内容が軽い | |
[日本の政治] | |
2016年8月31日 22時42分の記事 | |
先日、日本テレビで24時間テレビがずっと放映されました。日本テレビが総力をあげての毎年の恒例行事ですが、明らかに既に精彩を欠いています。
24時間テレビは1978年の開始ですから既に38年の月日が経っています。私がまだ小学生の頃からです。この番組が始まった当初はある意味、衝撃であり心ワクワクするものがありました。当時、テレビというのは24時間放送していなかったわけです。大体午前0時、1時、2時で終わっていたように思います。だから、「砂の嵐」というものが合ったわけです。夜11時以降は、一種未知の領域という感じだったと思います。 ですから当時としては24時間、テレビを放送すると言うことは本当に特別であったわけです。しかし、今や24時間テレビ放送を当たり前のようにしています。それもケーブルテレビやCSを含めれば数十チャンネルが24時間放送です。もはやテレビから砂の嵐は消え去り、24時間のテレビには完全にその特別感がないわけです。 この番組では愛がテーマになっていますし、弱者の社会的包摂が常にテーマになっています。とても良いテーマだと思います。しかし、そのテーマに対して内容が非常に軽いように思います。その軽さは、ある種、偽善的にも見えます。 先日、相模原で障害者をターゲットにした凄惨な事件が発生しました。この事件はまさに24時間テレビのテーマと真逆のものです。さて、果たしてこの事件に対して日本テレビは総力を傾け、検証し、批判してきたのかと疑問に思います。明らかに並の報道しかしていません。そこには明らかにギャップがあります。これを偽善というのだと私は思います。 その偽善故に内容が軽くなるものと考えます。障害者の姿が映されれば、他の出演者は神妙な顔になる。人間が100キロ走ったことがものすごいドラマになる(100キロは知るのは確かに大変ですが)。そこには何か本当のものがない、そういう感覚が渦巻いています。 しかし、これは非常に問題があることです。愛や弱者の社会的包摂という大変重要なテーマを表層だけで扱うことは、かえってその価値観を蔑ろにすることになります。それだけではなく、その価値観に対しての反感が呼び起こします。実はこの反感や侮辱が相模原の事件の根底にあるものと考えています。ナチス時代の大虐殺、T4作戦もまた同じなのだろうと考えます。 もはや惰性で行っているとしか見えない24時間テレビを、日本テレビはもう一度、見直して魂を入れ直すべきでしょう。 メディアの劣化が激しいのですが、今日もありました。TBSの夕方のニュース番組です。今日は台風被害、和歌山での事件と多くのニュースがありました。そういう情報はやはりニュースとして報せなくてはならないと考えますが、一方でシュウマイ弁当が明日から30円値上げされるという“ニュース”をかなりの時間をかけて延々と放送していました。延々と感じたのは、もっと他に重要なニュースがあるだろうと思って腹立たしく思ったためです。そのニュースを見て、随分と冷たいものだなと率直に思いました。岩手や北海道では家を失い、親族を失い、途方に暮れている人々がいて、復旧もままならないのに、シュウマイ弁当が30円根上がるから「ショック」と言っているわけです。ある意味、末期的な精神の貧困を感じました。 これら二つの番組は今の日本を覆う精神をまざまざと感じさせます。もちろん、その他にも沢山ありますが。 | |
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