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くる天
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2009.11.21 京都講演会「日本」(1)
 
2021年10月16日 8時23分の記事

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今日は京都です

タイトルは日本、という事です
この地、京都というのは平安京ですね
平安京というのは、ヘブライ語ではエルサレムと言います

私どもは、このエルサレムの地でニッポンについて改めて研究してみたいんですが
今日私が展開する話の中で
2つの大きなトピックが出てきます。
そして、その2つの大きな仮説に対して、猛烈に反発する人達がいます
それは、もー、わかっています。

そこには利害関係があるんです。
おそらくその人達は、頭ごなしで、頭ごなしに、総論否定をしてくると思います。
つまり、具体的な反論をするのではなくて、総論的に否定をする

つまり、それしか否定の方法がないような話が今日出てくると思います
ただし私の立場から言わせて頂ければ、今日の話はあくまで仮説です
これが真実かどうかは私にも分かりません。
しかしながら
真実に近い仮説というのは、物事を合理的に説明するんです
今日は私の話が、どれほど皆さんを納得させるか
それ次第によって、この話が真実であるかどうかを、ご自分で判断なさって下さい

それでは始めます。

ニッポンの話をする時に、46億年前にさかのぼる必要があるかどうか
地球が出来たところから話を始めると、たぶん最初の1%ぐらいで終わっちゃいそうだから
そこはちょっとはしおります

で、一応ですね、ニッポン列島が出来て、人間らしきものが住み始めたぐらいから話を始めましょう

という事で、
話の流れから言うと
旧石器時代というのがあるわけですね
旧石器時代は、一応人間らしき人達がニッポン列島に住んでいました

その人達は一体どこから来たのか?
日本で生まれたわけじゃない
どこか、大陸にいて、そこから海を渡って
ないしは凍った海を歩いて、ニッポン列島に渡ってきた。

おそらく、こんな人達であったろうと
なんか、毛むくじゃらで、髭が濃くて
目が大きくってと
いう事を、なんかこの絵を描いた人はイメージしたみたいです

実際おそらくそうだったでしょう
北の寒い所から来た人達なんですが
何故か、北には順応しないような大きな目をしていて
毛が濃くて、鼻が高くてと、いうのがどうやら本当だったようです

さて、そのあと、旧石器時代のあとに来たのが
縄文時代です
旧石器時代と縄文時代の大きな違いは、定住したかどうかです
縄文時代において、ニッポンに住んでいた旧石器時代の人達は
ある程度、定住をして、そこでもって狩猟生活をしたり、一部は栽培もやっています
農業とはいかないけども、例えば、非常に大きくて中身の濃い栗ばっかりを選んで、その栗を植えて
そこから栗の実を得ていたと、いうなことが、ある意味の栽培ですね、といった事もやってました
それが縄文時代という事で
それまでの所謂狩猟生活とはあきらかに違う生活形態です

じゃそれまでの狩猟生活、なにを狩猟していたのか?
これです
マンモスだの、大鹿だの、そういったものが、
この大陸から、凍った海峡を経由して、北海道のほうに象が渡って来た

で、こちらのほう。
対馬海峡の所は、まだまだ海が残っていたけども、
実は凍っていたんで渡れちゃったと。いう時代があったわけですね

その時代に、南からはナウマン象が、北からマンモスが。
日本列島に入ってきた、
で、その象や鹿を追いかけた猟師達が一緒に日本列島に入ってきたんです
これが旧石器時代の人間なんです。

じゃーね、えー、まー、そういった事で。
彼らの主食は象、
象ってのは食べた事ないんで分かんないんだけど、ウマイどうか分からんけど
まー、あの当時は、たぶんウマイもの選んで食ってる場合じゃなかったんだと思う
とにかく、取れるもの取らないともうホントで餓死してしまうような時代だったと思います

で、その当時、石を砕いて、それを武器にしたと
これを槍の先にくっつけたりしたりして、象と戦ったり
落とし穴に象を追い込んで捕まえたり、
もしくは、崖に追い詰めて、崖から落ちる事によって、その動物を狩る
動物の狩りをしたとか、色んな方法があったようです

で、その当時は、移動生活ですので、
定住するための家はなかった
どんな所に住んでいたのかというのを
学者の方が想像して、たぶんこんな所に住んでいたであろうと
いう風に想像されています

僕はこの形をみて、ありゃ、どっかで見たな
これはモンゴルのパオです
なにも変わらない
おそらくモンゴルのパオみたいな所に住んでいたであろうと

で、考えてみれば、モンゴルの民も定住してないんですね
要するに、放牧、羊だのラクダだのと一緒に移動しながら生活をしていた

旧石器時代の人達は象を追いかけて移動をしていた
その違いはあるにしても、なんだか非常に似かよってるなーと

元々彼らはどこから来たかというと
今のバイカル湖の南あたり、っていうとほとんどモンゴルなんですよね
要するに、この辺りにいた、民族が旧石器時代に日本に来ているんではないかと
で、今でもこの辺に似たような人達がいるわけです
こういう状況なわけです

