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薩摩いろは歌 幕末編24 四侯会議 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年11月24日 15時3分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編24 四侯会議
古賀宣子



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概・四侯会議
 朝政改革を視野に入れつつ、兵庫開港問題の処理と長州藩処分問題に決着をつけることを目標に四侯(久光・春嶽・宗城・容堂)会議が開かれる。その結果は・・。


作者プロフィール:
ひっそり年金暮らしの老夫婦。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
薩摩いろは歌 幕末編12 戦端
薩摩いろは歌 幕末編13 戦禍
薩摩いろは歌 幕末編14 八月十八日政変
薩摩いろは歌 幕末編15 生麦事件の総括
薩摩いろは歌 幕末編16 西郷召還
薩摩いろは歌 幕末編17 元治国是会議
薩摩いろは歌 幕末編18 長州藩処分問題
薩摩いろは歌 幕末編19 藩政改革
薩摩いろは歌 幕末編20 薩摩藩の周旋運動  
薩摩いろは歌 幕末編21 薩長盟約
薩摩いろは歌 幕末編22 有待庵             
薩摩いろは歌 幕末編23 将軍空位



 
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編24 四侯会議
古賀宣子


一 忍之一字

 孝明天皇が悪性の痘瘡で崩御したのは、慶応二年十二月二十五日。
徳川慶喜が将軍職に就いた二十日後のことである。
 第二皇子睦仁親王の践祚が翌慶応三年一月九日。政治的行為のまったく期待できない若年天皇の誕生で、左大臣二条斉敬が摂政に就任した。
「これまで近衛忠房と晃親王、正親町三条実愛の御三方を通じて、朝議に働きかけてきた薩摩藩だが」と一蔵。相手は藤井良節である。
「昨年の列参事件で、晃親王(蟄居)と正親町三条実愛(閉門)は処分を受けましたし」
「薩摩藩に近い人物が近衛様お一人となっては、ほとんど手も足も出せぬ状況だ」
 そして一月十五日、新帝誕生にともなう大赦が行われたが、文久二年に処罰された岩倉具視や千種有文、久我建通らには、何等の沙汰もなかった。
「昨年の列参関係者に対しても、同様の対応じゃぁ」
「岩倉様と薩摩藩に関わい深かとみられう人物ばかいですね」
 このような差別赦免は摂政二条斉敬の意向によって行われたと、千種有文はみているという。
「あん時の処分は、そもそも攘夷強硬論浪士の讒言にようものじゃぁから、冤罪だと受けとめておられもす」
「それに元治の庶政委任の勅以降は、朝廷と幕府が一体となった体制じゃぁゆえ」
「幕府との接触を理由に受けた罪を、いつまでん負わされうのは理屈にあわんとの言い分です」
「二条摂政が冷静で公正な判断ができたならば、岩倉様らの赦免をやっていたであろうが」
 尤も、ひとり二条斉敬の責任に帰するものではなく、議奏や武家伝奏ほか朝廷全体が抱えている病根とみるべきではないか。
「それゆえ中御門様が久光公の一日も早かご上京を望まれ」
 諸役人(議奏・武家伝奏)取替、二公(二条斉敬)退役これ無く候ては、とても天下治平に至り難し、と訴えているのだ。
「千種様と中御門様はついに二条摂政に天誅を加ゆっとまで言いだす始末です」
「天誅だと」
「二条家の大夫一人を殺害のうえ梟首して、立札に辞職を勧告すう文を貼うと」
 さすがに岩倉具視はこの案には賛成しなかったという。が、薩摩藩を通じて朝廷への周旋・工作を依頼し続けている。しかし一蔵は、しばらくは「沈黙・・忍之一字」で、機会を待つしかないと岩倉への手紙で述べざるをえなかった。一蔵としても、打つ手がなかったのである。
「それに岩倉様が望んでおられうのは、赦免だけではあいませぬ」
 左大臣・摂政二条では「治国無覚束」とし、近衛忠熙の復帰を希望している。
「近衛忠熙様の復帰とは、左大臣・摂政への、であろう」
「そうです」
「先日の手紙でも」
 先日とは二月初旬を指している。
 岩倉具視の使いで一蔵宅の茶室に手紙を運んでくるのは、洛北に住む旧知の娘という。十七、八歳くらいだろうか。いつも身支度を大原女の風体に着替えて、手紙を忍ばせた薪を頭にのせてくる。必ず一蔵自身が出迎え、受け取り状を渡すと、またそれを薪に忍ばせて帰っていくのが常だ。
 岩倉は手紙のなかで、あわせて朝政改革が必要であると述べており、その構想について、次のように綴っている。
「皇国を興起し、外国之軽侮」をうけないようにするための大策を立てることを、一日たりとも因循してはならない。そのために、いまこそ幕府を「中興」させる対策が必要である。幕府の「中興」はすなわち「皇武」両者の「中興」である。「宇内(世界)」を籠絡する「大英断之偉略」を朝廷から起して、朝廷と幕府が風雲一体となった(「朝幕大に風雲会合」)勢いで「皇国」を維持しなくてはならない。いまや「皇武興起」が急務である。
「岩倉様は皇国の維持のために、幕府が必要じゃぁと考えておられうが、我等はすでに廃止を思っておうゆえ」
 一蔵とは、国家構想の上で距離があった。
「そいどん」と一蔵はつけ加える。
 朝政改革が必須の要件であると考えている点において、完全に一致していると。
 このように朝政改革を視野に入れつつ、兵庫開港問題の処理と長州藩処分問題に決着をつけることを目標に、久光をはじめとする有力諸侯の上京となるのである。
 家老小松帯刀、西郷吉之助、大久保一蔵らの在京首脳部によって、久光(および伊達宗城、山内容堂、松平春嶽)の上京計画が最終的に煮詰められたのは、諸公家赦免の後であった。
 一月二十二日に京都を発った西郷吉之助は、二月一日に鹿児島に到着。二月六日に在国の家老、側役全員が出席した会議が開かれる。そこで久光が上京すべきであることを西郷が提案すると、思いがけず一同が賛成。よって翌日、桂右衛門、島津伊勢の両家老と一緒に久光を訪問し、上京の件を説明したところ、すぐに承諾してくれた。
 藩重役の評議で決まらず、久光にも拒否されたら、自分は「退身」の覚悟であったから、飛び上がらんばかりに嬉しいことであった。
 手紙にそう記す西郷吉之助は、一大決心の上で帰国していたのである。
 久光の上京はこのあと藩内に布告されたが、目的は新帝への「天気御伺」であるとともに、朝廷のための「後年之御策」を建てるためであると記された。つまり朝廷改革のために上京するという意味である。
 こののち西郷は、二月十三日に鹿児島を出発し高知に向かう。十六日に山内容堂と面会して上京の同意を得、さらに二十四日に宇和島を訪問。伊達宗城に上京を促し、二十七日に鹿児島に帰着して、久光に復命した。
 松平春嶽への上京要請は、二月九日に小松帯刀から越前藩家老酒井十之丞に伝えられた。その際、この件については大久保と西郷と自分の三人だけが知っていることだから、上京の目的については、ほかには秘密にしてもらいたいと小松帯刀は告げている。
 久光は三月二十五日、三邦丸に乗船し、藩兵役七〇〇人を率いて鹿児島を出発。二十八日佐賀関、四月一日に小豆島に碇泊し、二日昼時に大坂安治川側口に着船。しばらく大坂にとどまり、十二日に京都二本松藩邸に入った。
 なお伊達宗城は四月十五日、松平春嶽が十六日、山内容堂は遅れて五月一日に入京する。
 そして久光の入京に先だち、三月二十九日に晃親王、正親町三条実愛、中御門経之、大原重徳らの列参関係者の赦免が行なわれ、同時に岩倉具視、久我建通、千種有文、富小路敬直の入京が許された。ただし岩倉らに対しては、住居は依然洛外であるとし、月に一度、一宿だけの帰宅が許可されただけで、完全赦免は洛中居住が許される十一月八日まで待つことになる。


