天皇主権と戦争 | |
[政治] | |
2021年12月6日 18時25分の記事 | |
クラウゼヴィッツ「戦争論」戦争は政治の延長とすれば、帝国主義間市場争奪目的の政治の遂行が日清日露日中対米英戦争であった。 領土拡大ならぬ市場拡大支配地域の拡大が大日本帝国陸海軍の使命であった。軍の統帥権は天皇にあった。 白村江、秀吉の朝鮮出兵、元寇との防衛戦、いずれも時の政権が主導し天皇が指揮などしたことはない。明治憲法天皇主権下において、丸山真男が分析したように天皇を中心の政治力学が強く働いていた。確かに、関東軍に見られる軍部が勝手に戦争の火蓋を切ってはいるが。政治の型は分析の通り。 日米開戦真珠湾攻撃から80年を迎えようとしている。開戦は軍部如き武力に物言わせるものに政治を支配させると破滅するまで止めないかもしれないところ、天皇がこれを押しとどめる術もなかろう。 軍部に結果責任は期待できない。如かるべきに、軍とは無責任なもの、その頂点に担がれればどうだ。 政治は結果責任を厳しく問われる。軍人政治ではそれがたちまち怪しくなる。 孫子の兵法如き、戦争哲学が果たして帝国陸海軍の首脳の心中に在ったかは知る由もないが、その戦争全体の計画性、平時における準備、引き際、どれを見てもこと足らずであった。 しかし、敗戦の幕引きはやはり天皇の手によるしかなかった、軍部には戦争を終わらせる能力さえなかったことは、悲惨なことであった。 象徴天皇となって、戦争放棄は、象徴天皇制とセットとなった。爾来天皇は平和を希求する主体としての機関として、国民とともに日本国憲法を構成することとなるのである。
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