このブログのトップへ
こんにちは、ゲストさん
-
ログイン
-
ヘルプ
-
このブログを閉じる
和音
*
くる天
最近の記事
09/24 18:27
イセタン-タン
09/18 11:04
「実り」
09/09 13:51
地質図作りの現場を歩く
09/06 12:17
おそうじの とりくみかた
09/05 08:21
まきば園の楽しみ方
09/01 19:34
食性
08/24 08:32
いにしえの紫の染料
08/23 11:12
特有のものね
08/10 21:11
茗荷谷界隈
08/09 17:18
(旧)新橋停車場
フリースペース
注:文中の「?」は、疑問符を表す場合と、ローマ数字が反映されていないケース(携帯電話からの送付分)による表れがあります。
* * * * *
2021.9.12
RSS
プロフィール
ka-on
さん
和音
ポップアップリンク
ブログ内検索
宮田登氏の著書 3 / オオサキ
2014年5月25日 13時58分の記事
(カテゴリ「enoki」は 樹木名を離れて 記号化。。)
『ケガレの民俗誌』より 「白山の視点」
「 東日本には白山信仰が多い。各村の氏神のなかに白山神社が祀られている。この「白山」という言葉について、かつてロシア人のニコライ・ネフスキーが昭和初期、国内旅行しながら柳田国男に手紙を送っている。その中で、「いわゆる特殊部落の人達はこれを<しらやま>と呼ぶ。しかし一般の人は<はくさん>と呼んでいる」と記している。そして、「この<しらやま>というのは、オシラ神という東北の固有信仰と関係するのではないか。シラというのは、予言するという言葉であるから、そういう予言祈祷を行う神様をオシラ神と言っていて、その神が部落の神になっている。加賀白山の修験が関係してくるのは、その後ではなかろうか」と指摘している。
<しらやま>という言葉は、民俗語彙の分類からみると、「シラ」に注目して再生するという意味以外に、稲霊(いなたま/稲の霊魂)が生まれ代わるための稲積(いなづみ)、すなわち稲の籾を保存する一種の装置に対する名称で、沖縄とか奄美にみられるものである。それはまた南九州の一部にも分布している。稲霊を再生するものがシラと呼ばれていることから、<しらやま>が霊魂の再生に係る言葉ではないかというヒントを得て、<しらやま>の呼称が東日本の被差別部落に多いという事実との関連を、以前私は考えたことがある。
この場合、<しらやま>は<キヨメ>にあたる。つまりケガレタた状態を元に戻すということである。<しらやま>については、盛田嘉徳著の『河原巻物』に指摘されているように、葬儀にともなって部落の人が作るいろいろな道具類があり、その中に、4本の竹を用い、殯(もがり)に使った喪屋のような装置を作り、そこに遺体を入れて、野辺送りにするという記録が残っている。<しらやま>に遺体を入れることは、この世に霊を呼び戻すというマジカルな儀礼と関係するのではないか。」
「稲霊の再生と人間の再生が不可分に結びついており、それをキヨメと考え、ケガレ除去するという被差別部落の人達のもつ文化創造力」
と 続けておられます
*
同書に
「「オオサキ信仰」から派生したと思われる話題がよく語られている」
という文章があり
(「オオサキ」というのは 初めて聞きました)
「オオサキドウカと呼ばれるのは、動物霊による憑物の一種であり、代々家筋についていて、憑物筋の家との婚姻は忌避されている。秩父地方には、オオサキスジの家が多く、ここに被差別の問題が生じている。」
などとあります
同書より その「事例」
(小林初枝 著『部落差別の世間ばなし』から引用されている)
「 大正生まれの芳吉という話者が小学生のころ。兄と二人で稲刈りをしていると、イタチのような動物が眼前を通り抜け、後ろに何百何千匹の群れが続いていた。芳吉が驚いていると、兄はあれがオオサキドウカという欲深い動物だと言った。よくみるとイタチとはちがい、ネズミとイタチをあわせた胴体に鶏の羽根を丸めたような尾がついている。兄が言うには、オオサキは那須が原で退治された金毛九尾の狐の尾が風になってオオサキドウカになったという。それが秩父に舞い下りたため、この辺にしかいない。いつも群れを作って悪いことをするので、この辺では陸軍と呼んでいる。オオサキなんていうと家筋のものに怒られるので、そんな呼び名がつけられたのだという。
悪いことをするというのは、たとえば、自分の家の蚕のできが悪いと、よい家の蚕ととりかえてしまう。主人の家の粉を尾の羽根につけて運び込んでくる。つまり主人の家運を富ますのである。だからオオサキ筋の家は暮らし向きはたいがい楽なのだという。主人の家に怨恨をいだく家があると、その家のだれかに憑いて苦しませるともいう。したがってオオサキ筋はみんなからきらわれている。」
