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戦時下の天狗や現在の秩父地方の天狗が人間の生と死、運命も左右できるほどの存在であったという伝承は、山の神においても同様に、人間の生と死にかかわる伝承があるという仮定を成立させてくれる。(1)
[森羅万象]
2021年9月7日 22時54分の記事


『天狗と山姥』
怪異の民俗学 5
小松和彦 責任編集 河出書房新社 2000/12/1



<加賀・能登の天狗伝説考   小倉學>
・天狗は、「山中でのさまざまな怪異現象に関して、それを起す本体と考えられている妖怪」、あるいは「鼻が高く、修験山伏のような服装をし、羽団扇をもち、空中を自由に飛行するという妖怪」だと説明されている。これが現在、天狗に関する通説だといってよかろう。
 天狗については、早く柳田国男先生に『山の人生』を始めとする卓説があって、学恩を蒙ること深厚なるものがある。これらに導かれて地方の天狗伝説を広く集め綿密に検討を加えていくとき、天狗にも地方的特色といったものの存することに気づき、なかには、従来見過ごされてきたいくつかの属性を見出す。

・天狗伝説は時代とともに信を失ってきた。天狗の憑依するという天然記念物も枯損あるいは破壊され、伝承は急速に消え去っていく。しかし、地域によっては、まだ天狗は常民の生活のなかに生きている。たとえば加賀地区の能美郡川北町地帯においては、家屋の建て前儀礼に、藁三把をつけた糸枠を家のオモ柱に結びつけ、糸枠の上に鯖を載せておく。これは天狗が家に入らぬ魔除けのためだとされる。

・加賀・能登には、どのくらい天狗伝説があるのだろうか、もとより明らかでないが、今ここに検討の対象としたものは、昭和初期までに成った郡誌や近世の地誌・奇談集の類を中心とし、これに年来採訪にかかるものを加ええた54例である。

・天狗はいかなるところに棲息するのか。山中の妖怪というのであるから深山幽谷ということがまず考えられる。しかし実際はかならずしもそうではない。

・奥山よりも城下近くの山々すなわち邑里に近いところに多いというのは、人間との接触がしばしば見られるところでなければ天狗は出没しないからであろう。上記54例のうち山や谷が20例をしめるが、いずれも邑里を去ること遠くない地域で、日常通行したり仕事場になっているところが多いのである。そのうちいわゆる断崖絶壁をなす岩壁が5例ある。天狗壁・天狗岩・天狗山の名がつけられている。天狗は羽翼を有するのでかように人間の近づきがたい険阻な高所に棲むと信じられたのであろう。
 もっとも著聞するのは能美郡山上村(辰口町)岩本の天狗山である。

・意外に多いのは、山ではなくして人の住む村里である。村はずれや神社の森を入れて21例を数える。そのなかには屋敷内の主屋が3例もある。いわゆる天狗の間である。さらに金沢や大聖寺といった城下町にも天狗が出没したと見え、5例を算する。いわゆる天狗つぶての類が多い。金沢の本田町の武家屋敷には天狗の棲む楓の木もあった。
 以上は天狗の棲む土地であるが、さらに具体的に見れば、天狗のもっともよく宿るのが樹木であって18例を算する。樹木の種類は松が11例で一番多く、次は杉の3例。

・つぎは天狗の姿態について見よう。石川郡白峰村の伝承によれば、天狗は隠れ蓑・隠れ笠をつけるため姿が見えず、かつ神通力を有するので、いかなるところへも行け、いかなるものにも化けることができるという。能美郡西尾村(現・小松市)の天狗巌伝説では、天狗にさらわれた次郎が一ヶ月後に父の枕頭に姿を現わし、白髪の老翁に連れられて巌窟内で生活したことを告げたというから、ここの天狗は白髪の老人の姿をとっていたのであろう。石川郡鳥越村の虎狼山の天狗は、白昼、白馬に化して釜清水の与兵衛の妻女を蹴倒して負傷させたが、附近で農耕していたものは一人としてその白馬を認めるものがなかったという。また、ここを三ッ屋野の熊谷某が暗夜に通行すると、突如四辺が明るく輝き、一巨人が仰臥するのを見たといわれる。この二話はいずれも明治末年のことだという。

・鳳至郡七浦村(門前町)の老人が夜、市ノ阪附近で四人の大男に地上に投げつけられた。その大男が煙草の火打石を打つのを見たところ、火の長さが三尺もあったというから、ここの天狗は巨人と見られたことが判る。

・天狗の所業のうち、もっとも怖れられかつ罪ふかきは神隠し・人さらいであろう。石川郡白峰村の大道谷には太鼓壁とよばれる天狗棲息の断崖があり、天狗がよく子供をだまして連れ去ったという。よって好天に仕事の手伝もせずウロンとしている子供がおると、天狗が連れて行くぞと親がよく戒めたものだという。白峰地方では、天狗は親の言をきかない悪童を捉えて隠すといわれている。加賀・能登の天狗伝説中、天狗にさらわれたものが後に許されて帰宅したとか、あるいは夢に現われたというのが五例もあって注目される。

・能美郡川北町の草深の天狗松は、草深の甚助の墓じるしの松として知られていた。甚助が、かつて天狗に捉えられて行方しれず、その間、剣術の奥儀をきわめて帰り、深甚流の祖となったと伝えられている。同じく能美郡西尾村(現・小松市)の天狗巌については前にも述べたが、樵夫の利兵衛の子で神童といわれた次郎が突如として姿をかくし、ついに発見することができなかったので仮りに葬儀をした。それより後、山中では太鼓の音がする。伐り倒した老杉が空中に浮かぶ、大石が落下する、山地が崩壊するという怪異が続いた。しかるに一ヶ月後、次郎が父の枕頭に現われて一部始終を語るには、白髪の老翁にともなわれて巌窟のなかで生活している、老翁は天狗の属である、人間は天狗の世界を侵してはならないと告げて行くところを知らず、これを聞いた父利兵衛は大いに怖れ、ついに木樵は廃して遠く去り、これまた終わるところを知らずというのである。

・石川郡の松任には名物アンコロ餅の由来にまつわる天狗伝説がある。出城村の成(現・松任市成町)の円八なるもの、一夜天狗にさらわれたが数年後に飄然と帰り、天狗の秘伝だというアンコロ餅を製して繁昌、子孫相伝えて現在に及ぶというのである。

・能美郡川北町上先出の伝承に、サクとよばれた少年が行方不明になった。このとき親が「鯖食うたサク」「鯖食うたサク」と二晩唱えてまわったところ、甚兵衛どんの倉に寝ていたのを発見、尋ねてみると、天狗に捉えられて欅の梢に載せられたのをおろして貰ったのだという。明治末年の実話だといわれる。柳田先生の『山の人生』にも、同じ能美郡遊泉寺村でやはり神隠しに遭った伊右衛門老人を「鯖食った伊右衛門やい」と村人が口々に唱えて探し歩いて発見したという立山徳治氏の談話を掲げておられる。

・天狗にさらわれたのとは異なり、みずから進んで天狗になることを念じ、ついに天狗に化したという伝説が金沢にあった。すなわち加賀藩の老臣本多氏(五万石)の家老で本多町に屋敷のあった千石どりの篠井雅楽助の若党が天狗化生の祈念むなしからず、ある日煙のごとく消え失せた。その後、主人篠井氏の夢に現われ、奉公中の御礼として馬の鞍とお守りを差し出した。

・右には明治維新の後は天狗にとらわれるということが絶えたとあるが、かならずしもそうではなかったことは、柳田先生の『山の人生』に徳田秋声君談として、明治十年頃に金沢市浅野町の徳田氏の隣家の二十歳ばかりの青年が行方不明になった話が出ている。この青年は、発見されて正気づいたとき仔細を問うと、「大きな親爺に連れられて、諸処方々をあるいて御馳走を食べて来た、又行かねばならぬと謂って駆け出そうとした」そうである。

<『幽冥界覚書』   荒俣宏>
<天行居>
・題して、『古神道秘説』。
 これは、「古神道、霊学、国学の隠れたる権威」、神道天行居創立者、友清歓真(ともきよかんしん)が、概世憂国の情やみがたく、赤禍狂乱のまっただなかに「敬神尊皇」の大旗を高くかかげ、霊筆をふるって天下を警策した教説の結集である――。
 と、冒頭からすこしばかり仰々しい書きだしになったが、問題はようするに友清歓真という人物である。この人、本居・平田系の復古神道にさえ飽きたらず、天行居という御座に秘密の神々を拝したてまつり、仏教もキリスト教も何もかも神道の傍系亜流とする「超神道」を建設しようとした。

・友清がここでいっている、密封した秘密命令書というのは、おそらく、当時日本に流入していたH・P・ブラヴァツキーの「神智学協会」のやり方を模したものだろう。神智学協会の場合には、「マハトマ」と呼ばれる秘密の指令者がいて、これがブラヴァツキー夫人に密封した指令書を送りつける。一方、ブラヴァツキー夫人は、それを読んで協会の運営、つまりオカルトによる世界革命の方針を決定するという寸法である。このやり方は、西欧世紀末の秘密団体内でブームになったものらしく、英国の<黄金の夜明け>教団もアンナ・シュプレンゲルという秘密の首領をでっちあげて、シュプレンゲル書簡が届く人間が会の指揮をとったりしていた。もっとも、「マハトマ書簡」も「シュプレンゲル書簡」も、のちにその詐欺性が暴露されてはいる。
 ともあれ、友清歓真のこの秘教的な活動は、まさに日本の神智学協会というにふさわしいかもしれない。なぜならば、友清の超神道思想には、世界各国の秘教をいっぺんに巻きこんでしまうだけの「ふところの深さ」、雑種性、たくましさがあるからである。

<通信>
・ところで、このへんで、なぜここに友清歓真が登場しなければならないかを説明しておかなければいけないだろう。それは、ひとえに、彼が大正9年に出版した奇怪な資料集『神仙霊典』のためである。この『神仙霊典』なる書物は、大正12年になってあらたに『幽冥界研究資料』と題されて再販されており、この新タイトルからも察せられるとおり、主として江戸末期にさかんに書かれた霊界探訪記をあつめたアンソロジーなのである。集められた内容は、むろん、実録――つまりノンフィクションということになっている。

・ちなみに、日本人として仙界にもっとも早く足を踏みいれた人物のことを話しておきたい。友清によれば、その人は照道大寿真(しょうどうだいじゅしん)という足利時代の神官である。彼は、足利義満の時代に某神社に奉仕していたが、時代の潮流をいとい、四十歳過ぎで山にこもり、天下の名山をめぐるうちに富士山中でふしぎな神仙に出会い、道を得てから悟りをひらき、それより四百余年を経た明治9年7月7日、吉野の奥より肉身のまま昇天して神界の幽政(幽界の支配管理)に参与したという。

・しかしここまでの話で、すくなくとも明治から大正期にかけて、ときの神道関係者のあいだでは、「幽界からの通信」が大いに期待されていたことはあきらかだろう。ここに、国家とオカルティズムが期せずして結合する世界的現象のひとつが、確実に日本においても発生する。そして、幽界からの通信を期待する人々にとって、共同幻想のシンボルともいえる幽界探訪文献は、友清らの手によって、ひそかに巷間に流出していった。

<幽界>
・日本には、古くから「この世」と「黄泉の国」というふたつの領域についての概念があった。さらにいえば「高天原」と呼ばれる天界もが想定されていたわけだが、しかし、イザナミ・イザナギの「国生み」の神事以降、人間と神々が活動する舞台は、もっぱら「現世」と「黄泉(よみ)」とにかぎられてきた。そして、もちろん「現世」とは、われわれが生きるこの世、「黄泉」とは死してのちにわれわれがおもむく世界のことである。だが、古くから日本人は、「黄泉」という別世界を、この世と地つづきの領域と考えるだけで、いってみれば「この世の終点」や「この世の裏がわ」としか理解していなかった。そしてそこに、すべての事態は発端をみた。
 
・つまり宣長は、神道において死とは、ただ悲しむ以外に方法のないできごとなのだ、といい捨てる。むろん、これが<安心なき安心><救いなき救い>であることは、思慮ぶかい宣長の意図するところだろうが、しかし一般民衆にとっては、この発言は死後の生活についての<絶望>以外のなにものでもないだろう。こうして、お手上げ状態になった本居の<死後観>に対して、決然として国学古道の体系に幽界のあきらかな空間を設立し、完璧なシステム化を達成した人物こそが、平田篤胤であった。かれによって、死後の生の不安は、はじめて国学=古道の側からも救済されるのである。

<救済>
・では、魂はどこに行くのか?天界か? いや、天界のおわすところである。魂がともかくも赴くのは、幽冥界という、もうひとつの領域なのである。ここは神の世界と物質の世界のはざま、したがって神と物質とが直接的に交感しうる唯一の場所だ。そして幽冥界の支配者は大国主神である。幽冥界では、魂は不合理な現世での処遇を埋めあわせる「裁き」を受け、<安心>を得る。平田にとっての幽冥界とは、こうして、現世での不条理を埋めあわせる<安心>の領域、まさにひとつの魂の救済となるのである。

<寅吉>
・では、上田秋成から友清歓進にいたるこれら<幽冥界>騒動の発端になった事件とは何か。これを仙童寅吉物語という。文化九年(1812)に、七歳で卜筮(ぼくぜい)のことを学ぼうとした少年寅吉(のちに高山嘉津間と名のる)は、ある日、東叡山の前にある五条天神にでかけたとき、薬を売っている五十歳ばかりの翁にであった。ところがこの老人がじつに不思議な人物で、差しわたし三、四寸ほどの壺から薬を出しては売っていたのだが、暮れどきになると、その小さな壺のなかに、まわりのガラクタから敷きものまで、すっぽりと納めてしまった。おまけに、壺は、フワリと宙に浮いたかと思ったとたん、いずこともなく飛び去った。おどろいた寅吉に近づいた翁は、「卜筮のことが知りたくば、わしとともにこの壺にはいり、某所まで尾いてこい」ともちかける。寅吉は、つい言葉にさそわれて、常陸国の南台丈という山へついていった。これが、寅吉による仙界との第一回接触となった。この接触は十一歳のときまでつづくが、一時とぎれる。その間、寅吉の父が病を得、その快癒祈願のために出家することになった。すると例の翁がふたたびあらわれ、空中を飛行して常陸国岩間山というところに連れてゆかれ、そこで種々の行をおこない、高山白石平馬なる行名をもらって、ふたたび家に帰った。寅吉がそこで接したのは、神仙界の住人として一般に天狗と呼ばれている存在であった。

・こうして岩間山での異常な体験を得た寅吉少年は、江戸中に知れわたる奇人となった。平田篤胤とその門下がこの仙童に接触したのは、ちょうどこの時期にあたる。このとき寅吉は十五歳であったという。

・――問云、未熟なものを飛行させるときに用いるという、金色をした玉を見なかったか。
寅吉;人間を飛行させる聖なる玉というのは、見ていません。
――問云、よく不審火が、こうした異形の飛行人から出る火の玉によって起こるというが?
寅吉;そういうこともあるでしょう。家所を焼くなども、ひとつの天罰です。
――問云、では、そういう天罰を下すことは、どういう神の命令によるのか?
寅吉;知りません。たぶん神々の命令を受け伝え来て、行なうわざでありましょう。
――問云、大空より見たこの国土の様子は?
寅吉;すこし飛びあがると、ひどく広くて丸く見えますが、もっと上へあがると海川野山も見分けがつかず、うす青く網目を引きのばしたような感じになります。なお上って、星のみえるあたりまで行きますと、国土は光って、月よりはよほど大きく見えます。
――問云、そこまで上ると、月はどう見えるか?
寅吉;月に近づくと、だんだん月球が大きくなり、おそろしい寒さを感じてきますが、二町ほどにまで近づくと、こんどは意外にあたたかくなります。光っているところは地上の海のようでドロドロとしており、俗にウサギが餅つきをしているといわれる所には穴が二、三、あいていました。

<天狗と戦争――戦時下の精神誌――   岩田重則>
<柳田國男『先祖の話』>
・柳田国男の数多くの著作のうちで、もっとも代表的なもののうちのひとつに、『先祖の話』(1946)がある。

・二つは、『先祖の話』を読みすすんで行ったときに、結論部分に近づくにつれて、「生まれ替わり」とか、「七生報国」といった、一見、祖霊信仰とは無関係に思われる文言が登場して来ることである。『先祖の話』は、全81節で構成され、最終節「81」の「二つの実際問題」はあとがきとしての意味を持つと考えられるので、事実上の結論は、「80」の「七生報国」ではなかったかと考えられる。具体的には、どのような論理の展開によってこの「七生報国」に至っているのかというと、柳田によれば、日本人の祖霊信仰は生まれかわりの思想があり、それを基礎として、七回生まれかわり国に尽くすという「七生報国」の思想が発生して来たことになっている。特に、実例として、日露戦争の広瀬武夫と『太平記』の楠木正成があげられ、広瀬の最後の言葉として「七生報国」があったことが紹介されている。

・このように『先祖の話』を読み直したときに、柳田がこの著作に込めたメッセージは、学説としての祖霊信仰を基本に据え、そこから「七生報告」の精神の必然性を説明しようとしていたと考えなければならないだろう。そして、それは、積極的な戦争協力ではないにしても、柳田民俗学の学問体系が、戦争の精神を肯定的に評価しようとしたものであったと思われる。戦場に赴く者たちへの想い、せつなさが、このような霊魂観の研究として昇華したのであろうが、『先祖の話』の内容がこうした性格を持つとすれば、柳田によってなされた祖霊信仰の解明を学説として再検討する必要があるとともに、戦時下の日本人の精神生活を、柳田とは異なる民間信仰研究の視点から解明する必要があるのではないだろうか。

<戦時下の天狗>
・戦時下、柳田が扱ったような「七生報国」が世相の表面に現象として現われ、民衆の間に大流行していたのは、「七生報国」の精神ではなく、むしろ俗信や、神社・小祠などに対する祈願であった。八幡八社参りや千社参りに代表される武運長久祈願、千人針に代表される弾丸除け祈願が爆発的に大流行を見せていたのである。

・具体的には、戦時下に、武運長久祈願や弾丸除け祈願として大流行していた神社・小祠に実態を分析してみることが重要であろう。
 こうした視点により、戦時下に大流行した神社・小祠を見てみると、それらの中には、なぜか天狗(あるいは天狗類似の者)が祭神あるいは祭神の眷属であることが多い。奇妙なことに、戦時下、日本社会では、天狗が大活躍していたのである。

・【事例1】山梨県南都留郡忍野村内野の天狗社は、戦時中、戦の神様と言われたり、出征した人が無事に帰るということで、遠くは富士吉田や甲府の方からも、多くの人々が参詣に来た。

・【事例2】静岡県三島市玉沢の妙法結社も、戦時中、ここへ参詣すると戦死することがないと言われ、多くの人々が参詣に訪れた。

・それだけではなく、社殿に掛けられた垂れ幕には天狗の団扇がえがかれ、社殿内祭神前には、大天狗と烏天狗と思われる一対二匹の天狗像が置かれている。戦時下、信仰を集めた妙法結社は、天狗社としての性格を持っていたのである。

・【事例3】次は、修験道の影響を受けた寺院が、戦時下、信仰の対象となっていた事例である。徳島県麻植郡山川町、吉野川の南側に、円錐形をして美しくそびえる高越(こおつ)山は、日露戦争からアジア・太平洋戦争期にかけて、武運長久、弾丸除け祈願の対象となっていた。

・【事例4】天狗を祀る神社・小祠ではないが、「天狗様のお爪」と呼ばれる物体が、戦時下、弾丸除け信仰の対象とされたこともあった。静岡県小笠郡大東町入山瀬・土方では、山や畑で土中から「天狗様のお爪(鮫の歯の化石)」が出て来ると神棚などに納めることがあった。

・天狗が神隠しをするという説話をあるので、多聞天神社の由来譚は、天狗信仰と無縁ではないだろう。

・【事例5】これまで見てきた事例は、いずれも、戦時下における天狗への祈願である。しかし、平時において、徴兵除け祈願の対象とされていた天狗もあった。

・【事例6】静岡県引佐郡引佐町奥山の半僧坊大権現も、戦前は、徴兵除け祈願として、多くの参詣者が訪れた神社であった。

・【事例7】再び、戦時下の天狗に戻ろう。1937年、日中戦争勃発から約5ヶ月後、富山県下の村々では、戦争が起ると、天狗が皆戦地へ出かけ、戦場の兵隊たちを護っているという俗信が流行していた。また、戦争が起ると、烏が日本の内地には居なくなり、中国大陸へ渡って行くとも言われていた。
 いわば、空飛ぶ天狗、天狗の出征である。このような戦場へ出かけた天狗の話は富山県下だけではなく他にもあり、たとえば、徳島県美馬郡脇町西赤谷の山彦大明神では、祭神の「山彦はん」の前に眷属として大天狗と烏天狗、二匹一対の天狗像が安置されているが、この二匹の天狗が、「山彦はん」を乗せて戦場へ行き、兵隊たちを助けたという。一般的に、天狗は羽を持ち、空を翔ぶと考えられていたがゆえに、このような伝承が創造されたのかもしれない。

・【事例8】この天狗の出征のような、戦場へ出かけた神々の話は、天狗以外でも多く、戦時下の記録でも見ることが出来る。また、山彦大明神のある脇町から、吉野川を隔てた対岸の美馬郡穴吹町宮内の白人神社は、戦時下に脇町や遠く香川県からも祈願に訪れる人々が多かった。

・以上、八例、戦時下の武運長久祈願や弾丸除け祈願、あるいは平時においては徴兵のがれ祈願の事例を見て来たが、これらによって、戦時下の民衆の信仰が天狗と大きくかかわっていた事実は確認出来たと思う。

<天狗と人格神>
・こうして、強い威力を発揮した戦時下の天狗であったが、全国津々浦々、至るところに存在する天狗の総数からすれば、戦時下に活躍した天狗はわずかであろう。天狗の中でも、戦時下に活躍した天狗と、戦争とはまったく無関係な天狗があったのである。

・【事例14】すでに簡単に紹介したように、徳島県美馬郡脇町西赤谷の山彦大明神は、通称「山彦はん」と呼ばれ、そのおかげで戦地で助かったという人が多かった。祭神「山彦はん」の眷属の大天狗と烏天狗、この二匹の天狗が「山彦はん」を乗せて戦地に行き、兵隊を助けたというのである。

・【事例15】静岡県庵原郡由比町倉沢の藤八(とうはち)権現は、戦時中、出征地で助かるということで多くの人が参詣に来た。ある北海道の人が、大陸の荒野で方角がわからなくなったときに、藤八権現が出現し助けられたなどという話が伝えられ、参詣者で賑わったという。

・【事例16】天狗という伝承は、明確に聞くことは出来なかったが、人格神としての性格が強い山の神が、戦時下、弾丸除け祈願として大流行した場合もあった。茨城県高荻市大能では、集落から離れた山地の中に、勝之丞(かつのじょう)山の神が祀られている。

・これらの人格神、山彦大明神、藤八権現、勝之丞山の神は、それぞれ不思議なことが出来た(妖術を使う)伊勢伝左衛門、並はずれた霊力を持つ藤八、千頭の獣を獲った勝之丞、いずれも人間離れした人間であったがゆえに神として祀られていた。そして、強い威力を発揮出来得ると期待されたためであろう。

・【事例17】静岡県御殿場市神場の山の神は、戦時中、この山の神のお札を持っていた出征兵士が、弾丸が当たったのだが、お札のために助かったということが伝えられ、多くの人々の参詣で賑わった。

・【事例18】このほかに、天狗ではないが、魔王様と呼ばれる恐ろしい名前の神が、戦時下、信仰を集めた場合もあった。山梨県南都留郡鳴沢村鳴沢の魔王天神社は、戦時中、ここへ祈願すると無事に帰るということで、賑わった。

<現在の天狗>
・これまで見て来たように、天狗は、出征兵士の無事を祈る信仰の対象
であり、また、明らかに戦時下の流行神であった。しかし、それが戦時下の流行現象であったとしても、天狗信仰の中で、突然変異として生じたものではなかった。

・【事例19】埼玉県秩父郡小鹿野町から両神村にかけての地域では、神社としての天狗社をはじめ、天狗信仰が濃厚に存在している。たとえば、小鹿野町漆ヶ谷戸のコーチの十二天神社は通称「お天狗さん」と呼ばれ、集落近くに「お堂」を持つほか、山の中に「奥の院」を持っている。

