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カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスはイルミナティのメンバーであり、彼らが提唱した共産主義はイルミナティの思想を具体化したものという説が存在する。(1)
[森羅万象]
2021年11月18日 15時14分の記事



(2021/11/18)


『オカルト怪異事典』
寺井広樹  笠間書院   2021/9/7



<アガルタ>
・世界の中心にある理想世界あるいは都市名で、地底にあるとされる。北欧神話に登場する神族の王国アースガルト(ドイツ語でアガルタ)が語源である。ヒンドゥー教・チベット仏教の理想都市シャンバラと同義とされる。また、2万4000年前に地底に沈んだ超古代文明レムリアの地底都市テロスもその類型といえる。アメリカのシャスタ山にテロスへの入り口があるとされている。
 1908年、ウィルス・ジョージ・エマルソン作『The Smoky God』の舞台は地下にある世界で、エデン園(アガルタ)であるとした。以来、高度文明を持つ地下世界のイメージが拡がり、アガルタを描く作品が多数発表されるようになった。

<アラヤシキ>
・漢字で「阿頼耶識」と書く。大乗仏教の学派のひとつ「瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派」で独自に見いだされる概念で、人間の中に無意識に存在する生命力である。

<アストラル体>
・「幽体」あるいは「感情体」と呼ばれる人体の要素、心霊学による考え方で、19世紀に魔術師が使い始めたとされる。人間の体は肉体と霊体、そしてアストラル体の三つが重なり合っており、それは肉体とほぼ同じ形態を持つが、特殊な訓練を受けた人間にしか見えないとされる。
 神秘学者のシュナイターは、人体は「肉体」「生命力=エーテル体」「感情体=アストラル体」「自我=自分らしさ」の四つの要素で成り立っているとした。自然科学では物質的な肉体しか認識しないが、精神科学では物質的な肉体しか認識しないが、精神科学で考えるアストラル体などの「体」があり、霊視能力が高まるとともにそれが見えてくるとした。
 「幽体離脱」は一時的にアストラル体が分離する現象とされる。

<アルマス>
・シベリアからモンゴルにまたがるアルタイ山脈周辺での目撃例がある。獣人型UMA。イエティやビッグフットに並んで目撃者が多い未確認生物で、その多くがロシアで観察されている。1992年にはロシア南西部のコーカサス山脈で数ヶ月間の大規模調査が行われたが、足跡などは観測されたものの実物の発見には至らなかった。
 アルマスの体長は2〜3メートルほどとされ、類人猿型の未確認生物の中では大きい部類となる。また、体の大きさに反してその運動能力は高く、最大時速60キロメートルで走ることもできると言われている。食性は雑食だが、人を襲ったりはせず穏やかな気性で、身の危険を感じると「ブーン」と鳴き声を上げて逃げ出す特徴を持つ。
 アルマスの目撃映像はインターネットにも多く、2016年には旅行者の車載カメラがアルマスらしきものをとらえて話題になった。そのためか、現存する可能性が最も高い類人猿とされており今後の調査に期待が高まる生物だ。

<アヌンナキ>
・シュメール文明で記述されていた、宇宙人あるいは神々の集団で、この名称は「空から降りてきた人々」を表す。考古学者ゼカリア・シッチンによってシュメールの古文書から見出され、人類の創造主だと考えられている。
 専門家によると、その姿は爬虫類と人間を合わせたような姿をしており、目は赤く、身長は2メートル以上にもなるという。アヌンナキは宇宙からやってきて、地球で類人猿をもととして人類を誕生させたとされる。神話の中で語られる存在ではあるが、アヌンナキの存在とそれによる人類誕生のストーリーは一定の人々に支持されており、関連の書籍なども多数存在する。

<アブダクション>
・オカルト分野においては、UFOや異星人による拉致や誘拐を指す。多くの事例では、本人の意思とは無関係に連れ去られている。1961年のヒル夫妻誘拐事件が有名で、アブダクションを受けたものはアブダクティと呼ばれる。その目的は不明だが、地球人の調査や人体実験などさまざまな可能性が考えられている。
 誘拐直後は催眠によって記憶がない場合も多い。さらにはその後ずっと記憶がない場合も多い。さらにはその後ずっと記憶がないことも多いといわれており、1991年にローパー機関(アメリカの調査機関)が行った調査では、300万人以上のアメリカ人が潜在的アブダクティの可能性があるといわれる。

<アポート>
・実在すると言われる超能力の一種。別の場所に所在する物体を取り寄せたり、何もない場所から物体を取り出したりする能力の総称。テレポート能力と異なり、自身を瞬間的に移動させることはできない。
 物体を瞬時に移動させるメカニズムでは、「エクトプラズム」と呼ばれる霊的エネルギーを物体に接触させることで原子の運動が活発化して非物質化する。非物質を目的地に移動させた後、原子の運動を弱めることで再結合して再物質化するという説が存在する。
 明治時代の女性・長南年恵は「神水」と呼ばれる液体を取り出す能力を有していた。

<イエティ>
・言わずと知れたヒマラヤの雪男。その存在は世界中で認知され、イエティを題材にした映画もいくつかあるほど、獣人類の中ではビッグフットと並ぶ二大メジャーUMAで、未確認生物全体でもその認知度はネッシーに匹敵する。
 イエティの目撃情報として、最初のものとされるのが1832年のブライアン・ホジソンの目撃談だ。彼はネパールの初代イギリス代理公使として、「ネパールの哺乳類」という論文の中で、雪山で直立して歩く謎の生物を目にしたと記している。その後、イエティの目撃情報が相次ぎ、足跡、手や足の骨、遠くから望遠レンズで撮影した写真などさまざまあり、遂には目の前で映像を撮った写真もあらわれたが、残念ながらそのほぼ全てが偽物とされている。
 そのような情報の多さも影響し、イエティの特徴はばらばらで、体長は1.5メートルという説から5メートルという巨大なものまである。

<異界>
・人間が日常生活を送っている世界とは別の世界の事で異世界とも言われる。外側に存在する世界。民俗学においては死者が行く黄泉の世界(他界)も含まれているが、異界と他界を区別することもある。その場合、他界は時空のずれによって認識される一方、異界の場合は空間でとらえられ、人間の住む世界の外にあるとされることが多い、霊魂などの実体がないものは他界に行き、妖怪や物の怪などの実体があるものが棲むのが異界というように区別する考え方もある。

<異言>
・母語でなく、学んだこともなく、本来は話せるはずのない外国語、もしくは現在は知られていない未知の言語らしきもの(意味不明の複雑な言語)を話す現象、もしくはその能力を指す。いわゆる前世療法(退行催眠)や憑依現象などによって起こることがあり、「異種言語発話現象」とも呼ばれ、前世の人格や他者の霊の存在を示す一つの証明ともされる。
 もともとはキリスト教において、聖霊が取り憑くことによって本人にとって全く未知の言語を話す現象を指す。そうした宗教的な異言と区別するため、前世の人格や他者の霊によるとされる事象を「真性異言」と呼ぶこともある。

<イタコ>
・死者を自らに憑依させる「口寄せ」と呼ばれる能力を用いて、依頼者にメッセージを伝える巫女、東北地方で活躍しており、青森県の恐山がとくに有名。もともとは盲目や弱視の女性の職業であり、ハンディキャップを抱えながらも生計を立てていく手段でもあったといわれる。
 イタコになるためには厳しい修行が必要で、現役はほとんどが高齢者となっている。

<イルミナティ>
・1776年、イエスズ会の修道士だったアダム・ヴァイスハウプトが中心となって結成した秘密結社。
 結成当初はバヴァリア幻想教団という密教サークルで、高貴で美しい魂を持つ者が残りの人類を天国に導く義務を負っているという思想を唱えていた。それを実現することを目的にサークルが組織化された後に改称したのである。

・イルミナティは、王や貴族といった特権階級を廃止して全ての人間が平等の立場で暮らす社会を設立することを最終目標としており、それを実現するためには「革命と動乱」を起こすことが必要と考えていた。フランス革命やロシア革命の実行者の中には、イルミナティのメンバーが多く参加していたといわれている。
 カール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスはイルミナティのメンバーであり、彼らが提唱した共産主義はイルミナティの思想を具体化したものという説が存在する。

<インプラント>
・オカルト分野においては、異星人により、体内に何らかの物体を強制的に埋め込まれることを指し、「エイリアン・インプラント」ともいう。UFOにさらわれたとする人は、多くがインプラントを施されたと証言しており、中には手術痕が見つかる場合もある。

<ヴィマナ>
・インド神話や叙事詩に登場する空を飛び海を進む機械仕掛けの乗り物の総称で、兵器でもある。

<『上記』(うえつふみ)>
・日本の古史古伝の一つで、古代史の主要な史料とは異なる歴史が記述されている。『上記』の中では、神武天皇まで「ウガヤフキアエズ王朝」が73代続いたとされる。

<宇宙人>
・地球以外に存在する知的生命体。地球も厳密には宇宙の一部であるため、オカルトやUFO研究の分野では「異星人」とも呼ばれる。人間が住む環境以外に生命が存在するという考え方は昔からあり、世界各地の民話や神話にも共通している。日本で代表的なのは「竹取物語」で、登場人物の「かぐや姫」が月にある王国からやってきた異星人だとされている。

・近年では「ウンモ星人」や「プレアデス星団人」など、一部のコンタクティによって存在が主張されている宇宙人もいる。「宇宙人」というテーマはフィクション作品でも頻繁に登場し、その多くは高度な科学と知見を持つ存在として描かれている。

<宇宙聖書学>
・『聖書』に書かれた様々な奇跡を、宇宙時代の味方によって、空想ではなく現実に起きたものだとする考え、聖書の奇跡は「モーセによる紅海分裂」や「キリスト復活」に代表されるが、科学が発達した現在ではこれらの現象は空想や伝説の類として扱われる。しかし、UFO飛来や異星人の存在を現実のものとして肯定し、その超常現象を考慮に入れれば、それらの「奇跡」もけっして実現不可能なものではないだろうというのが「宇宙聖書学」の考え方である。
 この研究については、アメリカの神学者であるバリー・ダウニング博士が有名であり、彼は前述の「モーセによる紅海分裂」について、UFOから照射された反重力光線が原因だと主張する。宇宙聖書学には支持者が多く存在するが、一方で懐疑的な見方をする専門家も多く、そもそも異星人やUFO自体の存在を裏付ける必要があると反論されることもある。

<宇宙友好協会(CBA)>
・1957年8月に元航空ジャーナリストの松村雄亮によって設立されたUFO・異星人との交流を目的とした団体。
 当初の松村は科学的な見地からUFOや異星人を研究しており、従来の研究団体が唱えるファンタジックなUFO論には難色を示していたが、CBA設立後、異星人との交流に成功したと主張しはじめ「コンタクトマン」と自称するようになったのだ。
 それ以降CBAは急速にカルト化し、松村は「種子」と呼称される教祖のような存在となった。1959年、CBA内部で「近いうちに地球の地軸が傾き世界規模の大洪水が発生するが、会員たちをUFOに搭乗した異星人が救出する」という文章が作成され、「リンゴ送れ、C」という電報が送られた際に指定の場所に集合するという計画が立案された。この事実が当時の産経新聞紙上で報道されたことにより、組織のカルト性が世間に知れ渡り、世間から距離を置かれるようになっていった。
 以降、CBAはカルト色を一層強め、「ハヨピラ」と呼ばれる、団体が異星人であると主張するアイヌの神を祀るためのピラミッド型の祭壇を北海道平取町内に建造したが、松村が消息を絶ったことにより、CBAは自然消滅した。

<生まれ変わりの村>
・前世を記憶する人が集中して誕生するとされる中国奥地にある村、また、その村人84人の前世記憶についてまとめた本の名。

<ウンモ星人>
・おとめ座の方向に、15光年離れた惑星に住む宇宙人。彼らは「王」に似た文字が付いたUFOに乗っており、この文字は彼らのシンボルマークといわれている。また、地球人に対して非常に友好的で、ユミットと名乗るウンモ星人が、1963年以来スペインに6000通を超える手紙を送ってきている。
 ウンモ星人の科学力は地球の約100年先に相当しており、過去には彼らの手紙を参考に新製品を作り、特許を取得したものもいるとされる。しかし、現在では彼らの乗るUFOの写真は捏造であると証明されており、ウンモ星人自体も何者かの悪戯であるとの見方が強い。

<エーテリアス協会>
・1955年にイギリスで発足したUFO研究団体。
 創設者のジョージ・キングによると、火星、金星、木星、土星には高度な知能を持つ生命体が暮らしており、太古から人類を見守ってきたという。モーセやイエス、釈迦といった古来の宗教的指導者たちは総じて地球外生命体であったというのだ。
 
<エーテル>
・古代ギリシャにおいて輝く空気の上層を表す言葉であったが、のちにアリストテレスによって、火、空気、水、土に次ぐ第五元素として提唱され、宇宙空間に充満するとされた。

・一方、神秘学や神智学で「エーテル体」という言葉が用いられることがあるが、これはアストラル体と同様に、肉体の外側に存在する霊体を意味する。

<エリザベス・クラーラー>
・1910〜1994年。南アフリカの女性コンタクティ。異星人との性的交渉を行って出産をしたと主張した。最初に異星人とコンタクトをしたのは7歳の時で、場所は農村内の小屋であった。その後、ジョージ・アダムスキーの書籍を読み、子供のころから異星人「エーコン」からのメッセージを受け取ってきたことを確信したという。
 1956年、エーコンの船を呼び寄せることに成功。彼女は母船に運ばれ、エーコンの出身星である惑星メトンを訪れ、そこでエーコンと性的関係を持って男児を出産したという。彼女の息子アイリングは、教育のためメトンに残り、自分は地球に帰還。メトンへの旅、性交、妊娠、出産、そして地球への帰還という行程に、地球の時間では4ヶ月もかかっていないと思われる。

<カタカムナ>
・1949年に楢崎皐月が発見、その後、解読したカタカムナ文献の記述をもとに、数万年(一説には1万2000年)以上前に、日本で栄えたとされる文明。楢崎の解釈によれば、この文献にはカタカムナ文明の製鉄・稲作・石器や木器の製作・服織技術、経済活動、医学、哲学のほか、生物がよく育つ(エネルギーが入ってくる)土地「イヤシロチ」と、生物が育ちにくく不調になる(エネルギーが発散される)土地「ケガレチ」の見分け方や、ケガレチをイヤシロチに変える方法などに関して書かれているという。
 この文明は、アシア族と呼ばれる人たちによって作られ、その最後の頭領であったトウアンという者は、現在の天皇家の源である天孫族と戦って敗北したとされる。
 しかし、この文化の存在を示す遺跡・遺構などはなく、文書も楢崎が書写したカタカムナ文献以外には存在しない。

<カタカムナ文字>
・数万年以上前の超古代において、日本にカタカムナという文明があったという説を前提に、そこで使われていたとされる文字。

<ガタゴン>
・岩手県山形村に棲息するといわれる獣人型のUMA。話題になったきっかけは1992年に地元住民が畑で見慣れない足跡を発見したことで、広島県の「ヒバゴン」をもじってガタゴンと名付けられた。この足跡は22センチほどで海外の巨大類人猿UMAと比較するとずいぶんかわいらしいサイズである。専門機関が鑑定したところ、現存のどの生物にも当てはまらず、調査が進められたが、その後の情報は出てきていない。一方でガタゴンのTシャツやキーホルダーが作られたり、果てはガタゴン祭りなる祭りが開催されたりと、村おこしには非常に貢献した。
 その結果、地元の観光課による捏造説まで浮上したが、実は当時のさらに30年前にも、同様の足跡が報告されているという。その周期で考えると、1992年から約30年後の現在、岩手の獣人が再び姿を現す日は近いかもしれない。

<キジムナー>
・沖縄に伝わる樹木の精霊。ガジュマルやアコウの樹に棲むとされ、「顔の赤い子供」でイメージされることが多い。同じく沖縄の伝承で大木に宿る精霊を「キーヌシー(樹の主)」と呼ぶことから、語源は、これが変化したものだとされる。基本的には無害、あるいは友好的な存在で、夕食時に火を借りたり漁を手伝ったりする「良き隣人」であることが多い。
 ただし、キジムナーが棲んでいる樹に釘を打った人間に対しては例外とされる。というのは、棲んでいる木に釘を打たれるとキジムナーはそこに棲むことができなくなり、そればかりか最悪の場合は絶命するからだ。この禁を犯した人間には恐ろしい報復を行うとされる。

<狐憑き>
・キツネの霊に取り憑かれた人、あるいはその現象。狐に憑かれると精神錯乱状態に陥り、暴言暴行が多くなり、さらに目が吊り上がって顔が変形するなど、外見も狐のようになるという。日本では古くからその存在や体験談が言い伝えられており、昔話や怪談でも狐憑きにまつわるエピソードは多い。
 「お稲荷様」といわれるように、日本には古来、狐は霊威ある動物だと考えられてきた歴史があり、これに対して無礼を働くと罰が当たるという信仰から、この現象が広まったともいわれている。
 一方で、医学的な観点から、精神疾患の一種であるという説もある。心霊主義的には、狐の霊そのものではなく、この世に生を受けたことのない低級霊の集まりによる現象とされることもある。

<キュクロープス(サイクロプス)>
・ギリシャ神話に登場する一つ目の巨人達。神話では天空神ウラノスと大地神ガイアの息子で、アルゲース、ステロペース、ブロンテースの三兄弟であった。彼らは一つ目であったがゆえに父ウラノスに嫌われ、タルタロス(ギリシャ神話でいう地獄)につきおとされるが、その後、ゼウスによって解放される。
 キュクロープスは卓越した鍛冶の技術を有しており、解放以降は炎の神ヘパイトスの下で鍛冶業を続けたとされる。ギリシャ神話では心の優しい低級神であったが、後のホメロスの叙事詩「オデュッセイア」では、旅人を食らう凶暴な怪物として描写されており、このイメージを持っている人も多い。

<巨人>
・神話、伝説、創作物に登場する長身の神(巨神)や人間または人間型異種生物など、ギリシャ神話ではゼヌス登場以前はティーターンという巨神がいたほか、不死に近いギガス族なども。旧約聖書には巨人の子孫ペリシテや、創世記にはネフィリムが登場する。北欧神話では荒々しく破壊的な自然の力を象徴する精霊である霜の巨人(ヨトゥン)、がよく知られている。また、オーディンの相談役ミーミルは、水の巨人という説がある。ヒンドゥー教『ラーマーヤナ』には、猿軍団を食い殺す巨人クンバーカルナがおり、日本では山ほどの大きさのダイダラボッチが各地に語り継がれている。

<ケンムン>
・日本の奄美諸島に伝わる生物あるいは妖怪。水やガジュマルの木の精とされる。体格は小さく人間の幼児ほどで、手足が長く頭部には河童のような皿が乗っているという。魚の目玉を好物としており、夜になると頭が光る。容姿などに河童との共通点があり、河童の原型であるが、逆に本土の河童伝説の影響を受けた可能性があるとされる。水の精であるとともに木の精でもあり、沖縄に伝わるキジムナーとの共通点も多い。

・ケンムンの正体については妖怪として伝承されるほか、未知の霊長類ではないかという話もある。1980年にはケンムンを愛するグループによって「ケンムン村」が創設され、東京を本拠地とする「河童村」と姉妹都市になったという。

<コロポックル>
・アイヌ文化に見られる小人伝説を背景とする妖精あるいはUMA。一説にはアイヌ民族より以前から北海道に棲んでいたともいわれる。コロポックルという名前はアイヌの言葉で「蕗の葉の下の人」を表している。その姿は個々の伝承、媒体によって違うが、頭部の大きい小人として、名前の由来通りに蕗の葉とともに描かれることが多い。

<コンタクティ>
・異星人やUFO搭乗員と遭遇したと主張する人物。1947年に起きた「アーノルド事件」のケネス・アーノルドや「アダムスキー事件」のジョージ・アダムスキーなどはその代表例で、彼らは異星人と友好的な関係を築いたと述べている。
 一方、近年は接触しなくてもテレパシーのみで意思疎通したという意味でも使われるようになり、「コンタクティ」という言葉に宗教的要素が混同されることもある。そのため、現在は懐疑的な目で見られることも多くなっている。

<座敷童(ざしきわらし)>
・おもに岩手県に伝わる妖怪。「座敷童子」とも書く。家の屋敷に棲む一種の守り神と考えられ、住人にいたずらをすることもあるが、家に富をもたらしたり、災厄を防いだりするとされる。
 とくに、座敷童の姿を見た者には幸運が訪れるといわれている。また、座敷童がいる間はその家が栄え、去ったあとは衰退するとも伝えられている。
 伝承や目撃情報は岩手県が中心だが、青森県、宮城県、秋田県など、東北地方全域で見られる。
 推定年齢や性別、服装は、その家ごとに違っている。多いのは5〜6歳と見られる子供の姿だが、3歳くらいから15歳くらいまで幅がある。髪は女の子ならおかっぱ髪、男ならざんぎり頭が典型的。

・家や家人に危害を加えることはないが、自分の存在を知って欲しいかのようなちょっとしたいたずらをする。小さな足跡をいろりの灰に残したり、誰もいない部屋で物音を立てたり、鼻をすすったりという具合である。
 現在、座敷童に会える宿として、岩手県の「緑風荘」「菅原別館」などが知られている。

<サナト・クマラ>
・サンスクリット語で「永遠の若者」の意味、ヒンドゥー教の創造神ブラフマーの息子で、古代インドでは重要視されていた神、サナト・クマーラともう。20世紀以降、近代神智学の人々は、サナト・クマラは1850万年前に金星からゴビ砂漠上空に来たと設定している。
 日本では、1949年に天台宗から独立した鞍馬仏教で、御法魔王尊がサナト・クマラであり、650万年前に金星から飛来したとされている。神智学やオカルティズムを日本に紹介した三浦関造は、サナト・クマラは法華経の上行菩薩であるとしている。

<サンジェルマン伯爵>
・1710〜1784年。フランス革命期に現れた謎の人物、革命前に現れて予言や魔術を行ったとされる。自らを2000歳であると主張し、ヨーロッパの言語をほとんどすべて話すことができた。さらに古代イスラエルの王ソロモンと会った経験や、金を生成する能力があるなど、さまざまな伝承がある。ドイツでフリーメーソンを設立したのち、1784年にシュレスウィッヒで死亡したとされているが、その5年後、1789年のパリやヨーロッパ各地でその姿を目撃したという情報がある。

<シードマスター>
・地球、彗星、隕石など天体や、地球上のすべての生物の誕生や進化の過程に干渉する支配者(神)の存在をいう。
 ダーウィンの進化論では説明できない生物がいること、実はウイルスが進化に影響しているとする説、昆虫が宇宙からやってきたという説、多種多様な生物が暮らす地球こそ謎であり、誰かの意思で生まれたのではないかと考える説など、謎が支配者の存在を仮定してきたといえる。

<ジーン・ディクソン>
・1918〜1997年。アメリカの予言者。ノストラダムスやエドガー・ケイシーと並んで世界三大予言者と称される。8歳のころにカリフォルニアで占い師から予知能力を指摘されて水晶を授かったという。それ以来ルーズベルト大統領の死やケネディ大統領の暗殺、ソ連のアフガン侵攻など、重大な政治的事件を次々と的中させた。
 一方で、1958年に中国と細菌戦争が起きるなど、外した大規模予言もある。現在以降に関する予言としては、2000年以降に中東生まれのある指導者がイエス・キリストの生まれ変わりとして現れ、2037年に再びエデンの園を築くと述べている。

<シャスタ山>
・アメリカ・カリフォルニア州北部にあるカスケード山脈の南部に位置する標高4321.8メートルの火山。古来、アメリカ先住民の聖なる山とされ、名前は先住民部族の一つであるシャスタ族に由来する。
 山頂は通年、雪に覆われ、その雪解け水はナチュラルミネラルウォーターのクリスタルガイザーの源泉となっている。
 神秘的な歴史背景に加え、UFOの目撃情報が多いことなどもあり、スピリチュアルな伝承の多い山として知られる。「上空に理想郷がある」「シャスタ山は地球のチャクラ(エネルギーの中枢)である」といった説のほか、代表的なのが「シャスタ山の下に地底都市がある」という説。その地底都市は「テロス」と呼ばれており、伝説上の大陸「レムリア」がかつてここにあったとされる。「レムリアの人々は、今現在もシャスタ山の地底にあるテロスに存在し、会うことができる」「テロスからがさまざまなメッセージが送られ、それによってレムリアについて知ることができる」とする人たちもいる。

<シャンバラ>
・仏教徒のユートピアで、チベットの奥地に存在するといわれる。初出はヒンドゥー教の叙事詩『マハーバーラタ』で、後にヒンドゥー教典や密教にシャンバラというカーストのない仏教国が登場する。13世紀初めにインドの密教が滅亡すると、経典『時輪タントラ』と共にシャンバラ伝説がチベットに伝わる。

<守護霊>
・背後霊の一種で、インスピレーションや霊夢によってよりよい方向へ導いてくれる存在。

・通常、その姿は目に見えないが、能力のある霊能者には捉えることができ、守護霊からのメッセージを代弁してくれることが多い。日本では守護霊を先祖だと考えられることが多く、波長が合う人物とされるが、黄泉にいるもう一人の自分という考え方もある。守護霊がより強力になるためには、自分自身が誠実で向上心をもって過ごす必要があるとされる。

<ジュセリーノ・ダ・ルース>
・ブラジル人の英会話教師。予言者であると自称している。ジョセリーノ自身の証言によると、8歳のころに“神秘的な黄金の球”を掴んで以降、予知夢を見続けており、未来に起きる出来事を正確に言い当てることができると自称している。ジョセリーノは以前から世界各国のマスコミに自分の予知を記した手紙を送付しており、日本では韮澤潤一郎・たま出版社長らに注目されたことで、テレビ出演を果たすようになる。「的中率90パーセント以上」という触れ込みだったジョセリーノであるが、日本のテレビ番組出演時に行った予言のほぼ全てが外れであったため、世間からの注目度が急速に低下した経緯を持つ。この事実に対してジョセリーノ側は「夢で見たことが必ず起きるわけではない」「警告を受けた人間が対処を行うことで未来の出来事が変化することがある」と弁解している。

<出神(しゅっしん)>
・仙人が行う自らの気をエネルギー源とする移動術の総称。
 19世紀後半、中国奥地の小さな村に住む黄元吉という仙人が「白日昇天」という出神を行った。黄元吉は村人や自らの弟子に別れの挨拶を告げた後、大勢が見守る中、空へと舞い上がっていった。彼の姿は雲に溶け込むかのように消えて、その後二度と人前に姿を現すことはなかったという。なお、死後遺体となった後に行われる出神を「尸解仙」という。
 自らの姿を消す出神であるが、存在そのものを消失させるわけではない。八仙の一人に数えられる唐時代の仙人・呂洞賓は、出神を使用して人々の前から姿を消したが、それから遥か後の世である宋、元、明、清の時代に姿を現して人々を驚愕させた。また、太極拳の創始者と言われる張三丰は、元時代末期に死亡したと伝えられているが、それから200年近くが経過した時代に再び出現し仙人になるための手法を人々に伝えたという。
 気をエネルギーにすることで、時空すら自由自在に移動できるようになるだろうか。

<仙童寅吉(せんどうとらきち)>
・江戸時代に天狗にさらわれた少年。15歳の時に江戸に現れ、天狗がいる異世界のことを語って、呪術を操る人物として有名になった。江戸下谷七軒町の町人のもとに生まれたが、7歳の時に常陸国岩間山13天狗の総領である杉山僧正にさらわれたという。その後、杉山僧正を師匠として修行したと語っており、これに興味を持った国学者の平田篤胤は、その問答を「仙境異聞」に記している。また、篤胤は異世界の杉山僧正あての書簡を寅吉に託した。

<ダイダラボッチ>
・日本に伝わる巨人。ダイダラボッチ」が伝承されている民話は各地にあり、多くは山や川などの自然を作った神のような姿で描かれている。代表例では「富士山や静岡県の浜名湖を作った」「足跡が茨城県の千波湖になった」など、非常にスケールの大きい話となっている。
 名前の由来については諸説あるが、民俗学の第一人者柳田國男は「大きな人」を意味する「大太郎」に法師がついた「大太郎法師」が変化したのではないかと記述している。

<竹内文書(たけうちもんじょ)>
・富山県の農夫、竹内家に代々伝わる古文書。明治7年に生まれ、生後すぐに養子となった竹内巨麿によって公開された。しかし、これは皇国史観に反するとされ、1936年に内務省と特高警察の押収を受けたのち、大部分が焼失した。内容は神武天皇以前に73代のウガヤフキアエズ王朝が続いたことのほか、天皇が乗って世界を施した「天之浮船」や、一夜で海に沈んだミヨイ国などが記述されている。現在は古代の文書を装った偽書と認定されているが、史実と信じる人々も存在する。

