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2012年12月15日 18時56分
脱原発・脱利権・脱ムラ社会のための選挙に。
 
今回の選挙ほど、日本の民度及び日本社会の成熟度が問われる選挙もほかにない。
同時に利権囲い込みアメリカの犬ムラ政治と決別し、大多数を占める真に持たざる者のための政治を選び取れるかの正念場でもある。
まさに日本が伸るか反るかの大分岐点だ。
投票するにあたってのポイントをいくつかまとめてみた。

項目は、

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2012年12月14日 18時40分
【衆院選】私の検証 第三極編
 
【維新】
経済対策における維新の主張は、一見自民等と一線を画するようにも見えるが、市場の飽和と地球のキャパという外部要因の制約を度外視して市場原理を過剰に評価していると言う点で自民と同じ右肩上がりの幻想に囚われているように見える。
それは日本独自の国内事情も勘案せずなんでもかんでもアメリカ式にすれば事足れりとばかりに小泉政権においてアメリカ式競争市場主義導入の最大の首謀者たる短絡竹中氏をブレーンとして重用していることからも伺えるが、過剰な競争原理主義が、格差是正に奏功するどこりか、その矛盾が一直線に弱者に皺寄せし、格差を拡大してしまう事は小泉政権で証明済みだ。

「みなさんには貧しくなる自由がある。何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」
とは竹中氏の言だが、この言葉からも伺えるように、競争から脱落した者はあくまで自己責任による敗者であり、そこに富の再分配のような視点は微塵も見られない。
こんな言葉を吐く竹中氏に、小泉改革の反省があるようにはとても見えない。

誰もが好きで貧乏をやっているとは限らない。中には生まれつきハンデがあったり、そこまで明確に認識できるようなハンデはなくとも家庭の経済事情等でどれ程努力しても貧乏せざるをえないケースもあり得ると言う事を理解しているとは思えない。

全員が同じスタート地点に立っているわけではなく、また構造不況という言葉があるように、どれほど働きたいと思っても職にありつけない事すらあるのに、そのあたりへの目配りがあるようには見えない。
構造的に人員が余剰するならどれほど努力しても雇用の絶対数から漏れる底辺の弱者を生み出してしまうのに、その結果を全て自己責任に帰すのはあまりにも雑で乱暴な議論というものだろう。
また、市場原理をユニバーサルサービスあるいは社会福祉の分野にまで適応すれば、訪れるのはコスト削減至上によるユニバーサルサービスの不全だ。

過度の競争原理の導入は、弱者切捨てになりかねない。何でもかんでも市場原理を持ち込めば、弱者は生き残れない。そして、弱者を切捨てることによって仮に数字上の経済が好転したとしてもそれが日本のあるべき姿だとはとても思えない。
社会的弱者の固定は、自暴自棄や暴発を招きかねないという点で、社会的コストの面からも見合わない。
リーマンショックを引くまでもなく、グローバリズムと市場原理に過度に依存する事がどれほど危険かの認識もなく、このような富者から貧者への目配りが完全に脱落した論理の持ち主が、日本を真の発展に導けるとは私は思わない。
経済対策については、過度の競争原理に頼るよりも、福祉の拡充によってセーフティネットの充実に主眼を置く民主の方向性のほうが、地味ではあっても日本に必要な堅実性だと私は考える。

この経済政策に象徴されるように、維新の主張を聞いていて一番気になるのは、それらが自民同様、「強者の論理」になりかねないリスクを孕んでいる点だ。
TPPにせよ原発にせよ需要喚起型経済政策にせよ、一歩間違えれば弱肉強食の弱者切捨てに繋がりかねない。
橋下氏はおそらく否定するだろうが、それは自民の利権体質と通じかねない部分を潜在的に持つという事だ。

ちなみにその竹中氏にまつわるりそな銀行に関する、インサイダー取引だが、植草氏の痴漢事件は冤罪だという噂もある。
資本主義そのものの是非が問われようとしている今、そんな経済政策が先見あるものとは思えない。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1244603967
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4620316466/ref=sr_11_1/503-5876633-4395915?ie=UTF8
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552018716&sid=552018716&tid=a4ja4bda4ja5a4a5sa55a5a4a5c0a1bc5bf9v&mid=1&first=1
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7bfea938ee76eb3f78fc665f3c872ef9

真偽の判断は各人に任せるとして、実際に小泉改革に代表される一連の自民の政策に障壁になる人物が次から次へと闇に葬り去られているのは事実であり、小沢氏もまたその象徴でもある。
こんなきな臭い人物を重用している時点で、どこまで地に足のついた経済対策が可能なのか、という胡散臭さは払拭できない。

橋下氏は確かに、批判一辺倒ではなく自ら解を模索する実際的な知恵、野田氏と異なり批判を恐れず物を言う度胸、そして党利党略のためなら国債特例人質戦略をも辞さない国賊自民などとは一線を画した分別の持ち主だと思うが、反面、TPPにも見られるように喧伝されるグローバリズムの効能を鵜呑みにしてその裏を見ることができないところ、それから最後の粘りに欠けて変節が過ぎる部分が気になる。

大飯の再稼動における二転三転はまだ記憶に新しい。
せっかく電力会社間の相互電力融通にまで踏み込みながら、突然主張を変えれば、面倒を避け日和ったと取られても仕方がないだろう。
あの程度で利権にくじけているようでは、利権が跳梁跋扈する国政の変革なんか無理ですわ、ムリ。
そんななまっちょろい覚悟で海千山千の利権とは渡り合えるものですか。今の民主同様、体よく利権に丸め込まれて気づけばそのパペットにされるのがオチだわ。

選挙戦においては橋下氏はちょっと組む相手を間違えましたね…石原氏の意気は私も素晴らしいと思いますが、原理の全く違うこの二人が組めば、維新の維新たる所以の否定に繋がりかねない。
そしてその野合以上に、未来の登場以降、いくら第三極の票の潰し合いが死活に直結するとはいえ、その未来相手に原発利権ご用達のようなバッシング一辺倒になっているのが非常に残念だ。

橋下氏 「10年後に原発ゼロなんて絶対無理。」

既得権益打破を党是とする貴方がまるで原発利権の手先のような事を言ってどうするよ。

脱原発に関しては、大飯の再稼動で自明のように再稼動への原発利権マフィアからの圧力という向かい風が常に吹くなかに立つ覚悟が何より必要なのであり、少しくらいの再稼動はいいだろうとか、じっくり議論をなどと言っていたのでは絶対に達成困難だ。

仮に未来等脱原発派が政権を取ったとして、今から10年後に果たして脱原発が実現できているかどうかはその時になってみないと分からない。
しかし、福島第一事故にもかかわらず依然として利権の手先となって続原発を指向する国賊自民や「脱原発なんか絶対無理!」と最初から匙を投げる維新が政権にあるよりそれに近づく事だけは確実だ。

大事な事は目標に向かって死に物狂いでまい進する覚悟であり、どんな逆風にあおうと、目標を定め、工程表を組み、一歩でも脱原発に向けて努力することこそ、今政権につく者に最も求められる姿勢であると私は考える。

この選挙で脱原発を謳う事は、その決意宣言に他ならない。

全てはそこからしか始まらないし、断固たるその決意なくして脱原発はできない。そして脱原発は福島第一を経験した私達の世代で絶対に実現しなくてはならない、先送りしてはならない命題だ。

ゴルバチョフ氏はソ連で絶対できないと言われていた改革を成し遂げた。

先程も述べたように、今から脱原発に舵を切って本当にそれが達成されるのがいつになるかは、未来を待つしかない。
しかし最初から無理だと結論を先行させてそこへ傾けるべき努力を放棄するような真似だけは絶対に許されない。


ちなみに、

橋下氏 「10年後の脱原発は無理。10年後の火星旅行と同じくらい無理。」

本気で取り組めば10年あればできるんじゃないかしらね?火星旅行。

やるかやらないかは別として、技術的・理論的には十分可能だと思うんですけど。あとは人間というフラジルがその環境に耐えられるか否か(特に心理面)の問題だけで。
確かどっかの砂漠だかで火星旅行に模して外界から隔絶された閉鎖空間で長期人間が生活できるかの実験が既に行われてるんじゃなかったかしら。

実際に火星旅行が実現した暁には是非とも潤沢な資金と原発持たせて真っ先に原発利権どもを火星に島流しにしていただきたいわ、もちろん、

片道切符で。

推進派にはカネと原発さえあればあとは何も必要ないんですものね。

ま、脱原発派の皆様は、火星旅行に比べりゃ、ということで死に物狂いでやってほしいです。

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【共産】
前々回衆院選だったか、ようやく共産の姿勢が注目を浴び、まさに躍進しようかとした時は、公明の徹底的なイデオロギーバッシングで不発に終わったが、あれは、公明が宗教団体を母体にしながら、敵対勢力に対してどこまでアコギであざといかを知らしめるものだった。何だよ、「そうはいカンザキ!」って(笑)。
ま、それはともかく原発にしても震災前後で首尾一貫している社民や共産はもっと評価されていいと思う。
後で未来のところで詳述するが、アメリカと財界言いなり政治からの脱却にしても主張していることは極めて真っ当で正しい。
ただ問題はやはり政権担当能力だ。
原発や反増税も勿論大事だが、本気で政権を担う覚悟があるのなら最大の懸案である外交をどうするか、特にアメリカとどう渡り合っていくのか、そこを徹底的に語る必要があるように思う。
--------------------------
【新党日本】
仮に直接選挙で首相を選べるなら、首相に推したいのがこの新党日本を率いる田中康夫氏だ。
ベーシックインカム(※)といい、各党の主張を聞いていて、最も先見性があり、また具体性・理論的な裏付けを持ってると感じるのがこの新党日本の主張だ。

田中氏 「今こそ過去の成功体験という固定観念を打破し、的確な認識、迅速な決断、明確な責任を併せ持った政治家、指導者が信念と行動力で日本の再興を成し遂げなければならない。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121204-00000064-jij-pol

実際に政権を担った事がないので、「明確な責任と行動力」の部分は未知数だが、「固定観念を打破」し、「的確な認識」、そして「迅速な決断」については、確かに頭の回転も速く、物事の本質を把握し、対策を模索できる能力もあって一目置くに値する人材だと思う。
汚染エリアの棄県についても、混乱を恐れず忌憚なく語っているのはこの田中氏だけだ。
廃炉作業を公共事業にという考えにしても、原発に依存せざるをえない地元の事情を逆手に取った非常に優れた発想の転換と言えると思うが、ただ通常の公共事業と異なり被曝というリスクがある点をどうするか、あるいは、果たして必要なだけの雇用を満たす事ができるかどうか、そのあたりをもう少し詳しく聞いてみたいところだ。

残念なのはこうした才走るタイプにありがちというか、一匹狼気質というか、数を集めて何がなんでも政権を取って、という欲が見えないのがいいところでもあり悪いところでもあり…。
民主政治において数は力であり、一匹狼ではやれる事は限られてしまう。
そのあたりをどう考えているのか。

どちらかと言えば小沢氏には田中氏を担いでほしかったかな…まぁ、田中氏が蹴るかもしれませんが…。

妥協できる点は妥協して、一大潮流を作ってほしいものだと思うが、ブティックもたまには商店街挙げてのセールに参加しないとね。

※ベーシックインカム
http://www.youtube.com/watch?v=yhef6c7elKY
--------------------------
【日本未来】
党を割った時は豪腕小沢氏ももはやこれまでと思ったが、やはり長年政治の世界にあっただけのこたある、ただでは起きないな。
党を割るべきではなかったという私の考えはいささかも揺るがないが、この目のつけどころはさすがだな。
嘉田氏には行政経験もあり、粘りもある。女性の視点が時代の要求となっている点からも適任だと思う。

小沢氏の傀儡との声もあるが、そこまで小沢氏を警戒する必要もなかろうと思う。選挙が政治と思い込んでいる時点で前時代のレガシーである事には変わりはなく、例え未来が躍進したとしても小沢氏は選挙参謀に徹するべきというのが私の意見だが、いかな豪腕とはいえ、ここまで合従連衡を繰り返せば、さすがにこれ以上の焼き直しはおのずと自重せざるを得ない抑制が働くだろうし、そもそも方向性さえ間違っていなければフランスのように人格二の次で使えるものは鍋でも釜でも使えばいい、黒幕であろうが傀儡であろうが、その方向性さえ正しければ問題ない、というのが私の考えだ。
政治に人格至上を求めれば、嘘つきと呼ばれたくないがためだけに同志の寝首を掻いて衆院を解散してしまう野田氏のようなバカを大量生産してしまうだけだ。