「とにかく主人思いの動物」
「おしげさんという養蚕で財をなした百姓の家で、ある年春蚕(はるご)がうまくいかず、つづいて夏蚕(なつご)も思わしくなかった。これで大丈夫と思われながら、結果がよくない。おしげさんが原因をいろいろ考えると、自分が「今年も蚕がよく育った。いい繭がとれそうだ」と近所へ自慢した翌日から失敗する。ちょうど自慢しているとき、そこにさっぱり蚕を飼うのが下手な家のおかみさんが居合わせていた。そして、この家は上質の繭を収穫するらしい、どうもこの家はオオサキ筋らしいという噂がたつ。そこでおしげさんは、次の初秋蚕(しょしゅうさん)の時には、蚕に霧吹きでインキを吹きかけておいた。何日か経つと、蚕のインキはすっかり消えたので、例のオオサキ筋の家に行ってみた。するとインキの模様がまだらについた蚕が桑を食んでいるのを発見する。おしげさんがおかみさんに、何故そんな蚕がいるのかと問うと、その家のおかみさんは、実は昨日まで何ともなかったのに、昨晩一晩でこんなになってしまった。春と夏と二回調子よくいったのに、病気が出ちゃあもうだめだ。何とかしてくれないかと、おしげさんが逆に頼まれる始末になってしまったという。」
という例には 宮田氏は
「この話などは、オオサキ筋の家がとりわけ忌避されたというわけではない。オオサキ筋の家だから、オオサキが何かをしでかすと警戒されているらしいが、とりわけ家筋に対して拒否するわけではないのである」
と続けられています
(。。オオサキのお役とは?)(「主人思いの動物」。。)
別例
(小林初枝氏の母親が体験した話)
「大正の終わりごろ娘だった母親が蚕日雇にいった。養蚕の百姓の家に住み込み、手伝いをさせられるわけだ。夕食後大きな鉄釜を砥石で磨かされたが、磨きはじめると顔にやたらに水がひっかかる。あまり水を使わないのにと不思議がるが、着物まで水浸しになってしまう。それが次の晩もその次も続くのである。仕事が終わって布団に入ると、くたくたに疲労しているのに寝つくことができない。しばらくすると、次の間から、カチンカチンと妙な音が聞えるのでその部屋をのぞいてみるが、何の影もない。そうしたことが毎夜毎夜起こるが原因不明のままで、ついに母親は極度の睡眠不足におそわれ、身がもたなくなり、一銭の給料ももらえず家に帰されてしまった。その後何人も娘たちが住み込んだが、みな母親と同じ体験をする。「常に働き口に渇望していた部落の娘は、渡りに舟という条件でなくても、働く先があると聞けばとんで行くので、こうした目に会うことが多かった」という。
実はその家はオオサキ筋の家だと取りざたされていたという。ほかの家では無事に勤め終える娘が、ひんぱんに逃げ出すので話題になったという。オオサキが小娘をかまうのだが、働かせておいて給料も払わないで済むのだから、主人の財はふえていく。「オオサキって主人思いの動物なんだな」ということになる。
これも同様に、オオサキ筋の家そのものが非難される口調ではないように思える。被差別部落の娘たちが日雇に行って過酷な条件で酷使される場合、その家がオオサキ筋であったりすると、酷使の原因は主家を思うオオサキという動物霊にあるとみなされるのである。」
「オオサキは、欲が深えと同時に、主人思いの動物といわれている」
(何のハナシでしょうか? と 思ったりしてしまいます)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
秩父といいますと「オオカミ」の方が連想されまして
wikipedia「三峯神社」には
「江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。」
などとあります
信仰のシンボルなどは複数なのでしょう
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
『レファレンス協同データベース』によるデータ
(http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000103336)
「日本狼とつきもの」に、「大田の迷信の中に「オーサキたかり」というのがある。これは大田のみでなく大体秩父郡内には残っているようである。(略)例えばオーサキがつくと意識が不明になる。生きた兎など無精に喰いたくなったとか、油揚げが食べたいとかという。主人が「オーサキの野郎出て行け、出ないとひでーェめにあわせるぞ」とナタを振り上げておどしたり犬を見せたりすると病気がケロリとなおったなど−又逆に薬餌も効なく他界すると横腹を喰い破って出るとか言います。」とあり。
