第二部 11話【希望・・・】 | |
[ハラベエさんの犬星☆猫星(第二部)] | |
2012年9月11日 6時15分の記事 | |
ハラベエさんの犬星☆猫星 第二部 11話【希望・・・】 UPしました是非読んでください(^▽^)ノ 今回のお知らせイラストは 【バセット・ハウンドのイラスト】です。
☆【第0部】【1P】 ☆【第一部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】 ☆【第二部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】【13P】 ☆【第三部】 【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】 ハラベエさんの犬星☆猫星 第二部 11話【希望・・・】 ハラベエさんが、BEEはじめ犬類猫類にかまけている間に、肝心の足元が不安定になっていました。 六十年近く、ハラベエさんは、商業演劇一筋に生きてきました。 片意地というか、舞台に対する思い入れが強すぎて、時折テレビの仕事があっても、お座なりにこなすだけのことでした。 小さな劇団の、役者兼文芸部に始まり、商業演劇の大手の劇団に移籍、劇団の解散後フリーとなって、脚本・演出をなりわいに……爾来、様々な看板俳優・歌手とのお付き合いで口に糊していました。 その頃、親しくしていただいたのが、これまでも何遍と無くご登場のミヤコ蝶々ミヤコ蝶々記念館→さんです。 蝶々さんは、何かにつけてことある毎に、 『ハラベエさんは……ノラやから』 と、言っていました。 ノラと言っても「人形の家」でも、野良犬のノラでもありません。 非活動的で、居心地がいいと直ぐ大胡座でのらくらしてしまう、のノラです。 初めは聴くとカチンときましたが……ああこれが、幼い頃から持ち上げるかと思えば、容赦なく叩きつけておいて、すかさず飴を舐めさせる、数多くの一癖もふたくせもある芸人たち相手の、座長の人心操縦術なんだと納得すると、むしろこれ見よがしに、だらだらして見せたもんです。 ほどほどに途切れぬ程度の仕事があれば満足しているハラベエさんも、流石に焦らずにいられぬ事態になってきました。 一時の繁盛が、一転、商業演劇の衰退は顕著なものでした。 東京、大阪、名古屋の大劇場の観客動員が、軒並み、眼に見えて減ってきました。 地方巡業も、貸し切りバスが入り乱れて東奔西走していたのは、遠い昔の話の話になりつつあります。 東京、大阪、名古屋で、大劇場が撤退しました。 原因は、人材不足と言えます。 一枚看板で、観客を動員できる、いわゆる座長役者の活躍に支えられていた演劇界は、目の前の儲け仕事に夢中でした。 ハラベエさんと仲の好い劇場の製作担当者が……今はいい、いいけど、今座長を張っている俳優なり歌手なりが、近い将来姿を消していく……その穴をどう埋めていくかが悩みの種だとぼやきました。 要は後継者不足ということです。 目の前の儲け仕事に夢中になっている間に、力を入れるべき後進の育成がなおざりになっていました。 一曲大ヒットを飛ばして、いきなり座長公演、などという幸運児がそうそう出るもんじゃなし、あっても大きな花火が一発上がるだけ、何人かの歌手が辛うじて面目を保っている現状です。 舞台俳優で、座長を張れる人材や、それを支える幹部俳優が枯渇しています。 育てよう、育ちたいと思う野心家もいません。 これは、どうやら、商業演劇の常打ち劇団が姿を消したのが、一つの要因として考えられます。 歌舞伎以外で、常打ちの劇団の主なものは、 東京に、新派、新国劇、前進座。 大阪で、新喜劇、家庭劇。 などの劇団が、それぞれ独特の持ち味で、大劇場の幕を明けていましたが、それこそ多士済々、未来の、座長とまでいかなくても、幹部俳優を輩出していました。 劇団員相互の切磋琢磨から生まれたのです。 ハラベエさんが、一時在籍していた家庭劇家庭劇→を例に挙げましょう。 年中無休、年に一、二ヶ月の休養月がありますが、ほぼ一年中、道頓堀や京都名古屋の劇場を経巡っての芝居漬けだったと言えます。 昼夜共に、三本立て、四本立ての興行があった頃で、座員は多忙を極めます。 