・【事例20】両神村小沢口のコーチの大山祇神社も、通称「お天狗さん」と呼ばれている。

・【事例21】小鹿野町津谷木のコーチの木魂神社も、通称「お天狗さん」と呼ばれている。

・【事例23】両神村滝前で、あるとき、娘が3日間いなくなるということがあった。ムラの人達が探したところ、この娘は、誰も上ったことのない、高い岩山にいるところを見つけ出された。見つけ出されたあとでこの娘が語ることには、家の縁側にいたところ、「お天狗さま」が現われ、「おいで、おいで」をするので、ついて行った。そして、この岩山の上に来たという。3日間は馬の糞を食べていたという。

・これによって、戦時下に、天狗が流行神となったことの背景は理解出来るのではないだろうか。天狗は、平生から、人間の生存そのもの、あるいは、運命をも左右できる存在であった。だからこそ、生と死に直前した時代、戦時下に、死という人間にとって最大の災厄を除去出来る天狗が、世相の表面に浮かび上がって来たと考えられるのである。

<山の神と産神問答>
・このように、実態として、天狗イコール山の神という等式が成立しているとすれば、戦時下の天狗や現在の秩父地方の天狗が人間の生と死、運命も左右できるほどの存在であったという伝承は、山の神においても同様に、人間の生と死にかかわる伝承があるという仮定を成立させてくれる。そうした仮定の上に立ったとき、現在の民俗学ではおおむね認められている、山の神イコール産神であるという伝承は、重要な意味を持って来ると思われる。山の神だけが、他の神々とは異なり、生命の誕生、人間の出発の瞬間である出産に立ち会い、さらに、誕生した生命のその後の運命をも予測出来る存在であったのである。

<戦時下の精神誌>
・これまで見て来たように、産神――山の神――天狗という系列で結ばれる神体系は、人間の運命、生と死を左右し、戦時下のような非常時には、人間の生命を助けることが出来るほどの存在であった。図式化すれば、生命誕生を管轄する産神の具象化された姿が山の神であるといえるだろうし、さらに、山の神のより具象化されたものが天狗であるといえよう。そして、この神体系は、具象化されればされるほど、人格神としての性格を帯び、神としての威力も強めるものであった。
 戦時下において、弾丸除け祈願、武運長久祈願のために、天狗が流行神として大流行したのは、こうした、日本の民間信仰における、産神――山の神――天狗の系列の顕在化であった。戦時下、多くの日本人が、自らの意志とはかかわりなく、生と死に直面することを余儀なくさせられた。戦争の時代がそうした時代であったからこそ、人々は、生と死を司る産神――山の神――天狗の系列に助けを求め、その中でも、もっとも強烈な天狗への祈願に殺到したのである。

・しかし、柳田のように、張り詰めた戦時下に「固有信仰」を見ようとするならば、祖霊信仰ではなく、産神――山の神――天狗の系列の方が、人々の間に広がっていたという意味では、“固有信仰”にふさわしいもののように思われるのである。
 なお、戦時下に、天狗への弾丸除け祈願・武運長久祈願が大流行したことをもってして、それを戦時下の民衆の抵抗(あるいはその萌芽)であるとか、厭戦的行動であると評価することは出来ない。そうした思想・行動にまで昇華されることのない、素朴な意識・行動が、天狗への祈願であった。ただし、それは、素朴であるがゆえに、人間のもっとも根本的な部分、生存そのものへの欲求の噴出であったと考えなければならない。

<天狗と山姥    解説  小松和彦>
<「天狗」も「山姥」も長い歴史をもった妖怪である>
・「天狗」も「山姥」も広く知られた妖怪種目である。山の怪異を語るときには欠くことのできないキャラクターだといって過言ではないだろう。

・「天狗」も「山姥」も長い歴史をもった妖怪である。「天狗」の名称はすでに古代に姿を現わし、とくに活躍したのは古代末から中世であった。また、「山姥」の登場は「天狗」にくらべてはるかに遅く、室町時代になってからであった。

・妖怪種目としての著名さにくらべると、その研究の蓄積はあまり多くない。とりわけ「山姥」に関してそれが顕著である。

<「天狗」研究の足跡>
・「深山にすみ、自由に空を飛ぶことができるという想像上の妖怪。その形はおおむね中世にでき上がり、山伏姿で、翼があり神通力があり、大天狗は顔が赤く鼻高く、羽団扇をもつ。小天狗は烏天狗といい、烏様の顔をしている。諸地方の社寺に祀られている天狗の多くはこの形で、浮世草子や草双紙から、今日の民話集や絵本の類に描かれる形も同様であるが、その諸相は時代により異なる」

・「天狗」をもっとも詳細かつ多角的に記述した研究は、知切光蔵『天狗の研究』(大陸書房、1975年)である。しかし、それ以前にも研究した人たちがいた。早くは江戸時代の『本朝神社考』を著した林羅山で、その著の「僧正が谷」の項において「我邦古より天狗と称するも多し」と述べたあと、世俗に伝わる天狗伝承を紹介している。江戸時代の知識人の多くがその著書で天狗の伝承や風聞に言及している。

・近代の天狗研究は、これまでもたびたび紹介してきた妖怪研究の先駆者井上円了と柳田國男によって始まった。井上円了は『天狗論』で、たくさんの天狗伝説を紹介した上で、例のごとく一括して、天狗の仕業とみなされたものはじつは自然現象であって、天狗とは不思議に思った自然現象の異名にすぎない、と一蹴している。ようするに、井上にとっては、天狗もまた他の妖怪同様に、早急に撲滅しなければならないものであったわけである。
 柳田國男はこれと対照的に、天狗を他の妖怪種目と同様に、天狗という存在を想定しさまざまな伝承を生み出してきたということをまず認め、その心意の歴史と構造を究めようとした。とくに柳田國男は『遠野物語』の著述から『山の人生』あたりの頃まで、天狗をはじめとする山の「異人」に関心を注ぎ、一時期、そうした「異人」=「山人」資料からヤマト民族によって排斥された異民族の痕跡をそこに見いだそうとしていた。柳田はのちにこうした観点からの山人の追及を放棄し、それにともなって天狗への関心も薄れてしまうのだが、民俗社会における天狗伝承の採集の必要性、天狗と神隠しとの関係、天狗伝承が中世に隆盛を迎えたこと、山伏・修験道との関係など、その後の天狗伝承研究を導く指針を提供したという点で高く評価しなければならないだろう。

・知切光蔵がこうした仕事に取り組むことになったのは、「天狗は日本特有の魔怪である………天狗こそ日本人が創造し育成した確乎たる日本種の魔妖である」という熱い思いであった。なにをもって日本特有とみなすか、また天狗のみを特別視していいのかという疑問が残るが、天狗が日本において生み出された興味深い妖怪であることはたしかである。

・興味深いのは、この時代の「天狗」は、仏法と反仏法(魔界)という絶対的な二元的な構造のなかの一方に位置するわけではなく、道を誤った僧なども天狗の棲む魔界、つまり畜生道に堕ちて天狗になる、と考えられていたことである。つまり、天狗のなかにはもとは人間であったという経歴の持ち主もいたのである。そうした天狗が、復讐・祟りとして人に乗り移ることもあった。同様の性格は「鬼」にも見いだせるので、鬼と天狗の性格の類似性と差異性を詳細に考察する必要があるだろう。たとえば、小峯和明は「相応和尚と愛宕山の天狗太郎坊」で、呪力の優れた祈祷僧相応を中心に、天狗の履歴を解き明かしている。そして後世の伝承では、真済が愛宕山の太郎坊天狗となったという。「真済」伝説は、多くの天狗研究者が言及するように、天狗の代表であり、それゆえ天狗の本質を考察するのに最適な素材であって、鬼伝承の典型である「酒呑童子」伝説に相当するといえるかもしれない。

・ところで、不思議に思われるのは、そんな天狗を祀る人びとがいたことである。

<「天狗」の民俗学的研究>
・ところで、昔話に登場する天狗は間抜けな天狗が多い。知恵のある男が天狗をだまして、天狗の隠れ蓑や笠、鼻の高さを変えることができる団扇を手に入れる話などがよく知られている。民俗学では、こうした昔話の滑稽な天狗を根拠にして、天狗の零落と捉える傾向がある。しかし、たとえば、『是害坊絵巻』の物語に描かれているように、天狗は第一期黄金時代でさえも間抜けで滑稽な側面を抱えもっていた。したがって、一概に零落とみなすわけにはいかない。天狗の本質はしばしば「鬼」と属性が重なりながらも、姿かたちは大きく威厳があるが、その内容は愚かさ・間抜けさを抱えもっている、という点にもとめられるのかもしれない。さらに、天狗の社会は男のみからなる社会であって、そのシンボルが高い鼻であり、「神隠し」現象に、どことなくセクシャルな、あるいはホモセクシャアルなイメージが漂っているのも、これと関係しているのであろう。「天狗」の特徴はこうした両義性にあるのだろう。

<「山姥」研究の足跡>
・天狗は男性ばかりの妖怪集団である。この「天狗」に対応するかのような山の妖怪種目が「山姥」である。しかし、これはあくまでも性の「対応」をいっているに過ぎず、「天狗」と「山姥」が夫婦であるということではない。むしろ、そうした伝承はまったくないようである。
 「山姥」もしくはそれに類する者が文献に登場するのは、中世後期の室町時代である。有名な謡曲の『山姥』はその一つであるが、お伽草子『花世の姫』にも山姥が登場している。さらに『当代記』という書物には、慶長十四年(1609)に、京都の東山東福寺付近で「山姥」というものを見世物にしたという記録も留められている。
 
・「山姥」が「鬼女」の系譜に連なることは、謡曲『山姥』で、妄執が塵のように積もって山姥となった、と語ることからもわかる。この時代の人びとは、女が「妄執」を抱くと山姥に変わる、と考えていたわけである。また、『花世の姫』の「山姥」は、顔は折敷のごとく、目はくぼみ玉は抜け出て、口は広く、牙は鼻の傍まで生え出ていて、頭の毛は赤いしゃぐまのようであり、そのなかに角のような瘤が十四、五ほどあったという。明らかに鬼のイメージが描かれている。ところが、このいずれの山姥も、鬼女系の山姥でありながら、困った人を助ける好ましい役割を演じている。山姥は善悪の両義的な性格をもっていたのであった。

・「山姥」はまた、天狗と同様、民俗社会でも伝承されている妖怪である。民俗社会の「山姥」は、「山女郎」とか「山母」「山姫」などともいわれ、その夫は「鬼」もしくは「山男」「山爺」などと語られている。地方によって多少は異なるものの、背が高く、長い髪をもち、眼光鋭く、口は耳まで裂けている、というほぼ共通した特徴をもっている。

・わたしが調査した高知県の物部村に伝わる山姥伝承も、そうした両義性・二重性をもっている。この地方では、山にはいろいろな魔物・魔群が棲んでいるが、山姥(若い女の場合は山女郎)もその一つで、山姥に山のなかで出会うと、よくないことが起こるという。とくに山姥と出会ったあとに原因不明の病気になると、それは「山姥の祟り」とか「山姥憑き」とみなされ、祈祷師を招いて祓い祓い落とした。

・しばしば山姥研究の端緒となった研究として、柳田國男の『山の人生』が挙げられるが、これは山と人との関係を論じたもので、そのなかで山姥伝承も取り上げられ、山姥伝承の背後に、山の神の信仰や山に消えた女性の影が認められることを暗示的に述べているにすぎない。従来の民俗学では、こうした柳田の考察を踏まえて、山姥の古形(起源)を山の神(女神)に求め、その零落したものと解釈してきた。

・折口信夫は、山の神に仕える巫女の幻想化したものと解釈している。

・お伽草子『酒呑童子』にも、麓の長者の娘が伊吹大明神に仕えるために山に入るエピソードがあるので、こうした山の巫女が里人から妖怪視されることがあったとしても不思議ではない。

・日本の妖怪の代表ともいえる「天狗」と「山姥」は、山の怪異の説明装置として伝承されてきたものである。きわめて単純化していえば、「天狗」は「男」もしくは「男社会」のシンボルであり、他方の「山姥」は「母」もしくは「女社会」のシンボルであった。これまで述べてきたように、そして性格は異なるが、両義的性格を帯びているところに本質があった。その研究はまだ少なく、未開拓の領域が多いといっていいだろう。本巻に収録した論文に偏りやばらつきが見られることに、そのことが物語られている。



『神仙道の本』
(秘教玄学と幽冥界への参入)   (学研)2007/3



<山人界(天狗界)>
<多種多様な天狗らの仕事と生活の実際>
<高級山人が住まう壮麗な宮殿>
・山人とは山の神のことだが、天狗の異名として用いられることもある。「お山には善美を尽くした広大結構な御殿があり、三尺坊は平生には、そこに居られますが、亦、空中にも大なる御殿があってここにも多くの方々が居られます。

・ひと口に山人界といっても階級は実に多い。そこで、空中の御殿に住む鬼類・境鳥まで、暮らし向きも千差万別なのである。
 仙童寅吉以降、山人界の情報はずいぶんと数多くもたらされてきたが山人界の階級等についてもっともまとまった情報を伝えているのは島田幸安だ。

<山人界の天狗の風体とは>
・島田によると、山人界の階級は?神仙、?仙人、?山人、?異人、?休仙、?愚賓(ぐひん)に大別される。この愚賓というのがいわゆる天狗のことだが、天狗は人間が命名した俗称であって、山人界では使わないという。

・天狗というと鼻高・赤面の異形に描かれるのが通常だが、実際の姿は人と変わらず、頭巾をかぶり、白衣を着し、足には木沓(きぐつ)を履いている(裸足の愚賓(ぐひん)もいるという)。「人界にて云如き鼻高く翼ある者は無御座候」と、島田は断言している。
 愚賓は神仙から数えて6番目の下級官吏だが、そのなかにもまたこまかい階級がある。?山霊(大愚賓)、?山精(小愚賓)、?木仙、?鬼仙、?山鬼、?境鳥、?彩麟(ましか)がそれだ。

・?の境鳥が、いわゆる木の葉天狗・木っ端天狗と呼ばれる類で、嘴と翼をもつ鳥類の化身である。

<戦争に出陣する愚賓(下級天狗)たち>
・ただし、人間のように肉を食うのではなく、気だけを食うのだと島田が注釈している。生きている魚を海などから招き寄せ、「味の気」だけを取って食べ、食後は生きたまま海に帰すというのだ。

・仕事は、より上級の神界の下命に従って戦争に従軍したり、霊界や人間界をパトロールしたり、冥罰を下したりと、そうとう忙しい。大小の愚賓は、元来が武官だから、戦争になると鬼類などを従えて直ちに出陣する。

・加納郁夫という名の天狗の弟子となった「天狗の初さん」こと外川初次郎は、加納天狗の供をして満州事変に従軍したと言っているし、幕末の戦乱時に活動した才一郎は明治元年から2年にかけての戊辰戦争に冥界から参戦し、三尺坊の命令で、自分の出身国である尾張藩の隊長“千賀八郎”を守護していたと語っている。

<天狗が下す恐怖の冥罰>
・天狗の仕事で最も怖いのは、人間界に罰を下すという仕事だ。火事による処罰が多いようで、情け容赦がない。たとえば、杉山僧正が東京の平川町(平河町)を焼いたことがある。

<過酷をきわめる天狗界の修行>
・寅吉や才一郎は仙縁があって山に招かれたものだがら否応はないが、凡人が天狗の「神通自在」にあこがれて山中修行に入っても、ろくなことにはならないらしいから、注意が必要だ。
 最後に、天狗は日本独自のものとの説があるが、それは間違いだということも付記しておこう。中国にも朝鮮にもいるし、西欧にもいる。また、世界各地の天狗が集まって行う山人会議もあるそうだ。



『中国の鬼神』
著 實吉達郎 、画 不二本蒼生  新紀元社 2005/10



<玃猿(かくえん)>
<人間に子を生ませる妖猿>
・その中で玃猿(かくえん)は、人を、ことに女性をかどわかして行っては犯す、淫なるものとされている。『抱朴子』の著者・葛洪は、み猴が八百年生きると猨(えん)になり、猨が五百年生きると玃(かく)となる、と述べている。人が化して玃(かく)になることもあるというから、普通の山猿が年取って化けただけの妖猿(ばけざる)よりも位格が高いわけである。
 古くは漢の焦延寿の愛妾を盗んでいった玃猿の話がある。洪邁の『夷堅志』には、邵武の谷川の渡しで人間の男に変じて、人を背負って渡す玃猿というのが語られる。
 玃猿が非常に特徴的なのは、人間の女をさらう目的が「子を生ませる」ことにあるらしいこと、生めば母子もろともその家まで返してくれることである。その人、“サルのハーフ”はたいてい楊(よう)という姓になる。今、蜀の西南地方に楊という人が多いのは、みな玃猿の子孫だからである、と『捜神記』に書かれている。もし、さらわれて玃猿の女房にされてしまっても、子供を生まないと人間世界へ返してはもらえない。玃猿は人間世界に自分たちの子孫を残すことを望んでいるらしい。



「天国の真実」 マシューが教えてくれる天国の生活
スザン・ワード  (ナチュラルスピリット)



<栄養>
スザン;食べ物は、地球の食べ物みたいなの?

マシュー;僕たちの体は、濃密な栄養物を必要としないんだ!だからここにいるのが長くなるほど、固形食を食べたいという意欲が薄れていく。でも地球では食べることは大きな楽しみの一つだから、ここに来たばかりの魂は、食べる習慣と食べることによって得られる満足感を望む。ここには満足感を満たすのに十分な、ありとあらゆる美味しい食べ物があるんだよ。多くの人は、ピクニック式に食べるのを楽しんでいるけどね。

ここの食べ物のなかには地球の果物みたいに、木や茂みからもいで、そのまま食べられるものもある。あとは地球の野菜みたいな食べ物もあって、普通は料理して風味づけされる。でも動物が姿を変えて食卓に上ることは絶対にないよ!
僕はもうしばらく食べていないんだ。食べることに興味がなくなっているからかな。でも飲み物は好きだよ。ここには本当に美味しくて元気の出る飲み物がたくさんある。なかには軽く発泡したフルーツジュースみたいなものもあるし、他にはもっとどろっとした、いろんな風味の、地球の野菜スープみたいなものもある。
ここの水は、地球のどんな水よりも純粋で光の泡が入っている。空気中にも薄いもやがかかっていて、とても気持ち良いだけでなく、そこにいるだけで、滋養になるんだ。

スザン;それはこちらで言う入浴みたいなものなのかしら?

マシュー;いや、ここでの入浴は汚れた体を洗うという意味合いはまったくない。ここではとにかく汚れはないから、石鹸も水も要らないしね。メンタルな容姿を爽快にする経験というかな。動物たちもそうさ。母さんの六匹の犬もそうだったらいいのにね!

スザン;そうしたらまさに私にとっても地上天国ね!

<環境>


スザン;ニルバーナ(天国)に固い地面はあるの。

マシュー;うん。でも、この領域はどこでもそうだけど、地上の地面の組成とは違うんだ。僕らがバーナと呼んでいる地面を覆っているものは食べられるんだよ。地球で動物が草を食むような感じかな。イージーチェアみたいにふんわりとして素敵なんだ。
景色は地球とは密度が違うけれど、地上と同じような素晴らしい絶景もあるよ。僕はクリスタルのように澄んだ湖の水面に木陰が映るのを見るのが大好きなんだ。木は地球のセコイア杉よりもっと背が高くて、でも輪はもっと繊細で、香りのいいバラ色の花が続く。浜辺にある白い砂みたいな土は、化粧パウダーみたいにサラサラなんだ。

スザン;素敵なイメージを伝えてくれてありがとう!本当に天国みたいなところね!

マシュー;そう、まさに、ここは天国だよ。湖や海、山、森は動かずにいつもここにあって静止した、安定したものといえる。あとは、天候も自分の好きなように瞬時に変えて、何回でも自分が好きな環境を作れるんだ。季節は地球と似たような感じで変わっていく。それはここの住人の大半が指揮の変化を望んでいるからなんだ。つまり、ここには「天国の完璧な一日」が毎日やってくるんだよ。
大半の人がそう望んでいるからみんなで集合的にそのように作り出すんだ。たとえば、屋外コンサートとかお祭りに行っている人は、せっかくの楽しみを嵐で中断させたくないよね。だから、嵐を作り出す人は、一人もいない。でも、どこかで雷や稲妻のドラマを望む人がいれば、その人は、自分のところだけでそれを作り出せる。誰がどんな環境を望んでも、その望む通りの環境を人の迷惑にならずにカプセル状になったゾーン内で作り出せるんだ。

スザン;何だか唖然としてしまうね。どんな天候も景色も思いのままだなんて。

マシュー;確かにすごいことだよね。でも作り出せるのはそれだけじゃないよ。どんなものであれ鮮明にイメージでき、それを真剣に望むのなら、ここでは何でも現象化できる。魂の知覚や創造力が、地球よりずっと発達しているからね。

<パートナーシップ>
(スザン)同性愛のパートナーは、両者が望めばニルヴァーナ(涅槃・天国)でもそのつながりを継続できるの?

(マシュー)そうだよ。同性愛というのは地球ではよく理解されていない。言ってみれば、同性愛は体や物理的側面というよりも、霊の進化の一段階であって、他の身体的あるいは霊的発達段階と比べてとがめられるものでも崇められるものではない。

・それに僕たちは一回きりの人格でなく、類魂だということを忘れてはならない。どの類魂もおそらく肉体、あるいは肉体なしで男性、女性、そして、両性具有の存在として何千回も転生している。

・もし直前の過去世の地球の人生で同性愛者だったら、ここにも同じ状態でやってくる。ここでは体が性的行為をする造りにはなっていないから、同性愛の精神的な側面だけがついてくる。

・地球で猛烈に同性愛を糾弾している人たちというのは、直前の過去世で同性愛者の人格を経験した魂たちなんだ。

(スザン)同性愛は今、地球の歴史上、かってないほど増えているのかしら?

