎!」「この野郎!」といった罵声が聞こえてくる日がある。
 
・笠間市では12月の第3日曜日に「悪態まつり」というお祭りがおこなわれている。これは日本三大奇祭の一つとも言われている。これは日本三大奇祭の一つとも言われているお祭りで、天狗に紛争した氏子たちに向かって参加者は「馬鹿野郎!」「この野郎!」「いい加減にしろ!」と罵声を浴びせ続ける。
 悪態をつけばつくほど縁起も良いという実に変わったお祭りなのである。

<奈美松・古津松      ――石岡市>
・昔、美しい男と女がいた。お互いのうわさを聞き、お互いに会いたいと思っていいたところ、歌垣(相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗)の際に二人は偶然出会うことが出来た。二人は人々から離れて松の木の下に隠れ、お互いの思いを語りあったという。夢中になって語り合ううちに、夜が明けた。二人は、周囲の人に見られることを恥ずかしく思い、恥じ入るあまり松の木に化けてしまった。男を奈美松といい、女を古津松という。

<鬼のういじ   ――高荻市>
・日本一有名な昔話である「桃太郎」。この物語はどこが発祥の物語であるのか諸説あり、国内にはいくつかの「桃太郎の里」として売り出している場所がある。
 物語の内容も地域によって細部に違いがあって、高荻市に伝わる「桃太郎」では、鬼は鬼ヶ島ではなく、山奥に暮らしている。また、「ういじ」という名前も付けられている。

<小美玉市の河童    ――小美玉市>
・人間に悪さをしようとした河童が、手を斬り落とされてしまうという話は日本中で伝わっている。そのため、河童は手のみのミイラが伝わっているケースも多い。
 小美玉市にも、悪さをしようとしたところを、地元の殿様に刀で手を斬られてしまった河童の話がある。必死で謝ったカッパに殿様は手を返してやった。河童はそのお礼として、殿様に秘伝の薬の作り方を伝授したり、魚を毎日届けたという。

<ねねこ河童     ――利根町>
・利根川に住んでいた女河童。
 この女河童は、日本中に存在する河童の中でもトップクラスの力を持つと言われている。
 赤城の忠治河童、佐倉の繁三河童、江戸の長兵衛河童、伊豆の佐太郎河童、清水の次郎長河童、潮来の伊太郎河童といった関東の河童たちを配下として従えさせていた大親分でもあったと伝えられている。

<千波湖の河童   ――水戸市>
・河童というと、昔の人が目撃していた妖怪というイメージが強い。しかし、茨城県では80年代に入ってからも複数の人間から河童を目撃したという報告がある。
 1987年に千波湖の脇を流れる桜川に河童が現れて、それを目撃した小学生たちが河童に目がけて石を投げつけたというのだ。

<ねがい天狗とかない天狗     ――稲敷市>
・稲敷市にある大杉神社には、長い鼻を持つ天狗と烏天狗の像やお面などが並べられている。
 長い鼻を持つ天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれていて、どんな願いごとでも、しっかりと神様(大杉大明神)の元まで届けてくれる。その結果、どんな願いごとでも叶えてくれる神社として有名になり、多くの人々が大杉神社を訪れるようになった。

<ひょうたん入道    ――鉾田市(旧鹿島郡)>
・その昔、鹿島郡のお寺で、巨大な大入道が現れて人を驚かせたことがある。
 この大入道に遭遇したお坊さんが、見事に退治したところ、その正体は大きなひょうたんが化けた姿であったという。
 民話や伝説によると、いろいろな姿に化けるのは、狸や狐のような動物だけではない。

<うつろ舟    ――鉾田市>
・今から二百年ほど前に、鉾田市の海岸に不思議な形状の舟が漂着したことがあった。
 当時の人たちは、その舟の正体が分からず、不気味に思い、舟に乗っていた乗員(奇妙な言葉を使う女性であった)ごと、海へと送り返してしまった。
 この舟の絵を見た現代の人々は「まるでUFO(空飛ぶ円盤)のようだ!」と驚いた。
 うつろ舟と、その乗員との遭遇は、茨城県民と宇宙人のコンタクトの記録だったのであろうか?

<茨城・UFO宇宙人目撃事件簿>
・ここでは、その中から、UFOと宇宙人の目撃事件について少しだけ紹介させていただこう。茨城には妖怪だけじゃない、宇宙人もたくさん来ているのだ‼ 
●加波山はUFO目撃多発地帯!
・桜川市と石岡市との境に位置する加波山の上空は、UFO目撃多発地帯としても知られている。目撃の大半はジグザグに飛行する発行体であるが、筑西市にある某接骨院に務める柔道整復師の男性は加波山上空に飛来した巨大な葉巻型UFOを目撃している。

●UFO否定派を肯定派に変えた超巨大UFO!
 それまでUFOの存在など全く信じていなかった男性が、稲敷市の県道でUFOを目撃。以来、肯定派に変わってしまった。
 目撃したのは、2013年1月3日。風のまったくない寒い夜だったという。車で移動中に、50メートルから100メートルはある巨大な物体が空を飛んでいたのを目撃した。

<河童の手のミイラ      ――土浦市>
・河童が侍に手を切り落とされたという話は日本中に伝わっており、そのため河童の手のミイラも多くの場所で保管されている。
 もちろん、河童伝説が多い茨城県も例外ではない。土浦市(佐野子町)の公民館には、河童の手のミイラが今でも大事に残されている。
 上野動物園のスタッフが、この河童の手を鑑定したこともあったそうだが、その正体は特定できなかったらしい。
 佐野子町では6月に「かっぱ祭り」を開催しており、このミイラが一般に公開されるのも、お祭りの時のみである。

<アマンジャク     ――稲敷郡>
・天邪鬼(あまのじゃく、あまんじゃく)は日本全国に伝わる鬼の妖怪である。人の心を読むことが出来て、人の口真似をしていたずらをするのが特徴だ。茨城県の一部では、山彦を「アマンジャク」と呼んでいた。また木の精霊などもアマンジャクと呼ぶことがあったらしく、一般的には鬼の妖怪として広く伝わっている天邪鬼も地域によってはバリエーションがあったようだ。

<牛久沼の河童    ――牛久市>
・河童は日本各地に伝わる、日本を代表する妖怪である。河童が出る場所として、有名なのが牛久沼。
 河童が伝わっている他の場所では聞かないエピソードとしては、いたずらをしていた河童を捕まえた農民が、河童を縛り付けたという松の木――通称「河童松」なるものも残されている。
 伝説によると、河童は松の木に縛られ、暑い夏の日差しで河童の皿は干上がっていった。河童は村人に泣きながら「これからは悪いことはしません」「今までの罪ほろぼしにお百姓さんの役に立つことをさせてください」と詫びた。村人たちは河童を許してやり、沼へ戻してやったのだという。

<ダイダラボウ    ――水戸市>
・茨城県には、巨人にまつわる伝説が多く残されている。その中でも有名なのが、水戸のダイダラボウだ。
 水戸には高さ15メートルのダイダラボウの像があるのだ。このダイダラボウ像は、中に入ることも出来て、展望台になっている他、茨城の巨人伝説にまつわる貴重な資料も展示されている。
 またダイダラボウ像の近くには、巨人の足跡を模して造られた池などもある。
 しかし驚くべきは、15メートルもある像も、伝説のダイダラボウと比べたら、だいぶ小さく作られているということだ。何せ、足跡一つを見ても幅36メートル、長さは72メートルもあったというのだから、想像を遥かに超える巨大なスケールの妖怪だったのである。
 ちなみに、ダイダラボウ像が作られた場所は、書物に記録されているものとしては日本最古の貝塚である「大串貝塚」のある場所でもある。

ダンデェさん――稲敷市
大田魔神――利根町
ダイダッポウ――ひたちなか市
デーダラボウ――日立市、常陸太田市、城里町
ダイダラボッチ――つくば市、古河市
デーナガボウ――潮来市

 巨大なダイダラボウ像が設置されている大串貝塚ふれあい公園。
 ダイダラボウ像の中に入ると、茨城県に伝わるダイダラボウ以外の巨人についても紹介されている。茨城の妖怪伝説を調べるうえでは外せないスポットである。
 一口に巨人と言っても、地域によって名前にもこれだけバリエーションがあるのは面白い。

●天狗の山
・笠間市にある愛宕山は、天狗の住む山と言われている。なお、愛宕山という名前の山は日本各地に存在している。茨城県内でも大子町に愛宕山がある。天狗を捜索する際は、間違わないように気を付けよう。
 飯綱神社に現れた十三天狗。「仙境異聞」という書物によると、元々は五天狗であったらしい。その後、十二天狗になり、最終的には十三人の天狗が集うこととなった。



『月刊ムー  2017年5月号』



<伝説のダイダラボッチは実在した!!  飛鳥昭雄+三神たける>
<戦前、茨城県に身長10メートル超の巨人が出現!!>
・飛鳥昭雄が、独自のルートで驚くべき写真を入手!!戦前に撮影されたいうその写真に、超弩級のヒト型生物が写っていたのだ!!この巨人こそ、日本各地に伝わる伝説のダイダラボッチなのか!?

・最初に見たとき、B氏は驚愕のあまり、言葉を失った。無理もない。そこに写っていたのは、身長10メートルは優に超える巨人だったからだ。

・B氏によると、風景から察するに撮影されたのは茨城県常陸太田市下高倉の山中らしい。

・古くから常陸地方には巨人ダイダラボッチの伝説がある。『常陸国風土記』によると、筑波山の山頂が双峰になっているのは、そこにダイダラボッチが腰かけたからだとか、水戸にはダイダラボッチも模した巨大な像まである。
 もし仮に、B氏の写真がホンモノであれば、これまで説話の中だけの存在だと信じられてきたダイダラボッチの実在性がにわかに高まってくる。

・写真は全部で3枚。連続撮影されており、被写体の巨人が画面の向こうに移動する様子がわかる。徐々に影が薄くなり、最後には、ほとんど消滅しかけているのである。
 まるで心霊写真である。世界初の幽霊巨人なのか。別次元に溶け込むように消えたとするならば、考えられる可能性が、もうひとつある。
 
・地球内天体と地上とは、ある条件が重なるとプラズマ・トンネルが形成され、ときに物体や生物がテレポートする。ひょっとして、写真の巨人もまた、きわめて短い時間ではあるが、亜空間を通じて地上に出てきた地底世界の巨人なのかもしれない。


<●●インターネット情報から●●>
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より、
ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人である。類似の名称が数多く存在するが、以下では便宜的にダイダラボッチと呼称する。山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている(鬼や大男などの妖怪伝承が巨人伝承になったという説もある)。

柳田國男は『ダイダラ坊の足跡』(1927年(昭和2年)4月、中央公論社)で日本各地から集めたダイダラボッチ伝説を考察しており、ダイダラボッチは「大人(おおひと)」を意味する「大太郎」に法師を付加した「大太郎法師」で、一寸法師の反対の意味であるとしている。



<●●インターネット情報から●●>
「ROCKET NEWS24」から引用
<マジか!? 台湾でダイダラボッチみたいな怪物が激写される>
ダイダラボッチとは、古くから日本に伝わる伝説的な巨人である。山や沼を作るといわれており、あの富士山を作ったのもダイダラボッチというウワサもある。映画『もののけ姫』の「ディダラボッチ」を思い出した人も多いだろう。

そんなダイダラボッチみたいな怪物が台湾で激写されていたのでご報告したい。撮影したのは警察官。なんとiPhone 4で撮影したのだという。場所は台湾の台東県にある標高3310メートルの嘉明湖近辺であるとのことだ。

問題の写真を確認すると……そこには水掻きの付いた半透明の巨人が写っている。距離のわりには大きく写っているところを見ると、実物サイズは巨人サイズだと思われる。まさにダイダラボッチのようではないか!

YouTubeには、色調整により謎の巨人をより分かりやすく映した動画「Huge Cloaked Alien Spotted In Taitung? 2012」もアップされているので、合わせて確認してみるとよいだろう。

ちなみにモバイル機器の専門家、CGの専門家、そしてプロカメラマンなどに写真の真偽を鑑定してもらったところ、「風景写真に画像を合成した可能性は低い」との結果だったそうな。はたしてこれはダイダラボッチなのか。それとも……!?

 

『全国妖怪事典』
千葉幹夫 編集     講談社  2014/12/11



<青森県>
・(アカテコ) 道の怪。八戸町。小学校前のサイカチの古木から赤い小児の手のようなものが下がった。この木の下に17、8歳の美しい娘が振り袖姿で立つことがあり、この娘を見た者は熱病にかかるという。

・(カッパ) 水の怪。河童。五所川原では、人の命を取るというので八幡社に祀っている。藤崎では、河童には踵がないのでそれを粘土で補って子供を誘う。だから薄闇で見知らぬ人に声をかけられたら踵をたしかめよといましめる。

・(カワオンナ) 道の怪。河女。土堤に現れ、美女となって男に話しかける。ほかの人にはこの河女は見えない。

・(カワタロウ) 水の怪。河童。岩木川で腕を切られた河太郎は、5歳ばかりの童子で、髪をおどろに被っていた。腕は4、5歳の小児のようで、指は4本、根元に水掻きを持ち、爪は鋭く、肌は銭苔のような斑紋があり、色は淡青く黒みを帯びていた。

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。旧家にいる一種の精霊。ザシキボッコ、クラワラシ、クラボッコ、コメツキワラシ、ウスツキコ、ホソデ、ナガテなどともよばれる。赤顔、垂髪の小童で旧家の奥座敷などにいる。これがいる家は繁盛するが、いなくなると衰亡する。ザシキワラシのいる家の座敷に寝ると枕返しをされたり押さえつけられたりするが、人を害することはない。野辺地町の富者の家運が傾きかけたある夜、ザシキワラシが奥座敷で帳面を調べていたという。

・(ニンギョ) 海の怪。津軽の海に流れついた。唐紅の鶏冠があり、顔は美女の如く、四足は瑠璃をのべたようで鱗は金色に光り香り深く、声はヒバリ笛のように静かな音だった。

・(メドチ) 水の怪。河童のこと。十和田―猿のような顔で身体が黒く、髪をさらっと被った10歳くらいの子供という。女の子に化けて水中に誘う。人間に子を生ませる。紫色の尻を好む、相撲が好きだが腕を下に引くと抜ける。

・しかし一旦見込まれると逃れられず、友達や親戚に化けてきて必ず川に連れ込む。生まれつきの運命だという。津軽藩若党町の子が川で溺れた。水を吐かせようと手を尽くすと、腹のうちがグウグウとなり、たちまち肛門から長さ1尺6、7寸で体が平たく頭の大きなものが走り出て四辺をはね回った。打ち殺そうとしたが、川に飛び込まれた。

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。南津軽郡井筒村。農夫が羽州田代嶽で会った。丈6尺、肌が非常に白く裸体で、滝壺の傍らに座って長い髪を水中に浸して梳っていた。

<岩手県>
・(アンモ) 家にくる怪。北上山系。姿を見た者はいないが、正月15日の月夜の晩に太平洋から飛んでくる。

・(オクナイサマ) 家にいる怪。上閉伊郡土淵村。14、5歳の子供姿で、近所が火事のとき火を消してまわったという。

・(カッパ) 水の怪。河童。真っ赤な顔で、足跡は猿に似ており、長さ3寸、親指が離れている。松崎村で二代にわたり河童の子を産んだ家があり、子は醜怪な形だった。栗橋村橋野の大家には駒引きに失敗した河童の詫び証文がある。岩手県紫波郡煙山村赤林でも河童の子を産んだ女がいた。女は産屋に誰も入れなかったが、中からクシャクシャと小声の話が聞こえたという。

・宮古に伝わる証文は筆でぬりたくってあるだけで、とても文字のように見えない。栗橋村栗林には、駒引きに失敗した河童が左の腕を噛み切って指で書いた詫び証文がある。この河童は、川から上がって許された家に入りザシキワラシになった。主家思いであったという。詫び証文は釜石にもある。下閉伊郡田野畑村の証文には「又千、又千」とあった。
 紫尻を好むという。上閉伊郡宮守村では、駒引きに失敗した河童が喉のはれをひかせる薬の調合を教えた。上閉伊郡大槌村赤浜でも河童はザシキワラシであるように信じている。嬰児のようで赤く、ジイジイジイと鳴く。相撲を好み、子供と相撲をとった。陸前高田市横田では河童は直接骨接ぎをするといい伝える。
 
・(カブキレワラシ) 木の怪。土淵村。マダの木に住み、時に童形になって座敷に忍び込み、家の娘に悪戯をする。また胡桃の木の三又で遊ぶ赤い顔がこれだという。

・(カワタロウ) 水の怪。川太郎。下太田村。日ごろ子供と遊んでいた。親には決して語るなと戒めていたが、ある子が禁をやぶり、村の若者が鎌を持ってさんざんに追い回した。翌朝、川太郎は子供らに、もう一度非道をすれば北上川はじめ処々の川から、仲間を数百集めて報復するといった。一説にはこの家の姫に夜な夜な通ったともいう。

・(ザシキワラシ) 家にいる怪。座敷童子。童女だともいう。上閉伊郡――布団を渡り、頭にまたがる。釜石・遠野――笛太鼓で囃しながら来る。枕返しをする。赤い友禅を着た17、9歳の娘であるという。土淵村――赤い頭巾を被った赤顔で、足音は3、4歳くらいの子供のもの。土淵村栃内――神檀の前に掛けてあった鐘を家人の留守中ガンガン叩いた。土淵村田尻――夜半、懐に入ってくすぐり、たまらず起きて襟を合わせると、今度は袖口から手をいれてくすぐった。土淵村本宿――運動場に見知らぬ子供が一人おり、体操の時などどうしても一つ余計な番号が出た。尋常小学校1年生にしか見えなかった。

・江刺村――ザシキワラシのなかでも最も色白く綺麗なものをチョウピラコという。附馬牛村――土蔵の中で終夜、喧嘩でもしているような荒びた音がして、翌朝、極めて美しい一人の子供が死んでいた。3、4歳くらいで顔が透き通るように白かった。隣家のザシキワラシと喧嘩して殺されたとか、ザシキワラシの夫婦の喧嘩だとかいった。

・(カラコワラシ) 家にいる怪。夜の子の刻になると、座敷の床の間から黒い半衣物を着て現れ、杓を持って水をくだされといった。ザシキワラシの一種。

・(サルノフッタチ) 動物の怪。猿の経立。人によく似る。女色を好み里の婦人を盗み去ることが多い。

・(ショウジョウ) 動物の怪。猩々。人面獣身で人語を解し酒色を愛すという。

・(チョーメンコ) 山の怪。和賀川がつくる深い渓谷に住む。姿形は不明だが、夕暮れ時、遊びほうけているワラシたちがいると必ず出てくる。

・(テング) 山の怪。天狗。早池峯山。木の実ばかり食っていたが、穀物を食いたくなったといって、遠野の万吉という湯治場で会った男を尋ねてきた。一日に一羽、鳥を捕えて焼いて食ったという。