二 慶喜の自信

 西郷吉之助が鹿児島に帰っている間に、外交問題の局面が大きく動いた。
 二月六日、フランス公使ロッシュが大坂城で将軍慶喜に謁見。兵庫開港を強く主張し、場合によっては武力行使に出ることをほのめかしたのだ。
 大坂・江戸および兵庫・新潟の開市開港は、ロンドン覚書(文久二年に調印)によって、本年、慶応三年十二月七日と定められており、その実施にあたって、六か月前に幕府が布告することを約束していた。とくに兵庫開港はフランス、イギリスをはじめ外国側が強く望んでいたものであるが、孝明天皇が、京都に近い兵庫の開港と大坂開市に、強く反対していた経緯がある。
 ロッシュ個人は幕府に好意的であったが、列強諸国の総意と姿勢を将軍に伝えていたのだ。
 こうした外国の動きを受け、慶喜は三月五日、朝廷に兵庫開港の勅許を要請。これにたいして朝廷は十九日、不許可の旨を伝えたが、慶喜は二十二日に再度、勅許を奏請した。「イギリス公使パークスの強い要求があったごとですよ」
 藤井良節が近衛家からの情報を伝える。
 しかし、二十九日の朝命には、依然として許可しないとあった。「一月に赦免された公家の多くが、かつて破約攘夷論を支持する立場であいもしたから、彼らの意見が影響したのじゃなかでしょうか」
「とはいえ、容易に意志決定できぬ因循体質は、相変わらずだ」
 一蔵は呆れる。
 慶喜は朝議の返事をまたず、三月二十二日に、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの四国代表を引見するために下坂する。
「新将軍として最初の謁見になります」
 二十五日から諸国代表に内謁したあと、三日後の二十八日に公式引見し、条約の履行を約束した。
「慶喜の自信の表れであるのう」
 朝議を動かし諸侯の同意をとりつけられるという、自信だ。
「謁見の成功が、そいを裏付けておいもす」
 一方、久光を出迎えるため下坂し、そのまま大坂藩邸に滞在していた小松帯刀からは、四月八日付の手紙が届いた。
 慶喜が兵庫開港を確約したことを、藩邸を訪問したイギリス公使館通訳官であるアーネスト・サトウから聞かされたと。
 そこには「別ニ左迄之事も無御座候」とあり、特に驚いたようすはない。予測していたことであると同時に、兵庫開港そのものに薩摩藩は反対してはいないからだ。
薩摩藩在京首脳部が考えていたのは、どのような手続き(朝議と諸侯会議)で兵庫開港を決めるか、その問題にあったのである。
 話を先に進める前に、廷臣の淘汰を呼び起こす問題について触れておこう。
 慶喜との謁見を終えたイギリス公使パークスは、直接横浜に帰らず、伏見から大津に抜け、琵琶湖西岸の北国街道を北上して、西海岸の要港敦賀行きを要望。四月十三日に京都から駆け付けた老中板倉勝静は、京都市中に立ち寄らないことを条件に了承する。公使一行は十五日に大坂を出発し敦賀に向かうが、この日所司代から武家伝奏に対し、一行の伏見通行を許可した旨の通知がなされる。
 そして十六日夜のことである。
 鷲尾隆聚と滋野井実在が血相をかえて内大臣近衛忠房と国事御用掛一条実良邸にやってきた。
 浪士らがピストルをもって鷲尾のもとにおしかけ、黙認した議奏三人と武家伝奏の失錯であると、激しく責め立てたという。
 これをうけて近衛と一條は九条道孝(国事御用掛)と柳原光愛(議奏)とともに摂政二条斉敬邸に赴き、その措置について二条と議論。
 その結果、十七日に広橋、六条、久世の議奏と武家伝奏野宮の両役四人が職を免ぜられたのだ。
「幕府方では、英人の旅行と両役退職の要因は」
 真相を探っていた徳三の報告だ。
 岩倉・鷲尾・薩藩士との間に企てられた術策ではないかと疑っているという。
「冗談じゃない」と、一蔵は一笑に付したし、あとで小松帯刀も、意外な次第と述べた。「議奏三人が一度に辞めさせられた例は、文久三年八月政変の際にあるが」
「あれは政治的事件でした」
「今回のは、一種の脅迫じゃぁなかか」
「何ゆえ、これだけのこっで近衛様は動かれたのか」
「しかも二条摂政は、両役を庇うこっなく、辞職を命じられ」
「異国人がからむ揉め事として、ひたすら退けたでは」
「それに公家は脅迫といった行為に極めて弱かとこいもあうし」
 そして二人は二条斉敬の、朝廷政治を取りまとめていく能力に、改めて疑問を投げかける。
「朝廷のなかで敬服する人物は前関白鷹司輔熙様であり」
 小松帯刀はさらに続ける。
 広橋・久世両議奏と野宮武家伝奏は幕府にのみ「阿諛」する者で、「公論」も行われないと。
「薩摩藩としては」
 一蔵も、人事による朝廷改革の好機到来と、同感の意を示す。
 久光が上京を決意し、松平春嶽、伊達宗城、山内容堂に上京を要請した重要な目的の一つが朝廷改革である。が、もう少し具体的にいうならば、小松帯刀らが常に述べている「第一に廷臣の御人選」であり、その人材によって朝廷を「匡正」することであった。
 今回久光上京にあたって、西郷(および小松、大久保)が呈した建言では、議奏には忠実な人物と知略のある人物を一人ずつ抜擢し、武家伝奏には「義気」があり決して節を曲げない人物を二人登用されたいと述べた。
 両役に人材を配するという構想の背景には、摂政二条斉敬の政治能力と意欲に、強い懸念を抱いていたからである。薩摩藩首脳部にとっては、この朝廷人事は「朝廷の御急務」であり「興廃」にかかわるものと認識していた。
 五月六日に久光と宗城が二条摂政と面談した結果、議奏には柳原光愛、葉室長順に加え、正親町三条実愛が復職し、長谷信篤が再任。
武家伝奏には、久光らが面談する以前に、日野資宗が就任していた。
「先ずは薩摩藩の望みの半分が達成された」と小松帯刀。
 両役候補に数名の名を挙げて登用を要求してきたが、両役人事には慶喜も発言していたので、もともと無理な注文であることは承知の上であった。
 薩摩藩には次の、より重要な目標が・・。
 それは朝廷と将軍慶喜にたいする長州藩寛典処分の交渉である。朝廷人事はこの交渉を成功に導くための前提として意図されていたのだ。