(マシュー)いや、でも有史以来、今はずいぶん人口が増えているから、割合は同じでも数にすれば、増えていることになるね。歴史上、様々な分野で尊敬されている著名なマスターたちは多くが同性愛者だ。

<ニルヴァーナ評議会>
(マシュー)
・たいていの場合、評議員たちは地球に何度も転生しているが、必ずしも地球での経験だけに留まるわけではない。

・評議員は男女、そして、両性具有の魂たちの代表だ。それには素晴らしい知恵や知識を持って新たに加わるものもいるし、また霊的進化からいえば、ニルヴァーナを数段超えているのに、あえてこの領域に留まることを選んだマスターたち、また必要に応じて請願されるグレート・マスターたちがいる。グレート・マスターは住人でもなければ体も持たない。彼らの強力なエネルギーは、この太陽系一帯からリラ、シリウス、プレアデスといった地球文明の発展に緊密に関連する星系に瞬間的に移動できるんだ。



『アプ星で見て、知って、体験したこと』?
ヴラド・カペタノヴィッチ  ヒカルランド  2012/9/30
地球人になったアプ星人はこうして歴史を動かした
プラスイオンによる地球人の陽性化



<地球でかつて聖人と呼ばれた人々は、生きてこのアプ星にいた!>
・「あの男性は誰?」
「僕たちのマスターであるザイだよ。様々な地球人に宿ってきた。そのうちの一人が、イエス・キリストなんだよ」

・「地球人は、イエス・キリストとブッダ、マホメット、モーセ、ダヴィデ、マルクス、マルティン・ルター、その他の地球に生まれた賢人や“聖人”たち――君たちはこういう呼び名をするだろう――が死んでしまったと思い込んでいるけど、それは正しくない。実際には、彼らの誰一人として死んでしないんだよ。みんな不死身なんだからね。
 イエスは死刑となって十字架にかけられた。けどザイが宿っていた人間に釘が打ち付けられ出した時には、ザイは既にアプ星への帰途に就いていた。見張り番のローマ兵も涙を流す人々も、イエスが<分解>したことに気付かなかった。彼は、アプ星随一のマスターの一人なんだよ。絶え間なく全銀河を旅して、地球を頻繁に訪れる。その度に、様々な地球人を教育しているんだ。彼らが、エゴイズムのない、平等と友愛を基盤とした生活構築を目指せるようにね。彼はとても陽性なので、多くの惑星、例えばナー星やアウックス星、ズィー星が現在、和合生活を享受できるのも、彼のおかげなんだよ」
「ということは、イエス・キリストは生きているの?」
「もちろん、他のアプ星人同様、不死身なんだよ。ただ彼の場合は、他の銀河や惑星の生命体を助けて文明化を促す、という任務を担っている。この点が、他の人と違うだけだよ。
 彼はね、様々な惑星の住人たちから、既に57回も死刑宣告を受けているんだ。地球でも何度か死刑にされた。そのうちの一つが、ギリシャに生まれた賢人であるプロタゴラスであった時のことだよ。当時の地球人は、彼が偽物の科学者だと糾弾して、彼を海に突き落とした。それから約500年後にザイは地球に戻り、イエス・キリストの名で知られるようになる。その際には、ヘブライ人夫婦の子どもの身体に宿ったんだよ。差別がない自由で友愛に溢れる新しい労働社会の形成を地球人たちに説くためにね。そんな社会ができれば、地球人はすぐさまアプ星人の進化レベルに達するはずだった……」
「イエス・キリストは生きているっていうことね、ガット」とイヴァンカは改めて確認する。
「そうだよ。そこにいる、マスターであるザイがイエス・キリストだったんだよ」
「彼がイエスに宿ったの?」
「まさにそのとおり、イヴァンカ」

・「今から私たちのマスター・ザイが、全アプ星人が習得済みである、彼によって開発された素晴らしい技術のひとつを披露します。マスターは、皆様がたのどなたかを<分解>し、自らの傍らに運び<再融合>します」
 突然、イヴァンカは何ともいえない快感を覚えると、次の瞬間には何も感じなくなっていた。光も、愛するガッドさえも見えない。ラグーナや爬虫類、空やアプ星の地面も見なくなっていた。彼女という存在は、全ての能力が保持されたまま、テーブルにいた時と全く同じ姿のままで、ザイの隣に現れた。
 どうやって宙に浮いているのか理解できなかったが、とにかく彼女はそこにいた。

・「ではいいかな? デモンストレーションに協力してもらえるかな?」
「ええ、愛する人。私はオーケーよ」と嬉しそうに答えた。
「忘れないよ、イヴァンカ」と彼が言うと、次の瞬間、彼女がいた場所、つまり座っていた椅子の上に、色が変化する羽毛に包まれたツバメが一羽現れた。その時、イヴァンカをなによりも驚かせたのは、知らないうちに鳥に変身させられた、という事実だった。鳥の姿になっていたにもかかわらず、人間であった時と同じように考え、推理し、判断していた。
 彼女は、ガッドのテーブルまで飛びたいと思ったので、すぐさまそうしてみた。彼女はガッドの右手にとまると、嘴で指をつつき始めた。人々は拍手喝采する。ツバメは再び空を飛びザイの隣に戻る。最初にいた椅子の上に戻ったかと思うと、彼女は女性の姿に戻ったのだった。

・ステージがどこに行ってしまったのか、ガッドに尋ねようとしていると、二人のテーブルから右手に数メートル離れた円形のスペースの地面に、ザイと先程までテーブルの周りにいた全ての動物たちが現れた。その後すぐ、ザイは別の見世物を即興で始めた。動物たちは異文明の生命体に変身し始めたのだった。イヴァンカはそうした生命体を最高性能のスクリーンで既に見ていた。
 このデモンストレーションが終了すると、ザイは人工血液について説明を始めた。人工血液は器官で消耗された細胞を再生し、不死化するのだ。この話には、イヴァンカはさして感動しなかった。アプ星に到着した際、自ら体験していたし、その有効性は実証済みだった。
 その時イヴァンカがやりたくて堪らなかったことといえば、ずば抜けた能力に恵まれたあの男性に近付いて、2千年前本当にイエス・キリストに宿っていたのか、と質問することだった。

・ユニバースが神秘の王国に隠していた最大の秘密の一つである、極めて陽性な発見を太古の昔に成し遂げた偉大なるマスターは、舞台から忽然と姿を消してしまった。代わりに現われたのは、背の高いアプ星人だった。彼は甘美な声で目に見えないマイクを使いながら、自分は発明家であると述べた。彼は、宇宙のプラスイオンを濃縮させ、様々な用途のエネルギーに変換する装置を発明したのだった。
 発明家は、四角い小箱を手に取ると、サイキック能力で箱を宙に浮かせた。そして箱を様々な物質に変えてみせるのだった。そのうちのいくつかは、太陽光よりも格段に明るい陽性の光を放っていたし、超光速のスピードで上空に消えてしまうものもあった。しかし数秒後には、もとの場所に再び姿を現し、また異なる物体に変化するのだった。

<ザイ/地球でイエスだった人物>
・唐突に、イヴァンカにとって思いがけないようなことが起こった。前方のテーブルの間に、ペドロとケイ、そして僅か数分前に彼女を宙に浮かせツバメに変身させたアプ星人が現れたのだった。

・「ならあなたは何歳なの、ケイ?」
「二千三百歳よ」 イヴァンカは驚きの溜息を禁じ得なかった。

・全員が着席する。イヴァンカは立ったままだったが、やがて彼女も椅子に座ると、ザイを見つめた。まだ確信は持てなかったが、自分の目の前にいるのは、ユニバース随一の陽性な生命体の一人なんだ、と思う。彼女の前に座っているのは、物心ついたときからその善良さを繰り返し聴かされてきた神秘的な人物なのだ。
 今しがた、地球では多くの人からユニバース創造主の息子と見なされている人物の手に触れたのだという実感が湧くと、彼女の頭の中には奇妙な考えが浮かんできた。なんといっても彼は、善意と正義、恐怖と愛情の体現者であり、懲罰者と救世主でもあると考えられているのだから。地球人の幸福のために地球に来て、そのために磔刑に処されたのは、彼だったのだから、彼が、戦争や異端裁判、浄化の焚刑の原因でもあったのだから。

・僕は何度も地球へ行った。それは、地球の兄弟たちに奉仕するためであって、“超人”だと見なしてもらうためではなかった。第一、全ての人間は例外なく“超人”になれるんだからね。僕たちは皆、同じ能力を備えている。ただ地球には、超能力開発に繋がる学習と労働に専念できるような、友愛と誠意に満ちた社会組織が欠けている、っていうだけのことだ。

<アプ星人ザイ/地球でのイエスがその真実のすべてを語る>
<細胞の<分解>と<融合>/イエス、モーセに宿っていたときのこと>
・「それはね、イヴァンカ」とザイが話し出した。
「ユニバースの陰性の渦が巻く領域に、天の川が漂っていた時代の出来事だった。陰性の力に満たされてしまった地球人は、金銭欲や政治的な権力欲を抱くようになり、三度目となる地球人全滅の危機が迫っていた。極めつきの利己主義者で生命に対する陰性の力に充ち満ちているローマの皇帝たちは、敵対する民族は全て絶滅させようと決意していた。つまり、地球人は食人種になろうとしていたから、矯正して殺戮を防ぐ努力をする必要があった。
 そこで僕は地球に行った。アプ星から地球が分離する以前の遺跡がまだ残っている地域に着陸したんだ。そこから僕の旅が始まった。全地球人の破滅を招きかねない弾圧や争いがある国々を回ったんだよ。
 ナザレの街の近くにある村には、ベタニア出身のエレナと古代都市ジェリコ出身のダヴィンチから成る一組のヘブライ人夫婦が住んでいた。

・1年後、エレナは再び子ども授かった。そこで僕は彼女の胎児に宿ったんだよ。
「ザイ、一つ聞いていいかしら?」
「ああ、イヴァンカ、もちろんだよ」
「ペドロはアプ星人は<分解>した後、胎児に宿り、アプ星人のミニウスが胎児のミニウスと結合するようにする、と説明してくれたわ。そういうものなの?」
「ああ、そうだよ」
「私はこう思うのよ、ザイ………大人の身体を形成する細胞数は、子どもの細胞数よりもずっと多いはずよ、ならば、子どもに宿った時、アプ星人の余剰の細胞はどうなってしまうのか知りたいの」
「ペドロが君に説明したとおり、<分解>と<融合>を促すのはミニウスだ。またミニウスは子に宿る際に必須の要素となる。“宿る”というのは、<分解>と<融合>の一現象だからね。なんといっても、宿るためにはまず自分を<分解>しなければならないんだから。アプ星人が子どもに宿るとき――胎児であれ胚であれ――必要なミニウスしか使わない。
 この際、二通りあるプロセスのうちどちらかを用いる。まず、子どもの細胞を全部取り替える方法。つまり、子どもを<分解>しアプ星人の
新しい細胞を用いて元の形に<融合>することだ。二つ目は“宿主”の成長に伴い、アプ星人の細胞のミニウスを“宿主”の細胞に徐々に融合させていく方法だ。余剰分のミニウスは常に“宿主”の周りに分散して漂っている状態になる。人間の目には見えないけど、宿った人物の命令にいつでも反応できるようになっているんだよ
 例えば、僕が君をツバメに変身させたとき、君のミニウスを鳥の形成に必要な分量だけ用いた。残ったミニウスは君の周りにあったんだよ。僕が<分解>を行った本人だから、残りのミニウスはいつでも僕の命令に従える状態にあったんだ。

・「その話はね、イヴァンカ、僕の過去の宿主の話にまで遡ることになる。最高性能のスクリーンで好きなときに見てごらん。
 僕がモーセに宿っていた時の事だった。僕は陽性な知己知人のグループに、規律もとい戒律――地球ではそう呼ばれているよね――を渡したんだ。人類にその戒律を広めてもらえるようにね。
 そのグループには、エス・ニエと呼ばれていたアプ星での集団生活の詳細について教えたんだ。エス・ニエという言葉はね、地球人の言葉だと“協力”という言葉に一番意味が近いだろうね。この言葉が、時が経つにつれて“エッセネ”に変化していったんだよ。
 では、話の続きをするよ、イヴァンカ。登録から数日後、つまり地球時間のローマ暦741年10月23日3時27分に、ヘリオポリスでエレナ(マリア)は男の子を出産し、その子はイエスと名付けられた。その陰性の時代には、平穏な場所などどこにもなかった。

<十字架にかかったのは、イエスのイメージ体 ⁉>
・「刑場で、彼らは僕をオリーブの十字架の上に横たわらせると、釘を打ち付け始めた。その瞬間、僕は<分解>したんだよ。兵士たちと居合わせた人々は、数分前に彼らの頭の中に刻まれたイメージを十字架の上に見ているだけだった。それはもう現実のイメージではなかったんだよ。僕は自分の姿を目に見えないようにすると、母に近付いて耳元で言ったんだ。
「お母さん、泣かないで。あなたの息子は死んでいません。あなたの隣にいます。家に戻ってください。間もなくしたらお母さんのところに行きますから」
 母は僕の能力を知っていたので、言われるとおりにした。マルタとマグダレーナ、その友人たちが、十字架にかけられた僕のイメージが“苦しむ場面”に立ち会っている間、僕は既に母の傍らにいて、現実と僕たちの世界の暮らしについて説明を始めていたんだ。その後、僕は母をアプ星に連れてきた。今は、ミイ星にいるよ。戻ってきたら君に紹介するからね」
 イヴァンカは仰天してしまった。

<ザイの地球帰還/暗黒時代に放ち続けた陽性のフォース>
<マルティン・ルターとしてのザイの生涯>
・「あなたは何回地球人と暮らしたことがあるの、ザイ?」
「何度もあるよ。イヴァンカ。僕は、ここ30万年の人生で、何百人という地球人に宿ったからね。今からイエスの後に宿った二人の人物について君に話をするよ。その後、モーセとピタゴラス、他の人物に宿った時の僕の仕事も説明する。
 さて、イヴァンカ、ナザレ人――地球人はこう呼ぶだろう――に宿った12世紀後に、僕は子どもに宿った。ザクセン人の夫婦の息子(マルティン・ルター)だよ」

<レオナルド・ダ・ヴィンチに陽性の着想を与え続けたアプ星人アマン>
・「シャベ未亡人は僕をジョバンニ・トレボーニオという教師の元に連れて行ってくれた。この人物はアプ星人のアマンによって陽性化された地球人の一人だった。ちなみにこのアマンは、賢人レオナルド・ダ・ヴィンチに陽性の着想を与え続けていた人物だよ。アマンが、彼に驚異的な発明をさせていたんだ」

<生命と万物の起源/アプ星における人間誕生の瞬間>
<疑問に対する答えを瞬く間に映し出す最高性能スクリーン>
・「地球と地球人の生命はどのようにして誕生したの、ザイ」
「それはね、イヴァンカ、とてつもなく長いプロセスなんだよ。これを全部詳細にわたって話すとなれば、地球時間で何ヶ月もかかってしまうよ。だから、タイムスクリーンで見た方がいいと思うよ。こうなれば、全ての詳細も明らかになるからね………どうする?」

・「僕たちの陽性なスクリーンは、物質と生命の創造を促したプラスイオンの出現以降に起こった出来事を全て映し出すからね。プラスイオンが現れる以前は、無しかなかったので、そこは注目に値しないから」
 イヴァンカはスクリーンを見つめた。すると、陽性の装置なしでは人間の目ではとらえられないほど微細極まる塵の淡い煙霧が、暗い無限大の宇宙にあるのがなんとか確認できた。陽性の装置は、暗闇や水中、空中、地中にある、ありとあらゆるエレメントの存在を探知できるので、そうした場面の映写が可能なのだ。
“地球時間で言って、この瞬間から現在まで、宇宙現象の変遷にどれほどの時間が費やされたのか、誰に聞けばいいのかしら?”とその時イヴァンカは思う。すると瞬く間に、スクリーンの右下に、次のような言葉が表示された。
“あなたが見た万物の起源からあなたの誕生の瞬間までは、地球時間に換算すると、17×10583年の隔たりがあります”

・こんな驚異的な現象を経て、人間の眼には見ない塵が、生命体が棲息可能な冷たく硬い巨大球体に変貌するまでいったい何年かかったのだろうか、とイヴァンカは考える。するとスクリーンに次のような文章が現れた。
“あなたが今、最高性能のスクリーンで目にしたばかりの球体すなわち惑星の形成、冷却、凝固には、地球時間に換算して、10584年を要しました。ですが今後、惑星の形成にはこれ程の年数はかからなくなります。形成済みの惑星が環境を整えたので、以降、惑星の凝固にかかる時間は、大幅に短縮されるようになりました”

<地球人にも人工生殖が必要な理由/宇宙空間の陰性ゾーン通過>
・これほどまでにも奇妙な外観の小動物群が現れて、イヴァンカは仰天してしまう。彼女は、人間の目でようやく識別できるほど小さな蛙の一種が出現したのだ、と思った。
「この動物は何なの、ザイ」と興奮して尋ねる。
「これは最初の人間なんだよ。その形成については、先程述べたとおりだ」と彼は答える。
「なんて小さいのかしら、ザイ! アリのようだわ!」
「まさにそのとおりだよ、イヴァンカ……。僕たちの祖先となる最初の生物がアプ星の地表に現れた時、あまりにも小さかったので、サイズからすればアリにとても近かったんだよ」とザイが答えた。
 イヴァンカは最高性能のスクリーンで、一部の動物が二本足で歩くために立ち上がる様子を目撃する。



『アプ星で見て、知って、体験したこと』?
むかし、むかし、地球はアプ星の一部だった
通過なきユーアイ・シデレウスの世界
ヴラド・カペタノヴィッチ  ヒカルランド  2012/9/26



<通過なきユーアイ・シデレウスの世界>
<文明の極致ギャラクシーX−9/アプ星での生活見聞録>
・ここがいちばん違っていた/お金と太陽光線のこと/物質と生命のこと

・地球はお金を基盤とする社会をやめなくてはいけません!支配、搾取、戦争その原因のほとんどはお金です。そして地球と太陽との位置関係がまもなく変わります!陽性の太陽光線が降り注ぐようになると、地球はアプ星から分かれる前のお金の必要のない陽性文明に戻って行きます。アプ星と地球は今の太陽が生まれる前、一緒の星だったのです!

<超太古、地球も太陽系もアプの一部だった………>
・『アプ星で見て、知って、体験したこと』でヴラド・カペタノヴィッチが語るのは、アプ星のスぺ―スシップ内にあるタイム・スクリーンで目にした事柄です。彼は前作でスぺ―スシップの乗組員に招かれて船に乗り込むのですが、その乗組員の一人が、本編の主人公たるイヴァンカでした。彼女はもともと地球人でしたが、その後、健康で陽性なアプ星人へと大変身を遂げた人物だったのです。
 本作のテーマとなっているのは、ペルーのアンデス山脈を舞台とするコンタクト・ストーリーである。

・ヴラド・カペタノヴィッチは、アプ星での生活や歴史、社会の仕組み、驚異的進化を遂げた科学を描写し、アプ星人が頻繁に繰り返してきた銀河間トラベルについて語ります。彼らは太古の昔から宇宙の様々な星を訪問し続けているのです。そしてとりわけ地球に対して、彼らは特別な愛着を常に抱いてきました。なぜなら、“太古の昔には、私たちの太陽系は全てアプの一部だった”からなのです。

<スぺ―スシップのタイムスクリーンで見た驚異的な事柄>
・あなたが手にしている本は、人生と宇宙について今まで人類が抱いてきた認識を完全に覆す内容となっています。私たちの観念ではまだ異様に映る奇っ怪極まる真実は、あなたを驚かすことでしょう。それは、仮に科学者ソクラテスの庭先に私たちがヘリコプターで降り立ち、テレビやラジオ、ワープロを贈ったり、コンピュータの機能を説明してあげたりした場合に、彼が覚えるはずの驚きと同じです。
 本書の内容を真実と見なしてもらおうと、あなたを説得するつもりはありません。そんなことをすれば、あなたの選択の自由に干渉することになるでしょうし、私はガリレオよりもイカレた人間だと見なされてしまうかもしれません。ご存じのとおり、地動説を唱える彼を、異端裁判官は気違い扱いしていました。
 唯一興味があることといえば、人間の友愛的和合と、人類という幸せな家族の速やかな誕生です。私は今、単に約束を守っているだけです。15年前、ペルーのアンデス山脈で宇宙人と出会ったとき、スぺ―スシップ内の(今のところ)驚異的なタイム・スクリーンで目にした事柄の、ごく一部を人類に伝えようと努力し続けているだけなのです。

<地球に居るアプ星人たち>
・「現在、地球にアプ星人はいるの?」
「もちろんだよ、イヴァンカ。僕たちは助けを必要とする者たちをサポートするため、宇宙中に散らばっているんだ。なぜって、これが僕たちの責務であり、生まれながらにして負っている陽性の使命だからだよ。これこそが、僕たちの存在理由なんだ」

・「そうだよ、メイは何年も前から既に地球にいる。地球人として生まれているんだ。たぶん今世紀半ばには、大きな進展をもたらすはずだよ。彼の陽性の助けを得て、地球のある地域は称賛すべき抜本的改革を成し遂げることになる。
 一方ザイは今、ピー星にいる。20世紀半ば頃に、彼も再び地球人として生まれることになるかもしれない。地球人を精神的苦悩から救い出すためにね。その時、もし地球人が自ら開発した爆弾でまだ自滅していなければ、21世紀には、地球で大規模な陽性の改革が行われるだろうよ」

・「地球はアプ星の一部だったと、さっき言ったわよね。なら、男女共々、あなたたちが地球に連れてきたの?」

「ああ、アプ星から分離してずいぶんと後のことになるけどね。君たち地球人は、僕たちの一部なんだよ。先程も言ったとおり、地球は僕たちの星だった。僕たちは何回か地球入植を行なった。アプ星の爆発後、僕たちは超光速のスペースシップを完成させるまでに、何十万年もの歳月を費やしたんだ。そうなるまでは、宇宙旅行と言えば、僕たちの銀河内の惑星訪問に限られていたうえに、何百年もかけて旅行していたんだよ。
 けれど、一旦こうした問題が解決されると、他の惑星へのサポートも増えた。ザイが物質の<分解>と<融合>の技術を完成させてからは、思考速度で宇宙旅行をすることさえ可能になったしね。こうして、地球人への援助は格段に強化されたんだよ。
 事実、ザイが二度目の地球滞在から戻ってきて以来、アプ星人は地球とこの星の間をひっきりなしに行き来している。その大多数が、地球の人間として社会に溶け込むために赴く一方、他のアプ星人、要するに僕のような者は、地球に行って問題点を観察し、ここに戻ってくるんだ。その後、問題の解決策を練って、再び地球に戻り地球人を助けるんだよ」。



『銀河間トラベラー「アプ星人」との170時間』
ヴラド・カペタノヴィッチ   徳間書店  2010/6/30

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

<ペルーのアンデス山脈で遭遇した不思議な宇宙人{アプ星人}との交流記>
・著者は、当初、彼らを宇宙人ではなく外国のスパイだと信じて疑わない。しかし、目にする超技術とそれを支える高貴な精神性に、次第に子心を許してゆく。他人の幸せを優先して行動する“愛他主義”の彼ら。そのキーワードは「全ては他者のために」。

〇彼らの責務は全ての生命体を守ること
〇地上の草さえも傷つけずに円盤を飛行する
〇「忘れないよ」は、アプ語では感謝の言葉
〇生命体の根幹を成すのは、和合・労働・学習・平和
〇エッセネ派のクムランはアプ星人の科学研究所だった
〇聖地クスコの由来は、工事監督だったアプ星人の名前クザクから
〇平和のために支援された“国際法の父”グローティウスと国連創設

<アプ星人は語る?>
・僕たちは、銀河系外にあるアプと呼ばれる惑星から来ているんだよ。僕たちの使命は、細胞と生命を守ること。だから、いろいろな形で他の生命体を助けるために、宇宙を旅して回っているのさ。つまり、僕たちの存在や<超能力>を信じてもらうために、旅しているわけじゃないんだよ。

<アプ星人は語る?>
・僕たちが最近よくここに来る理由の一つは、人間の精神の陽性化だ。人間が瞑想を通じて、戦争ではなく、理性で自らの問題解決策を見出せるようにするんだ。

<アプ星人は語る?>
・ここ数世紀というもの、人間は賞賛に値する科学的発展を遂げた。地球人は分子を分解し、存在の主要素であるミニウスの発見に近づきつつある。僕たちのマシンに似た、宇宙旅行用マシンの建造も始まっている。

<アプ星人は語る?>
・人間たちは新しい時代に突入したんだ。だから僕たちはここにいて、君たちと共にいる。数世紀以内に、地球人とアプ星人が一つの家族として生活できるようになる可能性があるんだ。

<時には、どんなファンタジーよりも受け入れがたいような現実が生じることだってある>
・唯一の懸念は、人間が素早く一致団結できるか否かという点です。現在人類は、破滅をもたらす諍いの火口に自らを晒しています。
 労働力の大半を絶え間なく費やすのは兵器工場であるため、兵器庫には武器があふれかえっています。大砲による同族への爆撃が止むことなく、原子力爆弾や水素爆弾、中性子爆弾が常に頭上にぶら下がり、地球生命体の存続は脅かされています。さらに、不治の病に未知の病気、飢餓、貧困は、人間の命を際限なく奪っていきます。
 そこで、一致団結して学び働くためにも、人間同士の心からの相互理解が急務となってくるのです。それが、人類存続が保証される唯一の手段なのです。
 だからこそ、私は皆さんに語るのです。アプ星社会の科学的発展とテクノロジー随順についてはもとより、地球の過去、現在、未来についても。私は全てを、あのペルー・アンデス山脈に降り立ったスぺ―スシップ内の<タイム・スクリーン>で目の当たりにしたのですから……。

<兄弟愛から地球を訪れるアプ星人との出会い>
・二人とも、なで肩で背が高く均整のとれた体つき。着ているものといえば、体にぴったりと密着した、奇妙な色の極薄ニット・ウエア。なんだか、アザラシの濡れた肌のような風合いです。巨大なレンズ豆に似た堕円形の物体、マシン。

<長身のアプ星人には、全民族の特徴の融合が見られる>
・彼らは長身でした。ですが、背丈からどこの民族かを特定することはできません。唯一の特徴といえば、なで肩と大変均整のとれた体つきです。彼らは、地球上の全民族の特徴が融合されたようなルックスだといえました。

・顔の形はアラブ人に似ていましたし、目はモンゴル人です。鼻はスカンジナビア風で、顎はインド人のような印象を与えました。また、肌の色は明るいバラ色です。

<銀河系外にあるアプ星>
・「数十億年前に、アプ星人が原子を最小微粒子に分解して以来のことよ。この業績のおかげで、私たちは、最も崇高な力を手に入れることができたの。例えば、不死、プラスイオンの制御能力、その他にもたくさん・・・」

・重力除去能力で巨大な石も運んでしまう。アプ星人は太古より人類を見守って来た。イエス・キリストも地球を陽性化したアプ星人の一人だった!

