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「岡崎フラグメント」など
 
2015年5月30日 9時57分の記事


(「18日 12時21分」分に 少々書き加え(上部))


生物はどのようにして有害な遺伝的変化から守られ
新しい変異を受け入れて進化することができるのか

古澤滿-「初期発生の過程では、わずかな変異も拡大され大きな形態上の差を生ずることがあります。また、一個のアミノ酸置換でもタンパク質の活性に大きな影響を与え、ひいては新奇な形態や行動の実現につながることもあります。

一方、生物は有害変異の影響を除くデバイスを発達させています。DNA修復酵素や分子シャペロンがその一例です。後者はいろいろな遺伝子がつくる複雑なたんぱく質をうまく折りたたむための工場で、遺伝子産物に少々アミノ酸の置換があっても、なんとか活性をもたせることができます。分子シャペロンの活性を阻害すると奇形がたくさん現れます。生物のからだはかなりルーズなところがあり、シャペロンのような探索システムが発生の頑健性を担保しています」



「生物の頑健性は 酵母やマウスの遺伝子の三分の二を壊してもさして影響がないことをみても明らか」

「生物はDNAから個体にいたるレベルでモジュール(区画)構造をもつ」

「モジュールを組み換えて新奇性を創成することもできる」-古澤氏







不均衡進化論』2010 古澤滿

カンブリア爆発の原因「エコロジーだ」

つまり「アノマカロリスのような強力な肉食動物が現れたので、それまであまりパッとしなかった動きの鈍い堅い皮膚で覆われたものが有利になり、適応進化し、多様化した」-コンウェイ・モリス ケンブリッジ大学 地球科学部門・古生物進化学教室
(P43)




1930年代、ルイセンコが、環境因子か形質を決定し獲得形質が遺伝する、という考えを提唱すると、これこそ「マルクス・レーニンの唯物論的弁証法の勝利だ」として、時のソビエト連邦の為政者たちに政治的に利用されました。当時、ソ連の影響を受けて、わが国にも反遺伝子主義者が大勢いました。特に発生学者の多くは、細胞質遺伝こそが形質を決める本質だと色めき立ったものでした。それは私が大学院の頃で、つい先日のように想い出されます。今日では、すべての細胞質遺伝は何らかのかたちでDNAが関係していることが判明しています。

呼吸をおこなうミトコンドリアや光合成反応の場である葉緑体も、それぞれに特有のゲノムDNAをもち自分で複製して、卵の細胞質を通して子供に運ばれることが明らかにされています。一般に、ミトコンドリアに起こった変異は個体の生理活性の低減に、葉緑体の変異は植物体の白化を起こします。以前はこれらの病的変異は遺伝子が関係しない細胞質遺伝とみなされていました。

バーバラ・マトリントックは、細胞内を自由に移動してゲノムDNAのいたるところに移動することができるトランスポゾンという因子を発見しました。トランスポゾンによって引き起こされた変異形質はメンデルの法則に従いません。また、病原菌の薬剤耐性獲得に関わる因子としてプラスミドと呼ばれる環状のDNAがあります。なかでも複数の薬剤耐性遺伝子が一つのプラスミドに相乗りしていて、しかも隣にいる病原菌にうつすことができるという、始末の悪いものもいます。この遺伝方式は病原菌の分裂とは関係がありませんので、正に遺伝の法則を超越した存在です。プラスミドは今では遺伝子操作に広く利用されています。このように、メンデルの遺伝法則では説明できない不可解な遺伝現像も、今日では例外なく遺伝物質(DNA、RNA)が関与していることが明らかにされています。

以上述べてきましたように、今日主流の進化説に対抗して出された多くの進化説は、残念なことに、ことごとく日の目を見ることなく終わってしまっています。偶然の積み重ねと自然選択以外に、生物側に進化の要因を求めるという方向性は買うのですが、いかんせん、実証と説得力に欠けていたというべきでしょう。

私は一貫して、進化の駆動力を生物側に求めるスタンスをとり続けています。過去の失敗の歴史にもくじけず、このベクトルの方向性を曲げずに議論を進めていきたいと思います。
(P50)




有性生殖では、メンデルの法則だけで、遺伝と進化の矛盾がある程度解決できるように見えました。しかし、大腸菌のような無性生殖では成り立ちません。

では、有性生殖と無性生殖の共通点は何かといえば、集団をつくること、つまり分裂(増殖)です。有性であろうと、無性であろうと、生物は遺伝子(DNA)を複製して、分裂・増殖します。この分裂、すなわちDNAの複製過程にこそ、変異の閾値を超えるしくみが、進化につながる秘密が隠されているのではないか、と考えられます。

ところが、ダーウィンからはじまり現代の進化の総合説に至る約150年の進化理論の歴史のなかで、遺伝物質(DNA)の複製メカニズムが中心課題として取り上げられたことはありません。進化論の歴史において中心的役割を果たしてきた集団遺伝学(進化遺伝学)は、子供の数で適応度を表し、集団内の遺伝子頻度の推移を問題にしていますので、今日の進化論のなかでDNA複製が無視されたとしても仕方のないことでしょう。
(P66)