<竹内巨麿(たけのうちおおまろ)>
・1874〜1955年。富山県出身、皇祖皇大神宮天津教の開祖。生後すぐに同じ村の竹内家の養子となり、養祖父から古文書『竹内文書』やその他の宝物を受け取る。18歳の時、それらを人力荷車に乗せて上京した後、古書類を知人の家に預けて御嶽教に入信。1899年に茨城県磯原に皇祖皇太神宮天津教(天津教)を開いて開祖となる。
 しかし、天津教神宝として公開した竹内文書が皇国史観に反するとして、1936年に不敬罪で逮捕される。戦後には大日教を創設し、これも解散を命じられたものの、その2年後に教団を再開している。
 竹内文書は古史古伝の中でも最も有名な書物で、今日では竹内巨麿による創作とされているが、真実の歴史であると信奉する人々もいる。

<多毛人>
・世界各国で出現する類人猿型の未確認生物を指す言葉。代表例はヒマラヤの「イエティ」や北米の「ビッグフット」で、オーストラリアでは「ヨーウィー」と呼ばれる多毛人の伝承がある。また、中国では「イエレン」と呼ばれる多毛人がたびたび目撃されており、本格的な調査も進められている。
 日本で有名なのは「ヒバゴン」や「ガタゴン」だが、近年ではこれらの目撃情報はほぼ途絶えてしまった。その正体は太古のネアンデルタール人や類人猿の生き残りとする説や、逆にまったく新種の生き物とする説などに加えて、銃撃にも全く動じないといわれていることから、UFOや心霊現象と紐づけて考える専門家もおり、幅広くオカルト分野に関連しているようだ。

<チャクラ>
・精神と肉体を司るとされるエネルギー。もともとはサンスクリット語で「円」「車輪」を意味する言葉。
 インドや中国に伝わる伝統医学によると、人間の肉体には「心、精神、霊」が憑依しているという。チャクラは心、精神、霊の中枢部位であり、インドの哲学書「ウパニシャッド」には、人間がチャクラを使用することによって、宇宙や自然と一体化して精神的に向上させることが可能だと記されている。
 チャクラは人体の中枢部に7つ存在しているとされており、第1〜第5のチャクラは肉体、第6のチャクラは精神、第7のチャクラは霊性や宇宙意識と関連しているとされている。現代社会で行われているヨガは、体を動かすことでチャクラの覚醒に必要な「気」を取り入れることを目的としたものである。
 森林などの自然環境や俗にパワースポットなどといわれる宗教施設には、良質な気が満ち溢れているとされており、訪れるだけでチャクラが覚醒することがあるという。

<日本ピラミッド説>
・考古学者の酒井勝軍が1934年に発表した説で、「広島県の葦嶽山は2万3千年前の世界最古のピラミッドである」というもの。新聞に掲載され、「日本ピラミッド説」として知られるようになった。
 日本の山をピラミッドとする説は、これ以外にもあり、葦嶽山を含めた代表的なものは以下の通り。ただし、これらの説に考古学的な裏付けはなされていない。

・葦嶽山(広島) 日本のピラミッド説の代表的な山。標高815メートルで、どの方向からみても三角形に見え、中腹から山頂付近にかけて人工的に積み上げたような岩があることなどはピラミッドの証とされる。

・八幡山(兵庫) 標高775.4メートルで、鋭角の山容から一部では「とんがり山」と呼ばれる。頂上付近に数十個の巨石群があり、東西南北を指し示しているともいわれる。

・三輪山(奈良) 標高は467.1メートルで、なだらかな円錐形の山。縄文時代からの自然物信仰の対象であったとされる。

<バシャール>
・エササニという惑星にいる宇宙存在。チャネラーであるダリル・アンカが名付け、「指導者」や「メッセンジャー」という意味が込められている。ある日、ダリル・アンカが瞑想をしていると、何者かが大量の情報を頭の中に入れてくる感覚に陥り、これがバシャールとの最初のコンタクトだったという。
 彼はそこで生前からバシャールのチャネラーになることが義務付けられていたと悟り、その役目を果たそうとする。彼によるとエササニ星人の身長は1.5メートルほどで、皮膚は白っぽく、地球より300年程進化しているという。地球はやがてエササニ星の位置に移動し、その役割が入れ替わる。さらにその後、エササニ星はシリウスの位置に移動していくとされている。

<パラレルワールド>
・現実世界から分岐し、それに並行して存在するとされる別の世界。日本語で「並行世界」と呼ぶこともある。「異世界」と混同されることがあるが、異世界は「今暮らしている世界とはまったく異なる世界」を指すのに対し、パラレルワールドは「この現実世界と同じ環境がもう一つ存在する」という意味で異なっている。

<ビッグフット>
・北米で目撃される獣人型UMA。世界的に有名で、ヒマラヤのイエティ、ネス湖のネッシーと並んで「世界三大UMA」と称されることもある。体長は3メートルほどで二足歩行を行い、穏やかな気性をしている。
 ビッグフットに関する最初の目撃情報は、1810年、アメリカの外交員がオレゴン州で40センチ以上の巨大な足跡を発見したことで、これが名前の由来になっている。今では同様の目撃報告が2400件以上に上っている。

<一つ目小僧>
・日本の妖怪で、額、あるいは頭の真ん中に目が一つだけあり、坊主頭の子供の姿をしている。突然現れて脅かすこと以外、危害を加えることはなく、妖怪の中でも、大人しく無害なタイプである。

<ヒバコン>
・広島県比婆郡で目撃が相次いだ獣人型UMA。体長は1.6メートルほどで頭部が大きく、逆三角形をしている。最初に目撃情報が出たのは1970年代で、新聞に「中国山脈の奥深く、類人猿が出没!」と掲載されて大きな話題となった。
 その後も目撃者が続出してブームは過熱。地元役場では「類人猿係」まで設置され、ヒバゴンは村おこしに大活躍する。全国から報道陣やUMAマニアが押し寄せ、大フィーバーを引き起こしたヒバゴン騒動だが、1974年10月を最後にパタリと目撃されなくなってしまう。
 衰弱死説や移動説がささやかれる中、1975年には「ヒバゴン騒動終息宣言」が出され、5年間続いたブームは終わりを告げることとなった。しかし、その後もヒバゴン像が建てられるなど、地元では現在も名物キャラとして親しまれている。

<プレアデス星団>
・冬を中心に観測できる、おうし座の散開星団で、地球からの距離は約400光年。

・いわゆるスピリチュアルの分野では、プレアデスは地球と深い関係のある星団とされ、「じつは地球上には多くのプレアデス星人がいる(カムフラージュして、あるいは顕在意識では気づかないまま地球人として暮らしている)」「魂の転生によってプレアデス星人が地球人に生まれ変わったケースも多い」「それらの人たちは地球上に平和をもたらすことを目的として生活している」などとされる。

<UFOの街>
・石川県羽咋市にある宝達山は、『竹内文書』によればシナイ山から天浮舟に乗ったモーゼが来て余生を過ごした場所とされ、三つ子山古墳の入り口にある公園はモーゼパークという。その隣に羽咋市があり、「UFOの町」とされる。市内にはUFOにちなんだ看板、食事、土産物やオブジェなどが散見される。

・気多神社隣の正覚院に伝わる典籍・気多古縁起には、「(神の力により自在に空を飛ぶ)」という記述がある。羽咋市の北、眉丈山周辺には、鍋が空から降ってきて人をさらってゆくという神隠し伝説が残っている。
 また秋の夜は、光の群れが眉丈山の中腹あたりで東から西に移動するといわれる。
 アダムスキー型円盤のような形状をした寺院の打楽器銅鈸子(銅拍子・妙鉢)のことを、能登方言で「そうはちぼん」という、浮遊するそうはちぼん伝説は、羽咋市の各地に伝わっているとされる。

<ヨーウィー>
・オーストラリアの類人猿型UMA。オーストラリアでは非常に有名で、商品名にも用いられている。体長は2〜3メートルほどで全身が茶色い毛におおわれている。

・目撃の歴史は古く、最初は1795年にヨーロッパ移民によって報告されている。1970年以降は目撃情報が増加し、1975年には南部のタイレムベンドでUFOの目撃とヨーウィーの目撃が重なり、その正体は異星人のペットではないかという説も飛び出した。専門家はその正体について、古代のジャワの巨人「メガントロプス」の生き残りではないかとしているが、真偽は定かではない。

<霊媒>
・霊と交信、あるいはその仲介を行う能力を持つ人物。文化人類学においては「シャーマン」と表現される。基本的には変性意識状態とも称されるトランス状態に陥って超常現象を引き起こしたり、霊と交信して何らかのメッセージを伝えたりするとされる。
 日本では故人の霊を自分に憑依させて言葉を伝える「イタコ」が有名である。



(2021/6/27)



『山の怪異大事典』
朝里樹   宝島社   2021/6/11



<青森県  赤倉の大人(おおびと)>
<村人を助けた岩木山の鬼>
・弘前市にある岩木山。この北東側に赤倉沢周辺に大人、鬼などの妖怪たちの伝説がいくつも伝わっている。
 特に赤倉の大人、赤倉鬼神などと呼ばれる鬼の話が有名。この鬼は、里に来ては親しくなった弥十郎という人の仕事を手伝うなどしていたという。
 しかし弥十郎の妻がこの鬼の姿を見てしまったため、二度と姿を現さなくなった。その時に鬼が置いて行った鍬と蓑笠を祀ったのが今の鬼神社であるとされる。

<岩手県 愛宕明神>
<顔が赤く目が輝いた異形の神>
・遠野市の愛宕山には、愛宕明神という神がいると伝えられている。ある若者が夕方道を歩いていたとき、愛宕山の方から下って来る背の高い者がおり、誰だろうと思いながら近づいてみると、道の角でばったりとでくわした。相手は非常に顔が赤く、目が輝いている大男で、いかにも驚いた様子で若者を見ていた。これは山の神だと思い、若者は後ろも見ずに走って逃げかえったという。

・愛宕山の神は火防の神であるという話が載っている。ある時、某家で火事があったとき、愛宕明神が和尚の姿になって現れ、手桶の水を小さな杓で汲んで火にかけただけで火を消してしまったと記されている。

<岩手県 猿の経立>
<女を攫う謎の類人猿>
・『遠野物語』によれば、猿の経立(ふったち)は人によく似ており、女色を好み、人里の女性をよく攫うのだという。また松脂を毛に塗り込んでおり、その上に砂をつけているため、毛皮は鎧のように硬く、銃弾も通さないという。

<宮城県 田代峠の怪>
<幽霊もUFOも目撃される>
・宮城県と山形県の県境に位置する田代峠。この場所は心霊スポットとして知られるほか、UFOの目撃談も多発する不思議な場所だ。

<秋田県 三吉鬼>
<幸も不幸ももたらす大酒飲みの鬼>
・三吉鬼は東北地方に広く伝わる鬼で、秋田の人里に現れ、勝手に酒を飲んでいったという。

<山形県 羽黒山金光坊>
<48しかいない大天狗の一人>
・鶴岡市の羽黒山にいるという天狗。江戸時代に作られた密教系の祈祷秘経『天狗経』では、全国の山に存在する48の大天狗の一人に数えられる。

<羽黒山三光坊>
<カラス天狗を従える羽黒山の天狗>
・鶴岡市にある羽黒山には、三光坊という名前の天狗が棲んでいるという。
 この天狗は羽黒山開運「七千日護摩行者長教」の護符に影像があり、もう一人の天狗である水天狗円光坊とともに並んで立っており、その下には火炎を中心に、15匹のカラス天狗が囲んでいるという。

<山形県  羽黒山の神隠し>
<一晩の宿で4日が経過>
・鶴岡市にある羽黒山では、昭和17年(1942年)頃、一人の男が行方不明になるということがあった。この男は羽黒山に柴を取りに行き、そのまま4日間失踪していたが、別の山で見つかり、帰って来た。そこで何をしていたのかと聞くと、年寄夫婦と美しい娘のいる山の中の一軒家に泊まり、もてなされたという。また本人は一晩しか経っていないと認識していたという。

<福島県 飯豊山(いいでさん)の神隠し>
<目を離した一瞬の隙に消えた少年>
・大正初期のこと、この飯豊山講を行う途中、山で一人の少年が行方不明になった。草履の紐が緩んだと前の人に告げて1,2分のことだったという。
 人々は大騒ぎをして探したが、見つからず、神隠しに遭ったと伝えられた。

<福島県 千貫森の宇宙人>
<空中を浮遊する修験者の目撃談>
・UFOが下りてくる場所、UFOの基地など、UFOに纏わる話が多い福島県の千貫森。この山を観光していたある男性が、空を見ていると修験者のような恰好をした男が空に浮いていた。男性がこの話を地元の人にしたところ、それは宇宙人じゃないかと答えられたという。

・通常であれば山に出現した修験者のような恰好をした存在であれば天狗と呼ばれそうだが、この山では宇宙人と見なされるようだ。

<東京都 飯綱(いづな)権現>
<ミシュラン三ツ星の山の天狗>
・八王子市に聳える高尾山。この山には飯綱大権現という天狗の伝説が伝わっている。

<東京都 隠し神様>
<隠れっこで遊ぶ子どもを連れ去る>
・町の大部分を山林に囲まれた東京都の奥多摩町。この町には、子どもを連れ去る隠し神様と呼ばれる神が伝わっていた。これは夜に子どもが隠れっこをしていると、連れて行くのだという。

<茨城県 加波山の白猿>
<娘を食らう白猿を退治した犬>
・シッペイ太郎と呼ばれる犬が生贄になる娘の代わりに箱に入り、猿の化け物を食い殺すという話は日本各地に伝わる。

<神奈川県 伯耆坊(ほうきぼう)>
<日本を代表する八天狗の一人>
・神奈川県の中心部にある大山には、伯耆坊という天狗がいると伝えられる。

<栃木県 義山法印>
<妖術を使う不老不死の僧侶>
・栃木県の日光山には、鎌倉時代、義山法印という僧侶がいたという。この僧侶は歳をとらず、様々な術を使うことができた。その由来として以下のような話が伝わる。
 ある時、義山が日光の山奥で熱心に修行をしていると、空中から光り輝く雲のような物体が下りてきた。義山がこれを見ていると、中からこの世の者とは思えない異人が現れ、義山を雲の中に招く。そこで義山がついて行くと、そこで異人から不思議な法を伝授されたという。
 それからというもの、義山は歳をとらなくなり、雲を起こして雨を降らす、嵐を呼ぶといった数々の術をつかうようになったという。

<栃木県 東光坊>
<徳川家康の化身とされる天狗>
・東光坊は日光山にいるという天狗で、江戸時代初期にこの山に移って来たというが、その正体は江戸幕府初代将軍徳川家康の化身であると言われている。

<栃木県 日光坊>
<霊山・日光山に棲んでいた天狗>
・栃木県の日光山には、かつて日光坊という天狗が棲んでいた。この天狗は元和三年(1617年)に群馬県の妙義山に移った。そして日光坊が去った後にやって来た天狗が東光坊という天狗だったが、この天狗は徳川家康が死後天狗に化身したものだと言われているという。

<群馬県 岩菅(いわすげ)山の天狗>
<少年ほどの小さな天狗>
・六合村(現中之条町)は四方を山に囲まれた山村だが、この村に住んでいた人が岩菅山に入った際、天狗と遭遇したという。
 その人物が土砂降りに遭い、山小屋に籠っていたところ、羽音が聞こえ、穴を覗いてみると、目が光った7、8歳の子どもぐらいの大きさの天狗がいたという。

<千葉県 成田山の神隠し>
<檜原村で失踪した男が成田山に>
・成田山で神隠しになった人物が見つかったことがある。
 その男性は神隠しで知られる呼ばわり山(今熊山)の今熊神社の息子で、東京都の檜原村に山仕事を頼まれてそこに向かう途中、行方不明になった。
 そのため村人たちは呼ばわり山に呼ばれたのだと今熊山を探したが、男性は遠く離れた成田山でうろついているところを見つかった。
 この男性は日頃から成田山に行きたいと考えていたが、神隠しに遭った当日、風が吹いて目にゴミが入ったため、目をこすっていると、それからいつの間にか知らない場所におり、それが成田山だったという。

<埼玉県 間瀬峠の神隠し>
<大人以上の速さで走り去った少女>
・埼玉県にある間瀬峠には、子どもが消えるという不思議な話が残されている。大正元年(1912年)のこと、山の麓にある家に住む夫妻が、6歳の娘を連れて山仕事に出た。途中、娘は眠気に誘われて1時間ほど眠っていたが、突然目を覚ますと間瀬峠に向かってせっせと歩き出した。
 夫婦はこれを見て娘を止めたが、娘は振り向きもせず歩いて行く。驚いて追いかけたが、娘は大人の足でも追いつけないほどの速さで走り出し、角を曲がった瞬間、消えてしまった。

・この娘の行方は、今も分かっていないという。

<山梨県 地蔵岳の狒々>
<銃で撃たれても平気な赤髪の化け物>
・近世の頃、地蔵岳(現山梨県の地蔵峠)の半腹までやって来た猟師が、谷の向こうに巨大な化け物を見た。その化け物は座っているにもかかわらず七尺(約2.1メートル)の大きさがあり、体には衣服を纏わず、頭には赤髪が生え、その髪を振り乱して東西を見ていた。猟師はこれに狙いを定め、銃を放ったが、弾丸を化け物の腹を貫いたにもかかわらず、化け物は痛がる様子もなく泰然として座っていた。
 しばらくするとその辺りに生えた草を引き抜き、血の滴る傷に押し込むと、悠々と立ち上がって山へ登って行った。これには猟師も恐ろしさに体が震えた。これは狒々の類ではなかったかと言われている。

・狒々は山に現れるという巨大な猿のような妖怪で、全国に伝承が残る。

<山梨県 孫右衛門天狗>
<百歳以上生きた言葉が通じない怪人>
・北杜市と甲斐市に跨る茅ヶ岳には孫右衛門という怪人の話が伝わっている。
 この怪人は元々人間であったが、山に入って行方不明になり、その後仙人となって百年以上にわたって生きたという。その姿は、髪は長く、目は大きく、草や木の皮を衣服として纏い、人の言葉は通じなかったとされる。

<山梨県 迷惑な山の神>
<謎の老人に連れまわされた少年>
・福地村(現富士吉田市)には、迷惑な山の神が現れたという。
 明治時代のこと、滝次郎という子どもがいつものように薪を取りに山に登ったところ、そのまま帰って来なくなった。

・滝次郎を介抱し、目を覚ましたところで何があったのか聞いてみると、滝次郎は山に登っていつも通り薪を集め、休憩していたところ、どこからか怪しげな白髪の老人が白馬に乗って現れたという。

<山梨県 夜叉神峠>
<疫病・洪水を引き起こした神>
・山梨県の南アルプスの入口に当たった夜叉神峠には、こんな由来が残されている。
 かつて水出川(現御刺使川)の上流に、身の丈20メートル以上の夜叉神が棲み付いていた。この悪神は疫病を流行らせ、洪水を起こし、暴風雨を操ったという。

<長野県 姥捨山の天狗>
<癇癪を起す酒好きの烏天狗>
・姥捨伝説で知られる長野県の姥捨山。この山にある長楽寺の庭に生えた赤松に、戦前、烏天狗が棲み付いたことがあるという。この烏天狗は本堂に祀っている小さな観音様を守っていたが、非常に酒好きで、毎晩観音様に供えられていた酒を飲みに来たという。

<長野県 大深山の天狗>
<行方不明の子どものもとに現れる>
・長野県にある大深山には、かつて天狗がいたという。かつて、この山で子どもが行方不明になったことがあったが、翌朝見つかった。そのため子どもに何があったのか聞いてみると、山の中腹に一人で松の木の下にいたが、夜になると天狗が現れ、「ソウメンだから食べろ」と言ってミミズとカエルをくれたという。

<長野県 御嶽山の死霊>
<行方不明事件が多発する山>
・長野県と岐阜県に跨る御嶽山は、多くの死霊がさ迷っているなどと言われている。そのためか、昭和54年(1979年)には御嶽神社へ登り、参拝するツアーに参加した女性と老人が行方不明になる事件が起きたり、その3年前にも若者がいなくなったりしており、死霊に引かれたのではないかと言われているという。

<御嶽山の天狗>
<役行者が開山した天狗の梁山泊>
・長野県と岐阜県に跨って聳える御嶽山。この山は修験道の開祖である役小角が開山したこともあり、修験道に関わりの深い妖怪である天狗が大量にいると言われている。
 中でも固有の名前をもつ天狗としては、前山の三笠山刀利天坊及び八開山大頭羅坊、阿留摩那山のアルマヤ坊がおり、さらにそれを取り仕切る御嶽山六尺坊がいるという。
 このため、山には様々な天狗の像などが残されているようだ。

<長野県 鬼女紅葉>
<美女に化けた鬼に酒を勧められる>
・紅葉伝説は長野県の戸隠、鬼無里、別所温泉などに伝わる伝説で、古くは江戸時代の『新府統記』にその名が見られる。
 また「紅葉」の名は見られないが、古くは『太平記』に戸隠山(とがくしやま)の鬼を退治する話があり、ここでは平惟茂ではなく多田満仲が鬼を退治したと記されている。
 さらに明治時代になると『北向山霊験記』などの文献において紅葉伝説は琴の名人の美しい娘であったと語られる。紅葉はその美貌から源基経の寵愛を受けるが、実は第六天魔王の娘として生まれた存在で、怪しい妖術を使って基経の妃を病にさせる。
 この行いが露見し、紅葉は信濃国の戸隠山に流されることとなり、そこで平惟茂に退治されたという。

<長野県 塩尻峠の神隠し>
<4時間で40キロ移動した生徒>
・塩尻市と岡谷市の境にある塩尻峠。昭和13年(1938年)、この峠に遠足に行った生徒が一人、行方不明になるという時間が起きた。
 村の人々や警察が捜したが見つからず、4時間ほど経った午後8時、伊那の本通りという場所でうずくまっているのが地元の人間によって発見された。
 塩尻峠から伊奈までは4、50キロあり、とても子どもが徒歩で移動できるような距離ではなかった。
 子どもにその時何があったのか聞いてみると、下に明かりがちらちらと見えた、風がびゅーびゅーと吹いていたというぐらいのことを言うだけで、神隠しか天狗にさらわれたのかと噂されたという。

<長野県 天狗岳のUFO>
<登山者と山小屋の番人が目撃>
・茅野市にある八ヶ岳連峰の山のひとつ、天狗岳。この山にUFOが下りてきたという話がある。
 それによれば、1980年代の後半、山の麓で山小屋を営んでいた人物が外で登山者が「UFOが来た!」と叫んでいるのを聞いた。
 それで窓から見てみると、天狗岳の中腹に葉巻型の飛行物体が緑色の光を底から逆噴射するようにして降りてくるのが見えた。
 その人物は万が一宇宙人が来るのに備え、古いピッケルを用意して眠りについたが、朝4時頃に眠りから覚めるとUFOは空に向かって飛んで行き、突然消えてしまったという。

<長野県 松本地方の天狗>
<人をさらう天狗の弱点は鯖>
・長野県の松本地方の山では、神隠しに遭うことを天狗さまにさらわれると言った。
 この天狗による人さらいが起きる条件は分かっていないが、「鯖食った、鯖食った」と言うと回避できたと伝わる。これは天狗が鯖を非常に嫌うためだという。

<長野県 山夫>
<人間の3倍の大きさの妖怪>
・長野県と山梨県に跨る金峰山。不思議な話が多く残るこの山には、江戸時代、山夫と呼ばれる妖怪たちが暮らしていたという記録が残っている。
 山夫は人間の3倍もの大きさがあり、髪は乱れ、腰まで伸びている。

・獣を捕まえて食うが、たまに人を攫う。

<新潟県 妙高山足立坊>
<特に力を持った48の大天狗の一人>
・新潟県妙高市に聳える妙高山。この山には足立坊という名前の天狗がいると伝えられている。
 足立坊は阿弥陀堂を守る天狗とされ、普段は従者を引き連れて妙高山頂直下の天狗平あたりに棲んでいるとされる。

<富山県 黒部渓谷の狒々>
<熊と戦う剛力の者でも敵わない怪物>
・黒部市にある黒部峡谷には、狒々という怪獣が現れたという。

・源助が作兵衛という杣(そま)と一緒に井戸菊の谷を伐採しようと入ったとき、人が飛ばされるほどの風雲が巻き起こった。そのため谷を離れようとした途端、作兵衛が物の怪に取り憑かれて気を失い、狒狒が作兵衛を空宙に引き上げて引き裂こうとした。
 しかし源助は何とか狒々から作兵衛を取り戻し、作兵衛は血まみれになったが何とか連れ帰ることができたという。

<静岡県 狗賓(ぐひん)>
<信心深い若者を助けた天狗>
・天狗の一種。静岡県の西河内村(現静岡市)に伝わる話では、日頃信心深い若者が狗賓の手のひらに乗せられ、竜爪山に連れて行ってもらったという話がある。また村が火事になったとき、この若者の家だけは助かったともいう。

<静岡県 コボッチ>
<人間をたぶらかす子どもの妖怪>
・静岡県の遠江地方に伝わる妖怪で、小童の姿をしており、山中に現れるとされる。間の谷間にあるグミの林に棲み、往来の人をたぶらかしたり、取り憑いたりすると伝わる。

<静岡県 万三郎坊と万二郎坊>
<大蛇を退治した仲の良い兄弟天狗>
・静岡県の天城山には、主峰の万三郎岳と隣に聳える万二郎岳がある。これらの山にはそれぞれ万三郎坊と万二郎坊と呼ばれる天狗が棲んでおり、万三郎坊が兄で、万二郎坊が弟の兄弟だという。

<岐阜県 山の神婆>
<出会いを人に言うと死を招く老婆>
・岐阜県の下牧村(現美濃市)では11月7日に山の講を行うが、この日は山に行くことを禁じていた。
 もしこの山の講の日に山へ行くと、山の神婆というものに逢うことがある。
 すると山の神婆は必ず自分に逢ったことを人に告げるなと言うが、もしこれを破って誰かに告げれば、その人は死ぬと言われていた。

<三重県 鈴鹿御前>
<鈴鹿山を根城にした女盗賊>
・三重県に聳える鈴鹿山、この山には立烏帽子(たてえぼし)や鈴鹿御前と呼ばれる女盗賊、もしくは天女とも鬼女とも言われる女が住んでいたと伝えられている。

・これらが次第に習合して、鈴鹿山に住む女盗賊、立烏帽子や後述する鈴鹿御前の物語や伝承が生まれた。
 また、室町時代に記された戦記物語『太平記』においては、鈴鹿御前と征夷大将軍である坂上田村麻呂が鈴鹿山にて剣を合わせたという物語が記され、同時代の後期には『鈴鹿の草子』、『田村の草子』といった御伽草子にて鈴鹿山に住む天女、もしくは第六天魔王の娘として鈴鹿御前が登場する。この鈴鹿御前は空を駆ける車を持っていたり、三本の宝刀を自在に操るなどして人ならざるものとして力を見せるほか、田村麻呂と恋に落ち、共に悪路王などの鬼を退治し、夫婦となって子をもうけるといった描写が見られる。

<滋賀県 伊吹山の神>
<日本武尊を殺した山の神>
・滋賀県と岐阜県に跨る伊吹山。この山は日本神話に描かれる英雄、日本武尊の死の原因となった神が棲んでいたことで知られている。

・そして日本武尊は伊吹山の神により氷雨をぶつけられてしまい、これによって病に倒れ、ついには亡くなってしまったとされる。
 奈良時代の歴史書『古事記』に載る。『日本書紀』でも同様の話が載るが、伊吹山の神は大蛇の姿をしていたと記されている。
 またこの『日本書紀』における記述のためか、伊吹山の神は同じく日本神話に登場する八岐大蛇と同一視されることもある。室町時代の御伽草子『伊吹童子』では、八岐大蛇が素戔嗚尊に殺された後変じたのが伊吹大明神であり、伊吹大明神を司る伊吹の弥三郎という男の元に生まれたのが、後に平安京で略奪を働いた鬼、酒呑童子だという物語が語られている。

・また同じく御伽草子の『酒呑童子』では、殺された八岐大蛇の御霊が伊吹明神として崇められ、その伊吹大明神がある美しい娘の元に通って生まれたのが後の酒呑童子だと語られている。つまりこの話では酒呑童子は八岐大蛇の息子ということになる。