最も問われるのは政治を動かす力量と、真に国民のほうを向いた政治ができるかであり、その点小沢氏は大きく間違ってはいない。

福田政権時大連立を模索したのも小沢氏なら第七艦隊以外の米軍不要論に言及して、アメリカの不興を買うほどの自律ある外交を模索したのも小沢氏だ。

小沢氏 「_国民主権の政治をもう一度取り戻す!」
http://www.youtube.com/watch?v=YqLOxj1H3p8
http://www.youtube.com/watch?v=uMQMzCZkWgM

その小沢氏が中世の魔女狩りよろしく自称メディアの誘導のもとにここまで徹底したバッシングを食らい続け、アメリカの犬である検察に絡まれたのも、小沢氏がアメリカの犬となる事を拒んで自律を指向したためと見る事もできる。

第七艦隊についての言及はその象徴だ。
小沢氏 「アメリカのプレゼンス(存在感)は、私は必要だと思っております。それはおおむね、第7艦隊の存在で十分じゃないかなと」(2009年2月25日大阪市内にて)
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/03/post-2db6.html

「小沢さんは、「日本は自分で自分を守る」「米軍基地は出て行け」といっているのであって、それでは「日本を守ってやるからありがたく思え、隷属しろ」という押しつけが使えないわけです。

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201205/article_112.html

大連立は短絡的な世論によって潰され、小沢氏が思い描いた自律的外交も濡れ衣も甚だしい起訴等によって未だならずだが、今や連立は選択のひとつとなり、小沢氏無罪は、検察の偽証というオマケ付であり、後から見れば、彼のやって来たことは概ね正しかったことは歴史が証明するところだ。

四国デマ新聞を始めとする自称メディアが書き立てているように政界の大黒幕なんかでなく、異常だったのはその偏向魔女狩り報道にまい進したほかならぬ自称メディアだったということだ。

「誰もがこの時期に小沢氏の公設秘書を逮捕して自民党関係者には手を付けていないことに、絶大な不信の念を持ち、検察が小沢氏個人を狙い国策捜査を発動していると考えている。」
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201205/article_112.html

ついでに静香ちゃん。

誰も知らなかった亀井静香 (+村山氏の器の大きさと功績)
http://www.youtube.com/watch?v=sQWYAk7bhSc

小沢一郎氏を自称メディアが叩けば叩くほど本当はいい人かもと…思う人が増加(あはは)。
http://www.youtube.com/watch?v=AT14UF1030M

これまでの不当極まりない扱いを考えれば遅ればせながらの感はあるが、いい傾向だな(笑)。
間違っているのは明らかに自称検察であり自称メディアだ。そしてその異常は、真実はメディア主張の対極にこそあると言っていいほどの甚大さだ。

離党にしても、小沢氏離党の際にも書きましたが、消費増税に見るように変節したのは執行部だという小沢氏の主張は一理ある。
第一、クーデターで政権を乗っ取っとりでもしたんならともかく、数を恃んだ奢りがあったとはいえ、政権交代の最大の功労者でありながらツンボ桟敷にした執行部にも当然問題はあるのであり、追い出される前に自ら党を出た、あるいは追われるように党を出た、と見る事も可能だろう。

小沢氏は、脱原発先進のドイツの視察にも行ったそうだが、未来の綱領に「東電は破綻処理し国の責任で対応」とある。これは原子力マフィアという既得権益に真っ向からケンカを挑んだ対決姿勢と取る事も可能だが、少なくとも初めから続原発で織り込み済みの自民や、再稼動や着工済み原発の建設続行を認める民主等とは一線を画するものだ。
そしてこの覚悟なくして脱原発はありえない。

小沢氏脅威論未だ健在だが、小沢氏が党を牛耳るというのは杞憂だ。最初に書いたように小沢氏もこれまでの合従連衡の遍歴で懲りている部分も少なからずあろうし、残念ながらそんな余力はもうほとんどないだろう。実際同世代の政界引退が珍しくなくない年齢だ。政治の舞台を下りる前になんとか国を誤らないよう布石だけは打っておきたいというところだろう。

そして嘉田氏。

嘉田氏 「重い責任を感じることなく経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い地球倫理上も許されない。皆さんはなぜそんなに小沢さんを怖がるのですか。 私は国の為に小沢さんの力を活用して行くつもり。 小沢さんを使いこなせなくて官僚機構を変えることなんかできません。」

いい根性だな(笑)。さすが火中の栗を拾うだけのこたある。しかり、小沢氏を尻に敷くくらいでなければ国政なんか動かせない。

嘉田氏 「関西電力と国から脅された」 http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004481

利権の脅威を身を以って知っている嘉田氏ならではの視点も存在するだろう。

そんなこんなで嘉田未来には大いに期待したいところだが、巷で言われるように政権交代時の民主の焼き直しの感がある事は否めない。
官僚組織については、排除して失敗した民主を教訓に使いこなす才覚が必要だろうし、既に指摘されているように財源をどうするかを徹底的に詰める必要があるだろう。ただし、

「富裕層と大企業の内部留保に1.8%課税するだけで消費税増税は中止できる」
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11389022577.html

という試算もある。確か今の日本は、構造不況で生活保護が急増する一方で、資産100万ドル以上の富裕層が300万人だかいたんじゃなかったっけ。あながち荒唐無稽とも思えない話だ。

TPPも合法的植民地化にほかならない。

今回の選挙で各種争点以上に重要なのは、その各種争点の優先順位だ。

最も大切なのは何か。どこに最大の価値を置くか。

その点で、あえて経済・景気対策のうえに脱原発に据える嘉田氏はその序列を見誤ってはいないと思う。

原発を動かせばそうでない時に比べ多少の利益はあがるかもしれない。

しかし命は育たない。

目先の利益に囚われない地に足のついた女性の視点が今ほど必要な時はない。福島第一事故を経た日本に今最も必要なのは、この目先の利益のみに囚われない、あるいはそれを超えたところにある本当に大切なものを見誤らない女性の視点であり、乱立気味の政党のなかで市民感覚に最も近いのは、やはり女性である嘉田氏率いる未来だと思う。

経済効率のためには何でも許されると信じて疑わない傲慢に委ね、一時の快楽に耽溺するのか。

それともその”おいしい利益”の誘惑を振り切ってでも命や安全に目を向けるのか。

問われているのはまさにそこだ。

平時の時こそ、最悪を想像する想像力が大事になる。それはすなわちあの大震災直後を思い起こす事に他ならない。
経済も金ももちろん大事だが、全ては命と健康あってのモノダネだと言う事を、健康な人ほどそれを失念しがちだ。

「経済とか景気とかもうどうでもいい どんなに質素でもいいからまともに呼吸したり食事したりできる最低限の生活ができる国を残してくれ。」

あの時、心の底からそう思ったのなら、その思いにこそ立脚すべきである。

それを見誤って利権に権力を渡せば、早晩福島第一と同じ過ちを繰り返す事になる。
そして次回誤れば、そこにあるのは日本の終了だ。

目指すのは、脱原発や卒原発の向こうにある滅原発だ。
原発のインフラのみならず、原発利権と言う怨霊を解体しなければ、解体され滅ぶのは人と国だ。
この国の将来があるか否かは、の大分岐点であり、方向を誤ることは致命です。

日本はもう一度原点に立ち返って国を創めなくてはならない。未来については、原発マネーを失いたくない利権はもとよりそのおこぼれに与るマスコミの反発も強まるだろうが、柳に雪折れはない。
嘉田氏にはメルケル氏どころか卑弥呼になって国を導いてほしいところだ。
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2012年12月12日 17時53分
【衆院選】私の検証 民主編
 
次に民主だが、民主のこの三年が公正な評価を受けているとはとても思えない。

確かに民主のこの三年は、まごつく場面や方針のふらつく場面が多かったのは事実だ。しかし、長期自民政権ののち、ようやく実現した戦後日本最初の本格的政権交代であり、二大政党政治の布石としてはこんなものかなというのが個人的な印象だ。

国賊自民や四国デマ新聞をはじめとする自称メディアは、民主の欠点しか挙げないが、民主が国政に寄与した面が全くなかったわけでは当然ない。また、それが感情的な判断が暴走しがちなこの国の世論において妥当な評価を得ているとはとても思えない。

そのいくつかを取り上げてみる。
野田氏が今言及している高校授業料無償化等のほかに、昨夏円高時における菅氏の海外投資の呼びかけを挙げることができるだろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121105-00000597-san-bus_all

菅氏のこの方針は窮を利に転ずる機転であり、ちなみに履歴を繰れば、私が掲示板でこれを指摘したのが昨年の8月7日なので、もしやそれを受けたのか?という疑問が残るのはご愛嬌(笑)だが、ま、とにもかくにも打つべき布石は打っているということだ。
M&A等は即効性はなくとも後で効いて来る”遅効性の薬”であり、少なくとも、この時の円高の主因はユーロ等の海外事情にあったにもかかわらず、例によって自らは何の知恵もなく、あたかも全ての原因が日本政府にあるかのごとく糾弾するだけだった無能自民や自称メディアどもよりはるかにマシなのは言うまでもない。
当然というべきか、先程書いたように私が掲示板でこれを提起した8月7日以前に円高を逆手に取るという政策に言及したメディアは私の知る限り皆無だった。

教育においても先述の高校無償化以外に、田中文相が物議を醸した大学許認可問題を取り上げてみたい。
この時の騒動の本質的な問題点は、田中文相の資質などでは当然ない。長期自民政権下で型どおりに申請さえすれば許可がおりるような、完全に形骸化していた旧来の許認可制度にこそ、その問題点は存在する。

岡田氏も指摘していたように、一旦下りた認可が取り消されたのならともかく、まだ正式認可も下りてないうちから、建物が建ち、生徒を募集しているほうがおかしいのであり、それは許認可制度が形骸化していることの何よりの証拠だ。

どう考えても問題があるのは、正式認可もされていないうちからそれを織り込み済みにして行動する大学側の拙速にこそあるのであって、申請した大学側が自らの拙速を棚に上げて田中氏を批判する資格があるとは思えない。

個別大学と国では当然視点や判断事由が異なって当然なのであり、大学側は、おのれの経営だけ考えればいいが、国は、それら個別の視点を超えて他大学との配置バランスや少子化による需給バランスを俯瞰しつつ、許認可を判断するのはいわば当たり前であり、判断が大学側の要求どおりにならないからと言って大学側が批判できる立場にないのは明白だ。

この本質的な問題点を抜いて、あの騒動の全ての原因を田中氏の資質に帰結するような自称メディアどもの報道こそ、ムラ八分の精神に由来する論理的思考の欠落した感情論の極みなのであり、メディアが如何に無能か、あらためて知れようというものだ。
NHKはニュース7で、田中文相に謝れと述べている学生を取り上げていたが、もはやワイドショー的視点でしか政治を見る事ができないNHKはもとより、それら自称メディアの報道を鵜呑みにしているこれらの学生こそ、自らの皮相をこそ省みるべきだ。

復興費の問題にしても、政府は言わば”性善説”に立った”被害者”と見る事も可能なのであり、何故政府が批判されなければならないのかよく分からない。
勿論相応の監督責任はあろうが、最も責められなければならないのはどさくさまぎれに復興予算を掠め取ろうとした者たちではないのか。
これについては罰則を設けて、後日使途が妥当でないと判明した場合は、課徴金を加えて返還させるようにペナルティを与えばすむ話だ。
そもそも、逆に精査を厳格にすれば、その分、復興費の配分は遅れ、今度は本当に必要な所に金が回らないという逆の問題が出ることは、ちょっと考えれば容易に想像がつく話だが、一面的な思考では誰よりも抜きん出ている自民や四国デマ新聞をはじめとする自称メディアどもには想像もつかない話らしい。

民主の震災対応、特に福島第一原発事後対応については相当の批判があるが、 ある日突然、これまで人類が経験したことのない、へたをすれば日本のみならず世界が終わりかねないまさに未曾有の過酷事故に見舞われ、現場は大混乱し、東電はこの期に及んで原発延命を企図し、その東電経由でなければ情報すら満足に上がってこない。
そんな切迫したギリギリの状況のなかで、一体誰が、どんな、ひとつの瑕疵もない対応が取れたというのか、自らが当事者でないのをいいことにあの伸るか反るかの一大事に、野球観戦のヤジよろしく、政府バッシング以外の何もしなかった国賊自民や自称メディアども及びそれに付和雷同した人々に是非とも聞いてみたいもんだわ。

