ブロくるトップ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
くる天
2009年2月3日 5時1分
明治(A.D 1868 - 1912)
 
明治(A.D 1868 - 1912)

1868年(明治元年)鳥羽、伏見の戦いで、伏見の造り酒屋が大打撃を受ける。
 この頃、全国で造り酒屋は27000蔵ほど存在していた。

1879年(明治11年)始めてガラ
[続きを読む] 定期購読記事
  [コメント (0)] [トラックバック (0)]



2009年2月3日 5時1分
大正(A.D1912 - A.D1926)
 
大正(A.D1912 - A.D1926)


1916年(大正5年)甲種清酒酵母はこの年まで頒布された。
1917年(大正6年)協会酵母と
[続きを読む] 定期購読記事
  [コメント (0)] [トラックバック (0)]



2009年2月3日 4時59分
昭和(A.D1926 - A.D1989
 
昭和(A.D1926 - A.D1989

昭和初期 この頃まで、多くが木桶で仕込み、貯蔵されていたが、ホーロータンクへと移行してゆく。また、縦型精米機が登場し、格段に精米歩合を上げれるようになった。(機械内の金剛ロールによって削ってゆくため、現在と同じように精米できる。)
また、淡麗に仕上げるために活性炭を使用するようになったのもこの頃からである。
ただし、この頃はまだ、樽で作っていた頃のなごりがあり、多くの酒蔵が、市販用の酒には木香をつけるために吉野杉の板を酒に浸して熟成をさせたりしていた。

1929年(昭和4年)連続式瓶詰め機や、打線機、複式王冠が開発されて、一升瓶が普及しはじめる。

1935年 (昭和10年)協会6号(新政、秋田、新政酵母とも言う)の頒布開始。

1938年(昭和13年)酒に水のみを加えて増量した「金魚酒」が横行した。村に帰る前に酔いが覚める事から「むらさめ」とも呼ばれた。

1939年(昭和14年)この頃のガラス瓶と徳利の比率は4対6程度で、まだまだ、ガラス瓶が不足していた。

1940年(昭和15年)「金魚酒」の横行を防止するために、アルコールやエキス分についての規定を法律で定めた。

 
 戦中戦後の米が極度に不足した時期に純米酒は造られなくなって行き、その間に理研酒やアルコール添加酒等が多く流通するようになる。


1941年(昭和16年)大平洋戦争の勃発によって、ホノルルの日本酒醸造会社が日本酒の製造を禁止された。

1942年(昭和17年)アルコール添加を認め、アルコール添加酒が販売されるようになる。いわゆる、「柱焼酎」の復活であるが、この時期では主として増量のためである。

1945年前後 戦争によって、酒やしょうゆ等が軍事物資として扱われ、ガラス瓶に詰めて前線に輸送されたため、ガラス瓶の生産体制が一気に整う。


1946年(昭和21年)終戦直後にも 物資不足等がの状況から、アルコールの添加が広がっていた。
 同年 協会7号(真澄、長野、真澄酵母とも言う)が頒布開始。

1947年(昭和22年)物資不足であったが、戦中にガラス瓶の生産体制が整っていたいため、99%の酒がガラス瓶で流通されるようになった。

1948年(昭和23年)全国的な腐造がおこり、アルコール添加酒が一気に広まった。
 同年頃 熊本県の香露で、熊本県酒造研究所が熊本酵母を分離した。

1949年(昭和24年)「3増酒」が造らるようになる。
同年 全国清酒鑑評会が、「全国酒類鑑評会」として復活するが、昭和26年まで3回行われただけで終了した。

1952年(昭和27年)東北6県の酒造場のもろみから、分離された優れた株を選別、のちに協会10号(明利小川酵母)となる

1955年(昭和30年代)高度経済成長期になり、大手が生産が間に合わない分を、小規模の酒蔵から桶買いをするいわゆる「未納税」が盛んに行われるようになる。
また、この頃には地方の小規模の蔵本でも殆どが、木桶からホーロータンクへの移行を終えていた。

1956年 火落ち菌の発生メカニズムに、火落ち酸(メバロン酸)が関係している事を突き止めた。

1958年(昭和33年)明利小川酵母を茨城県食品試験場で販売開始した。

1959年(昭和36年)東京農大で「全国酒類調味食品品評会」が催され、その後、昭和51年まで15回行われた。

1965年(昭和40年頃)酒造年度が7月1日〜6月30日となる。
それ以前は10月1日〜9月30日であった。
 同年 純米酒が復帰し始める。



1966年(昭和41年)この頃、協会12号が宮城県の酒蔵で分離された。


1967年(昭和42年)熊本酵母を協会9号として頒布を始めた。その頃、熊本県酒造研究所は香露から分離された酵母のより、優れた突然変異株を熊本酵母として販売している。
 同年 酵母を瓶詰め状態での頒布から、アンプル詰めでの販売を行うようになる。

1969年(昭和44年)このとしに業界が自主規制としてサリチル酸を添加しないようになる。(完全な殺菌の出来る火入れ機や除菌装置、蔵が清潔に保てるようになったなど色々な理由により、火落ちが防げるようになった。)

1973年(昭和48年)オイルショックにより、経済成長が終了、桶買いの規模が縮小するとともに、各地の小規模な蔵元で独自の酒造りに打ち込む蔵が増えてゆく。

昭和50年代 地酒ブームがおこり、桶売りシステムへの依存が減った。

1975年(昭和50年)サリチル酸が食品添加物としての指定を取り消された。

1977年(昭和52年)アメリカ本土で日本酒の生産が始まった。日本人資産家とアメリカの大手精米会社の出資によって、カリフォルニア州バークレーに醸造会社が設立された。カリフォルニア米を使用した本格的な現地生産体制で平成10年頃には6社が創業している。
 同年 明利小川酵母が協会10号として頒布されはじめる。

1978年(昭和53年)協会7号から、アルコール耐性の強い株を分離し協会11号として頒布し始めた。

1980年代前半 アメリカで日本食のブームが起こり、sushiと結びついた日本酒の認知度が上がり、日本酒の現地生産が目立ちはじめた。その後、ヨーロッパ、アジアへと波及してゆく。

1981年(昭和56年)協会9号と協会10号の交配品種である協会13号が作られた。

1986年(昭和61年)全国新酒鑑評会にて、静岡酵母の酒が10点が金賞をとり、静岡県史上初の快挙となった。平成10年頃には県内の蔵元から分離したHD-1(吟醸用)NO-2(本醸造用)とその二つを掛け合わせたNew-5(純米吟醸用)が県内酒造業社へ頒布されている。
 同年 山形県工業技術センターが中心になって、県内の優良吟醸酒のもろみから分離した株をY-1(YAMAGATA-1)として選別した。


1987年(昭和62年)秋田県酒造協同組合が中心になって、県内のもろみや酒母から優良株を分離、選抜し、秋田流花酵母を作った。
[続きを読む] 定期購読記事
  [コメント (0)] [トラックバック (0)]



2009年2月3日 4時44分
平成(A.D1989 - )
 
平成(A.D1989 - )

1989年(平成元年)級別制度の「特級」についての規定がなくなった。

1990年(平成2年)新たに清酒の製法品質…
[続きを読む] 定期購読記事
  [コメント (0)] [トラックバック (0)]



2009年1月7日 0時12分
(Maison) La Chablisienne(ラ シャブリジェンヌ)
 
(Maison) La Chablisienne(ラ シャブリジェンヌ)


本拠地
シャブリ
[続きを読む] 定期購読記事
  [コメント (0)] [トラックバック (0)]




 前の5件 次の5件

Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved