ウクライナ侵攻についての一考察 | |
[政治] | |
2022年3月20日 15時54分の記事 | |
「戦争は政治の延長」とはプロシアのクラウゼヴィッツ将軍の「戦争論」にある。プ−チン氏の政治は兄弟国ウクライナの西側への完全同化拒否であり=NATO加盟拒否などであった。その背景にはソ連邦への回帰があるという。 確かに目下国家間の戦争戦闘がなされているのであるが、当初から相手を殲滅するなどと言う熾烈さよりもロシア側の構えの甘さというものが感じられた。NATOに加盟しないで欲しい東部ウクライナの自治を認めるミンスク合意を認めるよう配慮してほしいという要求(やはり履行拒否が大きかった)。それを突っぱねてしまう、それならと言う面がなかったか。 カ-ルシュミット(「パルチザンの理論」)によると国際法の範囲内で講和条約を目指して戦う従来型戦争と違いレーニンのいう絶対敵を相手に(反ナチ)行う戦争とは違うという。後者となると敵と友の選別は決定的に違ってくるという。今回は敵はアメリカ民主主義を頂点とする西側文明なのか。 後者だと戦争は内戦の性格を帯びてくるという。 プ−チン氏にマルクスレーニン主義の理論的風格は感じられないがボルシェビキウクライナはあるという。気持ちはわかるというべきなのか。 何をもって勝ちと言うべきなのかについても。日本がバルチック艦隊を壊滅させたような完璧な勝利(出来すぎ後に禍を招く)など思わぬほうが良いという。孫子の兵法に曰く勝利と言うものは案外陳腐なくらい平凡なものだという。 だったら、小型核(一キロ四方を壊滅させ火球の中心温度は100万度?一万人の死者放射能被害を招く)の使用など恫喝に使っても実際使用は許されない。 双方の犠牲を少なくすべきは拙速を厭わず停戦にこぎつけねばならないことに尽きるであろう。
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