三 長州藩寛典処分案

 五月十七日、木屋町通り蛸薬師下ルにある山内容堂の土佐藩邸に、島津久光、松平春嶽、伊達宗城が集会し、先ず長州藩処分問題を話し合った。
 毛利敬親・広封父子の官位を復旧、敬親は隠居し広封が家督を相続、削地は取り消しとする。
 このように長州藩の寛典処分案が決議された。
 そして、この案をもって将軍慶喜と交渉し、慶喜の同意を得たなら、武家の総意として朝廷に伝え、朝議をへた上で、勅命によって長州藩の寛典処分を命じてもらう。これが四侯の考えであった。
 寛典処分を勅命で、というのは、久光が主張したものだが、それは薩長盟約第四条の「冤罪は、従朝廷御免」となるよう薩摩藩が尽力すると、長州藩に約束したことをここで実行しようとしたのだ。
 久光は薩長盟約について、この場ではっきり触れたわけではないが、三侯も異論はなかった。
 兵庫開港問題に関しては、四侯は開港論で一致していた。
 また開港を布告する方法・手続きについて、兵庫開港を勅許とするのではなく、これも勅命で開港する形にするべきであると主張。
つまり、勅許を得て幕府が布告するのではなく、天皇が勅命を下して兵庫開港を布告する形式をとる、というものである。すなわち外交に関する最高の権限は、天皇・朝廷にあるという見解で、これを幕府に認めさせる意図であった。
 四侯がなぜ勅命にこだわったのか。
 それは開港場における幕府の貿易独占体制を破る意図があったからだ。
「勘定奉行の小栗忠順が」と久光。
 フランスから派遣された経済使節クレーとの間で、六〇〇万ドルの借款契約を結んだという。
「借款契約・・。担保は」
「蝦夷地全土の由」
「もし、返済不可能な事態に、陥った際は」
「蝦夷地は、仏国のものになる」
 もってのほかと久光らは呆れる。
「小栗忠順がどれほど優れた役人かは知らぬが」
 幕府の発展を願っていても、肝心要の日本国が欠落しており、許可した慶喜も同様と、四侯は驚きを隠さない。
「幸い相手方の事情で、実行されずに終わったようだが」
 久光は安堵したように言い、続ける。
「あれは開港場で、幕府が我が国の物産を独占して扱うことを暗黙の前提としておった」「昨年秋のことですな」松平春嶽が応える。
「実は弊藩はすでに長崎を拠点に生糸や綿の貿易を行っておりますが、割拠を目指すからには」
 諸藩も開港場の新設と自由貿易を求めていかねばなりますまい。
「御尤も。自由貿易への突破口と致さねば」と三侯も口を揃える。
 そして、以上のような要望を慶喜に伝える前に、慶喜と交渉するにあたっての順序や心構えについて、四侯は綿密に打ち合わせした。それは西郷吉之助が久光に行った建言によっている。
 四侯がよくよく打ち合わせて、論が一致するようになされたい。
なぜなら慶喜は「譎詐権謀」の方であるから、こちらが正論を主張しても、きっとむりやり理屈をつけて反論するだろう。それに対してこちらから批判・反論しても、言い逃れをするか、「裏に相廻」るかして策略をめぐらすに違いない。また「改心」した姿勢を示しても、そのまま信用してはならない。あとで欺かれることがあるので用心が必要である。 慶喜は嘘いつわりを弄する信頼できない危険な人物である。これが小松、西郷、大久保の側近三人の慶喜評だ。もっとも慶喜が、変わり身が早く、かつ老獪であることは久光も承知の上である。それでもなお、西郷は念を押したのだ。