福島第一対応においては、情報が営利企業である東電越しでないとあがらないことが致命的だった。それでなくとも核のシビアアクシデントは、「何が起こっているのかすら正確に把握できない」という悲観的な特性を本質的に有するのであり、何が起こっているのかすら正確に把握できない状況下では、状況判断のもとになる情報収集の段階でまず躓いているのだから、官邸がどんなに実効性ある対応を取ろうと思っても、菅氏でなくてもまず無理な話だ。
それをあたかも初動にあたった菅政権に全ての問題があるように罵倒し倒したのが、国賊自民であり、自称メディアどもだが、事実デマで鳴らした四国デマ新聞などは、菅氏を人格異常者呼ばわりまがいの報道をした当時の異常を未だ振り返りすらしない厚顔だが、時系列を俯瞰してよくよく見れば、福島第一破綻の最大の責任が、この地震列島に原発を乱立させ利権となあなあで杜撰な管理に留め続けた自民に帰する事は明々白々だ。

それすら理解できないのであれば、物事の因果を考察し、判断を下す事はまずまず不可能であり、感情まかせの投票を行うくらいなら白票でも投じたほうが世のため人のためだ。

少なくとも現場に介入してでも東電の全面撤退を食い止め、国賊自民をはじめとする野党・デマとバッシングを社是とする四国デマ新聞をはじめとする自称メディア・各監督諸機関・東電を始めとする原子力利権村・これに付和雷同するネトウヨの異常さをあぶりだした点は、菅氏の功績と言える。実際彼に相応の評価をしている海外メディアとのギャップは、国内メディアの異常さをこれ以上なく明確に示すものである。

他の人間でも対応が困難なケースというのは極めて多い。そして福島第一はまさにその典型だった。

福島第一だけでなく事象の考察においては基本的に言えることだが、大事なのは、自分あるいは現当事者以外の人間が当事者だったなら、果たしてそれ以上の対応が取れたか否かを冷静に検証する思考だ。
それが問題を自分のところまで降ろして考えるということであり、それ抜きなら何でも言えるのは、震災後の国賊自民や四国デマ新聞をはじめとする自称メディアの有り様を見れば自明だ。

人格にまで及んでバッシングを行った国賊自民や四国デマ新聞等の自称メディアは、でも、自分ならどのようにひとつの瑕疵もなくあの過酷事故を収束できたというのか語ってみるがいい。

ちなみにこの福島第一に関しては、震災時、仮に政権が自民であれば、民主と同程度の結果どころか、癒着東電の言いなりのまま全員撤退で今頃日本は終わっていただろう。
利権ズブズブの自民が政権になかったのは、不幸中の幸いだった。

普天間もまた、その「誰がやっても難しい」の典型だ。

確かに、一旦基地の県外国外移設を口にした手前、引っ込みがつかなくなってしまった部分があるとはいえ、腹案などと言う言葉を弄した鳩山氏は軽率の謗りを免れないが、では他の誰かならどうにかなったのか。

自民の時に波風が立たなかったのは、自民が民主以上に、沖縄の声に耳を傾けより真摯にその解決を模索したからではもとよりない。

むしろ逆だ。

沖縄の声の無力を良い事に、これと正面から向き合う事なく漫然放置し、聞く耳を持たない事、民主とは比較にならないほどの徹底だったがゆえに、人々は声を挙げることすら最初から放棄するほどの無力感に陥っていたというのが真実なのであり、黙殺という目に見えない重石がどれほど重かったから、その事実だけでも知れようというものである。

沖縄の問題は表面的な平穏を以って問題がないと判断する事はできないという事例の典型でもある。

民主における沖縄の声が敢然大きくなったのは自民政権下で全く動かなかったその重しが軽くなったゆえの部分は相当にあるが、それらを指摘するメディアはひとつもない。

自称メディアの自称メディアであるゆえんである。

大事なのは、原因と結果の因果が、必ずしも一目瞭然にあるいは一直線に見える形になるとは限らないということを認識する事にある。むしろ、様々な要因が輻輳して問題の因果が見えにくいほうが一般的なのである。
多くの要因が錯綜すればするほど、打ってもすぐに響いているとは限らないという認識を常に念頭に置く事が肝要だ。

以上、政権交代によるメリットもあることを見てきたが、問題がなかったわけでは勿論ない。
政権交代で民主が何よりもなさなければならなかった事は、自民超長期政権のもとでこれと癒着することによって利権という構造を作り上げた既得権益者の「大きな声」にともすればかき消されがちであった無力の々の「小さな声」を丁寧に掬い上げ、富や権力の偏在を正して、それらの声に応えることであった。

民主党政権の最大の問題点は、個々の政策の到達率以上に、既得権益から逸脱した人々の小さな声を拾うべき期待を受けて政権の座についたにもかかわらず、政権交代や大震災後の混乱のなかで、知らず知らず大きな声の言いなりになってしまい、かつ、その事実を正しく認識できなかった鈍感さにある。

原発利権や経団連という「大きな声」を鵜呑みにして、大飯の再稼動はその象徴だが、常識を疑い、それに囚われることなく最善の手を打てない野田氏の限界を露呈するものでもあった。

しかし、民主が掲げる「コンクリートから人へ」、あるいは菅氏が述べた「誰もが居場所のある社会」というコンセプトそれ自体は間違っていないのであり、また、未だそちらに向かおうとする姿勢そのものはこの党から失われていないと私は考える。

少なくとも、何でもかんでもアメリカ式の競争原理を持ち込んで良しとし、結果的に個人の力では太刀打ちできないような構造的な経済格差を拡大・助長させ、にもかかわらず、それを自己責任に転嫁して事足れりとし、他方、社会の最後のセーフティネットというべき年金を杜撰な管理のままに放置し続けたような、そしてこれらの失敗から何も学ばず今また歯止めなき財政出動やゼネコン利権特化型のマクロ的経済対策を打ち出して憚らない利権単一指向性の無能自民に比べれば遥かにましだ。

景気対策においても、安倍自民の主張は、お金刷りまくりによる景気刺激という、財政規律も膨れ上がった借金もまるで眼中にないかのごときクレイジーさだが、不況なのは市中にお金がないからではない。お金は既にダブついているのであり、不足しているのはそれを循環させる仕組みに過ぎず、老後への不安が払拭されない今のままではどれほど供給量を増やしても将来への不安から消費に回さず貯蓄に回るのは目に見えている。
この点からも、社会福祉充実を最優先にする民主の指向は間違っていない。
自民の公共事業集中投資は、ゼネコンという利権が丸呑みしてそこに歩留まるだけ、喜ぶのはゼネコンだけという偏在と更なる借金の積み増しに鑑みても全く適当ではない。

にもかかわらず何故民主が相応の評価を受けてないのは、ひとつにはそれらの政策の効果が表れるのに相応の時間がかかるからである。

マニフェストに関して、達成率の低さが批判の的になっているが、わずか三年で、それも1000年に一度の大震災に見舞われたなかで、あそこに書かれた事を全部完璧にやれなかったから失格という姿勢はあまりにも硬直した杓子定規だと私は考える。

100点満点でないと一言一句でも達成できてなければ不可とするのか。
絶対ダメなのか。

75点でも及第とするのか。

仮に未達成であってもそれに至る努力やそれを阻んだ外部要因をどこまで勘案するのか。

それを思考するのがすなわち冷静というものだ。

個人的には公約の半分でも達成できれば御の字と思っていたので、達成率3割はそれに届かないが、その原因が全て民主のていたらくにあるとは考えていない。
むしろ実行不能に陥ったのは、実際に政権についてみなければ分からなかった部分が相当適度大きかった事、そして全く想定もしていなかった大震災や原発過酷事故、そして何よりもそれらの国難に乗じて足を引っ張る事に専念し倒した国賊自民ら外野に起因する部分も相当程度あると考えている。
特に、最後の外野の揚げ足取りは政権経験未知数部分や自然災害という不可抗力と異なり、故意であるだけに実際に政権にあった民主以上に悪質論外だ。

安倍氏らは東日本大震災の復興は進んでいないと盛んに批判するが、東北大震災の直前に発生したニュージーランドの復興すら道半ばだ。
これだけの大震災の復興が一年やそこらでなると考えるほうが異常だ。
また、早ければ早いほうがいいというものでもない。生活に必要な必要最低限のインフラは勿論スピードが大事だろうが、大震災を教訓に今後どのような街づくりをおこなうかといった部分は、じっくり時間をかけて検討する必要があるのではないのか。

マニフェスト違反と言われる増税にしても、富裕者層への課税強化と再分配機能の担保、そして社会保障への投資が担保されるなら個人的にはやむなしといったところだが、富裕層への課税回避や公共事業への投資可能等でそれを骨抜きにしたのは民主ではなく富裕層や利権という既得権益と一心同体の自民だ。

そして原発にせよ借金にせよ、その悪質極まりない揚げ足取り以上に斟酌しなければならないのは、数十年に渡る自民政権による”負の遺産”があまりにも大きすぎたという動かしようのない事実である。

仮にこの負の遺産がなければ財政のこれほどまでの重石も原発の破綻もなかっただろう事をこの際、あらためて認識する必要がある。
数十年に渡って瘧のように溜まった自民の大いなる負の遺産その全てが、たかだか三年で一掃できると考える人間がいるとするならば、そのほうがおかしいのだ。

原発デモについての投稿でも指摘しているが、旧弊が大きければ大きいほど、既得権益との軋轢も大きく、タイムラグも大きくなる事は、時系列で見る事と同じく、物事を思考するうえで不可欠の姿勢だ。

今日種を蒔いたからと言って明日花は咲かない。

しかし脱原発デモが大飯以外の再稼動を牽制し、また、脱原発が今回の選挙でひとつの重要な争点となったように、継続すれば、少なくともそれのない世界とは違う世界を創出する可能性を孕む。

時系列を俯瞰し丁寧に見ないと、物事の真相は見えてこない。
今は過渡期であり、変化に混乱はつきものだが、その混乱を恐れていてはいつまで経っても旧態依然から抜け出すことはできない。
ここで早くも痺れを切らせば過激な自民の旧弊に先祖がえり必定だ。そしてその代償を払うのは未来の世代という悪循環が繰り返される事になる。
耳あたりのいい言葉が必ずしも最適な解だとは限らない。

100点満点でなければダメなのであれば選挙のたびに、あるいはねじれの都度、政権交代が必要になろう。

だが、今日確約した事が明日実現できるなら、それは現実ではなく魔法だ。

政治に魔法を期待すれば、出てくるのは魔法使いではなくデマゴーグだ。

アメリカは改革道半ばのオバマ氏に未来を再度付託した。
それはアメリカの国民にこれら、政治を見るうえで必要な冷静な思考を持っていたからだと私は考えるが、このアメリカの冷静さこそ、ともすれば感情に流されがちなこの国に今最も必要なものである。
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2012年12月11日 18時33分
日本人は鶏以上か? 【衆院選】私の検証 自民・唯一の取り得編
 
そんな体たらくな自民にもひとつだけ人後に落ちない”取り柄”がある。
すなわち、実体を詭弁でくるみ、あるいは敵対する勢力にある者を人格に絡めたラベリングをして徹底的に貶めるその、盗人猛々しいと言うべき、ラベリング・レッテリング能力である。

自民・石原幹事長、脱原発を「集団ヒステリー」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110614-OYT1T01205.htm

この地震列島に原発を乱立させそれを杜撰な管理の下に放置した自らの責任は知らぬ存ぜずで棚に放り投げ、自らの原発に疑義を呈することがあたかも「偏った」「異端の」とんでもない異常であるかのごとくラベリングするこの石原氏の言葉に象徴されるように、自民がこれまで一貫してしめしたレッテリング姿勢がいっかなもあらたまっていないのは、先の「嘘つき」「悪い人」を連呼し、とうとう衆院選に至らしめた手法を見ても自明だ。

卑しくも国政に参加する身でありながらこんな空疎で悪意に満ちた言論を弄して憚る事がない。その有様は、狡知にのみ長けたチンピラ集団のごとくだが、それがどれほど国政のあるべき姿を誤らせ続けたか、冷静に検証すべきだ。

言論において、仮に自民が政権につくような事態になった時に最も懸念されるのは言論弾圧・言論封殺だ。
以前官邸前デモについての投稿でも指摘した事があるが、これに付随してここで是非指摘しておかなければならないのは、政権が民主になって基地移設や原発にまつわって沖縄や官邸前デモで人々が声を挙げるようになったのは、自民政権がその民主に比べてこの上なく優れていたからではもとよりない。

むしろ逆だ。

それら市井の人々の声にまともに取り合わず、あるいは、それらの声を挙げる人々を異常呼ばわりして逆襲し放逐し続けたからこそ、人々は声を挙げる意味すら見出せない無力感に苛まれもはや声を挙げる事もなく沈静するしかなかったという事実を決して見誤るべきではない。

自民政権下、この国に満ちていた、どうせ声を挙げてもムダという国民の無力感それ自体が、自民のラベリングと草の根の声の封殺がどれほど巧妙でかつ徹底していたかの証なのであり、今回の藤村長官のミサイル発射に関して取り沙汰されているコメントについてもこれほど問題視されるようなものだとは私は思えない。