【岡崎フラグメントの再発見】

1953年は世界の生物学界にとって文字どおりエポックメイキングな年となりました。科学雑誌ネイチャーに掲載されたワトソンとクリックによる短い論文によって、DNAの二重らせんモデルと、A=T、G≡Cの相補塩基対のルールに基づく複製様式の原理が解明されたのです。ここに分子生物学の幕は切って落とされました。

そのとき私は大学二回生でしたが、この論文を知ったのは理学部に進んでからで、論文の内容を理解したのは大学院生になってからです。なぜこの間三年ものギャップがあったのかといいますと、その当時わが国にはこの論文を正しく理解し咀嚼して講義ができる教員がいなかったからです。われわれが一番戸惑ったのは、生物に情報理論というまったく新しい概念が導入された点にありました。そして驚いたことに、遺伝情報には、ジョージ・ガモフに代表される理論物理学者がからんでいました。

生物のからだの基本を成すのはタンパク質です。タンパク質はアミノ酸が長く連なったもので、生体のタンパク質を構成するアミノ酸は20種あります。遺伝物質DNA(デオキシリボ核酸)はATGCという4種の塩基からてきており、塩基が糸のように一列に並んでいることは予測されていました。AとTの量は同じで、GとCの量も同じであることまではわかっていました。しかしこれほど単純な構造の物質が、どうやって20種類ものアミノ酸と、複雑なタンパク質のアミノ酸配列を決定できるのか。つまり、DNAのなかにどのように遺伝情報が格納されているかに生物学者たちは頭を悩ませていました。

ガモフは、事実上、たったこれだけの情報から、ATGCの塩基が三文字で一つのアミノ酸情報を担っていることを看破したのです。もし二文字が対応したとしますと4²=16で20種のアミノ酸に対して4個足りません。三文字ですと4³=64で44個も余りますが、それで良しとしたのです。

この計算は見事に当たっていました。その後、余っている44個の暗号のうち41個は同じアミノ酸に重複して対応することが明らかになり、残りの三つはストップのサインで、この暗号がくると遺伝子の情報が止まります。この直感の裏には、“自然は単純で美しい”という理論物理学者の信念がいかがえます。あるアミノ酸には二個の塩基が、また別のアミノ酸には三個の塩基が対応しているというふうには決して考えなかったのです。いわんやDNAが枝分かれしているなどとは一瞬といえども彼らの頭をよぎらなかったはずです。このへんが、とかく物事を複雑に複雑に考えたがるわれわれ生物屋と決定的に違う点です。

さらに私が驚いたのは、ワトソンとクリックがDNAの分子構造を解明するのに、金属板と太い針金で手のひら大の4種類のヌクレオチド(塩基と糖とリン酸の結合したDNAを構成するユニット)の模型をたくさん準備して、実際に組み立て細工をしていたことです。友人のガードン(クローンガエルの成功者)と散歩の途中で、彼らがその組み立て作業をしたという、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ物理学研究所の薄暗い裏庭にある実験室に立ち寄りました。自転車置き場のような平屋の掘立小屋で(私が行ったときは物置小屋として使われていました)、とても高価な測定機など置けるような場所ではなかったことに、妙に納得しました。二人とも目を合わせただけで、無言でそこを立ち去りました。

DNA二重らせん構造の発見から、遺伝コードや複製機構の解明へと、目まぐるしいほど次々に成果がもたらされることに、遺伝子の実体なんて生きている間にわかるわけないですよ、と高をくくっていた私は強いカルチャーショックを受けました。事実、しばらくDNAにかかわる研究に入らなかったのもあまりに衝撃が大きかったからです。

とにかく分子生物学を理解するには学生が自分で勉強するしかなく、自発的に輪読会を開いて何とかついていくことができました。そして私なりに、DNAの複製と遺伝の機構はこれで完全に決着がついたと思っていました。

当初私は、DNAを構成している二本の鎖が逆平行になっていることはあまり気にしていませんでした。逆平行というのは、DNA鎖の合成は複製酵素の特異性のために一方向にしか進めなくて、DNAをつくっている二本の鎖は合成の方向が逆方向に向き合っているという意味です。ちょうどお箸の片方を逆さまにしてそろえたようなものです。複製するときは二重鎖のDNAのひもの両端がほどけて、それぞれの一本鎖を鋳型にして同時に両端からお互いに逆に向けて複製するものと勝手に想像していました。

ところがこの考えは1967年に名古屋大学の岡崎令治らによって見事に打ち破られました。岡崎によりますと、ひも状の二重鎖DNA分子のある特定の複製開始点から二重鎖がほどけはじめ、それぞれの裸の鎖を鋳型にして、二本鎖DNAを二本同時に合成していくというのです。

そうしますと、親の二本鎖がほどけていく方向と、新しい鎖が合成される方向が一致している側は、問題なく連続して新生鎖の合成反応が進みます(連続鎖)。ところが、もう一方の鎖の合成の進む方向は、親DNAがほどけていく方向と逆になり、齟齬が生じます。これを解決するには、ほどけて一本鎖になった部分を逆向きに合成し、短い鎖を少しずつつくりながら進み、後ろでつなぎ合わせるより方法がありません(不連続鎖)。のちに、この短い鎖は発見者の名をとって岡崎フラグメントと呼ばれるようになりました。

(この非対称なDNA複製様式の発見は、まさにわが国が誇る画期的な研究でしたので、分子生物学の総説や教科書に、図4-1bのような絵が必ず描かれていました。)

私もはじめは、まあそんなものかぐらいに軽く思っていました。しばらくして、奇妙な絵だな、なんだか少し変だな、どうして生物はこんなにややこしいことをするのだろう、と妙に頭にひっかかるようになりました。

だいたい、気になる現象には大切な真理が隠されていることがよくあります。少なくとも気になるということは、そのときどきの常識や知識では説明できない何かがあるからです。当時の私のテーマは脊椎動物の性の分化でしたので、特に岡崎フラグメントの意味を真剣に考えていたわけではありませんが、常に気にかけてはいました。このような状態が約20年間も続きました。しかしこの間も、私が知る限りでは、岡崎フラグメントの生物学的意義について論じた報告は出てきませんでした。

忘れもしません、1988年10月27日のことです。場所は大阪バイオサイエンス研究所の設立一周年記念の講演会場でした。私は大阪市立大学から東京にある第一製薬(現第一三共)の研究所に移って間もない頃でした。わざわざ大阪まで出かけて式典に出席するのが億劫で、あまり気乗りしなかったのですが、上司の同行もあり、家族を西宮に残して単身赴任をしていたこともあって出席することにしました。

招待講演者は、DNA複製酵素(ポリメラーゼ)を発見し、DNAの複製機構を明らかにしたことでノーベル賞を受賞した米国のアーサー・コーンバーグでした。講演はよく知っている内容でしたので聞き流していました。講演のまとめのところで、DNA複製酵素の関係を示すきれいなカラースライドが映し出されました。もちろん、岡崎フラグメントもしっかりと描かれています。それを見たとたん、ピンときました。「あ、そうだ!ごちゃごちゃしている方の不連続鎖は、スムーズに合成が進む連続鎖にくらべてエラーが多いはずだ!」という発想が頭をよぎりました。もしそうなら、進化に大きな影響があるかもしれないと、その先まで想像を巡らしたのはほとんど同時でした。
(P67〜72)



不連続鎖の発見者である岡崎氏は1975年、米国旅行中にわずか44歳でこの世を去っておられます。広島での被爆が原因の慢性骨髄性白血病だったとお聞きしています。
(P73)





(4.22〜) 5.16記入 22:10:27送信分



       ◇



5.17記入 08:14:16送信分

これだけの頭脳をもった人類の社会で いまだに争いごとや戦争が絶えないのは、脳幹が命令する本能的な行動を大脳皮質がうまくコントロールできていない証拠なのでしょう。

未来の人類社会ではこの問題は生物学的に解決されているでしょうか?
(P194)





(古澤氏のこと)

1940年頃(小学2、3年生)に アメーバからヒトまで一直線に右上がりに描かれた進化の絵があり 興奮した

当時 祐天寺の家にはライツの顕微鏡 レミントン製の小型タイプライター 教材用の蒸気機関の模型があった(生理学者の父親がイギリス留学から持ち帰ったもの

子供の目にはどれも「宝物のような品物」だったが自由に触らせてくれ

よくツクシの花粉やたばこの煙を顕微鏡で観察させてくれた

息を吹っ掛けると、球形の花粉の周りに付いている数本の腕がくねくねと鞘のように動く様子はとても植物とは思えない映像だった

顕微鏡はさすがにドイツ製だけあってコンデンサーの位置に特別の装置をくっつけると

空気中に浮かんでいる超微粒子も そのままで観察できるという優れものだった

たばこの煙がまるで夜空に輝く銀河のように見えるのが不思議でならなかった

一人で扱うには荷が重すぎる年齢だったから 父親が観察の準備をしてくれるとき以外は

接眼レンズを外し 斜めにして 高射砲に見立てて戦争ごっこの道具として使用していた

学校でダーウィン進化論を学び「方向性のない変異と自然選択だけでアメーバ様単純細胞生物からヒトが進化」できるとはとても思えず

教科書の行間に「何十億年という時間が進化の問題を解決するという “暗黙の了解”のようなものが垣間見えて

「時間に責任を預けているところが腑に落ちなかった」

やがて 生物には積極的に進化を促進する分子機構があるに違いないとの思いに至る

大学と企業での長い道草と紆余曲折を経て 56歳にしてやっと幼い頃からの夢であった進化研究のスタートラインに立つことができた
(序)

−『不均衡進化論』






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