くる天 |
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CANAL さん |
TALES OF NIGHTINGALE |
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ブログの説明: 〜〜真実が浮かび上がるのは、夜。見つめるのは、ナイチンゲールの瞳。〜〜
「TALES OF NIGHTINGALE」にお立ち寄りくださいましてありがとうございます。当ブログでは、真実を見つめ続けるナイチンゲールの視点を借りて時事政治経済、フィギュアスケートなど関心のありますことについて硬軟問わずネットの森の片隅で語っております。 |
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エデンの呪縛 〜『MIROKU CODE』〜 |
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2014年12月21日 18時55分の記事
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今日は1号が足元でぐらぐらイビキ書き倒すくらいには寒くない…はぁ、でも昨日今日まだあの寒さ疲れで暇さえあればゴロゴロ、あれはもー尾を引く寒さやった、寒さといや、19日だかに「八甲田山」て書いたら翌日の四国3D(デマ・デタラメ・(口から)出まかせ)新聞で早速シンクロ、
まぁ、この八甲田山の遭難も特攻同様、今もパラノイア安倍らに脈々と受け継がれる分析力も戦略も何ら持ち合わないてめえの無能をさておいて部下にはひたすら根性論で局面打開を強いる日本上層部の犯罪的無能の現れに他ならない。
朝サン、今日は土手で清掃活動しててそのせいか鳥さんたちいたけど遠巻き…先週書き倒したんで政治も今週はお休み、異常な国の異常な選挙についてはまたあらためる事にして、久々に『MIROKU CODE』で一くさり、今日のテーマは
「エデンは戻るべき場所か。」
例えば、年端もいかない子供の手の届くところに、おいしそうだけど食べてはいけないものをわざわざ置いといて、「いいかい、よくお聞き、これを食べるとバチがあたるから決して食べてはいけないよ」って噛んで含めて言い聞かせ、しかし幼い子供にそんな分別つくわけもなくそれを口にしたってんで逆上して家から放り出した親がいたとする。
あるいはまた。
幼い子供の目の前にストーブ置いて、危ないからこれには触らないよう懇々説教し、しかし親が出かけてる隙に、退屈な子供は好奇心にかられてうっかりこれに触れて火傷をしてしまい、「触るなとあれほど言ったのに!」とか幼子相手に逆上して路上に放り出した親がいたとする。
それって虐待じゃないの?
しかし同様の事例が描写され、しかもそれを世界中の善男善女がありがたがって崇め奉ってんのが、旧約聖書だか創世記だかのアダムとイヴ楽園追放のくだりだ。
このエピソードに出てくるキリスト教の神はアダムとイヴが自分達と同じになることを恐れて生命の樹の実を食べる事を禁じ、その禁を破った二人をエデンの園から追放したという…、
なーんでそれがアダムとイヴの過失なわけ?(笑)
そんなもん、どう考えたって言っても分からない幼子同然の二人の目の前にいかにも食べてくださいと言わんばかりにリンゴの木を置いとくほうがおかしいだろ。
リンゴ食べる前のアダムとイヴっつったら、物心つかない子供も同然、まず問われるべきは保護者たるヤハウェの監督責任の問題であって、そのリンゴをうっかり食べてしまったからと言ってアダムとイヴを責めるのは、わざわざ手の届くところにリンゴを置いてそれを齧ってしまった3歳児を罵倒するようなもんだろ。
とても寛大万能の神の所業とは言えないと思うんだけど。
柵を設けるなりリンゴの木のある場所から二人を隔離するなりすればいいだけの話であって、そんな食べられたら困るようなもんを子供同然の人間の手の届くところに置いとくなよ。 神より格下と定義されてる人間の親でさえ、子供に食べられたらいけないリンゴがあれば、戸棚にしまうなりなんなりの知恵働かすわ。
…って思うのは私だけ…?(笑)
まぁ、キリスト教的にはアダムが自分は食べてないと言ったのが最初の罪だって目くじらたてまくったくらいだそうだから、そら罪深くみえて当たり前だろうけど、そんなんじゃ子供は育たんぞ(笑)
要するにこのエピソードは、人間の原罪を説いているのなんかではなく、キリスト教の掲げる神のそのお粗末狭量をこそ語っていると見るべきじゃないの?