藤村氏のあの発言から「どうせ打ち上げるならば」という暗黙の但し書きがつく事は文脈から見て容易に想像がつくし、「さっさと打ち上げて欲しい」と言う言葉を以って、打ち上げを望んでいるとどうして取れるのか、むしろ不思議でならない。

止めて聞くような国でなし、時間が経てば経つほど経費もかかるし、労力も割かなければならない。第一官邸や自衛隊、そして通過が懸念される自治体ら前線は発射されるまでの間ずっと神経をすり減らしていなければならない。
どのみち発射が免れないのであれば、少しでも早く飛ばしてくれたに越したことがないと考えるのはごく一般的な所感ではないかと思うが、自民のように後ろからヤジを飛ばしてるだけの政党には到底理解が及ばないのだろう(笑)。

それとも自民や公明には、遅ければ遅いほどいい理由でもあるのだろうか。であればそれを語るべきだし、何でも強気に出れば国際問題は起こらないと考えているような単細胞の安倍氏だけに、自らの力で止められるとでも考えているのなら今すぐ自民・公明は北朝鮮に赴き直談判して断念させてみるがいい。

安倍氏及びそれに合唱して藤村氏の発言をとんでもない問題であるかの如く騒いでいる自称メディアどもはそれを語る義務がある。

そもそも藤村氏の発言を「打ち上げを望んでいる」と置換する自民や公明の読解力こそ問題視されるべきだ。であり、そもそも読解力以前に揚げ足取りの悪意に基づいた曲解である事は明々白々、一目瞭然だ。

そもそもだ。

このミサイル発射に関しては、金正日氏没後一年のこの時期、弔いセレモニーとして北朝鮮が何らかのアクションを起こす事は、少しでも北朝鮮の体質を知れば十分に想像がつく事だった。
そんな時期にわざわざ解散して虚を作った日本は、北朝鮮にしてみればまさに”渡りに船”だっただろう。ミサイル発射の対外的な最大の”貢献者”ともいえる。
であるなら、その責任は偏に、震災以降謀略姦計の限りを尽くして政府のこき下ろしのみにまい進し、かばかりか、とうとう野田氏を弄して解散にねじ込ませた自民にこそある。
まさに国益を度外視し、党利党略にまい進したこの党こそ、北朝鮮のミサイル発射に対して全責任を負うべきである。
民主の瓦解が問われて久しく、民主にも問わなければならない点は幾多もあるが、他のどの党よりもまず闇に葬り去られなければならないのはこの国賊利権政局自民党だ。

解散を先延ばしにした野田氏が嘘つき呼ばわりされるのならインフレターゲットを朝令暮改した安倍氏もまた票集めのための詭弁を弄して憚らない大嘘つきのペテン師だが、高村氏や石破氏は何故安倍氏を糾弾しないのか。

藤村氏の発言問題視もこの「嘘つき」も石原氏の集団ヒステリーも問題を巧妙にすり替え、相手の欠点にしようという詭弁に他ならない。

万一このチンピラ政党が再び政権につくようなことがあれば、言論の場において最も憂慮されるのは、自民政権時代にこの国賊自民が駆使した巧妙な言論統制や言論封殺だ。
その際に真っ先に犠牲となり淘汰されるのは、利益や私利私欲を度外視して本当に国を憂える良識ある国民であることを今一度認識する必要がある。

これまで見てきたように自民の勝利は声の大きな利権ムラ社会の勝利であり、それ以外の大多数の声は圧殺される。

強い無力感ゆえに声を挙げることすら最初からあきらめるような、デモも存在しないような時代に逆行するのか。

官邸前脱原発デモのように、混乱と徒労を怖れることなく、声を挙げ続ける事によって少しづつでも草の根の声が政治を変えていける真の民主主義を目指すのか。

今回の選挙はこの意味でも大きな意味を持つ。

鶏は三歩歩くとそれまでの事を忘れてしまうそうである。

震災後の国賊自民の挙動で日本人の心性がインドネシア人以下である事を図らずも露呈してしまったのは昨日書いたとおりである。

デタラメ国賊自民が政権に返り咲くような事があるならば、そのうち海外メディアの漫画で、意気揚々と闊歩するニワトリの姿をした日本人が風刺される日もないとはいえない。



果たして日本人は鶏以上だろうか?

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2012年12月10日 17時59分
【衆院選】私の検証 自民・その挙動編
 
そしてこの選挙における主張以上に問題にしなければならないのがこの党が何をやってきたか、の来し方、挙動部分だ。

戦後政治における自民の来し方がどれほどデタラメに満ち、本来最も国を憂える人々を駆逐して腐ってきたかについてはここでくだくだしく述べるより、孫崎氏の著書を一読いただいたほうが話が早いと思うので割愛するが、公設売春宿まで作ってプライドもGHQへつらいにまい進したのがこの政党だ。

「そんなこったろうと思った。」

『戦後日本の正体』を読んでの私の最初の感想であったが、政権あるいはその背後にある俗物どもが、如何にアメリカの御用聞きと堕し、あるいはこれを断じなければならない立場にありながら公正と中立という司法の魂を悪魔に売り渡してまさに政権の犬と化した検察と一体になって、真に国を憂い、アメリカの圧力に対抗しようとする人々に言われなき罪を被せて闇に葬り続ける事を生業としてきたかが、克明に記されているのであり、小沢氏裁判はその象徴である。

小沢裁判については稿をあらためて言及したいと思っているのでここで詳細には踏み込まないが一言だけ言及すれば、小沢氏の第七艦隊言及にも見られるように、アメリカの犬となる事を拒んだがゆえにこそ、ここまで敵視され続けなくてはならなかった側面は多分にある。そのカラクリが暴かれたのが一連の小沢裁判であり、強制審査を以ってしても無罪となったその経緯に鑑みれば、真の味方を国を挙げてバッシングしまくったというのがこの国の世論のあり方がどれほど異常か分かろうと言うものだ。
魔女狩りよろしく人格否定すら厭わないようなその有様は、もはや目を覆うばかりというような生易しいものではない。

孫崎氏の著書を見れば分かるように、戦後の政治を牛耳り続けたこの自民が主に傾注し、なした事は、米政権への阿り(おもねり)と我田引水のバラマキによる借金の積み上げ、そしてこれもアメリカの言うがままに原発を導入し、あまりにも杜撰な管理下におき、今の膨れ上がった借金と爆発した福島第一はそのあまりにも大きな負の遺産である。

この選挙期間中、安倍氏らがさかんに「古い自民党とは違う」と訴えているが、裏を返せば、本人自ら、これまでの自民党が、デタラメ千万でしたと白状しているしているようなものだ。
そして実際デタラメ千万だったのは上記の通りである。

それだけでも言語道断と言うべき体たらくだが、その狡からい利権ムラ揚げ足取りという基本的体質が少しも変わってないことを証明したのが震災後の挙動だ。
震災時この国賊自民が何をしたか。

あの大震災時、国政にあるものは与野を問わず、一致団結して挙国体制で対応にあたらなければならなかった。
しかし、自民を始めとする自称野党が専心特化したのは、対応にてんてこ舞いの政府の揚げ足取りと高みの見物、それだけだった。
例をいくつか挙げてみる。

菅氏が述べたのは2011年5月21日、複数の全国紙が、福島原発事故翌日の3月12日に、菅氏が原発への海水注入を「聞いてない」と止めさせ、結果としてメルトダウンが起こった、と報じた問題だ。
当時国のトップにあった菅氏の海水注入中断指示についてだが、

菅氏 「ある新聞社の知り合いから、『当時東電の広報担当者が新聞社やテレビ局を回り、菅が海水注入を止めさせた、という話をあちこちに言って歩いてましたよ』と聞いた」

しかし菅氏によれば菅氏自身はそのような指示は出しておらず、また実際には吉田昌郎所長が独断で注入を続行していたし、そもそも1号機のメルトダウンは事故当日の3月11日にすでに発生していた。

菅氏 「(菅氏に情報を伝えた)某新聞社は検証のためにいくつか取材して回ったところ、『どうも違うらしい』となって一切載せなかった。こないだのiPS細胞の森口(尚史氏)みたいなもんだよねえ」
http://www.j-cast.com/2012/11/11153437.html?p=1 (新宿ロフトプラスワンにおける独演会)

個人的には東電の全面撤退を阻止すべく現場にヘリで乗り込んだような菅氏が海水注入を中断する理由がどこにあるのか分からず、おそらく菅氏の言うとおりではないかと考えているが、仮にそんな指示があったとしても現場の判断で海水注入が続行されていたのは事実だ。

しかしそれを報道に先立つ形でメールマガジンなどで「万死に値する」などと批判を繰り広げていたのが当の安倍氏だ。「菅が海水注入を中断した」のデマ流したまさに超本人であり、混乱に乗じての自作自演はデマゴーグ以外の何物でもない。
そもそも震災直後の情報が錯綜している大混乱期のさなかに、真偽の定かでない情報を触れ回り、党利党略を図ること自体、悪逆非道と言うべきものであり、その悪辣さは糾弾に値する。
以降、これらの自民の”自作自演”や”揚げ足取り”は、「菅下ろし」に繋がっていくわけだが、菅氏が脱原発に動いたと時を同じくしてその動きが激化している事も見落とされてはならないだろう。

こんな話は枚挙に暇がない。

震災直後に「浜岡をさっさと動かせ!」と怒鳴ったのも自民石破氏なら、SPEEDIを知っていながら、政府の失点にするために黙っていたのも当時自民幹事長だった石原氏だ。

石原氏「(SPEEDIのデータについて)我々も知っていた。けど、黙っていたんだ。」(2011/06/06テレビタックル
http://minkara.carview.co.jp/userid/889619/blog/27727890/

政権交代したばかりの官邸がSPEEDI等放射能対応システムについてどの程度熟知していたかは不明だ。個人的にはあの大混乱のさなか、そこまで考えがすぐに回らなかった事もありうると考えているが、システムを知らずに情報発信が遅れるのと故意に隠蔽するのとは全く事情が異なる。
仮に官邸がSPEEDIを把握して隠蔽していたとしても、であれば尚更石原氏属する自民はこれを注意喚起して国民に知らしめなければならなかったはずだ。
然るに石原氏が行ったのは、悪意ある意図的黙秘だった。

要するに、相手の失点を大きくするという党利党略のためなら国や国民の命を危機に晒す事すら厭わなかったのが、震災後の自民の実体だと言う事だ。そこに故意が存在する分、悪質であり陰湿だ。
人は自分が有利になった時にこそ、その本性が現れる。

谷垣氏 「これが政治だ。」

大震災発災後、谷垣氏が菅氏の協力要請を蹴った言葉がこれだ。

あの瞬間はまさに自民が、党利党略を捨て、また原発をおっ立てまくった責任に思いを致して与党とともに国難対応に全力であたるどころか、あの国難のさなかにあってすら、姑息極まりない政局至上に精を出して、政府の協力を蹴り倒し高みの見物をするという、国賊に転落した瞬間だった。

私は、自民が自らに国賊の烙印を押したこの言葉を決して忘れない。

自民が、国民の生命安全より自党の利益を重視して連立を拒否したあの瞬間に自民の国政政党としての意味は終えた。

インドネシアスマトラ沖地震において、当時、彼の国の政権と対立関係にあり血で血を洗う戦闘を繰り広げていた独立派組織「アチェ自由運動」(GAM)は、26日のスマトラ沖地震を受けて、休戦することを明らかに した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E5%B3%B6%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2004%E5%B9%B4)
戦争なんかしている場合ではないと判断したからだが、その判断は至極まっとうなあるべき判断であり、人道に鑑みて当然の態度だ。

しかるにそのスマトラ沖地震と並び類する規模の大震災に加えて原発の破綻という未曾有の事態に見舞われ、まさにかつてない国難に陥ったその時ですら、協力を惜しみ、あるいは一切の責任を政府に押し付けて高みの見物を決め込み、あるいは徹頭徹尾政府批判に明け暮れ、党利党略にまい進したのがこの自民だ。

まさに国賊だ。

これ以上の国賊もそうはない。

万死に値するわ。

インドネシアと日本と言えば、日本のほうが進んでいる先進国というイメージが一般的にはあろうが、

腐っているのはどちらか。

答えは言うまでもないだろう。

政府の対応を批判する向きが相当にあるが、一旦暴走を始めた原発をなんらの瑕疵もなく速やかに収束させられるような人間・機関がこの地球上に存在するのか。

それこそ人間が放射能耐性でも獲得しない限り生身の人間には到底不可能なのであり、それを根性論や政府機能論に置き換えるのは完全な筋違いだ。

他の政権なら速やかに収束できたと考えるのはあまりにも非現実的な酔狂というべきものだ。
誰も何も暴走を始めた原発を止めることはできない。

どころか、だ。

仮にあの時、この利権母体の自民が政権にあったらば、まさに癒着ズブズブの東電の全員退避を黙認して連鎖臨界で今頃日本は終わってただろう事、想像に難くない。当時の政権が自民以外にあったのは、むしろ不幸中の幸いであったとも言える。