・(ノリコシ) 道の怪。遠野地方。影法師のようなもので、最初は小さい坊主頭で現れるが、はっきりしないのでよく見ようとすると、そのたびにメキメキと大きくなる。

・(マヨイガ) 山の怪。迷い家。遠野地方で山の中にあるという不思議な家。この家に行き当たった人は必ず家の中の什器、家畜などなんでも持ってこなければいけない。それはその人に授けるために、その家を見せたのだからという。

・(ヤマオンナ) 山の怪。山女。栃内村和野の猟師が、背が高く髪がそれよりも長い女を鉄砲で撃った。のちの証拠にと髪を切り取って下山したが、途中ひどい眠気に襲われた。夢うつつに丈の高い男が現れて懐中からその髪を取り去った。

<沖縄県>
・(アカガンター) 家にいる怪。赤い髪で赤ん坊のようなもの。古い家の広間に出て、枕返しをし、押さえつける。

・(アカマター) 動物の怪。斑蛇。中頭郡西原村我謝、名護町、那覇泉崎、羽地村田井等、多くの所で聞く。美青年に化けて女を誘惑し、命を取ったり多数の子を一度に生ませたりした。アカマターは尾で文字を書くが、この字は人を惑わすという。羽地村仲尾次では蛇婿に類似した話を伝える。

・(アカングワーマジムン) 赤ん坊の死霊。四つん這いになって人の股間をくぐろうとする。これに股間を潜られた人はマブイ(魂)を取られて死んでしまう。

・(アフイラーマジムン) 動物の怪。家鴨の変化。ある農夫が野中、道でしきりに股をくぐろうとすると怪しい家鴨にあった。くぐられては大変だと石をぶつけるとたくさんのジンジン(蛍)になって農夫の周りを飛び回ったが、鶏の声とともに消え去った。

・(イネンビ) 火の怪。遺念火。沖縄では亡霊を遺念といい、遺念火の話は多い。たいていは定まった土地に結びつき、そう遠くへは飛んでいかない。

・(ウシマジムン) 動物の怪。牛の変化。真っ黒い牛のように大きいマジムンで、牛が往々連れ立って出る。

・(ウヮーグヮーマジムン) 動物の怪。豚の変化。豚の形をして現れ、しきりに人の股をくぐろうとする。くぐられるとマブイ(魂)を取られて死ぬ。

・(カイギョ) 動物の怪。怪魚。美里間切古謝村。塩焚きが、海に浮かんだ一尾の魚を捕らえて帰ると、笊の中から「一波寄せるか、二波寄せるか、三波寄せるか」と微かな声がした。

・(カムロ) 道の怪。那覇と与那原の間にある一日橋。よく踊りの音がする。近づいて引きこまれることがある。これは「マ」の仕業という。

・(カワカムロウ) 水の怪。以前はよく池などで人を引き入れた。

・(キジムン) 木に宿る怪。水の怪。古木を住処としている。ガジュマル、アコウなどの木が歳経るとキジムンになるという。海の魚を捕るのが上手だが、左または左右の目のみ抜き取って食うだけだから、これと親しくなると魚運に恵まれる。屁がなによりも嫌いという。セーマ、
セーマグ、ブナガイ、ブナガー、ミチバタ、ハンダンミーなどともいう。各地とも形はほぼ一定で、髪が長く身体は全部毛で被われている。ところによっては赤ん坊の大きさで、毛髪は赤いともいい、また底辺大きな真っ黒いモノで睾丸が大きいともいう。蛸が嫌いで、古木から生じるから古木の股に釘を打ち込めばよいという。水面を駆けることが巧みで、人を連れたままでも水面に立てるという。よく火を出す。旧暦の8月10日は妖怪日といい、この日にキジムナー火を見ようという人が多い。キジムンの火は色が違う。時々海上を渡ってくる。とても速い。側に来ても声をかえない。かけると霊魂(マブイ)を取られる。

・山で出会い、谷川の石を動かしているのを見ると、怒ってマブイを取る。国頭村の山小屋に来た。追い払うと悪さをするので、生竹をそっとくべて、爆ぜる音を聞かせると驚いて逃げた。キジムンのいる家は富み、よそへ越すと衰える。枕返しに遭った、寝ていて押さえつけられたという話は多い。大宜見村ではブナガヤアという。ぶながるは髪をふり乱す意味で、腋あたりまで垂らした様をいう。人語を聞きわけられる。怪力で、これを利用して成り上がった者がいる。のち、離れようと蛸(ぢやさめ=手八つ)を柱に掛けておいたら、二度とこなかった。木のうろにいる。うっかりとその木を伐ると、酷い目に遭わされる。つきまとって、いつまでも悪さをする。髪は総角で、山で人間の炊いた火に当たりに来る。追い払うには青竹を燃やして爆音を出すに限る。本土の火取魔のように提灯の火を取って逃げる。これを防ぐには出かける前に提灯を跨いでおけばよい。夜にうなされるのはキジムナーが戸の隙穴から入って押さえるためである。これを防ぐにはススキのサン(輪結び)を胸に載せておくとよい。

・羽地村源地の老婆が、川端の老木の上で、枝を枕に睾丸の大きな子供が寝ているのを見た。老婆が竹竿で睾丸をつつくと子供は飛び上がってどこかへ消えた。老婆はその夜、床につくやいなや先の子供に襲われて身動きできず、終夜苦しめられた。大宜味村喜如嘉の某家に毎年旧暦の8月8日に来て、豚小屋の豚を綱で縊り、火で所構わず焼いたという。屋敷にあるヒンギの老大木にキジムナーが住み、その家の翁と親しくなって、魚取りに誘って翁を裕福にしていたが、毎晩なので翁のほうがつらくなって木に火をつけると、キジムナーは他家に移り、その家は潰れた。同じようにキジムナーと関係を絶とうとして嫌いなものを聞き出し、門口に蛸を吊るし、蓑を着て鶏の真似をして追い出したが、3日後に死んだ翁の話なども伝えている。

・(キーヌシー) 木の精。大木に宿る。キジムナー(キジムン)と違い、木から飛び出すことはない。

・(ギルマナア) 家に来る怪。体が赤く身長1尺くらい。木の腐ったうろの下におり、夜になると人を押さえに来る。

・(ザン) 動物の怪。人魚。夜遅く波をわたって海の上から美しい女の声が聞こえてきた。翌日、この声の主を確かめようと3人の若者が船を出した。網にかかったのは半人半魚の生き物。

・(シイノキノセイ) 木の変化。椎の木の精。椎の木は必ずスジヤ(人間)を守ってくれるという。大宜味村喜如嘉で椎の実を拾いに山へ入り、道に迷った少女が夜中に、緑の衣装を着て踊る大勢のものに会った。このとき大きな猪に襲われたが、白い髭をはやした翁に抱き上げられて救われた。翌朝、目が覚めると椎の木の大木の下におり、実が枝もたわわに実っていた。

・(シチ) 山の怪。真っ黒で山路を歩くと立ち塞がって人の邪魔をする。

・(ジュリワーマジムン) ズリ(遊女)の化け物。沖縄各地で最も有名な化け物の一つ。

・(タチッシュ) 山の怪。山原地方。夕方、山から杖をついて下りてきて、子供をさらっていく。非常に力が強くて、村の若者でもこれと相撲をとって勝てる者はいない。

・(タマガイ) 火の怪。子供が生まれるときはタマガイといって、火の玉が上がるという。

・(チーウノヤ) 童墓(ワラビバカ)にいる霊怪。極めて優しい顔の女で、黒髪を長く洗髪したように垂らし、乳が特別に大きいものという。

・(ツボノマジムン) 器物の怪。壺の変化。山羊に化けて、通る人を悩ませ、数えきれないほど人の命を取った。

・(トウィマジムン) 動物の怪。鳥の変化。鶏のマジムン。家畜のマジムンの現れ方は人の前をさっと横切るのだという。

・(トジマチャービー) 火の怪。最初に一つ、提灯大の火玉が現れ、他方からもう一つの火玉が来て二つに合わさってユラユラと立ち上がって消え、また現れる。

・(ナカニシ) 人の姓。仲西。晩方、那覇と泊の間にある塩田温泉の塩田温泉の潮渡橋付近で「仲西ヘーイ」と呼ぶと出てくる。

・(ナビケーマジムン)器物の怪。鍋笥(杓子)の変化。為すところはミシゲーマジムンに似る。

・(ネコノカイ) 動物の怪。猫の怪。猫はマジムンにはならないが、13年経つと化けて人を害するという。

・(ハーメーマジムン) 老婆の怪をいう。

・(ヒチマジブン) 海の怪。国頭地方でいう。単にヒチともいい、夜道に筵を持っていくとヒチに連れられる、夜、櫛を挿していくとヒチに惑わされるなどといった。

・(ヒツギノマジムン) 器物の怪。棺の変化。今帰仁村で美しい女に化けて青年を誘惑した。

・(フイーダマ) 火の怪。火玉。鬼火、人魂の類。

・(ブナガ) 木に宿る怪。本島で木に宿る怪をいう。国頭地方でいうキジムンと似たモノ。

・(マー) 形は漠然としているが、牛の鳴き声をするという怪。

・(マジムン) 魔の物。ユーリーは背が高く顔だけが真っ赤で、木にぶらさがっていて、足のないのを見た人がいる。また、歩くのに足音も足跡もないという人もいる。

・(マズムヌ) 宮古島でいう化け物。人の死霊もあれば動物の怪もある。

・(ミシゲーマジムン) 器物の怪。古い食器が化けたもの。

・(ミミチリボージ) 耳切坊主。大村御殿に誅された琉球伝説中の怪僧、黒金座主の化けたものと伝える。

・(ムヌ) 形は漠然としている。妖怪をヤナムヌ(嫌なもの)ともいう。

・(モノマヨイ) 物迷い。夕方に子供をさらっていく怪。

・(ヤギノマジムン)  動物の怪。山羊の変化。

・(ユナバルヤージー) 男性の怪物という。

・(ユナーメー) 髪の毛のぼうぼう生えた妖怪。

・(ワーウー) 面相の恐ろしい怪。

<石川県>
・(アオオニ) 家の怪。青鬼。金沢。加賀中納言死去のとき、加賀越中能登の武士が残らず詰めかけている広間を、夕方、背丈二丈ばかりの青鬼が奥から出て玄関の門を出ていった。三国の武士はあっとばかり見送るだけであったという。

・(イマノヒト) 山の怪。能登島で天狗をいう。オオシトとも。今のは「例の」の意。

・(オシロイババ)道の怪。白粉婆。能登。雪の夜に酒を買いにいく。

・(ガメ)水の怪。河童のこと。能美郡中海村遊泉寺――ある老人が堰淵のそばで立っていると水中から出て、この中に入ってごらん、いい気持ちだからと誘った。断るとガメも諦めて淵の中に飛びこんだ。

・(マクラガエシ) 家にいる怪。枕返し。ある家の座敷に寝ると、隣室に引き出されてしまうという。



『「伝説」はなぜ生まれたか』
小松和彦   角川学芸出版    2013/3/23



<「生贄」と「異人」、身代わりの論理>
<二つの生贄祭祀>
・ところで、右の事例は、村落共同体とその幻想的な異界(自然)との関係を描いたものである。村落の存亡は作物の出来・不出来であり、それを左右する天からの水を支配しているのは、天界の大蛇(龍神・水神)である。長い日照りが続いたために共同体が危機に瀕している。長者はこれを救うために天竺の大蛇のところまででかけ、「生贄」を求められることになる。

・水を支配する大蛇(異界)が「生贄」を好むならば、日照りが襲ってこないように、定期的に「生贄」を差し出そう。それを提供し続けることで作物の豊穣を確保できる――こうした思想に基づいて行われるようになったのが、「生贄」祭祀である。いいかえれば、これは異界との「富」の交換の物語ということができるだろう。しかも、この異界との交換は、両者ともに満足のゆく結果をもたらす限り、安定した関係といえるだろう。

・ところで、共同体の「長」が共同体内の誰かを生贄として差し出す祭祀を、共同体の外部(=異界)から訪れた者(=異人)が廃止するという説話も伝えられている。『今昔物語集』巻26の第7話と第8話は、その種の物語のなかでももっとも有名な話である。この話はまた、生贄の
祭祀の状況をリアルに描いている点でも興味深い。

・この二つの生贄話は、一見した限りでは、上述の事例と同様の話にみえる。しかし、まことに対照的な構造となっている。すなわち、一方は異界と共同体の間の直接的な交換であるのに対し、他方は、第3項としての「異人」が介在する物語だからである。しかも、二つの話の内容には微妙な差異も見出せる。第8の話は、村落共同体自体が共同体内部からの「生贄」の調達を厭いだし、共同体の外部の者(回国の僧)を「身代わり」に立てる方法で対処しようとしているのに対し、第7の話は、共同体の外部(東国)からやってきた者(猟師)が、「生贄」祭祀のことを耳にし、自分から進んで「身代わり」に立っているのである。

<身代わりに立てられた僧>
・まず、第8の方の話から検討してみよう。この話の概略は、次のようなものである。
 飛騨国の山中で道に迷った回国の僧が、たまたま出会った男に山里に案内され、郡殿(大領)の決定に従って、ある男の家で世話をしてもらうことになり、しかも一人娘を妻としてあてがわれる。8ヵ月ほど経った頃から、家の者が「男は肥えた方が良い」といってご馳走攻めにする。不審に思った僧が妻にわけを詰問すると、妻は「じつは、この郷の者が祀る猿神は、年に一度生贄を求める。この私が次の生贄になることになっていたが、その身代わりとしてあなたを出そうとしているのだ」と教える。
 祭礼の当日になり、村人たちは僧を裸にして俎(まないた)の上に載せ山中の祠の前に運び、神楽を奉納したあと、一人残らず郷に帰っていった。やがて猿神が現れるが、僧はこの猿神を捕縛し村に連れ帰る。そして人びとの前で、二度とこのようなことはしない、という約束をさせて追い払った。その後、この男はたくさんの人を使う「長者」となった。

・この話で興味深いのは、この村落の人びとが村落の外部に「身代わり」を探し求めていたのであって、その外部からやってきた僧は、自分が身代わりの生贄とされるためにもてなしを受けているのだということを知らなかった、ということである。僧の妻となった娘が事前に真相を明かさなければ、僧は生贄として猿神に差し出されて食べられていたのである。さらに推測すれば、この僧が猿神を退治するまで、たくさんの旅の者が身代わりの生贄として猿神に差し出されていたにちがいない。

・いま一つ留意したい点は、この僧は猿神を退治した後、この里に住み着いて「長者」になった、と語られていることである。この「長者」が「郡殿」(大領)をしのぐほどの存在、つまり「首長」であったかどうかはわからないが、共同体の「外部」からやってきた者が土地の女性と結婚してその「王」となるという、人類学で言う「外来王」的な性格をもっている。

<自ら身代わりに立った猟師>
・第7の話の概略を紹介しよう。

・美作国に中参・高野という神がいた。中参は猿、高野は蛇であった。土地の者は、毎年一度の祭りには人間の生贄を差し出すことが決まりになっていて、ある家の、年の頃16、7歳の美しい娘が次の年の生贄に指名された。たまたま東国からやってきた猟師がこの話を耳にし、娘を妻にくれるなら自分が娘に代わって生贄となろう、と申し出る。娘の命が助かるならばと、親は娘を人知れず男に娶らせる。男は飼っている猟犬から二匹を選び出して特別な訓練を行ない、刀をしっかり磨きあげた。

・やがて、祭りの当日がきた。「宮司」(神主もしくは祭司)を筆頭にたくさんの人がやってきて生贄を入れる長櫃を寝屋に差し込んだ。男がこの長櫃のなかに犬とともに入ると、親たちはそのなかに娘が入っているかのようなそぶりをしながら、一行に長櫃を差し出す。祭礼の行列が社に到着し、「祝」が祝詞を唱え、瑞垣の戸を開けて長櫃を差し入れたあと、その戸を閉じ、その外で宮司たちは並んで待機する。

・男が長櫃を少し開けて覗き見ると、丈七、八尺もあるかと思われる猿を中心にたくさんの猿が居並び、俎と刀も用意されていた。この大猿が長櫃を開けると同時に、男と犬がそこから飛び出し、大猿を捕えて俎の上にすえて刀を当て、頸を切って犬にやろうか、と迫った。このとき、一人の「宮司」に神(大猿の霊)が憑いて、「もう生贄を求めない、この男や娘の親にも復讐したりしない。だから助けてくれ」と助けを求めた。これを聞いた宮司たちが社のなかに入ってきて、「神様がこのように申されているのだから、どうか赦してください」と頼んだが、男が「この者と一緒に死ぬのだ」と少しも赦そうとしないでいると、「祝」(つまり大猿の霊)は言葉に窮し、誓いの言葉を何度も述べたので、赦してやると、猿は山に逃げ去る。家に戻った男は末永くその娘と夫婦となって暮らした。

<能登半島の猿鬼退治伝説>
<発掘された猿鬼伝説>
・ここで、その具体的な例として、第1章で詳細な検討を加えた能登半島の輪島市と能都町旧柳田村に伝わる「猿鬼退治」伝説を、「天皇」と「村落」との接続のプロセスを物語る事例として取り上げ直してみよう。
 繰り返しになるが、地元に伝わる「猿鬼伝記書」によって、この伝説の概略を改めて紹介しておこう。

・昔、当目(能登町旧柳田村)という集落に岩井戸という洞窟があって、そこに「猿鬼」と呼ばれる恐ろしい鬼の一党が潜んでいた。当目の村の家々は、次から次へと猿鬼に襲われ、この噂が神々の耳にも入り、日本中の神たちが「出雲の国」に集まって猿鬼退治を相談をし、能登での出来事は能登の神が解決すべきだということになり、気多大明神(大穴持命)と三井の女神の神杉姫という神に、猿鬼退治の命が下される。神軍が猿鬼一党を攻撃したが、猿鬼は不思議の術を使う化生の者なので、なかなか征伐することができないでいたが、神杉姫の策にはまって鬼たちが酒宴を開いていた隙を狙って急襲し、ついに猿鬼の首を切り落とす。
 その後、猿鬼の魂魄が祟りをなしたので、神杉姫が僧に身をやつしてやってきて、その魂魄を鎮めた。

<猿鬼を退治した神は誰か?>
 この猿鬼退治に関する記録が現れた最初は、安永六年(1777)の『能登名跡志』記載の記事である。この記録は、いわば現代の民俗学者や地誌学者が地方を訪問して、地元に伝わる文書や聞き取りから制作した地誌・民俗誌のたぐいである。それには、次のように記されている。

