なぜ国葬なのか | |
2022年8月26日 15時27分の記事 | |
国葬令廃止以降は吉田茂、天皇皇后以来行われていなかったものをなぜ今か? 岸田政権の政治利用、安倍政権八年余の流れを途絶えさせないためのもの(評価は真っ二つに分かれる)、安保法(集団的自衛権の行使を可とする)、森友加計桜の疑惑を残したまま、いわば悪弊を抑え込めぬまま、アベノミクスで経済後退の収拾のつかないまま、もっと言えば日本国憲法のもと戦後民主主義国家平和国家として再出発した日本国、その動きに我慢ならない勢力、関東軍嘱望のA級戦犯容疑者上がりの岸信介首相以降の保守?本流の流れを引き継がんとするものといえもしようか。 岸田政権独自と言ってもこの流れを汲むようでは独自色は打ち消されよう。 奇しくも旧統一教会とのつながりの深い安倍氏、そして自民党。これらの流れは統一教会なしでは語れない。政治に食い込み国民を食い物にするカルトである。 であれば、この流れを引き継ぎ進まんとするには、統一教会と縁を切ってということになるであろうか。できはすまいか、この分裂矛盾を収めることはできまい。 国葬をやり遂げればこの流れを引き継げると思慮する政権、しかし、それは国民にさらなる批判と分断をもたらし、政権沈下の出発点となる公算は大きいといわねばなるまい。
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