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くる天
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脱原発・脱利権・脱ムラ社会のための選挙に。
[”民主主義はタダでは手に入らない!”政治・経済・デタラメディア]
2012年12月15日 18時56分の記事

今回の選挙ほど、日本の民度及び日本社会の成熟度が問われる選挙もほかにない。
同時に利権囲い込みアメリカの犬ムラ政治と決別し、大多数を占める真に持たざる者のための政治を選び取れるかの正念場でもある。
まさに日本が伸るか反るかの大分岐点だ。
投票するにあたってのポイントをいくつかまとめてみた。

項目は、



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・現政権評価については局所ではなく時系列でみる。外部要因を勘案し、不可抗力の部分まで何でもかんでも当局のせいにしない。
・各争点間の優先順位を決める。
・口先ではなくこれまでの行動を評価する。
・大事なのは人柄ではなく政策。
・現政権については、トータルパッケージで評価。100点満点でないとだめか。
・大勢に流されず自律的判断をする メディアに惑わされない。多数が正しいとは限らない。

の以上6項目。

思考を面倒くさがってはいけない。
それを放棄すれば、お粗末な政治しかやってこないのは当然の理だ。

【現政権評価については局所ではなく時系列でみる。外部要因を勘案し、不可抗力の部分まで何でもかんでも当局のせいにしない。】

民主による改革がなかなか形にならないのは、民主の体たらく以上に、長期に渡る放漫利権自民政治で積みあがったツケによるところが非常に大きい。
それがわずか三年で一挙に悉く片が着くと考えている人間がいるなら、その人間は現実を直視できないパラノイア以外の何物でもない。

同様の評価の異常は、無理難題は震災直後にもあった。

ガレキは未だ処理完遂に至っていないが、これをわずか三ヶ月でできないからと言って不信任を振りかざし、また、それに付和雷同して一介の協力をも惜しみ、震災対応に手一杯の菅政権を叩きまくったのが、国賊自民を筆頭とする野党であり、またこの国の言論をとことん腐らせてなお撒き散らし続ける自称メディアどもだ。
冷静に考えれば数十年分とも言われるあれだけの膨大なガレキを三ヶ月でどうにかしろというこんな非現実的な命題を押し付けるほうが異常なのに決まっているが、それとも自民は三ヶ月でどうにかしたとでも言うつもりか。
これらの異常な人々は、その自らの異常さはいささかも省みることはない。

福島第一原発事故対応にしても、上記の人々は、全ての失敗や瑕疵を政府の責任にして憚らなかったが、民主編でも書いたように、異常なのはそんな事を吹聴して憚らないこれらの人々だ。
福島第一事故対応におけるその限界は、菅氏の限界ではなく人間の限界だ。
そもそもキレた菅氏が東電本店に乗り込まなければ、情報すら上がってこないという異常さだった。
菅氏は総理の資質には足らなかったが、あの火急のなか、またあの凄まじいバッシングのなかで倒れずにとにもかくにも自らのやれる事をやっただけでも評価に値すると私は思う。
前々回の民主代表選で私は小沢氏がなるべきと考えていたが、もし小沢氏だったらおそらく途中で倒れていただろう。他のボンボン二世議員も同様だ。
それだけでもあの時菅氏が総理の職にあった意味はあった。

何でもかんでも当局のせいにするというのは、思考の短絡に他ならない。

【各争点間の優先順位を決める。】
今回の選挙は脱原発・TPP等、争点が単一ではないため、それぞれの争点で選ぶ党が異なるという混乱が予想されるが、これを整理するにひあ各争点間の優先順位をつける事だ。

例えば、TPPと脱原発でどちらをより重視するかというような事だが、仮に景気回復を脱原発に優先させれば自民が候補に残る事になる。

このような角を矯めて牛を殺すことだけは避けたいところだ。

【口先ではなくこれまでの行動を評価する。】
選挙期間中に何を言っているかはさして重要ではない。ましてあの候補は握手をしてくれたから、とかそんな理由で投票先を選ぶのは言語道断だ。