<滋賀県 飛行上人>
<体重3グラムの空飛ぶ僧侶>
・滋賀県と岐阜県に跨る伊吹山には、三朱沙門飛行上人と呼ばれる怪人の伝説が残り、数百年もの間この山に棲んであちこちに仏跡を残したとされる。
 この飛行上人は体重が三朱(約3グラム)しかなく、風に乗ってどんな障害も乗り越えることができたため、飛行上人と呼ばれたという。
 ある時、都で時の皇后が重い病にかかり、飛行上人が祈祷のため呼ばれた。上人は使いに来た勅使を摑むと、伊吹山の頂から飛んで琵琶湖を飛び越え、帝と皇后の元に馳せ参じ、休むことなく加持祈祷を行った。皇后の病気はたちまち癒えたという。この功績により飛行上人は帝から地神明神の正一位を賜ったとされる。

<京都府 愛宕山の竜神>
<龍神の願いを叶えた僧侶>
・京都市にある愛宕山。天狗で有名な山だが、謡曲『愛宕空也』では、平安時代の僧侶である空也が竜神と出会う舞台として描かれている。
 空也が愛宕山に参拝した時のこと、山の地蔵権現に行った際、法華経を読誦していると、どこからともなく一人の老人が現れた。老人は空也に対し願いを聞いてほしいという。
 そこで空也がその内容を問うと、老人は実は自分はこの山に住む竜神で、空也が感得した仏舎利を与えられれば三熱(仏教において竜蛇が受ける三つの苦悩)の苦しみから解放されるという。
 そこで空也が仏舎利を老人に渡すと、老人は礼として何でも望みを叶えるという。

<京都府 鞍馬天狗>
<源義経に剣術と兵法を伝授>
・京都府の鞍馬山には、鞍馬天狗と呼ばれる大天狗が棲むと伝えられている。
 この天狗は源義経が師事したことで有名で、能『鞍馬天狗』などでは、義経が鞍馬寺に預けられていた時代、剣術や兵法をこの天狗に習ったと語られている。
 鞍馬天狗は義経の稽古が終わった後、中国の故事を例として兵法を伝える。平家打倒を志す義経を称賛し、最後にどこにいてもお前を守ると告げ、去って行く。

<大阪府 前鬼・後鬼>
<役小角に仕えた二匹の鬼>
・飛鳥時代に、修験道の開祖とも伝えられた役小角によって使役されたことで知られる前鬼・後鬼。彼らにはこんな伝説が残されている。
 白鳳元年(672年)のこと。現在でいう奈良県と大阪府の県境に位置する生駒岳に役小角が登り、修行をしていた時のこと。夫婦の鬼が彼の前に現れ、自分たちは天ノ手力男神の末裔であり、先祖の神の使いで役小角に仕えたいと申し出た。
 そこで役小角は天の鬼に善童鬼、妻の鬼に妙童鬼という名を与え、自分に仕えることを許した。

<兵庫県 姫路城>
<天守に住む妖怪の姫>
・兵庫県の姫山に築かれた姫路城。この城には、様々な妖怪や怪異が出現することでも知られている。
 まず有名なものは刑部姫と呼ばれる妖怪だろう。長壁姫、小坂部姫とも記されるこの妖怪は、姫路城の天守に棲むと伝えられ、年に一度城主と会ったという。

・姫路城の城主であった池田輝政が刑部姫によって殺害された話が記されている。それによれば、輝政が病みついたため、比叡山から阿闍梨を呼んで天守で祈祷させたところ、七日目の夜に齢30ほどの女が現れた。女は阿闍梨に対し、「なにゆえそのように加持祈祷をなさるのか。どうせ意味のないことです。早くやめなさい」と言うため、阿闍梨が「女の姿で私と言葉を交わそうとするお前は何者だ」と問うと、女は身の丈二丈(約6メートル)の鬼の姿に変化し、阿闍梨を蹴り殺して消えてしまったという。

<広島県 クイゴン>
<馬鹿と言うと追いかけてくるUMA>
・広島県の久井町の山に出現するという未確認動物。見た目は同県の比婆山に現れるというヒバゴンにそっくりで、小さいキングコングのような姿をしている。弁当の握り飯や畑の作物を盗られた、馬鹿と言うと追いかけてきた、といった体験談が語られているようだ。

・平成15年(2003年)12月25日に書き込まれているのが確認できる未確認動物。ヒバゴンに比べるとマイナーのようだが、古くは昭和57年(1982年)頃から目撃談があるようだ。

<広島県 ヒバゴン>
<巨大な猿型のUMA>
・広島県の比婆山連峰には、ヒバゴンと呼ばれる未確認動物が現れることで知られている。ヒバゴンは体長1.5〜1.6メートルほどの巨大な猿のような姿をしており、頭部の形は逆三角形、茶色の剛毛を生やしている。目は鋭く、耳は大きいが手は小さく、体は筋骨隆々で全身は褐色もしくは黒色の毛で覆われている。また、左足を引き摺るようにして歩くという特徴がある。
 知能は人間並みにあると考えられているが、臆病で滅多に人前に姿を現さず、危害を加えることもないという。

・ヒバゴンが最初に目撃されたのは昭和45年(1970年)のことで、それ以降幾度も目撃されており、写真にその姿が収められたり、足跡が発見されたりしているのだという。

<高知県 不入山の巨人>
<身長6.3メートルの巨人の骨>
・高知県には不入山と呼ばれる山があり、かつてこの山に入ると妖怪のために生きて帰ることはできないと言われていいた。
 明治時代になり、そんなことは迷信と山に入る者も出てきたころ、その山に入った人間の一人が天を突く大樹の下に横たわる巨大な人骨を発見した。その大きさは頭から足まで三間半(約6.3メートル)、腕の長さだけでも六尺(約1.8メートル)あり、歯の本数は48本もあったという。また指の本数は手足全て4本ずつだったと記されている。

<福岡県 黒い山男>
<山奥で遭遇した謎の類人猿>
・福岡県の南方町でのこと。石炭産業で栄えていたこの町は、良い石炭を求めて山奥まで人が入り込むということがよくあった。ある時、山口村(現筑柴野市)の菊池という人物が山奥へ入ったところ、狒々に似た怪しい獣と遭遇した。菊池も驚いたが、その怪物もどうやらかなり驚いた様子で、慌てて逃げて行ったという。
 その姿は身の丈四尺(約1.2メートル)余り、顔は黒いが、立ち姿は人に似ており、手足の形も人とそっくりで二足歩行で素早く動いていたという。

<福岡県 白い猿人>
<目撃された全身が真っ白の類人猿>
・福岡県の筑前でのこと。明治16年(1883年)4月5日、山口村(現宮若市)菊池保平という男性が吉田村というところに行くため、山女を登っていたところ、峠を越えて谷間の道へ出る頃に突然猿に似た奇妙な獣が現れた。この獣は全身が真っ白で、のそのそと歩いて来るのを見た保平は悲鳴を上げて倒れてしまった。一方、この獣も驚いたのか峠に向かって逃げて行ったが、この獣を見て以来、保平は高熱を出し、5日間に渡り寝込むことになったという。

<佐賀県 獅鬼(ししおに)>
<人や家畜を殺す身長6メートルの鬼>
・後朱雀天皇の時代、長久2年(1041年)頃、今でいう佐賀県の眉山に巨大な岩があり、その下に空いた穴に獅鬼と呼ばれる怪物が棲み付いていた。
 怪物は身の丈二丈(約6メートル)もあり、人里に出現しては人や家畜を殺したため、人々はこのことをお上に訴えた。
 ちょうどこの時、渡辺綱の子孫である源久(松浦久)が松浦郡におり、民のために獅鬼の災いを除こうと決心し、兵を集めた。
 
・そこで源久が率先して獅鬼を追うと、どこからともなく白羽の矢が一本飛来し、獅鬼の脳天を貫いた。

・そして、人々はあの白羽の矢は当地に祀られた諏訪大明神の霊力であると考え、その祠のそばに「埋牛塚」を築き、牛祭を行うようになった。

<熊本県 深葉山の山女>
<身長3メートルの人喰い女>
・熊本県の虎口村(現菊池氏)に山女が現れた話がある。
 かつて、この村に嫁いで来た女が行方不明になり、3年後に帰って来た。そのため村人がどうしていたのかと尋ねると、女は「自分は深葉山から矢岩嶽の辺りに住み、人を食って生きています。山にいるときの姿はこうです」と言い、山女の姿になった。その姿は身のたけ一丈(約3メートル)、頭に角があったという。

<内大臣山の山女>
<7歳の時から山中で暮らす謎の女>
・熊本県の内大臣山に山女が現れたという話がある。
 熊本県上益城郡で営林署に勤めていた山崎という人物が内大臣山から国見山に巡視に出掛けたところ、山中で得体の知れない女に出会った。山崎氏が慌てて鉄砲を女に向けると、女は手を合わせて「撃ってくれるな」と頼む。
 そこで銃を下げ「お前は誰か」と尋ねると、「私は向山の生まれで、7歳の時に母と一緒に栗拾いに行って迷ってしまい、それからずっと山の中で暮らしている。ところがこの内大臣山は深くはあるが、長くは暮らせないので、阿蘇の方に移るつもりだから、子どもを残していくのでよろしく頼む」と言った。これは山女なのだということだ。

・このように人里と隔絶された山の中で暮らしていた女が人里に現れたことで山女、山姫、山姥などの妖怪として扱われたという話は多い。

<鹿児島県 天降女子(あまろうなご)>
<水浴びする天女>
・鹿児島県の奄美大島に伝わる天女。鬱蒼と茂る樹木に覆われた渓谷や滝壺の水たまりに降りてきて水浴びをするという。これが人に危害を加えることはないようだ。

・天降女子は天から白い風呂敷の包み物を背負って降りてきて、その際にはどんな晴天でも雨が降る。天降女子は男のいる家にやって来るが、その誘惑に負けてしまうと命を取られるという。
また、水を入れた杓を持っているが、その水は決して飲んではならないといわれている。

<鹿児島 ケンモンの青い火>
<女性に帰り道を導いた妖怪のよだれ>
・奄美大島にはケンモンという河童のような妖怪が伝わっており、ガジュマルの木の精などと言われている。このケンモンは人の仕事を手伝うという伝承や、光を放ったり火を灯したりする伝承が残っているが、この火を使って人を助けた話がある。
 1980年代の頃、奄美大島に住む40過ぎの女性が夕食の支度をしている途中に突然行方が分からなくなった。
 家の人々は神隠しに遭ったとして親戚の人々とともに太鼓を鳴らし、捜し回ったところ、3日後に傷だらけの女性が見つかった。
 女性が言うには、気が付いたら家にはおらず、真っ黒なところを歩いていたが、蛍のような青い火があって道を歩くことができたという。そのうちに太鼓の音が聞こえ、そちらに向かって歩いたところ、戻って来ることができたのだという。
 この青い火はケンモンのよだれで、女性を守るよう道を照らしてくれたのだという。
 また女性を探すために叩いた太鼓はユタ(霊媒師)の太鼓であったため、それも彼女を守ってくれたのだという。

<沖縄県 タチッチュ>
<子どもをさらう化け物>
・沖縄に伝わる山の化け物。夕方になると山から杖をついて下りてきて、子どもを攫って行くという。非常に力が強く、どんな力自慢の若者でもタチッチュと相撲を取って勝てるものはいないとされる。

・夕方に出現し、子どもを攫う妖怪は総称して「隠し神」と呼ばれ、全国に伝承が残る。



『日本怪異伝説事典』
朝里樹  えいとえふ  笠間書院  2020/12/23



<北海道>
<文化神オキクルミ降臨の地・平取町ハヨピラ>
・平取町の外れ、沙流(さる)川流域のハヨピラという土地は、アイヌの人々にとって聖地のひとつ。アイヌの創造神にして文化神オキクルミが空飛ぶ龍カムイシンタに乗って降臨し、様々な技術を伝えたとされている。ハヨピラとはアイヌ語で「武装した崖」という意味だ。
 文化神オキクルミは、アイヌの人々に様々な知恵や文化を伝え、飢饉の際にコタン(村)を救った神様だ。天神のところで粟(あわ)と稗(ひえ)をご馳走になり、その穂を隠して地上に持ち帰ったという伝承もあり、農耕の始祖神ともされている。

<青森県>
<岩木山の安寿姫(あんじゅひめ)伝説>
・日本の山は女の神を祀ることが多く、津軽富士と呼ばれる美しい霊峰・岩木山は古くから「女子山」と呼ばれている。その理由は、説話『安寿と厨子王』に登場する安寿姫が祀られているからだ。浄瑠璃や映画などにも描かれたこの説話の発祥が、岩木山という。

<大石神(おおいしがみ)ピラミッド>
・キリスト伝説で有名な新郷村の中央に位置する大石神山。1935年、画家の鳥谷幡山(とやばんざん)が大石神の巨石群を発見し、のちに日本ピラミッド研究の創始者である酒井勝軍がピラミッドだと認めた。『竹内文書』によればエジプトのピラミッドより古い5万年前に造られ、世界中のピラミッドの起源は日本にあるとされる。

・十和利山の麓にある迷ヶ平(まよがたい)高原は、考古学・地質学の山根キクが「光りは東方より」にて「エデンの地」だと指摘した場所。かつて天浮舟に乗ってやってきたアマテラスオオミカミの孫・ニニギノミコトによって築かれた都市があったのではとされる場所でもあり、「神秘の里」「謎の超古代文明の発祥地」として知られるようになった。

・なみに、酒井の提唱する日本ピラミッドとはエジプトのように平面から築き上げたものではない。山の自然な円錐形の地形をえがき、山頂には「太陽石」と呼ばれる巨石を配して、太陽礼拝などの祭祀空間としての役割を担うという。

<巖鬼(がんき)山の鬼伝説>
・「大人(おおびと)の逆水(さかさみず)」とも呼ばれる伝説。一般的には鬼は悪い存在とされがちだが、津軽の鬼は違う。時折、山から下りて人々を助けたり、一緒に遊んだりする優しい心の持ち主で、神のような存在とされている。

<東北のイエス・キリスト>
・十和田湖の東にある新郷村には、こんな仮説がある。ゴルゴダの丘で磔刑となったイエス・キリストは、密かに日本へ逃れていたというものだ。処刑されたのは身代わりの弟イスキリで、イエスは十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と称し、戸来(へらい)の地でミユ子という日本女性と結婚して106歳で没したという。
 これは1935年、皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる謎の古文書『竹内文書』から出てきた説。

<岩手県>
<ざしきわらしに出会える宿>
・ざしきわらしとは、子どもの姿をした家の中にいる精霊や神様のような存在。ざしきわらしがいる家には福が訪れ、その家は栄えるという。岩手県には「ざしきわらしに会える」とされる宿があり、泊まった人には福を授けるという。それが、雑誌やテレビでも取り上げられたことのある金田一温泉郷の旅館「緑風荘」だ。

・また、盛岡市の旅館「菅原別館」も、ざしきわらしが現れる宿として2018年にテレビで紹介された。

<宮城県>
<不老長寿の僧・常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)>
・平安時代から鎌倉時代にかけての僧侶で、源義経に仕えた常陸坊海尊。義経が高館で自刃した衣川の戦いの時、山寺に出かけていたため生き延びたとされる。その後、不思議な老人に出会い、老人に招かれて「ニンカン」という赤魚の料理を食してからは不老長寿となり、源平合戦の顛末を語り伝えたという。

<秋田県>
<房住山の阿計徒丸(あけとまる)>
・昔、出羽国(現在の秋田県と山形県)房住山という山の向こうに阿計徒丸・阿計留丸(あけるまる)・阿計志丸(あけしまる)という鬼の三兄弟が住み、民を苦しめていた。阿計徒丸は身の丈約5メートル以上もあることから、大長丸(おおたけまる)と呼ばれていた。
 阿計徒丸は、蝦夷討伐のために進軍してきた坂上田村麻呂と激突。

・阿計徒丸と田村麻呂の戦いを蝦夷軍対朝廷軍の激戦に見立てて、阿計徒丸は蝦夷の大首長で悪路王と同類もしくは同一人物であった、とする見方もある。

<山形県>
<稀代の超能力者・長南年恵(おさなみとしえ)>
・鉄門海(てつもんかい)上人の即身仏が眠る注連寺の分寺・南岳寺の境内には、明治時代の超能力者として知られる長南年恵を祀る淡島大明神、通称、長南年恵霊堂がある。
 1863年、鶴岡市に生まれた長南年恵は、20歳の頃より神がかりとなり一切の食を絶ち、ほんの少量の生水とサツマイモを口にするだけで生活していたという。

<福島県>
<山間の八百比丘尼(やおびくに)伝説>
・不老長寿の八百比丘尼といえば、福井県をはじめ120以上の伝説が全国で語り継がれているが、喜多方市のように海のない内陸部でも残されている。

<茨城県>
<虚舟(うつろぶね)伝説>
・江戸時代に、現在の太平洋大洗沖に現れた、謎の舟「虚舟」にまつわる伝説。
 1803年2月22日の午後、常陸国(現在の茨城県)の「はらやどり」という浜に、奇妙な小舟が漂着した。直径約5.5メートル、丸いお香立てのような形で、上部はガラス張り、舟底は鉄板が張ってあり、中には、顔は桃色で眉と髪が赤毛、長くて白い付け髪を垂らした女性が一人乗っていた。

・舟の中には多くの奇妙な文字が書かれていたといい、伝わっている文字はアルファベットとも日本に残る象形文字とも異なり、世界中のどの民族の文字でもないそうだ。虚舟は外国の舟なのか、江戸時代に現れた宇宙船なのか、議論はつきない。

<栃木県>
<平家落人の里>
・源氏との戦いに敗れ、源頼朝の追討命令から逃れるべく、栃木の山奥に平家の落ち武者が逃げ延びたという伝説がある。それが下野国(現在の栃木県)の湯西川地区に伝わる「平家落人伝説」だ。

<群馬県>
<海のない群馬県にある龍宮伝説>
・本州のほぼ中央にあり、「ツル舞うかたち」として親しまれる群馬県。湖はあるが海はない海なし県だが、不思議と龍宮伝説が多く残されている。
 伊勢崎市を流れる広瀬川のほとりにある「龍神宮」にまつわる龍宮伝説は、次の通り。古墳時代の400年頃、近くに一人の公家が住んでいた。公家が家来と共に卯の木の岩山でどんちゃん騒ぎをしていると、どこからか美しい少女が現れて「この岩山は竜神の城であるから、行動を慎むように」と注意して消えてしまった。公家は怖くなって逃げ帰り、以来、その地は龍神宮と呼ばれるようになった。

・また、浦島太郎のように実際に龍宮城に行った話もある。伊勢崎市宮子町に残る伝説では、阿感坊(あかんぼう)という農民が利根川の中の島に藤を切りにいった時、鉈を川に落としてしまう。阿感坊が鉈を拾いに川の中へ入ると、美しい龍宮城に辿り着き、三日間過ごしてから村に帰ると三年経っていた。他言すると命はないと言われていたが、当時の殿様に責められて竜宮城のことを漏らすと、阿感坊は死んでしまったそうだ。

<迦葉山(かしょうざん)の大天狗>
・京都府の鞍馬寺、東京都の高尾山薬王院とともに、日本三大天狗のひとつに数えられるのが、群馬県の迦葉山龍華院弥勒寺の大天狗である。

<埼玉県>
<江戸時代のスーパーマン・六兵衛(ろくべえ)伝説>
・秩父市の即道神社には、即道という人物の霊が祀られている。若い頃は六兵衛と呼ばれており、俊足・怪力・器用者といった数々の伝説を残している。
 例えば、囲炉裏に掛けた鉄瓶の湯が沸かないうちに武甲山の頂上の鐘を撞いて戻ってきた。一反(約12メートル)の絹布につけて走ったら布の先は少しも地面につくことなくひらひらなびいた。往復200キロもある江戸で鮮魚を買い求め、日帰りで戻ってきたなど。まるでテレポーテーションのような俊足伝説を持つ。

・晩年の六兵衛は、髪を剃って即道(そくどう)と名乗り、常明寺の住職となった。

・また、即道神社の「爪彫石」は、即道が富士山から衣の袂に入れて持ってきたものとされ、この石に彫られている文字は今も解読できていない。読める者は、即道の再来という言い伝えがある。
 数々の超人伝説を残した六兵衛とは、一体何者だったのか。晩年、彼は入定することにして墓の中で読経を続けたが、音が絶えたあとに墓を掘ると遺骸は消えていた。のちに香川県の金刀比羅宮で見かけた人がいたという。

<千葉県>
<『南総里見八犬伝』始まりの地・伏姫(ふせひめ)籠穴(ろうけつ)>
・28年もの歳月をかけて曲亭(滝沢)馬琴が手掛けた『南総里見八犬伝』は、八つの霊玉を持つ八犬士が活躍する全98巻、106冊の伝奇小説。地元では、あたかも物語が史実であるかのように、ゆかりの地が点在し、史実とフィクションが混じり合いながら物語が語り継がれている。

<東京都>
<高尾山の天狗伝説>
・都心からも交通の便に恵まれ、日帰りで山歩きができるため、人気スポットとなっている高尾山。古くは山岳信仰の山として広く庶民に親しまれた高尾山には、天狗にまつわる伝説が多い。

<神奈川県>
<大山(おおやま)の大天狗・大山伯耆坊(だいせんほうきぼう)>
・大山伯耆坊は、日本八天狗のひとり。なぜ神奈川県の天狗なのに伯耆(現在の鳥取県)という名前なのかというと、この天狗は最初、鳥取県の伯耆大山(ほうきだいせん)にいたためだ。
 だが平安時代末期、相模国(現在の神奈川県)の相模大山にいた相模坊が、保元の乱をきっかけに讃岐国(現在の香川県)に流された崇徳上皇のもとに行ってしまった。そのため、後任として相模大山にやってきたのだ。

<新潟県>
<茨城童子のふるさと>
・平安京の正門である羅城門の鬼と同一視される茨木童子が生まれたという伝承が、長岡市軽井沢に残されている。

・やがて酒呑童子に出会って意気投合する。酒呑童子を兄貴分と慕い、二人で鬼倉山に移り棲んで悪行の限りを尽くしたあと、京都の大江山へと移動したという。酒呑童子にまつわる伝説と非常に似ている点が面白い。

<酒呑童子のふるさと>
・『御伽草子』によると、もっとも有名な鬼伝説のひとつ、酒呑童子の出生地は越後国(現在の新潟県)ということになっている。

・こうして酒呑童子となった外道丸は、寺を追われ、盗賊の首領となり、大江山で源頼光らに討ち取られることとなる。『奈良絵本』によると近江国(現在の滋賀県)の伊吹山とする説もあり、酒呑童子の出生については、異説がいくつかある。

<見るなの花屋敷>
・昔、旅商人の若者が、越後山奥の森で道に迷ってしまい、一軒の家に辿り着く。そこには美しい娘がいて、おいしい酒や食事でもてなしてくれた。ある日、娘が出かける時に「全部で13の座敷があります。12番目までは自由に見て構いませんが、13番目だけは見ないでください」と念を押して出て行った。若者は順に座敷に入ってみると、どの座敷にも四季折々の美しい景色が広がっていた。若者は娘の言葉を無視して、13番目の座敷も開けてしまう。梅の枝に止まった鶯がいて、一声鳴くどこかへ飛び去っていった。すると家も座敷も跡形もなく消え去り、男は森の中にいた。

・これは越後地方を中心に各地に伝わる民話の原型で、「見てはいけない」という部屋を覗いたために夢から醒めるというものだ。地域ごとに細部が異なるが、禁忌を犯した男が娘の正体(ここでは鶯)を知り、現実に引き戻されるという展開は同じ。
 同様の言い伝えでは『鶴女房』や『蛇女房』など。古くは、一瞬の夢のうちに富貴を極めた人生を経験する、中国の唐の時代に書かれた『邯鄲(かんたん)の夢』の伝説にも近い。

<富山県>
<尖山(とがりやま)ピラミッド>
・立山黒部アルペンルートの入口に見える三角錐の山が尖山だ。標高はわずか599メートル。大石神(おおいしがみ)、黒又山、葦嶽山(あしたけやま)など日本には、人工ピラミッドと噂される山がいくつかあるが、尖山もそのひとつ。謎の古文書『竹内文書』によると、太古の時代、富山県は世界の中心地であり、この書に記されている「アメヤヒロトノアメツチヒヒラミツト」こそが尖山だというが、文書の信憑性は疑問視されている。
 尖山の登山道や斜面には、石垣のようなものがある、山頂付近にストーンサークルのような石組みがある、山頂付近や麓の蔵王神社の祭石に強い磁気異常がある、といった数々の謎に加え、この付近ではUFOや怪光現象がしばしば見られるという。尖山には古代の天皇の乗り物であるアメノウキフネ(天の浮舟)の飛行場があったのではないかとする説もある。尖山の整った三角形の山容を目前にすると、神秘的な何かを感じずにはいられないのかもしれない。

<石川県>
<猿鬼(さるおに)の伝説>
・能登半島には一本角の鬼がいて、猿のように素早いため猿鬼と呼ばれていた。岩井戸という岩窟に住んでいた猿鬼は、たびたび付近の村にやってきては悪さを繰り返していたそうだ。そこで白衣の氣多(けた)大明神を大将、三井の大幡神杉姫(おおはたかんすぎひめ)を副将とした神軍が討伐に向かった。氣多大明神が猿鬼の目を射抜き、逃げたところを大幡神杉姫が名刀「鬼切丸」で退治した。

・また、能登半島の伊夜比廖覆い笋劼瓠某声劼亮凖舛砲皹邉瓦竜録があり、腕の立つ左大将泰直に退治してもらったという。猿鬼の角が今も神社に保管されているという。

<羽咋のそうはちぼん伝説>
・羽咋市は、古くからUFOの目撃情報が多い地帯。「UFOの町、羽咋」として打ち出す羽咋市では、噂では市民の半数以上がUFOを目撃しているという。この地域では「そうはちぼん伝説」という言い伝えが江戸時代からあり、そうはちぼん(楽器のシンバルのような楕円形をした仏具)が光を放ちながら、羽咋市の北東にある眉丈山(びじょうざん)を夜な夜な飛んでいるという。
 また「鍋のふたが人をさらう」という神隠し伝説もあり、遅くまで遊んでいる子どもに対して「早く帰らないと鍋のふたがさらっていくぞ」と注意する。そうはちぼんも鍋のふたも空飛ぶ円盤に形が似ていることから、やはりUFOと関係が深い。
 羽咋駅前には、巨大なUFOのオブジェクトが展示され、宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」では、宇宙やUFO関連の展示を見ることができる。

<モーゼの墓>
・能登半島の最高峰・宝達山(ほうだつさん)の麓の三ツ子塚古墳には、「十戒」で有名なモーゼの墓があるという。モーゼといえば紀元前13世紀頃、迫害を受けた古代ヘブライ人を率いてエジプトを脱出中、紅海の水を分けて道を作るという奇跡を起こした人物。
 モアブの地で亡くなり墓も知られていないというが、実はモーゼロミュラスと名乗りローマ帝国を建国後、天浮船(あめのうきふね)に乗り宝達山に至り、羽咋(はくい)姫と結婚、583歳まで生きたとされる。

<福井県>
<八百比丘尼(やおびくに)入定洞>
・人魚の肉を口にして不老不死となり、諸国を巡った八百比丘尼の伝説は各地にある。中でも小浜市は、比丘尼の出生地であり、最期の地でもある。

<羽賀寺(はがじ)の天狗の爪あと>
・小浜市の羽賀寺に残る伝説。昔、羽賀寺の住職が天狗と碁の勝負をすることになった。

・爪痕のついた基盤と折れた爪が今も羽賀寺に残っているという。

・また、羽賀寺にはかつて「日本」を「ヒノモト」と読んでいた時代があったという説を裏づける縁起が伝わっている。羽賀寺が1398年に焼失した際、後花園天皇は津軽の支配者だった安東盛季(もりすえ)・康季(やすすえ)父子に再建の勅令を下した。安東父子が11年かけて落成させた時、その功を称えて「日之本将軍」という称号を安東氏に授けたという。中央政権とは別に「日之本」と呼ばれた政権があったのではないかとする説もある。

<山梨県>
<富士山麓の徐福(じょふく)伝説>
・富士山麓には、伝説の人物・徐福の伝説が数多く存在する。徐福は中国の秦の始皇帝に仕えた方士(神仙の術を操る呪術師)で、東方の海上遥か先にある蓬莱(ほうらい)の山にあるという不老不死の薬を求めて消息を絶った人物だ。その後、日本に漂着したという徐福伝説は、熊野を中心に日本全国に見られる。
 熊野と同じくらい徐福伝説が多いのは、山梨県の富士吉田市である。伝説によれば、徐福は富士山の麓に漂着して、富士山こそ蓬莱の山に違いないと思い、そこに定住した。徐福の子孫は秦氏の姓を名乗るようになったという。

<山梨県のでいだらぼっち伝説>
・各地に伝承が残るでいだらぼっち(だいだらぼっち)は、日本を代表する巨人伝説。
 東日本の伝説では地形造りの話が多く、山梨県では特に富士山に絡んだ伝説が知られている。

