子供達のいじめ問題はどこまで放置すれば気が済むのか | |
[■2012年情報開示「真実はここから始まる」] | |
2006年12月8日 2時23分の記事 | |
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溜池山王駅付近に高層マンション(80mm2以上)の衆議院議員宿舎が完成した。家賃月9万円余りであり、スカイラウンジまでが最上階に用意されている。 この様な予算が国に存在していながら、子供達の悲鳴は何も解決されていない。あと2年後には母子家庭への補助金も半額となる。 生活保護者へも同様の措置となる。お金のある所には、余裕を持たせる様な優遇措置をしておきながら、母子家庭など時給をはるかに超える保育施設費用を払い、仕事をしていかなければならない現状はどの様に解決していけばいいのか。 離婚後の養育費の支払いも激減している中においてのことであり、気持ちにゆとりも持てない様に国が仕向けている。弱者に対して悪化する様な対処しかしないのである。その様な国家がいじめ問題を解決していけるはずがない。 いじめホットラインですら、教師と大差ない教育委員会が受けているのである。子供達の悲痛な声はそこには届かない。高校生のいじめ問題も教員室に逃げながら、教師達は何も対処出来なかった。教師達も子供達の事が怖いのである。自分には災いが降りかからない様に何事も無かった様に大人しくしているしか出来ないのである。 今では幼稚園にまで存在しているいじめであるが、集団の中において、全員に同じことをさせるという心に歪みが生じる様な教育をしているために、起こる歪んだストレス発散方法なのである。そこには悪気というより、自分がすっきりしたいから、いじめるケースが多い。 子供達は時間割に毎日拘束され、その時間にしたくない事をする様に仕向けられ牛耳られているのである。子供達は外が晴れていれば、自由に外を走り回りたいはずである。その様な本能を押しつぶして、詰め込まれている学校教育なのである。 小学1年生で、家に帰る時間が15時頃になり、その後宿題をしなければならず、遊ぶ時間も殆ど無いという現状が存在する事事態、異常なのである。子供達が心の豊かさを学ぶ時間など、そこには存在しないのである。 それでは子供達は学校ではなく家で心の豊かさを両親から学べばいいではないかと思われるかもしれないが、家にいて、家族団らんの時間は殆ど無いのである。その時間を家庭に持たせようとするのであれば、宿題は無くすことからはじめなければならない。競争社会において、塾に通わなければ学力を向上出来ない様な学校のカリキュラムも欠点だらけなのである。 その中において、子供達が両親とのコミュニケーションによる心の豊かさが育つはずがないのである。時間が無さ過ぎるのである。 さらに、大人たちも働かなければ家計を維持できない苦しい現状も存在しており、家計にゆとりがある家庭との格差が大きく開いているのである。 公には景気は良い状態となっているが、大手企業だけなのである。 資金力のあるところに経済の流れが循環しているだけなのである。 そこから中小へは循環しておらず、大手企業も下請けなどの経費は削減しているのである。そのために賃金格差も激しくなっており、個人商店や個人経営の人達にとっては、将来は何の保障もないのが現状なのである。 この様な状態の中で、子供達は成長しなければならないのである。 教育にも塾通いなどの差が出ているため、同学年においても学力の差が歴然としているのである。勉強をしなければならない、将来就職もできないという強迫観念が子供達の潜在意識に植えつけられ、子供達は、自分の好きなことを探し、それを伸ばしていくゆとりすら無いのである。 ここにある小学1年生の少年が存在しているが、教育委員会と学校との話し合いによりホームスクールにて自由に過ごしている子供がいる。その子供は特に教えている訳ではないが、自分が知りたい事、興味ある事に意識を向けているうちに、自然に漢字も読める様になっている。好きな時間に好きな事が出来るのである学校に行かなくても、自由に自分で必要な事は覚えているのである。 もちろん、子供の個性に合わせて様々なスタイルは必要である。ひとつの例ではあるが、もし、学校にていじめられていたり、思い悩んでいる事があれば 心の整理が出来るまで、学校に行かないというのもひとつの手段である。登校拒否ではなく、フリースクール、ホームスクール(ホームエデュケーション)というスタイルなのである。 登校拒否という言い方は、差別用語でしかなく、子供の気持ちを萎縮させてしまうのである。また、登校拒否という言葉を使用する事により、学校に強制的に戻させるコントロールや呪縛をかける事になり兼ねないのである。子供達には選択の自由、教育の自由が保障されているはずなのである。 義務教育という名のもとに、国から生徒1人あたりかなりの額の年間予算が学校に支払われているのである。ホームスクールを全面的に容認してしまえば、国から生徒に支払われる費用は家庭に支払わなければ意味をなさなくなるのである。 国はどこまで子供達のいじめ問題、学校問題から逃げるのか。これからの日本の未来を築いていく子供達の未来への希望を閉ざしたままで良いのか。未来は閉ざされていく一方なのである。このままでは、福祉関連の予算は削減される一方でありながら、軍事関連への予算は増大され、軍隊が復活するごとく、日本は変貌していくのである。 ※ホームスクールはそれぞれの家庭状況にもより難しさは多々ある為、選択肢を広げる必要性がある。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■ 日本スピリチュアルヒーリング協会 http://www.meraina.org/ ヒーリングショップ天香 http://meraina.ocnk.net/ ■□■□■□■□■□■□■□■□■
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