・この当目村方々へ散村になりて蓮華坊いふが往来也。千毒といふ川中に、岩井戸といふ不思議の洞あり。海辺より三四里の山奥なれども、汐のさしひきあり、烏賊など吹き出せしことあり。昔この洞に猿鬼といふもの住みて人を取る。これを大穴持命退治ありて、その霊を祭て、今猿鬼の宮とてあり。案ずるにこれは狒々(ひひ)の類なるべし、そのほかこの猿鬼退治ありし時の旧跡色々あり。



『世界不思議大全  増補版』
泉保也     Gakken   2012/8



<ジョージ・アダムスキー  史上最大のUFOコンタクティ>
<驚異の宇宙旅行と素晴らしい宇宙船>
・アダムスキーは、その後数回にわたって異星人とコンタクトすることになるが、そのたびに彼は驚くべき体験をしている。
 1953年2月18日、例によって彼は予感めいた衝動に駆られ、ロサンゼルスのとあるホテルに投宿した。
 夜になって、ロビーにいたアダムスキーにふたりの男が接近してきた。ふたりは普通の服を着ており、話す言葉にも何らおかしなところはなかった。
 しかし、彼らが握手を求めてきたとき、アダムスキーは異星人だとわかった。彼らは特殊な握手をするからである。

・ふたりはアダムスキーを車に乗せ、砂漠地帯に向かい2時間ほど走行。ドライブ中、ひとりは火星からやってきたといい、もうひとりは土星からやってきたと話した。
 車が砂漠に着くと、そこにはUFOが待機していた。近くには例の金星人がいて、アダムスキーをにこやかに出迎えた。不思議なことにこのとき彼は、英語を流暢に話せるようになっていたのである。
 アダムスキーは、彼らに仮の名前をつけ、金星人をオーソン、火星人をファーコン、土星人をラミューと呼ぶことにした。

・UFOは信じられないくらいの高速で飛行し、地上1万2000メートルの高度に達した。そこにはなんと、全長600メートルはあろうかという巨大な葉巻型母船が滞空していたのである。

・アダムスキーを宇宙旅行に招待したのは、偉大な指導者(マスター)と呼ばれる人物だった。

・土星型UFOは、上空に待機している母船に向かった。今度の母船には、20歳前後にしか、見えない人々が大勢いたが、彼らの年齢は、実際には30〜200歳以上にも達するという。

<コンタクティ  異星人からのメッセージを伝える人々>
・コンタクティの証言を「コンタクト・ストーリー」という。

<ハワード・メンジャー>
・アメリカ人。初コンタクトは1932年の夏で、金髪の金星人女性と会見。高校卒業後、陸軍に入隊してからハワイで黒髪・黒眼の異星人と出会い、太平洋戦争時の沖縄戦に従軍した折、沖縄で軍服を着た金星人と会見、「今後もコンタクトが続く」と告げられた。

・退役後の1956年にニュージャージー州プレザント・グローブでUFOを目撃して搭乗員の男女と会う。以後、金星や火星、木星、土星から来たという異星人と何度も会見し、UFOに同乗して金星や月の裏側にある基地を訪れた。妻も金星人の転生者だという。

<安井清隆>
・日本人。岡山市で語学塾を開いていた1960年4月23日の夜、満月の2、3倍はありそうな土星形のUFOを目撃。1週間後の30日午前4時すぎ、テレパシー通信を受けて戸外へ出たところ、3機のUFO編隊を組んで旋回しているのを目撃した。うち2機は姿を消したが、残る1機も導かれるようにあとを追った。

・UFOは総合運動場に着陸し、中から銀色のスーツに身を包んだ、2メートル40センチほどの長身でマスク姿の人間が現れ、両手を差しだしながら安井に近づいてきた。握手後、マスクをはずした男の顔は彫りの深いヨーロッパ系だったが、日本語で話しかけてきた。しばらく、会話を交わしただけで、最初のコンタクトは終わった。

・同じ年の10月30日、「富山県黒部市の宇奈月温泉近くの河原で待つ」というテレパシーを受信。11月1日の夕刻、黒部川で先に会見した男性と金髪の女性と遭遇した。男性はチュェレイと名乗り、それが母星の名でもあると語り、直径5〜6メートルの小型円盤への搭乗を許された。円盤は15分ほどで白馬岳の頂上付近に到着。直径30〜40メートルの円盤に乗り換えた。内部は操縦室、食堂、倉庫、会議室からなっていた。

・その後コンタクトは中断し、再開されるのは1970年2月。岡山市郊外でチュェレイと再会し、円盤で白馬岳の基地を訪問。全長60キロはあろうかという葉巻型の巨大母船の映像を見せられた後に、その母船へ案内された。母船は恒星間飛行に用いられるもので、内部には森や湖、山などがあり、建物が立ち並び、小型円盤が飛び交っていた。1971年2月末には、その巨大母船に乗ってチュェレイ星を訪問した。が、その後テレパシー通信はぱったり跡絶えてしまったという。

<ステファン・デナルデ>
・オランダ人実業家。1967年7月、オランダ南西部ウースタ―シェルトの沖合をヨットで航行中、海面に浮かんでいた異星人の宇宙船(水上艇)に乗り上げて異星人と遭遇し、乗船を許された。

・身長150センチほどの異星人はヒューマノイド型ではなく、顔の真ん中に窪みがあり、手は鉤状で、全身が薄褐色の毛で覆われ、獣じみて見えた。
 会話はテレパシーでなされた。彼らの母星は、地球から10光年彼方にある惑星イアルガで、自転速度は地球よりも遅く、重力は地球の約3倍。窒素やアンモニアからなる大気は濃密で、大気圏の雲が視界をさえぎっており、太陽光は見えない。

・そのイアルガ星へ、小型の円盤から高空に滞空する大型円盤に乗り継いで案内された。イアルガ星は海が大部分を占め、陸地は島だけで、それらは鉄橋で結ばれていた。石油タンクのような形状をした集合住宅が立ち並び、ひとつの建物の直径は約300メートル、高さは約135メートルで、約1万人が居住できる。
 ほかに自動機械化された農園、恒星間飛行用の大型円盤の建造工場なども見学してから、再び円盤に乗って地球へ帰還した。

<R・N・フェルナンデス>
・メキシコ大学教授。原子力委員会のメンバーも務める科学者。1972年11月14日、大学構内で異星人女性とすれ違った。身長190センチの長身で、瞳は緑色、黒髪の美女である。それより先、教授は女性の声で何かを訴えようとするテレパシー通信を受けており、異星人であると直感したのだった。

・その後、2度遭遇したものの、会話を交わすことなく迎えた1974年12月22日、彼女が「テレパシーでは通じないようなので、直接話にきました」と教授を尋ねてきた。彼女はアンドロメダ銀河からやってきたリアと名乗り、知的生命体の調査のために地球を訪れていると説明、近いうちに宇宙船へ招待すると約束した。

・それが実現したのは翌1975年4月22日だった。宇宙船は直径5メートルほどのドーム状円盤で、乗船するや、超高速で大気圏外に飛び出した。リアは宇宙空間に浮かぶ青い地球を見ながら、地球環境の脅威、遺伝子工学、反物質などについて語った。

・リアはその後、近い将来凶悪な異星人が地球に来襲する、という警告を残してアンドロメダ銀河へ帰っていった。

<宇宙飛行士が認めたコンタクトの事実>
・ならば、彼らの主張はすべて虚言や妄想の産物かというと、必ずしもそうではない。宇宙探査によってコンタクティたちの話が真実と判明したケースもあるからだ。

・かつてのアポロ計画にも注目したい。宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から、「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」などが月面に存在するらしいことが指摘されたからだ。それらはおそらくUFOの基地だろう。

・アポロ14号で月面に降り立ったエドガー・ミッチェルが2008年7月、「アメリカ政府は過去60年近くにわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言したことも、コンタクティに有利に働く。地球へ飛来している異星人が人類との接触を試みないとは考えられないからであり、すべてのコンタクト・ストーリーを荒唐無稽と斬って捨てるわけにはいかないのである。



『女神イシスの降臨』
古代エジプト神話の謎に迫る
大川隆法   幸福の科学出版   2011/8/9



<女神イシスの正体は、琴座、ベガ星出身の神秘の女神であり、古代エジプトの実在の歴史上の初代の王とも呼ばれているホルス王の母でもある>
・また、「オシリスの復活信仰はイエスの復活信仰の原型であり、古代エジプトに流れる、この神秘思想がキリスト教に流れてきた」という考えもありますし、「転生輪廻の思想も、このあたりから始まっていて、それが仏教に入っている可能性もある」という考えもあります。

・ハトホルとこのイシスとを、ほとんど同一視するような見方もあります。

<夫であるオシリスの腹違いの妹だったイシス>
<オシリスとイシスの子ホルスはエジプトの覇権を確立した>
<天照大神(あまてらすおおみかみ)とイシスの深い縁>
・天照大神は日本担当、イシスはエジプト担当として下りた。

・天照大神とイシスは「ベガの女王」。

・プレアデスは“顕教”ベガは“密教”を担当している。

・ケンタウルス座α星人の中には、映画「猿の惑星」に出てくる、猿が人間になったような外見の者もいる。



『妖怪文化入門』
  小松和彦      角川学芸出版   2012/6/22



<異人・生贄>
<「異人」とはなにか>
・「異人」とは、一言で言えば「境界」の「向こう側の世界」(異界)に属するとみなされた人のことである。その異人が「こちら側の世界」に現れたとき、「こちら側」の人びとにとって具体的な問題となる。つまり「異人」とは、相対的概念であり、関係概念なのである。
 ところで、「こちら側」の人びとが想像する「異人」は、おおむね次の四つのタイプに分けられる。

? ある社会集団(共同体)を訪れ、一時的に滞在するが、所用を済ませればすぐに立ち去って行く「異人」。こうした「異人」の例として、遍歴する宗教者や職人、商人、乞食、観光目的の旅行者、聖地への巡礼者などを挙げることができる。

? ある社会集団(共同体)の外部からやってきて、その社会集団に定着することになった「異人」。こうした「異人」の例として、戦争や飢饉などによって自分の故郷を追われた難民、商売や布教のために定着した商人や宗教者、共同体を追われた犯罪者、「異国」から奴隷などとして、強制的に連行されてきた人びとなどを挙げることができる。

? ある社会集団(共同体)が、その内部の成員をさまざまな理由で差別・排除する形で生まれてくる「異人」。前科者や障害者、金持ちや貧乏な人などが、この「異人」の位置に組み入れられることが多い。

? 空間的にはるか彼方の「異界」に存在しているとされているために間接的にしか知らない、したがって想像のなかで一方的に関係を結んでいるにすぎない「異人」。海の向こうの外国人や、はるか彼方の「異界」に住むという「異神」たちが、こうした「異人」のカテゴリーを形成している。

・こうした種類の「異人」たちが「異人」とみなされた社会集団の問題になってくるのは、当該集団がその集団としての「境界」を意識し、その集団の構成員とそれ以外の人びとを区別しようとするときである。人びとは「我々の集団・仲間」を作り出すために、その<外部>に「異人」を作り出すのである。この「異人」を媒介にして集団は結束し、その「異人」に対処する作法を編み出し、ときには歓待し、ときには差別や排除に及ぶことになる。

・異人論の先駆的研究として位置づけられる研究は、折口信夫のマレビト論であり、岡正雄の異人論であろう。
 折口の「マレビト」概念は彼自身が厳密な定義をおこなっていないこともあって難解であるが、その概念は二重構造になっていると思われる。一次的なマレビトは来訪神のことであり、二次的マレビトが共同体の外部から訪れる祝福芸能者のたぐいとして想定されている。共同体の人びとはこれと祝福芸能者を「神」そのもの、もしくはその代理人とみなすことによって歓迎し、その祝福を受けることで共同体の繁栄が期待されたのであった。すなわち、共同体の来訪神信仰との関係のなかで「異人」を理解すべきであるということを示唆したわけである。

<異人・生贄・村落共同体>
・すなわち、「異人」をめぐるテーマを検討していくと、その一角に「生贄」のテーマが現れ、逆に「生贄」のテーマをめぐって考察を進めていくと、その一角に「異人」のテーマが現れてくるからである。そして、この二つのテーマを媒介しているテーマが、「人身供犠」(人身御供)もしくは「異人殺害」という説話的・儀礼的モチーフであると言えよう。

・旧来の神に代わって山王社に祀られることになったのは、いかなる「神」なのだろうか、ということである。ここでの文脈で言えば「農耕神」としての山王神ということになるだろう。「しっぺい太郎」の昔話でいえば、外部からやってきた旅の僧などの「異人」や「人間の側の犬」が、そこに祀られていることになるはずである。

<「異人」と「家」の盛衰>
・その物語の一つが最近まで民間に流布していた、次のような物語である。これを私は「異人殺し」伝承と名づけた。「異人殺し」伝承は、怪異・怪談そして恐怖といった要素がたっぷり詰まった伝承である。
 旅人(六部や座頭、巡礼、薬売り)が、とあるムラのとある家に宿を求める。その家に泊めてもらった旅人が大金を所持していることに気づいた家の主人が、その金欲しさに、旅人を密かに殺して所持金を奪う。この所持金を元手にして、その家は大尽になる。だが、殺害した旅人の祟りをうける。



『山神を見た人びと』
 高橋貞子   岩田書院   2009/3



<東北文化史の古層へ>
・今では有名になった『遠野物語』ですが、当時これを評価したのは泉鏡花と芥川竜之助くらいで、多くの人は趣味本位の書物にすぎないと見ていました。しかし、この発刊が機縁になって、地方に埋もれた文化への見直しが始まり、やがて民俗学が生まれました。人々の語る伝承の比較によって日本人の歴史がわかるというのは、まったく新しい学問の誕生でした。

・遠野で、『遠野物語』が再発見されたのは新しく、昭和45年(1970)ごろからでした。岩手国体の実施に当たって、地域の文化を観光資源として活用することが図られましたが、その年はちょうど発刊60年にあたっていました。その後、遠野では民俗学資料に重点を置いた博物館、佐々木記念館を核にした伝承園、柳翁宿と柳田の隠居所を含むとおの昔話村、南部の曲がり家を移築した遠野のふるさと村といった施設を整備しました。

・『昔なむし』の巻末にある「岩泉地方の昔ばなしとわたくし」には、幼少時に昔話を聞いた思い出から、家業と子育てをしながら採集と執筆を行った様子が書かれています。店先や汽車の中が聞き書きの場であり、夜中や早朝が原稿用紙に向かう時間だったのです。書くことへの執念と信頼が、こうした貴重な資料集を生みだしたのです。

<山の神に出遭った人>
・岩泉の向町の佐々木亥之松(いのまつ)さん(明治生)は、20歳だったある日、山仕事で山中に入りました。奥山まで行ったとき、いきなり樹の間から顔の真っ赤な大柄の人が出て、ずいと顔を合わせました。「あ、あー」とおどろいた亥之松さんは、後退りました。ところが、相手は亥之松さん以上におどろいた様子で、うろたえながら樹の蔭に隠れました。

・さあ、亥之松さんは転がるようになって家に戻ると、
「その顔はらんらんとして燃える火のようだった」
と家の人に話したきり、40度の高熱を出して寝込んでしまいました。
 高熱はなかなか下がりません。亥之松さんは重態でした。あまりのことに家の人は、神子さまに、ご祈祷を頼んでお宣託を聞きました。
 お宣託は、
「山中で出遭った顔の赤い人は、山の神だったのです。
山の神は<木調べ>のために山中を歩いておられたのです。人間に見られてはならない姿を見られて、山の神もおどろかれたのでしょう。亥之松さんの病は、40日間病床に臥せば恢ります」
と、告げました。
 そのご、ほんとうに亥之松さんは40日間でもと通りの健康体にもどって、そのあと長生きをして生涯を終えました。

<山男にさらわれた娘>
・田野畑村田代の南という家に、名をハツエと呼ぶ美しい娘がおりました。ある日、ハツエは、手籠を持って春菜を摘みに出かけたまま、突然、姿を消しました。
 家族はもちろんのこと、村中が総出となって探しましたが、ついにハツエを見付ける「ことはできませんでした。ところが、その日から十数年たったある日、村のまたぎ(狩人)が山中でハツエを見ました。

 ハツエは、ごつごつとした岩の上に座って、長い髪を櫛でとかしていました。またぎはおどろいて、「ハツエではないか」と、声を掛けました。

 ハツエもまたぎを見ると、おどろいた様子で、なつかしそうに涙をはらはらと流しました。やがて、
「あの日、山男にさらわれて山女になった。あのころのハツエではない。今は山女なれば、おいらに出会ったことをだれにもしゃべるな。もし、しゃべったら、われの命は無いと思え」
 こう言うと、さいごは恐ろしい形相となって威しつけました
またぎは、
「だれにも一切しゃべらない」
と、約束をしました。ハツエは、
「約束を破れば、3年のうちにお前は死ぬぞ」と、更に威しました。
またぎは秘密を抱えて山を下りましたが、心の中は平らではありませんでした。だんだん体の調子まで悪くなるようでした。こらえかねたまたぎは、ついにある日、ハツエと出会った一部始終を、村のだれかに話しました。
 またぎはだんだんやつれてきて、青白くなって死にました。山女に出会って3年以内のことでした。

<人身御供とヒヒ>
・遠い昔のことです。小本海岸の波鼓が舞のあたりに巨大な松の古木があって、その枝に強そうなヒヒ(マントヒヒの異称)が腰掛けていました。そこは浜通りとして人びとの往来するところでした。
ところが、よく人隠しがあって、突然、人が見えなくなってしまう騒ぎがありました。
「なんでもあのヒヒが人を食うらしい」と、人びとは恐れました。
 村人たちは相談の結果、若い娘を人身御供にヒヒに差し出して、ご祈祷をすることになりました。
若い娘は毎年一人ずつ、裸にされてヒヒに供えられました。のちにその娘たちの魂を鎮めるために「人殺神社」が建立されましたが。明治以前に廃社になったということです。

<天狗山から鼓の音>
・小川の国境峠に天狗山があります。海抜654メートル。昔から天狗の隠れ住む山と伝えてきました。
今でも国境集落の人びとは、
「トン、トン、トン、トン」
と、天狗山から鳴り出す鼓の音を聞いています。
 やがて鼓の音は、集落を囲んで立つ峰から峰をわたり歩いて、
「トン、トン、トン、トン」
と、鼓の音を聞かせるといいます。
 鼓の音は、四季も時刻も関わりがなく、いつ、どうともなく聞こえ出すようだと、国境の人びとは気付きました。
「きっと、天狗様は、ご自分の所在を知らせたくて、鼓を打つのだろう」と言い合って、鼓の音を聞くと、どんな仕事をしていても手を休めて戸外に集まり、天狗山を眺めるということです。

<天狗に殺された12人の神楽団体>
・天狗森は、猿沢の奥にあって、昔は天狗が隠れ棲んでいた深い森でした。近くの与一屋敷では、あるとき神楽宿をしたのですが、朝には、12人の神楽団体全員が死んでいました。与一屋敷の人は全員無事でしたが、この一大事に気付きませんでした。

