五輪開催が暴き出したもの | |
[政治] | |
2021年7月15日 16時30分の記事 | |
戦後世界への敗戦国日本の復帰を象徴する1964年東京オリンピック。その使命を十二分に果たした感動の大会であったろう。 オリンピックが古来果たした役割、最近は発展途上国の先進国仲間入りと言うのもあげられる。 今回は多分に政治的(凋落の保守政権の得票挽回がかかる?)意図が明々白々のようであった。(IOCの放映権料欲しさのさもしい姿はいわずもがなである)。 同時に先進国から転落せんとする日本国を象徴するものになりかねないか。東日本大震災からの復興、原発事故からの復興、コロナに打ち勝った証だの、白々しく響く政治家の空言。 国民の中で五輪反対の世論が多数浸透し、素直に応援や賛同が得られない二極化が進み、政府の無責任さが際立ったがために、無観客開催を止むを得なくなった。 コロナは人の心を分断する。五輪は一時その心をまとめることができるかもしれない。しかし、政治的利用の政権の試みは大きく縮減し、コロナ再拡大の切っ掛けでも起これば(政府は選手村の感染者が出ても秘密にするようだが)大きく選挙票を減らすことは押しとどめようもないだろう。 五輪をきっかけに、政権交代、国民の意識が改まるようなことになれば、日本復興と言う意味合いにおいて開催の意義が見いだせることになるのかもしれないが。
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