(『武州秩父郡大田村史要』伊古田槌恵編 1961)
堀口万吉氏の同人誌『ちちぶ 3号』(1960.12)からの引用によるオサキが取り憑き、オサキが身体からぬけ出た口承の掲載あり。この論文には、江戸期の文献、柳田国男集、動物学等によるオサキ、オオサキについての多面的な分析あり。
(福島保夫著「オオサキ考-玉藻伝説との関連において」)
「オーサキが体からはなれるときは、病人が、急にキャーと異様な叫びを出し、台所迄歩いて行ってバターンと倒れる、そうすると、もうオーサキが体からぬけ出て、嘘のように病気が治り、「あーよかった」と家中で神に御礼の供えものをしてお祝いするのである。」
(飯塚槌良著「オーサキもちの話」)
1956年にオコジョを館に展示したところ、オオサキを見たいと人気をよんだことを紹介し、オコジョの生態と民間伝承を紹介したもの。
(『清水古寿著「オコジョと憑依動物オオサキについて」)
「近場にオオサキという正体不明のモノがおり、人間の身体に入ると発熱したりうわごとをいったりするといい、特に子供や弱い人につきやすいという。これを防ぐには辛いものや臭のあるものを食するとよいという。」
(『東秩父大内沢の民俗』二松学舎大学附属高等学校社会科研究部編 二松学舎大学附属高等学校社会科研究部 1969)
「オーサキを送り出すには祈祷師を頼み、好きな寿司などを作って三方の辻に送りだす。途中で病人が倒れるとその時離れたという。」
(小池信一著「埼玉の憑き物「オーサキ」」)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「オオサキ」について
『ADVENTURE OVER UNCERTAINTY ・・・不確実性をめぐる冒険・・・』
chatonさんの「オオサキ祓い−結果の不平等」のページから
(http://chaton2.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html)
1980年代頃、家に憑くといわれるオオサキを捕まえたという噂がありましたが、実在かどうかは分かっていません。有名なオサキギツネとはどうやら違う生き物のようです。何しろ人間の目には見えないのです。そして、この生き物には秤が好きという変わった癖がありました。
養蚕が盛んだった秩父地方の村には、古くから貨幣経済がありました。村には生糸や薬草などを買い付けるために仲買業者が頻繁に訪れ、農家が現金収入を得ることが当たり前に行われていたのです。オオサキは、この仲買業者たちが使う天秤に乗るのが好きだったのですが、その乗り方が問題でした。きまぐれにどちらかに乗るというわけではなく、どちらか片方ばかりに乗るのです。商品の側に乗る癖があるオオサキが憑いた家は、錘より軽い量で余分の利益を得られるためラッキーですが、錘側に乗る癖があるオオサキが憑いた家では逆に、秤に商品を余分に積まなくてはなりません。こうしたことが長く続くと前者はだんだん裕福になり、後者はだんだん貧しくなってしまいます。そこで、貧しくなってしまった家のオオサキに出て行ってもらうために行った儀式が「オオサキ祓い」でした。
現代でも厄払いや地鎮祭などの祓いが行われていますが、「オオサキ祓い」は村中総出で行う大変真剣なもので、村という共同体を行き過ぎた格差社会にしないための知恵だったといわれます。当時、生糸は輸出品が主で、欧州での作付けが芳しくなければ日本の生糸の値段が高騰するようなことが江戸時代でも起こりました。相場のほんの少しの差で、大金を得た家もあれば、大損する家もあったということです。同じような暮らしをしているのに、自分たちではどうすることもできないからくりで生み出される貧富の差という結果の不平等を被った人々に対し、現代のように個人の責任とはせずに、オオサキという「犯人」を仕立てあげることによって村全体で救済したのです。
【PR】システム構築、ソフトウェア開発はイーステムにお任せください
このブログへのチップ 0pts. [
チップとは
]
[
このブログのチップを見る
]
[
チップをあげる
]
このブログの評価
評価はまだありません。
[
このブログの評価を見る
]
[
この記事を評価する
]
◆この記事へのコメント
コメントはありません。
Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved