このブログのトップへ こんにちは、ゲストさん  - ログイン  - ヘルプ  - このブログを閉じる 
くる天
最近の記事
09/24 18:27 イセタン-タン
09/18 11:04 「実り」
09/09 13:51 地質図作りの現場を歩く
09/06 12:17 おそうじの とりくみかた
09/05 08:21 まきば園の楽しみ方
09/01 19:34 食性
08/24 08:32 いにしえの紫の染料
08/23 11:12 特有のものね
08/10 21:11 茗荷谷界隈
08/09 17:18 (旧)新橋停車場
フリースペース

注:文中の「?」は、疑問符を表す場合と、ローマ数字が反映されていないケース(携帯電話からの送付分)による表れがあります。


* * * * * 



2021.9.12



RSS
プロフィール
ka-on さん
和音
ポップアップリンク
ブログ内検索

山陰氏と坂田氏の対談
 
2014年8月9日 17時6分の記事

1996年のものです
(93年版の似たようなものがありまして 内容が少々違うようすで
 下の対談は掲載されていますが 初っ端の身曾岐神社の広告はありません)




『古神道・神道の謎』(別冊歴史読本)新人物往来社より


第2章<現代によみがえる古神道の世界>

山陰基央(山陰神道管長)+ 坂田安儀(身曾岐神社宮司)


山陰基央(やまかげ・もとひさ)大正14年、岡山生まれ。京都の公卿に伝えられた古神道。ことに“行道”の面を深く修得し今日に至る。著書は18種。代表的なものに、「神道入門」1〜5巻『日本神道の秘儀』『神道の現代的解義』『ヨガと神道』などがある。

坂田安儀(さかた・やすよし)昭和9年、東京生まれ。東北大学卒。大学在学中に父の死に遭い、卒業と同時に神道禊教管長(6代目)に就任。また、古神道を現代に復活させるため、山梨県小淵沢町に身曾岐神社造営に着手、現在も造営を続けている。




初めのページには
古神道こそが 人類と地球を救う」というタイトル

その下に お二人が向き合っている写真が掲載されていて 

続いて・・



「まず日本人自身が目覚めよ」という見出し風の文字があり


〜限りある資源を 西洋テクノロジーは むさぼり尽くしてきた。
神が人間のために与えた 無限の“物”であると誤解して。
しかし古神道では、万物すべてに“命”をみる。
日本人の遺伝子に受け継がれたこの霊性が、
枯渇した地球の命を救う 唯一の鍵となる。〜

という文章が置かれています





個人的には「唯一」という言葉は なかなか・・使ったことがないですね

それはともかく 対談ですが


勝手ながら 山陰氏を(山) 坂田氏を(坂)と表示します



【母国語とともに おのずから身につく感性】

(山)古神道と言えば、まずイメージするのが森ですね。森の問題イコール自然の問題だから、山と川と海をメインテーマにしなければ、古神道は成立しないわけです。

(坂)自然―天地あめつちと言いましょうかね。

(山)古神道は大自然神霊というものを問題にしますね。もちろん生活の面からみれば重要なのは、火と水ですが、もう一つ、その奥に茫漠たる理論化できない何かがあったのではないか。山陰家の伝承では、そのあたりのところをつかもうと非常に努力してきました。その意味では、古神道の源は三世紀以前をみなければならないと思います。

(坂)私どもも、古神道という言葉を使い始めたのは、最近ですね。私は伯家神道の道統を継承するものだという意識で今まできたわけですが、その伯家神道の中に古神道と呼ばれる内容にあてはまるものがあるのかなという意識を持ち出してきたのが最近です。
 私は体験的に古神道というものを強く認識させられたことがあるんです。中国に国際的な数学者の牛實為さんという方がいらっしゃいます。ゼロという数字の真ん中をのぞいているうちに密教が見えてきて、密教のとりこになり、数学と密教が自分の人生になったという方なんですが・・・・・・。