・『甲州の伝説』によれば、でいだらぼっちは日本の仁王と唐の伽王との間に生まれた大男だという。その大きさは、地域の伝承によって様々。東日本と西日本とでは、でいだらぼっちの特徴も物語も大きく異なる点が興味深い。

<長野県>
<血の雨を降らせた八面大王(はちめんだいおう)>
・平安時代の頃、信州安曇野の有明山には、八面大王という鬼がいた。その鬼は魏石鬼(ぎせっき)とも呼ばれ、八つの顔をもっていた。八面大王は里に下りては人間たちを困らせたり、娘をさらったりして悪行の限りを尽くしたため、勅命を受けた坂上田村麻呂によって成敗されたという。

・なお、別の伝説では戸隠山の鬼女紅葉(きじょもみじ)と夫婦になり、金太郎(のちの坂田金時)をもうけたという説もある。

<龍になった甲賀三郎>
・諏訪地方には龍の伝説が多い。北佐久郡・南佐久郡では、甲賀三郎という青年が龍になった物語が伝わる。

・また、14世紀頃に成立した説話集『神道集(しんとうしゅう)』では、地底世界を巡る三郎の大冒険物語になっている。三郎は大和国(現在の奈良県)の国司に任じられた弥生時代の官人で、春日姫という美しい姫と結婚する。だが春日姫が天狗にさらわれ、彼女を探して信濃国(現在の長野県)の蓼科山に辿り着く。山の中の大穴で春日姫を発見して無事に助け出したが、日頃から優秀な三郎を妬んでいた兄たちにより、三郎は穴に取り残されてしまう。三郎は仕方なく地底の国を歩き回り、73の地底国を探訪した。三郎は地底国で家族を作り数年暮らしたが、やがて地上の世界が恋しくなって地上に戻ると、蛇の姿になっていたという。この話では、三郎は無事に人間の姿に戻って春日姫とも再会し、中国で神通力を会得するなどして、最終的に三郎は諏訪大明神の上宮、春日姫は下宮となった。

<龍の化身だった女武士・巴御前(ともえごぜん)>
・木曽義仲(源義仲)の側室であり、武勇に優れていた巴御前。義仲に従って出陣しては、しばしば戦功を立てたと言われている。だが、宇治川の戦いで敗戦した義仲に諭され、巴御前は戦から落ち延びる。その後、和田義盛の妻となるが、義盛の死後は出家して尼になったという。
 長野県木曽郡木曽町にある徳音寺(とくおんじ)は木曽義仲の一族の菩提寺であり、「巴淵の竜神が化身して巴御前になった」という伝説が残されている。境内には義仲や巴御前の墓がある。

<霊狐を操る飯綱(いづな)三郎天狗>
・戸隠山の近くにある飯綱山にいたという飯綱三郎天狗は、京都府の鞍馬山僧正坊、滋賀県の比良山次郎坊らとともに、日本を代表する八天狗にひとりに数えられる信濃の大天狗だ。

<岐阜県>
<英雄か化け物か?両面宿儺(りょうめんすくな)>
・377年頃、第16代仁徳天皇の時代。飛騨に『両面宿儺』という化け物が現れたという記録が『日本書紀』に載る。記録によると、両面宿儺は身の丈約3メートル、二つの顔に四つの手足、二本の剣と四組の弓矢を持つ。朝廷に逆らい人々を苦しめたため、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)に討たれたとある。
 ところが、飛騨の伝説では両面宿儺は英雄であり、人々に愛される存在だった。
 両面宿儺は、高山市郊外の丹生川村にある出羽ヶ平の洞窟から現れた。容姿は異形だが「我は魔怪にあらず、救世観音(くぜかんのん)の示現なり」と告げて農耕や信仰について教えてくれたので、人々は次第に深く崇敬するようになったという。

・正史では朝敵だが、地元の伝説では人望厚く武勇に優れ、神祭や農耕の指導者でもあった両面宿儺。東北の蝦夷(えみし)や九州の熊襲(くまそ)のように、地方の豪族として強大な力を持っていたため、大和朝廷によって怪物的な存在として、葬り去られてしまったのだろう。

<ヤマトタケルを追いつめた伊吹山の荒神>
・岐阜県と滋賀県にまたがる伊吹山は、日本百名山のひとつに数えられる霊峰だ。山頂にはヤマトタケルノミコトの石像が祀られている。『古事記』『日本書紀』によると、今から2000年ほど前にヤマトタケルが荒神を退治するため伊吹山に登った伝説がある。
  ヤマトタケルは、山の途中で大きな白猪と出会うが、これを「荒神の使い」と勘違いしてしまう。「今は生かしておくが、帰りに殺してやろう」と白猪を威嚇するが、実はこの猪こそ伊吹山の荒神だった。荒神の怒りにより山は荒れ、雹(ひょう)に打たれたヤマトタケルは命からがら下山した。

・伊吹山の神は『古事記』では白猪、『日本書紀』では大蛇の姿とされ、いずれもヤマトタケルの死因となっている。

・また、酒呑童子の伝説では伊吹山の神はヤマタノオロチであり、彼と人間の娘の間に生まれたのが酒呑童子という物語も見られる。さらに、伊吹山に住む伊吹弥三郎(いぶきやさぶろう)という大男も、酒呑童子の父という話が伝わる。弥三郎は怪力自慢で、琵琶湖の土を運んできて伊吹山と霊仙山を作った、伊吹山と七尾山を両方の天秤にかけて運んだといったなどの様々な伝説をもつが、最後は弱点である脇の下を槍で突かれて殺されたそうだ。

<静岡県>
<羽衣伝説>
・富士山頂から約45キロ離れた静岡市清水区の三保半島には、沿岸約5キロにわたり松林が続く。この松林は「三保松原(みほのまつばら)」と呼ばれる。

・松原の中央付近にある「羽衣の松」が、有名な「羽衣伝説」の舞台である。

・この羽衣伝説は15世紀頃に成立した世阿弥の謡曲『羽衣』によって有名になった。日本各地に広く残る羽衣伝説では、羽衣を奪われた天女が人間の男と結婚するが、数年後に隠されていた羽衣を見つけて天に帰っていく説話となっている。
 羽衣の松から近い松林にある御穂(みほ)神社には、羽衣の錦の布切れの一部が社宝として保存されているという。

<愛知県>
<日本の神になった楊貴妃>
・中国の唐の国随一の美女と謳われた楊貴妃は、皇帝・玄宗にこよなく愛されて権勢を誇った女性だ。のちに国政が乱れ、楊貴妃は責任を負わされて処刑されたとも自害したとも伝えられるが、実は処刑される前に日本に逃れたという伝説がある。
 『蘇我物語』によると、楊貴妃は唐で反乱が起きるとすぐに玄宗とともに海を渡り、尾張国(現代の愛知県)に流れ着いた。そこで地元の人々に迎えられ、楊貴妃は熱田明神になったという。玄宗は八剣(やつるぎ)明神になったという説もある。

<三重県>
<だんだらぼっちとわらじ祭り>
・志摩市大王町に伝わる民話。波切の大王崎の沖に浮かぶ大王島には、だんだらぼっちという一つ目の大男が住んでいた。男がひとまたぎすれば重みで岩が海底に沈んでしまうほどだったという。

<滋賀県>
<伊吹弥三郎(やさぶろう)の伝説>
・滋賀県の最高峰・伊吹山に伝わる民話。昔、伊吹山に住む弥三郎という怪力の大男がいた。伊吹山と隣にある七尾山を天秤で担いだとの伝説が残るほどの大男だった。
 武士だった弥三郎は戦に負けて伊吹山に逃げてきていたが、その後、何度、敵の襲撃を受けても、刀でも矢でも倒すことはできなかった。

・また、弥三郎は平安京を襲った鬼・酒呑童子の父だったという説もある。

<京都府>
<金星からきた鞍馬寺の魔王尊>
・796年に建てられた鞍馬山の鞍馬寺で祀られているのが、千手観音、毘沙門天、護法魔王尊の三尊だ。

・「鞍馬」の名前の由来には諸説あり、鞍馬寺の奥の院の魔王殿に祀られている魔王尊の古い伝説もそのひとつだ。650万年前、護法魔王尊(サナト・クマラ)が金星から降臨し、鞍馬寺の大杉に依りついたという。この「クマラ」にちなんで「鞍馬」とつけられたという説があるのだ。
 魔王尊は、地球では大地の霊王として悪魔を調伏し、遠い未来では人類を破滅から救ったのちに水星へと誘うという。
 光明心殿に祀られている魔王尊像は、長い髭と背中に生えた羽根が特徴であり、見た目は天狗のイメージにそっくりである。魔王尊は大天狗・僧正坊を含む鞍馬山の天狗たちを指揮していたそうだ。また、魔王尊は本尊である毘沙門天の夜の姿である。その見た目は永遠に16歳のままで歳をとらないとも言われている。

<天狗に育てられた義経>
・鞍馬寺の僧兵は勇猛なことで有名であり、平安末期には牛若丸(のちの源義経)が7歳頃から16歳頃まで修行に励んだと言われている。そして、鞍馬寺は日本中の天狗が集結する地だと言われている。鞍馬山の僧正ヶ谷には大天狗や烏天狗が棲んでおり、鞍馬の天狗は兵法と武術にすぐれ、牛若丸に剣術の秘伝を教えたという。

<大阪府>
<姫路城の長壁(おさかべ)姫>
・日本で初の世界文化遺産となったことでも有名な姫路城の天守閣には、長壁姫という女の妖怪が棲むという。その姿は緋色の袴と十二単を着た美しい姫とも、白髪の老婆とも言われる。身長が3メートルに伸びる、数多の化物を従えている、天井を床にして逆さに歩いて現れるなどの特徴が伝わっている。

<奈良県>
<大峰山(おおみねさん)の大天狗>
・大峰山は、役小角(えんのおづぬ)が開いた修験道発祥の地とされている。今も修行の場は女人禁制となっている山だ。ここには八大天狗のひとり、大峰山前鬼坊が棲むという。役小角の住者だった前鬼が、小角の死後、大峰山を守る天狗になったと言われている。

<和歌山県>
<西行(さいぎょう)の作った人造人間>
・平安時代から鎌倉時代の僧であり歌人としても有名な西行にまつわる伝説。ちなみに西行は大百足(おおむかで)退治で有名な藤原秀郷(俵藤太)の末裔でもある。
『撰集抄(せんじゅうしょう)』巻五には、西行が反魂の術を使って人造人間を作ろうとしたという話が載る。
 23歳で出家後、西行は各地を旅したのちに高野山に住むことにした。ある日、人恋しさが募った西行は、聞いた反魂の術に習い、野原で人骨を拾い集め、人の形に並べて特別な薬を塗るなどをして人造人間を作った。しかし肌の色は悪く、声もきたないそれは、人の姿ではあったものの、心を持たぬ人間ではない何かだった。
 がっかりした西行はこの人造人間を人が来ない山奥に捨ててしまう。失敗してしまった理由を知りたかった西行は、ある日都を訪れたついでに、人造人間の作り方を教わった徳大寺左大臣の邸宅に出向く。
 理由を尋ねると、西行の作り方の一部に間違いがあったことを指摘される。詳しい秘術を改めて教えてもらったが、再び人造人間を作ろうとはしなかったそうだ。

<鳥取県>
<孝霊(こうれい)天皇の鬼退治>
・日本最古の鬼伝説と言われる第七代孝霊天皇の話。
 昔、溝口(現在の伯耆(ほうき)町)の鬼住山(きずみやま)に、大牛蟹(おおうしかに)と乙牛蟹(おとうしかに)という兄弟の鬼が棲んでいた。悪さをする兄弟鬼に里の人々が困っていたところ、巡幸中の孝霊天皇がこの地を訪れた。それから、そこで鬼を退治した。

<島根県>
<一寸法師とスクナビコナノカミ>
・『御伽草子』に載る「一寸法師」は有名な昔話のひとつだ。一寸とは約3.03センチの長さで、一寸法師という小さな男が、針の刀を携えてお椀の船で旅に出る。そして鬼を退治し、打出の小槌(こづち)で大きくなるというのがあらすじだ。
 この一寸法師に代表される小さい男の伝説は、神話に登場する小さき神、スクナビコナノカミにルーツがあるとする説がある。
 スクナビコナは、オオクニヌシノミコトとともに出雲を造った神である。『古事記』によると高天原の女神カミムスビノカミの指の股から生まれたという。スクナビコナは芋の実を割った船に乗り、蛾のような生き物の皮でできた服を着て、御大(みほ)(現在の美保)の岬の沖からやってきた。オオクニヌシはスクナビコナとともに国造りをせよと命じられたが、その途中でスクナビコナは海の彼方にあるという常世(とこよ)の国に行ってしまったという。

<岡山県>
<猿神(さるがみ)退治>
・津山市の中山(なかやま)神社はキビツヒコノミコト(吉備津彦命)を祭神とし、古くは「ちゅうさん」と呼ばれた神社。境内にある猿神社にまつわる伝説。

・猿神社では、この伝説に登場する「中山の猿」の霊を猿田彦神として祀っている。生贄(いけにえ)を求める猿神を、犬を連れた旅人が退治する話は全国に分布しており、詳しくは山形県の大入道を退治しためっけ犬、長野県の光前寺の早太郎伝説の項目を参照。

<広島県>
<幻の類人猿ヒバゴン>
・比婆(ひば)郡(現在の庄原市)で目撃されているUMAの伝説。比婆の地名にちなんで「ヒバゴン」と命名された。
 ゴリラのような体つきの類人猿で、身長は約1.6メートル、体重は約80キロ、頭の形は逆三角形、二足歩行をするという。1970年代に比婆山の麓で多く目撃され、ヒバゴンのものと思われる足跡も発見されている。

・正体不明のまま現在に至っているものの、庄原市ではマスコットキャラクター化されており、ヒバゴンのイラストが描かれたバスや着ぐるみが作られるなど、今も地元で愛されている。
 また、近隣でも福山市山野町では毛むくじゃらの怪物「ヤマゴン」、御調(みつぎ)郡久井町(現在の三原市)では約2メートルの大男「クイゴン」が目撃されている。

<徳島県>
<阿波の狸合戦>
・阿波国(現在の徳島県)に伝わる狸伝説でも有名なのが、江戸時代末期に起きたという「阿波の狸合戦」だ。後年、これを題材にした講談や映画が人気を博し、近年ではスタジオジブリ制作のアニメ『平成狸合戦ぽんぽこ』のモチーフにもされている。

<香川県>
<心優しき大天狗の相模坊(さがみぼう)>
・白峯には、日本八大天狗のひとり、相模坊が棲んでいると伝わる。元は相模国(現在の神奈川県)の相模大山で修行した行者だったことから、その名が付いたという。のちに白峯に入山し修験者たちを統括していた相模坊は、白峯寺で白峯大権現として祀られている。ちなみに相模坊の後任として相模大山にやってきたのは、大山伯耆坊(おおやまほうきぼう)だ。

<狸の総大将・太三郎狸(たさぶろうたぬき)>
・四国には狸にまつわる伝説が多い。第84番礼所の屋島寺(やしまじ)は、祭神が狸である。蓑山(みのやま)大明神として祀られている狸の名は太三郎狸。四国の狸の総大将で、日本三大狸の一匹だ。屋島は源平合戦の舞台となった地だが、屋島寺の住職が代替わりすると、幻術を用いて庭で源平合戦の再現を見せて教えたという。
 また、四国の狸が争った阿波狸合戦を仲裁した、道に迷った弘法大師を山頂の屋島寺まで案内した。日露戦争に参加してロシア軍を翻弄したといった伝説も伝わっている。

<根香寺(ねごろじ)の牛鬼>
・頭が牛で体は鬼という牛鬼は、西日本を中心に伝わる妖怪だ。四国各地にも牛鬼伝説は数多く伝わっているが、特に有名なのが第82番所の根香寺である。青峰山に建つこの寺には、牛鬼の角が寺宝として保管されている。

<化け狸の総大将・隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)>
・かつて、松山には808匹もの化け狸がいたという。その総帥と伝わるのが隠神刑部である。

<福岡県>
<田主丸(たぬしまる)の河童伝説>
・九州一の河川・筑後川が東西に横切る久留米市の田主丸町は、多くの河童伝説が残っていることで知られている。
 壇ノ浦の戦いに敗れた平家の一族が筑後川の支流に入水し、河童となったという「巨瀬(こせ)の河童」。大将である巨瀬入道は平清盛の化身とされている。中国大陸から仲間を率いてやってきた「九千坊(くせんぼう)」という河童の頭目もいる。

<英彦山(ひこさん)の天狗伝説>
・西国一の修験道の霊山と称えられる英彦山は、古くから山伏の修行の場として信仰を集めてきた。江戸時代には「彦山三千八百坊」(彦山とは現在の英彦山のこと)と呼ばれ、三千人の衆徒を抱え、八百の坊舎があったという。この山に棲むのが八大天狗のひとり「彦山豊前坊(ひこさんぶぜんぼう)」である。英彦山には九州天狗の大元締めともいわれる豊前坊をはじめとする、天狗にまつわる伝説が多く残る。

<佐賀県>
<河童のミイラとひょうすべ>
・伊万里市にある松浦一(まつうらいち)酒造には、河童のミイラが現存している。

・佐賀県では河童は「カワソ」「カワッソ」などとも呼ばれ、伝説も多い。人間に化けた河童が「相撲をとろう」と言ってくるといった話が伝わっている。また、「ひょうすべ」という妖怪の伝説もあり、ひょうすべは「兵主部」と書く。

<予言する妖怪・神社姫>
・佐賀に伝わる妖怪の伝説。江戸時代の文献によると、1819年、肥前国(現在の佐賀県と長崎県)の海岸に不思議な生き物「神社姫」が現れたという。体長は約6メートル、人の顔に長い髪、日本の角を持っており、人魚とも言われている。神社姫は発見者に対して疫病のコレラを予言し、自らの写絵を見れば助かると言ったそうだ。

<長崎県>
<壱岐の鬼伝説>
・壱岐で語り継がれている鬼の伝説がある。昔、壱岐は鬼がたくさん棲んでいて島民たちを困らせていた。そこで、豊後国(ぶんごのくに)(現在の大分県)から百合若大臣(ゆりわかだいじん)という武者が鬼退治に現れた。百合若大臣は鬼たちを斬り倒し、残るは大将の悪毒王(あくどくおう)だけとなった。死闘の末に百合若大臣は悪毒王の首をはねる。

<対馬島左近(つしまのしまさこん)と河童伝説>
・対馬生まれとの説がある、戦国武将の島左近にまつわる河童伝説がある。

<日田の河童伝説>
・日田市には三隈川、大山川、玖珠川、花月川など河川が多く、河童が棲んでいると言われていた。「川太郎」「カワゾー」などの名前で地元に親しまれ、河童にまつわる伝説がたくさん残っている。

<宮崎県>
<海幸彦山幸彦の伝説>
・日南海岸を舞台とする、古代日本の伝説。『古事記』『日本書紀』に載る。
 地上に降り立ったニニギノミコトとコノハナノサクヤヒメとの間には、三人の子どもが生まれた。そのうち、兄の海幸彦は漁師、弟の山幸彦は猟師として暮らしていた。

<鹿児島県>
<戸田観音の河童ガラッパ>
・河童の伝説は全国にある。水の神の零落した姿だと言われており、地方によっていろいろな呼び名があるが、鹿児島県では、河童のことを「ガラッパ」「ガラッパどん(どんは殿という意味)」と呼ぶ。ガラッパは全身を鱗に覆われ、背中には甲羅がなく、中国の妖怪・水虎に似ているらしい。

<ヤマトタケルの熊襲(くまそ)征伐>
・古代日本の伝説。熊襲は、古代の南九州に住んでいた人々を指す。

・こうして西国一強い熊襲兄弟を倒したことから、強者の称号である「タケル」の名をもらったオウスは、以後は「ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭建命)と呼ばれるようになった。

<沖縄県>
<悪戯(いたずら)好きなキジムナー>
・沖縄県を代表する精霊・妖怪で、キジムン、セーヤ、ミチバタともいう。ガジュマルやウスクなどの古い木に宿り、夜になると姿を現す。ボサボサ頭で赤い顔をした子どものような姿とされる。寝ている人を押さえつけたり、木のうろに閉じ込めたりといった悪戯を好むが、親しくなると山仕事や漁を手伝ってくれる。

<神様の住む土地・御嶽(うたき)>
・御嶽は神様がいる聖域のこと。琉球の神話によれば、創世神アマミキヨによって作られた聖域のうち七つの御嶽が、「琉球開闢七御嶽」として語り継がれている。

<神の世界ニライカナイ>
・琉球王国の神話。女性神である創生神アマミキヨと男性神のシネリキヨが、ともに地上に舞い降りてきて、国造りを行ったという。『古事記』でいうイザナギノミコトとイザナミノミコトに当たるこの二神が住んでいたとされる場所が、「ニライカナイ」という海の彼方の理想郷だ。

<古宇利島(こうりじま)の始祖伝説>
・沖縄本島北部にある屋我地島(やがじしま)の北に位置する古宇利島には、沖縄版「アダムとイヴ」のような言い伝えが残されている。

<ぶながやを一晩中待つ行事>
・ぶながやは、ガジュマルなどの老木に棲む妖怪。沖縄県を代表する妖怪・キジムナーと同一視されることもあるが、優しい心の持ち主で人に危害は加えない。

・北部の国頭郡の大宜味村では、旧暦8月頃には丘の上などに小屋を建て、ぶながやを夜通し観察する「アラミ」という行事が、戦後まで続いていた。

<股をくぐるマジムン>
・マジムンは沖縄のお化けの総称で、「魔のもの」という意味。決まった形はなく、人間や動植物、器物など様々なものに化ける。

<柳田國男>
「一つの伝説が日本国じゅう、そこにもここにも散らばっていて、皆自分のところではほんとうにあったことのように思っているというのは、まったく不思議なまたおもしろいことで、何かこれにはかくれた理由があるのですが、それがじつはまだ明らかになっておらぬのです」
 これは、柳田國男が『日本の伝説』の中で述べている言葉です。




『世界現代怪異事典』
朝里樹    笠間書院  2020/6/22



・世界には、怪異や妖怪、妖精、怪物などと呼ばれる、不思議なものたちが跋扈しています。それらは人々の間で語られ、記録され、創作され、その国々の文化や宗教、娯楽などに多大な影響を与えてきました。そしてそれは、21世紀を迎えた現代でも変わりません。本書は、主に20世紀以降の時代を舞台に語られた、現時点では常識から外れていたり、明確にその実在が証明されていない存在や現象を集めた事典です。

<ピー・カープセン>
・タイに伝わる怪異。名前は土地の境の精霊を意味するとされ、大気中に存在し、山沿いや森の端、洞窟、水中、木の上などを自在に行き来するという。

<ピー・カモート>
・タイで語られる怪異。鬼火と訳されるピーで、大きな光の輪として現れる。夜中、水のあるところで揺らめいているとされ、近づくと消えて背後に現れるなどして旅人を惑わすが、それ以上の危害を加えることはないという。

<ピー・クマントーン>
・タイに伝わる怪異。子どもの姿をした精霊で、母親が胎内に子どもを宿したまま亡くなった際、その子どもがなるとされる。この精霊を招くことができると家や仕事を災難から守り、繁栄・繁盛させてくれると考えられている。

<ピー・ゴーンゴーイ>
・タイで語られる怪異。一本足のピーとされ、森林に出現する。どこに行くにも片足で跳んでいくといい、シューシューという声を出す。眠っている人間を見つけると足の親指のところから血を吸うとされる。

<ピー・サオ・トック・ナムマン>
・タイに伝わる怪異。樹液の滴る樹木に宿るとされている精霊で、この精霊がいる木を木材にして建造物を造ると祟られると言われている。

<ピー・ターイホーン>
・タイに伝わる怪異。変死者がピートなったものとされ、普通のピーが人を脅かしたり化かしたりするのがせいぜいなのに対し、人間の首の骨を直接折るほどの力を持つという。

<ピー・トゥアイゲーウ>
・タイに伝わる怪異。降霊術の一種で、辺りを漂う霊を呼び出し、質問に答えてもらう儀式とされる。

・高田胤臣著『亜細亜熱帯怪談』にある。同書でも指摘されているように日本のこっくりさんに類似した占いだが、西洋の降霊術が由来とされるこっくりさんと異なり、ピー・トゥアイゲーウは中国の扶箕(ふき)が元になっているという説があるようだ。

<ピー・ハー>
・タイに伝わる怪異。同国において妖怪や精霊などの総称であるピーの一種で、コレラをもたらすピーであるとされる。

<ピー・バーン・ピー・ルアン>
・タイに伝わる怪異。家の守り神とされる存在で、木に宿っていた精霊が、その木が材木となった後もそのまま宿り続けているとこの精霊に変化するという。

<ピー・バンパブルット>
・タイで語られる怪異。祖霊を意味する名前で、死んだ人間はピーとなり、どこへ行くともなく身内の家をさまよう。これがピー・バンパブルットだという。

<ピー・ブーム・バーン>
・タイに伝わる怪異。村落を守護する存在で、タイの人々は土地の開発や耕作の開始、収穫などの重要行事が行われる際、供え物を奉るための供養塔を建てる。そしてこれに棲むとされるピーやテワダーに加護を祈るが、こういった存在は土地を領知する存在として認識され、ピー・プーム・バーンと称されるのだという。

<ピー・プーム・ムアン>
・タイに伝わる怪異。国の守護神とされる存在で、国家や都市の守護者として祀られる。また、特に首都の守護者として語られる場合は、「プラ・プーム・ムアン・ルアン」と呼ばれるとされる。

<ピー・プラチャムクロープクルア>
・タイに伝えられる怪異。「身内霊」などと呼ばれる存在で、祖先の霊であるピー・バンパブルットたちが子々孫々からなる村を守る霊の一群となったものを指し、タイの北西地方に伝えられているという。

<ピー・プローン>
・タイに伝わる怪異。タイ北西地方で語られるピーで、夜中になるとゆらりゆらりと光を放ちながら現れ、好んで人肉や汚物を食うという。また人に乗り移る能力を持ち、ピー・プローンに唾液を吐きかけられた人間はピー・プローンになってしまうとされる。

<ピー・ペート>
・タイで語られる怪異。いわゆる餓鬼のことで、何種類もいるが、なかでも有名なのは針ほどの小さな口しか持たないピー・ペートであるという。
 このピー・ペートはその小さな口のために血や膿しか食すことができず、痩せている。背は高く、首は2メートルもの長さがあり、細長い舌を口から出して「キーキー、ヒューヒュー」と甲高い鳴き声を上げるという。

・餓鬼は仏教において語られる、六道のうち餓鬼道に落ちた亡者の成れの果てで、『正法念処経』などにおいては何十種類もの餓鬼が記されている。

<ピー・ポープ>
・タイで伝えられる怪異。「肝食らいのピー」と訳される通り、人の肝を食らう妖怪とされる。見た目は人間と変わらないが、人が誰かを呪うと、その人間の体内に入り込み、棲み着く。そこでその人間が食べた物を食らいながら、最終的には肝臓や腎臓などの臓器をことごとく食べてしまう。またピー・ポープに取り憑かれた人間は虚ろな目をして人を真っ直ぐ見なくなるため、すぐに分かる。

<ピー・ポーンカーン>
・タイで語られる怪異。猿の姿をしたピーで、尻尾が短く、常に上唇をめくり上げ、歯を見せているという。普段は動物たちが塩を舐める場所に生えている大木の上に棲んでいるが、眠っている人間を見つけると忍び寄って血を吸うのだとされる。

<ピー・ラン・グルオン>
・タイで語られる怪異。タイ南部で伝えられていたという妖怪で、一見人と変わらない姿をしているが、背中ががらんどうとなっている。そのため臓物がすべて見え、さらに体内には虫がうようよと這っている。
 このように気味が悪い姿をしたピーであるが、人に大きな危害は加えないという。

<プーケットの亡霊>
・タイで目撃される怪異。タイ南部にあるビーチリゾート、プーケットにおいて目撃される亡霊で、津波の犠牲者たちであるとされる。2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震による大津波がプーケットに押し寄せ、5000人以上が犠牲となった。それ以来、死んだことに気付かずビーチで遊ぶ観光客の白人たちの声が聞こえる、亡くなった友人が目の前に現れた、といった怪談が囁かれるようになったという。
 高田胤臣著『亜細亜熱帯怪談』にある。日本でも東日本大震災の後、津波の被災地で度々亡霊が目撃されるというということがあった。多数の死者が発生した現場では、地域にかかわらず怪談が語られるのだろう。

<ブラックレディー>
・フィリピンで語られる怪異。その名の通り黒い女性の姿をした怪異で、セブ島でよく目撃されるという。基本的に悪霊、もしくは魔女だと考えられているという。