膨れ上がった借金も原発破綻も元を糺せば第一義的に責任があるのは自民だが、その自民は大震災発災時、政府の揚げ足取りと高みの見物以外の何もしなかった。その所業は国賊と呼ぶに値する。
たまたま福島第一破綻時に民主党政権だっただけなのは、冷静に時系列を見れば一目瞭然だ。菅政権は「敷地にいくつか原発という不発弾がありますが絶対安全で爆発する事はありませんから。」と言われて、その土地を引き継いだ管理人に過ぎない。

原子力行政に対する未だ真摯な反省もない自民に日本の政治を語る資格はもとよりない。四国デマ紙同様、一刻も早く淘汰・駆逐されるのが最も国益に叶う道だ。

にもかかわらず全ての批判の矛先を菅氏に向けた当時の世論のありようは、日本人が如何に皮相しか見てないかの、リトマスである。

【大事なのは人柄ではなく政策。】
これも日本人は誤っている例が非常に多いが、政治家を選ぶうえで最も重視しなければならないのは人柄ではなく政策という点だ。
人物で選ぶというと聞こえはいいが、政治家の本分は人徳ではなく政策や思考にこそあるべきだ。政治は宗教ではない。
政治に第一に必要なのは人当たりなんぞという曖昧模糊とした物ではなく、先見と判断と知恵だからだ。
当然ながら人当たりと先見・判断・知恵はイコールではない。選挙中の舌先三寸やイメージ・熱意・人柄等、そんなもので決して選んではならないということだ。
世襲が問題なのも、ともすればしがらみまくって地域の意向に流され国庫を食い物にする我田引水が主眼になりやすいからだ。
人柄は付き合いには重要だが、国家の行く末の見極めには必ずしも必須ではない。
ましてどれほど人徳があろうが無能な人間が政治家になれば政治は方向を誤る。
日本人はどうしても必死さだとか人柄とかそんなものに流されがちだが、それらは本来政治家に要求される冷静さや合理的な思考とはむしろ対極であり、場合によっては、野田氏のように人柄本位が本来あるべき決定を遠ざけてしまう場合すらある。

政策と理念を見極める冷静さが何より要求される。
それがまた政治家の政策重視に繋がる。
いけすかないと思う人間でも有能なら徹底的にこき使えばいいのだ。それが政治のあるべき姿だと私は思う。

【現政権については、トータルパッケージで評価。100点満点でないとだめか。】
このポイントについては、『私の検証・民主編』の投稿で詳述したのでそちらを是非ご参照いただきたいが、つまるところ、

100点満点でないとだめなのか。

75点でも良しとできるのか。

という事だ。

あわせて、大震災や自民の揚げ足取り等、民主の政権担当能力以外の”外部要因””諸般の事情”を適宣勘案しなければならない事は言うまでもない。

ここで何よりも斟酌しなければならないのは、水ぶくれの借金や杜撰な原発管理等、数十年に渡る自民一党独裁の”負の遺産”があまりにも大きすぎたと言う事である。
もし民主がこの三年で全ての問題を解決できなかったから失格とする人間がいるならば、私に言わせればその人間の思考のほうが異常だ。


アメリカは失業率や景気回復に手間取りながらも再度オバマ氏を選んだ。
政治に100点を求めれば、やってくるのはデマゴーグだ。


【大勢に流されず自律的判断をする 多数・メディアが正しいとは限らない。】
そして単一民族国家ゆえか、どこまでも大勢に流されやすい日本人が最も心しておかなければならないのが、自称メディアや潮流に流されることなく、自律的判断を行う事の重要性である。
村八分という逸脱禁止のリンチシステムとともに長年生きてきた日本人は、大集団から外れる事や人と違う事あるいは孤立を強迫観念的に怖がる。
稲作という共同作業に立脚した農耕社会であった以上仕方がない面もあったが、曲がりなりにも近代化がなされた今になっても、依然そのムラ的精神は日本人の心理の奥底に深く刻まれたままだ。
そしてそうした長いものに巻かれたがる日本人の心理を最大限利用してきたのが自民だ。自らに反する敵対勢力をあたかも異端や異常の如く言い放ち、これを駆逐するためには、人格を中傷するレッテリングすら憚らない。
国のトップのこの異常がこの国のあり方を大きく歪め、時代を前に進めるどころか、致命的な欠陥になりかねない事をこれ以上ないほど悲劇的な形で証明したのが福島第一の破綻だ。