・その夜、真夜中の与一屋敷に天狗が舞いおりて、神楽衆の一人ひとりの口に息を吹き込んで殺したのでした。人間は天狗に息を吹き込まれると、即、死ぬといいます。その方法は、天狗は鼻が高いので、人間の頬に頬を近寄せて息を吹き込むと伝えていました。
 猿沢の武田博さん(昭和4年生)は、少年時代に与一屋敷跡に行ってみました。そのときの与一屋敷跡には、土台石や腐った建築材が見えたので、そんなに遠い出来事ではないと思ったそうです。

<ツチグモと呼ばれた種族>
・遠い昔、この地方をはじめて開拓したころ、われわれと別にアイヌとツチグモがいました。アイヌは狩猟をして山で暮らしていましたが、ツチグモは極端に小さい体で、山野に穴を掘ってその中に隠れ住んでいました。
 穴の入口に木の葉や草を被せていましたが、とても獰猛でアイヌや村人が通ると、いきなり襲って穴の中に引きずり込んで、猟物や食料を奪い、衣類を剥ぎ取りました。ツチグモはとても怖かったということです。
結局、ツチグモは絶滅したのですが、ツチグモを退治したのはアイヌでした。



『プレアデス星訪問記』 
上平剛史  たま出版   2009/3



<宇宙太子との再会>
・それは、私が故郷である岩手県に住んでいた16歳のときのことである。

<葉巻型巨大宇宙船へ>
・「葉巻型母船は長さ4キロメートル以上で、太さは一番太いところで、直径7、8百メートル以上あります」

・「この母船はひとつの都市機能を持っており、ありとあらゆるものが備わっています。生き物のような船であると言っても過言ではないでしょう」

・なんと、これでも中規模程度の母船らしい。10キロメートル、20キロメートル、さらにそれ以上の大きさの地球人類には想像もできないほどの巨大な母船も存在するという。この母船では縦横およそ50メートルおきに道路が設けられ、階層は最も厚いところで40〜50層になっているそうである。母船の中に公園や山河まであるらしい。この母船で生まれ育ち、一生を過ごす者もいるそうである。

・宇宙人にはそれぞれ母星があるが、母船には母星の都市機能が備わっており、母星の社会がそのまま存在している。母船の惑星としての役目を果たすため母船が故郷となる者もいて、そういった者は、ある意味で、母星で暮らしている人間よりも精神的に進化しているらしい。

・「この母船には我々プレアデス星人だけでなく、様々な星人が協力のために同乗しています。地球人類がグレイと呼んでいる宇宙人もいます。もっともグレイは我々が遺伝子工学、バイオ化学、宇宙科学を駆使して造ったロボットでしたが、今では宇宙や特定の星の調査など、さまざまな分野で活躍しています。他にも爬虫類、鳥類、魚類、昆虫、植物などの生態から進化した人間もいます」

・「この母船は、最大収容能力は5千人ですが、現在は4千人くらいでしょう。ただ、乗せるだけならば、1万人は乗せられるでしょうが、常時生活して長く滞在するとなると5千人が限度です。食料やその他の問題がありますからね。この母船には、ここで生まれた子供たちを教育する係もちゃんといるのですよ。子供達が大きくなれば、母星の学校や他の進んだ星へ留学する場合もあります」

・UFO研究家で有名な韮澤潤一郎氏も「微に入り細に入る教訓的宇宙オデッセイであり、近頃には珍しい詳細な本物の体験記であると思う」と記している。

・だれしも、ある時夢での宇宙をさまよったこともあるのだろうが、本書によって、しばし宇宙旅行を楽しまれることをおすすめする。



『遠野物語事典』 
(石井正巳) (岩田書院)2003/7



<山の神>
・背丈は「丈高き」「背高く」。顔色は、「顔は非常に赤く」「顔は赤く」「顔はすてきに赤く」「面朱のような」とある。眼の光は、「眼は輝き」「眼の光かがやける」背が高く、顔が赤く、眼が輝くという点でパターン化している。


「山男」
・遠野郷の民家の子女にさらわれる者が多く、特に女に多いという。「女は、恐ろしい人にさらわれたが、その人は、背が高く、眼の色は凄く。生んだ子供を持ち去ってしまうものの、仲間と連れ立って食物を持って来てくれるという」。「山里で髪の長い美しい女を撃つ」証拠として、黒髪を持ってきたが途中で眠くなり、背丈の高い男が取り返して立ち去ったと見ると眼が覚める。その男は山男だろうという。

「山女」
・「山女は、ぼろぼろの着物を着ているが、色白で長身、長い黒髪を持ち、あでやかである。幼児のいる母親でもある。飛ぶように走ったり、記憶をなくさせたりする特異な力を持つが、銃弾には倒れる。人恋しいかのように里人の前に現れるが、その特異な力や叫び声、大きな笑い声のため、里人にとっては、非常に恐ろしく、恐怖で病死する者もいる。
山女が現れる場所は、遠野地方の東にある六角牛山。白望(白見)山などの山中である。六角牛山は、女神が住んだと信じられた遠野三山の一つである。



『日本人はなぜ狐を信仰するのか』
松村潔     講談社   2006/2/20



<日本中にいる稲荷狐>
・稲荷神社は、日本全国で十数万社あるとされる神社の中で、そのおよそ3分の1を占めると言われているから、膨大なシェアである。無格社さらに個人的に設置された屋内の社などもいれると、国内で一千万を超えているという話もある。江戸時代の「伊勢屋、稲荷に犬の糞」ということばは稲荷神社があまりにも多いことを示したものだが、いまでも各家庭に稲荷神社が残っている地方もある。誰でも身近なところを歩くと、必ず稲荷神社を見つけることができる。有名な稲荷神社の門前には稲荷神社を作るための大小さまざまのキットを販売している店が必ずあるので、予算と好みにあわせて、家内に稲荷神社を作ることもできる。稲荷の勧請は許可が不要なのが特徴でもあるので、今日からでも稲荷神社を設営できるのである。

<子どもの頃見た狐の嫁入り>
<狐の姿をまねる>
・昔から西欧人は、日本人の稲荷に対する姿勢に違和感を抱くようだ。キリスト教国からきた外国人たちには、キツネを尊敬したり“崇拝”したりできるなどと考えることを、頑として拒絶することである。彼らにとって、宗教という言葉は、唯一の、人間の形を具有した神の崇拝にしか、あてはめることができない。それは、キリスト教の全能的支配によって“原始的”と言われるあらゆる形の自然力崇拝が、ほとんど完全に滅ぼされてしまったからである。

<母と狐は一体化したもの>
・狐はたいてい女性的。この中でとくに有名なものの一つが、陰陽師の安倍晴明の母狐であったという話である。

・英雄的な人物の母は異界の存在という神話の類型がここに生きているのだが、この話が長く残る背景として、日本人にとっての普遍的な母は、現世には存在せず、自然界の背後に深く埋もれているという構造になっていることがあげられる。倫理学者の菅野覚明は、しのだづまのような「他界妻」のモチーフが日本の民族文学の基本主題をなしているという折口信夫説に付け加える形で、日本人の心の構造には日本神話の伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の物語の元型が根づいていることを強調する。

<動物は母なる自然からの使者>
・安倍晴明の母、葛の葉狐と、日本人全員の母イザナミが重ねられて、イザナミに会いたいと毎日泣いているスサノオと、母に会いたいと泣く幼少の安倍晴明がそのまま同一の構造で語られることになるのだが、こうした日本古来の集団的な精神構造は、当然日本人全員に訴えかけるものがある。狐はこうした日本の集団的な心の構造にすでに組み込まれた特別な意義を持つ記号であると考えられる。

<イザナギとオルフェウスの類似性>
・弓月君に引き連れられた秦氏が、新羅経由で日本に大量移民をしたという経緯もある。秦氏と行動範囲が近く、シルクロードを縦横に移動していたソグド人の絨毯も広隆寺に残されている。ギリシャ・ローマの神話が持ち込まれ、そのまま日本に伝わっても不思議ではない。

<秦氏とは何者か>
・秦氏は、巨丹(新疆ウイグル自治区ホータン)の生まれであると言われる弓月君が引き連れて3世紀に日本に渡来した氏族集団である。

・1県を1千人として、総計12万人という膨大な人数が、日本側の援助もあって、3年間かけてやっと渡航し、はじめは九州北部に至った後、全国に広がっていったと伝えられる。大規模な移動だったので、歴史的にも資料はかなり残っており、とくに九州北部の宇佐地区や、京都の山城地方に多く関係資料が残されている。

 秦氏はさまざまな技術をもたらしたと言われている。たとえば九州北部・近畿の銅山と関係していると見られていることから、新羅系統の青銅技術、養蚕とセットになった絹織物の生産技術、芸術・算術・建築などである。

・全国の神社総数十数万社のうち、秦氏の神を祀る神社は八幡系4万社、稲荷系4万社、松尾、出石等その他加えて9万社。つまりは日本の神社とその信仰は大多数を秦氏が作ったと考えてもいい面がある。とくに京都の松尾大社は秦氏の氏社である。

<秦氏と稲荷の関係>
・肥後和男は、農耕民族の神である稲荷を秦氏が商売用のトレードマークとして利用したのではないかと述べている。たとえば、今日でも、動物のシルエットを企業のマークにしているものは多数ある。

<なぜサルタヒコは醜いのか>
・稲荷大明神は、荷田氏の御神体である竜頭太やサルタヒコなどの混合であるが、歴史的に後でとってつけたようにサルタヒコを入れたことにその根拠を疑う人もいる。

・サルタヒコは現実に想像しにくい風体をしている。容貌は魁偉で鼻の長さは七咫。長い口髭をはやし、目は八咫の鏡のように爛々と輝き、身長七尺余の神通力のある神様である。咫というのは上代の長さの単位で、手のひらの下の端から中指の先端までの長さを言うのだから異様に大きい。一方竜頭太も、竜のような顔をして頭上に灯りを持つというから、これもなかなか想像のつきにくい姿をしている。

<辻の神様>
・辻の神様と言われているサルタヒコは、道ばたの地蔵菩薩とよく結び付けられる。ギリシャでは旅人の道案内の神様、あるいは越境の神はヘルメスである。商人merchantという言葉は、ヘルメスのラテン名メルクリウス(マーキュリー)からきていて、惑星の水星の作用とも結びつけられるが、ヘルメスはエジプトでは猿神のトートであった。サルタヒコ、猿丸、猿女など、この越境あるいは物質的、精神的両面での道案内的な役割の存在に、猿のイメージを使うというのは日本だけではないということである。ヘルメスの支配する商業というものも、基本的にはそれぞれの地域、あるいは専門分野を越境し、価値の置き換えをする流通産業をあらわしているので、秦氏が積極的に発展させていった。伏見稲荷の商売繁盛というテーマは、辻の神様としてのサルタヒコとかなり親和性が高いということも気にとめておきたい。

<管狐>
・土地神様のお使いとしての狐と関わるのにどういうことが行なわれていたのか。もちろんいまでも多くの人が行っているお供えを置くという方法もある。しかしこんなおとなしい手段でなく、もっと積極的に関わる方法として、わざと狐憑きになるという風習が長く続いた。また狐を使役するという考えも存在していたようだ。比較的よく知られているものに「管狐」というものがある。

・管狐は、毛皮を脱いで人の腹の中に住むと言われている。管狐に腹の中へ侵入された人は、腹の中から声が聞こえる。また腹に入った管狐は宿主が病になり死にかけると、腹を食い破って、次の宿主を見つけ出す。まさに映画の『エイリアン』そのものだ。
 ハワイの伝統宗教フナを参考にして現代版にリニューアルされた技法では、低自我は腹にいるので、それにジョージなどという名前をつけてコミュニケーションするというワークショップをしていたようだが、管狐が低自我なのか、あるいは低自我に、ブースターとして取り憑いた装置が管狐なのかはよくわからない。

・イギリスなどでは腹がすいたという時に、ブラックエンジェルが騒いでいると言い、胃あるいは腹はブラックエンジェルという象徴があてはめられている。

<霊狐>
・大正時代に活躍した心霊家、西村大観は、たいていの狐憑きは迷信であり、心霊的な「幻映」のあらわれに過ぎないというが、それでも霊狐そのものは存在すると主張している。霊狐というのは、実在の動物の狐とは違い、文字通り心霊的な狐であり、神様の代理として、人の夢の中にあらわれたりする。霊狐は管狐のように生々しい現世的な欲望を刺激するものではなく、伏見稲荷大社の狐のように知恵を授けたりするし、そもそもそのふさふさした尻尾が宝珠とみなされてもいた。

・管狐は、地域によってイヅナとも言う。長野県の飯綱山が発生地だからである。飯綱というと、「飯綱の法」という呪術などを思い浮かべる人もいるのかもしれない。というのも戦国武将の上杉謙信や武田信玄などは飯綱信仰で有名だからだ。

<現代では憑き物はこっくりさんに変換>
・問題なのはこのこっくりさんに熱中した小学生や中学生に、時々何かに取り憑かれたような現象が起きることだ。精神科の雑誌などでも、このこっくりさんに関する論文が掲載されることがあるという。
 神奈川の中学で起きた事件では、放課後のクラブ活動でこっくりさんをした後、ある女子が、「背中が重い、何かが乗っかってくる」と泣き出し、「霊が呼んでいる」と叫んだ後、部屋を飛び出して走り去る。もうひとりはコンクリートの壁に女性の影を見て、次に体が重くなり、「地獄へおいで」という女性の声を聞く。この二人目の女子は、4階にある教室の窓を開けて窓枠に登ろうとしていたところを、ようやく追いついた別の生徒に押さえつけられて部屋に戻された。一年後ほかのクラスで、やはりこっくりさんと同類のエンジェルさん占いをしたところ、狐の霊が取り憑いて普段とは違う声で喋り出すという女子が出てきたり、また憑依現象が続発して、精神科を受診したが、受信時は多重人格状態に陥り、症状が消えるまでは一ヵ月半の入院が必要だったらしい。

<仲介者的な存在>
・『ポイマンドレース』が語るもうひとつの重要な項目は、世界は神が作ったのではなく、神の作り出した「造物主」が創造したという項目だ。神は直接世界創造に手を染めていないが、神はアントローポスすなわち人と、そして造物主を作った。人は造物主の作り出した世界を覗きにやってくる。つまり人は世界を作らない。人が世界とかかわるには、その間に造物主が関与しなくてはならない。また反対に人が埋もれてしまって自力で脱出できなくなってしまった世界から、人が救済されるには、救済の仲介者としてのソフィアの助けが必要になる。しかしソフィアは人が本来戻ってゆく場所までついていくことは許されていない。
 こうした思想の中に、人と神以外の、神の代理人としての第三の役割というものが想定される。それは造物主であり、人を救済するソフィアである。これまで述べてきた、神と人の間には、必ず仲介者として狐などが関与しなくてはならないというものも、類似した話である。

<世界卵と蚕>
・伏見稲荷大社の祖である秦氏はそもそも蚕産業で財を成した氏族であり、富士山近辺の秦氏の痕跡を見るまでもなく、秦氏の足跡のあるところ蚕産業が拡がっている。京都の太秦はもともと秦族の本拠地ということで名づけられたわけだが、そこには秦氏の中でもっとも著名な秦河勝が直接関与した広隆寺がある。

<狐の本性>
・アヌビスに通底する動きを持った日本の稲荷狐は、基本的には、人とそうでないもののつなぎ、あるいは門の機能だが、かなり多層的な性質があるといわざるを得ない。本書では次のような内容を説明してきた。

1、狐は自然界=母の国への導きである。安倍晴明の母、葛の葉狐の伝承。

2、狐は死の領域への道案内である。中沢新一によると、稲荷のあるところ、たいてい墓所でもあった。

3、神道系では、穀物神であり、富をもたらす。秦氏の展開した商売の繁栄においての護り神である。

4、宝珠をくわえた霊狐は、修行者へ知恵をもたらす。

5、稲荷神社に祀られたサルタヒコの関連で、異なる領域のものを持ち込む越境の神。わたりをつける。

6、巫女と一体化して、妖術や呪術、性的な神儀に関与する。

7、通常の女性的なアイドルのような扱いも受けている。

8、原始宗教的稲荷においては、土地の力ゲニウス・ロキあるいは土地神のブースターとして活用され、たいていこれは万能な役割を与えられている。

9、狐憑きは、神様との仲介者として、預言をする。

10、管狐は、人を惑わすが、また物質的な御利益ももたらす。

11、仏教系稲荷では、女性力としてのシャクティが昇華され、女神として働くダキニの力を運んでくる。

12、カバラの図式で推理すると、生命力のリミッターをはずして、強力な推進力や達成力を与える。

13、エジプトのアヌビスと共通している狐は、死後の世界への導きとなる。

14、精神と物質の間の接続をする。狐あるいはアヌビスは、思いを形にし、また形に縛られた心を開放する方向の橋渡しをする。

15、玉藻前の伝説のように、この精神と物質の行き来が行き過ぎると、欲望にとらわれ、悪念に幽閉される。しかし極端に行けば行くほど、逆転も起きやすい。

16、狐とアヌビス、ガブリエルという関連では、過去に忘れた罪なども思い出させる。因果を明確にする。

17、秦氏の稲荷縁起から考えると、自分を世界に結びつけ、その環境の中で生きる道を作る。

18、猿女やエジプトのアヌビスの神官たちの関連で、魔除けなどにも関わる。衣服ということに、大きな関わりがある。

・そのうえで、全部をまとめて一言で言うならば稲荷狐とは「異界との接点」ということになるだろう。穀霊としての生産性というのは、異なる領域からわたしたちの領域に力が持ち込まれることで、創造を果たすのだから、これもまた異界との接点ということであり、死はこちらから向うへという創造のベクトルの逆回しだ。だから、生産性と死の門というのは表裏一体なものである。



『大いなる秘密  爬虫類人(レプティリアン)』
デーヴィッド・アイク 三交社  2000/8



<68光年の彼方から火星経由、地球にシュメール文明を打ち立てた金髪碧眼のアルデバラン星人>
・ドイツの研究者ヤン・ファン・ヘルシンクは、その著書『20世紀の秘密結社』のなかで、「ヴリルとトゥーレの両秘密結社は、1919年12月ベルヒテスガーデン・ロッジで、マリア・オルシックとシグルンという二人の霊媒を通じて、異星人との交信を試みていた」と述べている。ヴリエウ・ソサイエティー関連の資料によると、それらの通信は、地球から68光年の距離にある牡牛座のアルデバラン太陽系の二つの惑星からなる「スメーラン」帝国とのあいだで行われていたという。

・同資料の説明を続けて紹介しよう。アルデバランの人々は、明確に二つのタイプに分けられているという。一つは光の神と呼ばれる金髪碧眼のアーリア支配種であり、もう一つは気候変動によって遺伝子的に劣化した、いく種かの亜人類である。5億年以上もの昔、アルデバラン太陽は、膨張とともに、すさまじい熱線を放射し始めた。そのため「劣等な種族」は、居住可能な他の惑星へと避難させられたという。そしてついに光の神アーリア人種も、母星からの退去を余儀なくされたのであった。このような経緯で我々の太陽系にやって来た彼らは、まず最初に惑星マローナを占領した。