<プレート>
・タイで語られる怪異。プレートとはすなわち餓鬼のことで、背が異様に高く、あばら骨が浮き出るほどの痩身で、首は長く、肌はどす黒い。口は針のように細く、食べ物を食べることも言葉を発することもできない。

<ペッブリー通りガス爆発事故の幽霊>
・タイで目撃される怪異。1990年にバンコクのペッブリー通りで発生した交通事故に起因する怪異譚で、この事故で犠牲になった人々の霊が、道行く人々を下から引っ張るのだという。

<ホテル〇の亡霊>
・タイで語られる怪異。バンコクの歓楽街、ナナにあるという「ホテル〇」は心霊スポットとしても有名で、何度も幽霊が目撃されている。

<ホワイトレディー>
・フィリピンで語られる怪異。同国全土に出現する幽霊で、白いドレスを着た髪の長い女だという。それ以外の姿は地域によって異なり、顔のパーツがないのっぺらぼうのようだったり、鋭い眼光で睨みつけてきたりする。その正体に関しても様々な説があり、殺された女の幽霊である、交通事故の犠牲者である、などとされる。

<マナナンガル>
・フィリピンのシキホル島に伝わる魔女。昼間は女性の姿をしているが、夜になると正体を現し、上半身を下半身から切り離して蝙蝠のような翼を生やし、飛び回るという。人間の赤子の血を好み、長い舌でその血を吸ってしまうと言われている。

<真夜中の軍歌>
・台湾で語られる怪異。ある小学校では、夜の12時になるとすべての明かりを消すがそうすると四方から日本の軍歌が流れ、深夜2時になると聞こえなくなる。そのためこの時間学校に近づく者はいないという。

<ミゲー>
・ブータンで語られる怪異。いわゆる雪男で、体の大きさは人間の倍以上あり、全身が毛で覆われているという。またその体からはひどい悪臭がするとされる。
 ブータンには怪我をして尼僧に助けられたミゲーの話や、山でミゲーと遭遇した男が、ミゲーがタバコを吸う様子を真似し始めたため、火縄銃を吸わせて弾を発射し、退治した話などが残る。また現在でもひどい吹雪の日には、ミゲーが里に下りてくると信じられているという。

<ミルゴラ>
・ブータンで語られる怪異。ヒマラヤの深い森に棲む人間によく似た生き物だが、手は長く、体は毛に覆われているとされる。昼に森で人々が作業をすると夜になってから出現し、昼間人間が行っていたことをそっくり真似するという。

<ムノチュウ>
・インドに現れる怪物、亀もしくはフットボールに似ていると形容される謎の物体で、人間に遭遇すると襲い掛かり、口元に爪を立てて肉を引きちぎるという。
 並木伸一郎著『未確認動物UMA』によれば、2002年6月から7月にかけて目撃されたという。また、目撃者の証言では全身から光を放っていたとされ、生物ではなく機械だと語った被害者もいたようだ。

<メー・ジェラマニー>
・タイで語られる怪異。同国の首都、バンコクにあるモルタルの柱に宿る女性の精霊で、樹液や油の滴る樹木や柱に宿る精霊、ピー・サオ・トック・ナムマンの一種と考えられている。

<メーナーク>
・タイで語られる怪異。同国では誰もが知る怪談『メーナーク・プラカノン』に登場する悪霊で、1870年前後に実際にあった事件に登場する存在として信じられている。

・高田胤臣著『亜細亜熱帯怪談』にある。同書によれば、この物語は映画にもなっており、タイで大ヒットを記録したという。

<モンキーマン>
・インドの首都、ニューデリーに出現得したという怪異。上半身が黒い体毛の猿、下半身が人間と言うような姿をした怪物で、体から赤や青の光を放つという。体長は1メートル40〜60センチほどと人間に近く、鋭い爪で人を襲うとされる。
 2001年4月、モンキーマンは夜のニューデリーに現れ、連日現地のメディアを騒がせたという。また、地元では猿型のロボットが正体である、という噂も語られていたようだ。しかし次第に目撃者は減少し、いつの間にか事件は沈静化したという。

<モンキーメン>
・ビルマ(現ミャンマー)に現れたという怪物。メコン河付近の密林に出現したとされ、身の丈3メートル以上、カーキ色の体毛を生やしており、赤ん坊の泣き声のような声を上げるという。

<野人>
・中国で語られる怪異。中国語で「イエレン」と発音する。人間に近い体格で二足歩行をする猿のような動物で、湖北省神農架地区で目撃されたものが有名。この地区では野人の目撃が多発しているほか、よく足跡が発見されるという。また1950年代には、野人に攫われた女性が村に帰ってきて、野人の子どもを産んだ、とされる事件が起きている。この子どもは「猴娃(こうあ)」と呼ばれ、出生時から全身に体毛が生えていたという。また成長するにつれ頭部が小さく、三本の隆起がある、腰を曲げた独特の姿勢で歩く、といった特徴が見られるようになった。猴娃
は1998年に病死したが、生前その姿が映像に記録されている。

・1940年頃には既に目撃情報があるという。また、猿人のような姿をした妖怪は中国に古くから伝わっており、実吉達郎著、『中国妖怪人物事典』によれば、紀元前4世紀から紀元前3世紀頃に書かれた『山海経』には、人のように歩く猿のような妖怪「猩猩(しょうじょう)」について記されているという。また16世紀には女性を攫う猿の怪として「玃猿(かくえん)」という妖怪が『本草綱目』に記されている。この猿が女性を攫うのは子を産ませるためで、子を産むと元の家に帰すものだと考えられており、先に書いた猴娃の事例と似ており、『中国妖怪人物事典』でも野人や野女の話が玃や「しゅう(人間の男を攫って子を産む猿の妖怪)」と類似していることが指摘されている。

<スタウルの巨人>
・オーストラリアに伝わる怪異。体長2メートル50センチほどの巨大な恐ろしい人間の姿をしており、鉱山の町スタウルに出現する。主に民家の庭や台所に出現し、1970年代だけでも10もの家族がこれを恐れて土地から逃げ出したという。

<アフリマン>
・主にヨーロッパで語られる怪異。悪魔の一種で、元はゾロアスター教におけるアンラ・マンユ(アーリマン)のことであるが、19世紀から20世紀にかけての哲学者、人智学者であるルドルフ・シュタイナーによってルシファーと対立するデーモンとして語られた。嘘の王、闇の支配者、亡霊じみた地上の君主などと形容され、人間に霊的なものではなく、物質世界とそれに基づく肉体的欲望のみがもっとも重要であるという嘘を信じ込ませることが目的とされる。またシュタイナーは、このアフリマンはメフィストフェレスと同様の存在であるとも語っている。

<ウァーリング・ウィンパス>
・アメリカで語られた怪物。テネシー州のカンバーランド高原に棲み着いているとされ、その姿はゴリラに似ているが、体長は2メートル以上あるという。

・同書に登場する他の怪物たちと同じく、アメリカの開拓期に開拓に関わった人々が焚火を囲んで語ったというトール・テール(ほら話)に出てくる怪物のひとつと思われる。

<エイプマン>
・アメリカに現れたという怪物。カリフォルニア州のボレゴ・スプリングでハロルド・ランカスターという人物が埋宝を探すための試掘をしている際、彼に近づいてきたが、ピストルを空に向かって撃って威嚇したところ、逃げて行ったという。
 ジョン・A・キール著『不思議現象ファイル』によれば、1968年7月に目撃されたという。具体的な姿の描写はないが、名前から考えて猿、もしくは類人猿のような姿をしていたものと思われる。

<エディンボロ・モンスター>
・アメリカに現れたという怪物。ペンシルベニア州エディンボロ湖岸に現れたという、人とも獣ともつかないと形容される生き物で、2メートル70センチ以上の大きさであったという。

<ゴリラ沼>
・アメリカのミシガン州にあるという沼。その名前の由来は、巨大なゴリラが二足歩行で沼の周辺をうろついているのを目撃されたからだという。

<ジャギー>
・アメリカに現れた怪異。ウィスコンシン州の南部ウォルワース郡にあるプレイ街道という道に現れた獣人で、犬とも狼ともつかない顔をした、体長2メートルほどの毛むくじゃらの二足歩行をする怪物だという。全身は毛に覆われ、口は耳まで裂けて牙が覗き、目は赤く光っているという。

<シャドーピープル>
・アメリカをはじめとして世界各地に現れる怪異、その名の通り人の形をした影のような怪人で、出現の前兆としてポルターガイスト現象が起きたり、爆発音がしたりするなどとされる。

<セイラムの怨霊>
・アメリカで語られる怪異。マサチューセッツ州のセイラムでは、1692年3月に始まった一連の魔女裁判により200人近い人々が魔女として告発され、19人が処刑、他にも数人が獄死するなど、魔女裁判のために死亡している。
 そのため、セイラムは心霊スポットとして有名になっており、最初の犠牲者であるブリジェット・ビショップをはじめとした怨霊がそこかしこに出現するという。

<チュパカブラ>
・アメリカ、メキシコ、グアテマラ、ブラジルなど、南北アメリカ大陸で目撃される怪物。1995年前後にプエルトリコに出現したのが最初の報告とされ、以降何度も出現している。
 その姿は体長約90センチ、頭部は卵形で、細長い手足と鋭い鉤爪を持つ。

・名前は「ヤギの血を吸うもの」を意味するスペイン語で、その名の通りヤギなどの家畜を襲い、牙や舌を突き刺して血を吸い尽くすとされる。
 異様に速いスピードで走ることができ、跳躍力もある。また翼を持ち、空を飛ぶチュパカブラの目撃例もある。
 その正体は遺伝子操作によって生まれたミュータント、宇宙人が連れてきた宇宙生物といったものがあるが、いまだ詳細は謎のままである。

<ドーバーデーモン>
・アメリカに出現した怪物。マサチューセッツ州のドーバーに出現したことからこの名前で呼ばれる。体長は1.2メートルほど、胴体と同じぐらい大きい頭部は瓜のような形をしており、オレンジや緑に光る眼、細い首と手足、ピンクかベージュ色の肌を持つ。鼻、口、耳はなく、体毛も生えていない。1977年4月21日に初めて目撃され、それがマスコミによって紹介されたことで全米に知られることとなったという。
 その正体は不明で、異次元からやってきた生物、宇宙生物などの説がある。

<ビッグフット>
・アメリカ及びカナダで目撃される怪物。巨大な足跡が残されていたことからこの名前が付けられた。またインディアンの間に伝わる「サスカッチ」の名で呼ばれることもある。
 体長は2メートル以上あるとされ、褐色もしくは灰色の毛に覆われた類人猿のような姿をしているという。1810年には既に目撃例が存在しており、その後も何度も目撃され、映像や写真に記録されているが、捕獲には至っていない。

<ヒツジ男>
・アメリカで目撃される怪人。カリフォルニア州ベンチュラのアリソン渓谷でよく目撃される。その名の通り灰色の体毛に覆われ、体長2メートルのがっしりとした体格をしており、角のある羊のような頭部を持つ。目は猫に酷似しており、1925年頃から出現している記録が残る。

<ブーガー>
・アメリカに出現したという怪物。アラバマ州クラントンの付近で目撃され、その姿は毛むくじゃらで背の高い類人猿のようであったという。象に似た声で鳴き、畑の作物を奪うなどしたとされる。

<ホロポーの類人猿>
・アメリカに現れたという怪物。フロリダ州のホロポー郊外にある牧場の主が目撃したという類人猿のような生き物で、身の丈1メートル50センチ以上、全身に毛が生えており、恰幅の良い体をしていたという。

・この類人猿のような怪物は1963年に現れ、さらに66年から68年にかけても同様の怪物が出現したという。

<モスマン>
・アメリカで語られる怪異。ウェストバージニア州ポイント・プレザント一帯に出現した謎の飛行生物で、巨大な鳥、もしくはその名の通り巨大な蛾を思わせる姿をしている。
 目は丸く、赤く光り、体色は灰色で、巨大な翼を持つ。体長は2メートル前後あり、翼を羽ばたかせることなくその巨体を垂直に上昇させ、自由に飛び回る。またモスマンが出現した時期に、この一帯では2メートル以上ある巨大なダチョウなど、怪鳥の目撃が多発した。また同時期には、空飛ぶ円盤が幾度も目撃されたという。

<モンスター・マン>
・アメリカに現れたという怪物。オハイオ州クリ−ヴランドにあるリヴァーサイド墓地近くのトンネルに棲み着いていたと考えられており、巨大な毛むくじゃらの人間のような姿であったという。

<藪のけだもの>
・アメリカに出現したという怪物。毛髪は緑色で、体は苔と泥に覆われた身の丈2メートル以上の人型の生物であったという。
 ジョン・A・キール著『不思議現象ファイル』によれば、1966年7月、少女によって目撃され、報告されたという。

<ヤンクトンの怪物>
・アメリカに現れたという怪物。オレゴン州ヤンクトンでは、毛むくじゃらの人型生物が多数目撃されており、走行中のトラックと並行して走ったり、タクシーを覗き見たりしたのだという。

・この怪物たちは1926年に目撃されており、この年には付近一帯の子どもたちの不可解な行方不明事件も発生したという。

<ラヴァーズ・レーンの猿>
・アメリカに現れたという怪物。フロリダ州エルファーズ近くのラヴァーズレーンにて、4人の若者たちが車を止めていると、チンパンジーのような姿をした何かが車に飛び乗ってきた。その体色は緑がかっており、瞳もまた緑色に光っていたという。
ジョン・A・キール著『不思議現象ファイル』によれば、この猿のような怪物は1966年に現れたという。

<リンカーン大統領の幽霊>
・アメリカで語られる怪異。アメリカ合衆国第17代大統領エイブラハム・リンカーンは、幽霊の目撃談が多いことでも知られている。1865年の暗殺で命を奪われて以来、リンカーンはワシントンのホワイトハウスの様々な場所に現れる。

・特に有事の際には執務室に頻繁に出現したとされ、第2次世界大戦中にはよく見られたという。

<ルシファー>
・主にヨーロッパで語られる怪異、ルシファーはキリスト教における堕天使の筆頭であり、悪魔サタンと同一視されることもある。現代でも悪魔憑きが起きた際、取り憑いた悪魔のひとつとして名前が語られることがある。
 また19世紀から20世紀にかけての哲学者、人智学者であるルドルフ・シュタイナーはこのルシファーを光の存在であり、キリストに向かって人間を照らす霊として定義し、ゾロアスター教における悪神、アフリマンの宿敵と位置づけた。また彼によれば、ルシファーはゾロアスター教における善神、アフラ=マズダと同一のものであるとも記している。しかしシュタイナーの語るルシファーは一方的な善の存在ではないとしている。

<ローゼンバーグの巨人>
・アメリカに現れたという怪物。オレゴン州ローゼンバーグにて、二人の少年に目撃されたという巨人で、全身毛むくじゃらの4メートル以上の人型の怪物だったという。この巨人は直立して二足歩行で移動し、猫のような鳴き声を上げたとされる。

<ワイルドマン・オブ・ウッズ>
・アメリカに現れたという怪物。テネシー州で捕獲されたというこの生き物は、身長2メートル弱、目が普通の人間の倍ほどの大きさで、体表は魚の鱗のようなもので覆われていたという。
 ジョン・A・キール著『不思議現象ファイル』によれば、この怪人は1878年に捕獲された後、ケンタッキー州ルイヴィルで展示されていたとされる。

<クレム=アカローレ>
・アマゾンの密林地帯に現れたという巨人。平均身長が2メートルを超える人間に近い種族で、凶暴であるという。
ジョン・A・キール著『不思議現象ファイル』によると、ブラジル空軍兵学校の一団によって、この巨人族についての情報が報告されたという。クレム=アカローレが実在するのかは現時点では不明である。

<黄色い人>
・フランスに現れた怪異。顔が黄色く、喉の部分に赤印がある人間の姿をした存在で、初めて現れたのは1870年、普仏戦争の直前であったという。それ以来、黄色い人はフランスが大きな戦いに参じる直前に現れるようになり、最後に現れたのは第1次世界大戦が勃発する数日前であったという噂もあるようだ。

<守護霊>
・世界中で語られる怪異。心霊主義や心霊科学において先天的に人の守護に当たっている他界の住人とされる。またその多くはその人間の遠い先祖であるという。
 人間に対する守護霊の影響は大きく、人格の6割から7割は守護霊の感化に基づく。守護霊は一生の中で代わることはほぼないが、その仕事をサポートする補助霊が複数つくことがあるという。
 また心霊主義や心霊科学に基づくものではなく、古くから人々の間に信じられてきた守護霊的な存在も多い。例えば一部のキリスト教においては人には生まれたときから守護天使がついていると考えられている。精霊や神が人間を守護すると考える文化も多い。

<チャネリング>
・世界中で語られる怪異。心霊主義において、守護霊、神、死者の霊などの霊的存在と、自動書記や自動会話を通して交信することを意味する。これがはやり始めたのは比較的最近で、作家ジェーン・ロバーツがチャネリングにより、セスという霊を通して書いたものをまとめた『セスは語る』がベストセラーになった1970年代以降であるという。



『歴史人物怪異談事典』
朝里樹   幻冬舎 2019/10/30



<怪異談>
・日本では、古代から現代に至るまで、妖怪や幽霊、超能力といった怪異にまつわる物語が数多く紡がれてきました。
 古代では、怪異は人々の身近にあり、その存在は当たり前のものとして記録されていました。

・私たち日本人の歴史と怪異談は、切っても切れないものなのです。こうした怪異談の中には、不思議な存在や現象に遭遇した人々の姿も同時に描かれています。彼らは貴族であったり、武将であったり、町人であったり、宗教者であったり、年齢も性別も立場もさまざまです。

<吉備津彦命 きびつひこのみこと 不明(紀元前3〜1世紀頃)>
・弥生時代の皇族。孝霊天皇の皇子で、記紀神話に登場する他、岡山県に鬼を退治した伝説が残っており、桃太郎のモデルになったという説がある。

◉桃太郎伝説のモデル
・垂仁天皇の時代、百済の王子である温羅という人物が、一族を引き連れて日向国(現宮崎県)に現れ、やがて吉備国賀陽郡(現岡山県)の岩山に城を築き、鬼を集めて立てこもった。温羅一族は都に運ばれる貢ぎ物を略奪し、美しい娘をさらっては淫楽に耽った。

・諸臣を集めた軍議で、温羅の城を囲んで敵を外に出さない兵糧攻めを行うことが決まった。吉備津彦命は臣下たちと共に、百日もの間昼夜を分かたず鬼の城を監視した。しかし食料が不足しているだろうにも関わらず、温羅は弱った様子を見せない。悩んでいると、吉備津彦命の前に一人の不思議な人物が現れ、「東に見える小さな丘に陣を置けば、城から吉備津彦命の御座所がよく見えるので、必ず城から温羅が姿を現す。そのようにして戦えば、必ず吉備津彦命が勝利する。私は吉備の中山の主である」と告げて、煙のように消えてしまった。

・温羅は天の神や地の神に祈願して大雨を降らせ、洪水を引き起こしてその水に潜り、鯉に変化して泳いで逃げた。吉備津彦命は泳ぎが得意な臣下の一人、楽々森彦命にこれを捕らえさせた。
 楽々森彦命は温羅を縛り上げ、吉備津彦命の前に差し出した。人の姿に戻った温羅の背には、びっしりと鱗が生えており、ひどく恐ろしい姿であったという。
 温羅は吉備津彦命に「自分が日本に渡ったのは天皇の位を奪うためであったが、吉備津彦命の猛々しさ、勇ましさに敬服した。このような者が多くいる朝廷にはとても敵対できない。吉備津彦命の家臣にしていただけるなら、誠実に奉公し続ける」と言った。
 その後吉備国には平和が戻り、やがて温羅は180歳で死去した。その遺体は吉備の中山頂上の東の谷に葬られた。ある日、温羅の棺から水があふれ始め、温羅は竜となって中山の上空へ飛んでいった。このことから、吉備の中山は竜飛山、昇竜山と呼ばれるようになった。

<甲賀三郎  こうがさぶろう  不明(紀元前6世紀頃)>
・弥生時代の官人。安寧天皇から六代目の孫とされ、懿徳天皇の時代に大和国の国司を務めたとされる。後に諏訪明神となり、諏訪大社に祀られた。甲賀忍者の祖ともいわれるが、それらの説では平将門の乱で功績を挙げたなどと伝えられており、時代が異なる。いずれにせよ伝説上の人物である可能性が高い。

◉妻を探して異世界大冒険
・大和国の国司に任じられた三郎は、春日姫という女性と婚姻を結び、近江国甲賀の館に姫を連れ帰った。しかしある日、春日姫が天狗にさらわれてしまう。三郎は二人の兄と共に春日姫を探し回ったが、なかなか見つからない。やがて信濃国笹岡郡の蓼科山だけ探していないことが分かり、探索すると、山の中に大きな穴があり、春日姫が着ていた着物の袖と髪が残っていた。
 三郎は兄に見張りを頼み、縄を付けた蓑籠に乗って穴の中を下りていった。すると春日姫が千手経を読む声が聞こえ、無事に再会して彼女を連れ出すことができた。ところが二人の兄たちは優秀な三郎を妬んでいため、彼が上がってくる前に縄を切ってしまう。春日姫ともはぐれ、三郎は穴に取り残されてしまった。
 仕方なく奥へ進むと、巨大な国が現れた。好賞国というその国の景色は、地下にありながら日本国と瓜二つだった。それから草微国、草底国、雪降国といったさまざまな地下の国を72カ国巡り、最後に維縵国(ゆいまんこく)という国にたどり着いた。三郎はそこで家族を作り、何年もの時を過ごしたが、不意に春日姫のことを思い出して地上に帰りたくなった。
 それから維縵国の家族に別れを告げ、途中で鬼に遭遇するなどしながらも、無事に穴を通って信濃国の浅間山に出た。
 甲賀郡に戻った三郎が父のために建てた笹岡の釈迦堂で念誦していると、子どもたちが「ああ恐ろしい、大きな蛇がいる」と言って逃げていった。その時初めて三郎は自分が蛇の身となっていたことを知った。

・日がくれると、十数人の僧たちがやって来て法華経を読誦し、甲賀三郎の物語を語り始めた。それによれば、蛇の姿に見えるのは維縵国の衣装を着ているためで、石菖を植えている池の水に入り、四方を向いて呪文を唱えれば脱ぐことができるという。それを聞いた三郎は話の通りにして維縵国の衣装を脱ぎ、僧たちから日本国の武器や装束を渡された。彼らの素性を問うと、僧たちはそれぞれ白山権現、富士浅間大菩薩、熊野権現などの神々であった。
 それから三郎は春日姫と無事再会し、二人は天早船で中国の南にある平城国へ渡り、早那起梨(さなきり)の天子から神道の法を授かって神通力を会得する。
 その後日本に戻った三郎は信濃国岡屋の里に諏訪大明神の上宮として、春日姫は下宮として顕現した。また維縵国での妻であった維縵姫も日本にやって来て、浅間大明神として顕現したという。

<神功皇后 じんぐうこうごう>
・弥生時代の皇后。第14代天皇である仲哀天皇の后であったが、仲哀天皇が熊襲討伐の途中で亡くなると、妊娠中にも関わらず新羅に遠征して征服する。さらに百済と高句麗までも征服し、三韓征伐を果たした。それから帰国して皇太子(後の応神天皇)を産み、夫の後を継いで約70年間にわたり政治を行ったとされる。

◉妖怪も打ち負かす武の女帝
・『日本書紀』には、神功皇后が羽白熊鷲という怪物を討った話が載る。
 仲哀天皇の時代、筑紫国に朝廷に従わない部族がおり、その長を羽白熊鷲といった。羽白熊鷲はたいへん強健な体と翼を持ち、空高く飛ぶことができた。神功皇后は兵を差し向けてこの怪物を討ち取ったという。

<豊姫 とよひめ>
・弥生時代の皇族。淀姫とも呼ばれる。神功皇后の妹とされ、現在の九州地方に彼女を祀る神社が多く存在する。

◉姉のために竜宮城へ
・神功皇后が三韓征伐を行う前のこと。豊姫は姉の出陣を助けるため、海底の竜宮城に住む海の王・娑伽羅竜王に早珠と満珠という潮の満ち引きを操る珠を借りにいったという。

<日本武尊   やまとたけるのみこと 不明(1〜2世紀頃)>
・弥生時代の皇族。景行天皇の皇子で、『古事記』では倭建命、『日本書紀』では日本武尊と表記される。武勇に優れ、九州の熊襲や東国の蝦夷の討伐に遣わされて功績を上げる。しかし最期は伊吹山の神の祟りによって命を落としたとされる。

◉元祖・妖怪退治の英雄
 記紀神話には日本武尊の英雄譚が数多く載り、そこには多くの悪神や妖怪も登場する。
『古事記』によれば、彼の死因となった伊吹山の神は牛のように巨大な体をした白猪であったという。日本武尊はこれを神の使いと判断し、「今殺さずとも、山の神を殺した帰りに殺せばよい」と言って見逃す。しかしこの白猪こそが伊吹山の神であったため、この発言に激怒した神によって氷雨を降らされ、それが原因で病に倒れてついには亡くなったとされる。そして墓に埋められた後、八尋白智鳥という鳥となって飛び去ったという。ここでは伊吹山の神は大蛇の姿をしているとされる。

<役小角 えんのおづぬ  不明(7〜8世紀頃)>
・飛鳥時代の呪術者。役行者、役優婆塞とも呼ばれる。修験道の開祖であり、多くの寺社を建立した人物として伝えられる。元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ後、金剛山、葛城山で修行を行い、修験道の基礎を築く。人を妖言で惑わしたとして伊豆に流罪となるが、空を飛んで戻り、修行を続けたなどの伝説がある。

◉夫婦の鬼を従えた伝説の呪術者
・役小角にまつわる伝説には、多くの妖怪たちが登場する。
 中でも有名なのが「前鬼・後鬼」とよばれる鬼である。この鬼が役小角の伝説に登場するようになったのは比較的最近であり、室町時代末期に書かれた伝記『役行者本記』が初出と思われる。それによれば、白鳳元年、役小角が生駒岳に登って修行をしていたある日のこと、夫婦の鬼が彼の前に現れた。鬼たちは「我々は天手力男神の末裔であり、先祖の使いとして役小角に仕えたい」と申し出た。役小角はこれを了承し、夫の鬼に善童鬼、妻の鬼に妙童鬼という名を与えた。

◉醜い神に恨まれる
・役小角の伝説に登場する怪異としては、一言主神も有名である。一言主神は古くは『古事記』にその名が登場し、役小角に関係する物語は『日本霊異記』にすでに見られる。
 一言主はひどく醜い姿をした神であり、役小角から葛城山と金峰山の間に橋を作るよう命じられたことに憤り、文武天皇に「役小角が陰謀を企て、天皇を滅ぼそうとしている」と告げ口して役小角が流罪となるきっかけを作った鬼神とされている。

◉妖怪たちを救った修験者
・『白雲寺縁起』では、大宝年間(701〜704年)、役小角が愛宕山に登った際、山中にそびえていた大きな杉の木の上に、天竺(インド)の大夫日良、中国の善界、日本の太郎坊の三人の天狗が、それぞれ眷属を率いて出現した。その姿はいずれも鬼面に長い鼻と鋭い角を持ち、背中に羽が生えていたという。天狗たちは役小角に「我々は二千年前の霊山会(釈迦が霊山で行った説法の集まり)で仏の付属を得て大魔王となってこの山を領し、群生を利益することとした」と告げて消えてしまったという。

<日対 にったい  不明(7〜8世紀頃)>
・飛鳥時代の僧侶。奈良県宇陀市に現存する宝生竜穴神社の開祖として伝わるが、詳細不明。

◉竜神に出会った僧侶
・昔、宝生の竜穴という場所には、善達竜王という竜神が住んでいるといわれていた。日対はその竜王に一目会いたいと思い、その穴に入っていった。穴の中には三、四町(3〜4万平方メートル弱)ほどの広さがあり、暗い空間の中に一カ所だけ、晴天がのぞく場所があった。そこには宮殿が立っており、宝生で作られた簾がかけてあって、光り輝いていた。

・日対が言われた通り約束の場所に向かうと、衣冠を纏った竜神が、腰から上だけの姿で地中から出ていた。その姿はすぐに消えてしまったが、日対はこの姿を元に竜王の像を造形し、社を建てて奉納した。これが現在の宝生竜穴神社なのだという。

<士師連八島 はじのむらじやしま 不明(6〜7世紀頃)>
・飛鳥時代の地方豪族。聖徳太子に仕えた人物で、歌の名人であった。また、道明寺天満宮の創始者としてもその名が伝わっている。

◉火星に歌を気に入られる
・『聖徳太子伝暦』によれば、敏達天皇九年夏六月、八島が夜に歌を歌っていると、どこからか人が現れて共に歌い始めた。その声は大変に美しく、不思議に思った八島がこの人物の後を追うと、彼は住吉の浜に至り、海の中に入って消えてしまった。
 そのことを聖徳太子に報告したところ、聖徳太子は「それは熒惑星である」と答えた。天には五行を司る五つの星があり、五色に彩られている。
熒惑星は南にある赤い火の星で、この星が八島の歌を愛でたため、人の姿になって天から降りてきたのだろう、と聖徳太子は八島に教えたという。
 熒惑星は今でいう火星のことであり、五行思想(古代中国で生まれた万物は木火土金水の五つからなるという思想)で火と結び付けられている。また聖徳太子の伝記を絵画とした聖徳太子絵伝の中にはこの熒惑星の精を描いたものもあり、その場合は天人もしくは鬼の姿で描かれているものが多い。

<藤原千方  ふじわらのちかた  不明(7世紀頃)>
・飛鳥時代の豪族。三重県の伝承などに登場する。伊勢国と伊賀国に強大な勢力を持っていたが、紀朝雄によって滅ぼされたと伝えられる。

◉四人の鬼を操る暴君
・『太平記』によれば、天智天皇の時代、千万は隠形鬼、金鬼、風鬼、水鬼という四人の鬼を従え、彼らを自在に使って猛威を振るったという。隠形鬼は姿を見えなくする力を、金鬼は武器を通さぬ頑強な体を、風鬼は大風を起こす能力を、水鬼は水を操り洪水を引き起こす力を持っており、彼らは忍者の始まりであったといわれる。

<法道  ほうどう  不明(6〜7世紀頃)>
・古墳時代から飛鳥時代にかけての仙人。元はインドの仙人で、朝鮮半島を経由して日本に渡る。播磨国(現兵庫県南西部)には、多くの寺院でこの法道が開祖であるという縁起が残されている。鉄の宝鉢を持ち、それを自由自在に飛ばして人々に供物を求めたことから、空鉢(くはつ)仙人などとも呼ばれた。

◉地蔵を授けた大蛇
 兵庫県神戸市に現存する石峯寺(しゃくぶじ)には縁起として以下のような伝説が伝わっている。
 法道がこの地を訪れた際、大蛇が出現して閻浮提金(仏教の経典に記される想像上の金属)でできた地蔵尊像を渡した。この像は沙伽羅竜王の娘、乙姫も持仏であった。そこで法道は孝徳天皇に、地蔵はこの世で悪趣に堕ちた人々を救う慈悲深い仏であることを説明し、この地に勅願寺を建設した。それが石峯寺であるという。またこの寺には弁財天が霊牛に乗って出現し、法道を助ける旨を告げたという伝説も残っており、その霊牛の蹄跡がついた石が残されている。仏像を渡した大蛇もまた、本堂の側にある「蛇が淵」と呼ばれる淵に今も留まっていると伝えられている。

<八百比丘尼  やおびくに  不明(7〜15世紀)> 
・飛鳥時代から室町時代にかけての尼僧。白比丘尼とも呼ばれる。人魚の肉を食べたことで不老のまま八百歳まで生きた伝説が残る女性で、福井県小浜市に現存する空印寺を中心に、諸国を巡歴した話が各地に残る。

<藤原不比等 ふじわらのふひと   659〜720年>
・飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿。藤原鎌足の子。養老律令の編纂を主導し、平城京への遷都を主唱するなど政治で活躍した。また平城遷都が実現した際、廐坂寺を平城京に移し、興福寺とした。娘の宮子を文武天皇に、光明子を聖武天皇に嫁がせ、藤原氏繁栄の基礎を築いた人物でもある。

◉海神から宝を取り返した妻
・『志度寺縁起絵図』には、藤原不比等の悲恋の物語が載る。
 父・鎌足の供養のために釈迦堂を建設した時のこと。不比等は唐の高宗皇帝から花原岩、泗浜石(しひんせき)、面向不背の玉という三つの宝を授かることになった。しかし日本に送られる途中、宝を乗せた唐の船が志度の海で暴風に遭う。唐の使者は面向不背の玉を海中に投げ込み、海神を鎮めることで難を逃れた。
 不比等はその玉を探すため、身分を偽って志度を訪れた。しかし宝玉はなかなか見つからず、そのうち一人の海女と親しくなり、契りを結んで男児をもうけた。
 ある時、志度の海を眺めている不比等に妻が理由を問うと、不比等は自身の身分を明かして理由を話した。すると妻は「自分が宝玉を取り戻したら、我が子を世継ぎにしてくれますか」と問い、不比等は頷いた。
 妻は、それならば我が子のため、命を捨てても惜しくないと観世音に祈り、腰に縄を結んで海へと飛び込んだ。そして海中で宝玉を見つけるが、海神である竜神(大蛸とされることも)に見つかってしまう。妻は自分の乳房を短刀で抉り、そこに宝玉を隠して海上へ戻った。無事に宝玉は不比等の手に渡ったものの、妻はその傷がもとでこの世を去った。
 不比等は志度の海辺の近くに堂を建て、彼女を祀った。そして約束通り息子を連れて都に戻り、宝玉を興福寺に納めた。この不比等と海女の妻の息子が藤原房前であるとされ、藤原北家の祖となったという。
 この物語は後に能の作品『海人』の元になり、現在ではこちらの方がよく知られている。また志度寺には、この海女の墓が現存している。

<悪路王  あくろおう   不明(8〜9世紀頃)>
・平安時代の蝦夷の族長。陸奥国達谷窟を拠点として活動していたが、坂上田村麻呂によって討伐されたと伝えられる。しばしば阿弖流為や、悪事の高丸と同一視される。

◉蝦夷を率いた鬼
・元は人間であったと思われる悪路王だが、阿弖流為や高丸と同様、鬼とみなされるようになった。『田村の草子』、『鈴鹿の草子』などの田村麻呂の伝説を題材とした御伽草子には、悪路王は都の女たちをさらう鬼の首領として登場する。また対決するのは田村麻呂ではなく藤原利仁で、彼によって首をはねられて殺される。
 
<大江匡房  おおえのまさふさ  1041〜1111年>
・平安時代の公卿。学者としても有能で、有職故実に精通しており、後三条天皇、白河天皇・堀河天皇の侍読を務めた。平安時代の説話集『江談抄』は匡房の談話を藤原実兼が筆記したものである。

◉正体は火星の精?
・匡房自身が語ることには、「世間の人々は、匡房は熒惑(けいこく)の精ではないか、そうであれば、地獄の閻魔庁にこの世のことを知らせるために来ているのではないかとうわさしている。これを聞いて以来、我ながら自分が特別な人間なのではないかと思う。唐が宋であった時代には、熒惑の精は燕・趙の山に白髪の翁の姿で降り立ったという話が残っている。また李淳風(唐の天文学者)も熒惑の精だったと言われている。このようなことは、ままあることなのだ」とのことだった。
 熒惑は熒惑星のことを指し、現代でいう火星を意味する。火星が人の姿になって地上に降り立つ話は中国や日本でいくつか語られており、中国の『捜神記』には、子どもの姿をした熒惑の精が春秋戦国時代を予言したという説話が載る。日本でも土師連八島(飛鳥時代)や藤原致忠が熒惑の精と遭遇している。

<小野篁  おののたかむら>
・平安時代の公卿。『内裏式』などの編纂に関わった小野岑守の子。若年の頃は弓馬に熱中し、学問に手を付けなかったため、嵯峨天皇に嘆かれた。その後は悔い改めて学問を志し、文章生となる。遣唐副使に任命されるも、これを拒否して乗船せず隠岐に流される。その後許されて参議し、従三位、左大弁などを歴任した。

◉昼は公卿、夜は閻魔の補佐官
・篁といえば、地獄と現世を行き来した話が有名である。『江談抄』には、急死した藤原高藤があの世へ行くと、閻魔庁の第二冥官として篁が座っており、高藤を蘇生させたという話が載る。
『今昔物語集』には藤原良相が重病で生死の境をさまよった際、閻魔王宮の使いにさらわれてあの世へ行き、そこにいた篁が閻魔大王に「この方は実直で、人のために働ける人です。この度の罪を私に免じて許していただけませんか」と進言したのを見たという話が載る。これにより、良相は無事快癒したという。
 京都市の六道珍皇寺には、寺の裏側にある井戸から夜な夜な篁が冥府に足を運んでいたという伝説が残る。

<貞崇 ていすう   866〜944>
・平安時代の僧侶。真言宗の僧で、醍醐天皇の護持僧(天皇の身体護持のために祈祷を行う僧)となる。

◉邪を退け、神を呼んだ大般若経
・延長八年(630年)6月29日の夜、貞崇は天皇の命を受けて天皇の御寝所がある清涼殿で宿直をしていた。夜が更けてきた頃、清涼殿の庇から大きな人の足音が聞こえてきた。しかし御簾を上げても人の姿はない。そのうち、今度は小さな子どもの足音が聞こえ、さらに女性の声で「どうしてそこにいるのですか」と問いかけられた。貞崇が「天皇の命によるものです」と答えると、その声は「先ほど、あなたは大般若経を読経していました。最初に歩いてきた者は邪気です。あなたの読経により調伏させられたのです。その後に読経していた金剛般若経は霊験がありませんでした。この旨を天皇に申し上げ、大般若経の読経に努めなさい。私、稲荷神からの勧告です」と告げて消えてしまった。貞崇はこれを受け、天皇にこの夜の出来事を報告したという。
 邪気はおそらく邪鬼と同義で、物の怪の類全般を指す言葉である。稲荷神は稲を象徴する農耕神で、たびたび狐と結びつけられるが、狐はあくまで神の使いであるため、稲荷神自体は人の姿で描かれることが多い。平安時代にはすでに、伏見稲荷大社を中心とした稲荷信仰が広まっていた。



『日本の文脈』
内田樹、中沢新一  角川書店  2012/1/31



<日本人にあってユダヤ人にないもの>
<諏訪はユダヤ教の聖地?>
(中沢)このまえ、建築家で建築史家の藤森照信先生の東大退官記念講義があって、僕もゲストとして呼んでいただいて対談をしました。藤森さんは諏訪の生まれで、諏訪大社上社前宮の氏子なんです。諏訪大社は上社と下社の複合体ですが、いちばん古いのが上社の前宮なんですね。その前宮にここ最近、若い子がたくさんお参りに来るようになった。神殿の前で額ずいて熱心に礼拝する子もいる。これはどうしたことだろうという話になったんです。三つほど理由があると思うんですが、一つには最近のパワースポットブーム。二つ目は諏訪信仰をモチーフにしたゲーム『東方風神録』の流行。そして三つ目が、韓国のキリスト教徒のあいだでの諏訪ブームです。この三番目の理由が、今日の話にもつながってくると思うんですが、諏訪大社上社のご神体は守屋山という山で、諏訪大社の祭祀を司ってきたのは守矢という一族です。それが『旧約聖書』に出てくるエルサレムのモリヤ山と関係あるんじゃないかという説があります。神がアブラハムに息子イサクを生贄として殺すように命じた場所であり、エルサレム神殿の建てられた場所。
(内田)あのモリヤですか。そりゃ、トンデモ話ですね(笑)
(中沢)ユダヤ人や熱心なキリスト教徒のあいだでは、「日本へ行ったら諏訪へ行け」という話になっていると聞いたことがあります。諏訪にはエルサレムと同じくモリヤと呼ばれる山があり、イスラエルの失われた十支族が諏訪族のルーツだという、トンデモなく雄大な話で。

・(中沢)ユダヤ教は一神教だし、その一方で日猶同祖論(日本人とユダヤ人は共通の祖先をもつという説)が熱心に語られるでしょう。実際にユダヤ教のカバラ(ユダヤ教の神秘思想)の本やタルムード(ユダヤ教の宗教的規範。口伝の律法とその注解を集大成したもの)を読むと、日本人と通じるものがあるなって肌で感じるんですね。
 エルサレムの嘆きの壁のところに行くと、祈りを捧げている男性たちがいて、額には小さな黒い箱をつけている。その姿を見てると、「あれはたしかに山伏の兜巾(ときん)に似ている」って思うんです。山伏は頭の上に兜巾と呼ばれる小さくて黒いものをつけるんですね。伊勢神宮の灯籠にはダヴィデの星(六芒星)があるとか、祇園祭のルーツは古代イスラエルのシオンの祭りだとか、そういうトンデモ話のような面もあるんだけど、ユダヤと日本の宗教習俗に見られる共通点は、単なるトンデモ話だけでは済まないところもあるように感じています。

<「自分は遅れている」から始まる>
・(内田)まるで似ても似つかないものなんですけど、ユダヤ教的なエートスと、武士道的なエートスがなぜか、ユダヤ教徒が額につける教典入りの小箱(テフィリン)と山伏の兜巾のように似ている。

・武士道は実践技術の体系だから、整合的で体系的な理論はないんです。でも僕自身は、武道の稽古をしているときに、どうしてもそれらの動きの一つ一つについて哲学的な基礎づけが欲しかった。「武道とは何か」「なぜ武道によって心身の持っている能力を高めることができるのか」ということは経験的には分かるんだけれど、明確な言語が欲しかった。それで、昼間はレヴィナスを訳し、夕方になると道場に行って合気道の稽古をするという生活を院生の終わりの頃から助手時代にかけて10年近く続けました。周りから見ると、昼間は本業、夕方からは趣味というふうに見えたかもしれないけど、僕の中ではまったく同じことをやっている感覚だった。二つの登山道から同じ一つの山に登っているという感じがありました。

・道というのは、自分が起源ではなくて、「自分はすでに遅れてここに参入した」という自覚から始まります。偉大な流祖がいて、その人が天狗とか式神とかに夢の中で出会って天啓を得て発明した巨大な体系がある。僕たちその道統に連なるものたちは、そのいちばん末端の、初心のところから修業を初めて、しだいに複雑で高度な術技と心の持ち方を体得してゆく。でも、どれだけ修業しても先人の達した境位には決してたどりつくことがない。最後は「夢の中の天狗」ですから、無限消失点みたいなものです。

<聖と俗を分けない>
・(中沢)僕も武士道には子どもの頃からすごく憧れがあって、と言っても、剣豪ものをよく読む子どもだったというだけの話ですが。とくに塚原卜伝は理想的な武士のイメージでした。有名なエピソードで、卜伝が食事をしていると宮本武蔵がいきなり斬り込んできて、卜伝はとっさに鍋の蓋を盾にしたという話があって。
(内田)あれはインパクトがありますね。
(中沢)「これだ!」と思ったんです。中国でも仏教のまわりに拳法が自然に発生していきましたが、東洋の精神的な探求は、その周辺に武道が派生してくることが多いでしょう。そして塚原卜伝よりももっと奥に、鍋蓋すら必要としない人がいるんじゃないかって感じたんですね。まあ、卜伝のエピソードは後世のつくり話だと思いますが、そういう東洋の賢者にすごく惹かれていて。

・チベット動乱以降、チベット仏教の僧たちはインドやネパールに亡命していましたから、僕もネパールに行きました。いろんな先生にお会いしましたが、なかでもインパクトを受けたのがチャーデルという先生でした。すごく偉いラマ(チベット仏教の僧侶。本来は高僧の尊称)がいると聞いて出かけていったんです。

・その後、いろんなところに旅行したんですが、イスラエルでガリラヤ湖の周辺をふらふらしていたことがあります。ティベリアというかつてのカバリストの拠点の町がありますが。
(内田)いまもいるんですか、カバリストって。
(中沢)最近はまた増えてるようですね。マドンナも熱心なカバリストだそうですし。カバリストの生き方について書かれた本を見ると、昼間はふつうの職人さんだったり、いろんな職業についていて、夜になると宗教活動をするでしょう。それは僕の理想に近かったんです。チベットの先生たちも、聖と俗を分けないのが理想だと言います。

<辺境の神様>
・(金沢)さっきユダヤ教の「始原の遅れ」の話がありましたが、神について、キリスト教はまた違った考え方をします。神はいかにして物質の世界をつくりだしたのか。キリスト教グノーシス派の考え方だと、最初の時、神の光に満ちた世界に霧がかかり、神=発光体は自分の影が霧に映ったのを見て自らの存在を知った。それまで自分がいることを知らなかったのに。その瞬間に堕落が起こって物質が発生した、という考え方をします。もっともこれはグノーシスという異端とされた考え方で、正統派は認めませんが、正統派の考えよりアジア人の僕には深く納得できる考え方です。だけど、ユダヤ教ではそういう考え方はしませんね。
(内田)「ツィムーム(収縮)」というカバラの概念がありますけれど、これは神が自らを収縮させて宇宙誕生の場をつくったというアイディアですね。
(中沢)生命の誕生についての今の物理学の考え方というのは、まさに収縮ですよね。現実の世界を創っているのは3次元空間+時間の4次元ですが、最初の宇宙は11次元の構造をしていて、それが瞬間的に次元を減らす収縮をして、この宇宙ができたと、今の物理学では考えられていますからね。キュッと収縮したときに物質が生まれるという理論は、ユダヤ教の考え方だなと思います。

・日本ではどうかというと、八百万の神様がいるわけだから、一概には言えないんだけど、大きく分けると2つのタイプがある。一つは常在神で、いつもそこにいる神様。もう一つは来訪神で、ときどきやってくる神様。神社の神様はだいたい常在神です。常在神は姿かたちがなくて空洞なんだけれど、その「穴」があることで世界は秩序を保っている。そして来訪神は、1年のうちで数日間だけ、海の彼方や森の奥といった遠い所からやってくる神様です。その神様はたいてい仮面をつけてやって来る、つまり物質性があるんですね。というふうに日本の神様には常在神と来訪神の2種類があり、その2つの組み合わせになっているんです。

<二つの中心>
・(内田)そのうちに、思いついたことがあって、それは「中心が二つ」ということです。日本の神様には二種類あるという話がありましたが、ユダヤ教にも中心が二つあるんです。正統が二つあって、常にお互いが厳しい批判を投げかけ合っている。古代イスラエルでは、タルムードにはエルサレム版とバビロニア版の二つのバーションがあって、タルムードを研究する学校も二ヵ所あり、同時代に必ず偉大なラビが二人出てきて、お互いに激烈な論争をする。

<インタフェース上の知性>
・(中沢)日本とユダヤで共通性はあるんだけど、日本人の書くものや思考法の中には、ユダヤ的知性のような強さはないでしょう。たとえば僕がもっとも日本的な書き方だと思うのは本居宣長とか、明治時代だと柳田國男なんですが、どういう文章かというとエッセイなんですよね。事実が次々と列挙されていって、結論は出るのかというと出てこない。けれども読んでいると何かモアーンとした実体が浮かび上がってくるというかたちになっている。本居の書き方を見ても、「情緒」「もののあわれ」というのが沸き上がってくるように書いている。それを日本では「随筆」という言い方をするわけだけど、日本人の思考方法を効果的に発揮して、なおかつ世界的に通用する書き方というのは、なかなかないんですよね。自分でも感じるんです。こういう書き方だとヨーロッパ人が見たら完全にエッセイだなって。



ウィキペディアWikipediaより引用。
(日ユ同祖論)
日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)は、日本人(大和民族)の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説。 但し、ユダヤ人(古代イスラエル人のうちのユダ族、ベニヤミン族、レビ族)ではなく、ユダヤ人と共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族である。 スコットランド人が滞日中の明治時代に著した論を発端に、一部のユダヤ人によって提唱され日本でも一部の者が唱えている。英ユ同祖論など、ユダヤ人と他民族文化を関連づけて論じる多数あるユダヤ人同祖論のひとつ。

(日ユ同祖論は、主に以下がある。 )
1.世界に散らばったイスラエルの失われた10支族の1支族(第9族エフライム族、第5族ガド族、または第7族イッサカル族)の数人が日本に移住したという説。
2.英ユ同祖論における、世界に散らばったイスラエルの失われた10支族の1支族であるという説。
3.イスラエルの失われた10支族は、日本に渡来したという説。
4.古代イスラエルの12部族全部が、日本に来たという説。
5.古代日本人は、ユダヤ人の先祖であるという説。(古代イスラエル12支族=ユダヤ民族(ユダ族、ベニヤミン族、レビ族の3族)との勘違いから派生した説)
6.天皇家、物部氏ヨセフ族、出雲神族(クナド大神族)レビ族、出雲族(龍蛇族)ダン族とナフタリ族はイスラエル支族であると言う説。天皇家が分家の武内宿祢の蘇我本家から養子を迎えた所、天皇家へ養子に行った蘇我本家の王は富家レビ族からの養子だったので天皇家が祭司王も兼ねる様になり王権と祭司権の両方を担ったと言う。


ウィキペディアWikipediaより引用。
(諏訪大社)
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社。式内社(名神大社)、信濃国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「梶の葉」。

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」等とも呼ばれる。

(祭神)
当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。
建御名方神 (たけみなかたのかみ)
上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主神の御子神として登場する。『先代旧事本紀』には大己貴神(大国主)と沼河比売(奴奈川姫)の子とされ、信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座すると明示されている。
八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃とされ、記紀には出てこない。
なお、過去には諏訪上社の神事や祭祀の多くにはミシャグジという古くから諏訪地方で祀られている神も深くかかわっていた。

八幡神や住吉三神など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、まとめて「諏訪大明神」・「諏訪神」として扱われる事が多い。

<●●インターネット情報から●●>
「朝日日本歴史人物事典の解説」
(甲賀三郎)
信州諏訪明神として祭られた伝説上の人物。中世唱導物の典型である『神道集』の「諏訪縁起」で説かれている。近江国(滋賀県)甲賀郡の出身。その地の地頭で甲賀三郎訪方のこと。妻春日姫を天狗にさらわれたため,そのあとを追いかけるが,2人の兄のはかりごとにより蓼科山の人穴に突き落とされ,地底の国々を遍歴する。地底の国々には,農業を営む村々が多くあり,甲賀三郎は各村でもてなされる。最後に維縵国にたどりついた。そこは毎日,鹿狩りを日課とする狩猟民の村で,維摩姫から手厚く遇されて月日を過ごすが,春日姫のもとに戻る気持ちが高じて,ふたたび地上へ脱出をはかる。その間さまざまの試練に遭遇したが,やっと浅間岳に出ることができた。そして本国の近江国甲賀郡の釈迦堂にきて,自分の姿が蛇身になっていることに気づいて,わが身を恥じ隠れたが,蛇身を逃れる方法として,石菖の植えられている池に入るとよいことを知り,それを試みて元の姿に戻り,春日姫と再会することができた。甲賀三郎は,地上から異界である地底国を訪れた人物であり,地底の人々からみると,地上からやってきた異人とみなされている。ふたたび現世に戻ったときは異界の姿すなわち蛇身となっていたが,その地底国は,あまり地上界とは変わっていない。農業と狩猟が主たる生業となっており,のちに甲賀三郎が,狩猟神と農耕神をかねる諏訪明神の性格を反映しているといえる。
(宮田登)出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版/朝日日本歴史人物事典について 



『日本神さま事典』
三橋健 白山芳太郎  大法輪閣   2005/9



<甲賀三郎>
・中世の語り物に、本地物(ほんじもの)と呼ばれるジャンルがある。それは神々の来歴を語る物語で、悲惨な運命に翻弄され辛酸をなめた人物が神になるという筋書きが共通する。南北朝期に成立した『神道集』にみえる甲賀三郎の物語も、その一つである。
 
・甲賀三郎は、その名のとおり甲賀出身の三人兄弟の末子で、名を諏訪(よりかた)といった。春日姫という姫と結ばれて幸せな生活を送っていたが、伊吹山で巻狩りをしたときに、姫を魔物にさらわれてしまう。三郎は、なんとか蓼科山の地底に囚われていた姫を助け出したが、姫の忘れ物を取りに戻ったところを、姫に横恋慕した兄たちによって地底に閉じ込められてしまった。

・仕方なく地底を歩き始めた三郎は、大きな人穴を見つけ、その先を進むと日本にそっくりの国に出た。その国で三日過ごした後、また歩き始めると再び人穴が現われ、その先には別の国があった。このようにして、七十三の人穴と七十二の国を通り過ぎ、やがて維縵国(ゆいまんこく)という国に行き着いた。
 
・そこは地底の一番奥の国で、好美翁(こうびおう)という翁が支配しており、鹿狩りを日課としていた。その国で、三郎は好美翁の末娘、維縵姫と結ばれて平穏な日々を送っていた。だが、やがて三郎は、地上に残した春日姫のことを思って涙するようになる。そこで、維縵姫の計らいにより、地上に帰る手立てを好美翁に伝授してもらうことになった。

・やがて、三郎は苦難に耐え、蛇体となって地上に戻って来る。そして、甲賀の笹岡の釈迦堂で人間に戻る方法を知り、ようやく元の姿に返る方法を知り、ようやく元の姿に返ると、春日姫との再会を果たした。しかし、この世界を嫌って平城国という国に飛び去り、そこで神としての力を得て、再び衆生を救うために日本に戻り、三郎は諏訪大明神(諏訪上宮)、春日姫は諏訪下宮と現れた。ここに、人間として苦労を重ねてきたからこそ、人間の苦を我が苦として理解し受け止めてくれる慈悲深い神が誕生したのである。

<妖怪・幽霊>
・民族学者柳田國男は、妖怪とは自然への畏怖の発露であり、また神が零落した姿と考えた。このような妖怪の中でも、「鬼」や「河童」などはその代表格である。「鬼」は元来、中国で死者を指す語であり、日本へ伝わった後、「隠」、つまり陰なる邪な存在として人を喰う魔物などとされた。また、河童も元は中国の河の神「河伯」であったともいわれている。

・一方、幽霊とは恨みを残した者の霊魂を指し、我が国ではそのような霊を古くより「御霊」神として祀ってきた。
 

(インターネット情報によると)
「ユ井万国」
・「ユ井万国というところに広大な岩屋があり、岩屋の中の池に金剛力士が岳という名の島があり、島には三千世界に影を落とす釈千段トキマサシカ木という木が生えているという。その木のいちばん上の枝には太陽が羽根を休めて止まっており、つぎの枝には月が羽根を休め、その下の枝には星が休んでいる。その木の根方ではお宮を造って、岩根の大将軍として祀っている。(中略)昔は太陽が七つ、月も七つあったという。ところがスイという名の鬼が来て、太陽を六つ、月も六つ、呑み込んでしまった。もし残された太陽と月を呑み込んでしまったら、日本は常夜の国になってしまう。そこで、五つの剣を五方に投げたところ鬼の首を打つことができた。太陽や月を呑み込んだ巨大な鬼の死体から、両眼を取り、片眼を正月の奉射(ぶしゃ)の的とし、片眼を鏡とした。そのほか面の皮以下、体の部分からは万物が化生した。」
祭文収集 渡辺伸夫

※この場合の「スイ」という鬼は中国の神話にある巨人「盤古」のことと言われる。ここには日本の記紀が書いた「大月姫型」「射日神話」「常世思想」「日月星の三つの宿神」「宿曜」などの要素が同時に存在する。

・ちなみに、日本の神楽に今多い、「天の岩戸開闢」や「五行」のモチーフは近世以降にまでは遡れないと言う。それ以前には、大将軍モチーフ、南方系神話の方が多かったそうである。大将軍は「だいじょうごん」と読み、半島経由の南方神話であるか?