(山)おもしろいですね。

(坂)数年前にお会いして、私が古神道を名乗りましたら、この古神道という漢字を見て、牛博士が「私も古神道だ」といきなり言うんですね。そして「先生がなぜ古神道なんですか。先生の古神道は?」と言うと、「古神道が我々漢民族の底にあるんだ。だから紀元前後にインドから仏教が渡ってきたときに、我々漢民族はそれを漢仏教となし得たんだ。そしてまた、古神道を我々はもっていたから、インドから密教が渡ってきたとき、これを漢密教となし得たんだ。そしてそこへ日本から空海が来た。あなたたち日本民族にも古神道があるから、それを日本の密教に、そして漢仏教をまた日本の仏教に、なし得たんだ。古神道とはそういうものだ」と言うんですね。

(山)ほほう。

(坂)私はそれでまた目のうろこが二つ三つ落ちまして、そうなんだと思いました。そこで自分の意識してきた古神道が間違いなかったと確信したのです。これはつまり、宗教学的にもウルカルチャー、もとの遺伝子に当たるわけです。もう少し具体的に言えば、それぞれの民族がもっている母国語の文化です。母国語は意識して覚えた言葉じゃありませんから・・・・・・。

(山)そうそう。

(坂)人間は生命そのものの育つ中で感性を身につけていく。人間としてこの世に生まれた生命が成長していく。その過程でおのずから、まさにおのずから感性を身につけてゆく。幼児語からだんだん子供語になっていくごとくに、その人間はだんだん文化人に向かって育っていくわけですね。
 一つの生物学的な生命から文化人に向かって成長していく。その過程で母国語とともに身につけてゆく文化、これがウルカルチャーであるし、そして日本民族にとっては古神道である。まず古神道を現代的に定義づければ、まさに日本語、母国語の文化だなと私は体験的にそう思うんです。私は現代という時代でそう認識させてもらってるんですが。


【自然を手本に命を尊び、人は悟る】

(山)私が先ほど古神道とは自然であると申しましたが、ここで間違えては困るのは、いわゆるキリスト教の神学で定義づけられたアニミズムではないということです。アニミズムというのはキリスト教の立場から言うと非常に差別的な言葉ですから。しかしたとえば、精霊主義とでも翻訳するならば、古神道は完璧なアニミズムでしょう。

(坂)やはり私も「古神道とは」と問われれば、自然ということになります。ただしこの「自然」の意味はネイチャー、森羅万象のことではありません。本来は究極の人間のあり方、最も理想的な人間のあり方を自然しぜんないし自然じねんと呼んできたわけですし、その前提としてはウルカルチャー、日本民族の母国語文化があるわけです。ですから本来の言葉遣いをすればすなわち天地あめつちです。天地を手本として、人生の課題を背負いながら、そことじっと対峙して、人間のあり方を悟り取ってきた。悟った中身は何かといえば、生命いのちなんですね。キリスト教は愛と言い、仏教が慈悲と言うならば、神道はなかんずく古神道は、まさに生命いのちだということになります。

(山)そのとおりですね。

(坂)環境問題とか、今、地球が抱えている問題はすべて生命にかかわるものです。私たちの先祖たちはその生命をきちんと営んできたんですね。生命というのは人間だけじゃないんです。緑も、虫一匹も、筆一本も命と感じて、供養をした。針供養、豆腐供養、一切を供養した。これは仏教でも何でもなくて、まさにそれをアニミズムと言うならばアニミズムだし、これからはアニミズムの時代だということです。 
 こう言うと西洋の方から誤解を受けることもありますが、そういう心を今もたなければ、ますます暮らしが破壊されていくでしょう。

(山)坂田さんは、身曾岐教を名乗っておられますからおうかがいしますが、禊っていうのはお湯ですか、水ですか。

(坂)お湯というのは人為を施してありますから、人為のないものが水で、当然、水ですね。

(山)冷水ですね。

(坂)はい。

(山)ところがどうも、伊勢の神宮も、明治神宮も、お湯に入ってしまう。天皇家で行われる宮中祭祀でも小忌おみの湯と呼ばれるぬるま湯をかぶってらっしゃるという。禊の意味が解っていないんですね。
 私たちはお湯じゃありませんよ。毎朝、水を浴びるのです。季節によっては、海へ行くんですよ、毎朝。坂田さんのところは小淵沢の山中だから、谷川かな・・・・・・。

