大義なき五輪にならぬために | |
[政治] | |
2021年7月24日 9時21分の記事 | |
古代オリンピックは戦いに明け暮れたギリシャ諸国がこの時ばかりは兵士は戦いを止めスポーツ競技の為にオリンピアに馳せ参じたという。その競技は神々に捧げるものだった。 戦後世界に日本が復帰するために1964年東京オリンピックの最終聖火ランナーは原爆投下の直前広島で生まれた坂井さんだった。二度と原爆投下の過ちを繰り返さない世界に向けたメッセージであったとされる。早大陸上部の若人は一気に階段を駆け上り聖火台に点火する爽やかな姿は晴れ晴れとして人々に強く印象付けるものであっただろう。 今回の開会式は異例の無観客。直前まで不祥事での辞任解任。控えめな演出。海外のメディアは国民に最も愛されない大会と評したという。 世界に何を訴えるのか、最終聖火ランナーに込める意味も批判を躱けたいそのためには人気の高い人をなのだろうか。 コロナ禍感染急拡大という緊急事態のなかで開催を敢行する意味。政府から説明も説得も充分あっただろうか。 せめて、選手は鍛え上げた技で大会を盛り上げ、感染を避け、技とスピリッツを見る人々に捧げることで、そして感動を与えることで、単なる政治利用に終わらせようとする輩を乗り越えるそれは可能なのではないかと思われるのであるが。
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