・「維縵国は、天地の果てにあるゆったりとした国の意味で、中国起源の伝説。ただし、出雲系神話の地下の国、根の国(黄泉)が融合している。」と解説にあるから、上記の甲賀三郎話には三輪伝説と出雲神話がないまぜになっており、蛇の化身としての諏訪大明神が近江の甲賀から来たということになるが、その諏訪大明神説話を持ち込むのは九州の阿蘇家ではないかと思う。
というのも、同じ九州に三輪系の緒方氏がいて、これがやはり三輪、苧環型神話を持つからである。

・下記の「ユ井万国」についても鹿児島での採集だとあるので、やはり阿蘇氏に関わる説話か?
いずれにせよ、南方系神話の出所は九州であることは間違いなく、それを持ち込むのはやはり長江から雲南あたりの少数民族に違いない。

中国起源の維縵国が、日本では地下の黄泉の国に変化しているのが注目点。
その意味では下記の記事の方が天国=維縵国=扶桑・蓬莱としてはより中国の原型に近いか

(別のインターネット情報によると)
・維縵国(ゆいまんこく)は、天地の果てにあるゆったりとした国の意味で、中国起源の伝説がその元とされています。
日本にこの考え方が渡った際、「根の国(黄泉)」とイメージが混同され、維縵国(ゆいまんこく)はあの世のイメージとなりました。
本編でも維縵国は黄泉の国として書かれています。

・維縵国には東西南北に四季の扉があり、その扉は外側からしか開くことが出来ないそうです。
そのあたりも、作中のネタとして使われて頂きました。

「古事記」や「日本書紀」では、根の国(黄泉)は出雲にあるように書かれているそうですが、熊野信仰においては、紀の国(紀伊半島)にも黄泉の国への入り口があるとされているそうです。

維縵国(ゆいまんこく)は、きっと広大な土地だったのでしょうね。

(別のインターネット情報によると、)
『神道集』の神々  第五十 諏訪縁起事
・人皇第三代安寧天皇から五代の孫に、近江国甲賀郡の地頭・甲賀権守諏胤という人がいた。 奥方は大和国添上郡の地頭・春日権守の長女で、甲賀太郎諏致・甲賀次郎諏任・甲賀三郎諏方という三人の息子がいた。
父諏胤は三代の帝に仕え、東三十三ヶ国の惣追捕使に任ぜられた。 七十余歳になった諏胤は病床に三人の息子を呼んだ。 そして、三郎を惣領として東海道十五ヶ国、太郎に東山道八ヶ国、次郎に北陸道七ヶ国の惣追捕使の職を与えた。 諏胤は七十八歳で亡くなり、三十五日の塔婆供養の三日後に奥方も亡くなった。

・父の三回忌の後、甲賀三郎は上京して帝に見参し、大和国の国司に任じられた。 甲賀三郎は春日郡の三笠山の明神に参詣し、春日権守の歓待を受けた。 そして、春日権守の十七歳になる孫娘の春日姫と巡り会った。 その夜、甲賀三郎は春日姫と夫婦の契りを交わし、近江国甲賀の館に連れ帰った。

ある年の三月、甲賀三郎は一千余騎を伴い伊吹山で巻狩を行った。 甲賀太郎は五百余騎、甲賀次郎も三百余騎を伴って加わった。 三郎は北の方を麓の野辺の館に住まわせ、狩の様子を観覧させた。 八日目に上の山に二頭の大きな鹿が現れたと報告があり、三郎は上の大嶽に登って行った。

・麓の館で北の方が女たちに今様を歌わせていると、美しい双紙が三帖天下って来た。 北の方がその双紙を見ていると、双紙は稚児に姿を変え、北の方を捕らえて逃げ去った。 甲賀三郎は天狗の仕業だろうと考え、二人の兄と共に日本国中の山々を尽く探し回ったが、北の方を見つける事は出来なかった。
そこで、三郎の乳母の子である宮内判官の助言で、信濃国笹岡郡の蓼科山を探してみる事にした。 そこには大きな人穴があり、春日姫が最後に着ていた着物の片袖と髪の毛が見つかった。

・甲賀三郎は簍籠に八本の縄をつけ、それに乗って人穴に入っていった。 簍籠を降りて東の人穴を進むと、小さな御殿の中から春日姫が千手経を読む声が聞こえた。 甲賀三郎は北の方を連れ出すと簍籠に乗り、家来たちに縄を引き上げさせた。 ところが、北の方は祖父から貰った唐鏡を置き忘れてしまったので、甲賀三郎は引き返して再び人穴に入った。

・甲賀次郎は弟を妬んでいたので、縄を切り落として三郎を人穴の底に取り残した。 そして、春日姫を甲賀の舘に連れ込み、宮内判官経方をはじめ三郎の一族二十余人を殺戮した。 残った家臣たちは次郎に臣従を誓った。 甲賀太郎は次郎が父の遺言に背いた事を知り、下野国宇都宮に下って神と顕れた。
甲賀次郎は春日姫を妻と定め、政事を行った。 しかし、姫は次郎に従おうとしなかった。 怒った甲賀次郎は家来に命じ、近江の湖の北岸、戸蔵山の麓で春日姫を切らせることにした。 そこに宮内判官の妹婿である山辺左兵衛督成賢が通りかかり、春日姫を救い出して春日権守の邸まで送り届けた。 その後、春日姫は三笠山の奥にある神出の岩屋に閉じ籠ってしまった。

・その頃、甲賀三郎は唐鏡を取り戻して簍籠の所に引き返したが、縄は切り落とされており、殺された一族の死骸が転がっていた。 三郎は地下の人穴を通って好賞国・草微国・草底国・雪降国・草留国・自在国・蛇飽国・道樹国・好樹国・陶倍国・半樹国など七十二の国を巡り、最後に維縵国に辿り着いた。
三郎は維縵国の王である好美翁に歓待された。 好美翁には、八百歳・五百歳・三百歳になる三人の姫君がいた。 三郎は末娘の維摩姫を妻とし、この国の風習に従って毎日鹿狩りをして過ごした。

・十三年と六ヶ月の年月が流れたある日、三郎は夢に春日姫を思い出して涙を流した。 維摩姫は「あなたを日本にお送りしましょう。私もあなたの後を追って忍び妻となり、衆生擁護の神と成りましょう」と云った。
三郎は好美翁から鹿の生肝で作った千枚の餅をもらい、それを一日一枚づつ食べながら日本に向った。 契河・契原・亡帰原・契陽山・荒原庭・真藤山・杉原・真馴の池・暗闇の地・おぼろ月夜の原を経て、千枚の餅を食べ終えて信濃国の浅間山に出た。

・三郎は甲賀郡に戻り、父の為に造った笹岡の釈迦堂の中で念誦していると、子供たちが「大蛇がいる」と云って逃げた。 三郎は我が身が蛇になった事を知り、仏壇の下に身を隠した。

・日が暮れた頃、十数人の僧たちが法華経を読誦し、甲賀三郎の物語を語った。 それによると、甲賀三郎が蛇身なのは維縵国の衣装を着ているためで、石菖を植えている池の水に入り四方に向いて呪文を唱えれば脱ぐ事ができるという。 三郎はその話に従って蛇身を脱して人身に戻った。 僧たちは白山権現、富士浅間大菩薩、熊野権現などの神々であった。

・三郎は近江国の鎮守である兵主大明神に導かれて三笠山に行き、春日姫と再会した。 二人は天早船で震旦国の南の平城国へ渡り、早那起梨の天子から神道の法を授かって神通力を会得した。 その後、兵主大明神の「日本に戻って衆生守護の神に成って下さい」という求めに応じ、天早車に乗って信濃国の蓼科山に到着した。

・甲賀三郎は信濃国岡屋の里に諏訪大明神の上宮として顕れた。 本地は普賢菩薩である。
春日姫は下宮として顕れた。 本地は千手観音である。
維摩姫もこの国に渡って来て、浅間大明神として顕れた。
甲賀三郎と兄たちは兵主大明神が仲裁した。
甲賀次郎は北陸道の守護神と成り、若狭国の田中明神として顕れた。
甲賀太郎は下野国宇都宮の示現太郎大明神として顕れた。
父甲賀権守は赤山大明神として顕れた。
母は日光権現として顕れた。
本地は阿弥陀如来・薬師如来・普賢菩薩・千手観音・地蔵菩薩等である。

上野国の一宮は狗留吠国の人である。 《以下、上野国一宮事とほぼ同内容なので略す》

・諏訪大明神は維縵国で狩の習慣があったので、狩庭を大切にされる。 四条天皇の御代、嘉禎三年[丁酉]五月、長楽寺の寛提僧正は供物について不審に思い、大明神に祈念して「権実の垂迹は仏菩薩の化身として衆生を済度されるのに、何故多くの獣を殺すのでしょうか」と申し上げた。 僧正の夢の中で、供物の鹿鳥魚などが金色の仏と成って雲の上に昇って行き、大明神が
 野辺に住む獣我に縁無くば憂かりし闇になほ迷はしむ
と詠まれ、 「業尽有情、雖放不生、故宿人天、同証仏果」 と四句の偈を説いた。 寛提僧正は随喜の涙を流して下向された。

諏訪大明神
・上宮は諏訪大社・上社本宮(長野県諏訪市中洲)
下宮は諏訪大社・下社で、秋宮(諏訪郡下諏訪町武居)・春宮(諏訪郡下諏訪町下ノ原)の二宮から成る。
上宮の祭神は建御名方神。
下宮の祭神は八坂刀売神・建御名方神で、事代主神を配祀。
式内社(信濃国諏方郡 南方刀美神社二座並名神大)。 信濃国一宮。 旧・官幣大社。
史料上の初見は『日本書紀』(持統天皇五年[691]八月辛酉)の「使者を遣はして、龍田風神・信濃須波・水内等の神を祭る」。

・『古事記』によると、天照大神は八百万の神々と相談して、建御雷神と天鳥船神を葦原中国に遣わした。 二神は出雲国の伊那佐の小浜(稲佐の浜)に降り、大国主神に天孫に国を譲るよう申し入れた。 大国主神の息子の事代主神が先ず帰順し、青柴垣に身を隠した。 建御名方神は国譲りに抵抗して建御雷神と争い、科野国之洲羽海(信濃国の諏訪湖)に逃れてついに帰順した。


『2020年ごろまで世の中大転換する』
ミロクの世を作るプラズマ科学5次元テクノロジー
船井幸雄     徳間書店  2010/6



<アルザル人は日本人の祖先だった>
・以前、アメリカに墜落したUFOの乗組員の血液には、日本人に多くみられる遺伝子が含まれていました。彼らが、日本人の祖先であるという証拠なのです。

・アルザル人はもともと地球の地下深くに住んでいたそうです。地球の核付近までいたるところに、彼女たちの住まいがあったといいます。地下の居住地どうしはトンネルでつながっていて、いつでもどこへでも行けて、トンネル内で通信もできたそうです。
 何千年ものあいだ、地中で文明を発展させたアルザル人は、やがて地上に出てきました。その当時、地上にはようやく哺乳類の祖先が現れたところでした。

 ・アルザル人が現れたのは現在の日本にあたる場所で、ちょうど後に出雲大社ができたところでした。アルザル人は、そのあたり一帯に居住し、地上での生活になじんでいました。やがて、アルザル人=日本人は、出雲大社のあたりから、日本国中へ広がっていったのです。ちなみに、アルザル人が、かってイスラエルにも居住したことがあり、その子孫は、ユダヤ人となったそうです。ということは、イエス・キリストもアルザル人だったということです。

・『聖書』ではイスラエル人からアルザルへの流れを書いているようです。ソロモン王の死後、南北に分かれたイスラエルは、北に10支族、南に2支族が住みました。
 紀元前722年、アッシリア帝国が北イスラエル王国を攻め落とし10支族をメソポタミアへ連れ去りました。が、そのアッシリア帝国も新バビロニア帝国に滅ぼされます。しかし、10支族はイスラエルに戻りませんでした。

・『聖書外典聖書』『エズラ書』によると、彼らは、異教徒にわずらわされない北の果てからアルザルに向かったとあり、一部が日本などアジアに広がったと考えられています。



『失われた日本ユダヤ王国「大邪馬台国」の謎』
飛鳥昭雄・三神たける  学研   2011/1/12



<物部氏の正体は何者であるのか>
<多次元同時存在の法則>
・実際、縄文人だという人あれば、典型的な弥生人だという人あり、邪馬台国の王族であったという人あらば、いや邪馬台国を征服した勢力であるという人あり、渡来人だという人、さらには騎馬民族だという人、実にさまざまな説が、それこそ百家争鳴状態となっている。名のある学者の方々の論文さえ、邪馬台国論争以上に諸説入り乱れているのだ。
 日ユ同祖論というジャンルにおいても、そうだ。古代イスラエル人の日本渡来という視点から見ても、物部氏がいったい失われたイスラエル10支族なのか、秦氏と同じユダヤ人原始キリスト教徒なのか、それともまったく違う経路でやってきたイスラエル人なのか、説得力のある説に出会ったことは一度もない。言葉は悪いが、みな肝心なところでごまかしているか、そもそもまったくわかっていないのだ。

<秘密組織「八咫烏」>
・いわば天皇家の守護神ともいうべき八咫烏の名を秘密組織は冠する。組織のメンバーは、みな「陰陽師」である。昨今の安倍晴明ブームで知られるようになった「陰陽道」は古代日本の呪術的宗教である。七五三や節句などの神道祭礼の根幹をなす思想であり、日本文化の隅々にまで影響を与えているといっても過言ではない。
 だが、森羅万象、すべては陰と陽から成るように、陰陽道にも表と裏がある。まさに八咫烏は裏の陰陽師であり、日本の神道を仕切っている。闇夜の鳥のごとく、彼らは静寂に潜み、歴史を裏で動かしてきた。
 八咫烏を名乗る構成員はわかっているだけで、約70人。周辺には伝令役ともいうべき「烏天狗」が控え、上層部には12人から成る組織があり、彼らは「大烏」と呼ばれる。さらに大烏の上位3人、すなわち「三羽烏」は特別に「金鵄」という称号をもつ。
 実は、この金鵄こそ、密かに古神道の世界で噂されてきた「裏天皇」にほかならない。3人でひとりの裏天皇として、彼らは表の天皇ができない儀式一切を執り行っている。長い歴史のなかで、さまざまな困難が天皇家には降りかかった。戦乱や南北朝といった混乱期にあっても、八咫烏は連綿と秘儀を執行してきたのである。
 当然ながら、八咫烏に近づくことは危険を伴う。

<古代豪族「物部氏」>
・物部氏である。古代日本の謎をさぐるうえで避けることができない豪族にして、古代天皇の外戚。その権力と権威は日本史上最大にして最高を誇った。

<物部氏の祖神「ニギハヤヒ命」>
・物部氏の祖先は「ニギハヤヒ命」という神様である。

・名前の頭に「天照」とあるように、ニギハヤヒ命は太陽神である。天皇家の祖神、つまり皇祖神である「天照大神」が女神であるのに対して、ニギハヤヒ命は男神である。興味深いことに、『古事記』や『日本書紀』には、太陽神がふたり登場するのである。神道では八百万の神々を拝むとはいうものの、山や海、川、草木とは違い、太陽はひとつ。天空に輝くひとつの太陽を神格化した存在がふたり、まったく別の神々として存在するのは、どう考えても変である。

・奇妙といえば、神社の名前もそうである。奈良時代以前にまで遡る神社のうち、その名に「天照」を冠した神社の主催神は、いずれも女神、天照大神ではない。

・これはいったい何を意味しているのか。考えられることは、ひとつしかない。もともと神道における太陽神は、物部氏が祖神として崇める天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命、つまりニギハヤヒ命だった。

・しかし、大王として君臨することはなかったものの、物部氏の勢力は強大だった。大和朝廷も、最後までニギハヤヒ命を抹殺することはできなかった。物部氏が祀る神社が冠する「天照」を黙認したのも、彼らが神道祭祀を担い、神秘的な呪術を行っていたからにほかならない。

<ニギハヤヒ命の物部王国「日本」>
・記紀神話によると、皇祖・天照大神の孫、すなわち天孫「ニニギ命」は高天ヶ原から多くの神々を引き連れて、九州の高千穂に降臨する。

・世にいう「神武東征」の出陣、いざ出発という段階で、神武天皇は「塩土翁」という神からひょんなことを聞く。なんでも、すでに幾内には「天磐船」に乗って、ひと足早く降臨した神がいるというのだ。

・同じ天孫族といえども、外からやってきた神武天皇にとって、被征服民である物部氏の女を皇后にすることは、物部王国の民を懐柔することでもあり、ふたつの国がひとつになるための重要な戦略だったのだ。それほどまでに、物部氏は天皇家にとって重要な存在だったのである。
 ちなみに、初代神武天皇から第9代開化天皇までは、皇居を大和の西側に置いたことから「葛城王朝」と呼ぶこともある。いうなれば、葛城王朝は天皇家と合体した後期・物部王国として位置づけることができるだろう。

<崇神としての大物主命>
・古代天皇の性格がガラリと変わるのが第10代「崇神天皇」からである。初代神武天皇のエピソードがあまりにも神話的であること、それに続く第2〜9代の記述が極端に少なく、通称「欠史八代」と呼ばれることから、これらの天皇はすべて実在しない架空の存在だと考える学者も少なくない。
 実際のところ、神武天皇の諡「ハツクニシラススメラミコト」とまったく同じ読み方をする諡が崇神天皇にはある。そのため、崇神天皇こそ、実在する最初の天皇だとする学説もある。
 もし仮に、葛城王朝が幻だとした場合、物部氏の立場はどうなのか。これを如実に物語るエピソードが崇神天皇の時代に起こっている。すなわち、突如、国中に疫病が流行したのである。民が次々と死に、国中が大混乱に陥った。
『日本書紀』では巫女に神託を伺わせ、一方の『古事記』では崇神天皇王が自身が夢の中でお告げを聞くのだが、「いずれにしても原因は祟りであった。三輪山の大物主神が怒っているという。なんでも、大物主神の子孫である「大田田根子」なる男を捜して、彼に御魂を祀らせるならば怒りも収まり、疫病も鎮まるのだ。
 神意を知った崇神天皇は、すぐさま大田田根子を見つけだし、お告げのとおりに大物主神を祀らせたところ、確かに疫病の流行はやんだとある。
 さて、注目は大物主神である。先述したように、大物主神とはニギハヤヒ命の別名にほかならない。

<蘇我氏との確執と崇仏論争>
・当時の様子を記した『日本書紀』によると、百済の聖名王から贈られた美しい仏像を見ていたく感動した欽明天皇が、これを拝したいが、いかがなものかと群臣に問うた際、積極的推進派の「蘇我氏」を率いる蘇我稲目は西方の諸国が仏教を信仰していることを理由に、日本もこれにならうべきであると主張した。
 だが、この事態に猛反発したのが物部氏である。神道を第一と考える物部氏を率いる物部尾輿は、同じく神道の祭祀を執り行う「中臣氏」を率いる中臣鎌子とともに、外来宗教である仏教排斥を主張。

<聖徳太子と物部氏失脚>
・587年、かくして仏教導入の是非という大義名分のもと、物部氏と蘇我氏の戦争、すなわち世にいう「丁未の役」が勃発。激しい戦いの末、蘇我氏の軍勢を率いる弱冠14歳の聖徳太子の前に物部守屋は壮絶な死を遂げる。大将の討ち死によって総崩れとなった物部氏の軍勢は、そのまま敗走。ここにおいて仏教導入が決定的となった。
 戦いの英雄、聖徳太子は推古天皇の摂政となり、国策で仏教の布教を推奨。

・一方、敗れた物部氏の勢力は縮小。天皇家の外戚としての地位は完全に蘇我氏に取って代わられ、権力の座からことごとく退けられていく。仏教の隆盛は、そのまま物部氏の衰退を意味していたといっていいだろう。

<藤原氏による物部氏封印>
・宿敵であった物部氏を退け、念願の仏教導入を国家公認とした今、蘇我氏にとってもはや恐れるものは何もない。天皇家の外戚として蘇我馬子は政治を裏で操り、摂政となった甥の聖徳太子とともに、蘇我王朝ともいうべき体制を築きあげた。
 しかし、蘇我氏の栄華は長くは続かなかった。蘇我馬子の子「蘇我蝦夷」と孫である「蘇我入鹿」の代になると、東アジアの国際情勢が騒がしくなり、これを受けて日本もまた、国防を含めて新たな政治体制を作る必要性に迫られる。こうした状況下にあって、645年、ついに事件が起こる。
 天皇の御前で、蘇我蝦夷と蘇我入鹿が暗殺されたのである。

・その一方で、藤原不比等は記紀編纂にあたって、古代からの系譜や歴史を記した古文書を石上神宮や大神神社から没収し、事実上、物部氏の歴史を闇に葬った。

<平安京遷都によって藤原氏の支配は決定的となり、以後、明治時代にまで続く>
・かくて物部氏は没落し、その名は古代豪族として記憶されるのみとなった。穂積や鈴木など派生した名字はあまたあれど、今日、物部氏を名乗るのは秋田の唐松神社の宮司一族だけとなったのである。
 しかし、物部氏は生きている。中央の天皇祭祀は藤原氏の独占となったものの、全国の神社の神官、神主、神職の多くは物部氏が担っている。今でも、物部氏は古代の神道を守りつづけている。

<邪馬台国は畿内大和にあった!!>
・籠神社の極秘伝からすれば、邪馬台国の所在地は畿内。したがって、畿内説の解釈が正しいように見える。畿内説の大きな弱点は突きつめると方位だけである。

<卑弥呼は物部=海部氏だった!!>
・邪馬台国の女王、卑弥呼が九州にルーツをもつヤマト族であることが正しければ、同時に彼女は物部氏であった可能性が出てくる。実は、これを裏づける証拠がある。

<大邪馬台国と神武天皇>
・籠神社の極秘伝によると、記紀に記された神武天皇の物語は基本的に神話、すなわちフィクションであり史実ではないとしながらも、あえて神武天皇的な存在を挙げるなら、それは海部氏の祖先である倭宿弥命であるという。もっとも、倭宿弥命にしても、神話的な存在に変わりはなく、その意味で「多次元同時存在の法則」を適用して分析する必要があるのだが、古代天皇に関しては注目すべき極秘伝はほかにある。
 第15代応神天皇である。なんと応神天皇は倭人ではない。朝鮮半島からやってきた渡来人の大王だというのである。

<裏の陰陽師集団「八咫烏」と裏天皇「金鵄」>
<丹塗り矢伝承と賀茂氏>
・秦氏の女が生んだ男の子は「上賀茂神社」で「別雷神」として、その父親である「松尾大明神」は「下鴨神社」で「御祖神」として祀られるようになった。かくして、秦氏は「松尾大社」と「下鴨神社」と「上賀茂神社」を「秦氏三所明神」として祀ることとなり、後に秦氏に婿入りした賀茂氏に「鴨祭り」を譲った。今日、鴨祭りを賀茂氏の禰宜が執り行っているのは、このためであるという。

<祭祀一族としての賀茂氏>
・神道の元締めは天皇である。大嘗祭をはじめ、天皇の儀式を行う賀茂氏は祭司としても最高位であり、その本拠地である下上賀茂神社は、まさに全国の神社のトップである、かの伊勢神宮でさえ、下上賀茂神社に比べれば格下なのだ。
 忌部氏一般の神道儀式を執り行う祭司だが、賀茂氏は天皇の神道儀式を仕切る。神道の世界において、まさに賀茂氏は別格なのである。

<鴨族>
・神道の祭祀を専門に行う賀茂氏のことを彼らは「鴨族」と呼ぶ。一般の人間と普通の会話をしているときに名乗ることはまずないが、自らの正当性を示す必要がある場合、彼らは必ず鴨族である証をする。

・天狗の下にいるとされる烏天狗。烏天狗の正体は鴨族だ。

<修験者とユダヤ人>
・役小角と並び称せられる修験道の祖で、白山を開いたことで知られる「泰澄」は俗称を「三神」といい、その素性は秦氏であった。同族となった賀茂氏、すなわち鴨族も同様にユダヤ人原始キリスト教徒である。それゆえ神道のみならず、修験道にも古代イスラエル文化の影響が色濃く残っている。
 現代の日本人はあまりピンとこないのだが、当のユダヤ人から見ると山伏や修験者の姿は非常に興味深いらしい。修験者の着る服装はもちろんだが、頭の先から爪先まで、ユダヤ教徒の伝統衣装とそっくりだというのだ。

<大嘗会と天孫降臨>
・とくに初代の神武天皇は、歴代の天皇が現人神となるように、神・天照大神と霊的な約束、いうなれば契約を交わした。これが「大嘗会」という儀式である。つまり、大嘗会という儀式をすることによって、人である皇太子が神・天照大神の御霊を宿して、現人神である天皇陛下となられるのである。
 ただし「多次元同時存在の法則」により、「神」という文字を諡にもつ初代神武天皇と第10代崇神天皇、そして第15代応神天皇は同一人物であり、初代から第15代までの歴代天皇の説話は実質、みなひとりの天皇の説話に還元できる。とくに神話的なエピソードや年代の混乱はこれによってうまく説明することができる。

<天照大神はイエス・キリストだった>
・大嘗会の儀式一切をすべて取り仕切るのが下上賀茂神社の鴨族である。そこには漢波羅秘密組織の八咫烏がすべて集まる。彼らの上部組織である大烏、すなわち12人の八咫烏は、イエス・キリストの12使徒の継承者である。上位3人の大烏は金鵄として裏天皇を形成する。裏天皇もまた大嘗祭を行う。現代の12使徒である八咫烏が行い、現代のペトロとヤコブとヨハネである金鵄が形成する裏天皇が祀る神道の最高神、天照大神とは結局のところいったい何者なのか。答えは明らかだろう。イエス・キリストである。
 
<最後のドンデン返し………海部氏は鴨族だった!!>
<葵祭り>
・一連の神事が意味するのは、まさに天照大神が天岩屋から出てきたことに対する祝福であるというのだ。
 死して天岩屋に籠った天照大神が復活し、天岩戸を開いて再び姿を現したことを祝うことが葵祭りの本質であり、それはとりもなおさずイエス・キリストの復活を祝う歓喜の祭りにほかならない。
 だからこそ、葵祭りはザ・祭りであり、ユダヤ人原始キリスト教徒である天皇の特別な祭礼なのである。

<藤祭り>
<八咫烏が仕掛けたであろう奇怪なトリックが隠されているにちがいない>
・海部氏が鴨族だということは、物部氏も鴨族。秦氏にしてユダヤ人原始キリスト教徒であり、イエスの12使徒の承継者である八咫烏も鴨族。大邪馬台国の支配者である物部氏が鴨族で、それを征服した天皇や秦氏も鴨族である。

<物部氏は徐福とともに来た!!>
・八咫烏がいう「徐福」とは紀元前3世紀、古代中国の「秦帝国」にいた呪術師「方士」のひとり。暴君として知られる「秦始皇帝」に近づき、皇帝のために不老不死の仙薬を手に入れてくると言葉巧みに取り入り、ついには多くの童男童女と技術者たちとともに東海に浮かぶという伝説の島「蓬莱山」へと旅立った男である。
 一度は成果なく戻ってきたものの、再度船出したのを最後に消息を絶ち、二度と戻ってこなかった。ために、歴史的には秦始皇帝さえも手玉にとった稀代の詐欺師とも評される。その後、徐福集団がどうなったかについては、いずれも伝説の域を出るものではなく、一説には日本列島にやってきたとも噂されるが、学問的には確かな証拠は今のところ確認されていない。
 だが、八咫烏はそれが忠実であると認めたばかりか、日本にやってきた徐福集団こそ後の物部氏だというのである。



『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎』
飛鳥昭雄  三神たける  学研     2011/5/11



<ニギハヤヒ命>
・読むとわかるが、ここに描かれたニギハヤヒ命は、まさに大王である、記紀においてはまったく無視された降臨神話がドラマチックに描かれている。すなわち、九州を出立したニギハヤヒ命は配下の32神と25部の物部氏一族を引き連れて、幾内は河内国の河上にある哮峰に降臨。大和国の鳥見にある白山に進出して、自らの王国を築いたというのだ。
 問題は、ここ。ニギハヤヒ命が築いた王国は物部王国であって、神武天皇が開いた大和朝廷ではないという点である。物部氏が歴史的にも封印された理由も、実はここにある。同じ天津神の末裔を主張しながらも、物部氏は大和朝廷以前に、まったく別の王国を築いていたのである。

<物部王国「日本」>
・なぜ海から見ての方角をもって地名としたのか。これに関して『先代旧事本記』には興味深い記述がある。物部氏の祖であるニギハヤヒ命は、河内に降臨する際、天磐船(あめのいわふね)に乗って大空を駆けめぐった。同記述は『日本書紀』にもある。ニギハヤヒ命は空から眺めて、眼下の国を「虚空見つ日本国(やまとのくに)」と命名したというのだ。
 天空を駆けめぐる船とは、飛行機やUFOを連想させるが、あくまでも現実的な史実の反映と見なすならば、海を渡ってきたと解釈できる。

・日本とは、もともと倭の別種だというのだ。これを素直に解釈すれば、かつて日本列島には「倭国」と「日本」というふたつの国が存在したことになる。実際、その通りで、日本は倭国よりも小さな国であったとも記す。ただ『旧唐書』が「日本国が倭国を併合した」というのに対して、『新唐書』は逆に「倭国が日本国を併合した」と述べる。

・つまり、かつて大和と物部王国というふたつの国があった。大和に比べて物部王国は小さい国であった。長い歴史のなかで、大和は物部王国を併合した。もしくは、物部王国が大和を併合して、最終的に国名を日本としたのだ。

<物部氏のルーツと古代朝鮮>
・だが、後に「大倭」と記して「ヤマト」と読ませるようになる。つまり、「倭=ヤマト」は、「邪馬台国」であるのに対して、「大倭=ヤマト」は「大邪馬台国」ともいうべきクニとなっていたのだ。整理すれば、物部氏の支配する邪馬台国が、同族である海部氏の支配する投馬国と併合した結果、新たな大邪馬台国となったのである。