(坂)湧き水ですね。年間通して18度ありましてね。

(山)それはいいですね。

(坂)本来、私どもの禊の理念は、『古事記』の神代の巻の伊弉諾尊いざなぎのみことの御事績そのもので、水につかることによって神を生む。すなわち神と一体になる。禊というのは、ややもするとプロセスで行ぎょうとしていますが、ゴールですね。ですから、その前提には、日本人の価値観として、すべて、「きれい、汚い」というのがあるわけです。善か悪かではなくて。

(山)それが大事なんですよ。「きれい、汚い」が日本人の価値観なんです。

(坂)これは日本語の文化だから・・・・・・。

(山)そうそう。

(坂)ですから、私も振り返って子供のころの体験を思い出すと、ベーゴマとかメンコなんかをやっていて、強いやつがいれば、何とかしてずるをするやつがいる。と、それに気づいた相手の子供が「きたねえぞ」って言うんですね。「悪いことをした」とか、善悪でののしらないんです。

(山)うん。「きたねえ」って言うわけね・・・・・・。

(坂)「きたねえ」。これはもう、遺伝子の中にある日本語の価値観です。
 だから母国語の文化ということです。ですから、日本人の価値観はきれい、汚いであって、そのもとは生命ということです。二元論じゃなくて一元論なんですね。そして生命っていうのは、今の人生観の核に据えれば、生かされて生きるということになります。そして、その生命、健康な生命はきれいなんだと。

(山)ところが、明治神道を制定した人の中にはかなりクリスチャンがまじっていて、国際化するために罪の意識を入れた。つまり、禊祓の言葉にある「罪・科・汚」の罪を一つ取り上げて、罪イコール国の法律違反だとした。いわゆる国法違反というのもへもっていったんですね。そして倫理道徳的な神道をつくりあげていったわけですよ。
 しかし我々古神道では、「きれい、汚い」ということを神経質なぐらい問うわけです。

(坂)おっしゃるとおりだと思います。ところが、明治維新の遷都のときに千家尊福せんげたかとみが中心になって神祇の部門を京都から東京へ移した。しかしこの方はあまり神道に詳しい方ではなく、むしろ政治的な・・・・・・。

(山)政治家だからね。

(坂)あえて言えば野心で行動した方でしょう。だから、その時点で「白川伯王家」という神祇官の京都の役割は終わって捨てられたんですね。そして、天皇は神であらねばならぬというところへ向かっての「行ぎょうの部分」が全部置き去りにされてしまった。ですから明治以降の宮中祭祀には、神道の一番大事な魂の部分が抜け落ちてしまっているのです。

(山)そうです。国づくりの原理を、時代的に技術革新をしながら、来るべき未来に向かって、我が国はかくあるべきであるという思想の体系づけを、一歩先んじてやる役目が「神祇官八神殿の行」ですよね。それがなくなって、西洋哲学が入ってきてしまった。

(坂)明治天皇ご自身は、まさに日本の風てぶりを、大変心配しておられたんですね。ところが、その辺が、非常に歴史的に、音をたてて崩れるというんじゃなくて、ぎしぎししながらゆがんできた。

(山)いわゆる汚くなった。

(坂)文明開化の百何十年、おおざっぱに言って一世紀余の中に積もったあかとでも申しましょうか、異文化との接触の中で得たゆがみがあるわけです。まさに今、その節目にきているのです。そういう生命の中のゆがみに対しては、不快感としての自覚が本能的に出てきますから、それが一つの危機感として日本民族の中で「これでいいのか」という意識になっていて、古神道という言葉に若い者もあこがれてくるわけですよ。つまり、それは日本語を話している若い者の文化的な遺伝子が危機感を感じているからなんです。