 用心の上にも用心しないと、慶喜の術中にはまってしまう、くれぐれも気をつけるようにと。
 要するに政治や会議の場における駆け引きでは、慶喜の手腕・能力が四侯より上なのだ。そのような人物と対等に議論するためには、四侯の意見を一致させ、固い協力体制で臨まなければならない。
 これが西郷の主張である。
 五月十九日、歯痛で欠席の容堂を除き、久光、春嶽、宗城が二条城で慶喜と会談。三侯が慶喜に要求したことは、
「朝議においては、まず長州藩の寛典処置を決定し、その上で、兵庫開港問題の議論を」「しかし、開港を布告する期限が迫っておるゆえ」と慶喜。
 期限は六月七日だが、慶喜はそれを盾に、まず兵庫開港を朝議にかけるつもりであると答えた。
 これにたいして久光は反論した。
「長州藩の処置を決めることが大事で、それをしないで兵庫開港を布告しては、人心は決して服さない」
 宗城も同じ趣旨を論じた。
 しかし、慶喜はあくまでも兵庫開港を先にと主張し、三侯の要望に同意しなかった。
 三侯(そして容堂も)が長州藩処置の先議にこだわったのは、次のような理由による。
 慶喜にとっては、兵庫開港問題が最も重要かつ緊急の課題であることはわかっている。だから朝議でそれが決着すれば、長州藩問題はいい加減に処理してしまうであろう。結果を先回りして述べるならば、まさしく四侯の危惧は的中することになるのだが。
 また四侯は、兵庫開港問題を勅命でと注文をつけているが、開港それ自体には賛成している。
 長州が先か、兵庫が先か。容易に意見が一致しない。そこで春嶽が折衷案を提出した。それは朝議において、二件を同時に審議するという案だ。慶喜はこれに同意。しかも慶喜は、長州藩の処置を寛大なものにしたいと初めて明言し、この日の会議は終わった。
 春嶽の折衷案は名案のようにみえるが、きわめて危険な案である。慶喜がこれを実行し、かつ朝議でも同時に審議される保証はどこにもない。
 それに気付いた三侯が、二十一日に二条城に登営し、老中板倉勝静に面会。やはり長州藩問題を先にしてほしいと申し入れた。
 二十二日には大久保一蔵が春嶽を訪ね、明日に行われる朝議への出席を、久光は断わることにしたと告げた。その理由は、長州藩問題が先議でなくなったことは問題であり、また、寛大の処置と慶喜はいっているが、その内容も明らかにしておらず、この点も疑問であると。
 またもう一つの理由は、朝議に出席した場合、このままでは慶喜と久光の意見が対立して議論となることは明らかで、それを避けるためと。朝議の席で、武家どうしで激論となるのは、武家にとっての恥辱であるとの意識である。
 大久保・薩摩藩の意見は・・。
 長州藩問題を先議し、幕府が失政(長州征討)にたいして反正の意を示した上で、朝廷に長州藩を寛大な処置(具体的に)とするよう奏請し、それをうけて朝廷が寛典の勅命を下す。そのような手続きであるべきだと、大久保は強硬であった。その心底には、このくらい強固な姿勢でなくては、慶喜にしてやられる、という決意があった。
 そこで春嶽は側近の中根雪江を宗城のもとに派遣して意見を求めたという。宗城の意見は次のようであった。自分も久光・薩摩藩と同意見だから朝議を欠席するつもりであること。また久光と連名で自分たちが主張してきたことを、書面にして慶喜に提出することにしていると。
 中根の報告により、春嶽も賛成し、二十三日(朝議当日)の午前中に、四侯の連名で、慶喜に建議書を提出した。


