1964年東京オリンピックと違うわけ | |
[政治] | |
2021年6月10日 14時12分の記事 | |
1964年大会は戦後とは言え日本で初めてのオリンピック開催であった 。日本人でオリンピックを知らない国民あまたの中、戦後戦禍からの復興を示すことのできた意義深い感動深い大会であった。 今回は、どうも風向きがおかしい。招致の時からしておかしい。腐敗に塗れた匂いの拭えないような招致の中心人物がそうではなかったか。コロナ禍という経済社会全世界的に危機に落とし込むようなウイルス災害であって、まやかしを覆う薄い衣は、たやすく剥ぎ落されてしまった。 原発事故からの復興は愚か、コロナに打ち勝った証などどこにもないではないか。1964年大会の直前千葉でコレラ感染が拡大し必死で抑え込んだという逸話が残っている。今回は感染も平気なものである。 そのご日本が進んだ道が、国民の汗と努力で成し遂げた戦後復興を継承し新たな世界に誇れる世界をリ−ドする政治経済体制を突き進んだのであろうか。 その実は驚異的奇跡とか言われた高度経済成長に胡坐をかき続け、現状維持政権で腐敗ばかりが蓄積されていったのではなかったか。 落ち続け、凋落限界に近付きつつあった政権に挽回とさらなる転落に拍車を掛けんとした利用道具と化した五輪ではなかったのか。 誇るべき経済においてすでに世界に後れ、国内では官僚忖度改竄、金権政治腐敗、野党含め国民も手を染めたかの停滞、そこえコロナ感染が体当たりをしてきた。 それでもオリンピックをやるのならその目的が問われるのは当然であろう。 願わくは、五輪株のウイルス変異が起こって、パンデミックに輪をかけるなどの世界に迷惑をかけることだけは避けて欲しいものである。
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