【国家神道は行を忘れて 建物を守る神社神道】

(山)もともと神社というのは自然発生的にできたもので、社殿なんかなかったわけです。磐座いわくら祭祀というのが神社のスタートですからね。社殿がそこらじゅうに全部整うというのは鎌倉後期以後です。しかし平安時代にはすでに、朝廷を中心とした支配組織として、大小何千もの社があったと記されていますが、その名残が今の神社ですよ。もちろんその当時に社殿、つまり建物などがあったとは考えられません。
 今、全国八万社と言われてますけど、明治のときには二十何万社あって、それを勅令によって大整理した。それ以後の国家神道というのはちょっと異常ですよ。異常な状態で西洋哲学に対抗して、国家神道の、まあ哲学めいたものをでっちあげた。
 我々が継承している古神道というのはそういうものの枠組みから外れているわけですよね。
 国家神道のほうは、社殿、建物、建造物を守って、建造物についている由来、由緒を守るという形式に曲げられてしまったんですね、まさに神社神道ですよ。ところが、当方はそんなものはない、明治維新で焼き払われているんだから。こちらは行法としての古神道なんです。それこそ坂田さんがおっしゃったように古代の生命、大自然の生命というものをどう日常生活に取り入れ、国づくりの原理にするのか。国づくりっていうのは年々歳々新しくなっていくんですね。それに伴う技術革新の問題にも対応できるような、いわゆる大自然の生命をどう展開して、どう説明していこうかということで、練りに練ってきたわけです。
 だから、国家神道の官僚宮司と会うと、話は真っ向からかみ合わないわけですよ。とにかく神社神道は建物、古神道は行道です。だから、行道宗教と言わないとしょうがない。あっちは建物宗教。

(坂)そうですね。行というのはいわゆる行ない伝えるということですね。紙で伝えたり文字で伝えたりではなくて、生命の営みそのもので、人間を素材として伝承していく文化とでも申しましょうかね。私自身は、行は決して記録をとるなと言っているんです。記録をとることから末法が始まる。記録が独り歩きをして、つまらん学者を育てるだけで、行ずるものをなくしてしまうということです。
 それにくらべて、国から与えられた明治の神道というものがほんとうに神道と言えるかということですね。これはもう完全にイデオロギーだと思うんです。ソ連のマルキシズムとまったくおんなじですね、ある意味では。


【生きながら人それぞれに 神になることが目標】

(坂)私どもも古神道を日々修行しているんですが、生きながらにして、この世で天照太神にならねばならぬと。神道というのは、天照太神に自分自身が、全員が、同質になること、だから神になることが目標なんですな。

(山)うちの言葉では「祖我一如」と言うんです。祖先と我は一つであると。

(坂)まったくそうですね。そしてあの世で一つになるんじゃなくて、この世で一つになる。

(山)この世でなくてはいけない。

(坂)ところが明治の神道、イデオロギーは、この世では天皇が一番大切なお方だから、天皇が率先して、範を示して、神であろうと努力をしていく。だから、最初に天皇が神であらねばならなぬと言うところを、天皇は神だとしてしまった。これは大変な違いだと思うんですね。

(山)我が家には三本の柱があってね。祖我一如。それから是身即神(この身はすなわち神)。そして万有即吾。これが明治神道との根本的な違いです。


【信仰心のない神官が 神いますがごとくに仕えまつれ】

(山)終戦後のことですが、日本全国の神社仏閣は、戦争中に国家に取りあげられた森を、政府から返してもらった。これはGHQの宗教課長ウッダード博士が、「神道とは森である」と理解されたからなんです。外人であってもウッダード博士にはわかっていたんですね。
 わからなかったのは君子豹変した神社界の長老たちですよ。逆なんです。明治神道はイデオロギーですから、そこにはまず信仰心はない。問題なのは信仰心がない神主が明治以降の神社を支配したということです。そう言って過言じゃない。信仰心を軽蔑されたんです。非文明的であると。これは古い神社の宮司から何度も聞かされました。しかし祭りというのは国家が要求しているものだから、まじめにやらないといけない。そこで変な言葉が出たんですね。「神いますがごとくに仕えまつれ」と。いるかいないかわからないけれど、いると思ってやれということです。これどう思われますか。

