ノ-トルダム火災に見る価値 | |
[社会] | |
2019年4月29日 11時19分の記事 | |
フランスの人々も世界も心を痛めた火災である。 お金では計り知れない不変の価値。文化遺産には自分自身の存在が支えられているというような畏敬の念を禁じ得ない部分がある。今さえよければではない今を支える歴史にこそ重みがあるのだろう。今さえよければで通せば今が崩れれば何も残らないだろう。みじめなものだ。人はそれに気づいているのだろう。 ただ世界は過激な文化財破壊行為のあることも知っている。テロリズムが人々の怒りを掻き立てるための利用もあることを。 斯くして歴史を考える力こそが理性の原点であり知性の原点であり文化力だといわれる。文化財の被災に遭い、或るいは他人に対する怒りや断絶・格差貧困に直面することで自分らはどの歴史の中にどう存在し生かされているのか知るきっかけになるという。 歴史を考えることがなければ人間は唯の獣になりかねないということか。 すべてが経済化され効率化(必ずしも効率化を第一に考えない経営も有力である)に帰結されようとする中で今一歩立ち止まり考える機会となるであろう。
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