・「宇宙現象のせいでアプ星人が地球に通いにくくなってから、地球時間で5億年という年月が流れた。少し前から、つまり20世紀初頭から、地球が属している銀河は陽性のゾーンに入った。

・このゾーンは私たちの船や浮遊都市の航行には好都合なんだ。もし僕たちが何の問題もなくここに来ることができていれば、地球生活の多くの問題は既に解決されていたんだよ」

・国連創設の背景にアプ星人のバックアップがあった。ルーズベルト大統領にもアプ星人の働きかけがあった。エッセネ派の拠点クムランは、太古アプ星人の科学研究所だった!

<スクリーンに映されたペルーの未来の大惨事>
・引き続き、数多くの銀河誕生の発端となったアプ星の爆発以降、この地域で過去に発生した大災害の様子が次々と映し出されました。タイム・スクリーンによる過去の映写が終了すると、今度は、今後この地方が晒されることになる天変地異の投影が始まりました。



<●●インターネット情報から●●>
・「カムサビア」 (宇宙の話題を楽しむ宇宙カフェ)から引用
宇宙人エロヒムという「天空から飛来した人々」が地球の全生命を創造したとするラエル説
Contents
1 宇宙人エロヒムという「天空から飛来した人々」によって、地球の全生命が創造されたとするクロード・ボリロン・ラエルの主張は、古代宇宙飛行士説の代表的なもの

2 クロード・ボリロン・ラエルは、1973年にフランスでエロヒムという異星人に遭遇し、地球の真実についてのメッセージを伝えられた
3 聖書における神(GOD)という言葉の原語は、エロヒムという「天空から飛来した人々」を意味するヘブライ語であり、他の惑星からやって来た異星人の科学者たちのこと
4 聖書における神(GOD)という言葉は史上最大の誤訳であり、聖書は世界最古の「無神論」の書

5 高度な文明を持つ、異星人エロヒムの科学者たちが、生命創造の実験場として、地球という惑星を発見した
6 宇宙人エロヒムが地球にやって来た25000年前、その当時の地球は、水と濃密な霧にすっぽりと包まれていた
7 月を今ある形に配置したのは、地球の全生命の創造者である宇宙人エロヒム

8 エロヒムは、原初の巨大な一つの大陸を創造し、高度な遺伝子工学によって、植物・動物・人間を科学的に創造した
9 『創世記』に「神は御自分にかたどって人を創造された」と書かれている通り、異星人エロヒムに似せて私たち人間は創造された
10 人類最初の人間であるアダムとイブは、実験室の中で科学的に創造された「試験管ベビー」だった

11 進化論は誤りであり、生物の進化とは、エロヒムによる生命創造技術が進化していった痕跡
12 世界の主な宗教の源は一つであり、創造者である宇宙人エロヒムが源となっている
13 モーゼや仏陀、イエス・キリスト、マホメットなどの古代の預言者たちは、エロヒムから遣わされた偉大なメッセンジャーたちだった
14 モーゼや仏陀、イエス・キリスト、マホメットは不死の生命、永遠の生命を与えられて今も生き続けており、いずれエロヒムの宇宙船(UFO)に乗って地球にやって来る

宇宙人エロヒムという「天空から飛来した人々」によって、地球の全生命が創造されたとするクロード・ボリロン・ラエルの主張は、古代宇宙飛行士説の代表的なもの



『Asahi Shimbun Weekly AERA 2018、10.22』
『キリストは青森に眠る?』
東北に不思議な「歴史遺産」が多いわけ
古くから人々の心を捉えてきた河童や源義経の伝説。
青森にキリストの墓、秋田にピラミッド、福島にUFOの聖地―—。
東北には不思議な伝説が数多く残る。一体なぜ?



<キリストのお墓の前>
・浴衣姿の20人ほどの女性たちが、呪文のようなフレーズに合わせ輪になって踊っている。
「ナニャド〜ヤ〜ラ ナニャドナサレ〜ノ ナニャド〜ヤ〜ラ」
 輪の中心にあるのは………驚くなかれ、十字架がそそり立つ「キリストの墓」だ。

・ここは秋田県との県境にある青森県新郷村の戸来地区。6月の第1日曜日、盛大に開かれる「キリスト祭」は今年で55回目を迎えた。人口2500人ほどの村に約1千人がつめかける。外国人の姿もあり、不思議そうに踊りを眺めていた。
「踊ると背筋はシャキッとしますね。キリストのお墓の前ですから」
「ナニャドヤラ」保存会長の佐藤久美子さんは舞い終えた後、楽しそうに話した。

・佐藤さんによれば、ナニャドラヤとは元々、青森県南部から岩手県北部など旧南部藩に伝わる盆踊り。しかしその意味も語源も、諸説あるがよくわかっていないという。

<古文書が伝えた「異説」>
・それにしてもイエス・キリストがなぜ青森に眠るのか。ゴルゴダの丘で磔にされたはずではなかったのか。渦巻く疑問に対し、新郷村の元職員で「日本国青森県新郷村キリスト日本渡来説案内人」を名乗る永野範英さんは次のように話す。
「1931年に『竹内文書』が発見されるんですけど、その中にキリストの遺言状らしきものがありまして……… 
『竹内文書』とは、超古代の歴史を記したとされる古文書だ。
茨城県磯原町(今の北茨城市)にある皇祖皇太神宮の管長を務め、天津教教祖だった竹内巨麿の自宅に伝わっていた。そこに「キリストが戸来に住んでいた」と記されていた。竹内氏は4年の歳月をかけ「戸来」の場所を突き止め、小高い丘の竹やぶの中に土饅頭を発見するとこれをキリストの墓と「認定」した。そこに村が十字架を立てたのだ。

・『竹内文書』によれば、ゴルゴダの丘で処刑されたのは身代わりの弟だったという。キリストは生き延び、船で青森県の八戸にたどり着き、戸来へ。そこで日本人女性と結婚し3女をもうけ、106歳で死んだ――。
 敬虔なクリスチャンが聞けば卒倒しそうな話だが、村にはマスコミや学者も押しかけるようになり全国に広がった。
 異説を裏付けるような材料もそろっていた。
「当時の村名『戸来』は『ヘブライ』に由来すると言われました。また、村には子どもの額に十字を墨で描く風習があった。そんな傍証もつけ加わったのです」
 村でも「まんざら見当違いではなさそうだ」との声が強まり、64年から観光行事としてキリスト祭を行うことに。今や村をあげてキリスト来村説を歓迎し、墓を取り囲んで「ナニャドヤラ」を奉納するのだ。

<ピラミッドもUFOも>
・東北――。かつて時の中央政府から「蝦夷」と呼ばれた人々が住んだこの地には、摩訶不思議な話が多い。
 秋田県鹿角市にはピラミッドとストーンサークル。岩手県遠野市には河童伝説。青森県外ヶ浜町には、はるか南の平泉で没したはずの義経伝説が残る。福島県飯野町の千貫森は数多くのUFOが目撃される「聖地」だ。
 鹿角市にあり「日本のピラミッド」と呼ばれているのは黒又山。標高281メートルで、形のよい三角形の山姿は、離れて見るとピラミッドに見えなくもない。
 実は、黒又山=ピラミッドという壮大な仮説は昭和初期からある。山の南西2キロに、約4千年前の縄文時代の遺跡・ストーンサークルがあり、ピラミッドは縄文人が造ったのではないかなどといわれた。1992年、東北学院大学教授をリーダーとした学術調査隊が現地に入りナゾに迫った。地中レーダー探査の結果、山がピラミッドかどうかはっきりしないが、祭祀を行う場所だったことは間違いないと結論づけた。

・「4世紀に大和朝廷が成立すると、古事記や日本書紀などによって神話が文章化され、政権が公認する「正史」が成立します。またその過程で、幾内から西には一つの統一文化圏が成立していきました。そういうところに、キリストの墓やピラミッドがあるという話を押し込むことはできない。それに対し、東北は中央に取り込まれなかった分、伝説などが入り込む余地があったのではないでしょうか」
 
・福島県飯野町。町の北側にそびえる千貫森(標高462メートル)。この山では大正時代から「ひかりもの」という発光物体がたびたび目撃されている。

<自由に考える心の広さ>
・「地底に強力な磁場があって、山自体がUFOを呼び寄せるパラボラアンテナの役割を果たしているからだと思います」
 そう持論を展開するのは、山の中腹に立つ「UFOふれあい館」の元館長でUFO研究家の木下次男さん。すでに6回もUFOを「目撃」したことがあるという。
 木下さんが最初にUFOを見たのは72年、25歳のとき。福島県中部の安達太良連山を仲間と登る途中、山頂付近にヘルメット形の物体が現れた。
1円玉のような少し鈍い銀色。空中で約30秒静止し、目をそらした瞬間に消えていたという。
 超常現象か、ただの見間違いか。UFOの存在を証明することは難しい。だが大切なのは興味をつきつめる探求心だ。いまもUFOに思いを巡らしているという木下さんは熱く語った。


ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より引用
<キリストの墓>

1934年(昭和9年)に十和田国立公園区域に編入漏れした戸来村の村長から村の視察と紹介を頼まれた日本画家の鳥谷幡山が村周辺を探索。1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間〜3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。

この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという。ただし、竹内文書は多くの研究者から偽書と断定されている。

この後「古代史書研究会」が来村、戸来村の村名は、ヘブライに由来するとした。 アメリカ在住の川守田英二が現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるという書簡を戸来村に送った。

また鳥谷は日蓮行者で降霊術師の小松周海に招霊を依頼し、「キリストの妻の名はユミ子、娘が三人いる」との答えを得、その子孫が村の旧家の沢口家であるとした。その旧家に伝わる家紋は「桔梗紋」と言われる五角の形であり、ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似しているとしイスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もある。 戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があったという。

キリストの日本渡来を固く信じる山根キクが鳥谷の紹介で来村し、1937年出版の自著『光りは東方より : [史実]キリスト、釈迦、モーゼ、モセスは日本に来住し,日本で死んでゐる』の中で戸来村のキリストの墓を紹介する。翌1938年にニューヨークの新聞に戸来村のキリストの墓の写真と記事が掲載され、それを見て興味を持った仲木貞一が映画『日本におけるキリストの遺跡を探る』を制作し広く知れ渡った。

東京大学の余郷嘉明助教授による世界34カ国にわたるヒトポリオーマウイルス分布調査によれば、コーカソイドに見られるEUタイプウイルスが秋田県で見つかっている。 これはコーカソイドの集団が秋田周辺にやってきた可能性を示すものである。ヘブライ人もコーカソイドであることから、これら遺伝情報調査結果は日ユ同祖論の傍証となっている。

ただし、全くの奇説であり、大多数の日本人はおろか、他国でも全く認められておらず。また、その根拠としているものも、学術的な論拠にもならない。竹内の来訪以前に、キリストやそれを彷彿とさせる貴人が戸来に逃れて来て死んだという伝承は現地になかった。「ナニャドヤラ」やそれに近い「ナニャトヤラ」も戸来固有ではなく、岩手県北部にかけて広く歌われていた。

(十和田湖畔戸来岳)
1938年、山根キクは著作『光りは東方より』(釈迦、モーゼ、ヨセフ、キリストが修行のため来日したという)で十和田湖畔の十和利山(戸来岳)にキリストの墓があるとした。なお、前述の戸来村は十和利山(戸来岳)の山麓にあたる。



『新潮45』 2017年9月号
『めくるめくパワースポット    高橋秀実』



<空を見上げればUFOがいる?>
<その地は磁気が強く、方位磁石も狂う。そしてUFOが多数目撃されているということだった。>
・パワースポットのパワーは大抵、目に見えないものだが、中には「見える」という場所もある。
 例えば、福島市飯野町の千貫森(せんがんもり)。標高462.5mの小さな山なのだが、かつては良質の砂鉄が産出したそうで磁気が強いらしい。場所によっては方位磁石も狂い、磁気に引き寄せられるようにUFO(未確認飛行物体)が頻繁に飛来するという。これまでに数多くの目撃例があるそうで、UFOが「見える」ことがパワーの証拠になるのだ。

<UFOに見える>
・JR福島駅から路線バスに乗る。阿武隈川の流れを横に見て、林道をくねくね進むこと約30分。目の前に現れた千貫森はまるでメロンパンのような形のかわいい山だった。

・そして登山口には福島市の施設「UFOふれあい館」がある。UFOを模した8角形の建物で、そこでUFOに触れ合うらしい。

・「都会の人はわからないかもしれませんが、このあたりはトイレも離れでして。夜、トイレに出かける時に、山のほうに発行体が見えたという話は昔からよくあるんです」女性スタッフにそう教えられ、とりあえず私は館内を見学することにした。

・全体的に地味な印象だが、私が目を引かれたのは千貫森周辺で撮影されたというUFO写真の数々である。
—―これは何ですか?
思わずスタッフにたずねると、彼は即答した。「雲でしょうね」千貫森山頂近くに浮かぶ円盤状の雲。雲のように見えたのだが、本当に雲なのである。その下の写真も「おそらくつるし雲です」とのこと。その隣の写真には白い発行体が写っている。「これはUFOに近いですね」
—―近い?
「持ち込まれる写真の多くは、鳥、月、金星です。そこにモヤがかかっていたりするとUFOに見えるんです」
 いずれも未確認だが、未確認な物体のことをUFOと呼ぶのである。

・名物は地元の鶏でダシをとった「W地鶏ラーメン」。食べてみると本当に美味しい。県外からこれを目当てにやってくる観光客も多いらしく、経営的には「UFOふれあい館」も黒字のこと。子供連れの家族などはUFOと聞くと「とりあえず行ってみよう」という気にもなるわけで、UFOが利益をもたらしているようなのだ。

・UFOをお迎えするために設置されたという「UFOコンタクトデッキ」に上ると、一気に展望が開けた。風が心地よい。見渡せば、「一貫森」「天井山」「女神山」など周囲の低い山々が着陸したUFOのように佇んでいる。空を眺めると、たなびく雲。

<何かしら用がある>
・「UFOを見たのは6回です」
 そう明言したのは飯野町在住の木下次男さん(70歳)だった。彼は「UFOふれあい館」の元館長。60歳で定年退職後、現在も自宅の研究室でUFOの研究を続けている。実は500件を超えるという福島県内のUFO目撃情報も彼が聞き取り、整理したものなのである。
—―6回も見たんですか?
 私が驚くと、彼はニッコリと微笑んだ。「初めて見たのは24歳の時。1972年5月7日午前10時30分」
 正確な日時を報告する木下さん。彼はその日、福島県の安達太郎連峰を縦走すべく、箕輪山の尾根を登っていたという。
「印象としては私の真上。ちょうど箕輪山の頂上のあたりにヘルメットのような形の物体が浮いていたんです。色は一円玉と同じようないぶし銀。大きさはおそらくマイクロバスくらい。4人で登っていたので、みんなで指差しながら『ヘンなのがいる』と言い合いました」
—―UFOは停まっていたんですか?「空中停止していました。25〜26秒くらいですかね。これはもしかして頭上付近にいるんじゃないかと思いまして、とにかく急いで登ろうとしたんです。頂上まで駆け足で15分ですから」
—―それで?
「まず足元を確認したんです。靴紐がきちんと締まっているかと。それで1、2歩進んで見上げると消えていました」

・UFOを目撃した時、人は2種類の反応をするという。恐怖で物陰に隠れるか。近づいて確かめようとするか。木下さんの場合は後者で、以来、「確かめたい」という一念でUFOを研究しているそうなのである。
「あの驚きたるや出会った人でないとわかりません。見ちゃったから間違いなく『いる』。いるんだからどこから来たのか。どんなエネルギーで動いているのか。確かめていくしかないんです」
—―UFOを見たことで……。
 私が言いかけると、彼が遮った。
「『見た』ではなく、『見せられた』感じがするんです」
—―見せられた?
「向こうさんだって人や場所を選んで出てくるわけでしょ。『ここならでてきてもいいかな』とか『自分たちに興味を持ってほしい』とか。だからお互いに選ばれているんです」
 彼は宇宙人のことを「向こうさん」と呼ぶ。「向こうさんからすれば、地球の様子を見にきたんじゃないですか」という具合で、わざわざ地球に来るくらいなので彼らも何かしら用があるはず。用もないのに来るはずがないらしい。
「何か役に立つことはないか、と探しているんじゃないかと思うんです」

・これはUFO研究の伝統的なスタンスである。研究の始祖ともいうべきジョージ・アダムスキーも「先生が生徒にたいしてするように彼らも地球人が宇宙的な生命の諸法則を学ぶのを手伝うために地球に来る」として金星人から宇宙哲学まで学んでいた。日本で本格的にUFO研究に取り組んだ「日本空飛ぶ円盤研究会」(昭和30年設立)も、地球上での米ソの冷戦を憂い、「対立混迷を続ける人類の現状では、彼等に応接する準備もできていない」と嘆き、世界平和、ひいては「宇宙全体の平和確立に向って邁進する」ことを誓う「宇宙平和宣言」を発表していた。会員のひとりである作家の三島由紀夫も空飛ぶ円盤を「現代生活の一つの詩として理解します」とのことで、宇宙人小説『美しい星』を上梓したのである。

<見る人は見る>
・木下さんが作成した目撃情報リストを拝見すると、目撃した日付、目撃者の名前、場所、UFOの形などが克明に記されている。読んでみて気がついたのは、同じ人が何回も目撃しているということだった。
—―見る人は何回も見る、ということなのでしょうか?
 私がたずねると、木下さんはうなずく。「目撃する人に共通しているのは自分の生活環境を見直したい、と思っているということです」
—―どういうことですか。
「『UFOを見た』と人に話しても、夢でも見たんじゃないかと相手にされないわけです。だから私のところに来る。そこで『いつ?』『誰と見たのか?』などと訊いていくうちに、おのずと生活環境の話になっていくんです」

・視界に「空を入れる」。山に登るとおのずと「空が入ってくる」わけで、だから目撃情報が多いらしい。ちなみに木下さんはUFOが出ようが出まいが毎日必ず空を見るという。空を見ることで自分も宇宙の一部であることを確かめているそうなのである。
「要するに『上を向いて歩こう』ってことです」
 隣で聞いていた事務局長の菅野さんがつぶやいた。見上げることで胸を張る。それが「UFOの里」飯野町の基本姿勢なのだろう。

・たまたま登ってきた親子連れを呼び止め、私は一緒に確認してもらうことにした。方位磁石を見せながら私が、「動くでしょ」と言うと、お父さんがスマホを取り出し、内蔵された方位磁石を当てる。方位を示す数値が激変し、「本当だ、すごい」と叫んだ。やはり千貫森は磁場が狂っている。しかし狂っているからといって何かを感じるかというと特にない。



『実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』
佐藤守 元自衛隊空将・南西航空混成団司令 講談社 2010/7/22



<なぜ自衛隊でUFOはタブーなのか>
・ただ単に、「UFOなどという非科学的なものを見たというような人物は精神的にどこかおかしい」とする観念に国や自衛隊のトップが囚われていて、UFOの目撃は非現実的な錯覚だと決め付けているのです。

<自衛隊パイロットが接近遭遇したUFO>
<「こんな問題には深入りしないほうがいい」>
・UFOに遭遇したなどというと、精神異常を疑われかねません。精神的におかしくなった人間を任務に就かせるわけにはいかないので、パイロットを辞めることになるか、最悪、自衛官の職を失うことになりかねないのです。
 これは民間航空会社の話ですが、実際、UFOを見たと週刊誌に喋ったパイロットが、精神状態がおかしいとされて、飛行停止になったという事件が、ずいぶん昔にありました。

<UFOとともに発生した機体異常>
・しかし、三陸沖の飛行物体には翼がなく、葉巻型で変則的な飛行をしている。どう見ても民間航空機ではないという結論に達したそうです。

・この一件は当時の松島基地では有名な話で、誰も口には出さなかったものの、皆が知っていた「UFO騒動」でした。

・「航空自衛隊でUFO目撃が相次いでいる」などというと、「航空自衛官はなんと非科学的な人たちばかりなのか」と誤解する方もいらっしゃるかもしれません。

<UFOが見える人、見えない人>
・UFOを頻繁に見る人もいれば、私のようにパイロットを長年務めていても、一度も目撃できない人間もいます。

<それは超高速で飛んでいた>
・今回取材したなかで、UFOの最多目撃回数を誇ったのは船附昇元三佐でした。彼は候補生時代から、築城基地で、私と共に飛んでいた信頼できる人物ですが、松島基地でT-2練習機の教官を務めていたときの彼の体験です。

・船附の証言によると、スピ―ドは地上では想像できない速さで、マッハ8〜10ぐらい。高度は恐らく6万フィート(約18キロ)。

・当時の同僚Sが、入間から西に向かっているとき、名古屋上空で物凄く大きな葉巻型のUFOを発見しました。高度は2万4000フィートだったそうですが、「こんなに大きな物体が空中に浮かべるのか!?」と驚いたくらい巨大だったそうです。

<シンガポールでも遭遇したUFO>
・船附元三佐はよほどUFOと縁があるらしく、退官して民間航空会社にパイロットとして再就職した後も、UFOらしき飛行物体に遭遇しています。

・船附によると民間航空機のパイロットたちもたびたびUFOに遭遇しているといいます。

<UFOの故郷、福島の千貫森>
・こうした数々の証言から自衛官がUFOを頻繁に目撃する地域は、関東以北が多いということがわかりました。
UFO伝説が盛んに囁かれているのも東北地方です。たとえば、福島県。福島にはUFOが頻繁に飛来することで有名な場所があります。
 私の両親の故郷と近い福島県福島市飯野町一帯などです。飯野町は「千貫森」という山のふもとにあり、千貫森では数多くのUFO目撃例が報告されているのです。

・霊力に引き寄せられるのでしょうか。霊山付近にはUFOがたびたび訪れるそうで、実際、目撃した地元の人も多く、最近ではテレビでも紹介されているようです。
 飯野町ではUFOを町おこしに活用しようと考えたのでしょう。霊山に向かう途中の飯野町青木に、「UFOふれあい館」なる施設がつくられています。私は両親の墓参りの際に偶然、「UFOふれあい館」に出会い、ここがUFOの名所だと知りました。
 
・興味を持った私が、土地の人々にUFOについて尋ねると、笑いながら曖昧な答えしか返してこなかった人がいる一方で、「昔からUFOがよく出る場所だ」と淡々と話す人もいました。

・「千貫森」が古来UFOの里といわれているのは、この山自体がコンパスの針を狂わせるほどの強力な電磁波を出しているからだそうです。

<キリストの墓とUFOの関係>
・青森県にはUFO伝説や宇宙人の飛来を連想させる話も多いのです。その一つに三沢基地の南西にある戸来村(現在は青森県三戸郡新郷村大字戸来)に関する伝説があります。戸来村は、その昔キリストの兄弟が住んでいて、その墓があるというので有名になったところです。

<日本にもピラミッドがあったのか>
・注目すべきは戸来村周辺に人工的とも思えるような、きれいなピラミッド型の山が並んでいるという事実です。

・地元を訪れると、「UFOがその特殊な山を目標によく飛来してきていた」と語ってくれた人もいました。今でもUFOはよく姿を現すそうです。
 私が青森県内各地を回ってみて、この地の宇宙人伝説、UFO神話に関して一番信憑性が高いと思ったのは、津軽半島の付け根付近にある青森県のつがる市木造の亀ヶ岡遺跡周辺です。

・ここでは、有名な縄文時代の「遮光器土偶」も発見されています。この地で発掘された遮光器土偶は、当時の技術では制作できないだろうというほどの高温で焼かれた土偶。土地の専門家の話では「1000度以上のコークスでしか焼けない土偶」だそうです。
 もちろん、土偶が盛んに作られた時代、そんな高度な技術は東北地方のみならず、地球上のどこにもなかったでしょうから、これはやはり宇宙人が作ったものではないか?というのです。