(坂)いや、もうそのとおりですね。

(山)我々はいますから祀り祭っているんでしょ?神いますがゆえに・・・・・・。

(坂)この世で、自分にとって最も尊いお方と出会えば、そこに向かって頭が下がる。そこから神道の、いわゆる儀礼文化としての祭式が始まるんですね。

(山)そうです。だから、戦前の軍人たちは神道を捨てて座禅に走ったんです。神社へいって宮司と話したって、死んでいこうとしている軍人を納得させるものはひとつもない。それでほとんど望済禅に走りました。曹洞禅に走った人もあるけれども。死ぬっていうこと、絶体絶命ということを理解させてくれるものが神社神道からは得られなかったんです。

(坂)それは行の伝承がなくなったからですね。神社神道には、行が消えてしまったから伝わらないんですね。杜があっても、その中に行がない。


【科学が生命に目覚めた今、古神道は何をなすべきか】

(坂)『旧約聖書』には、神はこの世を六日間かかってつくられた。そして、魚も鳥も獣も草木も、すべて人間に与えて七日目に休養をとられたとあります。ここが西洋文化の出発点です。この立場からすると、天地、自然は全部神から与えられた「物」、人間のための無限の資源だ。取っても取っても減らないんだから、どんどん取れというわけです。そこに科学の出発点がある。資源をいかに使うかという理論から出発したものが、おおざっぱに言った西洋である。
 西洋の歴史を見ると、十五〜六世紀の大航海時代、スペインからポルトガルの森林を切りまくって船をつくったんですね。さらに十九世紀になると蒸気機関の発明と産業革命によって、さらに取る手が巨大になって、大西洋を渡っていく。その資源取りの先頭に立ったのはキリスト教ですよ。新大陸をも求めて「大地は無限」だというわけです。二十世紀後半までその考え方でくるんですね。そしてようやくワイズマンクラブのローマ・クラブが七二年に「成長の限界」という報告書を出して、成長には限界がある、資源はすべて有限であると言い出したのです。
 ところが古神道の考え方では生命です。私ども日本民族の先祖は、霊性、感性の中で、資源じゃない、生命なんだと言ってきたんです。姓名に目覚めたとき、一人では生きられないということに気付くのですね。この感性が、二十一世紀以降の地球の枯渇した生命を救っていく唯一のフィロソフィーだというのは、今や世界じゅうのワイズマンの自覚ですよね。そこで古神道なくして人類は生き残れますかと、世界に言いたいし、言わねばならない。私は今そこに使命感を感じています。

(山)そうですね。日本人の祖先は、三世紀の昔に、応神天皇の御長男に大山守おおやまもりというお役目をお与えになっている。大山守皇子は、今風にいえば林野庁長官ですよね。そのときの森林管理は輪伐ですよ。順番に切って植林をしていく。日本の「植林の歴史」は応神朝からある。
 ところが西洋では、『旧約聖書』の天地創造神話が自らを滅亡の危機へと導いているわけですよ。

(坂)しかしここへきて、東西の霊性文化と科学の文化とがやっと出会った。本当に宗教と科学、精神文化と物質文明とが手を取り合っていくまでに人間が熟してきたんでしょうか―長いことでしたねえ。その舞台が古神道という舞台ではないかなあと。

(山)まあほんまに、しんどうおしたなあ(笑い)。

(坂)ですから、これから、世界にだんだん浸透(神道)していくわけですよ(笑い)。しかしそのためには、日本人自身が自覚をしないといけない。そこがこれからの神道の一番の課題ですね。






関連ページ「いにしえの何か」の枝部分です


2021.8.2
枝は こちら
https://katation.exblog.jp/24273334/






【PR】Licom高画質ライブ配信・通話システム










このブログへのチップ   0pts.   [チップとは]

[このブログのチップを見る]
[チップをあげる]

このブログの評価
評価はまだありません。

[このブログの評価を見る]
[この記事を評価する]

◆この記事へのコメント
コメントはありません。
Copyright (c) 2006 KURUTEN All right reserved