長いものに巻かれるこれまでのやり方では、声の大きい者に隷属して生きるしかすべはなくなる。
そして福島第一の事故は、声の大きい者が常に正しいとは限らない事への徹底した断罪に他ならない。

自称専門家や自称メディアその他にしてもトンデモな存在である事は、福島第一事故以前に、小沢氏に纏わる異様なまでのバッシング報道で示されているところだ。

自分で考える前に周囲の動静を気にすると言う事は、裏を返せば自分の思考の放棄にも繋がるものだ。

判断を下す時に人の思惑は二次的な事に過ぎない。

確かに以前なら人と違う事を唱えれば孤立もしただろうが、しかし時代は変わった。
孤立したもの同士がネットという利器で結びつく事ができる。
そしてその威力はアフリカの革命を見れば歴然だ。
そもそも人おかしいのは、孤立する人々ではなく、小沢氏からフィギュアの浅田ブラボー部隊(通称マオタ)まで、本来あるべきその多様性を、母集団から少しでも外れれば徹底的に叩きのめそうとする日本のこの異常なムラ社会体質だ。
人と違っていてかまわない。
少なくとも大勢が右だからと言う理由で右を選ぶ必要は全くない。
自分はどう考えるか。
それを中心にすえなければならない。自律的な判断とはそういうことだ。
勢いの良いものに乗ってドンマイドンマイだけで孤立を恐れて大同についた判断をすれば泣くのはかけがえのない将来世代であり自然環境だ。
おかしい事はおかしいと声をあげなければならない。
人と違っていても大丈夫だし、人と意見が異なるからと言って誰も貴方を取って食ったりはしない。

それが自律的判断と言う事であり、それが許容されるのが、本当の民主主義というものだ。

今ほど、左右と足並みが揃っているかを一番気にするような姿勢を捨てて、例えひとりであっても間違っている事を間違っていると声を挙げなければならない時はない。
そして、それが正しければ必ず共鳴する人間はいるし、ネットによってこれまで不可能だった横の繋がりは可能だ。
それを証明して見せたのが、自称メディアどもの力によらない自然発生的な一連の官邸前草の根デモだ。
そもそも時代が後になればなるほど意見が百出し、混乱が拡大しているように見える事自体、これまで権力にある者が駆使してきた一方向性の情報伝達が、ネット等双方向性通信ツールの台頭によって成り立たなくなってきている事が非常に大きい。
上意下達の一方向性時代は終わったということだ。

今はムラ社会の時代ではない。

自分達は極めて意識操作されやすく、ともすればロジカルな思考を失って感情に流されやすい一方向性を向きやすい国民だという事をまずは自覚しなくてはならない。

竹槍でB29は落とせない。

非現実的な根性論や感情論だけで政治は良くならない。

今日意思表示して明日世界が変わるわけではないが、東独月曜デモが7年間かけて目的を達成したように、地道で粘り強いひとりひとりの市民の意思によってしか、より良い政治は導けない。

ここで是非一言言及しておかなければならないのが再三にわたり指摘しているこの国の自称メディアのあり方だ。

小沢裁判から脱原発に動いた直後の菅下ろしに至るまでの報道は、この国の自称メディアがいかに本来あるべき姿とかけ離れた異常の極みにあるかを雄弁に語っている。
特に小沢氏関連の一連の報道は魔女狩りと言うべき悪質さはいくら批難されてもされすぎることはない。
一旦”スケープゴート”を定めれば、理性も論理もかなぐり捨ててどんなつるし上げも厭わない異常だということを国民は知らなければならない。

四国デマ新聞をはじめとする日本の自称メディアは既に公正中立のジャーナリズムの範疇にはない。

そしてその子飼いである後藤謙次ら自称専門家もまたしかりである。

田勢康弘ら日和見自称専門家は、常に、国民は悪くない、政治だけが悪いとおべっかを使う事を忘れないが、裏の裏はともかく、今の日本の国政は、少なくとも名目上は、GHQに押し付けられたのでもなければい、国連の統治管理下にあるわけでもない。国民の投票という意思表示を経て形成されている。
日和った自称専門家どもが、「全て政治が悪い。国民は少しも悪くない。」とおべっか使いを忘れないが、これは全くの誤りだ。
であるなら、政治のあり方に対して第一義的に責任があるのはやはり国民だ。