そもそも今述べたように、一旦暴走を始めた原発をなんらの瑕疵もなく速やかに収束させられる事が不可能な以上、此度の原発アウトの責任は、その9割以上が、地震大国に原発を乱立させ、杜撰な管理のもとに置いたこの利権国賊政党自民にこそある。
それを棚にあげて当時たまたま政権にあり、その対応の当たらなければならなかった与党をバッシングし倒すなんぞは、まさに恥を知らない究極の厚顔無恥でなければできない悪逆非道の所業だ。

あの時この国賊自民がやらなければならなかった事は、党利党略を投げ打って政府に全面協力し、少なくとも対応にあたっている当事者を後ろから撃つような真似をする事ではなかった。
しかるにこの国賊自民はそれを平然とやってのけた。
まさに見下げ果てた根性といわねばなるまい。

この国賊野党があの国難のさなか、いの一番に考えていたのは、国の存亡などではなくまぎれもなく党利党略だと言う事、明々白々だ。

そしてそんな妄言に載せられた国民の責任も小さくはない。

一体あの震災直後菅氏バッシングに走りまくった自称メディアどもに踊らされず冷静に菅氏の対応を見守った人間がどれほどいたのか。

菅氏に罪を全て押し着せた自称メディアども及び思考停止でそれに付和雷同する国民と三位一体となって腐りきった根性の成れの果てを示したのがこの国賊自民であり、こんな芯から腐った政党が何らの咎も受けず解党もせず、国政に関わっている事自体、異常の極みだと言う事をまず国民は認識すべきだ。

福島第一は起こるべくして起こったのであり、法相田中氏が数十年前の暴力団同席問われて引責するならこの党はとうの昔に解党されなくなっていなければならない。それが筋を通すということだ。

責任を取らないですむのなら、誰でもどんなトンデモな事でもまかり通ってしまうのは当たり前だ。そしてそのトンデモ街道を営々と歩んできたのがこの国賊自民だ。

そしてそんな腐った党が、国民の物事の表面しか理解できない皮相をいいことに政策を人質にとって強請りのような手口で解散を確約させ、虚言妄言がとうとう党利党略の総仕上げとも言うべき解散にすら至らせ、今再び利権の王国を築かんと目論むというのがてしまったというのが現下の日本の状況だ。

こんな国賊自民に美しい国日本・強い国日本に言及する資格なんぞはならからない。

アメリカは改革未だ道半ばだが、オバマ氏を再選させた。
過去の負の遺産が大きければ大きいほど改革は一朝一夕にはならない。
その道中には試行錯誤も混乱も存在するが、それを疎んで自民に回帰すれば全ては元の木阿弥になる。
今国民がなすべきは救国のネコを被ったこの国賊自民に貴重な一票を投じる事ではなく、引導を渡す事に他ならない。
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2012年12月9日 17時38分
【衆院選】私の検証 自民・エネルギー政策編
 
次にエネルギー政策であるが、エネルギー政策に関して、自民は表向きは原発の扱いについては判断先送りということだが、先送りという事はすなわち今回の阿部氏再登壇同様、

「ほとぼりが覚めたころを見計らって旧態依然で動かしまくる。」

ということに他ならない。
そもそも争点化しないで判断を先送りするのは、脱原発が潮流となっている今、続原発をまともに表明すればまずいから以外に理由はない。

であるなら最初から続原発と結論は出ているということだ。

安倍氏「技術開発の結果も分からないうちに結論を出すのは無責任だ。」

以前にも似非評論家田勢某についての投稿の際に指摘した事があるが、これは推進派の盗人猛々しい全くの詭弁に過ぎない。
「技術開発の結果も分からない」とはまさしく安倍氏の言う通りだ。
しかし、そんな、「技術開発の結果も分からない」ようなものを日本中におっ立てまくり杜撰な管理の下に置いた責任はあくまで自民を始めとする推進派にこそある。脱原発派の責任では決してない。
てめえの欠陥をあたかも対立候補の問題点であるかの如くなすりつけ、それを理由に脱原発派を批判するなんぞは自民十八番の、盗人猛々しい論法もここに極まれりというべきものであり、その盗人猛々しさと責任転嫁の悪辣さにおいて自民はまさしく人後に落ちないと私が考える所以である。

昨年の福島第一で詳らかになったのは、原発推進派がこれまで唱えてきた原発が安価でクリーンで安全なエネルギーというお題目は全くのデタラメだったということだ。

高度経済成長をも瞬時に泡沫にしかねないほど高くつき、使用済み核燃料という、その影響が消えるまでに数万年という気の遠くなるような時間を要する手に負えないゴミを産生し、生態系を丸ごと滅ぼすという地獄をこの地球に招聘しかねないほどの危険性を潜在的に有する、それが原発の実体だ。

原発を動かさないと電気料金が割高になるという推進派の詭弁があるが、原発が安くつくのは必須不可欠であるにも関わらず廃炉費用を賦課してないからに過ぎない。
言わば、コストの先送りという帳簿上のイカサマであり、当然ながら廃炉には巨額の費用が必要になる。中長期的に見れば安くつくわけでは決してない。そんな金喰い原子炉が日本に54基ある(今回の事故で6基廃炉決定)。
廃廃炉費用以外にも使用済燃料管理費用が生じるが、六ヶ所は未だ肝心のガラス固化が稼働できないというお粗末さだ。

廃炉以前にもんじゅは、未だ1Wも発電してないが、維持管理に毎日6400万の費用が垂れ流し状態である。
原発はコスト的に全く見合わない。
化石燃料由来エネルギーは海外から燃料を買っているので原発のほうがコストがかからないとする推進派の主張があるが、原発にしても燃料を輸入に頼っている構図は全く同じだ。
ウランを採掘し、燃料棒に加工して原発に運ぶまでにどれだけの石油を使うのかか。
海外依存度を理由に原発を選択するというのは全くの詭弁に過ぎない。
ちなみに地政学的リスクに絡めて脱原発だとホルムズ海峡の有事の際がどうのという人間がいるが、原発があろうがなかろうが化石燃料の供給ルートを止められたら日本は終わる。
「原発があれば中東で何が起きても安心」ということにはなりはしない。
市場競争原理から言っても、原発はコストが膨大過ぎて、手を出す酔狂な企業は絶対にない。 市場主義、新自由主義観点からも「脱原発」が当然の帰結だ。
電力会社は長くても最低40年毎にその損失を算入しなければならないが、建設後から甘い蜜を吸い続けた社長は誰も損をしたくないという利己的な考で廃炉から逃げ続けて日本を破滅の淵に追いやることすら厭わない。

こんな無責任な電力会社を野放しにしていたらそのうち日本には人がすめなくなろうだろう。

以上見てきたようにこんなトンデモ事業が、にもかかわらず営々と続いてきたのは、ひとえに、原発利権という甘い蜜に群がる自民政権と経済界、政官財というアリがそのおいしい思いをやめたくなかったからという極めて狡からい理由に尽きる。

コスト的にも全く見合わないものを、ただ電力会社の経営とそれに癒着する原発利権というマフィアのために動かしているだけ、それが原発の実体だ。
まさに異常のひとことであり、そんな異常者どもが国や経済の中枢にはびこり、税金を吸血し続けたというのが自民政権下の原子力政策の実体だ。
そしてその金の亡者がもたらした無残な結果が、福島第一であり、全国にある老朽化し今や究極の迷惑施設と化そうとしている原子炉だ。


仮に原発につぎ込まれたこれだけの費用を全て子ども手当なり、代替エネルギーなりに回していたらば、日本は今頃どれほど豊かで安心な国になっていただろうか。
少なくとも大きな地震の度に震源地の原発は大丈夫かと肝を冷やす必要はなかっただろう。
そう、経済云々より何よりも一旦原発がアウトしてしまえば、どれほどの対価を以って贖えないほどの惨禍を立地エリアだけでなく、場合によっては世界中に及ぼす危険性を本源的に有し、その可能性は決してゼロにはならない。

大地震や大津波は千年に一度と言うとその頻度は非常に低いように思えるが、100年やってたら10分の1の確率だ。とても原発立地の理に叶う低い確率とは思えない。そしてたった1度の過酷事故で、場合によっては数万年にもわたって金儲けどころか生き物は誰も住まうことすらできなるなることだってあり得るのが原発だ。そんなリスクを犯してまで得なければならないものが果たしてあるのか。

昨年の大震災はどれだけ安い電力を供給できようが一回の事故ですべてが気泡と化すような原発を運用する危険性と向き合えと言う天の警告であり、福島第一の惨禍は効率ばかり追い求めすぎた、その”罪”に対する”罰”に他ならない。
そして最大の不条理は罰を蒙るのは罪をまい進した利権どもではなく、そこから締め出された市井の人々であるということだ。

そもそも掲示板で既に指摘しているように、1996年、2006年、2007年、2009年に、大津波による福島原発の事故を予想して右翼が言うところの「アカ」が何度も何度も危険性を指摘して、津波対策と電源喪失に備える対策をとるよう要求してきた。

2006年12月22日 総理大臣 安倍晋三
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165256.htm
1-4
吉井英勝(共産党):海外では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか
安倍晋三:海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない

1-6
吉井:冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
安倍:そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

1-7
吉井:冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
安倍:そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

2-1
吉井:原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
安倍:そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

上記のようにそれを「アカの荒唐無稽」と無視し続けてきたのが、自民党、原子力安全委員会、東電、読売、産経。そして原発利権に潤っていた周辺住民だ。

まず問われなければならないのは、それら利権に与った人々の責任であり、その筆頭が自民だ。

失敗の許されない原発で失敗した。

本来なら解党がセオリーだ。

大臣の数十年前の一度の暴力団関係者の結婚式出席が進退問題視されるなら、ここまで利権との癒着しまくり原発を破綻させた自民は即刻解党してしかるべきである。
ところが解党どころかそんな原発推進利権母体の自民が、国民や低俗自称メディアの皮相をいいことに、あたかも原発破綻の全責任が破綻当時の民主政府にあるかのごとく原告席に回って糾弾し倒し、今度の政権を狙うなどとは、どこまで厚顔なんだ、この腐れ政党は。

そしてそんな荒唐無稽に疑問すら呈さない日本。どこまで異常なんだ、この国は。

こんな腐れ政党が跋扈するのも異常だが、その甘言に乗せられる国民も国民だ。
民主が政権についてまだ三年だが、民主がダメならまたぞろ原発破綻原因の元凶ともいうべきこの腐れ自民に回帰なんてどこまでおめでたいんだ?世界中の笑い者だわ。

福島第一の事故については、震災当時政権にあった菅氏の対応のみがフォーカスされ批判されがちだが、民主政権は例えるならば、「敷地にいくつか原発という電気も生み出す”不発弾”を作ったが、絶対安全で爆発する事はありませんから。」と言われて、自民からその土地を引き継ぎ、それが破裂するべくして破裂した時にたまたま居合わせた”管理人”に過ぎない。
時系列を冷静に眺めれば責任の軽重は一目瞭然だ。
にもかかわらず全ての批判の矛先を菅氏に向け、人格攻撃も辞さずに彼を叩きまくった自称メディアとそれに呼応した当時の世論のありようは、日本人が如何に皮相しか見ない無思考かということを、これ以上ないほど雄弁に物語るものであった。この投稿の本旨ではないのでその話は別の機会に譲るが、福島第一事故の責任の重さでいえば、この地震列島に原発をおっ立てまくり、杜撰な管理のもとに放置し続けた自民の責任は、上記のように震災時にたまたま政権にあって事後対応にあたらなければならなかったに過ぎない民主のその比ではない。

そんな自民が、抜本的な反省をなすどころか、利権とつるんでほとぼりが覚めたころを見計らって虎視眈々と原発利権天国再びに与ろうと画策するというのがこの衆院選だ。
安倍氏も本来なら法廷に立っていてもおかしくない身でありながら、それが選挙カーの上で美しい日本をと連呼するなんぞはブラックジョークも甚だしいわ。
安倍氏が未だその罪を問われることなく今無罪放免で選挙遊説を行っているのは、アメリカの息がかかっているこの国の司法が全く機能していない事の証明にはなっても、彼が無罪であると言う証明には決してならない。

安部芳裕氏によれば、自民党は、原発推進をエサに経団連から選挙資金100億円を借金しているという。

「経団連は原発を続けることを条件に自民に100億円を出すことを決定」
http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=37191