その多忙な中で寸暇を惜しみ、劇団専属の杵屋なにがしを名乗るおっしょさんに、長唄三味線の稽古を付けてもらうもの、芸達者な先輩に踊りをさらってもらう人、楽屋にはやる気が溢れていました。 寸暇を惜しんで、花道の揚げ幕や、三階の隅の客席から、上演中の舞台を見つめる姿もあります。 研究熱心なこの姿は、出演者の不慮の事故などの際に、稽古なしで、簡単な打合せのみで代役起用に繋がり、当人の飛躍の機会になることもあるのです。 先輩同僚の不幸を、むしろ絶好の機会と捕らえていたのかも知れません。 ことのついでにその頃のハラベエさんの日常に触れてみましょう。 まだ、ノラの気配はありません。 その月の初日が明いて、芝居が軌道に乗った頃の数日だけが、ほっと一息つけるときでした。 仲間と、麻雀の宅を囲む余裕もありますが、それこそあっという間に中日。 次の月の準備に取りかからねばなりません。 外題と内容は数ヶ月前に座長と劇団の総務、それに劇団の所属する会社の幹部との間で、決定しているので、後はそのラインに沿って台本の作製するだけです。 これが結構しんどい作業なんです。 主演俳優として奮闘していた座長の体が空くと、自宅兼作業場に、文芸部員が招集されます。 古参の文芸部員は、序幕と称する、出演者は若手中心の、いうなれば稽古芝居や、座長が関与していない芝居にまわり、ハラベエさんのような新人が、勉強の意味もあって、おそば近くに伺候するのです。 正に伺候でした。 曽我廼家十郎の流れをくむ、お婆ちゃんに扮すると日本一よ……名人よと謳われた、座長曽我廼家十吾曽我廼家とは同席すること自体、駆け出しの若い文芸部員など、びびってしまうのは当然、平常心で対座できるまでに時間がかかりました。 芝居の終演後から深夜にかけて、師は、芝居のなんたるかを、入門編から高級技術まで諄々と説き、先夜辞去して以後、指示されたテーマに沿った台本を書いて行って,ハラベエさんが披露すると駄目が出ます。 時には自らペンを取り、原稿用紙代わりのわら半紙に向かいます。 出来上がった絵コンテと、口頭で行われた駄目を元に書き直し、また明晩伺候するのです。 連日連夜この状態です。 しかも最終的に、出来上がった台本が陽の目を見ることは、殆どありません。 芝居は、稽古時に口立てで創られました。 台本は、参考程度にみんな目は通していましたが……。 では何故、こんな無駄とも思えることを繰り返していたのか。 口立ての芝居の土台を頭にしっかり構築するために反復練習していたともとれる。 それに、いかようにも対応反応できる、優秀なアドリブが加わって完成する瑞々しい芝居でした。 卓越した作劇法と、卓抜な演技は到底及ぶものではないと思っていました。 さりながら、この時期に学んだ作劇のノウハウが、爾来数十年、ハラベエさんにとっていかに貴重なもであったか、師、故曽我廼家十吾先生に心から感謝の意を表したいと思っています。 師から出た言葉「そのひとになりなはれ」は、単純ですが,俳優が護るべき、金科玉条として、以後ハラベエさんは遵守してきました。 少々横道に逸れた感がありますが、要は、座長を張るほどの役者は、それなりの器で鍛えられてこそ生まれるものという考えが、ハラベエさんの頭には牢固としてある、ということなんです。 その意味ではもう、理想的な座長の誕生は望めないでしょう。 寂しい限りです……。 関西らしい、人情芝居の復活を切望するハラベエさんです。 →ハラベエさん徒然草ヘ〜 ☆【第0部】【1P】 ☆【第一部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】 ☆【第二部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】【13P】 ☆【第三部】 【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】 ランキング参加中 ポチっとお願いします〜(*´д`*)ノ くる天 人気ブログランキング フルーツメール | |
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