<古代の技術では焼けないはずの遮光器土偶>
<地球外生物の空港>
・いずれにせよ、環状列石や人工山、電磁波の関係を考えれば、遮光器土偶は亀ヶ岡遺跡近辺の「環状列石空港」に「着陸」した宇宙船から移民してきた宇宙人作であるという説も、あながち否定できなくなるかもしれません。

<異星人に救われたパイロット>
<かぐや姫と日本人の「宇宙人観」>
・日本人の宇宙人伝説ともいえる天女物語には、様々なストーリーがありますが、いくつか共通点があります。
 最大の共通点は、天女はみなこの世の存在とも思えないほどの美女ということです。そして、空を翔るための羽衣をまとっています。天女は、最後には天へと帰っていくという結末も似ています。
 
・たとえば、有名な謡曲『羽衣』の三保の松原の天女物語は、天女が水浴びをしている間に羽衣を盗まれて天に帰ることができなくなり、渋々その羽衣を盗んだ漁師と結婚して子供をもうけるのですが、やがて羽衣のありかがわかり、子供を残して天に帰っていく、という筋書きです。

・また、沖縄の宜野湾市に伝わる天女物語も、
「昔、大親という百姓が畑から帰る途中、今の宜野湾市にある森の川という泉で手足を洗っていると、一人の美女が沐浴していた。大親は都から来た女だと思い近寄って衣を盗む。女は自分が天女であることを告げ、衣を探してほしいというので、大親は騙して自分の女房にする。やがて二人の間に一男一女が生まれる。
 ある日、姉が弟の子守をしながら『母さんの衣は六柱の倉にある、母さんの舞衣は八柱の倉のなか』と歌うのを天女が聞き、衣を見つけて天に舞い上がる。天女は子供や夫と別れるのが辛く、何度も行ったり来たりしていたが、意を決してとうとう飛び去った。そして残された子供が後の察度で、やがて王となった」というものです。

<奇怪な墜落事故>
・私は、UFO目撃情報が集中する松島基地近辺には、東北電力の女川原子力発電所があり、だからこそ自衛隊パイロットが頻繁にUFOと遭遇するのではないかと考えています。

<予言されていた2件の事故>
・Sさんは、私が松島基地司令時代に知り合った地元の方です。石巻の山中に神社を創設して、そこの神主さんも兼務しています。地元では「超能力者」として知られている方。

・すぐにSさんに電話すると、「済んだことは仕方がない。問題は7月4日にもブルーインパルスの2機が墜落して3人が死ぬから、これを止めないといけない」というのです。

・――それから、1ヵ月余り過ぎた7月4日、予言どおりに事故は起きた。

<UFOが原発を回避させたのか>
・この周辺にはUFOが飛来するということを地元の人たちは古くからよく知っています。

・その真偽は定かではありませんが、多くの自衛隊パイロットたちが、松島基地でUFOを目撃しているのは事実です。「UFOに愛された」船附元三佐も、秋の総合演習時に、基地上空に丸い点がぽつんと浮かんでいたといっています。
 先述のジョンソン博士も「UFOの背後に存在する知性体が核兵器や原発に関心を示していると推測できなくもない」としていますから、案外、いつも基地上空で訓練を眺めているUFOは、チェルノブイリ同様、女川原発事故を防いでくれたのかもしれません。

<自衛隊機墜落とサリン事件を予言した人物>
・Sさんの答えは実に明瞭でした。まず事故の原因ですが、
「旧日本軍や自衛隊の戦死者や殉難者に対する供養は実に大切なことであり、松島基地周辺には、旧海軍時代からの多くの英霊たちが眠っているが、供養を怠ると英霊たちの加護が弱まり、霊的な乱れや邪気が生じ、その影響で事故に至る。今回もその一例であった。その危険を私に知らせてくれたのはUFOである」というのです。

・「大きな事件か事故が起きる直前に、なぜかUFOが現れて私に知らせるのだ」

・そして、彼が松島基地周辺でよく見かけるUFOまでスケッチしてくれました。
 私は今回、これを書くためにUFOに関する資料を濫読しましたから、Sさんが自ら描いて送ってくれたUFOのスケッチを見ても驚きませんが、読者の皆さんはきっと驚いたことでしょう。
 こんなものが四六時中、松島基地上空を飛んでいたわけです。しかも、私には見えず、船附元三佐や一部の部下たちにはよく見えていたというのですから、いささか癪に障ります。
 そこで私は、「松島基地上空に来るのは円盤型だけですか?」と聞いてみました。

・もちろん、Sさんにはそのことを黙っていたのですが、彼は「かなり昔に、T-2の編隊飛行か? と思ってみていたが、後ろの物体がやけに長い。射撃の標的を引っ張っているのかな、と思ってよく見ると、T-2の長さの3倍近くある葉巻型のUFOだったことがあった」といったので驚きました。私はやはりM一尉とG一尉が見た「葉巻型UFO」は本当だったのだ、と感じました。

・こうなると何だか神主を務めるSさん本人が宇宙人ではないのかと疑いたくなります。
 ハリー・古山氏が『私が出会った宇宙人たち』という本を書いていますが、それによると、地球上にはかなり多くの宇宙人が「同化」して住んでいるそうですから、案外当たっているかもしれません。すると、UFOに愛された船附元三佐が長崎の喫茶店で会った店長も、宇宙人だったのかもしれません……。

・というのは、私事で恐縮ですが、私は三沢に転勤する前年の7月に義父を失い、その4ヵ月後に今度は義母が他界するという不幸に見舞われただけでなく、義母が死の直前に、ベッドの上で「幽界」の話を始めたという不思議な体験があるからです。
 あのときのことは今もくっきり脳裏に刻まれています。
 ベッドに横たわって点滴を受けていた義母が、突然私たち夫婦に向かって、「そこにもう一人私がいるでしょう?」と足元の病室の壁を指しながら語りかけたのですから。
 普段と変わらない語りかけでしたから、私と家内はつられて壁を見たのですが何も見えません。続いて義母は私たちにはっきりとこういった
「これは私の幽体なのよ」と。
 そして突然、大声を張り上げました。点滴針が刺さった腕で何かを払う仕草をしながら。「だめ! まだ行かない!」
 義母には何かが見えていたのでしょう。が、私たちには見えません。私は驚いて、ゆれている点滴袋を止めるのが精一杯でした。
 その後、しばらく何かつぶやいていた義母は昏睡状態に陥り、家内はこの時点で母の死を覚悟したようです、義母が息を引き取ったのは翌早朝です。奇しくも義父の納骨の日でした。 
 あとになってから、「あのとき、きっと母の元に、あの世からお迎えが来ていたのだわ」と家内は振り返っていました。そのとき、私はこの世には見えない世界があることを悟ったのです。



『深宇宙探訪記』  
(オスカー・マゴッチ)(加速学園) (発売 星雲社)1992/11



<葉巻型の宇宙船は世界各地で目撃談が多い大型の宇宙船>
・中型船内宇宙研究室(連盟登録番号 SLA8701)
宇宙研究用の移動研究室。12の異なる世界を展示。多種族の乗組員と科学者が搭乗。総搭乗員数3000『人』
全長2400m。直径約400m(厚さ約188mの単独航行可能モジュール18基で構成)

<宇宙研究室の外観>
・各モジュールは、居住者の便宜を考え、それぞれの貫通路に沿って観測窓が、一つずつ付いている(実際には大型の展望用球体で、拡大機能および夜間赤外線利用暗視機能がある。)

<種々のUFO>
・『帝国同盟』の三角形をした地球外の戦闘機。『悪魔機』として知られている。

・7機の円盤を収容できる中型円盤型母船。直径100m。高さ40m。

・偵察型の円盤(直径25m。高さ10m)

・幽霊船(およそ、長さ40m、幅10m)  本船が生きている存在で、固体の固い金属構造物ではない。準バイオニック船である。

・ダイヤモンド型エーテル船(高さ12m、幅12m)

<『深宇宙探訪記』に書かれてある中型船内宇宙研究室は、葉巻型UFO>
・宇宙研究用の移動研究室は、搭乗員が3000人で、全長2400メートル、直径400メートルで長さ122メートルの単独航行可能なモジュール18基で構成されているようです。そして、バミューダ三角海域の次元間移行ゾーンを利用しています。これが、有名な葉巻型のUFOのように思われますが、大きさから考えると世界中で見られているのとは違うかもしれません。

・「シリウスは連盟の送信センターである。暗黒の勢力とその地球の光明派の召使達はシリウスから来た善玉になりすましている。暗黒の勢力は、自分達の基地は、オリオン大星雲にあると、私達に思い込ませようとしている。しかし、彼らはそこからやって来たにすぎない。オリオン座は、光の主たちの故郷であり、銀河系委員会の故郷であるのだ。そしてアルクトゥルスを中継基地に使っている。暗黒の勢力と彼らが支配する悪の帝国の本拠地は、大熊座にあり、ドラコニスを主要作戦センターとしている。宇宙連合の宇宙人は、友好的な善意の宇宙人であるが、惑星連合や地底連合の宇宙人は、邪悪な宇宙人である」

<アメリカ政府と宇宙人の契約>
・1947年7月2日ニューメキシコ州ロズウェルでUFO墜落事件が起きた。だが、米軍は、気球の墜落だと発表し、事実を偽装した。奇妙なことに1949年1月30日同じロズゥエルで、UFO墜落事件がおき、その際、偶然にも地球外生命体が1名生存しており、ロスアラモス研究所に送られた。その地球外生命体は、「イーバ」と名づけられ、1952年6月18日まで生きた。その間の調査では、イーバは自らの母星が、地球から55光年離れたところにあると告げたという。

・彼の身体的外観は、現在多くの人に知られるところとなった「グレイ」に似ており、爬虫類と昆虫の特徴を持っていた。そして、1954年1月、アメリカは、後に「ラージ・ノーズ・グレイ」と呼ばれるようになる地球外生命体と初コンタクトを行なう。この地球外生命体の出自は、オリオン座のペテルギウスを巡る一つの惑星だった。これは、500光年離れた赤色巨星を巡る惑星からやってきた事になる。

・1954年2月。ラージ・ノーズ・グレイの代理として、イーバそっくりの「クリル」と名づけられた地球外生命体が再度地球人とのコンタクトのため送り込まれ、この時、アイゼンハワー大統領が統括していたアメリカ政府は、この「クリル」を全権大使とした「オリオン座領域から来訪した」地球外生命体と何らかの契約を結んだと言われている。「それから50年、国家最高機密は、厳重に守られている」。

<ハリウッド映画で有名なグレイは、人類に比べ科学力で優に5万年を先んじている>
・Tシャツのプリントになるほど、スター化した地球外生命体の「グレイ」のルーツは、琴座である。約50年前、かって琴座領域にあったアペックスと呼ばれる惑星で核戦争が起き、生き残ったアペックスの人々は地下生活を余儀なくされた。核戦争を引き起こした2つの勢力は、ポジティブ派が、主として、レチクル座の2重星(ゼータ)付近を拠点としているが、ネガティブ派のほうは、その多くがオリオン座のペテルギウス領域や大犬座のシリウス領域に移住した。
ネガティブ派の中で特にオリオンに拠点を置く者たちは、リゲリアンという種族だが、地球でグレイと呼ばれる存在は、このリゲリアンを指している。リゲリアンという呼称そのものは、ケンタウルス座のα星であるリギル・ケンタウルスにも隠れたつながりがあるが、彼らのルーツには、判然としない部分がある。現在、地球には、惑星アペックスに出自を持つ地球外生命体が、時空を超え、過去、現在、未来の次元から同時に訪れている。

<ウォーク・インとワンダラー(スターピープル、スターシード、スターライト)>
・地球人に生まれ変わったワンダラーや、人生の途中で地球外の魂と劇的なソウル・チェンジ(魂の変換)を起こしたウォーク・インなどを地球外生命体(ET)の魂を持つという意味で、ETソウルと呼んでいる。ウォーク・インやワンダラーは、白色同胞団でも活躍している。白色同胞団(ホワイト・ブラザーズ・フッド)のルーツは、プレアデスと同じ牡牛座のアルデバランという説と、火星でアルデバランの人々と共存していたさそり座のアンタレスからの人々だという説がある。

・また、チャネリングは、日常ではない別次元の意識やいわゆる地球外生命体と意識のレベルで交信することを言います。シリウス経由のチャネリングによりますと、地球に介入した2種類の生命体があると語ります。約2600万年前、地球に2種類の非人間的生命体が入植した。それらは、射手座星系からやって来た爬虫類的存在とオリオンのベラトリックス星系からの恐竜的存在だったという。

・ここで言う爬虫類と恐竜は生物学的に分類されるそれらの意味とは異なる。そして、地球ではこの2種類の生命体が入り込んだ後に、人間の祖となる哺乳類的生命体が現れる。


<●●インターネット情報から●●>

「Niftyニュース2017/09/16」
アラスカ上空でパイロットが「UFOに追いかけられた」との報告…国が乗務停止処分に

 私は講演会などで「パイロットは世界中を飛んでいるので、UFOを見かけるのでは?」という質問を受けることがある。そういうときは、「大半のパイロットは見たことはないが、なかには見たというパイロットもいる」と答えている。
 かつて私の知り合いでもある先輩機長がヨーロッパからアラスカのアンカレッジ空港に進入着陸しようとしていたときに、UFOに追いかけられたと報告した事例があった。機長の証言によると、最終進入中にUFOと思われるいくつもの光の集団が自機につきまとって離れなかったというのである。

 しかし、この報告を受けた国土交通省の対応は予想を超えるものであった。早速、同省が管轄するパイロットの身体検査証を発行する航空医学研究センターの精神科の医師に診断させ、結果、精神異常として乗務を停止する処分としたのである。
 この判断の元には、UFOなんてこの世には存在しないもので、それを見たというのは頭がおかしいとする考え方があったと思われるが、当時はUFOの存在に関する政府の考え方は存在しなかった。ちなみに政府はこの一件からかなり年を経た2007年12月18日、UFOについて「その存在を検討しない」のが日本政府の立場であると表明した。

 しかし、当時の町村信孝官房長官が「こういうものは絶対にいると思っている」と発言したかと思えば、石破茂防衛大臣もUFOが襲来したときに自衛隊の出動が法律上可能かどうかを個人的に検討する考えを示した。そして、「UFOは外国の航空機でもなく、領空侵犯への対応は厳しい」と自衛隊法では対応が難しいとの認識を披露。さらに「ゴジラが来たら天変地異だから自衛隊の災害派遣は可能で、モスラでも同様」との持論を展開したのである。
 政府首脳が個人的に発言するのであれば何を言っても構わないと思うが、日本政府はUFOはいると考えているのか、それともいないと考えているのかは現在でも明らかにしていない。であれば、アラスカでUFOを見たといった機長を処分できる根拠はない。

●本来は報告すべき
 私は今からでも、当該機長に政府は謝罪して当時の処分を撤回すべきであると考えている。そもそもUFOとは「未確認飛行物体」の略で、宇宙人が乗り物に乗って地球にやってくることだけを意味するものではない。なにか不思議な形をしたものなら、どんなものでもUFOなのである。パイロットはそのような物体を見たとき、たとえば演習中の戦闘機が太陽やほかの光との反射などの影響によって変わった形の物体に見えても、本来は報告すべきであろう。それは、場合によってはニアミス事故にもなりかねないからだ。

 しかし、現在の航空法にはそのような規定もないどころか、報告すると精神異常とみなされかねない。これでは今後、誰も実際に見ても報告するわけがない。実際、この一件以来、少なくとも日本航空(JAL)のパイロットの間では、「仮にUFOらしきものを見ても絶対に口に出してはならない」とのコンセンサス(合意)がある。言ったら最後、乗務停止になるかもしれないからだ。
 ちなみにアラスカでの一件は、のちにある民放のテレビ特番として放映され、科学の専門家たちによる検証も行われた。その結果、当時の気象状態、太陽の位置、それに飛行経路やほかの飛行機の運行状況などを併せて分析すれば、当該JAL機の影が乱反射して、あたかも明るい飛行物体がまとわりついてくるように見えることが判明した。

 だが、この特番でテレビ局の出した推定原因も、ひとつの仮説にすぎない。真相は今もって謎のままである。
(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)



『すべては宇宙の采配』
木村秋則   東邦出版 2013/5/24



<この世界で、人間が理解できること、理解していることなんて、ほんのわずかに過ぎないと>
・わたしは、不可能だといわれた無農薬・無肥料のりんごの栽培をなんとか成功させました。そのときに、世間で理解されているものほど当てにならないことを知りました。

・わたしの畑に1立方センチメートルあたり30億個いるといわれるバクテリアは、顕微鏡を使ってもその全貌を知ることは不可能です。

<マンダラ>
・会場から外に出て、主催者のひとりに早速尋ねてみました。
 すると、わたしが扉を開けて宴会場に入ってくると同時に、白くて大きな発行体が一緒にぷわーっと入ってきたらしいのです。そして、わたしが歩く速度でついていったというのです。
 その関係者は「見えた」といいましたが、すぐ隣りに座っていたもうひとりの関係者は「見えなかった」といいました。やはりだれにでも見えたわけではなかったようですが、「見えた」人が何人もいたのは、会場の至るところでばらばらと同時多発的にざわつきはじめたことから明らかです。

・果たして、現像から戻ってきた写真はしっかりと白い発行体が写っていました。最初は「人魂じゃないのかな」と思いましたが、スキャニングしてデータをパソコンに取り込み、その部分を拡大していくと、白いなかに、なにかぼんやりと見えてきたのです。
 それはなんと……曼荼羅でした。
 胡坐をかいて手を下で組んでいる仏像のようなものが6体ほど、丸く配置されている様子がおぼろげながらに見えたのです。
 調べてみると、曼荼羅とは、「仏教(特に密教)の経典の内容を仏画に置き換えたもの」もしくは、「宇宙における根本原理を具体的にしたもの」
 なぜこんなものがわたしの側で浮いていたのか、いまでもわかりませんが、わたしはこういった不思議な現象と非常に縁のある人生を歩んできたのです。

<初めて見たUFO>
・その場にはわたしを入れて9人いましたが、全員見ています。幽霊は見られる人と見られない人がいますが、UFOはそうではないようで、全員が全員、目撃しているのです。
 UFOはゆっくりと、うちの屋根の上を横切るようにして通りすぎ、やがてどこともなくフッと消えてしまいました。

・これを皮切りに、わたしたち家族は何度もUFOを目撃することになりました。毎回目撃場所は一緒です。うちはUFOの航路上にあるようです。目撃が続く時期は、「晴れた日の午後7時前後には必ず見る」というくらいでした。

・当時は「岩木山からUFOらしき物体が飛んでいるのを見た」という目撃情報が相次ぎ、新聞にも載るほど話題になっていました。
 わたしにとってUFOは、「信じるか、信じないか」という存在ではありません。「絶対にいる」としかいいようがないのです。それは女房もわかっています。
 そもそも津軽は神秘的な土地柄で、日本最古の文字といわれる『津軽草文字=つがるくさもじ』、幻の中世都市である『十三湊=とさみなと』、奇書といわれる『東日流外三郡誌=つがるそとさんぐんし』など、興味の尽きない地域なのです。

<運転手>
・もうひとつのトラブルは、ちょっと不思議な出来事です。
 大型トラックは真夜中にひとりで走ることが多いためか、運転手のあいだでは常識では考えられない話……たとえば幽霊を見たという類の話は日常茶飯事、当たり前のように話されていました。
 霊感などないわたしですが、「いて当たり前」の世界に翻弄されたことがあります。

・「だったら、ほら、お前の車、ここから見てみろよ」
 そういわれて自分の車を振り返って、思わず声が出ました。「わッ………なんだ。あれ!」
 助手席には、なにやら得体の知れない、青白い巨大な三角おにぎりのようなものが座っていました。見間違いかと思って何度か目をしばたかせて確認しましたが、三角おにぎりは消えることはありません。怖いというより、ワケがわからないという感じです。運ちゃんとて知るはずもありませんが、ふたりの目にヘンなものが映っていることは間違いないのです。
「なんにしてもよ、この先にドライブインがあるから、そこで降ろしたほうがいいよ」

・わたしには先ほど見た青白い三角おにぎり以外のものは見えませんでしたが、もしかしたら、最初に教えてくれた運転手さんも、ドライブインの店員さんも、それがちゃんとした幽霊のかたちに見えたようです。
「実はきょうの午後8時ごろ、この先のバスのUターン所で、バスガイドさんがひかれて亡くなる事故があったんだ。あんた、そこ通らなかった?」

<拉致>
・深夜2時くらいだったでしょうか。2階でひとりで寝ていると、いつもは朝が来るまで起きないのに、なぜか目が覚めてしまいました。「あぁ、生放送のテレビ出演に緊張しているのかな?」などと思っていたときでした。背後の部屋の窓が突然パーッと開いたのです。
 ちゃんとロックしてあるアルミサッシでしたが、壊されることもなく、まるで気で操られたかのごとく、自動的に開いたのです。

・2階の窓の外は3メートル空中です。彼らはからだのどこを動かすでもなく、わたしを抱えたまま空中を移動して上空へと上がっていきました。
 だんだん小さくなる自宅を眺めていました。自分の家の屋根を見たのは初めてです。抱えられたまま高く上がっていくと、やがて夜の闇のなかに縦状の光が見えました。オレンジとも黄色とも違う暖かい色の光が縞模様になっていました。
「あぁ、あの光源に向かっているんだな」直感的に思いました。
「きっとそこにはUFOがあるんだろうなぁ………」 
次の瞬間、気がつくとベンチのようなものに座らされ、まぶしい光に包まれていました。再び気がついたときは、UFOであろうものの室内にいました。

・普通ならUFOに連れてこられただけでも失禁もので、不気味な宇宙人に観察されるなど卒倒ものですが、不思議と「逃げたい」とか「怖い」といった感情は湧いてきませんでした。

・宇宙船の操縦席のようでした。そこでUFOの動力について教えてもらったのです。「これは動力物質のスペアです。ほとんど取り替えることはないのですが、予備で用意しています」厚さ1センチ、一辺が20センチほどの三角形の黒くて硬い金属を渡してくれました。

・「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際につかわれているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」
「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。
 反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚がまったく違うことを教えてくれました。
「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」
 こうもいっていました。
「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」

・彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。
 もしそれが本当なら……。年号はソクラテス似の人にいわれた通り、だれにも話せませんが、気が遠くなるほど遠い未来の話ではありません。いえるのは、時間がないということだけです。

・見えたのは、たくさんの明かりでした。
 高層マンションや高層ホテルが作り出す夜景を、ビルごと横に倒したような景色でした。たくさんの明かりが横いっぱいに広がっているのが見えたのです。
 連れてこられた道のりを考えれば、UFOは弘前市の上空にあるはずですが、青森県にそのような夜景はありません。
 そもそもわたし以外の人間ふたりは白人です。窓の外の明かりを眺めながら、「地球外の土地」に思いを馳せていました。

・帰りは、来たときと同様に断片的な記憶しかありません。気がついたら宇宙人のふたり組に両脇を抱えられ、自宅2階の窓の外にいました。部屋には彼らと一緒にスーッと入りましたが、気がつくといなくなっていました。

・『ズームイン朝』の中継はわたしの畑から行われ、生放送は無事終わり、無農薬栽培のアドバイザーとしての役目を果たすことができました。
 ホッとしていると、生中継が終ってすぐに『日本UFO研究会』と名乗る人たちが畑にやってきました。別にわたしの身に起こったことを調査しにきたわけではありません。
 彼らの情報網がどうなっているのかはわかりませんが、わたしの畑の周辺が観測に適していると思ったのでしょう。「2日間くらいの予定で調査を始める」といい、パラボラアンテナを載せた車、電源車、普通車と、合計3代を畑の横の小高い場所に停めました。

<共鳴>
・去年、畑の見学ツアーに50人くらいの団体さんが来ました。なかに背の低い外国人女性がいました。通訳の人がいるわけではないので、「英語で話しかけられたらどうしようか」と思っていると、近づいてきて、おもむろに日本語で話しはじめました。「わたしもUFOを見ました」
「はい?」
 白人女性からいきなり日本語でUFOの話をされるなど思ってもみませんでしたので目を丸くしていると、彼女はわたしの驚きを気にすることもなく話しつづけました。
「『奇跡のりんご』を読んで来たのです。UFOのことが書いてありましたよね。著者の石川さんは幻想を見たんだろうと書かれていますが、それは違うと思うんです」
彼女はりんご畑を見に来たんだろうと書かれていますが、それは違うと思うんです」