自民の原発推進は、電力会社や経団連という利権とつるんで国民の生命・財産及び国土をカタにしたバクチそのものだが、バクチで蔵が立ったという話は聞いたことがない。

因みに自民中枢である石破氏の娘は東電に入社している。
http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG6/20110421/154/

その他、

麻生太郎「原発を止めたら電気代が10倍になるぞ」
http://www.news30over.com/archives/3837689.html

福島原発の定期検査の間隔を13ヶ月から24ヶ月に延長していた自民党
http://www.47news.jp/localnews/hukushima/2008/12/post_2422.html

東京電力からの献金の見返りに原発の緩い耐震設計を認可していた自民党
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-16/2007091615_01_0.html

IAEAからの日本の古い原発耐震指針への警告を無視していた自民党
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031622470108-n1.htm

米NRCによる日本の原発の冷却機能についての警鐘を無視していた自民党
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=a.lK3UI3LjpM

野党の「福島原発の耐震安全性総点検等を求める申し入れ」を却下していた自民党
http://www.jcp-fukushima-pref.jp/seisaku/2007/20070724_02.html
http://www.amazon.co.jp/dp/B005I19D0O/

自民と利権の癒着は挙げればきりがない。原子力安全委員会の歴代委員長は、自民党議員だった事からもそれは垣間見える。

そして今、安倍自民は経団連と原発堅持で意気投合。
電力会社各社は未着工の原発9基の新増設に「不退転の決意」。
これらの利権が中抜きを繰り返しながらカネを回し合うのがムラのやり方であり、真に実効性あるエネルギー改革などできるわけがない。
こんな利権党が政権にありつけば、またぞろ権益囲い込みの原発マフィアが跋扈する癒着の構図は目に見えている。
これらのズブズブな人間が占める自民に、原発ときっぱり決別し、新たなエネルギー政策を期待しろというほうが土台無理な話である。

自民のエネルギー政策は、最初から続原発で結論は出ており、代替エネルギー等エネルギー戦略における真剣な議論なんかする気は端からないくせに、党利党略のためなら議論のすり替えも責任転嫁も厭わないというのがこの自民であり、あたかも福島第一はなかったかのごとくのこの自民の姿勢ほど、国家を、そして福島の痛みを愚弄した態度も他にない。まさにのまごうかたなき国賊売国党だ。


この間も指摘したが、安倍氏は原発破綻を招いた言わば”A級戦犯”だ。
こんな人間に「美しく強い日本を」などと言う権利はどこにもない。

自民とそこから除外された人々の対立は、ムラ利権社会とそこから除外されている大多数の持たざる者との対決であるが、原発問題はその象徴である。

金のためならその亡者のお追従となってかけがえのない日本の国土と未来を原発マフィアの裁量と幸運に委ね、国土が灰と化す恐怖に怯えながらも一時の栄華に浮かれる事を選ぶのか。

あるいは、どんなに質素でもいいから生命を繋げる事を最優先に置く覚悟を以ってこれまでの経済至上とは違う慎ましくもより安全な未来を模索するのか。

問題はそこまで極限化しているのであり、今回のこの選挙ほど、国民の覚悟と判断が問われる選挙はほかにない。
また、今回の選挙ほど日本の行く末を決定的に羅針するかつてないほどの重さを持つ選挙もないだろう。

原発つきの今の日本列島は水風船を剣山の上に置いて剣山が揺れないよう運を天に任せているあやうさはかなさだということをどれほど苦しくても直視しなければならない。今度原発がアウトすれば日本は終わる。

地震を止められ、津波を止められ、その他森羅万象をコントロールできるなら、----私個人はそれでも原発には反対だが----、原発もまたひとつの選択肢になろう。

地震を止められるのか。

津波止められるのか。

止められないのであれば、原発を止めなければならない。
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2012年12月9日 15時25分
来た!ちょっとだけ見た!存外面白かった!GPF男子雑感
 
まだ政経全然片付いてないけど、寒いので先にGPF雑感(理由と言えるかどうか…(笑))。

昨晩のGPF、気になって寝付けず布団のなかで思わずワンセグアンドにちゃんの実況スレ(今季初めて覗いたけど面白かった!(笑))でチロチロ視聴。ライブやった〜!

・フェルナンデス…もお、昨晩のMVPはフェルナンデスに尽きる!みっつの4、特に最後の後半4Sは着氷直後にクルクル二回スピンまでつけて圧巻の一言!!!思わずワンセグの前で一緒にクルクル〜〜!!しゅごいいいいい〜〜!!!!フィギュアファン冥利に尽きる〜〜!!!
表現も出で立ちが決まっているわりに押してくるものがないSPよりFPのトボけた感じがしっくりくるかな…前にも書きましたが、なんか時々振る舞いがオサに酷似してるよに見えるのは信者なせいか。
4Sは本当に安定感があって失敗する気がしないな。ステップはむしろバンクーバーのほうがキレてたように感じた。4が複数あるのであまりステップに割く余力がないかもしれないけどそのあたりを底上げすれば本当に強くなると思う。
SPはインパクトがないな…ナリはでかいが性格は存外大人しいかもしれないフェルナンデス…ホントにラテンの血は流れているのか…フェルナンデス…(笑)。
ラテンで思い出したけど、お国柄フェルナンデスはもしかしたら小さい時サッカーやってたのかな…?足元の器用さとか、サッカーも片足でバランス取らないといけないので軸の強さとか、サッカー由来のようにも思えた…。
しかしSP出遅れがあるとは言え、4を3回投入でも4位とはすごい時代になったもんだ…。

・チャン…今回の結果は、誰よりもチャンにとってショックだっただろう、他の選手と違う氷に乗ってるようなすべらかなスケーティングは相変わらず溜息が出るほどだが、それでも食いつかれるようになってる。前に掲示板でも書きましたが、天才肌は肉薄されると脆い。
そして3A。後半の3A、高さで強引に持って行ってましたが、あんな跳び方する事自体、調子が悪い証拠だ。これも前に書いた事がありますがコーチ変更はやはり凶だ。3Aが安定しないと命取りになるだろう。どうするかな。

・高橋…中国杯の時、身体か心かどっちか目覚めてないと書きましたが、揃ってなかったのは靴だったのか、なるほどね。アドレナリンが出てないにしてもあまりにもヘッピリだったので疑問だったけど…それなら納得(笑)。
中国杯の時も思ったけど、4に工夫が見られるね。
その方向性は正しい。それをマスターできれば鬼に金棒だな。
ま、チャンは完全に射程に入った。チャンのコーチ変更は、弱かったPCS強化狙いだろうが、昨季の高橋の猛追がその遠因になった部分はおそらくある。さっきも書いたようにチャンのこのコーチ変更はおそらく凶と出るだろうと私は考えているが、残るは羽生だが、羽生も単品なら全く脅威ではないが、バックのオーサーが問題だ…ま、そのためのモロゾフだ。モロゾフだってバカじゃないし、滑るのはあくまで選手だ。

ま、今季は勝負は捨てていい。そんなものに一喜一憂する必要は全くない。

そんな事よりとにかく今取り組んでいる4の手法を完全に自分のものにする事とスタミナ上積みが今季最優先だ。

221にも書いたが、君の敵はチャンでも羽生でもない。仮想敵は故障、これあるのみ。

オーバーワークにならないよう細心の注意が必要だ。
ま、どれ程基礎トレしているか、ふくらはぎのトンガリ具合を見れば分かる。苦しいと思うがその調子だ、明智君。
テキトーに休憩合いの手いれつつがんばってくれたまえ!また会おう!ウワーッハッハッハッハッハッ!!!(なんで対高橋はいつも怪人二十面相風味になるのか…謎(笑)。)

・トンビ…羽生は逆だな。多分来年ワールドあたりでポシャるかと思ってましたが…思ってたより早かったな。
前に「基礎的体力が足りてない」と書きましたが、もっと具体的には肺活量。肺活量が足りてないんだな。
単純に容量の問題。あの全く厚みと幅のない胸を見れば一目瞭然だ。
今のフィギュア界で、第一線のアスリートに向いてない体型筆頭がこの羽生だ。ちなみに2位はルシ、ま、問題の所在は両者まったく異なるが、そりはともかく、そこが羽生の最大のネックになるだろう。
後半ヘロヘロは、肺活量のない人間がキャパオーバーの過激な運動をした時の典型だ。酸欠、特に脳が酸欠起こして一時的な脳貧血状態になるんだと思う。だから頭がフラフラになったり、何でもないところで身体のバランスが崩れてしまう。
んじゃ鍛えればいいじゃないかという意見があるかもしれないが、成長がほぼ止まっている今からしゃかりきトレーニングして負荷かけすぎると今度は気胸とかそんな事になりかねないんだよな、あの手合いは。

体型だけで言えば、レイノルズあたりも同じようにガリガリだけど、最後まで持つのは肺活量、すなわち肺の容量はそれなりにあるんだな、多分。マラソン選手見れば分かるように、やせてるからと言って肺活量がないとは限らない。
レイノルズも最近きちんと見てないのでなんともいえないところはあるが、少なくとも羽生のように上体に向かって逆三角形どころか先細りのような体型とは違うはずだ。

・町田…本当に町田の表現は面白いな…『火の鳥』に相応しい情熱的な演技だったと思う。GPFはいい経験にしてほしい。
衣装はGPFごほうびかな…?(笑)私的には前のがいいけどこっち使うなら足元にも赤入れたらいいかな。今のままじゃ頭の黒が重く感じるので…んでも、多分験担いで旧衣装使うかな(笑)。

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2012年12月4日 18時22分
【衆院選】私の検証 自民・経済対策編
 
次に経済対策であるが、安倍氏の主張は財政の大規模出動による公共投資だそうだ。
大規模出動を行うという事は、要するにまたぞろ借金を積み上げまくるという事に他ならない。

これだけでも目下の日本の窮状を全く理解できないクレイジー極まりないマッドなお話であるが、話はそれだけに留まらない。

建設国債を日銀に引き受けさせるという、まさに目的のためなら手段を選ばない暴走ともいうべき念のいれようだ。

「20円で万札が刷れるんだからどんどん輪転機を回せばいい。」(安倍氏)

という男に財政規律と言う概念があるとは到底思えない。
目的のためなら手段を選ばない点ではまさに偽札作りの発想と同根であり、まさに後先考えない詐欺師的手法といわねばならないが、それをあたかも正攻法のごとく国のど真ん中で声高に叫んで憚らないのが安倍現自民総裁だ。

日銀の白川総裁が、「日銀の強力な金融緩和策を反映して金融環境は緩和した状態にある」と述べ、自民党の安倍総裁ら積極緩和を求める動きに真っ向から反論、安倍氏が求める3%の物価上昇についても一般論と断ったうえで「現実的ではない」と一蹴した事からも自明なように、国債日銀引き受けは、ハイパーインフレを招聘し、場合によっては円の信認を無効にしかねない禁じ手であり、そもそもそんな手法を用いたところで喜ぶのは、その公共投資の受け皿であるゼネコンという利権とそこからの票を期待するこの腐りきった利権自民だけだ。

まさに「悪魔のギブ&テイク」というべきものだろう。一般の国民がその恩恵に与れる道筋はどこにも見えない。

今述べたように、大型公共投資にいくら財政出動したことろでそれによって潤うのは、それを吸収するゼネコンその他の利権と言う極めて限られた部分だけであるという構造それ自体が最大の問題であるのに、それは全く是正されないままである。必然、富の偏在は正されるどころか更に強化され、富める者はますます富み、富まざる者はますます貧するというからくりがそのまま放置される事になる。

今日日本の経済状況の最大の問題点はまさにそこにこそある。
そして自民の手法は、ますます一部の富裕層による富の囲い込みに寄与しこそすれ、それを解消することには全く無効と言う点で古今東西首尾一貫している。

参考までに麻生氏に始まるエコ減税において、国はベンツの自動車税まで大幅減額して富裕層に寄与したが、その分国が借金を積み増すことになり、富裕層は今度は国債の利息で儲けることになる。

国の借金900兆円とすると、一人あたり900万円、利息分1%が9万円(非生産者層(赤ちゃんや老人)を含む) となり、四人家族で年36万円の税金が、適正な財政支出ではなく、ただの利息で消えていくという状態だ。

それを受け取るのがまたも富裕層たる資産家であり、高額所得者や資産家は課税率が高いと見られがちだが、実はこういう”キャッシュバックシステム”で守られている。

因みに安倍氏は現下の円安株高を捉えてあたかも自らの主張の成果のように述べて我田引水甚だしいが、

国際協力銀行の渡辺副総裁(元財務官) 「自民・安倍総裁の発言がなくても円安だったかもしれない」 

原因と結果の因果は丹念な精査の後にこそ証明されるのであって今ここでの我田引水は、自民十八番の

「悪い事は全部与党のせい 良い事は全部自党のせい」(笑)