政治が腐るのは国民が腐っているからだ。

国民が四国デマ新聞のような自称メディアどもの尻馬に乗って物事の皮相しか見ず、思考を放棄しているからにほかならない。

大震災発災当時、 政府の窮状を理解し、菅氏を支えようとした国民がどれほどいたのか。あの期に及んで、あいつが悪い。こいつがなってない。というワイドショー文脈から離れることができなかったというのが真相だ。放射能相手に人間にできる事はおのずと限界があるにもかかわらず、だ。

与党、特に国のトップにあった菅氏に全ての罪をおっかぶせ、異常なまでのバッシングを行った国賊自民や自称メディアを人々は戒めたか。

答えは到底否だ。

自称メディアと一緒になって政権叩きに明け暮れたというのが実情だ。ここぞとばかりに自民が与党バッシングにまい進できたのも、国民のこの”暗黙の了承”あらばこそだ。
その意味ではこの腐りきった国賊自民と、高みの見物で政府批判以外何もしなかった国民は、その性根の陰湿いじましさにおいてほとんど表裏一体と言うべき同根だ。

不信任案が出されたころにはさすがに政局に走りまくる永田町に辟易批判する声も聞かれるようにはなったが、裏を返せば、発災当初から挙党一致で震災対応をするよう国民が促さなかったからこそ、政局の極めつけとも言える不信任が出されるような事態を招いたとも言える。

もっと早くから国賊自民のこれら愚挙愚行を戒めれば不信任に至るはずがない。

あの火急における不信任案は、日本人の劣悪を世界に向けて発信した、国政における汚点と言っても過言ではない。

政治を変えるためには国民が変わらなければならない。

自民とそれ以外の戦いは、利権VS市民であり原発はその象徴だ。
仮にここで利権ムラ社会の象徴である自民を駆逐する事ができればムラ的掟が金縛る旧態の日本社会からの脱皮となり、それはひとつの革命と呼ぶべきものであり、その意味でも必ずこの国賊自民だけは駆逐されなくてはならない。自民の姦計につられて自民に回帰なんぞは世界の笑い者だわ。

仮に自民が政権をとってもそれは自民の真っ当さを意味しない。
政治家を選ぶ側である国民がワイドショーの延長でしか、あるいは、局所的にしか政治を捉えられず、まともな政治をなすには民度が低すぎるというだけのことだ。
日和見風見鶏田勢某が言うように、政治家これのみが悪いのではなく、ただ国民が巧言令色に踊らされるくらいのバカだったというだけのことである。
自民の勝利は、ムラ利権の勝利であり理性的な近代思考の敗北でもある。責任はそんな国賊自民の言葉を鵜呑みにする国民の側にこそある。
そしてその代償を支払うのは、物言わぬ将来世代である。


衆参のそれを上回る最も深刻なねじれとは、民意と国政のねじれだ。
そしてその最悪の事態は、自民が政権を取れば現実のものとなる。

国民の大多数が脱原発を望んでいるにもかかわらず、続原発を容認し、次なる破綻をも許容し、でなくとも早晩駒が尽きる福島第一において、国民徴用という強制労働すら是認する事を意味するが、そこまで思い至っている国民がどれほどいるのか。

全ては有権者の良識と冷静にかかっている。

先日も書いたように鶏は三歩歩くとそれまでの事を忘れてしまうそうである。

今回の選挙では、果たして日本人が鶏以上かが問われることになる。





皆様の忌憚ないご意見・お叱りはこちら!

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四国デマ新聞 読者相談室: 087-833-5552

後日検証のため、通話内容をICレコーダーなどで録音されることをお勧めします。






著作権は”TALES OF  NIGHTGALE”に帰属しております。無断転載等はお控えください。
以上、よろしくお願いします。


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