四 沙汰書

 五月二十三日、御所虎之間(諸大夫の間)で、夜の八時すぎから朝議が開催された。後に近衛忠房から聞いた話によると、出席者は次の通りである。
 南面に摂政二条斉敬、朝彦親王、晃親王。東面に近衛忠熙、鷹司輔熙、内大臣近衛忠房、一条実良、九条道孝、鷹司輔政、議奏正親町三条実愛。北面に武家伝奏日野資宗、議奏柳原光愛、議奏葉室長順、議奏長谷信篤。そして西面に老中稲葉正邦、老中板倉勝静、京都所司代松平定敬、松平春嶽、将軍徳川慶喜が座した。
 朝議は徹夜となり、休憩をはさんで断続的に続けられ、翌二十四日の夜八時過ぎに決着がついた。実質一昼夜にわたる朝議と宮中の模様の概略をまとめてみると・・。
【二十三日】
・慶喜の発言。今日参内したのは、長州藩の処置と兵庫開港の両件のためである。長州藩の処置は、四藩(薩摩、福井、宇和島、土佐)から寛大の処置にとの申し立てがあり、もっともの次第と思うので、自分からも寛大な処置に朝議で決定されるよう希望する(寛大の内容には言及しない)。兵庫開港は四藩も開港を可としているので、勅命をもって開港することを希望する(どちらを先議にするか明言しない)。
・春嶽の発言(二条から発言を求められ)。長州藩の処置については、毛利父子の官位復旧、領地は元のごとくとし、広封に家督を相続するよう命ぜられたい。兵庫開港問題は、長州藩の処置が済んでから詮議し、開港することに決せられたい。
・公卿方は、もっともであるというばかりで話が進まない。そこで春嶽が次のように発言。慶喜の意見と自分の意見には「格別の差異」はない。そこで公卿方だけで話し合い、その上で慶喜と「懇談」して結論を出して欲しい。
・しかし公卿方は「彼是と御評論」するのみ。そこで慶喜が、両件とも「速やかに御決議の上、勅命をもって仰出さるゝように」と主張した。しかしそれでも決議にいたらず休憩となった。
・別席で公卿方の話し合いが持たれた。そこでは、慶喜の意見と春嶽の意見とでは「前後緩急(先議と寛典内容)」の違いがあることが話題となった。そしてどちらの意見にそって決議するかをめぐって議論となり、また「暴激の議論」をとなえる公家を恐れて、話がまとまらない。
・深夜十二時頃、宗城が参内する。休憩中に慶喜が、この件が決定するまでは、何日かかっても退朝しない覚悟であることを告げる。
・十二時、三時、四時、五時と休憩をはさんで断続的に朝議が行われたが、結論を出せない。公卿方の話がまとまらないのである。
【二十四日】
・朝十時頃、公卿方の要請で薩摩藩家老小松帯刀を召し、久光の参内を求める。
・午後二時に小松参内。久光は病中で参内できない旨を返答。小松は宮中にとどまる。
・朝から、朝議を伺おうと参内する公家が多く、宮中が騒然となっていたが、ついに公家に惣参内を命ずる。中御門経之、大原重徳、中山忠能、正親町実徳、平松時厚、橋本実麗、五条為栄等が「攘夷論」を主張する。
・二条摂政が公家に、惣参内は朝議について説明するためで、意見を聞くためでないから、退出するように命じたが、公家たちは従わず、今日勅命を出すことは止めるように申し立てる。
・二条が慶喜に、勅命を出すことが困難な状況であることを武家伝奏を通じて伝えるが、慶喜は勅命が出るまでは退出しないと突き返す。
・鷹司輔政が二条に、長州・兵庫問題についての慶喜の意見に賛成か否かを問う。二条は、先に叡慮を伺ったところ、二件共に許可するとのことであり、自分も慶喜の意見を認めると答える。鷹司は、そうであればすみやかに勅命を出してしかるべきで、朝廷の紛義を理由にするべきではないと主張して、二条の因循を非難する。
・二条がなおも決心しないので、鷹司は席を立とうとする。ここでようやく二条が決意して叡慮を伺い、聴許となった。時に夜の八時であった。