・「(白人女性の)母はヒュ〜ンヒュ〜ンという音と、パシッパシッという音に気づいて、以前のわたしと同じように、『うるさいわねぇ』とばかりに、リビングのカーテンを開けて音の正体を確かめにいきました。止める間はありませんでした。そこで見たのは、やはり窓の外に浮いているUFOと、玄関前に立っている宇宙人の姿です。母は腰を抜かしそうになり、『こんな怖いところは早く売って引っ越しなさい!』といいました。
 そういえば……と気づきました。たしかに怖いのですが、よく考えたら一切危害を加えてこないのです。何度も来ているのに、玄関の戸を破って家に侵入してきたり、窓を壊して入ってくるわけでもありません。一体なんの目的で来るのでしょう?わたしが怖れをなくすのを待っているのか、それともほかに想像もつかないような目的があるのでしょうか………」



『奇跡のリンゴ』 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録
石川拓治 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
幻冬舎    2011/4/12



<宇宙人に会った話>
・木村が酔って気分が良くなると、決まってする不思議な話がある。
宇宙人に会った話だ。

・「あれはさ、まだ軽トラックを売る前だから、無農薬栽培を始めて2年とか3年目くらいのことだ。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。夕方、何時頃かな、もうあたりは薄暗くなっていた。畑仕事が終わって、家に帰ろうと思って、軽トラの運転席に座ったの。そしたら、目の前に人が立っている。妙な人だった。全身が銀色に光っていて目も鼻も見えないのな。その銀色の人が、フロントガラス越しに、じっとこっちを覗き込んでいる。私、動けなくなってしまってな。目だけ動かして、何をするつもりだろうと思って見ていたら、なんと私のリンゴ畑に入っていくんだ。葉っぱが落ちて、荒れ放題の畑にな。それでさ、ものすごいスピードで畑の中を走り回っているんだよ。それから、ふっと消えたのな。いったい今のは何だったんだと、その時は首を傾げるばかりであったんだけどな。

・しばらくして、今度は夜中だ。夜中に起き出して、布団の横に座って、考え事をしていたときのことだ。寝床は二階にあるんだけどもな、カーテンが揺れて窓が開いたのな。そこから、人が二人入ってきた。小さくて、影のように真っ黒な人であった。その二人が私の両腕をつかんでさ、その開いた窓から外に出るの。気がついたら、空中に浮かんでいるのよ。下を見たら、家の屋根が見えた。黒い人たちは、何も言わない。私は二人に腕をつかまれたまま、どんどん上昇していった。空のかなり高いところに、ものすごく大きな宇宙船のようなものが浮かんでいてな、私はその中に連れ込まれたの。連れ込まれたのは、私だけじゃなかった。先客が二人いたのな。一人は若い白人の女の人、もう一人は白人の男だった。頭は角刈りでさ、なんか軍人のような感じであったな。しばらくそこに座らされていたんだけれど、そのうち一人ずつどこかへ連れていかれた。最初は女の人、それから軍人風の男、最後が私であった。

・歩いていくと、二人は平らな台のようなものにそれぞれ寝かされているのな。裸にされてよ。どういうわけか、逃げようとか、抵抗しようという気は起きなかった。ただ、私も裸にされるんだなと思いながら歩いていったの。ところが私は服を脱がされなかった。宇宙船の操縦室のようなところに連れていかれたの。操縦室といっても、計器のようなものは見あたらなかったな。そこで、どういう風にしてこの宇宙船が飛んでいるかを教えてくれてな。宇宙船の動力源だという、黒っぽい物質を見せてくれた。これで、空中に浮かぶんだとな。

・それから別の部屋に連れていかれた。そこには黒い人ではなくて、昔のギリシャの哲学者の……ソクラテスみたいな人がいた。大きな板が何枚もあってさ、それをこっちからこっちへ移動させろと言うんだ。よく見たら、地球のカレンダーなのな。一枚が一年。過去のカレンダーではないよ、未来のカレンダー。何枚あるんだろうと思って、数えてみたんだけどもよ……」
 何枚あったかは、いつも教えてくれない。そうたくさんはなかったと言う。

・ユングに言わせれば、空飛ぶ円盤は全体性の象徴ということになる。大きな困難に陥って自分を取り戻そうともがいているときに、現代人が見る典型的な幻視のひとつだ。中世の人々なら神を見た。神を信じられなくなった現代人は、そのかわりに空飛ぶ円盤を見るというわけだ。地上は現実の象徴であり、宇宙からやって来る何者かはその現実からの救いを意味する。ある意味では現実逃避なのだろうけれど、その何者かが円盤であることに重要な意味がある。困難に突き当たって分裂した自我は、再びひとつの完全な姿に戻ろうとする。円形や球体はその統一された完全な自我の象徴なのだ。何年もリンゴ栽培に失敗し続け、追い詰められて脳味噌が二つに割れそうなくらい混乱していた木村が、空飛ぶ円盤の幻を見たとしてもそれほど不思議ではない。

 もっとも、酔っている木村は、そういう現実的な解釈で自分の話が片付けられそうになると、とっておきのオチを持ち出して対抗する。

・「何年か経ってから、家でテレビを見ていたのよ。よくあるでしょう、『空飛ぶ円盤は実在する』みたいなよ、UFOの特集番組だ。その中に、宇宙人に連れ去られたという人が出てきた。それがさ、あの白人の女の人だったの。女房も一緒に見ていたんだけれど、驚いていたよ。私と同じ話をするんだもの。円盤の中には自分以外にも二人の地球人がいた、一人は軍人のような男で、もう一人は眼鏡をかけた東洋人だったって。それ、私のことでないかってな。あははは、あの時はさすがの私もびっくりしたよ」

・妻の美千子に、その話を確かめたことはない。困らせることになるのは、わかりきっているからだ。木村にしても、その話をするのは、酒を飲んだときに決まっている。
 だから、もちろんそれは木村のファンタジーなのだ。

・円盤とリンゴは何の関係もないようだけれど、木村の無意識の中ではおそらく深いつながりがある。円盤も無農薬のリンゴも、不可能の象徴なのだ。誰もがそんなものは幻だと言う。その円盤に乗ったということは、木村が不可能を克服するということだ。無農薬のリンゴは完成し、そして木村は完全な自己を取り戻す。
不可能を可能性にすること。
無農薬でリンゴを栽培することに、木村の全存在がかかっていたのだ。

<りんご農家が病害虫の駆除に膨大な手間と時間をかけている>
・しかし、その農家・木村さんの作るりんごは、農薬どころか有機肥料も一切使わず、そして「腐らない」といいます。いったいどんな秘密があるというのでしょうか。

・木村さんの無農薬でのりんご作りには、8年にも及ぶ試行錯誤の末に辿り着いた、独自のノウハウがありました。それでも木村さんは、相変わらずこう言いました。

「私、バカだからさ、いつかはできるんじゃないかって、ただイノシシみたいに突き進んだのさ」

<奇跡のリンゴ「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録>
・リンゴ農家の人々にとって、美しい畑を作ることは、豊かな実りを得るために欠かせないというだけでなく、おそらくはある種の道徳ですらあるのだ。
 そういう意味でも、そのリンゴの畑の主が、カマドケシという津軽弁の最悪の渾名で呼ばれているのは、仕方のないことだったかもしれない。

・なぜ、そんなに荒れているのか。
近所の農家で、理由を知らぬ者はいない。
農薬を散布しないからだ。
この6年間というもの、畑の主はリンゴ畑に一滴の農薬も散布していない。当然のことながら、リンゴの木は病気と害虫に冒され、春先に芽吹いた葉の大半が、夏になる前に落ちてしまう。おかげで、この何年かは花も咲かなくなった。

・今日は朝からずっとリンゴの木の下で、腕枕をして寝ていた。
カマドケシは、竈消しだ。一家の生活の中心である竈を消すとは、つまり家を潰し家族を路頭に迷わせるということ。農家にとってこれ以上の侮蔑はないのだが、その男にはいかにも相応しい悪口だった。
 いや、男が畑に座り込んだり寝たりして、ほんとうは何をしているか知ったら、カマドケシどころか、ついに頭がおかしくなったと思ったかもしれない。
 男は眠っていたわけではない。夏の強い日差しの下で、生い繁った雑草から立ち上がる青臭い匂いに包まれながら、リンゴの葉を食べる害虫を見ていた。

・リンゴの木を荒らす害虫を数え上げればきりがない。
春先の新葉や花芽を喰うトビハマキやミダレカクモンハマキなどのいわゆるハマキムシ類に始まって、葉を食べるシャクトリムシに、アブラムシ、ハダニ、果実を冒すシンクイムシにカイガラムシ……。代表的な種に限っても、30種類は下らないと言われている。

・農薬を使わずにリンゴを育てる。簡単に言えば、それが男の夢だった。少なくともその時代、実現は100%不可能と考えられていた夢である。

・リンゴの無農薬栽培などという難題に取り組んだおかげで、木村の一家が長年にわたってひどい窮乏生活を強いられたという話は聞いていた。けれど、それはもう10年以上も昔のことだ。
 現在は新聞やテレビでも取り上げられるくらい有名な人で、全国には彼の信奉者がたくさんいる。国内だけでなく、外国にまで農業を教えに行ったりもしているのだ。

・木村の人生がNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で紹介されたのが、その12月の初めのことだった。

・木村が狂ったひとつのものとは、いうまでもなくリンゴの無農薬栽培だ。今現在ですら、それは不可能だという専門家は少なくない。農薬を使わなければ、リンゴを収穫することは出来ない。現実のリンゴ栽培を知る人にとって、それは常識以前の問題なのだ。

・実を言えば、現在我々が食べているリンゴのほとんどすべてが、農薬が使われるようになってからから開発された品種だ。つまり、農薬を前提に品種改良された品種なのだ。

・リンゴという果物は、農薬に深く依存した、現代農業の象徴的存在なのだ。
 もっとも、そんな理屈を持ち出すまでもなく、リンゴを作っている農家なら誰でも、農薬の散布を怠れば畑がどれだけ簡単に病虫害の餌食になるか身をもって知っている。農薬を使っていても、その散布時期や方法を誤れば病害虫は発生するのだ。

・けれど、涙ぐましいまでの努力でなんとか持ちこたえた青森県のリンゴの畑も、明治40年代にはモニリア病と褐斑病というリンゴの病気の相次ぐ蔓延によって、今度こそ壊滅の危機に瀕することになる。とりわけ明治44年の褐斑病の激発ではリンゴの葉が早い時期に落葉したため、翌年の春先になってもリンゴの花が咲かず2年連続の大不作となった。

・この絶対絶命の危機を救ったのが、農薬だった。
記録によれば、日本のリンゴ栽培史上、初めて農薬が使われたのは明治44年。褐斑病の流行で、青森県のリンゴ畑が壊滅的害を受けた年のことだった。

・褐斑病で全滅しかけていたリンゴの木が息を吹き返すのを目の当たりにして、リンゴ農家は先を競って農薬を導入するようになる。ぺニシリンが結核という恐ろしい病を撲滅したように、手の施しようがなかったリンゴの病気を農薬が駆逐したのだ。

 病虫害という自然の脅威に対抗する手段を手に入れ、農家の人々はようやく安定したリンゴの栽培ができるようになったのだ。
 農薬がなければ、青森県でもリンゴ栽培が終息してしまっていたに違いない。

・明治20年代から約30年間にわたって、全国の何千人というリンゴ農家や農業技術者が木村と同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていた。何十年という苦労の末に、ようやく辿り着いた解決方法が農薬だった。

・1991年の秋に青森県を台風が直撃して、リンゴ農家が壊滅的な被害を受けたことがある。大半のリンゴが落果しただけでなく、リンゴの木そのものが嵐で倒れるという被害まで被った。県内のリンゴの被害額だけでも742億円にのぼる。ところが、木村の畑の被害はきわめて軽かった。他の畑からリンゴの木が吹き飛ばされて来たほど強い風を受けたのに、8割以上のリンゴの果実が枝に残っていたのだ。リンゴの木は揺るぎもしなかった。根が不通のリンゴの木の何倍も長く密に張っていたというだけでなく、木村のリンゴは実と枝をつなぐ軸が他のものよりずっと太くて丈夫に育っていたのだ。

・NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の収録のスタジオで、木村秋則さんにお目にかかったその日。住み慣れた「文明」というものを覆っていた厚い天蓋が外れ、どこまでも広がる深い青空が露わになった。

・あれから1年半。ノンフィクション・ライターの石川拓治さんが、木村秋則さんの人生を取材して1冊の本にまとめて下さった。頁をめくると、木村さんとお話しして得たすばらしい感触がよみがえってくるとともに、まだまだ知らなかった木村さんの側面をも知るよろこびに包まれる。
 不可能とも言われた無農薬、無肥料でのリンゴ栽培。その実現に向けて苦闘してきた木村秋則さんの人生は、まるで一篇のドラマを見るようである。



『地球に生まれたあなたが今すぐしなくてはならないこと』
木村秋則   KKロングセラーズ   2014/3/28



<わたしたちの想像を超えた世界が存在する?>
・17歳の時に、わたしは「龍」を見ています。この時、周りの時間も空間も止まったような体験をしました。
 時間の隙間に紛れ込んだかのようでした。
 時間も空間もわたしたちが「ある」と思っているだけで、それをはるかに超えた世界(次元)が存在します。
 死後の世界も同時に存在しています。
 わたしたち人間が、この地球の生命体として頂点に立っていると考えるのは、どんなものか?

<わたしの見た光景が地獄図絵の中にあった>
・2歳のときに死ぬ予定だったのが生き永らえ、その後の人生で宇宙人や龍に遭遇するなど不思議と思われる体験を何度もしていますが、ひょっとしたら人に見えないものが見えるのは、地獄に行ったときに、頭の周波数のようなものが変わってしまったせいではないかと思います。
 波長が合わないと見えない。
 波長が合うから見えるのです。
 見えないものを見ることのできる人がいたから、地獄だって、龍だって天使だとかも絵になったり、彫刻になってさ。世界中の美術館に残ってるでしょう。見えないものを見ることのできる人は、世界中にいるんだ。

<気づいたときに大きなシャボン玉の中に包まれていた>
・大人になってから、もう一度死後の世界をさまよいました。
 インフルエンザから高熱を出し、下着一枚で電気毛布にくるまっていたときのこと、寒くて震えながらいつの間にか意識を失っていました。
 気がついたときには辺りに大きなシャボン玉がいくつも浮かび、いつの間にかその中の一つに包まれていました。
 室内で寝ていたのですから上にあるはずの天井がなぜか感じられず、そのまま3メートルほどの高さに浮かびあがって自分の身体を見下ろしていました。
 不思議なことに、横たわる自分の亡骸が、誰のものなのかわからないのです。
そのうちに女房が現れてわたしの身体を揺すっている光景を、ずっと「誰なんだ、あの人は誰なんだ」と思いながら自分自身を見下ろしていました。

<生まれ変わる人の列>
・その後も歩き続けて、6つ目の門をくぐると、肩まで髪の伸びた人が二人すっと現れ、「案内する」と申し出るのでついていきました。
 しばらくするとなだらかな斜面に家のような建物が無数に立ち並ぶ場所に出ました。
 どの家にも窓も戸もなく、一軒に一人ずつ、白いゆるやかな着物をまとった人が住んでいる様子です。
 そこで白い帯状のものが、はるか向こうの山まで糸のように続いているのを見ました。
 近づくとその帯は白い着物の人々が、ずらりと並んで、何かの順番を待っているのだとわかりました。
 列は一本の川から伸びていて、案内人のように見える肩まで髪の伸びた人が、二人、川に入っていました。
 列に並んでいる人はみな同じような顔で、自分の順番が回ってくると川に背を向けて立ち、案内人の二人によって川に流されていきます。
「何をしているんですか?」と聞くと、「生まれ変わる人たちです」という答えが返ってきました。

<「23回生まれ変わっていますね」>
・二度目の臨死体験には、後日談があります。
 一年ほどたったある日、わたしは講演を行っていました。話を終えたとき、わたしに会いたいという女性からの電話がかかってきたのです。
 時間に余裕があったので承諾をし、待つ間に駐車場で煙草を吸っていました。
 駐車場は車でいっぱいでしたが、車間の細い隙間を通して、一台の車が現れ、若い女性が降りるのが見えました。
 驚いたことに、一面識もないその女性は、わたしの居場所を知っているかのようにまっすぐこちらに向かって歩いてきたのです。
 彼女の側からはわたしは物陰に隠れて見えないはずなのに、不思議でたまりませんでした。

・さらに驚くことには、その女性は、わたしがシャボン玉に乗って浮かんで行ったとき、別のシャボン玉に自分も乗って一緒にあの世に行ったと言うのです。彼女はわたしの体験した一部始終をすべて知っていました。
 彼女は自分のことを「木村さんのあの世への案内人」と呼んでいました。
 わたしが自分自身を知らないということが、その女性がどうしてもわたしに伝えたかったことなのでしょうか。
 名前も連絡先も聞かなかった今では、知る術もありません。

・不思議な訪問者は、彼女だけではありませんでした。ある日ひょっこりとうちを訪ねてきた高齢の男性がありました。
 津軽弁の訛りがないところから、青森の人ではない様子です。ここは誰々の家ですか、と聞くこともなく、「ごめんください」と玄関を開けて入ってきました。
 たまたまわたしが出たのですが、お互いに一言も口にすることなく、無言のときが流れました。
 その人はわたしの顔をじっとみると、「23回生まれ変わっていますね」とつぶやきました。
 記憶が確かではないのですが、23回生まれ変われば、死んだ後に自分がやらなくてはならないことをたくさん背負っていると、そんなことを言われた気がします。
 その人は、「ありがとうございました」とそのまま帰ってしまいました。

・不思議な体験が、こうも重なり過ぎてしまい、「現在」も、「過去」も、「未来」も、わたしたちが、時間を区切って範囲を決めてしまっているだけで、本当は同時に存在していて、自由に行き来ができるのではないかと思うようになりました。

<わたしは、青森県弘前市に住むリンゴ農家です。>
・昨年、わたしの半生が「奇跡のリンゴ」という映画になって、全国で放映されたもんですから、道で会う人から「あっ!木村秋則だ‼」と呼び捨てにされるようになりました。

・リンゴ農家の常識では、リンゴの無農薬栽培は絶対不可能と言われています。ところが女房の農薬に弱い体質を少しでも楽にさせようと、リンゴの無農薬栽培を始めたばかりに、わたしのリンゴ畑は病気と害虫が蔓延し、荒れ果て、リンゴは一つも実らず、収入も途絶えて、家族を極貧の生活に陥れてしまいました。
 家族には大変な苦労をかけ続け、わたし自身も何度も挫けそうになりました。岩木山に登って、首をくくろうと自殺を考えたこともありましたが、10年あまりの歳月をかけて、世界で初めて、リンゴの無農薬栽培に成功したのです。
 誰もリンゴの無農薬栽培の方法は教えてはくれませんでした。

・10年近くに及ぶ苦闘の末にようやく実ったリンゴは、2年経っても腐らない「奇跡のリンゴ」と呼ばれるようになりました。
 リンゴが実をつけてくれるようになったのは、「本当に大切なことは目に見えない」と気づいてからです。
 大切なものは、「目に見えない部分」にこそあり、そんな見えないものを見る心が、奇跡を起こす力になるのです。

<宇宙からのメッセージを聞く>
・わたしには、人に話してもなかなか信じてもらえない不思議体験がたくさんあります。
 それが「奇跡のリンゴ」に直接に結びついたとは思いません。でも、奇跡の一部を担ってくれたのは、宇宙のエネルギーだったのではないかと感謝しています。

<なぜなのか?わたしによく起こる不思議な出来事>
・2013年だけでも、わたしはUFOに3〜4回出会いました。どうしてなのだろうと、不思議でなりません。
 2013年11月中旬の夜7時ごろ、畑から自宅に戻ってトラックから降りたとき、空を見上げたら南方にUFOが飛んでいるのが見えました。

・わたしの家の周辺は、よくUFOが見える地域として有名なのです。このときのUFOはひさしぶりに見た感じでした。遠くで輝いていただけで、とくになにも話してくれませんでした。UFOはわたしに、なにかメッセージを発することもあるし、一瞬姿を見せるだけで、無言でさっといなくなってしまうこともあります。

<屋久島の出張先でもUFOに出会った>
・2013年には、屋久島でもUFOに出会いました。

・このUFOはカメラで撮ることができませんでした。
 かなり激しく横と縦に90度の角度で動いていました。
周りにいただれかが屋久島空港に電話をして、「今、飛んでいる飛行機はありますか」と聞いたところ、1機もないということでした。
 このUFOもまた、なにかを伝えたかったのかなと思っています。
このときも会話をすることができませんでした。

<北海道仁木町で出会った二本の虹とUFOの不思議>
・今、わたしは北海道余市郡仁木町で、「自然栽培の塾」をやっています。

・「自然栽培」を広めるために、以前からわたしは地主さんたちに、耕作放棄地を貸してほしいと交渉しつづけてきました。
 その願いがかなって、わたしが訪れたその日、仁木町が耕作放棄地を協力しましょうということに決まったのです。
 決まったと聞いたそのときでした。真っ昼間だったのに、太陽を真ん中にはさんで、虹が太陽のすぐ両脇に2本、まっすぐに立ち上がったのです。ほんとうに不思議な気持ちでした。
 そして、この日の晩にもUFOを見たのです。

<ソクラテスのようなギリシヤの哲学者と夢の中で話したこと>
・リンゴ栽培の先行きがまったく見えず、日々の食べものにもこと欠くような生活をしていた頃のことですから、ずい分前のことですが、わたしはまったく口をきかなくなっていたことがあります。

・答えを求め続け、考え続けていたその頃、夜の畑で地球のものとは信じられないものを目にしました。月明かりの中、発光する丸太のような物体が、リンゴの木の間を高速スピードで移動して、突然消えてしまったのです。
 直感的に、これは宇宙人ではないかと感じました。

・畑に光る丸太を目撃した同じ頃、ソクラテスのようなギリシャの哲学者と会話する夢を見ました。

・さらに、何のカレンダーなのかとわたしがたずねると、「地球のカレンダーだ」と答えるのです。
 他には板はなく、「枚数を数えたね」と言われて、今動かした数を思い出しました。
 板一枚が一年を表すとすると、板がすべて終わったあとの地球はどうなるのかと思ったのです。
 それで「地球は後はないんですか」と尋ねると、「ない」との返事が返ってきました。

<UFOで宇宙人に連れ去られたことがある>
・それから畑で目撃した宇宙人に再び出会ったのは、リンゴがようやく生産できるようになった40歳のときでした。
 深夜にいきなり寝室の窓が開いたと思うと、黒ずくめの身体に二つの大きな目が輝く生物が二人、連れだって現れたのです。
 彼らはわたしの両脇を抱えると、二階の窓から外に連れ出してそのまま上空に上がって行きました。
 気がつくとUFOのようなものの船内に連れ込まれていました。
 UFOの中にはわたしと同じように連れて来られたらしい白人の男女がいました。彼らは裸にされて観察されていましたが、わたしは観察されることなく、宇宙船の操縦室のような部屋に連れていかれました。
 宇宙船の内壁が、彼らが手を触れるだけでガラス張りのように透明になるのを目撃して、あっけにとられました。

・この動力物質を、彼らはKと呼んでいるように聞こえました。
彼らの説明では、地球人が知っている元素は120くらいで、そのうち使っているのは30にも満たない、けれども「我々は256の元素をすべて使っている」とのことです。
 地球人を極めて低能と言わんばかりでした。
 宇宙人は、Kのことを「永久エネルギー」と呼んでいました。そして、「その物質は地球人には作れない、頭が悪いから」と、ちょうど人間が猿を見下げるような感じで話しました。
 下等生物扱いはされましたが、彼らが熱を持たないエネルギーを取り出す方法を持っていることは確かです。
 彼らは熱のない、光だけは存在する世界に生きているのでしょうか。
 光そのものが彼らのエネルギーだったのか、それはわかりません。

