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「農業」が まねく ものごと
 
2017年8月16日 18時0分の記事

(まあ 年表を見れば 戦いの始まりは記載されているわけですが)

その話は ある面「真っ赤なウソ」 らしい‥

まあまあ 「嘘」にはならない使い方 行い方 というのも あることは ある‥‥

・・・・

『「神と鬼のヤマト」誕生』2013 より (109〜112)

その昔、「平和を愛する稲作民」「戦争好きな騎馬民族」という話をどこかで読んだ記憶がある。たしかに中世戦国時代も、戦争好きな武士と戦乱に苦しめられる哀れな農民たちという図式がドラマで何度も繰り返し登場し、すり込まれてしまったのかもしれない。しかし、稲作や農業が平和をもたらす話は、真っ赤なウソなのだ。

日本では 稲作を受け入れてややあってから戦争が始まっている
特殊事情ではなく 世界中で農耕のはじまりと戦争は密接につながっていた

農業が 戦争を招く

ひとつの理由に、生産システムが完成し、単一の資源に依存した社会のもろさがある。天変地異や天候不順によっていったん不作になれば、食料の奪い合いを組織的に行わざるを得なくなる。

さらに、定住することによって土地への執着が生まれ、排他的になり防衛意識が強まるとする説(佐原真『人類にとって戦いとは1』福井勝義・春成秀爾 編 東洋書林)もある。


なぜ人類は武器を取ったのか

動物学者のコリン・タッジは、マンモスを滅亡に追い込んだのは狩猟民族ではなく、農業を手に入れた人たちではないかと指摘する。狩猟民は限りある資源の捕りすぎはしなかったが、農業をしている人びとは食べ尽くしても心配ないと考えた、とする(『農業は人類の原罪である 進化論の現在』竹内久美子訳 新潮社)。


なぜ 農業と戦争が結び付くと推理したか

必要以上の食料を手に入れ、食料事情が好転すると人口爆発を起こす。新たな農地と水脈が必要となり、新たな農地を開墾すれば、さらに人口爆発を起こす。これを繰り返しているうちに、土地と水脈は涸渇し、他地域との争いが勃発するのだ。さらに不作が続けば、食べ物の奪い合いも起こっただろう。


コリン・タッジの指摘どおりの「人口爆発」「天変地異や飢餓」「経済危機」によって

だとしても

古墳時代から先 中世に至るまで 危機が解消されても 戦争は終わらなかった

松木武彦は『人はなぜ戦うのか』(講談社選書メチエ)の中で、「思想」がからんでくるのではないか、と仮説を唱えている。

松木武彦が注目したのは、「なぜ縄文人は稲作を選択しなかったのか」だ。日本列島には早い段階で稲作が伝わっていたが、なぜか縄文人は見向きもしなかった。その理由について松木武彦は次のように指摘する。まず、「縄文人がイデオロギー的な抵抗を試みたのではないか」とする筑波大学マーク・ハドソンの推理を紹介した上で、もし戦争が、経済的な要因によってはじめられたとしても、その戦争行為が発動されるプロセスには、「人びとの意識や思想――ここでいう思想とは、人びとの世界観やものの考え方をさす――のレベルでの要因が、かなりの比重をもって働いていると判断されるだろう」と、考えたのである。

しかし 思想よりも先に
人間の権力欲や愛憎を戦争の原因に加えるべきではなかろうか

稲作をはじめ、組織的な労働システムが完成し、統率者が生まれ、争いがはじまれば、財を蓄えたカリスマ的な王が現れる。そして、玉座を狙って主導権争いもはじまっただろうし、他地域の領土を奪いたいという欲望も生まれただろう。そうこうしているうちに争いが次の戦争を呼び、憎しみ、恨み、敵対する地域が出現した可能性がある。

やはり、原点は「農業をはじめたこと」にあった。「増殖を宿命づけられた生業なりわい」の悲劇が戦争であり、「鋤と鍬を手にした者たちが辿り着く先」だったのだろう。もしかしたら縄文人たちは、中国大陸で繰り広げられる「狂気」を、海の縄文ネットワークによって知っていて、「農業を選択すればどのような未来が待ち構えているのか」をよく理解し、それで稲作を拒んだのかもしれない。
関裕二

・・・・

「縄文人」という名称を使う方々も 様々(な「狙い」をお持ちでしょう)
「縄文人」の「思想」なども 一つではない



「平和を愛する稲作民」「戦争好きな騎馬民族」という話‥が どうなのか? 
そこらへん なんですよね

ぜひ (肝心な)「歴史」を紐解かれる際にも
そのように あてはめて いただきたいのですが‥‥‥

(個々の 状況ですとか 思考や体験により あれですかね)

何を持続させたいのか という点(を集めると)
それが どの範囲に及ぶのかというような 枠も色色で あれですが




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