 翌二十五日、老中板倉勝静が薩越宇土四藩に、朝廷から次のよう
な沙汰があったと書面二通を渡した。
 一つは兵庫開港について、大樹が余儀なき時勢であると言上し、
四藩も同様に申上げたから、朝廷は止むを得ず許したとするもの。
 もう一通は、長州藩の儀は、四藩が、寛大の御沙汰であるべきだ
と言上し、大樹も寛大の処置を言上し、朝廷においても同様の思し
召しであるから、幕府は早々に寛大な処置を取り計らうように、と
記されたものであった。
 この朝廷の沙汰にたいして、同日夕に薩摩藩は直ちに行動を起す。
小松帯刀と大久保一蔵が伊達宗城の邸に行き、四藩が主張した趣旨
とは異なる沙汰となったので、朝廷に伺書を差し出すと言い、その
文案を持参した。二人が主張するのは次の点である。
 四藩は幕府にたいしては建議書で、また朝議においては春嶽が、
長州藩の寛大処置を、官位の復旧など具体的に要望したのにたいし
て、この沙汰では寛大な処置とするとあるのみで内容が不明である
ということ。かつ具体的に長州藩の沙汰したあとで、兵庫開港を勅
命で布告するという要望も、この沙汰書には反映されていないとい
う点にある。
 また沙汰書では、四藩が要求し、大樹も同じ意見であるから、朝
廷が許したとする文脈となっているが、これは事実と相違する。わ
かりやすく言えば、四藩が強硬に主張するから、仕方なく許したと
解される文脈となっており、あとから非難・攻撃された場合、二条・
朝廷(そして慶喜も)が言い逃れできる構造になっているのだ。
 また朝議の席での慶喜は「シラヌ顔」して、やむを得ない「形勢」
であるとばかり発言し、責任を感じている態度ではなかったが、沙
汰書は明らかにそうした慶喜の姿勢を反映させていた。
 朝廷への伺書は、宗城と春嶽そして容堂が協議し添削を加えた。
その上で四侯連名の伺いとして、二十六日に、薩摩藩から武家伝奏
日野資宗へ提出された。
 その文面の一節には「御沙汰之御書付拝見仕、実以意外之次第、
不堪驚愕仕合御座候、従朝廷御沙汰之儀、容易可奉申上筋ニ無之、
甚恐懼之至奉存候得共、皇国重大之事件、事実相違之儀黙止罷在候
場合ニ無御座候間、不得止一応奉伺候」とあり、表現は婉曲である
が、はっきりと朝廷にたいする不信と批判の表明だ。形式は伺書と
しているが、久光、春嶽、宗城、容堂による抗議の書面である。