<地球のカレンダーはあと何枚も残っていない>
・宇宙人にカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。宇宙人からも、そして夢からも地球がなくなると告げられた、その問題の日。それがいつなのかは、しっかりと覚えていますが、人に言ったことはありません。
 もし、わたしがそれを口外したら、大変なことになると思うからです。だから、地球がなくなる日を一日でも先に伸ばすために、わたしたち地球の住人はなにをしなければならないのか。それを優先して生きていかなければとわたしは思うのです。

<宇宙人は「木村は今、なにをしているのか」を見ているのかな>
・しばしば宇宙人と遭遇したという話をするためか、きっとわたしが宇宙人にお願いして力を借りているのだろうと言う人がいます。
 でも、そうではありません。
 奇跡と言われているリンゴ、コメ、野菜などの「自然栽培」に成功したからといって、わたしはこれまで、天や神仏や宇宙人などのお願いしたことはないのです。
 あの、自殺しようと岩本山をうろついたときだって、「リンゴが一個でも実ってくれるように、答えを教えてくれませんか」とは言いませんでした。
 わたしが宇宙人を何度も見た、というのは事実です。
 でも、宇宙人にわたしがなにか願いごとをしたことは、一度もないのです。
 逆に、彼らは、「木村は今、なにをしているのか」を見ようとして来ているのかもしれません。
 すぐ近くの星から彼らは来ているのではと、感じることがあります。

<奇妙な体験が、脇目もふらずに働く原動力>
・ソクラテスの夢の中で、そしてUFOの中で、わたしは地球のカレンダーが終わる日を確認しました。
 でも、それは気が遠くなるほど未来の話ではありません。

<肥料のガス化がオゾン層を攻撃し生態系を破壊>
・このようなフロンガスへの取り組みは、期待したほどの効果はなかったのです。さまざまやってみても、まったく大気汚染が修復されていないのです。
 米国大気圏局の研究者は、それについて本格的な研究調査をしました。その結果、世界中の農家が使用している肥料、とくに亜酸化窒素が原因だということが判明したのです。

<今という瞬間を感謝し、自然のままに生きる>
・わたしは、無農薬はすばらしい、無肥料はすばらしいということを言っているわけではありません。
 無農薬でも無肥料でもできるのだから、今使っている農薬や肥料をせめて半分にしても、農業はできるだろうと提言しているだけなのです。

<農薬・肥料・除草剤はいらなかった>
・私が提唱する農業は、農薬・肥料・除草剤をまったく使わない栽培法です。

・簡単に言えば、わたしの提唱する自然栽培農法の根幹は次のようなことです。

1.まず、大豆を植えなさい。
2.それから、野菜などの作物を育てなさい。
3.そして、雑草を育てなさい。
4.結果、雑草は邪魔物ではなく、土を作る基礎になります。

現代農業は、土を作るという大きな作業をしてこなかった。

<18世紀末にゲーテによって示されていた農法>
・「大豆を植え、野菜を植え、雑草を育てなさい。そうすれば、永遠に農業は可能である」
 このゲーテの言葉こそ、わたしがこれまで自分で悪戦苦闘してきた自然栽培の原点だったのです。その哲学がすでに18世紀の終わりに示されていました。

<わたしもそれが当たり前だと思っていた>
・リンゴは農薬で作ると言われるほど、栽培には農薬散布を欠かすことができませんでした。わたしの一家の収入はリンゴが頼りでした。
 リンゴの害虫は30種を下らないと言われています。
 虫食いのない、甘くて、大きなリンゴを作るには、青森県で発行されているリンゴ用の防除暦を使わなければなりません。時期ごとに散布すべき農薬と濃度が設定されており、その使用すべき農薬の容量といったら大変なものでした。

・妻は農薬の臭いで吐き気をもよおすほどで、散布中に畑で倒れたこともあります。その症状がだんだんひどくなっていったのです。
 妻の健康を考えると、農薬を防除暦通りに使うことができなかったのです。

<ムシが1匹、2匹出たら、すぐ農薬をまく農業はおかしいのでは>
・一般の農家が殺虫剤もなにも使わなければ、リンゴの場合、90%減収するそうです。
 青森県のようにリンゴが基幹産業のところでは、「農薬なしに、リンゴは生産できない」というのは間違いではありません。
 でも、リンゴ以外のイネや野菜などは、30%程度の減収で済みます。
だから、わたしが言いたいのは、ムシが1匹、2匹出たからといって、すぐに農薬をまいてしまう現在の日本の農業は、おかしいのではということです。

<日本の農薬使用量は世界一>
・リンゴ栽培は、昆虫、カビ、ウィルスなどとの闘いで、防除暦に従ってやれば、それらの悩みから解放されるのはだれでもわかっています。
 でも、それには大量の農薬を散布する必要があり、人体へのリスクがあるのです。その大きなリスクを背負って栽培しなければならない。
 リンゴ栽培の歴史は、ムシと病気との絶望的な闘いだったのです。
「本当に現代農業は、リスクを背負わなければやっていけないのか」
 わたしの自然栽培は、そんな疑問からのスタートでした。
実は、日本での農薬使用量は世界で一番多いのです。
除草剤の使用量もまた、世界一です。



『木村さんのリンゴの奇跡のひみつ』
植物と会話し、宇宙人と語る不思議な男の物語
小原田泰久   学研パブリッシング  2010/3/23



<宇宙人>
<人を幸せにする木村マジック>
・すべてのものに魂は宿っているんだ。

・何しろ、木村さんは、11年の歳月をかけて無農薬・無肥料でリンゴを栽培するという偉業を成し遂げるまで、私たちの想像を超える苦労をしてきた人だ。

<木村少年、龍との遭遇>
・紙とペンを持ってきて、スラスラと絵を描きながら不思議体験を説明する木村さん。龍との遭遇、UFOや宇宙人とのコンタクト、あの世への訪問など、一晩がかりでも語り尽くせないほどの体験談がある。

・「2本の松の木は、今では太くなっているけど、当時はすごく細かったな。龍は、どちらかの木の上に尻尾で立ったのな。上を向いてまっすぐに立った。松の木よりも長かったな。
 私がよお、面白いなと思ったのは、あんなでかい龍が上に乗っているのに、松の木が揺れないことな。だから、私は、みんなにいっているのな。龍の重さはゼロだって」
 しばらく、松の木の上にいた龍は、そのまま空高く飛び去った。我にかえった木村少年は、あのストップしてしまったおじさんはどうしただろうと、道路の向かい側を見た。すると、何事もなかったように、おじさんは歩き始めていた。

・いったい、何が起こっていたのだろうか。
 木村少年はそのとき、時間の流れが、通常の何千分の一、何万分の一という世界の中に入り込んでしまったのではないだろうか。だから、おじさんは止まってしまったし、普段は、猛スピードで動いているために人間の目には見えない(だろうと思う)龍の姿も見ることができた。そんなことがあり得るのだろうか。でも、そう考えるしか説明のできない現象だ。

<妖精と話す子どもたち>
・木村さんは、両親から見えない世界を否定するような大人になる教育を受けていなかったようだ。だから、常識という枠を超えてものを考えることができた。そして、さまざまな神秘的な体験をすることになるのだ。

<座敷わらし、光の乱舞、龍との再会>
・岩手県には、その旅館だけでなく、何軒か座敷わらしに会える宿があるのだそうだ。そして、どの旅館でも、座敷わらしに会った人には幸運が訪れているという。
 東北というのは、こんな話が似合う場所である。柳田國男の『遠野物語』とか宮澤賢治の世界が、東北の根底には流れている。
 私には、座敷わらしの話を単なるファンタジーとして片づけることができない。光を見たとか、写真に写ったという話があるけれども、この章の冒頭にも書いたが、私も青森県の種差海岸で、宙に光の粒が飛び交っているのを何回も見ているからだ。

・キリストの墓もある。『東日流外三郡誌』と同じようにウソだ本当だという議論を呼んだ古文書『竹内文書』には、キリストのことが書かれている。ゴルゴダの丘で殺されたキリストは偽者(弟のイスキリ)で、本物は津軽の地へ逃れてきて、ここで亡くなったというのだ。この墓があるのが戸来村(現在の新郷村)で、戸来はヘブライ(イスラエル民族)に通ずるというのも、ひょっとしたらそんなこともあったのではと興味をそそられる。

・そして、下北半島には恐山がある。死者の霊を呼ぶ口寄せはよく知られている。そのせいか、青森県には霊能者が多い。「青森の神様」と呼ばれている木村藤子さんのように全国的に有名になった霊能者もいれば、まだ名は知られていないけれども、地元では知る人ぞ知るというすごい力をもった霊能者がいるんだという話は何度も聞いた。

<おむすびとリンゴの奇跡>
・青森県ということで、もうひとり紹介したい人がいる。
 木村さんの畑から、岩木山神社を右手に見て車を走らせ、しばらくして左手に折れると湯殿という温泉場があって、その一番奥に、「森のイスキア」という癒しの家がある。ここの主は、佐藤初女さんという80年代後半の女性である。初女さんのもとへは、悩みを抱えた人がたくさん訪ねてくる。

・初女さんの代名詞のようになっているのが“おむすび”である。

・「私が自然栽培をしてきて感じるのは、すべてのものに魂があるということです。仏教でもそう教えているはずです」

・木村さんは無農薬・無肥料でリンゴを育て、米や野菜も同じように栽培する方法を指導している。そのため、農薬批判の旗頭という見方がされている。しかし、木村さんは農薬を頭ごなしに批判しているわけではない。逆に、病気や虫で苦労した分、農薬のありがたみを知っている。農薬を使っていれば、葉っぱが一枚落ちる音にオドオドする必要はなかった。手で害虫をひとつひとつ取る作業もしなくてすんだ。そして、あんな極貧の中で苦しむこともなかったのである。

<畑に現れた謎の光>
・目をこらして見ると、その光は人間のような形をしている。それも、宙に浮いて、すごい速さで畑を移動している。

・それ以来、木村さんは自宅の庭で何度もUFOを目撃している。
 畑で奇妙な光が走り回っている直前にも、UFOらしき物体を目撃した。夜、外に出たら、空にフランスパンみたいな物体が浮かんでいるのが見えたのだ。

・その飛行物体は、遠くの空に1メートルくらいに見えたという。雲が下を流れていたというのだから、かなりの高度である。それでその大きさに見えたという。雲が下を流れていたというのだから、かなりの高度である。それでその大きさに見えたのだから、ジャンボジェツトなど比べ物にならないほどの巨大な物体である。

<ネコのような目をもつ人らしき影>
・「なんで目が覚めたのかわからない。目が覚めて、ふっと外を見たのな。そしたら、畑で見たあのふたり。やっぱり、目がぎょろっと光っていた。4つな。だから、ふたりだと思う。2階なのに、あいつらは宙に浮いているのな。はしごなんかなかったのにな」
 まるで金縛りにあったみたいに体は動かず、声を出すこともできなかった。
 ふたつの影が窓に近づいてきた。すると、鍵のかかったサッシが、自動的に開いたのだ。さすがの木村さんも、その瞬間は、何が起こっているのか、冷静に分析することなどできなかった。
逃げようとしたが体は硬直してしまっている。
「そのふたりは、私に近づいてきて、拉致するみたいに、両脇をもって、外へ連れて行こうとするのな。もがこうとするんだけど。すごい力だから身動きができない。そこで、記憶が途切れてしまったな」

・気がついたら、木村さんはベンチに座っていた。公園にあるような板張りの粗末なものだった。大きな建物の中らしかった。静かで音はまったくなかった。木村さんは、右横にふたりの人間が座っているのに気がついた。奥にいるのは男性で、アメリカの海兵隊員のように見えた。若くて刈り上げた頭が印象的だった。その隣、木村さんと海兵隊員らしい男性の間に座っていたのが、金髪の若い女性。髪の毛が長かった。

・やがて、木村さんを拉致したふたりの宇宙人が姿を見せた。そして、無言で、最初に海兵隊員、次に金髪の女性を、両脇に抱えるようにして連れて行った。
 次は自分だなと、意外と冷静に状況を判断していた木村さんだったが、なかなか迎えが来ない。
「ちょっと退屈になって、窓があったので、椅子にのぼって外を見てみたのな。そしたら、竪穴式住居がいっぱい並んでいるみたいな感じで、光がずらっと見えたのな。マンションかアパートなのかなと思いながら見ていたら、例のふたりがやってきて、私を両側から抱えたのな」

・そして、そこから記憶が空白になり、気がついたら拉致されたときと同じようにふたりの宇宙人に両脇を抱えられ、自宅の2階の窓の外にいたという。そして、彼らと一緒に部屋に入ったかと思うと、宇宙人の姿は消えていた。そのまま眠りにつき、目が覚めたときにも、記憶ははっきりと残っていた。

<アブダクション経験者は3億8500万人>
・そして、また別の調査によると、ちょっと驚きだけれども、世界中のどこでも人口の約5.5パーセントがアブダクションを体験している可能性があるというのである。

<宇宙人の存在は地球人の価値観を変えるのか>
・私は、「ムー」という雑誌に木村さんのUFO体験を書いた。そこには、木村さんが描いたUFOのイラストも掲載した。それを見たひとりの知り合いが、自分もあれとよく似たUFOを見たことがあるんだといい出した。

<「あの世」で出会った「この世」の女性>
・UFOや宇宙人との遭遇はなかったが、木村さんは再度、神秘体験をすることになる。
 7年ほど前、リンゴも順調に実るようになっていたころの話だ。
 ある日、木村さんは体がだるくなって横になったところ、そのまま意識を失ってしまった。大変な高熱だったらしい。半日ほど、木村さんの意識は戻らなかった。
 目が覚めたとき、木村さんは、「あの世へ行ってきた」と感じたという。意識を失っている間のことが、記憶に鮮明に残っていたからだ。

・木村さんの最初の記憶は、上からフワフワと降りてくる大きなシャボン玉だった。何だろうと思っていると、吸い込まれるように、その中に入ってしまった。そして、木村さんを乗せたまま上へ上がって行くと、3メートルほど上がっていったん止まり、またすぐに上がり出した。まわりをキョロキョロみると、ずっと向こうに女性らしき人がふたり、同じようにシャボン玉に乗って上がって行くのが見えた。
 この後、木村さんはあの世らしき世界を旅することになるが、三途の川や花畑があって、懐かしい人に会えるという世界ではなかった。

・ここから時間を先送りして、驚きの結末、後日談を先に紹介しておきたい。
 意識を失った数か月後のこと。木村さんの講演会が横浜であった。講演の前、ひとりの女性から会場に「お話ししたいことがあるので、講演が終わったら会いたい」と電話が入った。約束どおりに木村さんがロビーで待っていると、若い女性が声をかけてきた。そして、驚くべきことを、木村さんに伝えたのだ。
「ひととおりの身の上話をした後、こういったのな。『シャボン玉のようなものに乗りませんでしたか。ふたりの女性が見えたと思います。そのうちのひとりが私です。私は、あなたの案内役です』ってな」
 あのときの出来事はだれにも話してなかった。まったく初対面のその女性が知るはずのないことである。木村さんは歯のない口をぽかんとあけて、その女性の顔を見た。
 以来、その女性と会うチャンスはない。
「きっと、本当に死んだとき、あの人が案内してくれるんだろうな」
 美人で良かったと、木村さんは大きな声で笑った。

・話を戻そう。シャボン玉のあとの記憶は真っ暗闇の中だった。木村さんは、糸で引っ張られるように、方向もわからないまま歩いていった。砂の上を歩いているような感覚だった。しばらく暗闇を歩いていくと、急に明るくなって大きな門が見えてきた。門をひとつくぐり、ふたつくぐりして、結局は6つの門をくぐった。最後の門をくぐると、髪が長くて白いワンピースとドレスを着た男性か女性かわからないふたりが待っていた。シャボン玉の女性ではなかった。

・ふたりの後をついていくと、窓も戸もない家がたくさん並んでいる場所に出た。そこには男か女かわからない人がひとりずつ住んでいた。「背中を横切ってはいけない」と、木村さんの心に響いてくる声があった。
 はるか遠く見ると、山があって、その麓に白い糸が見えた。なんだろうと思ったら、すぐにその場所に瞬間移動した。白い糸に見えたのは、たくさんの白い服を着た人の行列だった。みんな、土に足をつけず、すーっと音も立てずに移動していた。
 行列の先には川があった。順番がくると、その川を仰向けになって流れていく。「この人たちはどこへ行くのか」と心の中でたずねたら、「生まれ変わり」という声が聞こえてきたという。

•次の瞬間、木村さんは最初の門の所に立っていた。
「門を出たり入ったりしていると、ものすごい音の地鳴りがしたのな。地震かと思ったら、だれかに自分の名前を呼ばれた気がして、あれっと思ったら、シャボン玉に乗っていたのな。帰りは早かったな。自分が寝ている姿を3メートルくらいの高さから見て、その後、重なるように自分の体の中へ入っていったな」
木村さんは生還した。

<宇宙人にもらった丸い玉の正体>
・UFOの話に戻る。木村さんは、帰されるときに、丸い玉をもらった。木村さんの著書『すべては宇宙の采配』(東邦出版)では、その丸い玉をもった木村さんが表紙になっている。実際には、朝、目覚めると丸い玉は消えてしまっていたが、その玉には、何か重要なメッセージがあるように思える。

<UFOの中で見た地球のカレンダー>
・畑でふたりの宇宙人に遭遇したしばらく後のことである。リンゴが実らず、極貧の中で苦しんでいた時期だ。木村さんは、幻想とも思える不思議な感覚の中で、ソクラテスを思わせるような老人と出あった。体に白い布を巻きつけ、あごに髯をたくわえていた。
「待っていたよ。手伝ってもらいたいことがある」

・「終わった後、『これは何ですか?』って聞いたのな。そしたら、『地球のカレンダーです』っていうのな」
 木村さんは、これは地球の終わるまでのカレンダーだと思って、「これで全部終わりですが、あとはないのですか?」と聞いたそうだ。そしたら、「ありません!」という答えが返ってきた。ああ、これだけの年数で地球は終わるんだと思ったときに、木村さんは目を覚ましたという。
「マヤ歴が2012年で終わっているといわれているけど、あれよりは長かったな。でも、地球は永遠に続くと思っていたから、意外に早く結末が訪れるんだなと驚いたことは覚えている。その枚数はだれにもいってはいけないといわれているので、どんなことがあってもしゃべらないけどな」
 その後、UFOに連れ去られるという大事件があるわけだが、そのときにも、木村さんは地球のカレンダーを見せられている。ソクラテスのような人に見せられたのと同じ年数だったという。

・木村さんは、想像を絶する苦労を経て成功させた無農薬でのリンゴ栽培から、さまざまな教訓や知恵を得た。そして、さらには、UFOや宇宙人、あの世という神秘的な世界にも触れて、世の中が物質だけでできているのではないということを、身をもって知らされた。

<無農薬農法が病気を広めた?>
・話は20年以上も前、1989年のことになる。Eさんは、隣の畑の持ち主であるYさんから訴えられた。これをリンゴ裁判と呼んでいる。

・そんなこともあって、ほかの農家は、Eさんが農薬を散布しないから黒星病が広がったとEさんを責める行動に出た。防除組合からも農薬散布を要請する文書が届き、組合員の署名も集められた。彼らは、Eさんが農薬を散布しないために発生した黒星病の「被害者」だった。その被害者代表として、隣接する畑の持ち主であるYさんが175万円の損害賠償を求めて訴えたのである。
 Eさんが農薬を使わなくなったのは、健康被害があったからである。

<裁判で認められた「農薬を使わない自由」>
・この裁判は決着がつくまで3年の月日を要した。結果は、痛み分け(和解)だった。次のような和解文が裁判官から読み上げられた。
「YさんとEさんは今後お互いの農法を尊重しながら、より良いリンゴ栽培技術の確立のために努力し、Yさんの土地の境界から20メートルの範囲を緩衝地帯として、緩衝地帯ではEさんはリンゴ以外の果樹を栽培する。Yさんも出来る限り低農薬栽培の実践に努力する」

・リンゴは農薬を使わないと育たないというのが絶対ともいえる常識だったのはすでに述べた。そして、リンゴ農家の人たちは、病気が発生すればどんどん広がっていって地域全体が全滅すると信じ込んでいた。長年、そう教え込まれてきたのだから仕方のないことである。

・「逆に、無農薬で大変な苦労をしたから、だれよりも、農薬のありがたみがわかるのな」木村さんはしみじみと語る。私は、何もいわずに、木村さんの話を聞き続けた。
「だけど、農薬や肥料は、やがて世の中から必要がなくなるものだと思うな。青森でリンゴの売上げが2000億円なのに、農薬にどれくらいのお金を使っていると思う?大学の試算で900億円、全農だと1200億円も使っているわけだ。これでは採算のとれる農業ができるわけがない。使わなくても収穫できるものなら、それに越したことはないと、だれでも思うよな」

・「だから、UFOや宇宙人の話も、話すことを反対したり、誤解する人もいるけれども、私はどう思われたっていいのな」

・「私にとっては、無農薬・無肥料でリンゴを栽培したりしたことも、宇宙人らしきものに出あったり、あの世らしきところを見てきたのも同じ真実だから」

<不可能を可能に変える男・木村秋則>
・1個のリンゴも実らない時期が何年も続いた。半端な苦しさではなかった。それを思い起こせば、こうやってリンゴがなってくれていること自体、どれほど幸せなことかわからないというのだ。

・彼らは、無農薬・無肥料でリンゴをつくるという、今までだれもできなかったことに長年挑戦しつづけていた。それが原因で、夫は、まわりの人たちから「カマドケシ!」と中傷され、妻はそんな木村さんを縁の下で支えてきた。

・ヨーロッパでリンゴ栽培が始まって200年。日本で120年。リンゴは、農薬や肥料がないと育たないというのが常識だった。それをひとりの男が、11年の歳月をかけて覆したのだ。大変な苦労があったのは当然のことだった。カマドケシというのは、津軽の方言で破産者のことをいう。人を蔑む最低の言葉である。



『天国はここにあり  新 天使クラブへようこそ』
山川紘矢    ダイヤモンド社    2010/6/18



<私たちが体験できる最も美しいものーぼくが「天界」に行ったときのこと>
・さて、いよいよ夢の中で、ぼくが天界に行ったときのことをお話ししましょう。

・トイレの壁をぼんやりと見ていたのですが、そのトイレの壁がスーッと動いてゆくではありませんか!「あれって」と思っているうちに、ぼくの体をトイレからスーッと、どこかへ運ばれていったのです。

―そこはもう、広々とした別世界でした。全体が明るい水色の世界で、白いギリシャ風の柱が立っている大広間みたいなところに着きました。
 そして何人もの白いローブのようなものをまとった人たちが三々五々、楽しそうに談笑しているのです。中には竪琴を持った人もいて、天界のようでした。

・ぼくはズボンをおろしたままの姿ですから、すっかりあわててしまい、ひざを少しまげて前を隠していました。
そこにいる人たちは、おしり丸出しのぼくを見て、みんなして楽しそうに大笑いをしているのです。声は聞こえませんでした。テレパシーの世界のようでした。
 ぼくははずかしくて、やっとズボンをたくしあげたのです。ざわめきが一段落すると、向こうのほうから、とても威厳に満ちたレオナルド・ダ・ヴィンチのような素晴らしい風貌の男性が現れました。ぼくに会いに来たようです。
 彼はぼくの顔をじっと見つめました。その目は、慈愛に満ちているという表現がぴったりです。しかし、なぜかぼくに同情するような顔つきでした。
 ほんの何十秒間のことだった気がします。ふと気がつくと、ぼくはベッドの上に座っていました。トイレに入っていたのも、現実のことではなかったのです。

・あのレオナルド・ダ・ヴィンチのような方は、誰だったのか、あれはいったい、何の体験だったのかー。今でも忘れることができません。

・それから、ぼくはひどい病気を3年間やりました。先ほども書きましたが、ゼンソクです。そのために、とうとう公務員を辞めなくてはならなかったほどでした。発作が起こると動けなくなるのです。いつもベッドの上でうめいていました。



『心霊の文化史』   スピリチュアルな英国近代
吉村正和      河出書房新社  2010/9



<神智学と心霊主義>
・ヴィクトリア女王がインド皇帝に即位した1877年と同じ年に、ブラヴァツキー夫人の主著『ヴェールを脱いだイシス』が出版され、その2年後に神智学協会の本部がニューヨークからインドに移る。ブラヴァツキー夫人はもともと心霊主義の霊媒として活躍しており、古代密儀宗教、新プラトン主義、ヘルメス主義、フリーメイソン、魔術など西洋神秘思想を心霊主義に導入しようとしていた。『ヴェールを脱いだイシス』はその集大成であり、神学と科学の融合による新しい宗教すなわち神智学を提唱したのである。