旧石器時代は意外と日本人はあまりよく分かってないんだけども
かなりの所謂文化に近いものがあったであろうと、考えられます

これは、マンモスの子供
マンモスの子供がシベリアの凍土を掘ってみたら出てきたと
このマンモスの仲間がニッポン列島まで来ていたであろうと

どこだっけ
長野に野尻湖があって、そこではナウマン象の骨が見つかったりしてます
実際だからこういった形でニッポンにも旧石器時代があったんだと、いう事が今では定説になっています
この辺は別に知の先生も異説を唱える気は今んとこはありません、将来は分からないけど

という事で
そのあとに来るのが大事ですね縄文時代
縄文時代というのは、紀元前3世紀までの約1万年を示します
非常に長い間、が縄文時代だったんです
実はこの縄文時代っていうのを
イスラエルの歴史で見ると
紀元前722年に北イスラエル王国が滅亡してるんです
その頃ニッポンは縄文時代だと
向こうはすでにねイスラエル王国があったんだ
こっちは縄文時代
そのくらい差があった

という事は、紀元前722年に滅亡した時に
流民となったイスラエルの民は、
さてどこへ行ったんでしょう?かと
いう話が必ず出てくる

そうするとイスラエルの失われた10支族
の、行方がどうのこうのと、いうとこに結びついてくるんです
確実に結びついてきます、今日のあとほうでお話します

で、縄文時代というのは1万年
そのあとに来るのが弥生時代
今度この弥生時代ってのは、縄文時代とどこが違うかっていうと
これは明白、農耕、農業、
弥生時代に入ったらば、人間は今までそれまでやっていた狩りではなくて
水田を作って、そこに稲を植えて、そこから得たお米でもって生きて行くと
いう全く違う形態に変わったんです


2009.11.21 京都講演会「日本」(2)
で、実はですね、この時点で人間も全部変わってます
縄文時代ニッポンに住んでいた人間の数は25万人と言われています
それが弥生になってから一気に100万人に増えています
その時に実は、人種すら変わっちゃってます
その増えた100万人というのは、
実は75万人は、外から入って来たんです
そして混血がなされた上で、新しい弥生人というニッポン人が生まれたんです

だから縄文人の血は受け継がれているんです
縄文人と新しく渡来した人達が混血した結果、我々の先祖が作られたんです
そして、ここにいらっしゃる皆さん
普通は日本人の方だと思うんですが
中には統一教会の方もいらっしゃると思う(関係ねーか、それは)

統一教会の方も日本人の方いらっしゃいますんで、ちょっと失言しました
我々実は弥生人なんです
我々は縄文人の血を引いてるけども、弥生人なんです
ま、そのー、別に原始人って意味じゃなくてですね、人種的にですね

さて、縄文時代っていうと
とにかく鉄器が入ってきた、青銅器が入ってきた
そして、農耕文化入ってきた
これによって、急激に人口が増えた
それ以外にどんな変化があったかというと
争いが生まれた
実は縄文時代までは、我々ニッポン人はほとんど争った形跡がない
普通は何かモノを取り合ったりして、争って人が死んだりしてるはずです
全然見つからない
つまり、縄文時代の長い長い間、本当に平和だったニッポンは

全く争った形跡がない
それが弥生時代になったら急にチャンチャンバラバラ
当然そうです、農耕、稲作、当然水が絡んできます
水を奪い合う争いが発生しました、これが集落と集落の戦いに発展します
そこでやはり戦って傷付いて死んだ人とか、いう人達の骨が見つかっています
つまり弥生時代というのは戦争の始まりでもあったんです。残念ながらね

さて、これは、まだ平和だった時の縄文時代
住居があって、一部畑や樹木の、例えば果物なんかの森があって
そしてゴミ捨て場があって
食べたものカラは全部ゴミ捨て場に捨てると
で、そのゴミ捨て場というのは今現代では貝塚と呼ばれています
貝塚っていうのはゴミ捨て場だったんですね

じゃね、縄文人ってのは一体どんな顔をしていたのか?
縄文人ってのは、あきらかに今の現代人とは違う顔をしていると
つまり我々は先ほど言ったように弥生人であるから
縄文人とは違う、
じゃそのオリジナルの縄文人、
現日本人であるとこの縄文人はどんな顔をしていたかというと
実は、結構毛深くて、鼻が高くて、目が二重、なんですね
これって不思議なんですよ
非常にその地球の温度の低かった氷期の一番最後の頃に日本に渡って来た人達だから
寒い所から来てるわけです
寒い所から来たという事は、本来ね寒い所で生まれた民族というのは
一重なんです目が小さいんです、鼻が低いんです鼻が高いと凍傷になるから
で、毛が薄いんです毛が濃いとこの辺全部氷がついちゃって凍傷になっちゃう