・惑星マローナはマルドゥクという名でも知られており、ロシア人やローマ人はこの惑星をパエトンと呼んでいた。火星と木星の間、現在のアステロイド・ベルト軌道にあったとされるこの惑星は、古代シュメール人の言う惑星ティアマトに相当している。その後、金髪碧眼のアルデバラン星人は火星に植民し、続いて地球へと下りてシュメール文明を打ち立てた。・・・少なくともヴリル・ソサイエティーの人々はそう信じていた。

・ヴリル・ソサイエティーのチャネラーたちによると、シュメール語はアルデバラン星人の言語であり、その音は「不可解なドイツ語」のようであるという。そして、ドイツ語とシュメールーアルデバラン語は波長が同じであるとも彼らは信じていた。

・彼らのテーマはこうだ。金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となった。彼ら支配種は高度なシュメール文明の発祥にインスピレーションを与え、この地球に純粋な血流を植えつけた。以来このgodsは、地下都市から地上の人類をコントロールし続けている。

・しかし、一つ言い忘れていることがある。それは、アーリア人のなかにはレプティリアンの血流が潜んでいるという事実だ。ブラザーフッド内部の者から聞いた話だが、レプティリアンは金髪碧眼の人間の血を必要としており、アーリア支配種の純粋性を維持するというナチスの教義はそのためのものであったという。

・トゥーレ協会の名は、伝説の都市ウルティマ・トゥーレに由来している。このウルティマ・トゥーレは、アルデバラン太陽系からやって来たアーリア人が最初に、入植したという北方の大陸、ヒュペルボーリアにあったと言われている。
 さらにまた、このヒュペルボーリアは、アトランティスやレムリア(ムー)よりもずっと以前の大陸だったとも、アトランティスそれ自体であったとも言われている。はたまた地球の内部にあったという説すらある。

 

『日本古典文学全集 御伽草子』
校注・訳 大島建彦     小学館   1974/1



<『梵天国』>
・「金泥の『観音経』を、三千三百三巻書かせてさしあげましょう」と祈られたところが、七日目の明け方に、たいそうけだかいお声によって、「こちらえ」と呼び寄せられたが、見ると、仏殿に当たる所に、香の衣に、同じ色の袈裟をかけて、たいそう立派な高僧がいらっしゃる。あの浄名居士が方丈の間に三万六千もの仏の座を並べたのも、さこそと思われて、たいそう尊くて、どこにいったらよいかもわからない。高僧が、重ねて、「そこへそこへ」とお招きなさったので、御前にかしこまっていらっしゃると、「どうかな、これは、おまえの願うところの、孝行な子であろうぞ」と、磨いた玉を取り出し、そのまま、大臣の左の袖にお移しなされるとごらんになったところで、夢がさめた。

・父のご供養には笛を吹き、梵天・帝釈天までも、おもしろく思われるほどに、とうかうたいの上でたむけられた。七日目の午の刻ごろに、紫の雲が一むら、天から下ってきたのを見ると、天女と童子とが十六人、王の冠をかぶり、金の輿をかついでいて、そこから立派な役人が一人、天降りして、侍従に向かい、お涙を流して、「おまえが七日の間吹かれた笛が、ただちに梵天国へ通じ、孝行の心根のたぐいない深さを、上は上品上生から、下は下界の龍神までも、お聞き入れなさったのだ。私は、一人の姫をもっている。来る十八日に、床を清め、静かにして待っておられよ。姫をあなたにさしあげよう。私こそは梵天王なのだ」とおっしゃって、紫の雲は立ち上がっていった。

・十八日の月がようやく清らかに上って、千里万里にわたり明るい夜である。たいそう香り高い風が吹いて、花が降り、よいにおいのただよう中から、十六人の童子が玉の冠をかぶって、金の輿をそばに寄せて見ると、十四、五歳くらいの姫君が、額には天冠をつけ、身には王の飾りを垂れ、金の沓をはき、紅の袴の端をひきずるようにはいて現われたが、その何もかもなまめかしく美しいことは、ことばでは言い表わせそうには思われない。

・ただ今の牢につながれていた者は、羅刹国のはくもん王という者である。姫が七歳の年から、奪い取って一の后につけようとねらっているということを聞いて、四天王に相談して、天や地を逃げまわるのを追いつめ捕えておいたのだ。

・「おそらく姫は、はくもん王が奪い取り、羅刹国へ行ってしまったであろう。この米を食べたために、神通力を得て、鎖をも踏み切ったのだ」

・ちょうどその時に、この世の人とも思われない、頭髪は上方へ生え上がり、色が黒く、背の高い者がおおぜい集まって、吹いたものは優雅なことだと、ひどく感動して聞いていた。「いかにも、これは日本国の人であろう」などと言う。「この国はどこか」とお尋ねになると、「これこそ羅刹国で、この国のご主君は、はくもん王」とお答えした。

・「はくもん王が日本国の人々をば敵とおっしゃるので、この国へは入れないのです。よく気をつけて、日本国の者とはおっしゃいますな、修業の方」と申し上げた。

・ところで、隣の国のけいしん国の帝は、りうき王と申したが、はくもん王へ勅使をさしあげ、お招きになる。「承知した」と答えて、千人の軍勢で、三千里走る車に乗り、后に向かっては、「修行者に笛を吹かせ、お気晴らしなさい」とおっしゃり、「五十日目には、かならず帰って参りましょう」とおっしゃった。

・「ぜひ連れてお逃げください。三千里走る車には、はくもん王が乗っていきました。二千里走る車があるので、これにお乗りください」とおっしゃって、車寄に出ていって、中納言のお袖を引かれる。

・三千里走る車に乗って、飛ばせられたので、一瞬のうちに飛んで着いた。

・中納言は、このようないやな都にいつまでもいたくないというので、急いで丹後へ下られて御年八十という年に、姫君は、成相の観音とおなりになる。中納言は、久世戸の文殊となられて、いっさいの生物をお救いなさるのである。



『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎』
飛鳥昭雄  三神たける  学研     2011/5/11



<ニギハヤヒ命>
・読むとわかるが、ここに描かれたニギハヤヒ命は、まさに大王である、記紀においてはまったく無視された降臨神話がドラマチックに描かれている。すなわち、九州を出立したニギハヤヒ命は配下の32神と25部の物部氏一族を引き連れて、幾内は河内国の河上にある哮峰に降臨。大和国の鳥見にある白山に進出して、自らの王国を築いたというのだ。

・問題は、ここ。ニギハヤヒ命が築いた王国は物部王国であって、神武天皇が開いた大和朝廷ではないという点である。物部氏が歴史的にも封印された理由も、実はここにある。同じ天津神の末裔を主張しながらも、物部氏は大和朝廷以前に、まったく別の王国を築いていたのである。

<物部王国「日本」>
・なぜ海から見ての方角をもって地名としたのか。これに関して『先代旧事本記』には興味深い記述がある。物部氏の祖であるニギハヤヒ命は、河内に降臨する際、天磐船(あめのいわふね)に乗って大空を駆けめぐった。同記述は『日本書紀』にもある。ニギハヤヒ命は空から眺めて、眼下の国を「虚空見つ日本国(やまとのくに)」と命名したというのだ
 天空を駆けめぐる船とは、飛行機やUFOを連想させるが、あくまでも現実的な史実の反映と見なすならば、海を渡ってきたと解釈できる。



『魔界と妖界の日本史』
上島敏昭  現代書館  2009/3



<河童の霊験で河川を改修させた、合羽屋川太郎没す(西暦1814年)>
・東京都台東区の巨嶽山曹源寺は「かっぱ寺」の愛称で知られる。『曹源寺誌』によれば、このあたりは土地が低くて水はけも悪く、雨が降ると近くを流れる新堀川はたちまち出水し、住民は非常に難儀した。これを見兼ね、私財を投じて、新堀川の改修を行ったのが、雨合羽屋を営む喜八、通称「合羽屋川太郎」だった。この工事には、かって喜八に命を助けられた隅田川の河童たちが手を貸し、その姿を見た者は不思議と商売繁盛したという。喜八は文化十一年(1814)一月二三日に没し、曹源寺に墓碑が残る。また、河童たちは「河童大明神」として、境内の「河童堂」に祀られた。
 新堀川に架かる橋を「合羽橋」、その通りを「合羽橋通り」というのも、この伝承によるが、このとき河童たちがどんな工事をしたのかは、よくわからない。

・喜八を手助けした「河童」とは、猿曳きの一党である「鳥越のもの」の末裔だったのかもしれない。

・商売繁盛の守り神としての河童大明神の霊験は、いまでも生きているようだ。



「鬼」 (高平鳴海、糸井賢一、大林憲司)(新紀元社)



<鬼はなぜ童子とよばれるのだろうか?>
童子とは、つまり元服前の稚児を示す言葉だが、童子はいわば蔑称で、時の支配者らが用いた言い回しである。鬼は確かに人々を驚かしていたが、その力を認めたがらず、下っ端=目下の者=童子と呼んだそうです。

<日本の伝承に残る鬼として>
・桃太郎の鬼(温羅)(うら)
・蝦夷の鬼王(悪路王)(あくろおう)
・有明山(信州富士とも呼ばれる)の鬼族(八面大王)(長野県の伝承)
・黄泉より還りし悪鬼(大嶽丸)(おおたけまる)(三重県鈴鹿山近辺の伝承)
・霊の化身(鬼八法師)(きはちほうし)九山岳地帯の伝承
・飛騨の怪人(両面宿儺)(りょうめんすくな)

・「伊吹弥三郎」と「伊吹童子」の伝承(岐阜県北部伝承、日本書紀、御伽草子に登場)近江の伊吹山にいたとされる伊吹弥三郎は、創造神という顔と、魔物=鬼という顔がある。伊吹童子はその息子だという。

・天邪鬼(あまのじゃく)(人々に親しまれた小鬼)(和歌山県串本町の伝承)

・同胞を助けた「赤鬼」(せっき)出自は安倍晴明物語。



「河童の文化誌」 平成編
和田寛  岩田書院  2012/2



<平成8年(1996年)>
<河童の同類とされている座敷童子(ざしきわらし)>
・ザシキワラシ(座敷童子)については柳田國男の『遠野物語』によって知られていたところである。

<アメリカのニューメキシコ州の異星人の死体>
・回収された異星人の姿は人間によく似ているが、明らかに地球人ではない。身長1.4メートル、体重18キロ前後、人間の子供のようだが、頭部が非常に大きい。手足は細長く、全体的に華奢。指は4本で親指がなく、水掻きを持っている。目は大きく、少しつり上がっている。耳はあるが、耳たぶがなく、口と鼻は小さくて、ほとんど目立たない。皮膚の色がグレイ(灰色)であるところから、UFO研究家は、この異星人を「グレイ」と呼ぶ。

・異星人グレイと河童を並べてみると、素人目にも、そこには多くの共通点を見出すことができるだろう。
 まず、その身長、どちらも1メートル前後、人間のような格好をしているが、頭部だけがアンバランスなほど大きい。
 大きな目に、耳たぶのない耳、そして、小さな鼻穴と、オリジナルの河童の顔は、そのままグレイの顔である。
 最も注目したいのは、その手である。
先述したようにグレイは河童と同じ鋭い爪、水掻きがある。おまけに指の数が、どちらも4本なのだ!。
 また、グレイの皮膚の色は、一般にグレイだが、ときには緑色をしているという報告もある。
 河童の色は、やはり緑が主体。ただ両生類ゆえに皮膚はアマガエルのように保護色に変化することは十分考えられる。

・これらが、意味することは、ひとつ。アメリカ軍は、組織的にUFO事件を演出している。
 捕獲した河童を異星人として演出しているのだ。



「最新! 秘密結社の謎」  世界の裏側で暗躍する組織の実態を暴く
知的発見探検隊    イーストプレス   2011年7月15日



<エコロジーを実践しカッパとの共生をはかる「下総カッパ団」>
・下総カッパ団は、1724(享保9)年、下総国印旛村の豪農、安田伝兵衛によって設立された人間とカッパの親睦団体だ。大の相撲好きだった伝兵衛が印旛沼で出会ったカッパのシンサクと偶然相撲をとって勝ったことで、意気投合。カッパと人間の共生を目的として旗揚げされた。設立当初は、うなぎ釣りや川相撲、水泳などの各種の催事を開き会員数は増え続け、最盛期には300名もの会員数を誇ったという。

<ナチスを生みだした秘密結社トゥーレ協会>
・ナチスは1926年から1942年まで毎年、チベットや中央アジアに遠征隊や調査団を派遣しました。何を探し求めていたのかといえば、アガルタです。
 アガルタとはフランスのオカルティスト、J・A・サン=ティーヴ・ダルヴェードルが詳しく紹介した一種の桃源郷です。
 彼はその死後の、1910年に出版された『インドの使命』という著書で、世界の中心に当たるアジアの地下深くに不可視の王国があると述べています。

<グレート・ホワイト・ブラザーフッド>
<神智学協会やゴールデン・ドーンを生んだ謎の集団>
<多くのオカルト結社に影響を与えた存在>
・ブラヴァツキー夫人が神智学協会を創立する際、多大な影響を受けたとされているのが、ヒマラヤで出会ったグレート・ホワイト・ブラザーフッドだ。

<未知の上位者との交信で真理に近づく>
・グレート・ホワイト・ブラザーフッドは、太古の昔より天界や宇宙の超存在と交信し、授かった智恵で人類を導き続けてきたという。
・交信できるのは、マスター(導師)と呼ばれる一部の者だけで、そうそうたる人々の名が連ねられている。超存在が何者であるかは不明だが、その導きに従えば、人間の内に秘められた真理に近づけるとされる。

・こうした神秘性を高める構造は、オカルト系秘密結社でよく見られる「未知の上位者」のシステムと呼ばれる。

・オカルト要素に満ちたグレート・ホワイト・ブラザーフッドは、未知の上位者からの情報を伝えることで、そのカリスマ性を維持していた。

<地球外生命体の正体>
<地球を揺るがす秘密をNASAと秘密結社が隠蔽>
<エリア51には宇宙人がいっぱい!?>
・地球には既に知的な宇宙人が到来しているという説がある。そして、宇宙人とアメリカ合衆国とNASA既に接触しているというのだ。
・また、ネバダ州にあるアメリカ空軍の実験施設エリア51周辺ではUFOらしき未確認飛行物体が何度も目撃されている。
・そして、エリア51には極秘裏にロズウェル事件の残骸が運び込まれ、地球外生命体から得た技術でUFO研究が行われ、リトル・グレイと呼ばれている宇宙人が存在しているなど、様々な憶測が飛び交っている。

<信じられている噂><地球外生命体を隠し続けるNASA>
・NASAは実は地球外生命体と既に接触しているという噂が後を絶たない。
 NASA中枢には根強い秘密隠蔽派が存在し、秘密結社と結びついて、これまでの発見や地球外生命体に関する情報を隠し続けているというのだ。



『21世紀の民俗学』
畑中章宏    角川書店   2017/7/28



<UFO学のメランコリー>
<人は地球外に魅せられる>
・2016年は、「宇宙」にまつわる展覧会、映画等を目にする機会が多かったような気がする。

・「Soleil Noir」店の紹介映像でグラッソは、「パラドックス(反語的)」な表現が自らの作品のキーワードであり、それはタイトルにも反映されていると述べる。「未来の記憶」や「未来の考古学」、さらには現代の神話・伝説を意味する「ancient alien(古い異邦人)」という言葉を口にし、そのうえで、「UFO学」という魅力的な概念を提示するのである。

・美術館にある過去の作品の中に、UFOや奇妙な現象、あるいは異星人といったモチーフをだれかが読み取ったり、妄想を膨らませていたかもしれない。いわば、“UFO学”とでもいうべき可能性を考えてみたかったのです……。

<200年前に漂着したUFO>
・ローラン・グロッソには、1803年(享和3年)に現在の茨城県の太平洋岸に出現した「うつろ舟」を素材にした作品がある。タイトルは「1803、虚舟、常陸国で発見された未確認物体」で、「1803」の文字が光るネオンサイン、舟の形をしたテレコッタ、浜辺に漂着した謎の舟と謎の女と取り囲む人々を描いた油彩画からなる。「宇宙と芸術展」では、この作品を制作した際、グラッソが参照したであろう、江戸時代の奇譚集や瓦版の挿絵も展示され、その不可思議が耳目を引きつける。
 当時の記事や図譜から素描すると、うつろ舟は鉄製で、蓋付きの浅い丼鉢のようなかたちをし、小さな窓があり、箱を持った女性が乗っていた。また船内には、解読不能の文字らしきものが書かれていた。海から漂着した謎の舟を人々は恐れて、再び海に流してしまったという。
 うつろ舟の正体については、未確認飛行物体(UFO)説、潜水物体説、ヨーロッパからの来訪説、謎の神説、噂や伝聞、創作説などがある。民俗学では「かがみの舟」とも呼ばれ、柳田国男は、荒ぶる常世浪をかきわけて本土に到着したと伝わっていることから、「潜水艇」のようなものだったのではないかと想像している。

・茨城県の北部地域で開催された「茨城県北芸術祭」(9月17日〜11月20日)でも、インドネシアのアーティスト、ヴェンザ・クリストが、日立市川尻町の小貝ヶ浜に「虚舟ミニミュージアム」を開館していた。クリストの展示は、開催地周辺に伝承されるうつろ舟の資料を分析するとともに、茨城県在住でUFOを目撃したという人々へのインタビューなどから構成される。

・このミニミュージアムが建つ小貝ヶ浜緑地の南端の高台には、「蚕養神社」が鎮座する。社号が示すとおり、豊蚕祈願に信仰されてきた神社で、「小貝ヶ浜」は「蚕養ヶ浜」でもあったことがわかる。この神社は「日本三大蚕神社」のひとつで、ほかの二つはつくば市の「蚕影山神社」と神栖市の「蚕霊神社」で、三社とも茨城県にあり、しかも「金色姫」の物語が伝承されている。
 その昔、常陸国の豊浦に、繭のかたちを丸木舟が流れ着いた。この舟に乗っていた金色姫は天竺国の王女で、継母のいじめから逃れて、日本にやって来た。地元の夫婦が大切に育てたが、ある日、別れを告げるとともに、養蚕の技術を授けて天に昇った……。まさにうつろ舟伝説を思わせる話である。しかしそもそも、うつろ舟が動力をもち、また「空を飛んできた」と証言する資料は存在していない。