・神智学に変容した心霊主義には、もう1つ重要な理論が加わる。1859年にはダーウィンの『種の起源』が出版され、地球上の生物は『聖書』が説くような神の創造によるものではなく、原始的な生物から自然淘汰(自然選択)によって進化していく過程を「進化」と呼び、そのメカニズムを膨大な標本と精緻な理論によって証明したのである。環境に適応できたものが生き残り、適応できなかったものは死滅するという生存競争を通して生物の多様性が説明できるというものである。

・この理論は人間社会に適用されて社会ダーウィニズム(社会進化論)となり、ヴィクトリア時代の帝国主義イデオロギーを裏付けることになる。19世紀において科学技術に基づく物質文明を享受していた白人(アーリア人)は、この理論に基づいて、白人こそ世界を支配する能力を備えた人種であり、白人以外の人種を教導していく責務があるとして白人至上主義を「科学」的に正当化する。

<神智学協会の創設>
<ブラヴァツキー夫人>
・ブラヴァツキー夫人はエジプトやインドなど世界を遍歴したのちに1873年にニューヨークに到着する。すでにエジプトでは心霊協会を組織したり、パリでは霊媒ダニエル・ホームと接触したり、フランス系フリーメイソンと行動を共にすることもあり、自ら霊媒としての能力を十分に養っていた。1874年に後の盟友ヘンリー・S・オルコット大佐と出会うのも、ヴァーモント州チッテンデンにおける霊媒エディ兄弟の降霊会においてである。

・神智学の歴史においてもっとも重要な年となる1875年、オルコット大佐は、エジプトの「ルクソール同胞団」に所属する「トュイティト・ベイ」なる人物から手紙を受け取るようになる。古代から継承される霊知を少数の選ばれた賢者にのみ伝えるという「未知の上位者」という存在は、フリーメイソン(特に厳格戒律派)やイギリス薔薇十字協会に見られる発想である。ブラヴァツキー夫人の「トュイティト・ベイ」(後に「マハトマ」という神智学のアイデアに変容する)は、この「未知の上位者」の発想を借用している。心霊主義の系譜では、ウィリアム・ステイントン・モーゼスの指導霊インペラトールを除くと、そうした発想はほとんど見られない。ブラヴァツキー夫人は心霊主義と降霊会を厳しく批判しているが、モーゼスだけは例外として高く評価しているのは、両者の体系にある種の親縁性があるからである。

<マハトマの登場>
<インドでの反響>
・神智学協会は、インドの人々には好意的に受け入れられたが、キリスト教伝道を続けていたイギリス人宣教師たちには嫌悪の対象となっていたことは容易に想像できる。神智学協会が人格神を明確に否定していたこと、キリスト自身がマハトマの1人に位置づけられていることも宣教師たちには衝撃的であった。

・マハトマとはマハ=大、アートマ=霊から成り、大賢者としてのゴータマ(釈迦)から伝わる大宇宙の秘儀に精通している。マハトマは単独ではなく、複数のマハトマが存在しており、「グレイト・ホワイト同胞団」という結社を構成している。それぞれのマハトマは、さらにチェラ(弟子)にその秘儀を継承していく義務があり、たとえばマハトマ・モリヤのチェラがブラヴァツキー夫人であるということになる。マハトマは神智学の根本にある教えであるが、存在自体が当初から疑問視されてきた。霊的存在として本来不可視の存在とみれば説明がつくが、

ブラヴァツキー夫人の場合には、マハトマは地上でしばしば目撃される(!)ことがある。当初はダヤーナンダ・サラスヴァティーがマハトマと重ねられたこともある。



『宇宙からの大予言』
迫り来る今世紀最大の恐怖にそなえよ
松原照子   現代書林  1987年1/10



<予言者誕生の物語>
・私は、いつもいろいろなことを見ようとして暮らしているわけではありません。ただ人に質問されると、テレビのスイッチを入れたように、目の前に画像が映し出されます。テレビや映画のように映るのですから、私にとっては別段大変なことではありません。

・私自身、信じきれないところがありますが、私の不思議はまだまだ続きます。私が触ると病気が治るという人が増え、また不思議と良くなる方々が増え始めています。

・それに、眠る前にいろんな方が私を訪ねて来て、この世の不思議を教えて帰ります。そして、その人々が私に「今回のことは発表しなさい」と、ささやくのです。

<ささやく人々の訪問>
<ブルーグレーのおばあちゃん>
・「あなたはだれ?」1982年春のことです。いつものように本を読み、眠ろうとした朝の4時ごろです。ベッドの横に、ロシア系の老婆が立っていました。「おばけ」とよく出会う私は、また「おばけ」かと気にもとめず、眠ろうとしたのですが、老婆はいつまでも私を凝視し続けています。ほほはたるみ老婆の顔ですが、グレーの中にブルーが光るその目は、若々しく燃え、けっして老いた人の目ではありません。

<黒い法衣の僧侶>
・ブルーグレーのおばあちゃんと黒い法衣の僧侶は、たびたび現れますが、いつも決まって5時の鐘音の前に姿を消します。私の5時消灯の習慣も、この二人の時間割に準じてのものなのです。

・いつもはやさしいブルーグレーのおばあちゃんが、怒り顔です。後ろの方々の中に、私は、初めて見る口ひげと顎ひげのある50歳ぐらいのやせた西洋人を見出し、その方に救いを求めました。

<出会い、不思議な世界>
・私は、ブルーグレーのおばあちゃんが率いる皆様に見せられたこと、聞かされたことを『恐怖の大予言』と称する小冊子にまとめ、自費出版しました。1985年10月のことです。

・私の会う“おばけ“の方々は、我々と同じように足もあり、ごく普通に歩きます。その姿は、50年ぐらい前までのファッションで江戸時代や戦国時代のいでたちではありません。

・夜、帰宅途中に"おばけ"に会うと、私は、つい、「こんばんは」と、話しかけてしまいます。
 すると、その方々は、私と一緒に歩き出し、我が家へ一緒に入ろうとするのですが、「南無阿弥陀仏」と合掌すると、私のことを気にしていないという素振りで帰っていきます。

<ささやく人々の正体>
・その方の話によると、ブルーグレーのおばあちゃんは、ブラヴァツキー夫人といって近世に神智学を復興した初代会長、ひげの西洋人はクート・フーミ大師だそうです。彼らは、数千年も古くから密かに伝えられてきた神智学に関係のある人たちでした。

・そして、“地球コントロールセンター”とは、彼らのいるシャンバラであって、ここに地球のそれこそすべてを支配している超人(アデプト)の方々がおられ、ブッダもキリストも、そこから来られたのだというのです。正体を知ったあとも、私は、あの方々に会い続けています。



『輪廻転生を信じると人生が変わる』
山川紘矢    ダイヤモンド社    2009/9/11



<出会いには必ず目的がある>
<この世に偶然はない>
・「この世に偶然はありません」精神世界のことを勉強し始めると、必ず、この言葉に出会います。

・昔の人は、知っていたのです。人は決して偶然に出会うのではないことをー。私たちは皆、必ず何か目的があって出会っているのです。
 では、生まれる前から運命は決まっているのでしょうか?はい、ぼくはそう思っています。

・抵抗をやめると、「起こったことは、起こることになっていたのだから、すべてそのまま、ありがたく受け入れよう」ということになり、生きやすくなります。
「抵抗」しなければ、軋轢も起こりませんし、エネルギーを無駄に使う必要がありません。
 生まれる前に、「自分が生まれてくる国を選んできた」とか、「自分で自分の両親を選んで生まれてきた」とも言います。

・今、ぼくは運命100パーセント、自由意思100パーセントだと考えています。一瞬一瞬を自分の自由意思で選択しているのだけれど、それさえ、もう決まっているということです。

・ぼくも精霊から何度もメッセージを受け取りました。「1分1秒、狂いがない」のだと。出会う人と出会うべくして出会い、起こることは起こるべくしてその時に起こるのです。
 山あり谷あり、波瀾万丈の人生を生きて来て、今、「この世に偶然はない」と、心からそう思います。すべては意味があって起きてくるのです。

<輪廻転生を信じると人生が変わる>
・「死」は肉体という衣を脱ぎ捨てて、「向こう側の世界」に戻っていくだけと考える方が理にかなっているような気がするのです。

・ソウルメイト、縁の深い人という者も確かにあります。恋人、夫婦、家族になったりするのは縁が深いからだ、と考えれば、なにか納得がいきます。「縁のある人を大切にしよう」という気持ちにも自然となります。

・ぼくたち夫婦は、精神世界の本を20年以上も翻訳してきました。「内容を本当に信じて翻訳しているのですか?」と聞かれることがあります。もちろん、信じているから翻訳しているのです。

<本当に起こったことだけ書きます。>
・リアが言うには、セント・ジャーメインというのは、ぼくにメッセージを伝えたがっている精霊の名前だそうです。
 セント・ジャーメインとは英語発音です。あとで調べてみると、日本語ではサン・ジェルマン伯爵と呼ばれているのだと知りました。
 ともかくその日、まったくの初対面でぼくのことを何も知らないリアを通して、サン・ジェルマン伯爵から伝えられたメッセージは驚くべき内容でした。とても信じられませんでした。

<こちら側では、多くの精霊や天使たちが、一生懸命活動して人々に覚醒をうながしています>
<精霊の導きによってすべてがとりおこなわれている>
・精霊は何でも知っています。世の中の動きは、実はすべてが計画されているのです。

・そのとき初めて、自分は前世で中国、ロシア、アメリカなどにいたことを聞かされたのでした。もちろん、すぐに信じたわけではありません。輪廻転生など、まだそのときは信じていませんでしたから。

・精霊は「いずれあなたがた(ぼくと妻)も、私たちと直接、交信できるようになる」とも言ったのですが、そんなことが自分たちに起こるなんて、とうてい信じられることではありませんでした。

<自分に起こることは自分が引き起こしている>
・精霊は「地球に大きな変動が起こります。1987年7月、カリフォルニアに大地震が起こり、カリフォルニア州は海に沈みます。これから日本に帰国する途中、カリフォルニアに行って、そこで会った人たちにそのことを伝え、地震のときにカリフォルニアにいないようにさせなさい」(その後、カリフォルニアでは地震は起こりませんでした。いいえ、起こったのだけれど、沈没するような規模ではありませんでした。)

<精霊が伝える情報が100%正確ではないこともある>
・エクスレイ夫人いわく、亡くなったご主人が部屋に現れるのだそうです。夫が生前、可愛がっていた犬が気配を感じ、生きていた主人にしていたのとそっくり同じようにしっぽを振って喜ぶのだそうです。

<私たちの生は壮大な宇宙の計画の一環>
・人生、必要なことしか起こらないのです。

・ぼくらが翻訳した『ザ・シークレット』(ロンダ・バーン著/角川書店)をはじめ、「引き寄せの法則」について書いてある本がたくさんでていますが、本当の「引き寄せの法則」とは、エゴでお金を引き寄せるという技術ではありません。「自分のところに来たものは、全て自分が引き寄せた」と知ることです。自己責任ということです。

<本気で思ったことは実現する>
・誕生日から割り出される運命は、ほんの一部にすぎないのです。

<人生に間違いはひとつもない>
<必要なら助けはいつでもやってくる>
・誰にでも守護霊や指導霊がついていて、向こう側の世界から助けています。守護霊は亡くなった両親や、その両親、つまりおじいさんやおばあさんのことが多いです。ぼくたちのところに最初に出てきた指導霊は、サン・ジェルマン(セント・ジャーメイン)伯爵でした。

・サン・ジェルマン伯爵には、本当にいろいろお世話になりました。今この時点でも、ぼくたちだけでなく、いろいろな人を向こう側から助けているそうです。今は、「必要なら、あなたのところへすぐにやってきますから、いつでも呼んでください」と言って、どこかへ行っています。

・こうして、その日から今にいたるまで、ぼくたちは直接、指導霊から具体的に指示を受け取っています。その助けがなかったら、大変な病気の時期を乗り切れなかったことでしょう。

・翌日、新しい指導霊からメッセージがきました。アシジの聖フランチェスコでした。

・次にやってきたのはイエスでした。あまりのことに、イエスからメッセージが来るということは長い間、誰にも話しませんでした。

<過去にとらわれず、今に焦点を合わせて生きればいい>
・過去生など知らないほうがいいそうです。過去生を知ったばかりに脳が勝手にあれこれ妄想して、大変なことになるかもしれません。



『ルポ 現代のスピリチュアリズム』
織田淳太郎  宝島新書   2010/3/10



<『アウト・オン・ア・リム』翻訳とサン・ジェルマン伯爵>
・サン・ジェルマン伯爵は、歴史上に実在したとされる謎の人物である。1700年代にヨーロッパを中心に活動し、数々の超常的な伝記を残しているが、その一つが「不老不死の錬金術師」としての顔だった。

・1710年にサン・ジェルマン伯爵に会った作曲家のジャン・フィリップ・ラモーは、「50歳前後に見えた」同伯爵が、その25年後に再会した時は「25歳ぐらいにしか見えなかった」と、自身の日記に残している。

・このサン・ジェルマン伯爵の年齢の退行現象を証言するのは、ラモーだけではない。同じく1710年、同伯爵に会ったジニルジ伯爵夫人は、それから40年後に再会したときも「まったく歳をとった感じには見えなかった」と証言している。

・サン・ジェルマン伯爵自身、自分の年齢を300歳とも2000歳とも口にしているが、これは催眠術師でもあった彼の他者に与える力の催眠効果だったという説もある。

・一方、サン・ジェルマン伯爵は錬金術師だけでなく、絵画や音楽、医学、歴史などの知識が豊富で、タイム・トラベラー、つまり時空を超える旅人としても知られていた。「イエス・キリストに会ったこともある」と、彼は口にしたという。「イエスが水をワインに変えた時は、みんなが驚いていた。それがカナの婚礼の奇跡として後世に知られるようになった」。

・同伯爵は自分の過去世や未来世も知っており、あるときはフランシス・ベーコンとしての人生を歩み、あるときはキリストの父、ナザレのヨセフだったときの自分の人生を語った。1822年にサン・ジェルマン伯爵と会ったという人物が現われ、同伯爵の言葉としてこう伝えた。「私は、これからインドに行く」それから117年の1939年、アメリカの飛行士がチベットの山奥でサン・ジェルマンと名乗る中世の身なりをしたヨーロッパ人行者と遭遇したと話している。

・「そのサン・ジェルマン伯爵について研究していたOさんという大学教授が『サン・ジェルマン伯爵は20世紀終わりの日本に現われると自ら予言している』と言うんですよ。驚いてましたね。『あなたたちのところに出てきたんですか』」と(笑)。



『「宇宙人と地球」の超真相!』 
工学博士 深野一幸  (徳間書店)   1997/10



<オスカー・マゴッチの「深宇宙探訪記」の分析(宇宙の霊的存在)>
・「宇宙の霊的存在」 肉体を持たない様々な意識体(霊的生命体)を、マゴッチの情報で分類してみると。

1、ガーディアン(守護神)―昔、人間であったが、霊的に進化し、霊的存在となった。人間世界の指導をしている。

2、アセンディド・マスター(高級教師)ガーディアンより、さらに進化した霊的存在の生命体。7人存在し、7色の虹のように輝いている。第7密度であり。7次元にいる。

3、創造主(偉大な潜在界)さらに上位には、金白色のとてつもなく大きな光で全てを包含する存在がある。グレート・マニフェスト(偉大な潜在界)と呼ばれている。神・宇宙意識などとも呼ばれる。

4、コズミック・トラベラー(宇宙の旅人)−ガーディアン委員会の下で、ガーディアン委員会の特命事項を遂行する宇宙人。ガーディアン委員会の代理人であり、実行部隊の隊長である。5次元(第5等級)に存在する。肉体を持った人間になったり、目に見えない透明な人間になったりすることができる。宇宙人のクェンチンは、コズミック・トラベラーの一人である。

・その下に肉体を持ち進化した宇宙人(人間)がいる。肉体を持つが、地球人の目には見えない。3次元及び4次元に住む。地球人は、波動が低い3次元世界に住む。霊的に向上すると波動が上がり、レベルが上がる仕組みになっている。



『天使クラブへようこそ』
(山川紘矢)(マガジンハウス)   1999/9



<宇宙人に会える日がすぐそこに来る予感がします>
・「そういうこの僕も、一度だけ、確かにUFOを見たことがあります。それはもう10年ほども前のことですが、ある日、知り合いの方で、UFOをいつも見るという若い女性が、赤坂の我が家を訪ねてきたことがありました。彼女には、いつもUFOがくっついていて、彼女を守っているらしいのです。でも、彼女以外には見えないなんて、ちょっと残念、その若い女性が、帰る時、地下鉄の青山1丁目駅まで送っていきました。草月会館の横から青山通りに出て、高橋是清公園のところを左に曲がったときのことです。前方の西の空に、何か不思議な光が見えるのです。あまり大きくない光間のですが、その動きがとても奇妙、クルクルと輪を描くような動き方で、今まで見たこともないようなものです!思わず彼女の顔をのぞき込んで、「あれ、あの光は何?」と聞いてしまったんです。「UFOよ」と彼女は平然として、別にとりたてて驚くことも、喜ぶこともなげでした。やれやれ。

・というわけで、僕もとうとう、彼女と一緒にいたおかげで、UFOを見てしまったらしいんです。そんなに大きなものでもなく、単なる光で、たいしたものではなかった、というのが、僕の感想です。もっとちゃんとしたコーヒー皿みたいな形のUFOか、ぜいたくかもしれませんが、UFOが編隊を組んで飛んでいるのとかを見てみたいのです。

・最近、アリゾナ州で大勢の人が目撃したそうですが、日本ではあまりニュースになりませんでしたね。皆さんの中で、UFOだけでなく、宇宙人が見える人がいますか?この間、バシャールあや子さんという方に会ったら、彼女は、アリゾナ州のセドナに行った時、宇宙人に会ったのだと言ってました。背が低くて可愛いのだそうです。そして、とても友好的なんだということで、その宇宙人と話をしたとも言っていました。彼女は、宇宙人の口真似、動作までもしてくれたのです。でたらめな作り話をする人とも思えないから、きっと本当のことなんだろうと思います。彼女は、エササニ星の住人、バシャールをチャネルする人なのだから、宇宙人にあっても、不思議ではないということでしょうか。しかし、同じ場所にいた人でも、その宇宙人が見えない人もいるそうです。特定の人にだけ見える透明人間のようなものなのかな? やっぱり、見えない僕にとっては不思議です。

・UFOを見たという人の話はよく聞きます。有名なちゃんとした人もいっぱいいるんです。一人一人の体験は、本当にそれぞれです。僕たちが最初に翻訳したシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』(地湧社、角川文庫)には、UFOを見た人の話、さらにはマヤンという名の宇宙人に会ったという話が出てきます。マヤンは小柄な女性で、アーモンド形の眼をしていたそうです。その『アウト・オン・ア・リム』には精霊も出てくるのですが、僕は訳している時、精霊の話も、宇宙人の話も、まさか、そんなことはありうるはずがない、って思っていました。

・そうしたら、精霊のほうは本当に出てきちゃったんです。サン・ジェルマン伯爵という人《?》です。最初はアメリカ人のリア・バイヤースというチャネラーを通してでてきたのですが、初めて、サン・ジェルマン伯爵と話した時、『近い将来、チャネラーを通さないで、直接、お前たちと交信するから』と言われたのです。でも、その話は、とても信じられなかった。しかし、それは本当だったのです。サン・ジェルマン伯爵からのメッセージを、直接テレパシーで受け取ることが出来るようになり、それを自動書記でノートに書き写し、いろいろなことを教えてもらいました。講演会やセミナーの時は、僕たちのまわりにいて、精霊たちがすべてを取り仕切ってくれるのです。実際に自分に起こっていることですから、これはもう疑いことはできません。このことから察しえるに、友好的な宇宙人だって、いつ何時、僕の目の前に現れるかもしれない、ということになります。

・ある知り合いの男性のことなんですが、彼は宇宙船の中で行なわれた国際会議ならぬ、宇宙会議に出席したことがあると、声をひそめて僕に言ったんです。彼は何か怖がっている様子で、詳しい話はしてくれませんでした。他人には話してはいけないと口止めされていると言っていました。怪しいよね。この話は、いくらこの僕でも、素直には信じられないのですが・・・・・。でも仮に、この僕が自分には天使がくっついていて、いろいろ教えてくれるんだ、とそこらの人に言っても、『まさか、そんなこと』と人には思われることでしょう。僕も、宇宙人に会った、と言う人ぐらいまでなら信じられるけれど、宇宙船の中で、会議に出席したという話を聞いても、『まさか、そんなこと』となかなか信じられません」。



『三島由紀夫の霊界からの大予言』
(霊界通信が警告する地球破局後の人類)
(太田千寿)(にちぶん文庫)   1994/7



<死後の三島由紀夫は、太田千寿を通じて自動書記で霊界通信を送ってきた>
・編集部「霊界へ行ってから、肉親とか親類とかいう血縁者や、生前親しくしていた人たちに会えるのでしょうか?」
三島「めぐり会える人と、なかなか会えない人といます。霊界へ行くと輪廻転生のもとへもとへと帰っていくのです。だから、かならずしも会えるというものではありません。霊界に来て、すぐに三段も四段も上がってしまう霊魂もあるのです。それは、霊界では霊力の強い魂が修行している段階に、引っ張られていってしまうのです。そういう仕組みになっていますから、肉親と霊界でのサイクルが、よっぽど同じでなければ会えないでしょうね。僕は、妹にはすぐに会えましたけれど、まだ父にも祖母にもめぐり合っていません。いつか会うときがあるかもしれませんが、それがすぐくるのか、何十年、何百年先か分からないのが実情です」。
「たとえば、幽霊の出るのも、霊界の一種の演技です。霊界には完全にコンピュータ式になっている映像システムがあって、それを使って幽霊を人間界に送り込んでみる」。



『銀河のスクロール』
(星乃遊子)(太陽出版)     1999/1



<日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、天使の存在だった>
<現代人はテレパシー能力を失ってしまった>
<シリウス人の贈り物  「シリウスの幾何学模様のネット」>
・地球の次元上昇に積極的に係わる決定をした宇宙の存在たちは、縄文時代に肉体を持ち、日本に居住していました。日本に最初に降り立ったのは、シリウス人で、彼らは東北地方の青森県を中心に、下北半島、津軽半島、十和田湖周辺から秋田県の一部や岩手県全域に渡り活躍していました。

・非常に博学で穏やかなシリウス人は、縄文人に文明の手ほどきをし、精神性を高める導きをしました。そして、東北の地で統合を目指す人種の交配に携わり、その種を縄文人に植え付け、『統合を目指すアジア人種』を作り出し、幾世紀にも渡って種を増やし、人間のグリッドとして存在し続けるように計画したのです。この混合種を生み出す遺伝子操作の知恵を与えてくれたのは、外宇宙(私たちの住む銀河の外)の創造の役割を担う大マゼラン銀河の存在でした。

・現在も東北地方一帯は、大切な役割をする地場としてボルテックスやグリッドが設定され健在であり、崇高なエネルギーを感じとれる場として静かに控えています。シリウス人の居住範囲は、北海道、東北、信越、関東、中部、西から南は瀬戸内周辺全域に広がりましたが、日本海側の新潟、北陸、鳥取、島根までは、グリッドの設定も限られており、居住という形はとっておりません。

<シリウスの黄金のネット>
・「宇宙の中心太陽とシリウス、プレアデスのエネルギーが点火され、さらにマヤ、天王星のエネルギーが添加、黄金色に光り輝くエネルギーグリッドが完成しました」。
「惑星ニビルと木星、土星の生命体は、宗教で地球人を簡単に洗脳できることを見抜き、『示し申したもの=神』となりました。ニビルや木星、土星の選民になりたがった者に権力支配の力を与えたのです。そこで、高次元の存在をはじめシリウスの存在は、三次元の地球上の生命体全てが四次元以上の彼らと同様に、魂の自由な選択ができ、多次元宇宙とテレパシーで交流ができるようにするため、太古の昔から今にいたるまで、努力をしているのです」。




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