五 一大戯場

 これは同時に慶喜にたいしての抗議でもあった。
 それは次の点に関わるものである。
 四侯が長州藩問題の先議にこだわったのは、まず毛利父子の官位の復旧など、朝議で具体的に寛典処置を決し、長州藩問題に決着をつけるためであったが、それがなされなかった。その原因は、慶喜が寛典処置の具体案を述べなかったことにあり、結果として曖昧な沙汰書となったのである。
 また四侯が求めた寛典処置の意味するところは、幕府が失政(長州征討)の非を自らみとめ、反正の実を天下に示すことにあった。これは同時に、長州征討を勅許して幕府の失政を承認した朝廷にも、あてはまる。四侯(とくに薩摩藩)が、勅命によって寛典の処置にされたいと主張するのはこのような意図がこめられていた。
 しかし慶喜・朝廷ともに、反省して自ら非を謝する言葉はない。しかも繰り返すが、長州藩の処置に関しては、以後も実質的には何一つといってよいほどに進展が見られぬままになる。
 この徹夜の朝議と御所内の模様を、春嶽は「一大戯場」であったと言った。これは単に公家の惣参内による朝廷内の混乱状態を表現しただけではない。だらだらと決議を先延ばしする朝議を皮肉ったのだ。国家の最高意志を決めるべき朝議と神聖な議場が「戯場」のようであったと。これは朝議にたいする痛烈な批判である。
 また宗城は慶喜の態度・発言を「大樹公、今日之挙動、実ニ朝廷ヲ軽蔑之甚敷、絶言語候」と日記に記した。これは兵庫開港の勅許をせまる慶喜の強硬な発言と威嚇的な態度を評したもので、朝議は慶喜の圧力に屈し、慶喜に対抗できなかったことを意味している。 春嶽と宗城の感想を伝え聞いた薩摩藩在京首脳部は、朝議の深刻さを分析し、問題点をいくつか明らかにした。
 第一に、国家の最高意志決定の場としての朝議には、自主的決議能力がない。これは根本的な欠陥である。
 第二に、朝廷の最高指導者たる摂政二条斉敬の政治的能力の限界と、二条を支えなくてはならない公家集団の人材枯渇だ。
 第三に、慶喜の政治的な力量と技術、砕いていうならば巧みな会議操縦の手腕などが、公家と朝議を圧倒するものである。
「これでは、朝議が慶喜の意のままになる」
「これほど深刻な諸点が露呈したことは」
 まさに国家としての体制的危機以外のなにものでもない。
「この危機を乗り越えるためには、国家の大改造しか途はない」
 これが薩摩藩在京首脳部の決断であった。
 日新公いろは歌の「う」で始まる歌が、一蔵の脳裏を鮮明に覆う。

   憂かりける今の身こそは先の世と
           おもへばいまぞ 後の世ならん


 仏教の因果を解いたものだ。今の世を一生懸命正しく生きることによって、來世も希望に満ちた素晴らしい人生が待っていると。
 子や孫の世代へ繋げる日本国の在り様。祈りはそこにあった。
 大久保一蔵は、六月初めに在国の側役蓑田伝兵衛に宛てて、次のように発信した。
 兵庫開港と「防長事件」を「順序、区別」をつけて処理することによって、幕府が「反正」の実跡を示し、朝幕藩「和同一致之道」をたて「皇国挽回」の大策が立つよう、四藩が談合協力して尽力したが、慶喜には「皇国」のために尽力しようとの「趣意」はまったくなかった(「毛頭不相顕」)。しかも「私権を張」り暴威をもって正義の藩を圧倒しようとした。これはもはや救い様のない状態である(「実に不可助之次第に御座候」)。
 このままでは慶喜が朝廷を掌握し「邪を以、正を討、逆を以、順を伐」ような状態となるに違いないから、今一層かつ非常の尽力が必要である。したがってこれからは「兵力を備、声援を張、御決策の色」を鮮明にして朝廷に尽くさなくては、良い方に動いていかないだろう。
 ついてはいずれ藩主茂久の上京をお願いしたいが、その前にまず軍艦三艘で一大隊の兵を出兵上京させるよう準備されたい。状況次第では、その軍艦が帰国したらすぐに藩主が乗船し、上京することになるかもしれない。いろいろと議論も起るだろうが、その節は衆議を「統御」して藩主出馬を実現されたい。
 なおこのことは西郷吉之助が赴いて長州藩と相談することになっている。長州藩の状況次第で、一大隊の藩兵派遣の時期の緩急があるので、西郷からの鹿児島への報告を待ってほしい。
 久光、小松帯刀、西郷吉之助、大久保一蔵の在京薩摩藩首脳(実質的薩摩藩最高首脳部)がついに決断したのであった。「決策」を実行するために公然と行動を開始するという決断である。「決策」とは何か。武力の結集を背景として、慶喜に将軍職の辞退を迫ることであった。









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