<河童の妙薬>
・日本列島の各地には、「河童の妙薬」といって、骨接ぎ、打ち身、熱傷に効く、河童が人間に伝えた薬がある。日本人には、西洋医学や反西洋医学のお世話にならなくても、山伏や坊主、河童がよく効く薬を与えてくれたのだ。
 柳田国男の少年時代の愛読書だった赤松宗旦の『利根川図志』(1858年)には、河童が貧しい百姓に温湿布のつくり方を教えたという伝承が記されている。利根川河口に貧しい百姓の親子が住んでいた。あるとき、父親が足をくじいてしまうが、貧しい親子には薬を買うお金がなかった。利根川の河童の女親分である禰々子(ねねこ)は、彼らに薬草を渡し、湿布薬のつくり方を教えた。禰々子(ねねこ)に言われたとおり、親子が湿布を十三枚貼り替えると足は完治した。その百姓の村は「十三枚」と呼ばれるようになったという。
 また新潟市の猫山宮尾病院に伝わる「河童の妙薬」もよく知られる。昔々、京ヶ瀬村の「猫山」というところに悪戯好きの河童が住んでいた。河童は馬をいじめたり、作物を盗んでは喜んでいた。それを見かねた宮尾家の先祖が、河童の腕を切り落とし、証拠として持ちかえった。それから7日目の晩、河童は「家伝の薬で腕が元に戻るが、7日を過ぎると薬が効かなくなる。もう悪戯をしないので、腕を返してほしい」と懇願した。河童が腕に塗り体にあてるとみるみる腕がくっついていった。河童はたいへん喜び、お礼に家伝の薬を教え、川へと戻っていった。
 深緑色の粉末を水で溶き、耳たぶくらいの硬さになるまで練ってから和紙にのばして患部に張る湿布薬「猫山アイス」は、1989年(平成元年)に製造中止になるまで、打ち身やくじきの良薬として用いられてきた。

・ワイオミング州ジャクソンホールにある民族医療研究所のエグゼクティヴディレクターを務めるポール・アラン・コックスが、ポリネシアの薬草医は土地固有の病気についての膨大な用語をもつと同時に、ヨーロッパ人から伝えられたものについてはまた別の異なる用語をもっていることをサモアで発見し、論文にしているという。
 また絶滅危惧言語においては、植物相と動物相に関して、西洋科学で知られているより何百種類も多い分類がされていることがよくあり、フィリピンのミンドロ島に住む焼畑農業をするハヌノオ族は、土の種類について40の表現をもつ。東南アジアの森にすむヒーラーは650種類もの薬効成分を特定しているという。コックスらによれば、キニーネ、アスピリンなどは、先住民族に案内され、情報提供された民族植物学者のおかげで一般的な治療薬となったというのだ。
 日本の修験山伏や浄土真宗の門徒も、もしかすると河童も、偉大な科学者だったといえるだろう。宗教や民間信仰は、決して非合理なものではなく、植物学的な知識に基づき病に対処する知性と野性を併せもっていたのである。

<河童に選挙権を!>
<異形の「正義」>
・わたしのかねてからの主張に、「妖怪は実在する」、あるいは「妖怪は実在した」というものがある。そもそも柳田国男の『遠野物語』に登場する河童や天狗、ザシキワラシ、雪女、山男や山女はその目撃談、経験談から、実在したものであることは疑いえない。
 しかし、列島上の妖怪の代表格とみなされる、「河童」と「天狗」とでは、その実在のありようが大きく異なる。

・天狗にかんしては、先住民族や山林生活者とおぼしき「異人」「山人」を常民の尺度からみた生命体であり、また山岳宗教者である修験山伏の性格や能力を反映した存在であるという解釈が唱えられてきた。そうした従来の天狗イメージに対して、天狗の実在を疑う人にわたしがよく話して聞かせるのは、柳田国男の『幽冥談』(1905年)のなかの挿話である。
 池原香雅という歌人があるとき、播州にある宇野の野道を歩いていると、ひとりの旅の僧と出会った。道連れになり、いろいろ話をしながら歩いていたが、「あなたはどこへお出でになるのですか」と聞いたところ、「私はあすこの穢れた村を焼きに行くのだ」と言う。

・それがために今までは普通の旅僧と思って話をしておったが、非常に驚いて物も言えなくなってしまった。かの旅僧は、あれを御覧なさい。あすこに燈火が二つ点いている、右の方の光りは非常に清らかだが、左の方の光りは穢れていると言うから見たけれども分らない。それであの村を焼いてしまわなければならぬというて、ちょいと指したところがたちまち村は焼けた。

・柳田は驚くべきこの天狗の仕業に対し、「これらは事実であろうと思う」とコメントする。さらに池原香雅は、1877年まで生きていたので、天狗と出会ったのもその4、50年前だから、そんなに古い時代の出来事ではないと言う。そうして柳田は、「その時分にもそういう不思議なことを、我々が目撃することがあったのである」と納得している。
 池原が出会った天狗の行動は、山人・異人や修験山伏よりもかなり強烈で衝動的だ。

<「忘れようとしても思い出せない」>
・6年前の3月11日。午後2時46分ごろ、わたしは東京都文京区のファミレスで、これまで体験したことのない強い揺れを、2回感じた。関西出身で地震に免疫がないうえ、阪神・淡路大地震を経験していないわたしは、2度目の揺れで、テーブルの下に潜り込んだ。しかし、周りの客は意外と冷静で、スマホを見て震源や被害を調べているし、店員も「このビルは安全ですから」と触れ回っていた。
 それからしばらくして、靖国通りに出ると、サラリーマンやOLが、ビルから溢れ出ていた。しかしほとんどの電車が止まっているらしく、大勢の人が大通りを歩き出していた。神保町のスポーツ用品店では、店頭でスニーカーの安売りを始めていた。隅田川べりの部屋にたどり着くと部屋中に本が散らばり、その間に猫が怯えたようにうずくまっていた。そうして3日後の月曜日には、まだ余震があるにもかかわらず、ほとんどのOLがハイヒールを履いていた。

・わたしたちはいったい、あの日に何を失い、何を得たのだろうか。非・当事者であるわたしは、何を心に刻みこんできたのだろうか。記憶の風化がとりざたされ、「忘れてはいけない」「思い出すべきである」と、人々は口ぐちに言う。またいっぽうで、「震災のことは早くに忘れて、前に進め」と促す人々もいる。6年前の記憶が薄らいだだけではない。あれから、広島市で土砂災害があり、御嶽山が噴火し、鬼怒川が氾濫し、熊本では地震が起こった。



『幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー』
NHKエンタープライズ   NHK出版    2014/5/30



<江戸時代に現れた謎の円盤と美女>
・江戸時代後半、天下泰平のさなか、鹿島灘(茨城県南部)に円盤型の乗り物が漂着。出てきたのは、日本人とは思えない謎の女性。宇宙からの使者なのか?

<常陸国に「うつろ舟の蛮女」現る>
・アメリカで「空飛ぶ円盤」が最初に話題になったのは、第2次世界大戦終結直後の1947年。日本では、それより120年も前に、円盤型の乗り物と、そこから現れた女性についての記録が残されていた。「うつろ舟の蛮女」と題する記録である。時は享和3年(1803)、江戸時代後期の天下泰平のさなか、江戸からおよそ100キロメートル離れた鹿島灘、現在の茨城県南部の海岸に、空飛ぶ円盤のような乗り物が流れ着いた。

<円盤状の乗り物、船内には解読不能の文字>
・この円盤状の乗り物には、上部にガラス製の窓があった。下部は鉄でできていた。そして、船内には解読不能の謎の文字が書かれていたという。
 乗っていたのは美しい女性で、日本のものとは思えない衣装をまとっていた。髪は赤毛で、腰まで伸びる白いつけ髪をしている。手には大事そうに箱を抱え、誰にも触らせようとはしなかった。

<最新資料を再検証すると………>
・平成24年(2012年)4月には茨城県で、円盤状の乗り物と女性が描かれた江戸時代の絵図が発見された。そのほかにも、実際に起きた事件として報じた当時の瓦版。東北の武士が江戸での噂をもとに記した日記。愛知県では、馬琴のものとはまったく異なる色使いで描かれた風聞集が見つかっている。京都でもメモ書きのように記された資料が発見された。

<古くからの伝承がもとになっている>
・事件から約120年後の大正時代、これらの共通点から謎を解き明かそうとしたのが、民俗学の大家、柳田國男だった。彼は大正15年(1926)に発表した論文「うつぼ舟の話」で、古来日本には、海を越えて漂着し、人々に何かをもたらした神々の伝承が多く、そしてその神が乗る空洞の乗り物を“うつぼ舟”と呼んだと言っている。
 古来からの伝承がもとになっていると推測する一方、絵図については真っ向から切り捨てている。
 舟の中に書いてあったという4つの“異形文字”が、今ではもっとも明白に、この話の“駄法螺なること”を証明する。世界のどこにもない文字だというのだ。
 この乗り物が外国から来たのであれば、実在する文字に似ているはずだと、柳田は考えたのである。

<UFO&宇宙人説が戦後浮上>
・戦後になると、柳田國男の時代には存在しなかった、空飛ぶ円盤の世界的なブームが到来する。そして、乗り物の中に書かれていた文字が地球上にない文字だとしたら、宇宙から来たと考えるべきだ、という新説が登場した。うつろ舟は空飛ぶ円盤であり、乗っていた美女は宇宙人というわけである。
 突飛な話に思えるが、そもそも日本には、1000年以上も前から、空に怪しい物体が飛んでいたという話もある。舞台は、聖徳太子の時代、奈良・飛鳥の里である。飛鳥寺の竣工式が行われているときに異変は起きた。一筋の紫雲がたなびき、蓮の花のような形をしたものが仏堂を覆った。そして、五色の光を放ち、西方に飛び去ったというのである。
 謎の円盤は、昔から日本に現れていたのだろうか。

<1枚の瓦版が出処だった?>
・岐阜大学の田中嘉津夫名誉教授は、史料を整理・分析し、「うつろ舟の蛮女」の真相を探ろうとしている。

・田中名誉教授は、瓦版がかなり初期の資料だとにらんでいる。さらに、瓦版の絵をもとに、謎を解く手がかりとなる資料を見つけだした。瓦版に描かれた女性と、よく似た雰囲気の女性が描かれたお札があるのだ。実は、このお札の女性も、鹿島灘に流れ着いたと伝えられている。その名は金色姫。日本に養蚕をもたらしたと伝えられている女神である。金色姫と円盤漂着事件には、どのような関わりがあるのだろうか。

<円盤漂着事件の裏舞台>
・鹿島灘からほど近い星福寺は、かつて金色姫を本尊としていた寺で、今も本堂の裏に大切に祀られている。その金色姫の像は箱を手にしていて、中には蚕が入っているのだという。
 箱を持つ女神像は、日本ではきわめて珍しい。円盤漂着事件は、この金色姫の話がもとになって作られたものと考えるのが妥当だろう。

<金色姫のお札に馬琴の別名が記されていた>
・さらに田中名誉教授は、金色姫のお札に、もうひとつ謎を解く重要な鍵を見出した。お札に書かれた文章の作者が、「曲亭陳人」となっていたのだ。これは、曲亭馬琴の別名である。
 整理してみよう。1825年、馬琴が人から聞いた噂話として「うつろ舟の蛮女」を書く。話の出処と考えられるのは瓦版だ。そこに描かれる女性のモデルと考えられるのが金色姫。そして、その金色姫のお札にも馬琴の名が書かれている。

・田中名誉教授は、瓦版も馬琴が書いたのではないかと考えている。確かにその可能性が高いのかもしれない。もし、そうだとしたら、すべてが馬琴がしくんだことなのだろうか……。
 馬琴が生きた江戸時代後期、妖怪の話や絵図が出回るなど、人々は日常とかけ離れた異界の存在に、強い関心を抱いていた。鎖国が200年近く続くなかで、人々は海の向こうからやってくる見知らぬものに、想像と憧れを膨らませていたのだ。
 海の向こうから流れ着いた不思議な乗り物に乗った美女――。人々がこのミステリアスな話に熱中し、噂が広まることによって、数多くの記録が残ることになったのかもしれない。
 しかし、当時の人々は、一体どこから、このような奇抜な形の乗り物を発想したのだろうか。



『UFOに乗った! 宇宙人とも付き合った!』
僕のコンタクティとしての半生の記録  
津島恒夫    ヒカルランド   2014/12/17



<「空船(うつろぶね)の事から現在の漂着地名を固定>
・享和3年3月24日、常陸国「原舎浜」というところに、異船が漂着した。その船の形は中が空のお釜のようであり、真ん中あたりに釜の刃のようなものがあった。そこから上は黒塗で、四方に窓があり、障子はすべて樹脂で固められていた。下のほうは筋鉄が施されており、どうやら南蛮鉄の最上品のようであった。

・船全体の高さは1丈2尺(約3.6メートル)、横の直径は1丈8尺(約5.4メートル)。この中に年齢20歳くらいの女性が1人いた。身長5尺(約152センチ)、雪のように白い肌で、長い黒髪が背中に垂れ、とても美しい顔立ちであった。

・これまでは「はらやどり浜」「原舎浜」などの地名の特定ができず、折口信夫や柳田國男の考察では“伝承”とされてきました。しかし、2010年末に茨城県水戸市内の書画収集家が京都で入手した新史料が発見され、そこに「常陸原舎り濱」とあることから、江戸時代の常陸国鹿鳴郡に実在し、伊能忠敬が作製した『伊能図』(1800年調査)掲載の地名で、現在の神栖市波崎舎利浜にあたることがわかりました。

・またその後、田中教授は長野県の古書収集家が所有していた別の史料を発見。絵に関してこれまでの史料と共通点が多く見られるが、事件現場の地名については従来の史料にある「常陸の国」でなく「房州の湊」と書いてあると言います。                                                                                                                                                                                                                                            

・こうして事象が事実となってくれば、あとはそれをどう解釈するかです。そして、私はシャクティと名乗る琴座人から、驚愕のテレパシック・コンタクトを受けました。なんと、彼によれば茨城県から千葉県にまたがった海岸沿いにかつて巨大な秘密基地が建造されていたというのです。そしてここにはたくさんの宇宙人が住んでいたが、1800年から縮小されていき、基地内のほとんどが故郷の惑星に帰りその後、少数の利用があるだけとなったとのことです。



<●●インターネット情報から●●>

『茨城新聞』 2014/5/26

<UFO「うつろ舟」漂流地名浮上「伝説」から「歴史」へ一歩>
1803年(享和3年)、常陸国の海岸にUFO(未確認飛行物体)のような奇妙な物体と1人の女性が漂着したという江戸時代の伝説「うつろ舟奇談」に関する新史料に、漂着地の実在地名が記されていた。地名は「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)。これまで特定されずにいた漂着地が浮かび上がったことで具体性が増し、「伝説」は「歴史」に一歩近づいたと言えよう。事件の真相解明へ、連鎖的な史料発掘の可能性や検証機運が高まることは間違いない。(鹿嶋支社・三次豪)

■研究のハイライト
「今までの研究の中でもハイライト。まさか実在の地名が出てくるとは」と驚くのは、「うつろ舟奇談」研究で第一線を走る岐阜大の田中嘉津夫名誉教授。三重大特任教授の川上仁一さん(甲賀流伴党21代目宗家)が甲賀流忍術を伝える伴家の古文書とともに保管していた文書について、「うつろ舟奇談」に関わる史料であることを田中氏が発見した。

文学者の渋沢龍彦(1928〜87年)も同伝説をモチーフにした短編小説で「銚子から平潟にいたる今日の茨城県の長い海岸線のどのあたりに位置する村なのか、一向にはっきりしない」と記すなど、これまで漂着地の特定が困難とされてきただけに、今回の発見は研究者らが待ち望んでいた“大きな一歩”と言えるだろう。

■定住者いない浜
それでは、今回漂着地として浮かび上がった舎利浜とは、当時どういった地だったのだろうか。「波崎町史」(1991年)によると「舎利浜は鹿島灘で地曳網漁が発展する明治五年に初めて定住者が現れたというから、江戸期には地字としては分かれていても、定住する者はなかったのであろう」とある。

現在の舎利浜も砂浜続きで人気は少ないが、風力発電の巨大風車が並ぶ風景を望むことができる。近くに、大タブの木、木造釈迦涅槃像のある神善寺(神栖市舎利)がある。また、神栖市内には、天竺から金色姫が流れ着き養蚕を伝えたという伝説の残る蚕霊神社と星福寺(ともに同市日川)もある。

田中氏が、2010年に水戸市内で見つかった「うつろ舟奇談」の史料の中の女性の衣服が、蚕霊尊(金色姫)の衣服と酷似することを発見し、2つの伝説の関連性を指摘していたことも、神栖と「うつろ舟奇談」との結びつきの意味で興味深い。

■当時の大きな話題
事件があった1803年は開国前で、日本近海では外国船がしきりに現れ、常陸国の浜でも小船に乗った外国人が上陸する事件などがあった時代。異国船打ち払い令が出されたのもこの頃で、こうした社会情勢も伝説と関連付けて考えることができる。

田中氏によると、これまで全国で見つかった「うつろ舟奇談」の史料は11編。

田中氏は「これほどあちこちから多くの文書が見つかるということは、当時大きな話題を集めた出来事だったのではないか。舎利浜の発見で、ますます魅力的になった」とし、「米国の『Roswell』(「UFOが墜落し回収されたとして有名な地)のように、『Sharihama』はいずれ世界的に知られるようになるのでは。神栖市、茨城県、日本が世界に誇る民俗資産」と強調する。

★うつろ舟奇談に関わる史料
「南総里見八犬伝」で名高い読本作者、曲亭馬琴の「兎園小説」(1825年)や長橋亦次郎の「梅の塵」(同年)などで、絵入りで伝説が記されている。民俗学の巨人、柳田国男も論文「うつぼ舟の話」(1925年)を書いている。

<●●インターネット情報から●●>

<蚕霊神社>
千葉県小見川町から小見川大橋で利根川を渡り、息栖大橋で常陸利根川を渡って茨城県神栖町に入るとすぐに、県道260号線に向かって右折します。県道260号線をしばらく走り、バス停「萩原公民館」を過ぎると左手奥の方に、こんもりとした森がみえます。それが、蚕霊神社です。
 鳥居の下にある「蚕霊神社由来」によると、“孝霊天皇の5年(紀元前286)の春3月。豊浦浜(日川)の漁夫権太夫は、沖に漂う丸木舟を引き上げてみると、世にも稀な美少女が倒れていた。少女は天竺(インド)霖夷国霖光の一女金色姫。……”とその由来が書かれています。神栖町歴史民俗資料館の資料によると、“神栖町の日川(にっかわ)地区は、欽明天皇の時代(6世紀中頃)に金色姫がインドより養蚕を伝えた養蚕発祥の地と言い伝えられています。この地区にある蚕霊山千手院星福寺と蚕霊神社はもともとは一体のもので、養蚕の神として人々の信仰をあつめていました。『南総里見八犬伝』などで有名な滝沢馬琴も星福寺発行のお札を見て、衣襲明神(きぬがさみょうじん)の錦絵の文章を書いています”とあります。