というこれまた票目当てに最大特化されたペテン師の牽強付会である事は論を待たない。

百歩譲ってそれが安倍氏の主張のせいであったとして、お金刷り放題なんて言えば投機が大喜びするのは至極当たり前の話であり、無節操な財政出動に投機が飛びついただけの話だが、それがあるべき健全な経済の姿であるか否かは全く別の話である。

安倍氏、すなわち自民の主張が如何に現実ばなれした荒唐無稽で満たされているか、これだけでも知れようというものであるが、最も問題なのは先ほども述べたようにこの党の施策が悉く利権ムラその他、”持てる者”への局所集中に堕している点だ。同じ財政出動するなら日本未来の子ども手当のほうが、投下先が一定グループに偏在しない点と、本当に必要な所に投下できているという点だけとってもはるかにマシだ。

増税法案成立過程において、利権ムラ政党自民の支持層である富裕者層への課税強化を骨抜きにしたのもこの自民なら、福祉目的オンリーだったはずの増税分において、またしても公共投資という名のゼネコン利権集中投下への抜け道を残させたのもこの自民だ。

民主の社会保障への取り組みは、自民の主張する”大規模ナントカ!!”と比べるとどうしても地味に見えてしまうきらいがある事は否めないが、社会保障を最大優先課題とするその指向性自体は、地に足のついた堅実な考え方であり、私は間違っていないと思う。

先日も指摘したようにどこぞの自称専門家どもならいざ知らず、打ち上げ花火じゃあるまいし、派手で耳目を集めればいいというものでないのは政治においては至極当たり前の事だ。
むしろ、打ち上げ花火の華やかさに幻惑されて、その後ろの負の側面に目が行かなくなってしまう事が一番問題であるし、打ち上げ花火を打ち上げる自民ら張本人たちの狙いももちろんそこにある。
であるなら、そんな耳目を集める”派手さ”を誇張している事自体、自民が有能な集団であることではなく、撹乱をこそ党是としているまともな党でない事の何よりの証であり、実際利権とムラにまみれた政局党に過ぎない。

民主の経済対策もまた、全く問題がないわけというわけでは勿論ない。上記のような派手さもない。
しかし、これだけ国の借金を積み上げた最大の戦犯でありながら、今また性懲りもなく同じ手法を用いてでも政権に与ろうとする支離滅裂な自民よりははるかにマシであると私は考える。
社会保障重点化という指向性は経済対策としては”遅効性”なので効果が表れるのにどうしてもタイムラグが生じる事も、国民は理解する必要があるだろう。

先の政権時代、自民は先進国中まれに見る膨大な借金を積み上げて置きながら、その事に対する問題意識や反省は未だ皆無である。

今自民は、「以前とは違う!!新しい自民!!」(笑)とイメージ払拭に躍起だが、この経済対策を見ただけでも旧態依然のままであると言う事が知れようというものである。
利権に我田引水で借金を積み上げまくった政党がまともであるはずがないが、今もやっぱり旧態依然のクレイジーさだと言う事を見誤らない細心が必要だ。
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2012年12月3日 19時4分
【衆院選】私の検証 自民・外交編
 
衆院選にあたり何回かに分けて各党の主張・これまでの挙動を検証してみる。

まず最初に自民の外交についてだが、自民安倍氏がアメリカとの「同盟関係強化」と言う時それは、アメリカの犬に成り下がるという趣旨に同義である。
孫崎亨氏の『戦後史の正体』にもあるように、GHQのご機嫌取り結ぶために、あるいはそれに取り入るために、公営売春宿を作ることすら厭わなかったのが戦後政権にあずかったこの党の面々だ。
アメリカには頭を撫でてもらえるかもしれないが、それもアメリカの意に沿えば、という大前提においてのみである。
仮にアメリカに立て付けばどうなるかは小沢氏の人格攻撃にまで及ぶ不当なまでのバッシングを見れば自明である。
様々な人々によって既に指摘されているように、私も小沢氏が不当起訴され自称メディアらによってここまで悪役に仕立て上げられスケープゴートにされたその最大の要因は、おそらく「アメリカのプレゼンス(存在感)は、私は必要だと思っております。それはおおむね、第7艦隊の存在で十分じゃないかなと」(2009年2月25日大阪市内にて)にあるような自律性の指向ではないかと考えているが、その事は、無罪確定によってある程度立証されたといえる。
因みに民主の尖閣の対応は概ね妥当だったと考えている。無主地先占は国際法上の定めであり、国際司法裁判所への付託は非常に効果的かつ実際的であり、裁判を受けないという中国や韓国の対応それ自体が彼らの主張が国際法上の根拠を欠くという、ひとつの答えなのだから。

自民となあなあズブズブの経団連が早速歩調をあわせて政府批判を展開していたが、そもそも尖閣問題については、寝た子を起こすような真似をしたのは石原前都知事であって民主が仕掛けたわけではもとよりない。石原氏の拙速のとばっちりを受けて尻拭いに当たらなければならなかったという点では政府はむしろ被害者の側面すらあるのが事実なのであり、それをあたかも与党の失点かのごとく言い募るは、まさに信号機が青いのも横断歩道がゼブラなのもなにもかもひっくるめて与党が悪い、という、四国デマ新聞をはじめとする自称メディアが駆使するデタラメ論法と寸分違わない的外れの言われなき批判であって、言いがかりもいいことろだ。
尖閣問題を放置してきたという点では自民も全く同罪であり、上記経緯を丁寧に読み解けば尖閣における政府批判一辺倒がお門違いなのは自明であり、批判の矛先は石原都知事その人にこそ向けられるべきものである。
尖閣に端を発する日中冷却の責任を取らなければならないのは第一義的に石原氏である。
それが理解できない経団連の米倉氏は、自民同様、文脈を読み解く能力がない無能という事を証明しているに過ぎない。

いずれにせよ、過度に対立的な路線を取ったりしなかった事は賢明であり、それが証拠に対中国においても一時期の過激な反日行為は沈静化の傾向にあって、それ以上の事態には至っていない。今となっては中国国内からも過激な反日行為に対しての批判が出てきている。
何よりも、領土問題にかこつけて、ここぞとばかりにいたずらにナショナリズムを煽るような、党利党略のためなら何をも厭わない自民などよりははるかに冷静でマシな対応だ。
その事は以前掲示板にも書いたように安倍氏よりはまだ野田氏のほうが”話せる”と見ている韓国の対応からも裏付けられる。
弱腰弱腰という批判があるが、外交は強腰であたればいいというものでもない。
国防強化はまた、徴兵制に道を開きかねないものであり、安倍氏のタカタカした言動を見ているとその懸念が現実になる日がないと保証できる人間がいるだろうか。
そもそもだ、斎藤美奈子氏の言にあるように(※)、日本の海と国土と人民は、安倍氏言うところのそれら仮想敵以前に放射能で取り返しがつかないほどに「侵され」ているというのが実情だ。
その責任の九分九厘は原発をこの地震大国におっ立てまくり杜撰な管理のままに放置しておいた自民にこそある。
外交についてもせめて孫崎氏の著書くらいは目を通して、自己利益を至上とする心ない戦後自民の政権中枢によって一体どのようにこの国の自律性がないがしろにされ、国政が歪め続けられてきたのか知るべきである。
冒頭書いたように、この党が「日米同盟関係の強化」という時、それはアメリカの属国化の道である事は歴史が実証済みなのであり、この党が政権を担うと言う事は自律的外交選択の放棄と敗北を意味する。
果たして、そんな好戦的で党利党略利権のためならナショナリズムを鼓舞しまくり、なんとなれば戦争すら政局の具にしかねない自らの保身第一主義の党に国政が任せられるか、再考を促したい。


※ 斎藤美奈子氏「安倍新総裁は「日本の美しい海、領土が侵されようとしている。危機的な状況だ」と総裁選で訴えた。
しかし日本の海と国土は、外敵以前に放射能で「侵され」ている。」
http://twitpic.com/b129pj
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2012年11月11日 17時57分
四国デマ新聞に見るデマ師の系譜 〜田勢康弘の場合〜
 
さて岩見某に続いて今回は、政局専門デマ師筆頭後藤謙次と並んで、この押しも押されもしないデマ紙である四国新聞における自称政治評論家、その実日和見御用物書き田勢康弘氏による代表選コラム(2012年9月17日1面(引用部分全て同じ))を取り上げてみたい。

最初に氏は、自民・民主両党の代表選を比較して、

「民主党も代表選を行っているはずなのに、テレビで見る機会は自民党の半分もない。」

とするが、それはメディアの偏向の問題であって別に民主の問題ではない。しかるにこの田勢某はその原因を、

「民主党はもっと知恵を絞るべきだったと思う」。

とし、より具体的には、

「野田首相の再選が確実だから、テレビ局は飛びつかない。〜(中略)〜民主党に少しでも関心を持ってもらいたいと思うなら、あるいは、選挙で少しでも議席減を食い止めたいと思うなら、なぜ、人気のある細野豪志環境相を対抗馬にしなかったのか。」

果たして新聞とあわせ今や自称メディアの極みと成り果てているていたらくテレビ局の取り上げ方を物事の価値判断の指標としていいか、というそもそもの疑問については後述するとして、まずこれを、この田勢某が、細野氏が真に総理候補に相応しいので立候補すべきと考えていると見るべきか、あるいは、相応しいかどうかは別にして選挙向けのパンダとして立候補すべきだったと見るべきか。

「選挙で少しでも議席減を食い止めたいと思うなら」

とあるし、仮に、細野氏擁立が、その資質に基づくものであるなら、「人気があるから」(笑)という文脈はありえないのでおそらく後者だろう。

その論理は正しいのか。

答えは否だ。

娯楽興行なら客の入りを気にしなければならないが、政党の代表選は、公開であるとは言え、第一義的には党の代表を選ぶための党内人事であり、別に顔見世興行でもなければ、呼び込みのチンドン屋のパフォーマンスでもない。

与党にある場合その代表選が、国のトップである総理の選出に直結するが、であればなおさら、人気取りや耳目集めのためでなく、国のトップとして要求される資質を備えた者が立候補し、その思い描く国のあり方を主張し、論戦を戦わせるための場として代表選があるべきであり、決して耳目集めやまして票集めに目的化して行うべきではないと私は考えるが、この田勢某にとっては客寄せ興行の意味合いのほうがそれらの本来的な目的よりもはるかに大きいらしい。
そして、上記の意味では小策を弄してデマゴーグに走らなかった民主は、本分を弁えているとして評価すべきであると私は考えるが、この田勢某は耳目が集まらなかったという理由でそれを批判しているのである。

間違っているのはどっちか。

言うまでもなく田勢某のほうだ。

人気さえあるなら例え総理の器でもない人物だろうがなりふりかまうことはない、それを引っ張り出して耳目を集めろという事は、この国のトップの選出を兼ねる選挙を、客集めのための面白おかしい一種の見世物にしろと言っているに等しく、枝と幹の転倒に他ならない。
それが更に内容のある代表選に結びつくなら意味もあろうが、政治において人気や耳目の多寡と資質の深浅は基本的に何の因果関係もない。むしろ、耳目を集める事を目的化すれば、政治はたちまち衆愚に堕するのは、今更言うまでもない。それでなくとも、凡人にはできない問題の本質的を見極める素質に優れているがゆえにそれらを理解できない凡人の感情的な反発を食らってしまう事さえあるのがこの国だ。

耳目を集める政治が必ずしも賢明な政治とは限らないということだ。

自称メディアに煽られて仮に国民が代表選に目新しさやサプライズを求めているのであれば、おかしいのは、代表選にそんなものを求める国民のほうである。

そもそも冒頭に書いたように、デタラメの極みにあるこの国の自称メディアにおける露出の多寡が、問題の重要性やその価値の高低とは全く無関係であり、そこにおける取り扱いは、物事の価値判断を損ないかねないまるであてにならない道具でありこそすれ、信頼に足る明快な羅針盤にはなりえず、真っ当な評価を下そうと思うならば、決してその物差しを用いるべきでない、ほとんど禁忌である事は、大震災後一年以上が経過した今、ある程度この国の報道を知る者ならば、ほとんど周知の事実であるが、井の中のデマ師はそんな事は知る由もないらしい。
この人間の民主代表選への批判は、その代表選の欠陥ではなく単にこの自称専門家の資質のお粗末さをこそ露呈しているに過ぎない。

仮に、最初に排除した選択肢、この自称専門家が細野氏が総理に適任だと思うのであれば、その根拠について言及しなければならないが、さすがは類は友と言うべきか(笑)、先の岩見デマ師同様、そんなものはどこにも見当たらない。
あるのはただ、細野氏が「人気者だから。」(笑)という、デマゴーグの王道をゆくお粗末な理由のみなのである。

ちなみに細野氏の資質についてこの機会に一言だけ付け加えるとするならば、私は彼が総理の器に相応しいと思った事はこれまで一度もない。
国民受けがいい事や上意下達で命令を忠実に実行する手足としての能力と、国のトップとして大局を見据え、最善の判断を下す頭(かしら)としての能力は全く別物であり、細野氏が前者には長けていても後者は全く未知数であり、少なくとも現段階で細野氏に彼でなくては語れない国家ビジョンがあるようにはとても思えない。
その意味では、党内の融和を慮って出馬を踏みとどまった細野氏の判断もまた評価されるべきである。

だいたいこうデマ師に限って、仮に細野氏が立候補して党内を二分するような事にでもなればにここぞとばかりに亀裂だ分裂だ、と騒ぎ立てると相場は決まっている。もともとそういう政局についての思考しか持たず、それを政治の本分とする過ちを平気で犯しているからだ。これらの自称政治専門家を政局専門家と私が呼ぶ所以である。
この自称専門家にとっては、おそらく人気=器なのだろう(笑)し、あるべき代表選よりも耳目を集めて注目を浴びている代表選のほうが立派な代表選ということなのだろう(笑笑)が、政治というものは本来地味だ。批判されるべきは、そんな面白くもない政治に辛抱できず、スキャンダラスな展開や目新しさを求める国民であるのに、田勢が吠えているのは、本来やるべき代表選を履行したに過ぎない民主のほうである。

これがポピュリズムでなくて何がポピュリズム?