<卑弥呼と鬼道>
・邪馬台国の女王、卑弥呼は謎めいた人物である。「魏志倭人伝」を読む限り、かなりの霊能力をそなえた人物であったことがわかる。実務は弟に任せ、自分はもっぱら神々からの宣託を受けて、それを統治の指針とした。

・邪馬台国が物部王国であることを考慮すれば、卑弥呼もまた物部氏であったことは間違いない。しかも、彼女は物部氏のなかでも、海部氏の血を引く者であった。

・だが、卑弥呼以来の物部神道は、物部氏没落と封印によって、完全に失われてしまう。

<籠神社の極秘伝「多次元同時存在の法則」>
・それは、あくまでも活躍するのは神々であって人間ではない。歴史ではなく、神話だという認識をもつ必要があるのだ。生身の人間ではない多くの分身をもち、分身は独立して別な物語を紡いでいく。名前は違っても、本質は同じ神であるケースが多々ある。したがって、別名を読み解くことによって、本来の神道が自ずと浮き彫りになってくる。「多次元同時存在の法則」は、それを復元する鍵なのだ。

・失われた物部神道とはいったいいかなる神道だったのか。籠神社の極秘伝には、物部神道の本質を知るための重要な鍵がある。それがほかでもない、奥義「多次元同時存在の法則」である。

<物部神道は一神教だった>
・物部神道の奥義「多次元同時存在の法則」を適用していくと、実に多くの神々が同一神であることが見えてくる。八百万の神々がすべて同一神というわけではないが、少なくとも古代にまで遡る神々、とくに物部氏が祀ってきた神々は究極的にはひとりの神に収斂されるといっても過言ではない。
 言葉を換えると、今日の神道が八百万の神々を祀る多神教であるのに対して、古代における物部神道は唯一絶対神を崇拝する唯一神教なのである。

・子ども、いわゆる童子に力があるという思想は何も中国に限ったことではない。日本においても、幼子のお釈迦様を仏像として表現したり、聖人君子として知られる聖徳太子の姿が童子形で描かれるのはそのためである。魔力を持った童子という意味では、芸能の世界における「笛吹童子」も同様だ。
 ちなみに日本では、同時の魔力は反転して、そのまま鬼の名前になる。有名な「酒呑童子」や「茨木童子」、さらには天皇の輿担ぎで、鬼の子孫と称した京都の「八瀬童子」などもまた、みな鬼の魔力を表現した名前である。

<仙人が住む三神山>
・海に浮かぶ高い山のうち、仙人が住むところを「神山」といった。なかでも、最も神聖な3つの神山のことを「三神山」と称した。
 これが、徐福が奏上した三神山、すなわち「蓬莱(ほうらい)山」と「方丈山」と「瀛州(えいしゅう)山」である。ただし、山とあるが、実際は高い山をもった島のことである。これら三神山は中国から見て東の海の向こうに存在するゆえに、俗人は容易に近づけない。

・古来、三神山のひとつ、蓬莱山は数多く絵画に描かれてきた。それらを見ると、いくつか共通点があることに気づく。全体的に蓬莱山はキノコのような形をしているのだ。長い茎のような峰の上に大きな山があり、非常にアンバランスな印象を受ける。しかも、蓬莱山の下にはつららのような部位が認められ、あたかも鍾乳石に見える。

・それゆえ現代では、蓬莱山は東海でしばしば目撃される蜃気楼を見た古代人が実在する島と見間違えたものであるというのが定説となっている。
 はたして、徐福が目指した三神山が蜃気楼だったかどうかは、今、この段階では断定できないが、可能性は十分ある。

<鴨族と天狗>
・仏教の宗派は数あれど、神道はひとつ。極端な表現をすれば、全国の神社はすべて天皇家のものであり、天皇陛下は神道の元締めなのである。なかでも、神社界の最高権威を誇るのは、下上賀茂神社である。かの伊勢神宮でさえも下上賀茂神社には及ばない。
 なぜか、その理由は天皇の祭祀を取り仕切るのが下上賀茂神社の賀茂氏であるからだ。神職は自らのことを特別に「鴨族」と称す。

・修験道の山伏は、しばしば天狗にたとえられてきた。牛若丸と呼ばれていた源義経を育てあげた鞍馬天狗のモデルは何を隠そう、鴨族である。

・長く高い鼻が特徴的な大天狗はもとより、その配下にいる烏天狗こそ、まさに八咫烏がモデルなのである。

<祭祀一族と鳥の称号>
・下上賀茂神社とともに秦氏三所明神と呼ばれた松尾大社の創建者である秦都理も、その名は「鳥」を意味しており、賀茂氏と同族であった証として、賀茂都理という名前も伝えられている。また、鴨族は忌部氏の中の忌部氏であるとも伝えられている。忌部氏とは古代における神道祭祀を行った一族で、儀式で使用する祭具から占術や呪法なども担っていた。

<漢波羅秘密組織「八咫烏」と裏天皇>
・表の陰陽道とは別に、裏の陰陽道があるのだ。その名を「迦波羅」という。当てる字によっては「伽波羅」とも表記され、仏教の経典にある「迦波羅」とも語源的には同じものである。

・表の陰陽道の担い手を陰陽師と呼ぶように、裏の迦波羅の担い手は「漢波羅」と呼ぶ。漢波羅とは、もちろん迦波羅に由来する言葉だが、民間陰陽師を指す「上原太夫(かんばらだゆう)」の意味でも使われることがある。

・しかし迦波羅の場合、その存在すらも記録に残らないほど、秘中の秘とされてきた。当然ながら漢波羅たちは歴史の表舞台に出ることなく、裏方で文字通り暗躍してきたのである。もちろん、彼らは秦氏であり、かつ加茂氏である。

・なかでも中枢を成す漢波羅秘密組織の名を「八咫烏」という。八咫烏の周囲には伝令役ともいうべき鴨族、すなわち、「烏天狗」がいる。一般人との接触は主に烏天狗の任務である。現在、八咫烏は約70人いる。


『ニギハヤヒ』
『先代旧事本紀』から探る物部氏の祖神
戸矢学    河出書房新社    2011/12/1



<神の国から飛来降臨する「天磐船」 ニギハヤヒに発するイワクラ信仰>
・それによって、ニギハヤヒの統治していた国は、あちこちにあった小規模な部族国家というようなレベルの話ではなく、統治体制の整った政体国家がかくことして存在していたという事実を記している。

そして、ニギハヤヒこそはその国家の国王であったのだと。
 記・紀は、その国家の存在を隠したかった。だから、ニギハヤヒの属性を消すことによって、ニギハヤヒが登場しても問題が起こらないと考えた。『先代旧事本紀』さえ存在しなければ、その目論見は破綻しなかったかもしれない。

・ところで記・紀に一貫している論理では、先住の賊衆は征討すべきものであって、その思想は徹底している。そしてその上に君臨する者は「天神の子」でなければならない。すなわち「天子」である。
賊衆とはもとからその地に住む種族で、これを「地祗」あるいは「国つ神」の子とした。これに対して高天原から降臨した者は「天神」あるいは「天つ神」の子とする。これが「天神地祇」「天つ神、国つ神」の対置概念である。
 征服者と被征服者と言い換えることもできる。近年では、弥生人と縄文人というとらえかたもある。

<柳田國男の「日本人」定義>
・柳田は「山人考」で、縄文人と弥生人の弁別峻拒をおこなった。すなわち、縄文人を「山人」と呼び、渡来した弥生人を「平地人」とした。さらに注目すべきは、平地人を「日本人」と想定したことであって、そこから「日本」も始まったと主張した。
 もし我が国の民俗学がここから展開発展したとするなら、おそらくは今とはかなり異なる地平に立ち至っていると思われるのだが、残念ながら柳田はこの説を継承させず、『遠野物語』や『山の人生』などで見られるように、うやむやにしてしまった。

<ニギハヤヒの事績>
・ニギハヤヒについて、記・紀にはわずかな記述しかないとすでに指摘したが、それとは対照的に『先代旧事本紀』には詳細な事績が記されている。

・これにニギハヤヒの「従者(一族)」の子孫を数えると、さらに多数に上り、その後の日本国の中核はニギハヤヒ一行の血族血統によって形成されたと言っても良いくらいである。
 しかし、その事実のほとんどは、記・紀にはまったく触れられず、『先代旧事本紀』のみに記される。

・ニギハヤヒとの降臨伝承とは、いかなるものであるのか、読者のためにもここで概要・全貌を要約しておこう。

(1)アマテラス(天照大神)は、瑞穂国(みずほのくに)を治めるために「吾御子」のヲシホミミを降臨させようとしたところ、ヲシホミミにニギハヤヒという児が誕生し、代わりにその児を降臨させたいと願いを許した。

(2)アマテラスは、降臨するニギハヤヒに「天璽瑞宝十種」を授けた。

(3)ニギハヤヒは、数多くの随神・随臣を伴って天降った。彼らはヤマト政権の担い手となり、その後の主な氏族の祖となる。32人の将軍、5人の部の長、5人の造の長、25人の軍部の長、船長、舵取等。

(4)ニギハヤヒ一行は「天磐船(あまのいわふね)」に乗って天降った。

(5)初めに河内国河上の哮峯に天降り、それから大和国鳥見の白庭山に選御した。

(6)ニギハヤヒは天磐船に乗って大虚空を飛翔して国を見定めた。これに由来して「虚空見つ日本の国」という。

<神話の神々は実在した>
・私は、日本神話に登場する神々は基本的にすべて実在したと考えている。そういう人物がかつて実在していて、亡くなると神になり、崇められるようになったと考えている。

<物部神社は全国に17社>
・古代豪族の第一であった物部氏であるが、氏族名の「物部」を冠した神社は意外に少ない。その数は全国に17社のみ。総本社は島根県太田市に鎮座する物部神社で、石見国一宮である。

<「神殺し」の本当の意味>
・神武軍がヤマトに入る際に、各地で激戦があり、族長を殺害している。
この時代、族長の多くは同時に宗教的権威でもあって、すなわちその一族の“神”である。ナグサトベ、ニシキトベ、ヤソタケル、ナガスネヒコといった名が『日本書紀』には見られる。ヤソタケルは「有尾人」であると記される。
 これらの神々を殺すことで、神武軍は制服を成し遂げて行く。「神殺し」こそは、制服の証しなのだ。しかし「神殺し」の真相は、必ずしも物理的な殺害ではない。

<能曲『三輪』が伝える古代の共通認識>
・能に不思議な演目がある。『三輪』という作者不詳の一番だ。

主役はなんと三輪明神。
 能曲には霊験ものや龍神もの。巫女ものなど信仰関連のテーマが少なくないのだが、その目的ははっきりしている。ストーリーにも矛盾や齟齬、不条理はないといって良い。
しかし、『三輪』は、まったく不条理だ。それらの区分けのいずれにも属さない。明神と僧侶のやりとりであるのだから、信仰ネタであることは紛れもない。にもかかわらず4番目の「雑能」に入っている。これは、ひとえに不条理であるがゆえだろう。
 この曲では、三輪神が、なぜか女性の姿となって僧侶の前に現れて、男神との失恋のために岩戸隠れしたという。そして僧侶に供養を願うという筋立てだ。
 能の関係者は無理矢理の解釈をおこなって目を瞑っているが、こんな奇妙な設定はありえない。おそらくは時を経るに従って、伝承の一部に誤りが生じて、それが更に重なってこんな不条理な話になってしまったのではないか。



『深宇宙探訪記』
(オスカー・マゴッチ) (加速学園出版)  1991/8



<都市の大きさはあるクリスタル宇宙船>
・そうこうするに、白く輝くものが頭上に出現し、急速にその輝きを増していく。間もなく、明るく輝くオーロラがずっと強烈にきらきら輝く光に消されてしまった。巨大な形のものが降下して、視界に入ってくる。都市の大きさはある。だが、途方もないほど大きなボワーッとした塊のクリスタル・シャンデリアのようで、まるでクリスマスの飾り物みたいに様々な色の光を閃かせたり点滅させたりしている。
「何・・・ 何だ それは?・・・・」
私は吃ってしまった。天から現われたものが私達の視野一杯に広がるのに完全に飲まれてしまっていた。私達から2、3キロ離れたところだ。

・「感動するのも当然だ。このクリスタル宇宙船は現在『地上の平和』号と命名されていて、あなたがたの太陽系の惑星間ヒエラルキーの最高の旗艦なのだ」



『家畜人ヤプー』
 (沼正三) (幻冬舎) 1999/7



<飛行島は人間の目に見えない存在に化しているのだった>
・浮力盤の機構は、20世紀科学の用語では説明しがたいが、島の中心部(中央山の岩盤内)の振動素子結晶体から送られる高速四次元微震動が、地球重力遮断に重要な役割を演じていることはいっておかねばならない。島全体が、その上のあらゆる物を含めて、微妙な振動を付与されている。そしてその振動のゆえに、飛行島は人間の目に見えない存在に化しているのだった。島の上空に来て、閉鎖空間であるその重力圏に入り、島の固有振動を自分も付与されない限りつまり、島の外や島の下(地上)からでは見えないのである。扇風機の羽根が回っている時に向こう側が透けて見える、あの理屈である。4次元振動によって3次元世界から視覚的に離脱するのだと表現してもいいだろう。

・「実は、どちらも蓄童を空中に飛ばせるためである。この飛行島の人工重力圏では、重さ15キロ以内の物体には簡単に飛揚装置が取り付けられる。それが羽根と光輪である。羽根は正式には双小翼といい、揚力は皆無だが重力盤の作用を消去する振動を合成する。そうすると軽くなって、光輪のヘリコプターの牽引力だけで浮揚できる。この光輪は、白人用の光傘と外見は似ているが、作用はまったく異なる物で、名称も輪状翼(アニユリツト)という。この装置を使用するためには、ヤプーの体重を幼児並の15キロ以下に減少させねばならない。そこで、縮小機に掛けて作り出されたのがペンゼル、すなわち飛揚蓄なのである。

・あたりは一面の柔らかな芝生で、ふと身を倒して、両手で葉末をなで回してみたいような衝動にかられる。飛行場らしい建物もなかったが、遠く前方には例の中央山が傲然とそそり立って白く輝き、その手前には山岳を削り成した城が見える。高さは千五百メートルにも及ぼうか。上空からながめた時とは違って、のしかかってくる絶壁の威圧感。

・しかも、単なる自然の壮観ではなく、膨大な人力の加工を暗示して、ブルーゲルの描いた『バベルの塔』の絵の持つ迫力を見せていた。―この飛行島全体の基盤にひそみ、これらの山々自体を造成した人工こそ真に驚異に値するものだったが、ここでは、それと自然に同一化して山々を削ったわずかの機械力だけが人為と見えていた。それですらピラミッドや巨大ダムを児戯視せしめる規模を示しているのである。

<「高天原」諸景。“飛行島「タカラマハン」”>
・「空中列車は、旋回しつつ下降していく。中央山の中腹にある氷漠(ひょうばく)、氷湖、外輪山脈との間の環状盆地にある密林、へきたん、桃園、外輪の七峰のうち三つがそれぞれ一大城門に削りなされている豪快なふえつの跡、その外側にびょうぼうと広がっている環状平原の、あるいは広潤(こうじゅん)な田野となり、あるいは管理の行きとどいた山林となり、あるいは繁華な都邑(とゆう)を作る有様、所々に湖をたたえつつ、周辺部のいちばん外側を取り巻く幅1キロの環状湖へ流れは入る七筋の川は、森の樹種でも、芝生の上の建物の色彩でも、尖塔の様式でも、花壇の配置でも、流域ごとに異なる七様の景観を提供している。極地の氷河、砂漠のオアシス、いったいどこまでが、人工、どこまでが天然なのか?いや、全部が人間の工作物に違いないのだが・・・・・・」「島の上空に来て、閉鎖空間であるその重力圏に入り、島の固有振動を自分も付与されない限り、つまり、島の外や下(地上)からでは、見えないのである」。

・「土壌と岸壁からなる地殻部は、数百メートルの厚さに達するが、その下に百メートルの厚さの引力盤の層があり、さらにその下、飛行島の底面には2百メートルの厚さの浮力盤の層がある。どちらも特殊合金である」。
「飛行島の地理は、直径百キロ、底面の厚さ1キロの円盤の中央に高さ4キロの円錐山がある。それが大雪山スメラで、それを取り囲む外輪山脈は、スメラ山頂から15キロ離れて、ほぼ円周を成し、尾根の平均高1.8キロ、そびえ立つ七峰の平均高2.5キロである」。



『「天国」と「地獄」がよくわかる本』
クリエイティブ・スイート編著  PHP   2009/8/3



<天界に用意されている神の都市国家>
<天上のエルサレム(新しいエルサレム)>
<広さは東京都のおよそ2倍にもなる、天上の都市>
<世界が終末を迎えた後に地上に現れる神の都市>
・これはエデンの園のように、澄んだ川が流れて緑豊かな草花が咲き乱れるという、すばらしい自然を描いた天国とは大きくかけ離れた概念である。
 聖ヨハネが伝える天上のエルサレムは、都会的な天国であり、碧玉で築かれた城壁で囲まれている。12の門がある大きく高い城壁の内側にある都の大きさは、長さも幅も、高さも1万2000スタディオンであるとした。1スタディオンは、だいたい180メートルなので、だいたい4000平方キロメートルの広さがある。つまり、東京都の約2倍近くの都というわけだ。城壁を支える土台石もまた12種類存在し、それぞれが宝石で飾られている。城壁の内側の都には、輝く塔や宝石が散りばめられた邸宅などがあり、人々はそこで神と共に暮らすことができる。

<城壁に囲まれた都市型天国にはせる信者の思い>
・このような天国が生まれたのは、人間の想像力が決め手だ。「ヨハネの黙示録」にある「新しいエルサレムが天から下ってくるのを見た」という一文が、人々の心に火をつけたのだ。それはいったいどのような都なのだろう、と聖職者や評論家たちの間で議論されるようになった。そうして、天国とは光あふれる場所というイメージから、この天上のエルサレムも宝石などで輝いていると結びつけたのだろう。

・これは天上のエルサレムの設計者であり建設者である神が、イスラエルの12部族の復興を望んでいるということを暗示している。イスラエルの民にとって、都とはエルサレムだけであり、そこに永住できることこそが彼らの望みだったのだ。そうした考えから生まれた天国こそが、天上のエルサレムなのである。
長い年月を経るうちに、天国とは清らかな大自然をイメージさせるエデンの園のような楽園のなかに、こうした天の都があると考えられるようになった。



『人類の祖先は宇宙人である』
 (ミン・スギヤマ)(第一企画出版)(1993年)



<一番科学的でないのは科学者自身>
<科学者はアインシュタインを裏切りたくない>
・光速度を超える光が近年各地で観測されていることや、光速度を超える速度で飛来してきたであろうUFOの存在たちが確認されている以上、光速度不変の原則がすべての状況において、適用されるとは言えないことを科学者たちは認めざるを得ないところまできている。

<何度も地球に入植を試みた宇宙人>
・宇宙人セムヤーゼによれば、宇宙には地球に限らず非常に多数の文明が存在し、彼ら宇宙人はそのうちのヒューマノイド型の人類だけで「宇宙連合」を構成しているという。その人類の総合計は約1270億人で、またヒューマノイド型ではない、「宇宙連合」に属さない知識生命形態が無数に存在している。

・さらに、地球上には三つの異なった惑星を起源にもつ人種が存在しているという。地球上に“創造された”地球人、現在の火星の位置に昔存在したマローナという惑星について、惑星崩壊後にやってきたマローナ人、そしてヴェガ星や琴座のリラ星の惑星からやって来た古代リラ人の三人種である。

・各々に起源を持つ人々の現在の人口は、古代リラ人が14万4228人、マローナ人種が1億6730万人、それ以外は“地球人”であるというが、他にリラ人からわかれた2人種がいる。その2人種については、宇宙人にも詳細は不明だが、ほとんどが“地球人”と同化しているらしい。中国人や日本人はこの2人種に当たると、セムヤーゼの父プターはマイヤーに語った。

・セムヤーゼの話は今から約23万年前、彗星によって住民の3分の2を失ったある太陽系の第6惑星から始まる。

「セムヤーゼ」
・ある遠い宇宙の太陽系の惑星の全人類の3分の2が、当時この彗星(デストロイヤー)によって滅ぼされ、生存者は、最初からやり直さなければ、なりませんでした。再出発は不自由で困難を極めました。しかし、彼らは、わずか900年間くらいで新しい文明と文化を築きあげました。彼らは、宇宙の力によってもたらされた困難な破壊を克服して再出発したのです。

・彼らの霊性と知識は急速に洗練されて行き、彼らの到達した技術水準は想像を絶していました。やがて彼らは、円形で皿状の宇宙船を建造し、大宇宙へ飛び出すようになりました。



『地球一切を救うヴイジョン』
白峰   徳間書店     2008/11/30



<八咫烏(やたがらす)―日本の国体を守る秘密結社>
・日本の国体を守る秘密結社である八咫烏のことをちょっとだけ書きます。

・日本の国家的な根源に関わる基幹産業を警察、法律、民族といったものの壁を全部超えて独自で動ける組織なのです。独自の資金力もあって通帳も戸籍もありません。3次元世界で言えば、死人扱いですね。でもちゃんと生きている。官僚でもないし、民間人でもない。正体不明の人々が地下に潜って仕事をしています。

・彼等はどこに住んでいるか。地下に住んでいるのです。東京にもいます。日本の国体を守るために独自の仕事をしている。実際、戸籍のない人は、今、日本に20万人いますが、その半分は国体を守る仕事を担っているのです。日本にいったん事あらば、彼らが守ってくれる。ウイング・メーカーの日本版が八咫烏です。

・サナトクラマが金星から鞍馬天狗で有名な鞍馬山に降臨した伝説があるでしょう。この天狗と言われている人たちは、全部八咫烏の集団です。すなわち、全部忍者であって八咫烏の流れなんです。

・日本の歴史を振り返ると、言うことは簡単ですけれども、言っちゃいけないことのほうが多いんです。「天照」(日本の国体)と「白山神界」(世界秩序)の違いです。



『本当にあった 世界の陰謀論 案内』
 世界陰謀評議会    笠倉出版      2014/10/13



<八咫烏 名前すら持たず天皇家を影から護る>
・全日本チームのマークとして有名だが、陸上自衛隊所属の中央情報隊のシンボルも八咫烏である。

・八咫烏とは日本神話に登場する三本足のカラスのこと。聖武天皇にゆかりがある聖獣だ。日本サッカー協会のシンボルマークになっている。陰謀論において八咫烏とは、謎の集団の名称である。正式名は八咫烏陰陽道という。これはオカルト系の陰謀ハンターを中心に支持される説だ。
 彼らは聖武天皇の時代から独自の神道、陰陽道を継承し、祭祀を行ってきた。現在も災害に備えて祈り続けている。また、秘術「迦波羅(かばら)」と、日本史の裏側の真実も伝えているという。
 八咫烏は他に類を見ない独特な組織といえる。指導者の一部(39人いるとされる)には、戸籍がない。コードネームで呼ばれ、名前を持たない。

<秦氏 海を越えてやってきた技能集団>
・土佐の長宗我部氏や伊賀の服部氏も彼の末裔とされる。

・秦氏は、渡来系氏族のひとつ。『日本書紀』に登場する弓月君を祖とする。聖徳太子に仕えた秦河勝や、浄土宗の開祖である法然の母親が秦氏の人物。日本に養蚕や織物をはじめとする多くの技術をもたらし、その後も経済力で存在感を示した。
 秦氏の起源については、さまざまな推測がなされている。古代氏族の名鑑である『新撰姓氏録』には秦の始皇帝の末裔とある。日ユ同祖論では、イスラエルの失われた10氏族のひとつと言われることがある。
 陰謀論においては、血縁的関係よりも秘密結社的な性格を持った集団だとされているようだ。
 商売熱心として知られる近江国の商人たちが秦氏の末裔だという説がある。この考え方によれば、丸紅、伊藤忠商事、高島屋といった日本の有名企業は、秦氏の系譜となる。

<ドラコニアン 人類を脅かす異世界からの侵略者>
・中国神話に登場する皇帝、伏義と女媧も蛇の体だったと言われ、手には差金とコンパスを持っている。

・伝承では、過去、角と鱗を持つ竜神がいたという。陰謀ハンターは、天皇家の先祖や、秦の始皇帝にその疑いがあると言っている。陰謀ハンターの主張によれば、竜人は角と鱗があるだけではなく、人類を食べるらしい。これが現代陰謀用語でいうドラコニアンという概念である。
 ドラコニアンは有史以前から人類を支配し、家畜として扱ってきた。

・似た概念にレプティリアンがある。人間に似た二足歩行の爬虫類をレプティリアン・ヒューマノイドと言う。トカゲ人間と言えば思い浮かべやすいだろうか。陰謀ハンターは、ドラコニアンとレプティリアンを混同しない。
 レプティリアンは宇宙からやってきた種族で、やはり人間を支配しているらしい。一般人がその存在を知らないのも無理はなく、なぜなら彼らは変身できるという。

<トゥーレ協会 オカルトと陰謀が交差する反ユダヤ主義結社>
・伝説の地トゥーレは、ヨーロッパのはるか北方、世界の最果てにあるという。

・地政学者カール・ハウスホーファーと教え子のルドルフ・ヘス。2人ともトゥーレ協会の会員だった。

・1918年に設立されたトゥーレ協会は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の母体の一つとなった実在の秘密結社だ。ナチ党の勢力が拡大した後、1937年に消滅した。陰謀論上の解釈によると、トゥーレ協会はグノーシス主義の系譜にあり、4千年まえから存在していたとされる。
 トゥーレとは、ゲーテの文学作品に登場する伝説の地の名である。もちろん陰謀ハンターは、ゲーテ自身もグノーシス主義者だったと考えている。

・ナチ党の鉤十字と反ユダヤ主義思想は、20世紀初頭に誕生したゲルマン騎士団という秘密結社からトゥーレ協会を経由して継承されたものだ。卍の字形は世界的によく見られるシンボルマークだが、彼らはこれをアーリア人に共通の紋章であると考えた。一部のオカルティストは、鉤十字はルーン文字を組み合わせたものだと言うことがある。

・余談だが、ゲルマン騎士団には階層的な組織構造があり、フリーメイソンリー的な「ロッジ」の概念を持っていた。また、神智学協会も支部のことをロッジと呼ぶ。

<アーネンエルベ 民族のルーツとシャンバラを探す奇妙な集団>
・ナチ党には、親衛隊全国指導者のハインリヒ・ヒムラーが設立したアーネンエルベという機関があり、オカルト方面の研究はここが担当していた。ナチ党には東洋の神秘思想に異常なほど詳しい地政学者カール・ハウスホーファーのような特異な人材があったが、ヒムラー自身もまた、日本語の片仮名とルーン文字の類似性や、日本人がアーリア人である可能性について考察する奇妙なオカルティストだった。

・そんなアーネンエルベの行ったオカルト研究のひとつが、シャンバラ探究だった。シャンバラは、チベットに伝わる伝説の地、秘密の仏教王国である。ポタラ宮殿の地下にはシャンバラへの入り口があるという伝承もあり、もしそうであるなら広大な地下空間なのではないかと推測された。オカルティズムでは、南極に入り口があるとする地球空洞説や、アルザルと呼ばれる地球内部の別天体と同一視する場合がある。

・しかし、ナチ党が潰れたことを鑑みれば、シャンバラを見つけることはできなかったのだろう。あるいはアドルフ・ヒトラーは地下都市に逃れたのだろうか。ちなみにオウム真理教もシャンバラを目指し、日本シャンバラ化計画を立案していた。

<グノーシス主義 創造主は悪神! 世界の認識を改めよ>
・グノーシスとは、古代ギリシア語で認識、知識を意味する。グノーシス主義は、紀元1世紀に誕生し3世紀ごろ栄えた思想の潮流だ。この思想の特徴は、神や世界の認識にある。通常の宗教は善き神を崇拝するが、グノーシス主義は違う。彼らは、この宇宙が悪の神によって創造されたものとみなす。なぜならこの世界は悲惨すぎて、善なる神が作ったとはとても信じられないからだ。これを反宇宙的二元論という。

・グノーシス主義は、確固たるひとつの宗教の形をしていない。初期キリスト教の一派に数えられることもあるが、キリスト教を含めたさまざまな宗教や思想の影響で誕生した別個の宗教とも考えられている。グノーシス的な考え方をするキリスト教徒もいたのだろう。どちらにせよグノーシス主義者たちは、キリスト教から異端として弾圧された。旧約聖書中のシモン・マグスという魔法使いが、グノーシスの開祖であるとも伝わっている。

・陰謀ハンターは、イルミナティ内部のグループ、MJ−12がグノーシス主義を保持していると言っている。イルミナティの血統を重視する派閥に対抗するMJ−12は、その根本にグノーシス主義があるはずだと考えているようだ。







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くる天
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