『大統領に会った宇宙人』  (ペンタゴンの宇宙人極秘報告)
(フランク・E・ストレンジズ) (たま出版)  1996/12



<地表付近に存在する103機のビクター・クラス宇宙船の直径は約90メートル>
<『ビクター・クラス防衛区域』>
・ビクター・クラス宇宙船の直径は約90メートル、ふちの部分の高さは7メートルだが、次第に高くなり中心部では約30メートルになる。常時乗船している乗組員はおよそ2百人。およそ103機のビクター・クラスが地球の地表付近に存在し、約287ヶ所の地点を行き来している。

・最初のビクター・クラス宇宙船が地球を訪れたのは、6千年近く前のことだ。ビクター・クラス宇宙船は、いずれもはるか大型のスター・シップ内で慎重に建造された。他に小型機も多くの種類がある。

・バルと副司令官たちが、イエス・キリストによって直接任命されたことを乗組員たちは知っている。この人間型の金星人は、かってアイゼンハワー大統領と会見したといわれている。



『光のアカシャ・フィールド』 超スピリチュアル次元の探究
よしもと ばなな × ゲリー・ボーネル 徳間書店  2009/7/23



<エイリアンは我々にテクノロジーを与えてくれます>
・−今、よしもとさんが言った話は、異次元から来る異次元人みたいな感じでしょうか。その人のイメージ体系に合わせて出現するみたいな、別の星からではなくて、地球の次元の違う所にいろんな人がいて、それが知の起源というか、文明の起源だという研究が民俗学の方ではあるんです。日本では「異人(まれびと)」といっていた。これは折口信夫が研究していました。そういう違う次元から来る異人(まれびと)と星に起源を持っている宇宙人とは違う気がするんですが、ゲリーさんはそういう区別をつけているんですか。

よしもと;たくさんのテクノロジーをユミットが教えてくれてるのね。

―そう、惑星ウンモ(地球から約14.5光年離れた恒星イウンマの周りを公転)から来た地球外生命体ユミット(=ウンモ星人)のことです。書いた人は、フランス国立科学研究所(CNRS)で主任研究員を務めていたジャン=ビエール・プチさんという優秀な科学者ですけれども、彼は、ウンモ星人からもらった手紙をもとに、いろんな研究を発表して、正統な科学界でも評価されたサイエンティストなんです。その方が、論文のニュースソースはウンモ星人だとはっきり書いている。プラズマ推進の装置やUFOの飛行原理とか、いろんなテクノロジーを宇宙人からの手紙で受け取った。実際にそういう人がたくさんいて、プチさん自身も受け取っています。

よしもと;情報源を明かす勇気ある人もいるわけですね。

―それらの手紙は、45年間6000通にも及ぶと言われています。手紙に書かれていたものすべて難解な情報を分析したその本は、フランスでベストセラーとなり、大論争になりました。

―アメリカ政府もそれもかなり知っている中で、伏せているという話です。プチさんは、手紙から得た情報をもとに磁気流体力学(MHD)という推進原理を論文に発表していますが、アメリカはそれを技術応用して、UFOのような軍事用飛行機を開発済みであることも指摘しています。

ボーネル;エリア51というのは、ご存じですね。そこにはもう「パルセーション・ウェーブ・ジェネレーター」というものがすでに存在しています。イオンを使ったものです。

―航空機よりも上。先ほど少しふれたプチさんの磁気流体力学を応用した飛行体のことです。衝撃波を解消して宇宙空間でも到達できる航空機型の宇宙船なんです。

ボーネル;ふだんから幽霊は見えますし、精霊たちも見えるし天使も見えるんだけど。宇宙船というのはエーテル状のものだと信じていたので、地球物理学というものは応用できないだろうと思いこんでいました。地球物理学に従わないならば、宇宙船というのはエーテル状のものであろうと思っていたんです。でも、はっきりした固形物だったので、まるで幽霊に遭ったような気がしました。

ボーネル;僕は一回だけUFOを見ました。もし一緒に車に乗っていた人がいなかったら、多分、僕はUFOを見たとは思わなかったと思います。非常に伝統的なものでして、音もなく、空中に浮いていてヒュッといなくなりました。


<●●インターネット情報から●●>

一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute
ウンモ星人事件

the Ummo Affairs
《UFO》

【本文】
 1960年代に始まったもので、「ウンモ星人」を名乗る何者かが主としてヨーロッパのUFO研究家、神秘主義者たちに書簡や文書による通信を行っている事件。
 「ウンモ星人」を自称する者がこうした研究家等に送った文書によれば、ウンモ星は乙女座の方向に約14.4光年にあるイウンマ(Iumma)、地球の天文表でいうWolf424の惑星で、重力は11.9グラム(地球は9.8)、最大直径7251.608キロで回転軸は黄道から19度ほど傾斜しており、1日は32時間である。現在の地球の天文学ではWolf424は温度が低すぎるので、その惑星に生命が生じることはないと考えられているが、「ウンモ星人」によると、恒星周辺の宇宙塵のため観測値に誤りがあるという。
 この恒星系の「ウンモ星人」は、外見上北欧系の白人に似て金髪であるが、身体の一部に色が変わりやすい部分がある、脳は灰白質が白質より17%多い、身体の一部に色が変わりやすい場所がある、16歳になるとたいていの場合咽喉が退化して声がほとんど出なくなるため人口声帯を埋め込む、などの特徴を持っており、嗅覚は地球人よりはるかに鋭敏で、手の皮膚は掌で光を感じるほど敏感だが、その反面指や手首に強い衝撃が加わると感覚器官に深刻な衝撃が生じるという。

 「ウンモ星人」は、1934年にノルウェー国籍の船舶が発したモールス信号を1949年になって受信し、1950年4月に、フランス・アルプスのラ・ジャヴィ近くに着陸したという。その後マルセイユに短期滞在した後、スペインや西ドイツ、オーストラリアなど各地に分散したという。
 この「ウンモ星人」なる者からの文書を最初に受け取ったのは、スペインのコンタクティー、フェルナンド・セスマと確認されており、その後、アントニオ・リベラ、ラファエル・ファリオロス、ホセ・ルイス・ホルダン・ペーニャといった、主にスペインのUFO研究家、神秘主義者にウンモ星人から文書が送られるようになり、その後はフランスのジャン=ピエール・プチやジャック・ヴァレも文書を受け取っている。
 「ウンモ星人」の文書には、漢字の王を縦にしたような独特の紋章が記されており、科学や政治、社会など様々な問題を扱っている。また1967年6月1日には、スペインのサン・ホセ・ド・ヴァルディラスで、「ウンモ星人」の紋章を付けたUFOの写真が撮影されている。

 他方、ジャック・ヴァレやエメ・ミシェルは、「ウンモ星人」が身を潜めていた洞窟があるというラ・ジャヴィを訪れたが、そこには洞窟はなく、またサン・ホセ・ド・ヴァルディラスのUFO写真についても、模型を糸で吊るしたものと判明している。
 こうした状況を考えると、ウンモ星人事件というものは、ある程度の規模の人数が関与したいたずらと考える方が自然であろう。ただし、「ウンモ星人」の書簡自体は現在も届けられており、事件の詳細は完全には明らかではない。

【評価】
 基本的に、ウンモ文書を巡る一連の事件は、地球人グループによる捏造と思われる。ただしその首謀者やネットワークの全容は明らかになっていない。 当然ながら、最初に通信を受けたフェルナンド・セスマ、ホセ・ルイス・ホルダン・ペーニャ、さらにはエンリケ・ヴィラグラサ、ラファエル・ファリオルスといった、初期に通信を受けたスペイン人関係者の関与が強く疑われており、実際ペーニャは1993年に自分が主犯であると認めたとも言われる。
 他方、ウンモ星人の文書は、時にはサウジアラビアなど通常の入国が困難な場所から発信されていたり、1954年にスペインのアルバセーテで起きた猟奇事件の真相などにも言及しており、それなりに手の込んだ内容となっている。
 当初事件を作り上げた者たちとは別に、世界各地に模倣犯が生まれている可能性もある。

【参考】

●ジャン=ピエール・プチ『宇宙人ユミットからの手紙』徳間書店

●マルチーヌ・カステロ、イザベル・ブラン、フィリップ・シャンボン『宇宙人ユミットの謎』徳間書店

●ジャック・ヴァレー『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』徳間書店
『NEXUS』,Vol11,No.2



『渋澤龍彦綺讀集2』 
 (日本文芸社)   1991/11



<(うつろ舟)>
・ 女は、年のころ二十ほどに見えて、色白きこと雪のごとく、まなこ青く、燃えるような金髪あざやかに長く後ろに垂れ、その顔のふくよかに美麗なることは、譬えんばかりもなかった。唐人のきるような軽羅と袴を身につけているが、これが西洋婦人であることは、疑うべくもないといっても、常州の漁民に一度として、西洋婦人を見たためしとてはなかったから、海の彼方から忽然として現れた金髪碧眼の若い女に彼らは、ひとしく肝をつぶした。むろん、言葉が通じるわけでもないので、いずこの国のものかと女に問うすべもない。ただ遠巻きにして、こわごわと、ガラス障子の中の女をながめているよりほかはなかった。



『江戸『うつろ船』ミステリー』 
  加門正一   楽工社   2008/12



<「うつろ舟」>
・今からおよそ200年前の江戸時代、享和3年(1803年)に起きた不思議な事件を伝える古文書が残っている。その古文書に記された事件は、常陸国(ひたちのくに)(現・茨城県)の海岸にUFOそっくりの形をした「うつろ舟」が漂着し、船の中には見知らぬ文字が書かれていて、美しい女性が一人乗っていた、というものだ。しかも、同じ事件を伝える文書はひとつだけではなく、現在までに複数のものが見つかっている。

・「なぜ江戸時代の古文書にUFOそっくりの乗り物が載っているのか?」という謎の最終的な解答は、いまだ得られていないのである。



「前世体験」 時間を越えて、新しい自分に出会う
(波音宏祐) (KKベストセラーズ)1994/1/1



<「私たちは過去を再構築している」>
・現代物理学の宇宙では、見る人、見る時によって無数の宇宙が存在しますから、私たちが過去を思うとき、それは過去を思い出しているのではなくて、その時点で過去を再構築していることになるのです。つまり思い出すたびに異なった宇宙にある、異なった過去にアクセスしていることになります。

・ さらに、過去や未来が変わることによって、現在も変わる可能性があります。

<過去を書き換えるとどうなるか>
・ 現代物理学では、現在を基準にしていつでも別の過去や前世を選ぶことができます。つまり、過去や前世を書き換えることができるのです。

・ 現在の自分に影響を与えている過去や前世を書き換えることによって、自分の現在を変えてしまうことができるのです。もし、何か悩んでいることがあったら、その悩みが解決できることになります。

・ 催眠誘導瞑想による前世体験は、この前世の書き換えを可能にします。催眠誘導瞑想によって、普段は無意識に構築している自分の前世を意識の上にのぼらせ、それをもう一度体験し直したり修正を加えます。そうすることによって、その次からその前世を無意識に再構築するときには、その新しい前世を再構築することができるのです。

・ 結局のところ、私たちはいつでも、どこでも、つまり時空を越えて、前世、過去、未来、来世を自分で作り出したり、書き換えたり選びなおしたりすることができる能力を持っているのです。

・ 「バック・トゥー・ザ・フーチャー」というハリウッド映画がありますね。まるで映画のようなことが本当にできるというわけです。

・ 現代物理学を使って、過去や未来を書き換えられる可能性について述べてきました。しかし、これは現代科学で証明されたことではありません。あくまで、ひとつの理論です。というよりも現状の現代科学でこれらの問題を正しいとも間違っているとも証明するのは不可能なのです。



「前世2」 
家族に起きている今の出来事は前世からつながっている
 (浅野信) (たま出版)2003/5/1



<カルマ>
・カルマは、基本的に心の法則です。カルマ=行為の元に魂があります。だからこそ、人は肉体を超えて、生まれ変り続けることができます。物理的な行為自体は、一つの動きであり、現象に過ぎず、その場で消えてなくなりますが、影響は本人の魂に残ります。
カルマは、日本では、一般に「業」と記されていますが、その意味から「因果」、「縁起」とも関連しています。これがいわゆる「因縁」です、一般には、「因果応報」、「業報」で、これこそが生まれ変りを貫く法則です。

・人は前世において、自ら作ったカルマによって生まれ変り、そのカルマを果たすために今世を生きています。それが人生をそれ相応に彩っていき、ともに運命めいたものとして、実感されることもあります。けれども人はただ、カルマを果たすためだけに生まれてきているのではありません。カルマを果たしつつ、さらにカルマを超え、霊的成長を図りながら絶対者たる神に還っていくために転生を重ねていく存在なのです。



「リーディングが開く21世紀の扉」  
(浅野信)  (たま出版)2001/7/1



<宗教こそ科学の根底にある生命>
・21世紀における信仰の特徴とあり方は、まず宗教と科学とが一つになります。宗教と科学とは、対立矛盾する二者ではなく、相互に協調しあう二者であることが知られるようになります。
21世紀以降の宗教の他の特徴としては、東洋と西洋の宗教が融合し、より統合化された現世的な本来の統合的なあり方になると言うこと。そして、輪廻転生、生まれ変りがあるということが知られるようになります。



「UFO問答100」  
(ジョージ・アダムスキー)(中央アート出版社)1990/8/1



<(地下の世界を持つ惑星は存在しない)>
・「私達の太陽系の全惑星群の住民は、地球人と同様に各惑星の地表に住んでいます。実は私は“地下”に住民が住むような惑星が存在するかどうかに大きな疑問を持っています。
ブラザーズはデロの世界の存在を否定したときに次のように説明しています。つまり、太陽系内の太陽の放つ“生命を与える力(複数)”が、あらゆる生命を支える基本的なものであると。
(注=デロというのは、アメリカのアメイジング・ストーリーズ誌1945年3月号に掲載されたR・B・シェーバーの「私はレムリアを忘れない」に出てくる地球の地下世界に住むと言う半人半獣の生物で、超高度な科学装置を駆使して地表の世界を苦しめると言うもの)

<「スペース・ピープルは、霊人ではない」>
スペース・ピープルをエーテル体(霊人)と信じることは誤り。
「聖書の歴史の中には、今日私達が、UFOと呼んでいる物体の着陸やコンタクト事件類が約350ヶ所にも出てくる」



「続 未来からの生還」(あの世へ旅たつ人々への贈り物)
(ダニオン・ブリンクリー、ポール・ベリー 共著)(同朋舎)1997/10/1



<(霊の世界への旅)>
・他の連中も、私の頭が狂っていると想っていた。だからといって、彼らを非難はできないだろう。私自身、自分が正常であるかどうかに確信がもてなかったのだ。正常なものなど一つもなかった。眠っているときは、臨死体験で出会った光の存在と絶えず接触していた。ソファーに座っているかと思うと、次の瞬間には霊の世界にいるという具合だった。気がつくと霊的存在がプロジェクトの仕事をしている部屋にいた。彼らの仕事をすべて理解できるわけではないが、私は、それを眺めていた。霊の世界の旅は、ときには教室に、ときには工場に行くようなものだった。
あるときは、工場で霊的存在が光を使って構造物を作り出すのを眺めていた。あるときは、彼らが一つの細胞を育てて生きている人間を創り出すのを眺めていた。あるときは、わずか数分で受胎、誕生、成長の全てを見てしまったような気分を味わった。

・また、あるときは教室で、広大な宇宙が豆粒ほどに縮んでいく様子を眺めていた。光の周波数と音の研究をしているような実験室に行ったこともあった。ここはどこなのだろう、と私はしょっちゅう考えていた。いったい何が起こっているのだろう?ここが未来の世界だとすれば、私たちの未来はなんて素晴らしいのだろう。目を覚ますと今度はまるで見知らぬ人の心から、その人の考えや映像を拾い上げているのだ。



「人間塾」 この世の役割は
    (船井幸雄) (ビジネス社)2003/7/19



<経営コンサルタントで有名な船井氏の語る「あの世」。モンロー研究所のヘミ・シンクも仙界へ行くための装置>
<原因の世界と結果の世界>
・未来を変えると言うのは、人々の意識を変えること、世の中の構造を変えることです。
・ あの世とは、「この世」の原因を作っている実在の世界。
・ オモテの世界を<あの世><この世>とに分ける
・ ウラの世界を仙界といいます。

・ 5次元の世界は、4次元にさらに加わる新しい要素は、何かと言うと「光」です。
・ 私たちの魂は、あの世にあります。私たちの肉体に入っているのは、本質の「分身」なのです。

・ 人間界と神界(神の世界)の違いは、人間には肉体が必要だけれども神界にはそれが不要だということです。真の原因の世界。

・ ウラの世界は、本質界、つまり神界は別として、全部ひとつになっています。極楽も地獄も現界もありません。みな一緒になっています。これを「仙界」といいます。

・ 仙界では、この世もあの世もみな一緒なので、全く自由、思いのままの世界のようです。この仙界には憧れます。

・ 我々人類がよりよくなろうと思ったら、この仙界へ行ってみることです。オモテの世界とウラの世界は、行ったり来たり出来ますから、仙界へ行って自己に囚われない世界を見てみればよいと思います。

・ モンロー研究所のヘミ・シンクも仙界へ行くための装置といえます。

・ 仙界、つまりウラの世界へ行くことを書いた本で興味深いのは、日本一の風水師といっていい私の知人の某さんが「具道士」というペンネームで出した「光の中へ」(角川書店)でしょう。彼はウラとオモテの世界を自由に行き来できるようです。さらに、他の人も仙界へ連れて行けるのです。

・ 私に言わせれば、世の中で起こったことは、みな「必然、必要、ベスト」という側面もあるわけですから、現状を肯定しても、考え方を変えれば、将来も開けてくるのではないかと思います。



「犬人怪物の神話」
(デイヴィッド・ゴードン・ホワイト)(工作社)2001/3/1



<ドッグマン>
・「西欧、インド、中国文化圏におけるドッグマンの伝承は多い。また絵も沢山あるという。中世の犬頭人の活動も伝えられている。キリスト教聖者伝中の聖クリストフォロスは、犬頭人種族の巨人でカナンの国に住み、異教徒の軍勢を相手に戦い、聖バピュルスに洗礼を授けられると、そのとたんに姿は変わり、肌はミルクのように白くなったという類の伝承が多く語られている。

・中国は世界でも群を抜く犬人神話の宝庫である。また、インドと犬人族が渦巻く中央アジアでも、多くの伝承がある。中国にあって、犬人族の末裔だとされた最古の異民族は、犬戎(けんじゅう)である。この異民族は殷の北西に住んでいたとされる。その後、前4世紀頃の書「山海経」によれば、犬戎の族祖伝承は、犬祖伝説に関する中国最古の文献である」。