私はそう思う。
そもそもそっからしてキリスト教には疑問満載だが、このエピソードに関してもひとつ不思議、というか不気味なのが、こんな理不尽際まりない話を世界中の何億人もの善男善女がありがたく信奉奉って有史以来誰も当然あるべきこういう突っ込みを入れないことだよね…。
2ちゃんねるより。 「221 :本当にあった怖い名無し:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN ID:SnfTsD960 聖書は人間が書いたトンデモ本 語る必要すらない
陰謀論のほうがよっぽどリアリティがあるし 現実の日本の危機と直結する
403 :警告:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:gjjP6rvC0 宗教はイルミナティが作った作り話だった モーゼとイエスとマリアは犯罪者だった 人々を殺してその殺した人々を生贄に捧げていた。 まさにイルミナティ。 さらに宗教対立を激しくさせたいためキリスト教と複数に分裂 仏教、イスラム、カトリックなどなど全てキリスト教を元としている。 どこも金を飾りつけるところとか教えとか存在してるしやってることは教えが違うだけで皆一緒。」 ここまでラディカルには思わないにしても、エデンのこのエピソードにしろ、キリストの磔にしろ、私的には人間は罪深いって罪悪感を植え付けるためだけのプログラムとしか思えない。
罪と依存で人間を縛り、そこから自立という名の逸脱に更なる罪悪感を持たせる事でそれはなお強固になっている。
そう、エデンだのキリストの磔だのは、人間に罪悪感しかもたらさず、それは人間を幸福にするどころか、それこそ「幸福」への最大の阻害要因となりうるものであって、エデンの園を希求しそこに再び戻るという事は、人間として自らの足で立つ事を放棄し、神の庇護という束縛のもとに置かれてひたすら神の庇護を乞うてその足を舐める子飼いのモルモットとして存在する事を意味する。
「迷える子羊」とはよく言ったもんだ。
そう、「エデン」とは、「人間よ、思考を捨て、ひたすら庇護される「迷える子羊」となれ。」のコードに他ならない。
そこに、「対価としての安心」はあっても、自立した存在としての己への信頼も幸福も存在しようはずもない。
であるなら、決断すべきは、この呪われた楽園への回帰ではなく、このエデンの呪縛から解き放たれる事ではないのか。
エデンの園には戻らない。
ソチの男子シングルの結果もそれを暗示している。
そういやあれ書いてないな…ソチはそれどこじゃなかったし…ま、それは機会と根性が出ればまたいつかという事にして、ついでにだけどキリストの包容力の象徴としてまことしやかに語られている右の頬ぶたれたら左の頬差し出すってのもナンセンス、まずはなんでぶつのかって聞くのが先決だろ、それが人間の知恵ってもんだ。
自らの足と意志があるのに何も神に依存する必要はない。 神なんていないしね。
同。 「327 :本当にあった怖い名無し:2013/09/03(火) 23:23:01.02 ID:59c+nnL6i 悪魔がいないと神も困るだろ 人間が困ってくれないと神の存在価値も無くなる
仲良く喧嘩してるだけだよ
328 :本当にあった怖い名無し:2013/09/03(火) 23:31:14.00 ID:e+sugC8R0 >>327 やっぱりそうなのかね 問題や悪魔やらは神々のエネルギー源や存在意義になるのだよね なんやかんや言って謳歌しているわけだよね」
そういう事だ、あるのはただ必要十分としての神のみ、ニーチェもいいところまで行ったけどな、
神なんて不要、神を必要としてる動物がいるか?
…というわけで、以上でエデンの園にまつわる私の見解並びにアセンションにかこつけて「エデンへの回帰」だの「キリスト復活」だの吹聴してるブログ等はこぞってガセってことの証明終わります(笑)、それはどこぞのご立派な宇宙人に依存するのと構図は同じ。発想が同じだけに両論併記のガセブログも多いですな(笑)、
因みに「もともとDNAは12本だ13本だ」言ってるのもガセね、なんでDNAが12本だよ(笑)、ま、おなかすいたのでそっちの理由はまた後日あらためることにして、もし原罪だの何だのに囚われている人がいるならそんなものに囚われる必要はどこにもない、
エデンの園にはもう帰らない。
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