いかにこの自称専門家が目的と手段、そして正誤を取り違えたデタラメ論者か、ここの部分をかいつまんだだけでも知れようというものである。
そもそもこの田勢某は、反原発を指向する政治家を大衆迎合と言って憚らなかった人間だ。
反原発への理解をポピュリズムと嘲ったこの人間の、この思考がポピュリズムでなくて何か。

「勝敗に無縁の消化試合のようだ。」

消化試合、大いに結構。勝敗や観衆の多寡にこだわる必要がどこにあろうか。そんなものを求める輩のほうがおかしいのだ。

与党たる民主が今最も力を傾注しなければならない事は、わざわざ人気者を対抗馬に仕立てていたずらにメディアや大衆を賑わわせる事ではなく、粛々と代表選を行い、そのもとで山積の懸案をひとつでも片付けていくことにこそある。
その意味で民主代表選は、本来あるべき代表選という意味では極めて妥当だった。党内対立が深刻化してこれ以上の亀裂回避と言う意味でも評価していい。

話を進める。

次に自民へのこの自称専門家(何の専門家かは不明(笑))の評価だが、

「自民党5候補の話を聞いていて、さすがに自民党には首相が務まりそうな人材がかなりいるな、と思わせる。」

この度のハリケーンサンディの襲来において、アメリカ民主・共和両党は一時休戦し、バージニアの共和党州知事は宿敵ともいうべき民主のオバマ氏の努力を率直に評価し、必要とあらば党派を超えて挙国結束できるアメリカの懐の深さ示した。
翻ってこの日本において、そのハリケーンとは被害の甚大さにおいて比較にならない千年に一度の大震災において、与党に全面的な協力を申し出るどころか、ここぞとばかりにその自然災害をさえ党利党略の具とし、徹底的な与党糾弾の口実としてそれに終始し、それだけに飽き足らず、ほとんど強請りのような手口で総理に解散を確約させ、以降、口を開けば解散の二文字しか言わず、尖閣にかこつけて、韓国がこんな安倍氏よりはまだマシだろうと野田政権との関係修復を急ぐような、いたずらにナショナリズムを煽る、徹底して党利党略を至上とした自民の、どこが「さすがに」なのか、私にはさっぱり分からないが、耳目を集めるためならデマゴーグを駆使せよと考える人間には、賑わっていればそれだけで随分と立派に見えるのだろう、大笑いである(笑)。

自民が事あれかしとばかりに、過去との整合性や行動の妥当性は放り投げて、盗人猛々しい論法を繰り出し続けるのも、こういう思考停止した人間が存在すればこそだろう。

「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えているように見える。」

確かに自民の論述は単純だ。「あの人は嘘つき」(笑)とか「あの人は悪い人」(笑笑)と言う、”悪者探し”とそのラベリングという人格攻撃に専心特化する、自民が古今東西を通じて駆使している究極の大衆煽動論は、分かりやすいには違いない。
しかしそれが国政政党としてあるべき主張かどうかはまた話が全く別である。
およそ一国の国政政党の中枢とも思えないようなこれらの幼稚極まりない自民の論法は、お粗末を通り越してうそ寒くさえある。あるのはつまるところ、政治の本質とは完全に乖離した善悪二元論だけなのだから。

ちなみにこの「分かりやすく答えているように見える。」についても根拠・類例の記述は見られない。

「(田勢某の自分の番組にも)出てもらったが、本番前にはスタジオで冗談を言い合ったりして和気あいあいだ。プラモデルが趣味の石破茂氏と安倍晋三氏が、子供のころ作った戦車の話で盛り上がっていた。昔の総裁選とはずいぶん違うな、と思わせる。」

「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えているように見える。」とあるので、次にそう考える理由なり根拠の話が続くのかと思いきや、田勢某が続けたのが上記である。
分かりやすく答えている事と本番前の和気あいあいやプラモデル話(笑)に本来、何の因果関係もないはずであり、まして親しみやすさのコンテストというならともかく、それらが首相の資質を測る指標になるとも到底思えない(笑)が、それともこの自称専門家にとっては、本番前のこれらの挙動が話の分かりやすさや首相の資質と密接に連関(笑)するのだろうか?(笑)吉本そこのけのナンセンスギャグとしか思えない(笑)話ではあるが、それならそれで、この田勢某以外には如何に荒唐無稽に思えようとも、その因果の根拠をつまびらかにしなければなるまいが、それも例によってどこにも見当たらない。ま、そんな証明自体、土台無理なので当たり前といえば当たり前だが、ギャグならしかるべき娯楽欄にすべきと思うが、本人も四国デマ紙も至って真面目に政経欄展開だ(笑笑)。

本番前にいくら朗らかだろうと、プラモデルの戦車作りで盛り上がろうと、そんな事は、「いかなる問題もきちんと理解して分かりやすく答えている」事とは、縁もゆかりもない話であり、ましてやその根拠には決してなりはしない。
そんな理屈にもならない理屈を持ち出して、そこには密接な因果関係(笑)があると信じて疑わないのはこの自称専門家やそれを堂々一面政経として掲載する四国デマ紙くらいだろう。まさにデマ師の面目躍如、見事な連携プレーと言ったところか(笑)。
先の岩見某と同じく、こんなデマゴーガーに民主代表選がおかしく、そして自民のそれが正しくみえても別におかしくはない。判断能力がそもそも本来要求されるレベルに足りてないのだから。

話の分かりやすさとは、本来難しい話を平易な表現で簡潔に噛み砕いて説明できる能力だと個人的には思うが、自民が現在駆使しているものがそんな大層なものでない事はこれまで見てきた通りである。
この国賊政局党の頭にあるのは、如何に話を政局という横道に逸らし、党利党略に結びつけるか、それだけだ。
こんな政局政党が性懲りもなく政党でございと大手を振っている現状については、じっくり腰を据えて頭を使わなければならないところを、とりあえず手っ取り早く結論だけを求め感情任せに判断して省みない、国民の側にもこれらの跋扈を許した責任は当然ある。

更にデマ師のヨタ話は続く。

「印象的だったのは、「原発2030年代にゼロ」という民主党政権の方針に全員が「×」をつけたことと、「自民党が政権復帰したら株価が一万円を超える」に全員が「○」と答えたことだ。」

如何にもデマゴーガーがしつらえそうな、そのサンプルと言っていいような文面ではあるが、質問項目に○×つける事自体は別にこの五人でなくとも誰にでも可能な簡単な質疑応答に過ぎない。
問題は、それが妥当か否か、あるいは実現可能か否かは全く別の話であるのに、そこにこの田尾某の言及は例によって全く及んでいない。

あたかも、自民の言うことなら何でも無批判に正しいと見ているかのごとくに、だ。

このデマ文章の最大のポイントはここである。

「昔の総裁選とはずいぶん違うな、と思わせる。」に続けて、この文脈を持ち出すのがそもそも印象操作以外の何物でもないが、「原発ゼロに×」する事や「株価が一万円を超える」が正しいか否か、あるいは実行可能かどうかは全く分からない。それらが妥当か実現可能かの客観的検証等からは全く乖離して、この自称専門家の皮相デマ師にとって印象的だった、というただそれだけの事である。
ではこの御仁の印象の深浅と客観的な妥当性はリンクするのか?

答えは否だ。

印象というのは、客観的根拠を持たないロジックとは対極の場所に位置するからだ。
ちなみに何故にこの田勢某にとってそれらが印象深かったかと想像すれば、それらの選択が、福島第一破綻の後にあってなお原発再稼動を何の躊躇もなく嗜好する未だ右肩上がり成長の幻惑に囚われたままのこの田勢某にとって最も合致するという、それ以上の理由があるとはとても思えないし、実際それらの推測を覆す何の記述も見当たらない。
しかるに、わざわざこれらの文に印象的と言ったような極めて主観的に過ぎない言葉を紛れ込ませるという手法は、あたかも自民が政権を取りさえすれば、全てがうまくいくかのような、こういった種類の文章に本来あるべき客観性や公平性に鑑みて決して存在してはならない予断を与えるような類の文章でこのコラムは構成されている何よりの証左である。
そして、このようなデマ師たちの目的が、概して政治を読み解く事それ自体よりも、特定の意見に読者を誘導する事が目的化している場合が非常に多いのもまた事実である。
実際そのような文章を書き連ねるデマ師の主張たちが、秋の夜長の余興になりこそすれ、政治を読み解く上での客観的な判断材料となる事はまずない。
特定の主観や思惑で書かれている以上、最初に結論ありきでその結論に合致するよう、いきおい、事実の歪曲さえ躊躇しないからである。

要するにこのコラムから分かる事は、民主の代表選が自民の代表選より劣っていたという田勢某の主張が厳正な事実であるという事ではなく、これら自称専門家が、印象操作・意見誘導を確信的に企図し現実を読み解くよすがには決して値しないこれらの詭弁を書き連ねたか、あるいは、その詭弁の異常にさえ気づかない、政治を読み解き語るには全く足りてないボンクラのどちらかであるという事、それだけである。

「日本の「顔」が必要なのにいつも選ぶ基準は選挙の「顔」だ。」

とこのデマ師は嘯くが、書かれてあるのは、これまで見てきたように徹頭徹尾選挙の「顔」についての話である(笑)。
日本の「顔」に関する記述は一切ない。あるのは極めて皮相な代表選の所感と、深度の欠落したそれらの解釈、これあるのみだ。ロジカルな思考とは無関係な単なる感傷といわれても仕方のない一文ではある。
必要なのが選挙の顔でなく日本の顔だと本当にこのデマ師が考えるのならば、少なくとも、その直前の「野田氏や谷垣氏が選挙の顔としてはなかなかに厳しい。」云々という章は不要だ。
また、先の細野氏擁立の話は日本の「顔」が必要という話と完全に齟齬しているが、そんな事はこのデマ師にとってはいっかなお構いなしだ。おそらくそんなバッテイングは日常茶飯でいちいち気にしていられないのだろう(笑)。
これのどこが論理的な解説なのか(笑)、私にはさっぱり分からなかったが、おそらく氏も自民候補にならって論理性や思考性を投げ打ってでも親しみやすさや分かりやすさに腐心しているのだろう、大爆笑ではある(笑)。
政経欄でわけの分からない文章を連ねて恥を連ねるよりも己が資質に鑑み、コメディアンにでも転身したほうがずっと大成するように思うのは私だけか(笑)。

「年内、遅くとも数ヶ月以内には行われるであろう衆議院選挙。」

先の岩見同様、そこに選挙に明け暮れるこの国の政治に対する問題意識はかけらも見られない。

このコラムのタイトルは、

「自民まずまず 民主消化試合」。

なにがまずまずなのか、読めば読むほどに理解不能だったが、おそらく本人にとっては余人には理解しがたくともロジカルを寄せ付けない特殊な思考こそが本分なのだろう、まずまずの文章が書けたと悦に入っているだろう田勢某の姿が浮かぶ(笑)。
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[カテゴリ:”民主主義はタダでは手に入らない!”政治・経済・デタラメディア] [コメント (0)]




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