「宮澤賢治とでくのぼうの生き方」
(話 桑原啓善)(でくのぼう書房)1995



<宮澤賢治の4次元宇宙>
・「<宮澤賢治の作品の素晴らしさ>
なぜ宮澤賢治の詩だとか童話が素晴らしいのかと申しますと、その秘密は、賢治は、物質世界だけでなくて、彼に言わせると『第4次元世界』、わたしたちから言うと『死後の世界』を見る霊能力を持っていたこと、これは私の見方なんですよ。

であるので、彼は私たちの目には見えない高次元の、はっきり言うと高いあの世の風景だとか、あるいは、そこにある原理とかを見ることが、とらえることができまして、それを詩や童話の中に映し出すことができた。それから大事なことは、ただ向こうの風景を映し出しているだけじゃなくて、その中にある原理、原理といいますと、実はあの世もこの世も実際は一つにつながった世界でございましてね。賢治のような、そういう能力のある方は、他界の姿、4次元の姿を見ることによって、そこに流れている宇宙の法則、人生を動かしている法則、そういうものを見て取ることができた。

・要するに賢治が『銀河鉄道の夜』で見たものは、宇宙の根本的な真理である。それは何かと言いますと、仏教的な表現で言いますと「色即是空、空即是色」である。空というのは宇宙の中にある根本原理ですね。それは目には見えないんですけれども、それはまた形をとることもできる。物質であるものの原理は、源は空であるというのです」。



「宮沢賢治の世界」
(銀河系を意識して)(斉藤文一)(国文社)2003/3/1



<「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治と4次元>
・「<4次元感覚>賢治は法華経とアインシュタインの相対性理論を独自に統合したが、そういうものがミヤザワ4次元論である。ミヤザワ4次元論は、賢治の全作品と行動を貫く一本の柱であるが、また、古今の芸術と思想の中でも精神の高さと醇乎たる美しさにおいて注目に値すると思う」。

「賢治は4次元という言葉をよく使った。彼は、当時非常に流行した相対性理論にもとづく時空4次元論に関心をよせていたが、彼の4次元論は、単に自然界に対する解釈というにとどまらず、強く倫理的ないしは宗教的ともいうべき要請を含めて、彼の宇宙論の根幹にあったと思われる。

・賢治の4次元論を要約すると、1、世界は時空4次元体をなしており、そこでは座標転換の法則が成立する。2、宇宙は、巨大なエネルギーの集積体であるとともに、一個の宇宙意識を持つ。3、生命は純化し、みんな昔からの兄弟であると共に、個我の意識も進化し、宇宙意志において一致する方向にある。4、宇宙感情が全ての個体を通じてまことの表現を持つとき、それが4次芸術である」。

・「その背景は、アインシュタインの来日(1922年)とそれを契機とした相対性理論ブームがあげられよう。もう一つ、スタインメッツの相対性理論に対する解説書の英語原本を賢治は手に入れて研究したといわれている」。アインシュタインの理論は、現代では古くなり、はるかに凌駕する理論や新事実が明らかにされている。宮沢賢治は、4次元を描いたと言われているが、興味のある指摘である。



「エドガー・ケイシー、奇跡の生涯」
(A・ロバート・スミス)(中央アート社)2003/1/1



<眠れる預言者のエドガー・ケイシーも石油開発に失敗>
・エドガー・ケイシーは1945年に67歳で亡くなった米国の「眠れる予言者」と言われた心霊診断士であり、約43年間リーディングと呼ばれる、夢解釈で全米ばかりでなく、世界的に有名になった心霊治療師である。日本でも多くの本が出版された。リーディングを通じて、トランス状態に入り、トワイライトゾーンからの情報を伝えた。

・若きエドガー・ケイシーが天使のような存在と巡りあい超能力がついたと言われている。「エドガー・ケイシーは、この状態で霊界に移り住んだ人と交信することは可能か?物質界から消えた万人の霊は発達を遂げて先に進むまで、または発達するためにこの世へ戻されるまで、物質界周辺に留まる。そういう者が交信をとれる水準にあるか、またはこの世の内部に留まっているときには交信できる。今ここにも、まわりにも何千人もいる」。

・「ケイシーや私からすると、テキサスに石油が湧き出る気配があるというのは、全ての欲求の答えを握っているように見えた」とカーンは、書いている。1920年にテキサス州ジョンソン群でケイシーとカーン、および採掘者にして投資家のM・C・サンダースは、テキサス・ケイシー石油会社を作った。投資家たちは、ケイシーの霊能力をあてにして約5万ドルをその冒険的事業につぎ込んだ。しかし、ニューヨークで株を売ろうという努力は、石油の発見された証拠がないので失敗した。

・その証券ディーラーが説明したように『ケイシーの人格以外、ほかに売り物がなかった』からだ。1921年、テキサス州サン・セバに賃借りした油田で採掘を行なうが石油は発見できなかった。また、ニューヨークの株式仲買人モートン・ブルーメンタールと知り合い、相場をリーディングした。ウォール街のブルーメンタール兄弟は、1924年から30年の間にケイシー氏に468回もリーディングしてもらった。多分その半数が、夢を解釈するためのものだったのであろう。そのほか、投資情報が採られた場合も多い」。



「永遠の大道」
 (G・カミンズ 著)(潮文社)2005/6/1



・「次に述べるところは、各自の魂が順次に通過すべき世界の行程である。
(1) 物質界―とりもなおさず地上生活(2)冥府又は中間境―過度の世界(3)夢幻界(4)色彩界(5)光焔界(6)光明界(7)超越界   「各階の中間では、悉く冥府または中間境がある」
(2)
「(夢幻界)。幽界の入口で仏教徒のいわゆる蓮のうてな式の極楽浄土、一部の人達から常夏の国と呼ばれるところである、要するに帰霊者が地上生活の楽しかった記憶のみを寄せ集めて築き上げた。とりとめのない夢想境。

「夢幻界。地上生活の心影または反射で生きている生活で、一部の人士はこれに“常夏の国(サマー・ランド)”などという名称を与えるが、私としてはこれを“夢幻界”とよびたい」。

「色彩界。地上にそっくりの形態を保持しているが、しかしその体質は、次第次第に精妙希薄の度を加えつつある生活である。ここでは物質界との連絡が強い。

・「この種の平和には、早晩あきがくる。何となれば楽しき夢の国には、何らの優劣もまた何らの変化も見出されないからである。試みに思い、見るもの聞くもの悉くそっくりの境地である」。

・「何となれば、一切の欲望が何らの苦労も何らの努力もなしにやすやすと遂げられるからである」。

・「夢の国で味わった快楽をもう一度地上の肉体に宿って、しんみり味わいなおして、見たいと考えるであろう。その結果彼は、再び下界に降りるのが、それは、上昇せんがための下降である」。

・「この夢の国、記憶の国こそ、真に平凡人のために設けられた一の保育場である」

・「夢の国、記憶の国は、かく大体において地上生活の複写ではあるが、しかしまた地上生活と相違した箇所もある。なかんずく顕著なのは業務の相違である。ここには地上生活におけるがごとき機械的な業務がない」。

・「何人も冥府及び夢幻界において、それぞれ異なった方式の試練に会うのである」。

・「夢幻界にありては、何れも一種のエーテル体を持っているが肉体と比すれば、それは遥かに希薄精妙である。そして、もしも汝が理知的に道徳的に発達しているのなら、汝はいつしかもっと意識の階段を昇りたいという欲求に駆られる」。

・「稀にそっくりそのまま地上に再生して現世の葛藤を経験する者も絶無とは言わないが、それはむしろ例外である」。



「ステイントン・モーゼスの続・霊訓」
 (桑原啓善 訳) (土屋書店)1988/9/1



<(モーゼスの他界訪問)>
・「私は、意識がなくなったことに記憶がない。しかし、暗闇から次第に美しい風景へと変わっていった。どうやら私は、湖のほとりに立っているようだ。向こうに丘が連なり、それは頂上まで青々としていて、やわらかい靄に包まれていた。イタリアのような感じで、半透明でやわらかだった。立っているほとりの水は静かで、空は一点の雲もない青だった。

・私は風景の美しさにうっとりしながら、湖の岸辺に沿って歩いた。一人の人が私の方に近づいてきた。その人は、私が知っているメンターだった。彼は薄い織物の白い衣装を着ていた。それは妙なるインド・モスリンのようで、特殊な真珠色の白い色をしていた。・・・・私達は、山のふもとへ通じる分かれ道のところまで来た。その道に沿って小川が流れており、向こうには美しい草地が青々と広がり、地上のように田畑に分断されることもなく、どこまでも見渡す限り波打っていた」。

・「モーゼスは、行列の中に彼が見知っている何人かの人がいるのを認めた。彼の指導霊たちである。メンター、レクター、プルーデンス、フィロソフォス、スエーデンボルグである。また、彼の友人のS・キーブル・ニール、その他の者たち。行列は長々と続いた。その中から6人が彼のほうへ近付いた。5人は地上で彼が知っていた人たちだった。行列は、大きなホールを囲む、バルコニーを満たした」。

「霊界は、貴下の周りにある。貴下の目には、それが見えていないが、貴下の目が開かれたので、霊界の事物が目に入り、地上の風物はたちまち目から消えたのである」。

・「霊界は貴下の傍らに、貴下の回りに広がっていて、いわゆる空間に浸透している」。



「UFOと反重力、逆説の宇宙論」
 (コンノケンイチ) (学研)2003/10/1
「あの世の科学」の量子物理学



<エーテルは空間だった>
・空間は虚無ではなく物質である。
・万物は空間に同化して存在している。
・万物の真の実体は10万分の1以下のすけすけの隙間だらけである。
・エーテルは空間だった。
・暗黒物質(=ダークマター)
・私たちは宇宙のエーテルに同化されている。
・宇宙空間は自分を中心に全方向にラッパ状に開いている。
・宇宙は私たち自身で、私たち自身が宇宙を創り出している。
・一番大きい入れ子人形と最も小さい人形の構造は、全てが逆転で裏返しになっている。

<(スウェデンボルグの霊界の要約)>
・死後、その人の霊質に合致した霊界に入る。
この世は、霊界という広大無辺な空間の中にぽっかり浮いているゴムの球のようなもので、周囲全てが他の霊界に取り囲まれている。ただし、この世もある種の霊界であり、他の全ての霊界が、この世に染み込んでいる。

「この世は私たちの心が生み出したバーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界である」
「1、 ミクロ界では、すべてのモノが意識を有している。2、人の意識が、現実(モノ)を創り出している。3、瞬間移動と超光速の情報伝達(物質の非局所性)」

「あの世では、全てのモノが意識を有している」。
「光子は、人間の意図を察知する」
「光子は、意識を持って行動している」
「あの世の情報を知られたくないパワーが働いている」

・「人間の意識というものが、量子現象の全てに関連しているらしい。なんであれ、ものごとは究極的にミクロ界の集積なのだから、はっきりとした意識を持ち、この世の隅々まで影響をおよぼしている超越的な存在が宇宙に生きている」。

「心が物質を実体化する」

・「私たちの世界と原子までは、同じ梯子で連なっているが、そこからは、明確に区切られた異世界という断層が存在している。ミクロ界では人が観測するまでは、“存在する”という可能性が波のように広がっているが“見たい”という人の意図によって、この可能性の波が粒子として収束してくるのである。これを量子物理学では、“波束の収縮”と称している。

<(シュレディンガーの波動方程式)>
・「この世は、人が観察するという行為によって、無限の可能性を生み出し続けているが、一旦現実として知覚されると効果は直接的で、かつ劇的である。人が観察するという行為によって、モノの波動関数全てが瞬時に収束されて、一つの現実だけが残り、それが“この世の実在”となるというのだ」。

「量子物理学の最大の発見は、これまで考えられたことのない精神力の自覚である。すなわち“実在”が意識を形成するのではなく、その反対に意識が“実在”を形成するという自覚作用が深く潜在しているのである」

・「宇宙の最高思惟がこの世を創り出している!」

「霊界の特質。1、霊界では全てのものがイシキを持っている。2、瞬間移動が可能。3、イシキが現実を創造する」。



「奇人怪人物語」 
(黒沼健) (河出書房社)1987/12/1



<年をとらぬ男>
・サンジェルマン伯爵は、イギリスで有名な作家のバルワー・リットンと親友になり、彼に薔薇十字団の主義の真髄を教え、彼と合作で、有名な小説「ザノニ」を書いた。この小説の主人公は、いうまでもなく薔薇十字団のサンジェルマン伯爵であった。彼は木草学者で、不老不死の秘術を心得ていると描かれていた。

<サンジェルマン伯爵は、定期的にヒマラヤへ身を隠す?>
・サンジェルマン伯爵が、新しい逃避の場所を考える前に彼の来訪を待っている一団の人々が既にいる。それはインドの地下にある地下王国アガルタである。
私が、この一文を書いている間にも謎の人、サンジェルマン伯爵は、すでに地下王国の賓客に迎えられているかもしれないのである。



「ピカトリックスの秘密」 
(ピーター・コロージモ) (角川春樹事務所)1997/6/1



<謎の人物サンジェルマン>
・彼の頭の中に謎の人物サンジェルマンの姿が現れた。その人物は、彼に「グノーシス教会」の創始者であるJ・S・ダニエルという奇妙な人物の言葉を思い出させたのである。
「伯爵が、サタンの使者の代表の一人に違いないことを証明する証拠がいくつかある。彼は神出鬼没な人であった。姿を消すことができたし、いろいろな場所に一度に出現することもあった。八方に手を尽くしても、彼の歳も出生地も死に場所も明らかにならなった」



「ザノーニ」(1) 
 (E・ブルワ=リットン)  (国書刊行会)1985/4/1



・ ザノーニは、一日も歳をとっていないように見えるということです。

・ ザノーニが、一人だけの時間をすごすための部屋に入ろうとすると、祖国の衣服をまとった二人のインド人が、入口で、東洋風の深い礼をして、彼を迎えた。噂によれば、ザノーニが、長らく暮らした遠い国からついてきたのだという!



「キリストの再臨」 
(アリス・A・ベイリー) (シェア・ジャパン出版)1997/12/1



<シャンバラ>
「次は、彼が弟子たちに言った言葉である。『我、エルサレムに行かん』と述べ、その後に『御頭を堅くエルサレムに向けて進まん』と書かれている。これは、彼が今や新しい目的を持つことをほのめかしたものである。
唯一の完全なる『平安』(これはエルサレムの名前の意味である)の場所は、『神の意志明らかなる中心』シャンバラである」

・「御父の家(『神の意志明らかなる中心』、または密教徒の言うシャンバラ)から、命令が出された。時は至れり。キリストが君臨される神の御国から答えが投げ返された」。
「キリストは、御父の家(シャンバラ)から発せられる聖なる意志の細い糸を初めて地上に結びつながれた」

・「シャンバラと霊ハイアラキーと人類(御父の家と神の王国と人間の世界)とが、すべて世の光を強めるための一つの巨大な運動に奮闘している」。
「実在の探求者たちは、団結して、キリストの背後に立ち、彼が目的を達成するのを可能にする彼らの主要な認識は、この惑星の霊的生活にある周期的危機についての認識である。それは御父の家(シャンバラ)において、何千年も予期されていたことである」。
「人新たに生まれずば、神の国を見ることあたわず」

・「今回、キリストは、この可能性を確立された事実とするための方法を人間に教えるであろう。転生する魂が地上における人生の学校に絶えず、戻ってくることを通して、そこで、完成への過程を辿るキリストはそのすぐれた模範であった。これが転生の意味であり、教えである。

・「デイン・ルトヤの著書『新しい人間の新しいマンション』において、『新しい顕現の個々の構造は過去の果たしえなかったことや、過去の遺物や失敗によって必然的に条件付けられるーそれらは普遍的資質の記憶の中にある記録(アカシック・レコード?)に保存されている』と語っている」

「ウエサクの祭り。これは仏陀の最高の霊的中心であるシャンバラと霊ハイアラキーの間の霊的仲介者の祭りである」

・「やっと今、人類の波動の影響がシャンバラにおいてかすかに感じられるようになった。これまでそれの最も強力な活動は、ハイアラキーにまでしか届かなかった。人類に関する限り、宗教、つまり祈願と喚起の科学が(来るべき新しい時代において)知的偏極する人類のアプローチである」



「大人のためのスピリチュアル「超」入門」
 竹下節子(中央公論社)2005/4/10



<宇宙人とUFO伝説>
・信仰を集める宇宙人「魔王尊」
7歳の牛若丸が預けられて天狗に兵法を習ったという伝説で有名な鞍馬山は、全山霊気あふれる聖地だ。伝教大師最澄(さいちょう)や空也上人(くうや)といったビッグネームもここで修業している。

・ 現世利益の効験あらたかということで、今も衆生の信仰を集めるのは、どうも山岳密教と結びついた「魔王尊」らしい。しかもその「魔王尊」は、どうやら宇宙人なのだ。

・ 奥の院の魔王殿は累々(るいるい)たる奇岩の上にあり、鞍馬寺教務部の著した小史によると、それは金星から魔王尊が下った磐座(いわくら)で、上古より人々に崇拝されていた。

・ 鞍馬山からは地下空洞の大都会に通じる出入り口があり、魔王尊は人類全体の父で地球全体の進化を支配する魔王尊自身は人間と異なる身体容貌を持ち永遠の16歳の若さを保ち、遠い未来において人類を誘導して水星に移住させてくれるそうだ。

・ 思えば、宇宙人渡来ストーリーというのは、世界中いたるところで、あらゆる時代のあらゆる説話や宗教の裏側に見えたり隠れたりしながら語られ続けてきた。それ自体が、一つのストーリーとして、独立し始めたのはいつごろのことだろうか。

<都市伝説的エンタテインメント>
・最も有名なのは、1947年ニューメキシコ州のロズウェル近郊の牧場にUFOが墜落して軍により機体と異星人が回収されたという「ロズウェル事件」だ。グレイと呼ばれた異星人は額が大きく白目も瞳孔もない大きな目に細い手足、肌がグレイで宇宙飛行用のヒューマノイドだともいわれていた。

・ 1960年代以降、ヨーロッパに着陸したウンモ星人ユミットの方は、外見は金髪碧眼(へきがん)、スカンジナヴィア人そっくりで、地球人にまざって情報収集を続けていて、選ばれた個人に様々なメッセージを伝え続けているという。

・ ともかく、1940年代以来、半世紀以上もグレイだユミットといった異星人たちは、地球を訪れ続け、地球人を拉致し観察し、実験をして、バイオ・ベビーで混血を増やし、レーザー切断装置から、劣化ウラン弾に至るようなテクノロジーを提供し、「トンでも本」や、小説や、映画の創作者、カルト宗教の教祖たちをインスパイアし続け、大きなマーケットを作り上げてきたのだ。

・ ところが、目に見えない世界、精神世界、「あっちの世界」などの話がけっこう好きな私は、それよりはありそうで見えそうな「宇宙人もの」にはなぜか興味が持てなかった。




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