国葬議は終わったけれど | |
[政治] | |
2022年9月27日 18時18分の記事 | |
なぜ国葬なのか。そう問いを発してみれば、政権与党の危機が見えてくる。 余りに悲惨な最期、長期政権(なりふり構わぬ統一教会頼みであっても)森友加計桜と疑惑づくめの負の遺産を抱えて、忖度行政と腐敗の度を深めつつ、オリンピック利権疑惑だらけで強行し、アベノミクスと言うこれも日本経済を後戻りできないところまで低落させた責任。 一瞬で命を奪われるという統一教会カルト私怨がらみの価値剥奪だったればこそ。何が何でも回復を掛けた岸田政権の国葬利用と言う掛けだったかもしれない。 だが、いくら糊塗しても、歴史の審判は峻厳に下される。 国葬の意義からかけ離れた強行だからこそ多くの反対批判が噴出した。 歴史に汚点。押し切ろうとして押し切れるものかは後世の評価だが、現今の評価は未来の評価をすでに見通しているのではないか。
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