立民執行部に対する小沢一郎氏の批判 | |
[日本の政治] | |
2022年12月19日 23時57分の記事 | |
立憲民主党の小沢一郎氏が、党執行部を公然と批判、代表のイズミ氏を名指しで「政権取る意志ない」と批判したと以下のように報じられています。それはその通りでしょう。立民はイズミ体制になってから一年が経ちますが、この間、何の存在感も示していませんし、また存在感を何ら確立できていません。巷からみたら、この党はこの1年で事実上消滅したというのが実像だと考えます。当のご本人たちは毎日お忙しいお時間をお過ごしと自負されていると思いますが、この党の存在はすでに巷では忘れ去られていると考えます。こういう世間とのギャップの状態を『自己満足』というのでしょうが、これでは国民の期待を集めて政権を奪取するということは100年経っても無理でしょう。 ・ 『小沢一郎氏、公然と執行部批判 泉代表名指しで「政権取る意志ない」』(2022年12月17日 毎日新聞)
現在の立民の最大の要素は、日本の政治において何らプラスの役割を果たしていないといことです。 これは同党が与党であろうが、野党であろうが、その立場に関係のないことで、日本の社会、日本の政治において立党して、政党として産声を上げたときから問われることで、とにかく、日本の政治・社会に対していかなる『プラスの役割=貢献』があるのかということが存在の根本的要素なのです。それがなければ、社会においてその存在が事実上消滅したと認識されても仕方がないでしょう。 このような状態では与党にはなれませんが、仮に間違って与党になってしまったとしても、そこでは野田民主党政権を筆頭にした『民主党の悪夢』の再現をただ性懲りもなく繰り返すだけです。 通常、立党していきなり与党になれるわけではないので、その場合、まず野党としていかに日本の政治・社会に対して『プラスの役割=貢献』をするかと言うことを考えなければなりません。 与党になれなから野党なのであって、当然、その与党に対しての存在ということから始めるしかありません。 しかし、立民の現執行部・イズミ体制は、まず、自民党と同じエセ与党として、自分たちの政策を主張しようと動き始めました。『提案型野党』です。野党であるのがどうしても嫌みたいで、与党として振る舞いたいようです。 しかし、それで起きたことは、野党として対与党のチェックの放棄となり、結果として与党の補完勢力という位置づけになったしまったわけです。これは国民民主や維新と同じです。 8月の立民執行部の刷新で、『提案型野党』の失敗を認め、そこからの脱却を言っていますが、世間からみていたらまったく何も変わっていないというのが正直なところでしょう。それで執行部も刷新されたの?と大方は考えていますし、いまだ与党の補完勢力と思われているでしょう。 ・ 『立民幹事長に岡田氏 政調・長妻氏、国対・安住氏調整―泉代表、26日に執行部刷新』(2022年8月23日 時事通信) 国民としてはすでに自民党と言う巨大与党があり、それで十分、お腹いっぱいであるわけです。むしろ、現状、自民党が巨大与党であることによっての弊害が起き、それが完全なる政治の劣化を招いているわけです。それは国民にとってはまったくの不利益です。 さらに問題なのは、そのような政治の劣化を招いている巨大与党に対して、立民、国民民主、維新が事実上の与党の補完勢力となって、その政治の劣化を加速させていることなのです。これでは国民にとっては絶望的な状況です。 そういう絶望的な状況で立民は、国民にとっての『光明』にはまったくなっておらず、むしろ絶望の種になっているわけです。そう言う状況において、巨大与党の補完勢力であることをいまだに選択しているイズミ立民は、巨大与党・自民党の劣化がはっきりすればするほど、立民自体の存在意義が薄らぎ、崩壊していることにいまだ気がついていません。 だから、この1年で、『提案型野党』から脱却すると言って出来ていない立民は、その存在が国民にとって事実上消滅したと言うことになるのです。 野党として、与党のチェックをして、批判して、日本の政治を糺すと言うことは、日本の政治にとって立派な役割です。そういう役割を完全に放棄しているのが、現在のイズミ立民で、そうなるのは日本の政治・社会に対して『プラスの役割=貢献』をするという視点が完全に欠落しているからです。そういう状態の立民が政策的に何を言っても日本の政治になんらプラスになることはあり得ないのですが、このイズミ立民の状態が現在の日本の政治を極めて問題ある状況にしています。 その代表例が昨今で言えば、統一教会問題を受けての被害者救済法の不十分さを招いたことですし、さらにキシダ政権がいきなり出した急激な防衛費大幅増額、増税の問題であり、完全なる憲法違反の外交安全保障政策の転換なのです。 このような巨大与党によって民主政治の手続きの逸脱が平気で行なわれ、国民無視のやりたい放題の独裁・専制政治を許しているのは、立民が野党として与党のチェック・批判を放棄していることに完全に起因しています。むろん、これは立民だけではなく、国民民主、維新も同じです。 与党の政策への賛否を野党が言っても仕方がありません。与党の政策に賛成であることの前に、与党をチェックし、与党ではない政党であることを野党として示し、行なわなければ、このような巨大与党による国民無視のやりたい放題の独裁・専制政治となるのです。その結果、この急激な防衛費大幅増額問題などのように、法の支配、立憲主義、民主主義が完全に破壊された状況にわが国が直面することになるのです。そして、この状況で軍拡に進むのなら、それは完全に軍国主義への第一歩に過ぎません。 このような状況に手を貸しておきながら『立憲民主』と名乗っているのですから話になりません。無論、このことは『自由民主党』にはさらに言えることです。 イズミ立民は、自民党と同じになっていることで、それが与党になっていることと勘違いをしているのでしょうか? 何ともその稚拙さに哀愁を感じます。 当たり前ですが、あくまでも自民党とは違う政党としての存在を確立することができなければ、立民が与党になることはできません。そういう与党になる存在は、まず野党において与党・自民党との差異を示し、与党を批判し、与党に対する十分なチェック能力を示して自民党より優れているということを立証しなければ無理なのです。今はこれらのどれ一つとして出来ていません。しかし、民主党政権時代、野党自民党はこのことをしっかりと証明しています。それが、イズミ立民と野党時代の自民党との最大にして決定的な違いです。 対与党の野党ととして、存在を確立し、反対党といわれようが、与党より優れていることを立証して与党を倒しすか、政権を取る道はありえません。そういう政党でなければ、国民が政権を託すはずはないでしょう。現在のイズミ立民はその基準にまったく達していないということに過ぎないのです。それは明らかに現執行部の能力不足と稚拙さに起因しています。 そう観たときに、イズミ立民には将来性は皆無です。 現状は自民党よりも政策能力に劣る人々が、自民党のまねをして、与党になろうとしているということにしか見えません。さらに、そういう状態であることが、日本の政治と国民の不利益になっているということを微塵も感じていないその姿に、稚拙さとむなしさを感じます。そして、そこに感じるのは国民や社会が視野に入っていない『自己満足』、『ナルシシズム』です。 小沢氏の発言は、このようなことを言っているのでしょうか? 違うかもしれませんが、立民が与党を目指すという意味なら、私はこう考えます。 イズミ立民体制がこの1年で証明したことは、若いと言うだけでは何の役にも立たないということだけです。このことは日本において現状、極めて大事なファクターです。現在の日本はこのことの認識を改めないと、社会が、国が、確実に崩壊に向って行きます。 冒頭に申し上げてように、若さが売りで始まったイズミ体制は、結局、立民の財産を食い潰し、破壊して、政権政党になることから日に日に遠ざかりました。むしろ、今や党の存続も危うくなりつつあると考えます。そういう現状では100年経っても政権政党にはなれません。そして100年経ってしまえば、イズミ氏が若いことなんぞ、何の意味もありません。つまり、若いと言うことは何の売りにも、プラスの要素にもならないと言うことなのです。 同様に他の分野でも、若いというだけで責任ある地位に登用されて、結局、その稚拙さによって破壊が進行すれば、取り返しのつかないことになります。そして、そういう盲目的な『若さ信仰』が日本全体に起れば、必然、日本は崩壊に向っていくのは自明の理なのです。 イズミ体制で若さのもう一つの代名詞であった前幹事長の西村智奈美さんは、幹事長として国民に名前を覚えられるような働きをしたでしょうか? 多分、その名前を記憶している国民はそれほど多くはないでしょう。確実に幹事長になった1年前より知名度は落としています。そしてそれが彼女の実力なのです。 8月に同党は執行部を刷新、『提案型野党』からの脱却を言っていましたが、いまだにそこから脱却していないと思う人は極めて多いでしょう。まったく変わっていない。はっきり言って立民を変えるには、まずイズミ氏を変える他はないと考えます。 ・ 『立民幹事長に岡田氏 政調・長妻氏、国対・安住氏調整―泉代表、26日に執行部刷新』(2022年8月23日 時事通信) イズミ氏も西村氏も、私からしたら結局、若いだけで木偶であることを証明したに過ぎないと思います。表現がキツいかもしれませんが、彼らについて好意的に言ったとしても、その評価は『まだ早すぎた』です。先日、以前に政界にいた知人と話していたら、イズミ立民を『生徒会』と表現していましたが、その通りでしょう。彼らにとってその早すぎたことが、これから彼らにとっては大きな負の要素になっていくと考えます。それを背負ってしまった。 彼らに見えるのはナルシシズム。彼らはその地位にあることに喜びを見いだすだけで、国民のためには役に立つという姿勢が見えません。それは政治家として根本が欠けていると言うことです。現状、イズミ氏にはそのナルシシズムが加速されているだけにしか見えません。 そのイズミ氏を昨年の立民代表選でいち早く支援を表明したのが、小沢氏でした。正直言うとそれはやはり不明だと私は考えます。 以下の記事では、安倍晋三さんの射殺事件について、小沢氏が『自民党の長期政権が招いた事件だ』と述べたことについて、イズミ氏が小沢氏を注意したとあります。しかし、長年、自民党にいた小沢氏は、今回の事件の意味をよく知っているでしょうし、私自身は小沢氏の意見はその通りだと考えます。しかし、イズミ氏はどうしても政治の意味を理解していないのか、やはり稚拙な対応に終始するわけです。本当なら小沢氏に教えを請うべきでしょう。 ・ 『立憲・泉代表、銃撃事件めぐる発言で小沢一郎氏を注意』(2022年7月9日 朝日新聞) 私が大学を1990年代初頭に卒業後の政界の関わりは竹下派・経世会の議員の秘書でした。その時は、まさに竹下派・経世会の分裂となったときで、仕えていた議員の動きによって、小沢さんの『改革フォーラム21』、『新生党』、『新進党』などに関わりました。その際、そばで小沢さんを拝見する機会も多く、お話しもちょっと伺いました。 私の小沢氏の印象は、小沢氏は『豪腕』なのかもしれないが、意外と直球を投げない方というものです。そして、小沢氏が直球を投げてこなかったことが、彼の脚を引っ張ってきたのではないかと思っています。そのことは、1991年からずっと変わらない見立てです。ですから、ここはむしろ直球を思いっきり投げていくことに、かけてもよいのではないかと思います。意外と大きな流れになるかもしれません。 | |
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