だから本来はそーゆー顔をしてないはずなのに、こんな顔をしてるわけです
見れば分かるようにアイヌです
実はアイヌの人達は、縄文人のDNAを深く受け継いでる
縄文人そのものではないけど、少なくとも我々よりは、はるかに縄文人に近い人種なんです
見て下さい、二重まぶた、髭ボーボー、鼻高い、
昔は、おそらくね、大正時代ぐらいまでは、アイヌ人ってのはヨーロッパ人だと思われていたんですって
目も青い人がいっぱいいるし
確かに顔を見ると、この辺の二人なんてのは白人と言われても納得出来るような顔をしている
ところが実はこれが縄文人に近い
おそらくこれに似た顔をしていたであろうと

という事はどーいう事かっていうと
たまたまこの人種が発生した時
たぶん地球はあったかかった、
で、こういう顔で種族が形成されたあとに
寒くなってきて、しょうがないから南のほうにだんだん降りてきて
結果的に日本列島に住みついたけども
元々はあったかい時に生まれたから
所謂熱帯に順応したDNAをもって生まれた、
という事であろうと思われます

そして、何を食べていたか?
縄文人が食べていたもの、というのを調べてみたら
なんだ全部僕の好物ばっかりなんですね

あのねー、春は若草、あさり、はまぐり、木の芽、うさぎ
ウサギは僕は食べないで飼ってるほうなんですけども

それから夏にかけては
トドに、アザラシ、シジミ、カツオ、はまぐり

秋にかけては
マグロ、ぶどう、マス、鮭、椎(の実)とか、栗とか、どんぐりの類

冬は
クジラに、鹿に、イノシシ、

非常にバランスの取れた季節季節に応じた食生活をしていたんです
これはいいですね。好きなもの一年中食べれて
争いはなくて、これホント理想的です
僕ね縄文時代行ってみたい、出来たら縄文時代に次回は生まれたいと思っています
これ最高
まずね、争いが無いってのがいいでしょ?
今みたいにな、いやらしいその謀略とか陰謀なんかない
毎日毎日が本当に安定した落ち着いた生活
ただし一個だけ問題がある、あんまり長生き出来なかった、
やっぱ疫病、ウイルスや細菌に対する備えが無かったから
平均寿命30歳
けどま30歳まで生きれればいいかな

そーいう時代があったあとに弥生時代がきたわけですね
稲作というものが生活の中心だったわけです
なんか今こうなってくると、ここまで来ちゃうと
なんか今のちょっと田舎のニッポンの農家の風景とあんまり変わんなくなってくる

という事で、2枚目
ま、こういう風に囲炉裏みたいなのがあって家族団らんをしていたわけです
これが弥生と縄文人の骨格の違いを現しています
ね、やっぱり顔が長い、そして鼻が低い、これが弥生人の特徴
つまり、のっぺりしていて、鼻が低くて、目が細い
これは寒冷地で生まれた種族なんです
鼻が高いと鼻が凍傷になっちゃう、
目が大きすぎると目が冷気に触れる
そういった事で寒い所で、もしくは寒い時期に生まれたのがこの弥生人の先祖であると
この人達が入ってきて、この元からいた縄文人と意外とすんなりと順応して混血してると思われます
ただ人数的には4対1くらいの差があったから、従ってこっち(弥生)の血のほうがずーっと強い

ただし我々は純粋な大陸から来た弥生系の民族ではない
やっぱりこっちの(縄文)血が入ってるから
いまだに我々ニッポン人は大陸の人とは若干違う
我々と韓国人は、やっぱあきらかに違うところがある
それは、こういう事であると思います

これは骨格なんだけど、皮を剥ぐ前はこうだったと
これが弥生人、髭ボーボー。目がおっきい。鼻が高い
こっち縄文人、こっちが弥生人、なんか今でもどっかにいそう感じでしょこの人はね
ま、こんな感じですね
今の現代の日本人にとてもよく似ていると思います
目もそれほど大きくはないけど、それほど小さくもない、ちょうど中間くらいみたいな

分布からいうと、渡来系、大陸から来た弥生人というはやっぱり九州とかこの辺に多い、みられる
そして元々いてゆっくりと弥生人と混血した縄文の血の濃い人達は、やっぱこっちに東北とか、こちらに多いそうです

これは部落同士で争ってる絵ですね
やっぱり稲作が絡んでますんで
凶作の年もあったでしょう
そういった時は水の取り合いとかいった事でイクサになったそうです
嫌ですね。稲作と一緒に争いが入ってきてしまった
平和なニッポンという国に

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